いかりや長介さん宅に続々と花

 俳優のいかりや長介さん死去から一夜明けた21日、東京都目黒区の自宅前には午前中から3、40人の報道陣が集まり、森光子など生前交友のあった芸能関係者やテレビ局から花が続々と届けられた。ファンとみられる男性が、玄関前にカップ酒や花を手向けて手を合わせ、無言で立ち去る姿も見られた。

  弔問に訪れた15年来の付き合いがあるという整体師の男性(39)は、9日にいかりやさんに整体を施したが容体の悪化には気付かなかったという。「最初に入院された直後に『よっしゃ、がんばるぞ』という言葉を聞き復活を信じていましたから、極めて残念です。でもとてもいいお顔をされていました」と話していた。

 葬儀・告別式は24日午後1時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は長男・浩一(こういち)氏


がん転移…いかりや長介さん急死

 ザ・ドリフターズのリーダーで俳優としても活躍したいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名・碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時半、頚部(けいぶ)リンパ節がんなどのため東京都港区の東京慈恵会医科大学付属病院で死去した。72歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りは未定。いかりやさんは、昨年5月末に原発不明頚部リンパ節がんで緊急入院。2カ月後に仕事復帰したが、数日前に体調が急変した。自宅にはドリフターズのメンバーが弔問に訪れ、悲しみの対面をした。

 所属事務所「イザワオフィス」によると、いかりやさんは昨年5月末に「原発不明頚部リンパ節がん」で入院して以降、定期検診のため入退院を繰り返していた。1週間前の検査で、担当医から「がんの転移が見つかった」と知らされ、15日に再入院。家族にみとられて亡くなった。関係者は「眠るような最期だったそうで、本当に穏やかな顔をされていました」と話している。

 20日夜、東京都目黒区の自宅にはドリフターズのメンバーが続々と弔問に訪れた。加藤茶(61)、志村けん(54)、高木ブー(65)が、厳しく優しかったリーダーと悲しみの対面をした。21日未明、弔問を終えた高木ブーは「バカヤローと言ってやりました」と目頭を押さえた。仲本工事(62)は仕事の都合で駆けつけることができなかったが、4人で「お葬式は盛大にやろう」と決めた。全員の目に涙があふれていた。

 つらい闘病生活だったが、一切その苦しさを外には見せなかった。緊急入院から、わずか2カ月足らずでの仕事復帰。東京・日比谷スカラ座で行われた映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の初日舞台あいさつ。ダンディーな黒のスーツ姿で登場すると「予定通り7週間で治療が終わった。これからはわが身を顧みず頑張るつもり」と話し、笑顔を見せた。ドラマにも復帰し、映画も「恋人はスナイパー(劇場版)」(4月17日公開)に出演、これが遺作となった。

 東京生まれだが、戦時中に静岡県に疎開し、少年時代を過ごした。その後、東京で親せきの洋品店を手伝ううち、音楽好きが高じて61年にジミー時田さんのバンドに加入。64年、コミック・バンド「ザ・ドリフターズ」を結成した。69年10月スタートのTBS「8時だヨ!全員集合」では、生放送でコントを披露し国民的な人気を集めた。お笑いのネタ探しや演出も手がけながら、加藤、志村、故荒井注さんら個性的なメンバーを仕切り「ウィッス!」「だめだこりゃ」などのギャグも流行させた。遅咲きながら役者としても活躍。渋い脇役が多く、フジテレビ「踊る大捜査線」のベテラン刑事は当たり役だった。(03/21 06:03)


いかりや長介さん死去、国民的な笑いをありがとう

 人気お笑いグループ、ザ・ドリフターズのリーダーで個性派俳優のいかりや長介さん(本名・碇矢長一=いかりや・ちょういち)が20日午後3時半、原発不明がん頸(けい)部リンパ節転移のため、東京慈恵会医科大学附属病院で亡くなった。72歳だった。いかりやさんは昨年5月末に頸部リンパ節がんが発見され緊急入院した。手術はせず放射線治療を受け7月に退院。一度は仕事復帰を果たしたが、今週はじめに体調を崩して再入院していた。葬儀・告別式、喪主は未定。

 「オィーッス」「だめだ、こりゃ」「いってみよーぅ」…。昭和のお茶の間を彩った名セリフの数々。長さんのあの元気な声はもう、聞けない。

 関係者によると、いかりやさんは、今週のはじめに体調を崩し、慈恵会医大病院に入院。夫人の義子さん(67)の必死の看病もむなしく、最後はまるで眠るように静かに息を引き取った。義子さんをはじめ、先妻(離婚)との間にもうけた長女(39)、長男(34)と孫ら親族数人が最期を看取った。

 いかりやさんは昨年春ごろ、首が腫れていることに気づき検査を受けた。その結果、「原発不明頸部リンパ節がん」と診断され、5月28日に緊急入院。がんは極めて早期の発見といわれ、手術を受けず、放射線による治療を選択。約7週間入院して治療を受け、7月17日に退院した。

 その2日後の19日には出演した映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の舞台あいさつに登場。「医者からは『犯罪以外なら何をやってもいい』と言われてます」と得意のジョークで復帰をアピールした。その後は、同年10月スタートのフジテレビ系連続ドラマ「恐怖劇場・あなたの隣に誰かいる」にレギュラー出演するなど体調は万全に見えた。

 だが、今月はじめ、出演するテレビ番組の会見が突然、キャンセルされ、体調を案じる声も上がっていたが、やはり、がんは再びいかりやさんの体をむしばんでいた。関係者によると、退院後も定期的に検査を受け、入退院を繰り返していたという。今週はじめの15日検査で、病状がおもわしくなかったため、そのまま入院。帰らぬ人となった。

 遺体はこの日午後7時すぎに東京・目黒区の自宅に無言の帰宅をした。1階の居間に安置された遺体には、義子さんら家族がずっと寄り添った。

 リーダーの訃報を受け、自宅にはメンバーの志村けん(54)、加藤茶(61)が真っ先に駆けつけ無言の対面。物言わぬリーダーの姿にただただ絶句した。数十分遅れで駆け付けた高木ブー(71)は「バカヤローって言ってやりました」と涙をこらえて話した。遺体と対面した3人は、言葉にならぬほどのショックを受けていたが、「葬式は盛大にやってやろうな」と結束を固めているという。仲本工事(62)は仕事の都合で来られなかった。

 その盟友たちと昨年12月上旬に収録したフジテレビ系特番「ドリフの大爆笑」(同23日放送)が最後の仕事になった。

 いかりやさんはコミックバンド「ザ・ドリフターズ」のベーシストとして活躍。お笑いグループに転身してからは、リーダーとしてときに憎まれ役を演じながら、グループをけん引してきた。同グループが一時代を築いた後は、役者に本格的に進出。美男とはいえない個性的な顔立ちを武器に、哀愁漂う中年、老人を演じ、高い評価を受けていた。

★いかりや長介(いかりや・ちょうすけ)★
本名・碇谷長一(いかりや・ちょういち)。昭和6年11月1日、東京都墨田区生まれ。37年ザ・ドリフターズの結成に加わり、39年からリーダーに。同41年に初来日したビートルズの前座で演奏を務めた実績を持つが、次第にコント色を強め、TBS系のお笑いバラエティー「8時だヨ!全員集合」は最高50・5%の視聴率を記録。60年の番組終了後に俳優としてスタートを切り、平成11年に映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。13年自身の半生をつづった著書「だめだこりゃ」を刊行。同年ドリフとしてNHK「紅白歌合戦」に初出場した。私生活では昭和36年に結婚し、1男1女をもうけるが、53年に離婚。翌年に恵津子さんと再婚したが病気を苦に夫人は平成元年に自殺。その後平成5年に義子さんと結婚した。

★ザ・ドリフターズ★
 昭和39年9月、いかりや長介を中心に、音楽を取り入れて、リズムに乗った新しい笑いを作り出そうと加藤茶、荒井注、仲本工事、高木ブーの5人が集合。ザ・ドリフターズが結成され、日本テレビ「ホイホイ・ミュージックスクール」で番組デビューを果たす。41年8月、日本テレビ「あなた出番です」にレギュラー出演。翌年3月には新宿コマ劇場で1時間のステージを受け持ち、ファンを魅了。44年10月には、後にお化け番組の異名を取るTBS「8時だよ!全員集合」がスタート(〜60年)。平均視聴率30%以上を誇り、笑いはもちろん、奇抜なアイデア、大道具を使った仕掛けが毎週話題になった。また、番組から「ちょっとだけよ」などの“流行語”も誕生した。45年12月には、「ドリフのズンドコ節」で日本レコード大賞大衆賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞した。49年3月いっぱいで荒井注が引退し、4月から新たに志村けんが加入した。平成に入ってからは、各人のキャラクターも生かし、ソロでの活動が目立っていたが、「ドリフの大爆笑」などの特番はファンの支持を得て健在ぶりをアピールした。

★原発不明頚部リンパ節がん★
 がんが発生した部位(原発巣)がごく小さかったり、診断が難しい部位にあるなど、がんが発生した臓器がわからない場合を原発不明がんという。頚部(首のまわり)のリンパ節が腫大する症状の場合を指す。いろいろながんの可能性があるため、外科療法、放射線療法や薬剤による治療が行われる。

いかりや長介さんの闘病経過
平成15年4月下旬 頚部(けいぶ)に腫れを感じて病院へ
5月28日 検査の結果、早期のがんが見つかり入院。放射線を中心とした治療を行う
同31日 毎日テレビ系ドラマ「高原へいらっしゃい」の降板が発表される
6月2日 所属事務所が病名「頚部リンパ節がん」と7週間ほど治療に専念することを発表
7月17日 都内の病院を退院
同19日 出演した映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の舞台あいさつに出席
8月6日 関西テレビ系「SMAP×SMAP」に出演。復活をアピール

★ドリフから生まれた主な流行★
昭和44 「オィッス」「いい湯だな」
45 「ドリフのズンドコ節」
  「ほんとにほんとにご苦労さん」
47 「どうもすんずれいしました」
48 「ちょっとだけヨ」
  「アンタも好きねェ」
  「ジス・イズ・ア・ペン」
51 「東村山音頭」
53 「おこっちゃヤーヨ」
54 「ヒゲダンス」
55 「カラスの勝手でしょ」
  「早口言葉」
56 「最初はグー、ジャン・ケン・ポン」
  (最初はグー またまたグー いかりやチョー介 頭はパー 正義は勝つ! ジャン・ケン・ポン!)

◆ザ・ドリフターズの兄貴分的存在だったクレージーキャッツで活躍した俳優の谷啓(72)
「突然の悲しい知らせに、ただ驚くばかりです。お体の具合が悪く、仕事から離れていることは存じていましたが、もうそろそろ元気なお姿が見れるものと信じていただけにとても残念です。3年ほど前に映画でご一緒させていただいた時にはとても元気で、演技に対する情熱には、同世代の僕も少なからず刺激を受けました。安らかにご永眠されますようお祈り申し上げます」

◆いかりやさんの自伝の構成に携わった放送作家、西条昇さん
 「テレビ時代以降のギャグの王道を歩み、“笑いの教科書”を作ってきた人だけに本当に惜しい。藤山寛美さんや渥美清さんに並ぶ“笑いの殿堂”が亡くなった思いだ。ギャグや笑いに、あれほどの情熱を傾けられる人はもう出てこないのではないか。いかりやさんの笑いの執念を見習う人が今後も続いてほしい」

◆エッセイストの海老名香葉子さん
 「まだまだのお年なのに…。何かひとつ笑いの灯が消えてしまった気がします。誰にでも分け隔てなく接する方で、夫の故林家三平が大ファンでおつきあいがあったと聞いています。家族全員で『全員集合』をテレビで見て大笑いしたことが思い出されます。役者としても刑事役などいい演技をしていたのに、残念です」

◆CMで共演した女優、田中麗奈
 「以前共演させていただいた時に、そこで大切なものを学ばせていただきました。いかりやさんのお人柄が、私の心にいつまでも思い出として残るでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします」

★自宅には弔問客数人

 東京都目黒区碑文谷のいかりやさん宅には20日深夜、約30人の報道陣が集まった。弔問に駆け付けた芸能人はドリフのメンバーのほか、デビット伊東ら数人。2階建ての室内から明かりがもれ、事務所関係者が出入りする姿が見られた。自宅がある一帯は高級住宅地で、ひっそり静まり返っていたが、巡回中の警察官は報道陣から「いかりやさん死去」を聞き、「エッ」と絶句していた。

★「本当ですか」「知らなかった」

 「本当ですか」。タレントのいかりや長介さん(72)が亡くなった東京都港区の東京慈恵会医大病院では20日深夜、見舞客らが驚いた表情を浮かべた。

 病院前の道路には慌てて駆け付けたテレビ局のクルーがカメラ2台を構え、静まり返る病院を撮影。事務職員の男性は「さっきも聞かれましたが、入院していたかどうかも知らなかった。本当ですか?」と戸惑った表情を見せる。入院中の夫を見舞いに来たという女性は「みんなをよく笑わせてくれて、惜しい人を亡くしました」と話した。


あのコントをもう一度、今は幻に…

 最高50・5%という驚異的な視聴率を記録したおばけ番組「8時だヨ!全員集合」。その緻密な笑いを産み出してきたのは、ドリフターズのリーダー、いかりやさんだった。終了から20年近くたった今も、「−全員集合」のDVDが18万セットも売れるなど、若い世代にも人気が波及。再ブーム到来に、いかりやさんの健康が回復次第、昔のコントをそのまま演じる企画も浮上していたが、幻に終わってしまった…。

 ドリフターズ結成40周年の記念すべき年に、いかりやさんが天国に旅立ったのは何かの因縁か。

 今年1月に発売されたDVD「ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だヨ!全員集合」は、3枚組で税込1万290円という高額にもかかわらず、発売初日で10万セットを突破。現在出荷で20万セットに迫る勢いで売れに売れている。それもこれも、ドリフの笑いが懐かしさだけでなく、若い世代にも新鮮に受け入れられているからだ。

 「−全員集合」の放送作家、奥山恍伸さんは「ドリフはメンバー全員が面白かったが、長さんが特徴をつかんで適材適所に使っていた」と振り返り、「TBSの大きなリハーサル室で、長さんと私とディレクターで打ち合せをすると、カトちゃん(加藤茶)はトランプ、(荒井)注さんは本を読み、(高木)ブーちゃんは寝ていてバラバラ。台本の打ち合せはすべて長さんだった」とその功績を力説する。

 「こちらがプランを示しても、長さんが引っ掛かると大変で、何時間でも長い足を折ってしゃがんで考えていた。とてもじゃないが、ふざけた番組の打ち合わせじゃなかった」といい、「いくつかの番組を掛け持ちしているのに、長さんに引っ掛かると1日つぶれちゃう。本当にシビアな人、真面目に考える人だった。これから、むきにならないで性格俳優としてやっていければうらやましいと思っていたのに…」とその人柄を偲んだ。

 メンバーの1人、加藤茶はDVDの発売記念で取材を受けた際、再ブームをきっかけに、もう1度「−全員集合」のコントを、そのまま演じる企画があることを密かに明かしていた。加藤は「ちょっと動きが悪くなるかもしれないけど、昔より味は出ると思う」と熱い思いを語っていた。

 いかりやさんの“充電期間”が終了次第、実現に向けて動き出す予定だっただけに、残されたメンバーの悔しさは察するに余りある…。

★才能を開花させた「踊る大捜査線」

 役者・いかりやさんの魅力を最大限に引き出し、その才能を開花させたのは「踊る大捜査線」シリーズだ。

 ドラマ、映画で現場をともにした共演の織田裕二(36)はいかりやについて、以前、サンケイスポーツのインタビューにこう答えていた。「撮影の時間がどんなに遅くなっても、一晩でもジッと待っている。こんなベテランなのに、この姿勢はありなの?と思いました」。

 また、自分が画面に映らない時でも、相手役としてその場に立っていてくれたという。その時も決して手を抜かなかった。「たとえ自分の部分がカットされていても文句を言わない。すごいなーと」(織田)。

 織田をはじめとする若い俳優たちに自然と尊敬の念を抱かせていた長さんだが、本人は、「自分は一芸も極めていない」という思いが強かった。

 バンドからスタートしてコメディアン、そのうち役者へ。リーダーとしてグループをまとめ、コントに精を出していた時代は何をやっても「いかりや長介」。「芝居は自分以外のもう1人の自分になれる」と役者として、さまざまな色に染まれることを喜んでいた。

 ゴリラのように飛び出た下唇は、コメディアン時代は笑いの種になったが、晩年は個性的な顔立ちに。穏やかな話ぶりは温かな人間味を表現した。「踊る−」の亀山千広プロデューサーは、いかりやさんを「日本のモーガン・フリーマン(黒人の人気個性派俳優)」と評していた。

 役者として、“第2の黄金期”を迎えていたいかりやさん。さまざまな苦労をのみ込んだいぶし銀の演技はまだまだ必要とされ、期待もされていただけに、その死は残念だ。


高木ブー、志村けんらが弔問

 「ばかやろー と言ってやりましたよ」。東京・目黒区のいかりや長介さんの自宅を弔問に訪れたザ・ドリフターズの高木ブーは21日未明、自宅前で涙を必死にこらえながら「リーダー」との最後の対面の様子を語った。20日夜からいかりやさん死去のニュースが流れ報道陣約80人が詰め掛けた。弔問を終えた高木に「いかりやさんに何と声を掛けましたか」と問うと、高木は別れの言葉を報道陣にぶつけ、車で立ち去った。

 20日夜には高木のほか、志村けんら芸能界のゆかりの人たちも弔問に訪れた。(03/21 01:47)


【芸能】いかりや長介さんが死去−お笑い、性格俳優で活躍

 お笑いグループ、ザ・ドリフターズのリーダーで、存在感のある俳優としても人気のあった、いかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時半、原発不明がん頸部(けいぶ)リンパ節転移のため東京都港区の慈恵医大病院で死去した。72歳。東京都出身。自宅は東京都目黒区碑文谷5丁目。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 2003年5月末に、頸部リンパ節がんと診断され入院。放射線治療などを受け同年7月に退院、仕事に復帰した。だが所属事務所によると、今月15日に再入院していたという。

 東京生まれだが、戦時中に静岡県に疎開し少年時代を過ごした。その後、東京で親せきの洋品店を手伝ううち、音楽好きが高じて1961年にジミー時田さんのバンドに加入。64年、現在のザ・ドリフターズを結成した。

 66年のビートルズ来日公演で前座を務め、コミックバンドとしてテレビのバラエティー番組で注目を集めた。69年から16年続いたTBS系の「8時だヨ!全員集合」は国民的な人気を集めたが、低俗番組という批判も受けた。

 お笑いのネタ探しや演出も手掛けながら、加藤茶さん、荒井注さんら個性的なメンバーをリーダーとして仕切り、「オィーッス!」「いってみよーぅ」「だめだこりゃ」などのギャグも流行させた。

 同番組終了後は、黒沢明監督の「夢」(90年)などで、俳優として活躍。渋い脇役が多かったが、刑事役などで存在感を発揮。97年のフジテレビ系ドラマ「踊る大捜査線」でひょうひょうとしたベテラン刑事を演じて人気を集めるなど、俳優としても高い評価を得ていた。


ギタリスト寺内タケシさんの話

 「数十年来、兄弟のようにしていたから、本当に残念。がんの闘病から回復したと聞いて、昨年春ごろには「いっしょにめしでも行こう」と横浜の中華街に行った時には、若いころの思い出話に花を咲かせました。ミュージシャンとしても役者としても不器用な人だったから、一生懸命にまじめに努力しなければならなかったと思います。それにしても、本当の病気のことを結局、打ち明けてくれずに逝ってしまうなんて、水くさいじゃないか、と言ってやりたい」


いかりや長介さん死去=ドリフターズで一世風靡

 バンド「ザ・ドリフターズ」のリーダーで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが、20日午後3時30分、がんのため東京都港区の病院で死去した。72歳だった。東京都出身。自宅は明らかにされていない。告別式の日取りなどは未定。

 幾つかの職業を経て、勤め先の工場の仲間とハワイアンバンドを結成、プロのミュージシャンを目指した。1961年、ウエスタンバンドの「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」でベーシストに。その後、コミックバンドの「ザ・ドリフターズ」に加わり、64年に荒井注(故人。後に志村けんが参加)、高木ブー、仲本工事、加藤茶のメンバーでリーダーとなった。69年10月から始まった「8時だヨ! 全員集合」(TBS系)は最高視聴率が50%を超える人気番組となって16年間も続き、一世を風靡(ふうび)した。

 同番組終了後は、俳優としても活躍。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」やサスペンスドラマ「取調室」シリーズ(日本テレビ系)、舞台「恍惚の人」など幅広く出演した。映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」では日本アカデミー賞助演男優賞を受賞した。(3/21 01:02)


いかりや長介さん死去、72歳…全員集合から渋い脇役

 ザ・ドリフターズのリーダーで、テレビドラマなどで渋い脇役としても活躍していた、いかりや長介(ちょうすけ、本名・碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時30分、頸部リンパ節がんのため亡くなった。72歳だった。

 告別式、喪主などは未定。昨年5月にがんと診断され、治療のため入院していた。週末のバラエティー番組「8時だヨ!全員集合」でテレビの一時代を築いたいかりやさん。同じ土曜の夜に伝わった悲報に、惜しむ声が広がった。

 いかりやさんは、アマチュアのハワイアンバンドで活動を始め、1964年にザ・ドリフターズを結成。荒井注(故人)、加藤茶、仲本工事、高木ブー、志村けんさんらとコントや歌を繰り広げる「8時だヨ!全員集合」(TBS系、69―85年)は平均視聴率が最高で50・5%に達し、“お化け番組”と呼ばれるほどの国民的ブームを巻き起こした。いかりやさんが番組冒頭で言う「オッス」や「ダメだ、こりゃ」などが流行語にもなった。

 90年、黒沢明監督の映画「夢」に起用されたころから、演技派の脇役としても活躍。日本テレビ系の2時間ドラマ「取調室」シリーズや、フジテレビ系の連続ドラマ「踊る大捜査線」の刑事役などが高く評価された。映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」では日本アカデミー賞助演男優賞に輝いた。

 がんと診断されてからは放射線治療のため入退院を繰り返し、今月15日に再入院していた。所属事務所によると、最後の芸能活動は昨年12月23日にフジテレビ系で放映された「40年だよ!ドリフ大爆笑」の収録だった。(03/21 01:08)


〈作家・演出家の久世光彦さんの話〉

 スラップスティックコメディーが大好きで、日本の舞台上でそれを実現した人だった。私がTBSにいた頃、長さんの横で演出を学ばせてもらい、「全員集合」も3本演出したことがある。とにかく笑いに命を懸けていた人で、才能というより粘り強さで笑いを追う姿勢をたたき込まれた。元々音楽から入った人だけに、その時代時代のリズムをつかむのがうまかったのだろう。


いかりや長介さん死去 「ドリフターズ」のリーダー

 人気番組「8時だヨ!全員集合」でテレビのお笑いを席巻した「ザ・ドリフターズ」 のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、 本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後、死去した。72歳だった。 連絡先は、所属事務所で東京都港区赤坂9の6の28のアルベルゴ乃木坂203 「イザワオフィス」。

 東京・本所生まれ。高校を中退後、職を転々とした。アマチュアのハワイアンバンド のベース奏者になったことがきっかけで芸能界へ。 62年、加藤茶、小野ヤスシらと共にウエスタンとロックをこなすバンド「桜井照夫と ザ・ドリフターズ」の結成に加わった。その後、一部のメンバーが独自の活動を始め たため、64年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成 した。日本テレビの「ホイホイ・ミュージック・スクール」でデビューし、楽器を使った ギャグでパンチのある笑いを送り出した。

 67年春、TBSの「ザ・ドリフターズ・ドン」に出演。69年、生中継番組「8時だよ! 全員集合」がスタートした。大がかりな舞台装置と体当たりのギャグが子どもたちの 圧倒的な支持を受け、「お化け番組」の異名を残した。同時に、「食べ物を粗末にする」 といった批判や、ストリップまがいの踊りなどで「俗悪番組」とも呼ばれた。 85年に「8時だヨ!全員集合」が終了した後は、映画やテレビドラマで渋い脇役と して精力的に新境地をひらいて行った。90年に黒澤明監督の「夢」、91年に山田 洋次監督の「息子」、98年の大ヒット映画「踊る大捜査線」(03年に続編)などに 出演した。

 03年5月、原発不明頸部(けいぶ)リンパ節がんであることを公表し、治療を受けた。 まもなく芸能活動を再開、精力的にドラマなどに出演していた。 (3/20 23:38)
<いかりや長介さん>通夜にファンら3500人参列

 20日に72歳で亡くなったザ・ドリフターズのリーダーで俳優、いかりや長介さんの通夜が23日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、植木等さん、立川談志さんら関係者や一般ファンら約3500人が参列した。

 式場には、ベースを手におだやかな表情をしたいかりやさんの遺影が掲げられた。一般ファンのための献花台と記帳所も設けられ、「8時だヨ!全員集合」(TBS系)などドリフのテレビを見て育った世代を中心に幅広い年代のファンの列が続いた。

 植木さんは「あまりにも元気だったのに……。仕事を工夫されているのがうれしかった」。また、堺正章さんは「自分のことで精いっぱいのこの世界で、いろいろなことを言ってくださいました」といかりやさんをしのんだ。

 東京都青梅市の会社員、坂本正樹さん(31)は「近くであった全員集合の公開放送に行き、楽しかったことを思い出す。そんなに俗悪な番組だとは思いませんでした」と話し、友人の奥隅恭子さん(28)は「いかりやさんは亡くなった父に顔が似ていたのでお父さんのような存在として見ていました」と語った。

 通夜が終わる午後8時には一部のファンから「全員集合!」の声が一斉に上がった。

 葬儀は24日午後1時から同所で営まれる。【油井雅和】(毎日新聞)



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