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たかが犬

今考えると、一番良い時期を彼(犬)と一緒に過ごせたと思う。
彼は私が大学1年生の終わり頃に拾われてきたのだが、学生時代は時間も体力もあり、一緒に走り回ることが苦ではなかった。むしろ体力増進に役立っていたと思う。
またその頃は、精神面の成長過程にもあり、彼と一緒に過ごすことで、癒されたり、励まされたり、気を紛らわせたりすることができた。

「たかが犬」かもしれない。でもそんな犬に色々なことを学んだ。あらためて、そんな気がしている。

 

愛情

彼はいつでも帰宅すると喜んでくれる。例え、怒ったり、叱ったりして出掛けた後でもだ。満身の愛情をもらうと、こちらもそれに応えたくなる。
分かっているつもりでも人は、なかなかそれが出来ない。いつまでも気持ちを引きずっていたりする…。
犬の方が人よりも愛を知っているのだろうか?人は、愛というと、すぐ色恋をとりあげる。
人だって自然界や動・植物に愛情をそそぐ時は、特に見返りを求めないはずだ。でも異性のことになると、つい何かを求めてしまう。

愛は真心、恋は下心。と言われる様に、見返りを求めない相手を想う気持ちが「愛情」。犬はそれを毎日飽きずに表現できるのだからすごい。
きっといつも自然体でいられるのだろう。

 

春風の様に

毎日鎖につながれた生活。散歩の時間は一日から見ればわずかな時間。だから大切にしてあげたい。疲れていても休むわけにはいかない。
それに、しつけは必要だと思うが、自由な時間をわずかだけど与えたい。
だから散歩の時間は、犬に自主性を持たせ、私はできるだけ黒子かパートナーとして付き添うようにした。
そうすると、犬も私も自然に身を任せた感じとなり、風や香り、草木や花、景色や波音、鳥や虫たちなど、ちょっとした変化にも感動や喜びを感じることができた。
そして、楽しそうに走ったり遊んだりしている我々を見て、笑みを浮かべる人は居ても、怪訝な顔をする人は居なかった様に思う。
これは意外と、すれ違う人達に楽しさや喜びをお裾分けできていたのではないかと思う。

「春風の様に」人に接することとは、こういう事なのかもしれない。

 

どこにでも楽はある

犬は自由で気楽だよな。そう感じる人は案外いると思う。
でもよく考えると、行動は縛られ、食べたいものを食べたい時に食べられず、用便すら散歩の時間を待たなければならない。
だからといって、毎日を悔やんだり悩んだりして、憂鬱に過ごすわけではない。
虫や鳥や通る人々を眺めたり、穴を掘って身を沈めたり、なにやらゴソゴソしてみたりと、小さな事に喜びを見つけて、毎日の変化を感じながら、それなりに楽しく過ごしているようだ。

これが随所楽、「どこにでも楽はある」ということなのだろうか。

 

気持ちを和やかにする

たまにあくびをすることがあった。後に知ったのだが、あくびをするのはストレスを感じている時に、自分自身や相手を落ち着かせるための習性だそうだ。
確かに、私が怒っている時や、何か嫌なことに心をとらわれたまま彼に接する時は、あくびをしたり顔を背けたりしていた。
時には、コイツ!と思うこともあったが、まあいいや。仕方ない。という気にもなった。
またそういう時は、少し時間が経ってから会うと、いつもより少し控えめに尻尾を振っていたのを覚えている。
(怒られたこと)気にしているのかな?と思うと、なんだか可愛そうになり撫でると、いつもの様にしっかりと尻尾を振りだす。
そして、またいっそう和やかな雰囲気になっていく。

犬は相手の「気持ちを和やかにする」術を知っているのだろう。もちろん受ける側に全くその気がなければ通じないかもしれないが…。

 

一生懸命に生きる

怒られたとか、ケガや病気をしたからといって、高所から飛び降り自殺をする犬を、私は未だ見たことも聞いたこともない。
確かに一度、彼は何も食べなくなったことがある。でもそれは、自殺というより最期の時を感じとったからだと思う。
そして結果として、それを乗り越えて最後まで食べ続け、一生懸命に生きた。
日本では、交通事故死の2倍以上の人が自殺しているというのに…。
話は変わるが、中国でも似たような感じを受けた。特に山村地方へ行くと、どんなに貧しくても一生懸命生きている姿を目の当たりにする。

生きものは、わざわざ自由を拘束された世界に生まれてくるのだから、きっと「一生懸命に生きる」ことが自然の姿、本来の姿なのだろうと思う。

 

気を合わせられる

話をしたわけでもないのに、なんとなく気持ちを分かっている。そんな気がする。
私が鬱いでいると、彼は、どうしたの?って表情や仕草をする。そんな気がするだけかもしれないが…。
でも少なくとも、嬉しい時や楽しい時は犬も明らかにはしゃいでいた。
人間同士だって分かる時は分かる。言葉が使えないからこそ、感覚が鋭いのかもしれない。
あまり適切な例ではないが、人混みを歩く時にぶつかりそうになる時と、スッとすれ違える時の違いも同じようなものだろう。

人が、言葉とか、風貌とか、自分の考えにとらわれなければ、もっと自然に気持ちを感じ合うことができて「気を合わせられる」のだろうと思う。

 

自分の気持ちを素直に表現する

犬はあまのじゃくの様な事をしない。好きなことは好き、嫌なことは嫌。いつでも自分の気持ちを素直に表現する。
だからといって我慢ができないわけじゃない。
実は獣なのに、ちゃんと自分をコントロールしている。ひょっとすると人より優れているのかもしれない。

だから「自分の気持ちを素直に表現する」ことを極度に拘束すると、犬にとってはとても大きなストレスになりそうだ。
人も同じだろう。
最近は犬でもストレス病が増えたと聞くが、うちの犬には特にそんな気配を感じなかった。それが19年近くまで長生きできた理由のひとつかもしれない。

 

2007/07/18