1999年 旅行記


トルコ編 その4




 7月16日

 一ヶ月近くいたギリシアともお別れである。またいつか来たいものだ。
 
 朝の船でサモスを出て約1時間ほどでトルコ側の街、クシャダスにつく。
近いもんだ。サモスもその一つだがこうした島々の領有をめぐってトルコ
とギリシアはさんざん争ってきた歴史がある。今でもキプロスなどは分断
されたままだし両国の仲は決して良くない。こうして国境を自由に行き来
できるだけでもありがたいと思うべきかもしれない。

 クシャダスは素通りしてセルチュクまで行く。ここを拠点にしてエフィ
ス遺跡を見に行くためだ。歴史にたいして興味はなくともとりあえずエフ
ィスは見ておきたい。単なるミーハーなのだろう。

 さすがにエフィスは一大観光地だけあって観光客の数は桁違いだった。
見ごたえもある。しかしまあ歴史音痴としてはやはりさして感慨はわかな
い。日本人の団体もぞろぞろといる。さりげなく近くによって説明をきか
せてもらう。前にこういうことをやってたら、しっしっと追い払われたこ
ともあったが。



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 セルチュク発のアフロディシアスとパムッカレに行く、1日ツアーに参
加する。パムッカレはちょっと見ときたいのだがわざわざまた移動するの
もめんどうくさいし方向はイスタンブールと逆だしということでちょっと
高かったが(40ドル)ツアーで行くことにしたのだ。

 アフロディシアスも遺跡がある場所だ。1世紀ごろ作られた3万人を収
容できるスタジアムなどがある。・・がやはり歴史音痴には今ひとつ。

 
 観光地としてのパムッカレには賛否両論あるみたいだが(絶賛派から行
く必要なしと言う人まで)私はかなり面白かった。「世界遺産ともなって
いる壮大な石灰棚が小高い大地に広がる観光スポット」(地球の歩き方)
である。

 この石灰棚の上を歩くコースがありその上を温泉水が流れている。ただ
し時にはこの石灰棚が立ち入り禁止になっていたり(保護のため?)温泉
水が流されていなかったり(急速な観光地化のせいで温泉水が枯渇の危機
にあるため)で行った時期によって印象がずいぶん違うみたいである。評
価が分かれるのは個人的好みの他にそうしたせいがあるのだろう。

 このへんには温泉プールもある。このプールの深いところは5mくらい
あり底にはなんと遺跡が沈んでいる。遺跡プールである。これはなかなか
面白かった。プールの水温がかなり高くてあまり本気で泳ぐとすぐにばて
てしまうが。


 ツアーの参加者にオーストラリアの国旗とカンガルーをあしらったポロ
シャツを着ている女の子がいた。これはどうみてもオーストラリア人だと
思ったのだがそうではなくフランス人だった。シャツはトルコのバザール
で買ったらしい。しかしいくら安くてもそんなまぎらわしいもん買うか、
ふつう。

 彼女は英語がほとんどできないらしくツアーでは一人でぽつんとしてい
た。なんか連帯感を感じてしまうが、いくら連帯感を感じても私もフラン
ス語が話せるわけではないのでどうしようもない。



7月20日

 バスでベルガマに移動する。ここもまた遺跡の町である。
 アレキサンダー大王の死後、分割された領土のうちの一つの中心地だっ
たとかなんかそんな場所だ(歴史好きの方はこんな大ざっぱでなげやりな
説明にお怒りになるかもしれないが)

 歴史にたいして興味がないと言いつつ、結局遺跡にばかりに行ってるが
遺跡をぬきにトルコのなにを観光するかとなると困ってしまうのだ。まあ
半分帰国までの時間調整だし。


7月23日
 あまり気ののらないベルガマ観光を終え、バスでイスタンブールに移動
する。8時間ちょっとの道のり。途中フェリーボートでマルマラ海をわた
る。このあたりはこの後、一ヶ月もたたないうちにあった大地震で大きな
被害の出た地域かもしれない。

 イスタンブールではだいたいおみやげの買い物をしてすごす。あとは黒
海の手前までへんまで行く船にのってみたりイスタンブールおきあいの小
さな島に行ってみたりしたくらい。


7月28日〜29日
 イスタンブールをたち長い長い時間をかけて日本に帰りつく。疲れた。
日本に帰るとハイジャックで機長が刺殺されたというニュース。うーむ。
なんかどんどん変な国になっている気がする。まあもともと変な国では
あったのかもしれないが。






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