『カリガリ博士』

 

1.はじめに

 初めに、ここで取り上げる『カリガリ博士』についての簡単な感想を書きたいと思う。私が『カリガリ博士』を見て抱いた感情は「凄い!!」というものだった。私は映画が好きでよく観に行くのだが、こんなに斬新な作品は初めて見た。『カリガリ博士』は1919年に制作された作品だが、今見てみると逆に新しいとさえ思える。この作品はサイレント(無声)映画で更に白黒、そこが今の映画にはない(表現的には少しおかしいが)目新しさがある。

 そしてドイツ表現主義を象徴した背景、登場人物(特にカリガリ博士)の不気味さが上記で挙げた作風と合っていてとても良かった。久しぶりに良い作品を見たなぁ、というのが素直な感想だ。さて、私の感想はここまでにして以降ではこの作品について、(主に時代背景・表現主義と絡めて)論じていこうと思う。


2.時代背景

 ここでは『カリガリ博士』が作られた1919年以前のドイツの時代背景について語ろうと思う。 ※以下は分かり易いように表でまとめた簡単な年表。

<ドイツ歴史年表(1914年〜1919年)>

1914年第一次世界大戦勃発。
1918年ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が退位・亡命し、ドイツ降伏。事実上の第一次世界大戦終結。
1919年ワイマール憲法成立。 ※『カリガリ博士』制作。

 ここで注目しておきたいのは、1914年〜1918年に渡って続いた「第一次世界大戦」について。この大戦以降、西欧諸国の衰退が始まる。このように『カリガリ博士』は世界大戦という非常に不安定な状況の中作られた。※これに関しては後の[3.ドイツ表現主義]と[4.登場人物]とに絡めて詳しく語る。


3.ドイツ表現主義

 『カリガリ博士』は作品中にドイツ表現主義という要素が至るところで使われている。先ずはドイツ表現主義について簡単に説明する。

(1)ドイツ表現主義とは?

 本題の「ドイツ表現主義」を説明する前に「表現主義」について少し触れるなら、「表現主義」というものは一般的に主観的な感覚を表現する芸術という意味で使われる。つまり目に見えるものをそのまま表現するのではなく、心に写る内面的・感覚的なものを表現する芸術である。「表現主義」のジャンルは幅広く、文学・音楽・美術・映画・演劇・建築、或は哲学にまで及ぶ(ドイツでは当時ニーチェの超人思想が芸術家たちに大きな影響を与えた)。

 「ドイツ表現主義」は特に人間心理の暗く、邪悪な面に焦点を当てているのが特徴。ドイツでは1910年以降、第一次世界大戦(1914〜1918)を経て1920年に最盛期を迎える。その後第二次世界大戦中ナチスの弾圧により衰退。

(2)表現主義が意味するもの

 『カリガリ博士』では背景(美術)、衣装、メイク、役者の演技に至るまで幅広く表現主義が取り入れられている。この作品ではこれらの表現主義が一体何を意味しているのだろうか? この作品を見ていると、デフォルメされたセット、役者のぎこちない動き、光と影の微妙な使い方にどこか不安定なものを感じる。

 この不安定さというのは、当時のドイツの時代背景を表しているのだと思われる。上記の[2.時代背景]でも挙げたように、ドイツは1914〜1918年にかけて第一次世界大戦を経験している。それらの大戦の不安定な時代をこの作品では表現主義という方法を用いて表している。

(3)表現主義である必然性

 これには色々な要素が考えられるが、主に以下のようなものが挙げられる。

(1)当時ドイツでは表現主義が全盛期を迎えようとしていた。[時代の流れ]
(2)反戦争的な内容なので露骨な表現は出来ない。[政府に対する警戒]
(3)サイレント映画ということを考慮し、視覚的な表現を強調した。[技術的問題]

 上記のことを考慮するならば、表現主義を用いるのは効果的である。


4.登場人物

 『カリガリ博士』には何名かの特徴的な人物が登場する。以下はそれらの登場人物についての簡単な考察と感想。

(1)カリガリ博士

 どこか不気味な雰囲気を漂わせるカリガリ博士。カリガリ博士はツェザーレ(眠り男)を操り殺人を重ねる。カリガリ博士は実は精神病院の院長であった。このカリガリ博士はまるで第一次世界大戦中に国民を操り戦争を推進した者のように感じられる。

(2)ツェザーレ(眠り男)

 カリガリ博士に操られ、殺人を犯す夢遊病患者のツェザーレ。ツェザーレはジェーンの美しさに心を奪われ、連れ去ろうとするが追われている内に谷に落ちて死んでしまう。カリガリ博士に操られ、殺人を犯すツェザーレは第一次世界大戦中のドイツ国民を表しているように思われた。

(3)フランシス

 自分の体験談(カリガリ博士の話)を語るフランシス。フランシスはカリガリ博士を精神病だと言っていたが、実は自分自身が精神病であり精神病院に閉じ込められているのだった。今まで語っていた体験談は全てフランシスの架空の話。この話でのフランシスの位置付けは「狂人」というものである。これに関しては[5.ストーリー]で詳しく語る。


5.ストーリー

 ここでは少し原作と映画のストーリーの比較をしたいと思う。原作(『カリガリ博士のキャビネット』)については資料が手に入らなかったのでごく簡単に触れておく。

(1)原作と映画の違い

 この作品の原作では、映画の冒頭と最後の部分が書かれていない。つまり、狂人であるフランシスの架空の話というものが原作では存在しない。原作は第一次世界大戦を非常に強く批判した内容であったようだ。ちなみに原作のタイトル『カリガリ博士のキャビネット』の「キャビネット」とは「箱」という意味である。これはカリガリ博士が夢遊病患者のツェザーレを入れている箱をさしていると思われる。  

(2)狂人が意味するもの

 上記で挙げたように原作では狂人であるフランシスの架空の話が書かれていない。では何故映画ではその架空の話を挿入したのだろうか? この作品でフランシスは精神病であり狂人である。そして今まで語った話はフランシスの妄想(架空の話)であったというのが映画のラストである。これは戦争に対しての二重の否定を意味している。

 説明するなら、第一にカリガリ博士とツェザーレにおいて第一次世界大戦中のドイツを間接的に表現、そして否定している。第二に今までの話は狂人フランシスの妄想ということで二重の否定をしている。これは「フランシス(狂人)の妄想=現実ではない」ということを意味する。つまり「フランシス(狂人)の妄想=現実ではない=有り得ないこと」として内容で語られている戦争に対しての強い否定をしている。


6.その後の影響

 ここでは『カリガリ博士』が後の作品に与えた影響を紹介する。この作品は1919年以降多くの作品に影響を与えている。ここでは「海外作品」と「日本作品」の二つに分けて論じることにする。

(1)海外作品

 挙げていくとキリがないほど多くの作品に影響を与えている『カリガリ博士』だが、ジャンル的には主にホラー(恐怖)映画に共通するものがあるように思われる。これは恐怖映画の持つ「不安」に対し、『カリガリ博士』が表現した「不安」が影響を与えているようだ。そして技術面(取り分け「影」の存在)でも多くの影響を与えている。『カリガリ博士』は1919年以降ドイツのサイレント映画(1926年制作『メトロポリス』他多数)だけでなく、アメリカのハリウッド映画(ヒッチコック作品など)にも影響を与えている。

(2)日本作品

 『カリガリ博士』は日本では1921(大正10)年に公開されている。当時の影響は大きく、文学では谷崎潤一郎「『カリガリ博士』を見る」や佐藤春夫「『カリガリ博士』を観て」で『カリガリ博士』について語っている。主に文学では犯罪小説に大きな影響を与えた。その他映画作品では1923年に溝口健二『血と霊』が制作されている。この作品は監督の溝口健二が『カリガリ博士』を見て強い影響を受け作られたものであり、舞台美術・衣装・メイクに表現主義が生かされている。


7.まとめ

 この作品のストーリーを考えていてある作品を思い出した。それは芥川龍之介の『河童』だ。この作品は芥川の晩年に書かれた作品で「これはある精神病院の患者、第二十三号がだれにでもしゃべる話である。」という冒頭から始まる。『カリガリ博士』の場合はフランシスが精神病患者であるということは最後になって初めてわかるというもので、芥川の『河童』とは少し違うのだがどこか通じるものを感じた。しかしこの作品においては芥川自身が『カリガリ博士』を見たとか、影響を受けたといったことを裏付ける資料がなかったので私の推測を脱しきれない。

 ただここで言っておきたいのは、「狂人」という存在についてである。谷崎潤一郎もまた「『カリガリ博士』を見る」で狂人について注目し語っている。私の今回のレポートでは表現主義や時代背景を中心に論じたものであって、狂人についてはあまり語られていない。もし狂人を中心にこの作品を語っていたなら、これとはまた違ったレポートが出来ただろう。


<参考資料>
J.ウィレット『表現主義』
S・S・プロウアー『カリガリ博士の子どもたち』
佐相 勉「1923 溝口健二『血と霊』」


<作品紹介>
タイトル:『カリガリ博士』
原作:『カリガリ博士のキャビネット』
制作:1919年・ドイツ
監督:ロベルト・ヴィーネ 
脚本:カール・マイヤー/ハンス・ヤノビッツ
出演:コンラート・ファイト/ヴェルナー・クラウス/リル・ダゴファー


<後書きと言う名の反省文>


BACK