のらくろ

[1931-1941?]  田河水泡。少年倶楽部(戦後「丸」にて続編あり)。

◆売上

>(前略)単行本「巨人の星」の発行部数が三百万部を突破したンだって。
>戦前の「のらくろ」(現在復刻されたのと同じもの)が、百万部を突破して
>一世を風びしたっていうから、「巨人−」なんか、二世も三世も風びしは
>じめたわけだナ
>(COM 1969年12月号)

参考・戦前のGNP
1931〜35 名目182億9800万円 実質183億6600万円(35年基準)
1936〜40 名目368億5100万円 実質228億4800万円(35年基準)

 

◆ブーム

?戦前の軍の写真集で 軍旗祭(基地祭)のとき、子供向けサービスで、ゲートをのらくろにしていた部隊の写真があった。
当時は、非常にポピュラーな存在だったことは確か。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/database/lists/files/next_category_41232_4052.html
昭和6年から10年はのらくろが大ブームだったため、ハモニカや鉛筆など様々なものが作られた。

【子供の昭和史】
正確に言うと、昭和六年(1931)一月号の「少年倶楽部」が発売されたのは、日本内地では五年十二月であった。
この一月号に「のらくろ二等卒」のタイトルで野良犬黒吉の物語がはじめて掲載されており、以後平成に至るまで日本人は、どこかで「のらくろ」と顔を合わせてきたのである。
キャラクターとしての「のらくろ」の人気は昭和七年十二月「のらくろ上等兵」が発売される頃から急上昇を示し、十年代にかけて外来のミッキーマウスを圧倒するのらくろフィーバーを現出した。
全国大小の企業が新聞雑誌に掲載する自社製品の広告にのらくろを起用し、ブランド化することによって商品のイメージアップを図ろうとしたのである。
(略)「少年倶楽部」の「滑稽和歌」に”近ごろは角のそば屋の看板も・のらくろがそばを食べているかな”という一首が入選と言う具合だった。
ここの見開きに乗せた「のらくろ」入り広告の数々は当時のほんの一%ほどでしかないが、広告の商品が子供の本・レコード・おもちゃ・菓子類にとどまらず、衣料品・電気製品・雑貨にまで及んでいることに驚かされる。
(略)平成を迎えた今日、経済大国となった日本で大新聞の一面や、テレビCMにまで昔のままののらくろが「債券貯蓄」のイメージキャラとして一役買い、
「増やせ増やせの知恵比べであります」と一般投資家に呼びかけている。心を込めて「ごくろうさま」と言いたい。

「のらくろ」は表紙は布装、厚紙のケース入り、本文全ページカラー印刷で子供の本としてはびっくりするほど贅沢なのである。
(略)当時は漫画だけでなく、子供向きの小説なども全十巻のシリーズはほかに例がなかった。
世界名作全集などは別として、吉川英治の『神州天馬侠』や江戸川乱歩の二十面相ものが、それぞれ三巻に纏められた程度に過ぎなかった。
三巻でさえ異例だったのだ

 

◆知名度・浸透度・根強さ

http://bitjp.cool.ne.jp/kitte/menu320seiki.html
二十世紀デザイン切手に採用

メンコが映すヒーロー(2000/01/03)
http://www.yomiuri.co.jp/20th/kikaku/kikaku01.htm
 「メンコ」をテーマにデータベース化した証言者の総数は、
五十五歳から七十五歳と、二十歳前後の全国七百六十六人。
データでみるヒーローベスト10 【55歳〜75歳】 〈3〉 のらくろ

■実は「のらくろ」は、戦前と戦後の2度ブームを起こしている。
田河氏は大戦後に執筆活動を再開し、猛犬連隊の一兵士ではなく、相撲取りや植物学者として「のらくろ」が活躍する番外編を発表した後、雑誌『丸』(潮書房)にて戦前シリーズの続編連載もスタート。 その後、67年には戦前に発売された単行本の復刻版である「のらくろ漫画全集」(講談社)が発売され、 第2次のらくろブームを巻き起こした。
■第2次ブーム時には「月刊のらくろ」なんて雑誌もあった。
http://www.nifty.ne.jp/forum/fbook/ohanashi/fbookr/manga_seshun/09nenpyo3.html

 

◆周辺展開(アニメ・ドラマなど)

http://isweb4.infoseek.co.jp/cinema/chaplin/norakuro/nora_top.html
映画

No タイトル 製作会社 製作者 製作年 備     考
1  のらくろ二等兵 横浜シネマ 村田安司 1933(昭和8)年  教練の巻・演習の巻
2  のらくろ伍長 横浜シネマ 村田安司 1934(昭和9)年  
3  のらくろ少尉 不明 不明 不詳  日曜日の怪事件
4  のらくろ二等兵 瀬尾漫画映画研究所 瀬尾太郎 1935(昭和10)年  
5  のらくろ一等兵 瀬尾漫画映画研究所 瀬尾太郎 1935(昭和10)年  
6  のらくろ虎退治 芸術映画社 瀬尾太郎 1938(昭和13)年  

TV

No タイトル 製作会社 放映 備     考
1  のらくろ TCJ動画センター 1970(昭和45)年10月5日
〜1971(昭和46)年3月13日
 のらくろの声は
 大山のぶ代さんでした。
2  のらくろクン スタジオぴえろ 1987(昭和45)年10月4日
〜1988(昭和46)年10月2日
 初代のらくろ(黒吉)の
 孫が主人公でした。

 

◆社会的影響

?戦争してた時代に のらくろが紙を使いすぎるからということで発売禁止になりかけたって 話が漫画の歴史みたいな本でのってた。

http://www.era-jyutsu.co.jp/n_club/n_club01.html
江東区高橋(たかばし)商店街は、原作者の田河水泡さんが若い時に過ごした縁で、同区森下文化センターに1999年11月「田河水泡・のらくろ館」がオープンしたのを機に「のらくろーど」に変更。

 

◆漫画界への影響

?漫画界初の大ヒット。マイナーなジャンルから出て、メジャーな映画以上の人気を得たことで漫画の地位を上げた。

【子供の昭和史】
昭和6年1月  のらくろ開始
同7年  「のらくろ上等兵」発刊。ブーム始まる。「チン太二等兵(猿)」など亜流登場。
同8年  「しろちび水兵(白熊)」発刊。やがてのらくろに次ぐ(かなり差はあったらしいが)人気に。 のらくろ猿と大戦争。撃破。
同9年  「くんすけ小隊長(犬)」「ソラ出たのらくら大騒動(熊)」「漫画オリンピック(黒犬)」「コロコロ軍隊(豚)」「ゴリラ連隊(ゴリラ)」「たんたら漫画隊(狸)」など
     『機動戦記ガルダン』なみのパクリゴロゴロし出す。首から階級章ぶら下げるトコまで同じ。のらくろ、熊・ゴリラなどと戦争。撃破。

■漫画家すがやみつる氏のコメント
http://www.nifty.ne.jp/forum/fbook/ohanashi/fbookr/manga_seshun/07henshu2_3.html
 1969年の終わり−−世の中は、来年の万博ブームに浮かれていた。マンガの方でも、講談社の『のらくろ』をはじめとする豪華本がブームになっていた。
 この『のらくろ』の成功に気をよくして、講談社では、次々と、いろいろな豪華マンガ集を出版することになった。

 

◆海外への影響

特になし

 

◆独自性

特になし

 

http://www.charabiz.com/news/picup/00414.html
漫画家の故・田河水泡氏が、1931年に講談社の月刊誌『少年倶楽部』1月号で発表した「のらくろ」は、
野良犬の黒吉がブル連隊長率いる猛犬連隊に入隊し、失敗を繰り返しながらも出世していくというストー
リーで一大ブームを引き起こした。以降、第二次世界大戦中、内閣情報局より執筆禁止令を受けるま
での10年間、「のらくろ」は日本中の子供たちを魅了し続けた。

http://isweb4.infoseek.co.jp/cinema/chaplin/norakuro/nora_top.html
のらくろは戦後2回アニメ化されている。(70年代と80年代)
戦前はレコード化と映画化がなされている。(現在のアニメ化と同じ)
キャラクターグッズとしての影響力が大きい。
復刻版が何回も出ている。60代でのらくろを知らない人はまずいない。

○昭和六年に「少年倶楽部」に登場した「のらくろ」の人気も高かった。
「苦しい中で、勇気と知恵と行動力でがんばって出世していく。
二等兵から身を起こしたのらくろの出世が自分のことのようにうれしく、
階級が高いほどメンコのグレードも高かった」。長野市の公務員風間紀さん
(69)の回想だ。

○【戦前児童漫画の概観】
(略)昭和に入ってからは、「少年倶楽部」や「日本少年」などの一誌で数万、数十万の部数を売る月刊のティーンエイジャー誌がますます売れ行きを伸ばしてきていて、
本誌に漫画のページが設けられたほか、四大・八大付録つき等の特大号も年に数回、さらに正月・春・秋の臨時増刊まで加わった。漫画の別冊付録も毎号というようにメニューは盛りだくさんになるばかり。
(略)昭和一桁後半から十年代前半にかけての日本の子供漫画の(最初の)最盛期において、多くの作品に少なからぬ影響を与えたのは、ほかならぬ田河水泡とウォルト・ディズニーだった。
全く想像もつかなかった大当たりの「のらくろ」と昭和五年から日本の活動館(映画館)で見られるようになった「ミッキーマウス」の短編トーキーアニメは全ての漫画家志望者に、よしおれもとやる気を起こさせるに充分だったのである。(略)
さて、華やかに盛り上がった日本の子供漫画は、どうして衰退に向かったのか。
昭和十二年、蘆溝橋で日中両軍が衝突、戦火を拡大してから僅か一年にしかならぬ内に、政府は全国民を戦時体制に組み込もうとし、その一環として”児童読み物浄化”を打ち出した。
(略)この要綱を一口でいうと”児童の興味に追随する通俗読み物”を手厳しく取り締まる、と言う趣旨のものだ。(以下略)