1999年 旅行記


トルコ編 その3



カッパドキア

 イスタンブールを出た夜行バスは11時間ほどかかって、ギョレメに
着いた。6月12日、朝の7時過ぎだ。

 カッパドキアなんて聞いたこともないという方は先に こちらの写真
ご覧いただきたい。
 カッパドキアとはトルコ中央部、ギョレメ村のあたりを中心とする半
径50〜70kmほどの地域の名前だ。エンジェス山という火山によって
できた溶岩性の土地が侵食作用を受け、溶岩が固い部分だけが残りキノ
コ岩がニョキニョキと林立する奇景となった。

 カッパドキアという言葉の意味は・・ガイドに教えてもらったけど忘
れてしまった。「美しい馬のいる土地」とかなんかそんな感じだったと
思う。日本の河童とはとりあえず関係ない・・のだろうが関係があると
いう説を聞いたことがある気もする(極めてうろ覚えの記憶だが)
河童は人を見ると「相撲とろ」と相撲をしたがる(らしい)がそれはト
ルコのレスリングから来たのだ・・というのもその説の根拠の一つだそ
うである。でもレスリングなんてどこにでもありそうだしなあ・・真偽
のほどは不明。
 
 夜行バスで疲れているのでとりあえず宿を探してひと眠りすることに
する。「地球の歩き方」で『オーナーが音楽好きでサズ(トルコの弦楽
器)を演奏してくれる』と紹介されているペンションに行く。カッパド
キア名物の洞窟部屋があったので見せてもらったがまるで牢獄の様で長
居すると気が滅入りそうなので普通の部屋(トイレ・シャワーつき)に
してもらう。とてもきれいな部屋だ。朝食こみで1泊8US$だった。イ
スタンブールに比べると格段に安くなるみたいだ。

 でも残念ながら音楽好きのオーナーはこの時期いなくてサズをきかせ
てもらうことはできなかった。かわりにいたマネージャーはクールな感
じで最初は割と好感を持ったのだが実はクールというよりも単に男には
冷たいだけだった様だ。女の子に対してはころっと態度が変わる(トル
コにはこういうタイプの男がわりと多い。日本にだって多いかもしれな
いけど)

 ひと眠りしてからレンタル自転車を借りてあたりをまわってみようと
してみる。でもこれは失敗だった。ギョレメという場所は盆地の様にな
っていてどの方向に向かってもタフな上り坂になってしまうのだ。結局
どこにもたどり着けなかった。

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 次の日は1日のツアーに参加することにした。たとえ1日とは言えツ
アーというものはあまり好きじゃないのだが南の方にあるウフララ渓谷
などはツアーに参加しないと行きづらい場所なので参加を決意したのだ
(...と言うほどたいそうな事じゃないけど)

 一人でこういうツアーに参加すると自分以外は全員、欧米人というパ
ターンになりがちなのがつらい。この日もオーストラリア人4人(夫婦
が2組)にカナダ人(男)が1人というパターンだった。全員、ねいち
ぶ・いんぐりっしゅ・すぴーかーである。ちょっとつらい。でもまあ分
からんもんはしゃあない。そのかわり、こっちは日本語という難しい言
語を話せるばかりか読み書きまでできるのだ(・・って威張っても虚し
いな)。ガイドは英語を流ちょうに話す(ふん!)トルコ人の若者。そ
の他に可愛らしい女の子が一人いて、なんなのだろうと思ったらそのガ
イドの彼女でサブ・ガイド(?)らしい。

 さてツアーはまずオスタヒサル(後述)のはずれにあるピジョン・ヴ
ァレーを軽く見学する。なぜピジョン・ヴァレーというかと言えば、昔
このへんで鳩を飼っていたためらしい。カッパドキアは(前述のように)
火山性のやせた土地なので人々は鳩を飼い、その糞を集めてブドウ畑の
肥料にしていたそうな。


 次に行った先はデリンクユの地下都市だ。

 カッパドキアには地下都市と呼ばれるものが5箇所ほどある。地下都
市という言い方もたいそうかもしれないがオズコナックの地下都市など
は地下19階(!)もあるらしいし、デリンクユの地下都市には最大で4万
人が暮らしていた(ほんまかいな?という気もするが)と言われている
くらいだからやはり相当な規模のものである。

地下を掘りめぐらして住居や食料庫、学校や教会などが作られた。地下
都市は紀元前から存在していたらしいがその歴史についてはあまり良く
分かっていないらしい。迫害を受けたキリスト教徒が住んでいたことも
あるそうだ。堀りやすいが崩れにくいという岩質が地下都市を作るのに
向いていた。

 全体の規模は大きいのだろうが通路はかがんで歩かなければならない
くらいだ。面白いがけっこうきつい。このデリンクユの地下都市は地下
8階まで見学できるらしいが各階が階段によって明確に別れているので
はなく通路がのぼったりくだったりという感じなので今、何階あたりに
いるのかなんて全く分からない。内部は裸電球で照明されているのだが
だいぶ下の方におりたところで一瞬、停電があった。そうなると完全な
闇である。電気はすぐにもどったしまわりに人もたくさんいたので別に
怖くはなかったがこれでもし一人だったら相当怖いと思う。明かり無し
じゃこんなとこから一人で地上に戻ることは到底できそうにない。昔は
電気なんてなかったんだからたいへんだったんだろうな。こんなところ
で何ヶ月やら何年やら暮らすなんて考えただけでぞっとする。閉所恐怖
症だったらどうするんだろう。


「この柱のとこでゴーモンしてた」とガイドが説明する。
「どうしてそんな事が分かるんだ」と一人が質問する。
「だってこの場所にそれ以外の目的があったなんて考えられないもの」
とガイドが答える。

うーむ、そんなもんだろうか。まあいつでもどこでも人間とは拷問をし
たがるものかもしれないが・・・


 地下都市から出て次に向かうのがウフララ渓谷である。深い谷を小川
が流れる。その小川にそって歩く。美しい道だ。ハイキング向きだ。で
も腹、へったぞ。

小トレッキング(というほどのもんでもない)を終えてやっと昼食。も
う2時すぎである。ビールがうまい。


ある場所でガイド氏は「ここでスター・ウォーズの撮影をした」と説明
する。ほんまかいなと思いつつも一応、指さされた方向の写真をとって
おく。そういう話は何回か耳にした。「本当だ」と言う人もいたし「そ
りゃウソや」と言う人もいた。昼食の時も(たどたどしい英語で)その
話をしてみたら「ああいうデジタル処理を多用する映画なんだからまあ
少なくとも素材の一部としてこのへんの風景を使ったということはある
んじゃなかろうか」と言う人がいた。穏当な意見だ。そう言や「エピソ
ード1」なんかも、いかにもという感じの風景を多用してましたね。

 キャラバンサライ(昔の隊商の宿場街あと)に寄ってからしばらく走
ると車のエンジンの調子がおかしくなる。そのうちに完全にとまってし
まう。ガス欠の様である。でも幸いなことにそこは下り坂である。惰性
で坂をおり、下りきったとこにはこれまた都合のいい事にガソリン・ス
タンドがある(この辺のガソリン・スタンドの数は決して多いとは言え
ない)。そのままガソリンを入れ事無きを得た。ドライバーは平然とし
ているがまさか計算してやったのではあるまい。


  陶器の街、アヴァノスにつく。ここでは陶器の実演販売があった。陶
器作りのデモンストレーションをしてくれたおじいさんは英語はしゃべ
らないが本当に人の良さそうなおじいさんだった。陶器をいろいろと見
せてもらう。値段は結構するがものは良いみたいだ。ターキッシュ・ブ
ルーが美しい。欲しいことは欲しかったがまだこの先、旅行は長いので
こんなとこで陶器など買うわけにはいかないのであきらめた。買わなく
ても別に嫌な顔もされなかった。同行のオーストラリア人が買ってくれ
ていたせいかもしれないが。

 最後にフェアリー・チムニーズ(妖精の煙突)という場所を見学して
ツアーは終了する。ここにはいかにもカッパドキアという感じのキノコ
岩がニョキニョキとはえて(?)いる。やっぱり煙突などと言うよりどう
見てもキノコである。形と色合いから言ってシメジが一番近いかな。西
洋人はあまりシメジなんかは食べないからキノコに見えないのだろうか。

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 翌日は歩いてギョレメ近辺をまわることにする。

 まずギョレメ野外博物館に行く。その昔、キリスト教徒はキノコ岩を
掘り中にフレスコ画を描いて岩窟教会を作った(ここにあるものは12
世紀から13世紀ごろのものが中心らしい)。この野外博物館はギョレ
メ谷にあるそうした教会を30個ほどまとめて公開している。ただし、
目玉となる教会はばか高い(900円くらい)別料金をとる。これはパ
スした。

 教会のフレスコ画はロマネスク・・というのかどうか良く分からない
がなかなか素朴な味わいがあって良い。


 その後、一旦ギョレメ村に戻り今度は野外博物間とは反対方向のウチ
ヒサルを目指す。ウチヒサルといのも村の名前だがその中心になってい
るのが巨大な岩だ。昔は城塞として使われていた。
 ウチヒサルに行くには車道を歩いてもいいのだがトレッキング道(・・
というかまあ単に歩き道なのだが)を通っても行けるそうなのでその道
を行く。谷間を歩く素敵な道なのだが困ったことに途中で道が分からな
くなってしまう。標識もなにもない。ウチヒサルにたどりつくには崖を
のぼらなくてはならないのだがその崖をのぼれる地点がどうしても見つ
からない。あと一歩というとこまでは行けるのだがどうしても残り3,
4メートルが正真正銘の崖になってしまうのだ。フリークライミングで
もできりゃなんなく登れるのだろうが私には無理だ。でもさんざん苦労
してやっと登れそうな地点を見つけよっこらせとはい登れる。登ったと
こは車道である。そこからほんの少し行ったとこがギョレメパノラマ
(Maccan Valley)とよばれるビュー・ポイントである。茶店もあったの
でビールを買ってぐびぐびと飲む。うまい。ちょうど日本人の団体がバ
スでやって来ていた。「おめーらにはこのビールのうまさは分かるまい」
と勝手に優越感に浸る。

 ウチヒサルに着く。要塞岩はのぼれる様になっているのでのぼってみ
る。絶景である。夕日が沈むのは雲が出ていて見られなかったが遠く雪
をかぶったエンジェス山(3912m)には夕日が映えてきれいである。パラマ
ウント映画のタイトル・バックに出てくる雪山にそっくりだ。

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 その翌日はバイクを借りてみることにした。
  一生懸命値切って一日600万リラ(約1800円)になった。トル
コ製の250cc。値切ったおかげか恐ろしく走り込んだバイクを貸して
もらった。重い、力ない、セルない:と三拍子そろったバイクだ。特に
力のなさはこれで250ccなのかと感動をおぼえる程だ。急な上り坂な
どほとんどとまりそうになる。エンジンをかけるのにもセルがないので
キックをしなければならないがこれが重い上になかなか、かからず大変
だった。

 とりあえずこの前行ったのとは別の地下都市、カイマクルに行ってみ
る。この前、行ったデリンクユもとても面白かったのだがなんせツアー
で行ったので少しせわしなかったし日曜だったので他の客もたくさんい
た。平日に一人で地下都市に入るとどんな感じがするのかちょっと試し
てみたかったのだ。

 希望通り、カイマクルの地下都市は閑散としていた。めったに他の人
とすれ違うこともない。でもそこかしこに出口の方向は表示してあるの
で停電しないかぎり出られなくなる心配はなさそうだ。

 懐中電灯をつけて照明がされていない通路を少し歩き、ちょっと奥ま
ったところにある部屋に入ってみる。もちろんここも照明はされていな
い。完全な暗闇である。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中の枯
れ井戸におりる話を思い出す。いや、思い出すという言い方はちょっと
嘘だ。これを体験したくてわざわざバイクを借り、ここまで来た様なも
のなのだから。

 目の前に手をかざしてみても何も見えない。目を開けていても閉じて
いても一緒である。「目を開けたり閉じたりするという行為に付随する
変化が何もないとしまいには自分が目を開けているんだか閉じているん
だかが分からなくなってしまう」といった様な事を村上春樹氏がどっか
の小説(『ねじまき鳥〜』じゃないかもしれない)で書いていた気がす
るが本当にそんな感じである。

 地べたに腰をおろしてみる。光もない。あたりを人は歩いていないの
か音も全くしない。暑くも寒くもない。外部からの刺激要因がほとんど
なにもないのだ。あまり長い時間ではなかったが、その様にしていると
脳の活動が段々となくなっていく様に感じる。何も考えなくなってしま
うのだ。座禅などでは「何も考えるな」と言われるらしい(座禅をやっ
たことはないが)。そんなこと言われても無理だよなと思っていたがこ
ういう状況だと結構それができそうな気はする。

 特に怖くはない。でも「怖くはないよな」と考え出すと(なんのかん
の言ってやっぱり何か考えてしまうのだ)ついつい怖い事を考え初めて
しまう。こういう歴史の古い地下都市にはさぞかし色んな怨念がこもっ
ているのではあるまいか・・とか。そうするとやっぱり怖くなってしま
い自己流の座禅はやめにする。結局、暗闇の中に座っていたのはものの
5分か10分くらいのものだろうか。これじゃあまりえらそうな事は言
えない。

 午後になるとだんだん天気がくずれてきて雨がふりだす。そのうちど
しゃぶりになる。カッパドキアにいた間はほとんど毎日、夕方ころにパ
ラパラと雨が降ったがこの日の雨が一番ひどかった。よりによってそん
な日にバイクを借りるなんて。天気予報をチェックしていない悲しさで
ある。トルコの天気予報がどの程度当たるか知らないが。

 一旦、ホテルに戻ってちょっと休憩する。ホテルの食堂兼バーで大阪
外大のトルコ語学科を出たという女の子に会う。トルコでは日本人の女
の子というだけでもかなりの人気者だがその上、トルコ語を話せるとな
るともうたいへんである。

「それくらい喜ばれたら気持ちいいでしょう?」と聞くと

「それもあるけど時にはほうっておいて欲しいとも思う」

とのことだった。確かにそうかもしれない。スターの悩みである。

  雨はやまないがあきらめてオスタヒサルに行く。ここはウチヒサルと
同様、巨大な一枚岩が城塞となっている村である。ちょっと道に迷った
のちウチヒサルに着いたころ雨がやむ。やれやれ。高いところが大好き
な私は当然オスタヒサルの城塞にものぼる。ここもなかなかの絶景であ
る。

 次に宿の主人から「very nice!」とすすめられたムスタファパシャに
行く。どこが「very nice」なんだか今ひとつ分からなかったがこのへん
にも古びた教会がある。くっきりと色の別れた地層は面白かったし、こ
の村に至る道もなかなか良かった。

 最後に『歩き方』にのっていた三本のキノコ岩があるというパジャバ
ー地区に行く。でも道が分からずさんざん苦労してやっとたどりついた
らなんの事はない、ここはツアーでいって「フェアリー・チムニーズ」
であった。呼び方が違っただけなのだ。やれやれ。まああらためてじっ
くり見学できたのは良かったが。




 カッパドキアは大変気に入ったがそろそろお別れすることにする。肉
を食べない身としてはトルコの内陸部には食べられるものがあまりない
のもつらい。

 翌日の夜行バスにのってマルマリスをめざす。バスの窓からは三日月
がきれいに見える。その横には明るい星(なにか知らんが)がひとつ光
っている。ほとんどトルコ国旗の図柄そのものである。厳密に言うと月
と星の位置関係がちょっと違うがそこまで望むのは贅沢と言うものであ
ろう。



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マルマリス

 約14時間かけて(ふう)バスは朝9時半、マルマリスに到着した。

 マルマリスはエーゲ海に面したリゾート・タウン的な色合いの濃い街
である。でも、別にこの街に興味があるわけではない。ここからギリシ
アのロードス島に渡るためにやって来たのだ。もしかしたらこの日のう
ちにロードスに渡れたのかもしれないがさすがに夜行バスで疲れている
のでとりあえず一泊して休むことにする。

 バスがついた場所はかなり街はずれの様である。どうしたものかと思
っていたらバイクで客引きに来ている兄ちゃんがいた。話を聞くとユー
ス・ホステルの兄ちゃんらしい。ユース・ホステルから客引きをされる
のなんて生まれ初めてである。ちょっとびっくりしたが一泊だけだから
まあなんでもいいやとそのままバイクの後ろにのっかり連れて行っても
らった。

 そのユースには一応、個室もあったが高いわりにはあまり良さそうで
もなかったので、やはりドミトリーにする。約600円の4人部屋。

 部屋にはギターを持った兄ちゃんがいた。
「どっから来たんだ?」と聞くと
「カリフォルニア」と答える。

 思うんだけどどっから来たと聞かれていきなり州の名前だけで答える
のはアメリカ人くらいじゃないだろうか。これが「デラウエア」とか
「メリーランド」とかもっとマイナーな州の人も州名だけで答えるのだ
ろうか。日本人も「佐賀」とか「島根」とだけ答えてみたら面白いかも
しれない。「東京」なんかだと大威張りで使えそうだ。でも東京は中国
の首都だと思っているアメリカ人が結構、いるそうである。(とは言え
最近の日本の若いもんだって・・と言い始めるとじじむさくなるのでや
める)

 話の成り行き上、ちょっとギター弾いてみてよと言う。でもこれがギ
ターと言い、歌と言い、ちょっと困ったものだった。「フォーク野郎」
はアメリカにもいたんだな。そりゃいるか。どんな顔をして聴けばいい
のか困ってしまう。

 やっと終わる(やれやれ)パチパチ

「お前もギター弾くのか」
「うん」
「じゃあ、ちょっと弾いてみなよ」

 ギターを見た時から弾きたくてうずうずしていたので有り難く弾かせ
てもらう。私は己を知っているので歌は歌わず弾くだけにする。

「おい、お前うまいなあ」
「(うおーほっほっほ)いや、それほどでも」
「お前、そんなにうまいのにどうしてギターを持ち歩かないんだ?」

 あのねえ、普通の人は旅行にギターを持って行ったりはしないんだよ。

この兄ちゃんは楽譜も山ほど持っていた。当然、かさばるし重い。ご苦
労な話である。

 でもこの兄ちゃんはともかくとしても欧米人のバックパッカーは(姉
ちゃんを含めて)荷物がかさばったり重かったりするのをあまり気にし
ない人が多いみたいである。体力にものを言わせて巨大な荷物をかつい
で歩いている。旅行用の小さいシャンプーを二つ持っていくべきか三つ
持っていくべきかで悩む私などとはえらい違いである。だいたい、旅行
用のミニ・シャンプーなんて日本以外では売っているのを見たことがな
い。だからこそいくつ持って行くか悩むのだが・・・


 マルマリスにはヨーロッパからバカンスに来る客が大量におしよせる。
こうしたバカンス客は昔はギリシアの島に行っていたのだろうが、物価
が安いということでトルコに来る人がふえた様である。ビーチぞいには
レストランやバーがいつ果てるともなく延々と続いている。同じエーゲ
海とは言え、トルコ側のビーチ・リゾートはギリシアの島にくらべると
魅力には乏しい様に私には思われるがとりあえず生ビールが安く飲める
のはありがたい。久々に思う存分、飲み食いする。

 

 翌朝の船でロードス島にむかう。トルコとは一旦お別れである。







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