以前、掲示板の方でベジタリアン協会HPの ベジタリアンの有名人リスト
というものを紹介したところ、ベジタリアンだからと言って動物への配慮
がその理由とは限らないではないかという指摘を受けました。
その指摘はもっともなので、もっと別の資料がないか探してみるとお答え
しました。その後、たいして調査は進展しておりませんがとりあえず中間
報告をかねてこの文を書かせて頂いております。

このリストの中にvegan と書かれている人達がいます。
ビーガンとは言わば「完全菜食主義者」で卵や乳製品等を含む動物性食品
を一切食べない上に革など動物を材料とする製品も使わない人達のことで
す。この方達に関しては、動物への配慮ということが理由になっていると
一応言えると思います。宗教的理由による場合もないことはないでしょう
が。



 さて以下に引用させて頂くのはポール・マッカートニーが奥さんのリン
ダが亡くなった時に発表した追悼文です。引用するのはケース・スタディ
ー的な意味もありますが、それよりなにより私はこの文を読んでいたく感
動しましたので是非とも紹介したいと思ったからです。リンダが亡くなっ
たニュースは知っていましたがこの追悼文の存在は知らなかったもので。
こういうものを読むと本当に勇気づけられます。

 出典は『ポール・マッカートニー/メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』
(ロッキング・オン社刊)です。同書末尾の「ポールからリンダヘ」の章
を全文引用させて頂きます。
ポール様、著者のバリー・マイルズ様、訳者の竹林正子様それに渋谷陽一
様はじめロッキング・オン社の皆様、引用をお許し下さい。

 蛇足的補足ですが追悼文の中でポールが「レディ・マッカートニー」と
言っているのはイギリスでは 'Lord' と 'Sir' の夫人には
「レディ」という敬称がつけられるためです(そういや「レディ・マドン
ナ」はどうなんだろう、貧乏そうだけど)
ポールは1997年にナイト爵位を受けて「サー・ジェームス・ポール・
マッカートニー」となっております。ということで会ったら「サー」をつ
けるのをお忘れなく、、って会わないか。
それにしても「一度だけ強制的に離されたこと」ってなんでしょうね。
もしかして、日本で留置所に入れられたことかな。


 補足ですらない蛇足ですが改めて前述のベジタリアンの有名人リストを
見ると元ビートルズは全員顔を出してしますね。他にもボブ・ディラン、
ジェフ・ベック、ピーター・ガブリエル、エルビス・コステロ、ケイト・
ブッシュ、プリンス、レニー・クラビッツ等々。
うーむ、豪華な顔触れだ。一度集まって、チャリティー・コンサートをや
ってくれないかな。「人権(ヒューマン・ライツ)」のためのチャリティ
ー・コンサートってのはありましたね。昔、行ったけどユッスー・ンドゥ
ールが最高だった。







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ポールからリンダへ
(『ポール・マッカートニー/メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』より)
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  ポールと四人の子どもたちに見守られて、1998年4月17日の早朝、
リンダはこの世を去った。1995年12月に彼女の胸のしこりは悪性と
診断されたが、除去手術をして、彼女はクリスマスを家で迎えることが出
来た。化学療法を受けたリンダはその後二年間、転移性の乳癌と闘ったが、
1998年3月には肝臓への転移が発見された。
  一家はイギリスのじめじめした冬を避け、リンダが愛していたアリゾナ
の広々とした砂漠へ飛んだ。そしてそこで彼女は人生の最期を迎えた。最
期はあっけなく訪れたが、彼女が苦しむことはなかった。死の二日前、リ
ンダとポールは彼女の大好きだった乗馬に出かけていた。遺体は火葬され、
その灰はアリゾナとイングランド南部の一家の農場に半分ずつ散布された。
ポールの広報担当のジェフ・ベイカーが、カリフォルニア州サンタ・バー
バラでリンダが死亡したと発表したのは、一家がマスコミに邪魔されずに
密葬を行い、イギリスに戻る時間を確保するためだった。リンダの死から
四日後の21日、子どもたちが上の部屋で寝ている間、ポールは長年マッ
カートニー家の家庭生活の中心であった台所のテーブルに向かって、全世
界のプレス宛にリンダへの感動的な追悼文をしたためた----

***************

今回のことで私と家族は大きな悲しみに暮れています。リンダはこれまで、
そして今でも私が生涯愛し続けた人でした。二人で病と闘った二年間は悪
夢のようでした。
彼女は不平を言うこともなく、常に病に打ち勝つ希望を持っていましたが、
それはかないませんでした。
私たち二人の美しい子どもたち--ヘザー、メアリー、ステラ、ジェイムス
--はその間ずっと大きな力になってくれました。そしてリンダはこの子た
ち全員の心の中で生き続けているのです。
菜食主義や動物愛護の理想を実現するために彼女が見せた勇気は並外れた
ものでした。たった一人で食肉・牧畜業委員会を相手に回し、嘲笑される
こともいとわず、しかも目的を達成させた女性がどれだけいるでしょうか?
彼女はとても私的な人でしたから、みんな彼女のことをよく知らなかった
でしょう。彼女のごく一面を見ていたに過ぎません。彼女は私がこれまで
会った中で、最も優しく、天真爛漫な人でした。
彼女にとってすべての動物はディズニーのキャラクターのような存在であ
り、愛情を持って大切にする価値のあるものでした。
彼女は他人に何と言われようともくじけない、最も強い女性でした。レデ
ィ・マッカートニーであるという事実も、彼女にとってはさして感動的な
ことではありませんでした。レディ・マッカートニーと人から呼ばれるか
と尋ねられた彼女は、「確か一度、誰かにそう呼ばれたような気がするけ
れど……」と答えていました。
三十年間彼女の恋人であったことを、私は誇りに思います。その間、一度
だけ強制的に離されたことを除けば、私たちは一晩たりとも別々に過ごし
たことはありません。人からどうしてと訊かれると、私たちは「どうして
って、どうして?」と言ったものです。
私たちはとても仲が良い家族だったので、彼女がいなくなったことで私た
ちの生活にはぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。これを埋めるこ
とは出来ないでしょうが、そのうちこの事実を受け止めるようになるだろ
うと思います。
彼女が残された人々みんなに一番望んでいることは、菜食の実践です。最
近では非常に豊富な種類の食べ物が手に入るので、これは多くの人が思っ
ているほど難しいことではありません。我々の社会や慣習によって、非情
な扱いを強制的に受けている動物たちを救う、ただそのためだけに彼女は
食品事業に乗り出したのです。
私から見て、彼女はビジネス・ウーマンに最もなれそうにない女性でした
が、それでも彼女は根気強く動物の権利のために働き、食品業界で名を成
すまでに至ったのです。ライヴァル会社が彼女の製品を真似ていると聞き、
彼女は「良かった。これで引退出来るわね」とだけ言ったそうです。彼女
はお金儲けのためにやっていたのではないのです。
彼女は殆ど苦しむことなく、愛する人々に見守られながら、あっけない最
期を迎えました。
子どもたちと私は彼女の最期を看取りました。子どもたちはそれぞれ彼女
に向かって、どれだけ彼女を愛していたかを伝えることが出来ました。
最後に私はこう言いました。

「君はあの美しいアパルーサ馬に乗ってるんだよ。素敵な春の日だ。僕ら、
  森の中を馬に乗って駆けてるんだよ。ヒヤシンスは咲き乱れているし、
  空も澄み切って青い」

私がまだ言い終えないうちに、彼女は目を閉じ、そっと去って行きました。
類まれな彼女と知り合えたことで、世界は私にとってより素晴しいものと
なりました。
彼女の愛のメッセージは永遠に我々の心に生き続けることでしょう。


                        リンダ、愛しているよ。
                        ポール XXX XXX










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