八百屋お七物語(実話)


天和2年(西暦1682年)12月28日
江戸の本郷森川宿(現在の文京区本郷6丁目近辺)は八百屋や商家が建ち並び大変な賑わいを見せている町だった。
そこに、八百屋八兵衛という男がいた。
この八百屋八兵衛が同じ八百屋の中でも富裕だったのは、大口の客である加賀藩と取り引きがあったからだ。
それは、今でも加賀百万石と言われている金沢加賀藩主の前田家のことだ。
この日も加賀から蕪(かぶ)百束の注文がはいるが、その時にどこからともなく、
「火事だぁ!火事だぞーっ!!」
と言う声が町中に響き渡った。
「いかんっ こっちは風下だ!」
八兵衛は慌てて妻のお峰と娘のお七(おしち)を呼ぶと、
「風が強い。こりゃ大火事になるぞ!急いで駒込の吉祥寺へゆけ!」
とひとまず吉祥寺に避難するように言う。
この吉祥寺は、八兵衛の旦那寺だ。
お峰は八兵衛の言われるまま、お七の手を引っ張り、吉祥寺へと走るように逃げた。
「これ、早く走るんだよ」
お七は思うように走れず、お峰にせかされる。
お七。この時は十六歳で、顔はまだあどけない少女の面影が残っている。
それでも裕福な商家の娘だからか、気品は漂い、ふとした仕草はもう立派な大人の顔をしている。
この火事は近くの大円寺から火災が起き、12月28日の正午頃から翌日の午前5時頃まで燃え続けた。
この火事は(後にお七火事と呼ばれる)死者3500人余りで、江戸十大火災の一つに数えられる。

本郷駒込吉祥寺に着くと、お峰やお七の他にも逃げて来た町人が多数いた。
「お七殿。形見で寺に寄進された小袖じゃ。お好きにお選びなされ」
と和尚が何枚かの小袖を持って見せた。
お七は手を合わせ礼を言うと、一枚の小袖を手に取った。
「どんな女の小袖だったのかしら・・・」
自分の紋と恋しい人の紋を重ねた比翼紋の小袖を見て、どんな気持ちで形見としてこの寺へ寄進されたのだろうかなどと考えた。
「真の幸せは来世にあるのかもしれないわね・・・」
そう言いながらそっと小袖を頬にすり寄せた。
「お七や。あそこのお若衆、なにやらとげでも刺さったようだよ。抜いておやり」
「はい」
「私はちょいと和尚様のところへ行って来るからね」
お峰にそう言われると小袖を置き、若衆の元へと行く。
「どれや?」
若衆の手を取り、すぐにとげを取ってやった。
「ほら!抜けたわ」
そう言って、お七は若衆に向かって微笑んだ。
「済まぬ」
手を取り合ったまま二人は目が合い、しばらく見つめ合った。
若衆の名は小野川吉三郎。
この吉祥寺には客分として来ていた。
「お七や!何をしておいやる?」
お峰が回廊を走るようにやって来る。
「母(かか)さま」
「ちょいとこっちに来ておくれ!」
お峰はそう言うと、また奥へ走って行ってしまった。
「お名は・・・お七と申されるのか」
「はい」
「私の名は小野川吉三郎と申す」
「吉三郎様・・・」
「文を・・・」
「ええ。私も文を・・・」
そう言うと、名残惜しそうに吉三郎を振り返り、お峰の元へと走って行った。

それから建て直しが終るまで、お峰とお七は吉祥寺に世話になることになり、お七と吉三郎はそっと文のやりとりを交わしていた。
『お七殿への想いは募るばかり。この忍びの文を書くことしかできぬのは辛い・・・・。想う心は互いに同じだというのに不運なことです・・・・』
その吉三郎からの文をそっと頬にあてる。
「吉三郎様・・・」
お七を想いながら書いたその文は、一層お七の心を熱くさせた。

ある日、和尚と寺小姓たちが浅草の柳原へ弔いに行くことになった。
「珍念、しかと留守を頼んだぞ。帰りは明日になるからな」
「ご心配なく。和尚様!」
和尚は一人の寺小姓を残して出発した。
お七は、その様子を遠くからながめていた。
和尚様は今日帰られない!?
その姿を見て、お七は今夜しかないと心に決めた。
そう。今夜しかない・・・。私が吉三郎様の元へゆけるのは。
夜になると、そっと寝所を抜け出し、吉三郎の寝所へと向かった。
「吉様・・・」
「お七殿!」
戸が開いてお七の姿が見えると、吉三郎は驚いたように言った。
「しっ 静かにしてくださいませ」
人差指をそっと口に当てると、そのまま吉三郎の布団の中へすべりこんだ。
「い・・・いけませんっ!私はまだ・・・十六です」
吉三郎は、そのお七の行動に慌てるように言った。
「私も同じ。もう十六よ」
「しかし、和尚様がこわい」
「私も和尚様はこわいわ。でも、今夜しかないの!」
そう激しくぶつかって来るお七を、吉三郎には振り切れるはずはなかった。
「・・・お七殿っ!逢いたかった!」
そう言うと、吉三郎はお七を抱きしめた。
「吉様っ 私も、私も逢いとうございました!」
「ああ、やっと・・・こうしてお七殿に触れることが出来た」
「吉様。この縁、お互いに命の終るまで・・・」
「いいえ、お七殿。あの世までずっと・・・ずっとです」
そうして二人は夜明けまで語り合った。

ゴォォォーーーーン

夜明けの鐘が鳴ると、お七は体を起こした。
「夜明けの鐘・・・。もう行かなくては・・・」
名残惜しそうにお七は布団から抜け出した。
吉三郎はそっと布団から手を出すと、お七の冷たい手を取った。
「お七殿・・・。いずれまた、また逢いとうございます」
「吉様・・・。ええ、ええ、きっと!」
その頃、お峰はお七が見えないことに不安をおぼえ、寺内を探し回っていた。
すると、お七が一つの寝所から出て来たのを見つけ、
「お七や!」
と声をかけるが、お七は気付かないのか走るように行ってしまった。
「お早いですね!」
庭をはいていた寺小姓がお峰に声をかけた。
「ああ。これ、あそこはどなたの寝所や?」
「あそこですか?あそこは吉三郎様の寝所ですよ」
「なんだって!?」
「何か?」
「いや・・・。何でもないよ・・・」
そう言うと、お峰は部屋へと戻って行った。
うかつだった・・・。
まさかお七が夜寝間を抜け出すとは・・・。
何となく感づいていたお峰だが、さすがに夜抜け出したことには気付かなかった。

天和3年(西暦1863年)1月25日。
「和尚様。長い間お世話になりました」
八兵衛はそう言うと、和尚に頭を下げた。
「ほぅ!これは早い。もう建て直しなすったか」
「へぇ。お陰様で・・・。こう江戸に火事が多いと心配でしてね。うちには有難いことに大口の旦那もいることですし、そっくり同じに一軒分木取りした材を木場に沈めて預けておきましたんで」
「ほぅ!それはそれは。お江戸の商人はそうでなくっちゃ。さすがは八百屋八兵衛さんっ」
この頃、「お江戸が焼けて村さかえ」の流行歌通り、火事があれば建築用木材の需要は増え、高騰した。富裕な者は木場や産地と契約し、備蓄しておいたりした。
この八兵衛も同じように、一軒分備蓄しておいたのだ。
しかし、お七としては余りにも早くに建て直しが終ってしまい、吉祥寺を離れなければならないということに対して素直に喜べなかった。
「お七や。早う支度しておいで」
「はい・・・」
お七は気のない返事をして部屋に戻って行った。
お七が出て行くと、八兵衛は苦虫をつぶしたような顔をした。
「吉三郎め!学ぶためにこの寺に来ているというのに油断がならんっ 何を学びに来ているのやら」
「ほんに・・・」
「戻ってもお七から目を離すでないぞ」
「ええ!これからはしっかりと・・・」
「お七ももう十六じゃ。あんな男に言い寄られる前にどこぞかと縁組みせねばな」
支度を終えると、お七は八兵衛たちの待つ元へと戻った。
遠くから、吉三郎がお七の姿を見つめていた。
お七殿・・・。
お七もまた、吉三郎の姿を今一度見たいと振り返り、辺りを見渡すが、吉三郎の姿を見つけることは出来なかった。
吉三郎様・・・。

本郷森川宿。八兵衛新宅に戻ってからというもの、お七は何もする気にはなれなかった。
外へ出るにもお峰がついて来るし、何一つ自由に出来ないことに腹立たしさもおぼえていた。
そんなお七は、あの吉祥寺での吉三郎とやりとりした文だけが心の支えだった。
吉三郎の字を見る度に、あの夜の日の吉三郎を思い出していた。
吉様・・・。逢いたい・・・。
「こう降っちゃあ客も来ねぇ。今日はもう店仕舞だ!」
八兵衛新宅では、大雪で客も来ない有様で早くから店を閉めようとしていた。
「伝六。店仕舞なら出かけるからな」
八兵衛は笠をかぶりながら、店を片付けている伝六に言う。
「旦那!奥さんまで。こんな雪の夜におそろいで?」
「姪にややが生まれてな。ややの顔も早く見たいし産後の様子も気になるしな」
「お七。しっかりと戸締りをね」
後から出て来たお七にお峰は言付ける。
「はい。叔母様によろしく。私は明日ゆくわ」
雪がしんしんと降り続く中、八兵衛夫婦はゆっくりと歩いて行った。
「さぁ〜てさて。とっとと店仕舞だ!」
「今日は本当に寒いわ。お茶でも持って来ましょうか」
そう言って、お七は奥の部屋へと戻って行った。
「ごめんくだせぇ」
「おぉっと!店仕舞というとこれだねぇ!っらっしゃい!何にします?」
「・・・土筆(つくし)に松露(しょうろ)買うてくだされ・・・」
「ほぅ!いいとも。初物だ。どこで採れたかね」
「私の村。板橋です」
「板橋!そりゃあ遠いなぁ。この雪じゃ帰るにはてぇへんだ。筵(むしろ)でも集めてな。夜が明けてから帰んな」
伝六は片付けながらそう言った。
「伝六さん。お茶入りました」
お七がお茶を持って来ると、伝六はおいしそうに飲み干した。
「かぁ〜〜〜!こんな日は暖かいお茶は身に染みるねぇ!」
「あら?あれは?
隅っこで筵の上に座り膝を抱え込んでる男を見て言った。
「あぁ。摘草を売りに来た里の子で」
「まぁ。寒いのにかわいそう」
「そしたらお七様、私は帰りますんで」
そう言って伝六は自分の家へと帰って行った。
お七はまた奥に戻ると、里の子のためにお茶を煎れて来た。
「熱いお茶でもおあがりなさいな」
そう言って里の子に渡すと、ハッとしたように茶碗を落とした。
「・・・吉・・・様!」
里の子は吉三郎だった。
お七は無我夢中で吉三郎に抱きついた。
「逢いたかった!お七殿!」
「ああ、吉様!私も逢いたかったわ。こんなに冷たくなって・・・!」
吉三郎の手をそっとにぎりしめた。
「来てくれたのね!こんな雪の中を・・・」
「お七殿に逢いたくて・・・。でもこうして触れられるとは思ってもなかった」
「吉様・・・。ここは寒いわ。私の部屋へ!さ!早く」
そう言って吉三郎をお七の部屋へと連れて行った。
「旦那さんは・・・」
「出掛けたわ。母さまも一緒に。だから今はふたりだけよ。でもじきに戻って来ると思うの」
すると、戸を叩く音がした。
「お七!お七!」
「母さまだわ!隠れて!」
吉三郎を布団の中に隠すと、何食わぬ顔で戸を開けに出た。
「元気で可愛い坊やだったよ。祝いを明日届けておくれね」
「はい」
「あ〜〜。寒かった。寝るが極楽だよ。お七も早うおやすみ」
そう言ってお峰と八兵衛は寝所へ入り戸を閉めた。
この襖一枚向こうに父(とと)さまと母さまが・・・。
こわい・・・。
お七はいつ見つかるかわからないこの状況に怯えながらも、吉三郎と離れることも出来ずに、二人は一緒に布団の中にもぐりこんだ。
二人は声を出すと見つかってしまうことを恐れ、紙の上に文字を書いて言葉を交わしていた。
お七は、吉三郎と一緒にいるこの時間が愛しくて仕方がなかった。
いつまでも夜が明けなければ、と思っていた。
そうしているうちにも、無情にも夜が明けようとしていた。
吉三郎は、人の起きぬ前に帰らなければならないと言うと、悲しげな顔でお七を見つめると、潔く八兵衛宅を後にした。
吉様・・・!!今度はいったいいつ逢えるのだろうか・・・?
そんなことを思いながら、お七はいつまでも吉三郎の後姿を見つめていた。

里の子と偽って、大雪の日にお七を訪ねた吉三郎は、吉祥寺に着くなり倒れてしまった。
「吉三郎様っ 大変じゃ!」
寺小姓や和尚たちは慌てて薬師などを呼ぶが、原因不明の大病としかわからず、吉三郎は生死をさまよっていた。
そんなことになっていようとは全く知らないお七は、毎日毎日ただ吉三郎に逢いたいとばかり思っていた。

天和3年(西暦1863年)3月2日
逢いたい・・・。
逢いたい・・・。
吉三郎様に逢いたい・・・!!
あの日から毎日のように吉三郎のことを考えるばかりだった。
窓からながめる本郷森川宿の町並みも目に入らない。
目に映るものは吉三郎の顔しかなかった。
窓を開けると、冷たい風が勢いよく吹き込んで来た。
風が強い・・・。
あの火事の日もこんな風の強い日だった・・・。
火事・・・。
火事になれば・・・。
そうしたらまた、あの吉祥寺へ避難できるかも・・・。
・・・吉三郎様のいるあの寺へ!
お七は、吉三郎のことを想うあまりに、とうとう狂ったように自分の家に付け火をした。
しかし燃え始めた途端、お七は自分のしたことが恐くなった。
そして、
「わあっ!付け火だぁっ!」
という声が聞こえると、お七はすぐに近くの火見櫓にのぼって半鐘を叩いた。
人々が駆けつけて来てすぐに火を消し、結局小火(ぼや)で終ったが、付け火は付け火として大罪で、南町奉行所へと連れて行かれることになった。
「ああ。お七〜っ お七が・・・」
涙ながらにお七を見送るお峰と八兵衛は、お七に声をかけてやることも出来なかった。

「八百屋お七! 面上げませぃ」
後ろ手に縄をしばられ、頭を下げていたお七は言われるままに顔を上げた。
「吉三郎様恋しく、ただ心はそれのみで、浅はかで、大それた罪を犯しました。お裁きのままに従います」
キッパリとした口調でそう言った。
「うむ・・・。しかし、たとえ小火といえども付け火は重罪。極刑で・・・火刑じゃ。その方、確かまだ十五であったな?」
「いえ!十六です。もう十六でございます。何ならお宮参りの記録もございます!」
お七は、毅然とそう答えた。
「あ・・・いや。ならば仕方あるまいな」
この頃、天和3年1月19日に放火犯人の厳重な取締令が出された直後のことであり、付け火は重罪扱いとなり、極刑の火刑となってしまう。
この南町奉行甲斐庄喜右衛門正親は、お七が非常に若く、幼い恋心がこのようなことをしでかしてしまったということに、いたく同情した。
くわえてお七はまだ十六歳になったばかり。
本来ならば付け火犯は火刑である火あぶりの刑と決まっているが、十五歳以下は死罪はなしの離島というものを適用しようとした正親の恩情が、お七には通用しなかったのだ。
やむを得ず正親は、規定通りお七に死刑を宣告した。
付け火の罪にて、天和3年(西暦1863年)3月18日〜28日の間江戸市中引き廻され、神田、芝、四谷、浅草、日本橋のさらし場5ヶ所にて10日間さらされた。
「お七じゃ。付け火の八百屋お七じゃ」
「むごいなぁ。小火だったのに」
「何を言う!火事はお江戸の一大事じゃ。若いだけにかえって末恐ろしい娘じゃ」
「しかし吉三郎てぇ寺小姓は冷たいぜ」
「これほどまでお七を恋狂いさせながら姿ひとつ見せねぇとは」
江戸市中引き廻されながら、町人たちが口々にそんなことを囁き合った。
しかし、引き廻されるお七の姿は、いつでも毅然とした凛とした姿でいた。
そして、天和3年(西暦1683年)3月29日、品川鈴が森にて入相(いりあい)の鐘とともに火刑となった。
この時、火刑台にのぼるお七に、一人の役人が一枝の桜を持たせた。
「これを持っておゆき」
「ありがとうございます。お役人様」
最後まで毅然とした態度を見せていたお七は、一枝の桜を受け取ると優しそうに微笑んだ。
『世の哀れ 春ふく風に 名を残し おくれ桜のけふ散りし身は』
その言葉がお七の最後の言葉となった・・・。

その頃、冷たい男だと避難を浴びせられていた吉三郎は、まだ大病にかかっていた。
寺の配慮でお七の火刑のことも知らされず、すべてを知ったのはお七の百ヵ日忌の朝だった。
吉三郎は信じられない思いで吉祥寺にあるお七の墓へと急いだ。
「この新墓は!お七殿の・・・!」
悪夢かうつつか枕辺に聞いたひそひそ話が本当だったと、この時になって初めて知った。
「私が原因でこんな・・・」
吉三郎は墓を抱き締めるように泣いた。
「お七殿っ!私も今すぐ御許へっ!」
そう言って刀を抜くと、
「お待ちなされ!」
和尚が吉三郎の腕をつかみ、刀を叩き落した。
「和尚様・・・!」
「あと追い自害などなされば当寺は迷惑。吉三郎様をお預かりしているさるお方へも申し訳が立ちませぬ」
「そうですとも!娘のお七も喜びませぬ」
そばにはお峰と八兵衛の姿があった。
「あと追うより、私の後世を弔ってくだされと・・・。これがあなた様への娘の最後の言葉です」
涙ながらにお峰が言う。
「うぅ・・・っ。お七殿・・・」
寺の夜の初めてのあの約束・・・。
ふたりの縁はあの世まで・・・と。
「・・・お七殿・・・」
吉三郎は項垂れるように跪いた。

その後、吉三郎は目黒明王院にて剃髪・・・。
法名西運と改名し、お七の菩提を弔い諸国行脚のあと隔夜日参一万日の荒行に入る。
満願まで54年余りその間に集めた浄財で明王院その他に常念仏堂を建立。
その他目黒行人坂を石畳に直し、目黒川の木橋を石橋に架けかえるなど社会事業にも尽くした。
「のぅ、お七殿。念仏唱えるだけがお七殿への供養ではないと私は思うのだよ・・・」
吉三郎は、後々までに語り継がれるほど、偉いお坊さんになった。
そしていつまでも、お七のために胸に下げた鉦(かね)を叩いて歩いた・・・。


今、目黒行人坂大円寺には西運上人の木像と、夢枕に立ったお七を西運自らが仏師に彫らせた小首をかしげた愛らしいお七地蔵が祀られている。
西運上人の墓碑は所縁の目黒大円寺に、お七の墓石はお七を演じた初代岩井半四郎により俗名於七妙栄禅定尼天和三年癸亥年三月二十九日と彫られ、駒込円乗寺に建立されて香華の絶えることはない。
西運上人が一万日行にたたいて出来たくぼみ、ひびの入った鉦は目黒大円寺に、その行に水垢離を取った井戸は、今も「お七井戸」そして遺され史実を伝えている。
東京都史蹟、鈴が森刑場遺跡の丸い火炙り台や四角い磔刑台に、いつでも花束がそえられている。時を越えて非情の哀しみが伝わってくるようだ。
今の時代では有り得ない話だが、一途に人を想う気持ちはいつの時代でも変わらないものだと思う。
だからこそ、この悲恋の話は今の時世まで語り継がれたのだろう。



                    
お七についてのさくら論

このお七物語は歌舞伎などからでも伝えられています。
歌舞伎では少し解釈が違ったりして、吉三郎も生田庄之助という説、佐兵衛という侍であるという説などもあります。
生田庄之助説では吉三郎という男がお七をそそのかして火を付けさせたとしています。
また、落語ではお七が火あぶりになったのを悲願して川に身を投げて死に、二人は地獄で再会するのですが、手を取り合うとジューっという音がしたといいます。
これは、お七は火で死に、吉三郎は水で死んだので水と火が触れてジューっという音がしたということと、お七の七と吉三郎の三とで十になるからだともいいます。
何ていうか・・・。落語ですからね。
そんな色んな説がある中、一番真実だと伝えられてる話を小説風にまとめてみました。
流れは間違っていないと思います。
その時の感情は本当にそうだったかはわかりませんが、そうだったんだろうな〜なんていうのを思い描きながら書いてみました。
実際に書いてて思ったのは、このお七事件は非常に短い間の出来事なんですね。
天和2年の12月28日に火災が起こり、同3年の1月25日に新築帰宅。3月2日放火、3月18日〜28日でさらし、引き廻しのあと、29日執行という早さ。
たった3ヶ月でお七の今までの全てが終わってしまうほど過激な行動を起こしたお七は、逆に言えばものすごい大胆な子だったのかなと。
だから、南町奉行の正親が情けをかけようとしてもそれをつっぱねる強情さもあった。
この奉行人の話はお七の話の中でも有名な話です。
あと、お七が付け火をして火見櫓にのぼって半鐘を叩く、というのも有名ですね。
この話は、不運にも起きた火災から、恋に激しく一途になってしまった女の子がいて、運悪くその女の子が十六歳になったばかりということと、放火犯人の厳重な取締令が出された直後だった、という度重なる不運が起こした事件とも言えるのではないかなと思います。
年齢にしろ取締令にしろ、どっちかが遅ければ!とも思いますね。
それでも、お七がもう少し気の弱い子だったら正親の言葉に従ってたのかもしれないですけど・・・。
実際はどうかはわかりません。お七は本当はどう思っていたのかなんてね。
どっちにしろ、大好きな吉三郎がずっとお七のことを弔ってくれてたんだから幸せだったのかなぁ。
今の子たちにも、こんなお七の一途さがあれば、と思いますね。
しかし、死刑の部分を書くのはやはり胸が締め付けられる思いでしたよ・・・。
やはりどんな話でもハッピーエンドが一番ですね!(これは実話だから仕方ないけど・・・)

ではでは。最後まで読んでくれてありがとう! (^・^)〜★ちゅ

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