えりまき鳥クロニクル

えりまき鳥クロニクル#1

 「えりまき鳥クロニクル」というタイトルは村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」のパロディーです。「−まき鳥クロニクル」というタイトルにしたくて、「はらまき鳥」だと格好悪いし、「はちまき鳥」だと暑苦しいので「えりまき」に落ちつきました。でもこれはもちろん村上春樹氏の小説とは何の関係もありません。カナダに留学している間に気のおもむくまま好きなことを書いて、そのうちのいくつかがここに載っています。でもこれは正確な意味でいえば、「留学記」とはちょっと違います。厳密に言えばこれは留学生活の記録ではないからです。留学してもしなくても、たぶん僕はこういう文章を書くことが必要だったんじゃないかという気がするのです。そういう意味では僕は色々な問題をかかえていると言えなくもないです。

 ここに載せたものも、載せないものも、僕はそれら全部を自分のために書いています。ひとつはこのカナダという国で自分を相対化するためであり、ひとつは後から振り返ったとき僕自身のリファレンスにするためです。それから文章を書くことで多かれ少なかれ自分を癒しているということもあると思います。だから文章的に言って、他の人が読んでもそんなにおもしろくないと思う。極端にいえば自分に話が通じればいいわけだから、文章の構造も組立も技術もユーモアも、何もいらないですよね。あとからいくらか手はいれているけど、かなり冗長だし、くどいです。もっとすっきり書けないのかなと思う部分はいっぱいあります。自分で読んでもひどい文章だと思います。でも僕にとってはこれはすごく大きな意味をもつことなのです。うまく表現できなくても、どうどうめぐりをくり返しても、それでも僕は正面から糸をほぐしていくしかないのです。そこで筆がよどんでくるのは、そのぶん僕が必死だからです。そんなものをどうしてホームページで公開するのか?僕にもわかりません。たくさんの理由があると思うし、ひとことでは説明がつけられない。でも僕がここに書いた文章の中には、僕自身にだけではなくて他の誰かにも言いたいことがあちこちに混じっています。「僕はこれを言いたいんだ」と思って書いたこともあります。そういうものを自分の中だけにしまっておくのは、(たぶん僕がまだ高校生だからだと思うけど)時としてけっこうきついのです。

 あとから読み返してみると、何だか言っていることがあまりにもストレートで、自分でも戸惑ってしまうところがたくさんあります。というか、「本当に僕にはこういうことを言えるのか」という疑問はつきないです。例えば僕は「バグダッドの死」の中でさもそれが昔からの自分の意見であるかのような顔をして、イラクでの戦争をいささかデタッチした視点から見ているけれど、つい2年ぐらい前だったら僕はそんな視点なんか全然もっていなかったわけです。むしろその頃の僕は、逆にそういう問題にコミットしようとしていた。そういう意味では今の自分だって過渡的なものだろうし、ついこのあいだまで川のあっち側にいた人間がいきなりこっち側にやってきて、それで自分のもといた川の対岸のことをどうこう言えるのかと訊かれたら、本当なら言えないです、そんなこと。それでも僕はやはり今の自分はこう思うということをちゃんと書いておきたかったのです。それを書かなかったら、ちょっと大げさな話だけどその文章は嘘になってしまうかもしれない。文章の中でぐらいはとりあえず正直な人間でいたいわけです。それがある種の変わり身であったとしても、あるいは裏切りであったとしても、それはたぶん僕がそれだけ必死に試行錯誤をしている証拠なのではないかと。

 

 自分を相対化したり、自分を癒したりする目的で文章を書いたわけだから、カナダについてはかなりネガティヴなことばかり拾っています。でもそれがカナダだと誤解されてしまうと困るので、いちおうここで断っておきます。いちいち断ることでもないと思うんだけど。決して敵意をもっているわけではないし、いやいや住んでるわけでもありません。結局のところ住みやすい場所なんてそう簡単には見つからないということなのかもしれない。

 ここに収められた文章を読んで僕がずいぶん反抗的な人間であると感じる人は多いと思います。まあそれはそれでかまわないのだけれど、ひとつよくある誤解を訂正しておくと、僕は決して社会とか学校とかカナダ人とか、それらに立ち向かって反抗しているわけではありません。だいたいそんな社会や学校に立ち向かうって、いったい何をすることなんですか?そんなことしたって疲れるだけだと思うんだけどな。僕は僕なりにこの世界の中で何とか自分のスタイルを確立しようとしているだけです。それは僕にとってすごく意味のあることだし、多少の犠牲や苦労を払ってでも簡単に流されたり適応したりはしたくないのです。例えば僕は別に十代の使うスラングを覚えるためにカナダに行ったわけじゃないし、そんなもの使いたいとは思わない。それを周りが「かっこつけやがって」ととったとしても、そんなの僕の知ったことじゃないです。だってそういうスラングを使っている奴らを個人的に嫌っているから自分は使わないとか、そういう理由で意地張ってるんじゃないんだもの。きれいなものを汚い言葉で形容しないのが僕にとっての最低限の礼儀なんです。それだけのことなんです。





2004年

夏のえりまき鳥

#2: グアムから帰る、カナダへの帰還と冷酷な前提

#1: 小さな声と小さな手

春のえりまき鳥

#3: コイデ・キッズとフィル・カリー2

#2: コイデ・キッズとフィル・カリー1

#1: 匂いとスタイルについての考察、かすかな予感のようなもの

冬のえりまき鳥

#2: ロッキーを越える、ガラス張りの別荘と恐怖心

#1: ロッキーを越える、Xさんからの手紙とニューヨーク・ステイツ・オブ・マインド

2003年

秋のえりまき鳥

#3: Stay Gold

#2 夢はただじゃない

#1: 言葉遣いの誓い

夏のえりまき鳥

#2: 日本に帰って思うこと

#1: ビリージョエル歌う、夜空の"Leave a tender moment alone"

春のえりまき鳥

#3: 春のドラムへラー、家までの帰り道、あるいは地中海を遠く離れて

#2: バグダッドの死

#1: 左手でナイフを持つ、記憶と音楽、再集積

冬のえりまき鳥

#5: 危険な判断基準、カルガリーの市バス、タフになることとタフなふりをすること

#4: 校舎の影で待つということ

#3: カナダの高校

#2: ひとつの段階としての孤独感、ポール・マッカートニーとガーネット・クロウ

#1: 真夜中のひとりごと