寺崎マリコ


日米開戦の暗号に名前を使われた少女


 寺崎マリコは日本人とアメリカ人を両親に持つ、ごく普通の少女でした。美しい母と優しい父。地位も財産もある裕福な生まれで、マリコ自身も大変聡明な少女でした。
 太平洋戦争という不幸さえなかったら、マリコの悲劇もなかったでしょう。

 寺崎マリコの父英成は、ワシントンの総領事館に赴任した際、グエン・ハロルドという美しい女性に一目惚れをします。グエンも英成の実直な人柄に惹かれ、大恋愛の末二人は結婚。グエンは夫の祖国日本にやってきます。寺崎家は外交官の家系で、英成の兄太郎も外交官でした。
 昭和7年、優秀な英成は上海に赴任を命じられ、身重だったグエンを伴って大陸に渡ります。当時、日中関係は最悪に陥っていました。若き外交官は苦悩の日々を戦います。
 そんな中で、昭和7年8月23日。待望の第一子誕生。女の子でした。当時の駐華公使・重光葵は事の他喜び、名付け親を買って出ます。命名「マリコ」。マリコは父の祖国と母の祖国をつなぐ、大切な架け橋でした。

 マリコが物心をついた四歳の頃は、すでに日中関係は泥沼化していました。軍部は満州国樹立のために中国各地で諍いを起こし、中立であるはずの租界(各国が庇護し合う特別地域)にまでその暴挙を及ぼす有様でした。
 正義感の強い英成は、軍部と度々衝突を繰り返します。彼にとって、外交は外交の専門家達がやるべき事であって、銃を携えた軍人が出ることではなかったのです。
 話し合いは、秩序と礼節を重んじる。それが寺崎流でした。
 ワシントン勤務を命じられた英成は、小学生になったマリコとグエンを伴って、アメリカに渡ります。
 昭和十五年。忍び寄る戦争の足音に怯えながらの、行き詰まる駆け引きが日夜来る返されました。そんな中で、密かに英成と兄太郎との間で暗号が考えられました。キーワードは「マリコ」。

 「マリコの具合はいかがですか?」(日米関係はどうですか?)
 「マリコは大変悪いです。どんどん悪くなる一方です」(見込みが薄くなりました)
 「それはいけない。荻窪のオヤジが生きているうちに、良い医者に診てもらわないと」(近衛首相が辞職させられそうです。首相であるうちに改善しないと危ない)

 盗聴されても大丈夫なように、英成は娘を暗号に使ったのです。アメリカ当局のばれれば、妻子の身も危ういというのに。健やかに聡明に成長していくマリコは、父の苦悩を子供心に理解していました。

 昭和十六年十二月、悲しいことに戦争の火蓋は切って落とされました。アメリカに残れと説得しても、グエンは日本に行くといって聞きません。私の夫は日本人、神様の前で誓ったときから、どこへでも一緒に行くと決めたのだと。
 戦争中、田舎に疎開した一家に、世間の風はとても冷たかったのです。敵国の女と結婚した非国民と、合いの子の娘。そんな酷い中傷にも、グエンはひるみませんでした。国境があるとしたら、地図の上ではなく人の心にあるのだと思ったからです。足りない食べ物を探して山を歩き、山菜を摘み細々と食する日々。英成の健康は損なわれていきました。戦争を食い止めようとして、働きすぎたのです。神経も体力も限界でした。英成は、同じ世代の父親よりも、老けて疲れて見えました。


 悲しい戦争は、日本の敗戦で幕を下ろしました。もうこれで敵国人だからと、石を投げられなくても良いのです。堂々と、お日様の下を歩いて生きていけるのだと、マリコは喜びました。
 その直後、アメリカからグエンとマリコに帰国命令が来ました。

 別れの日。
 英成はつえを片手に、車の窓に張り付くようにして父の名を呼び続けた娘を、いつまでもいつまでも見送りました。グエンは涙を流したまま、振り返りませんでした。
 これが、今生の別れとなりました。
 まもなく、寺崎英成は波乱に富んだ人生を終えました。


 アメリカシリコンバレーに住む一人の老婦人。四人の息子を育て上げた良妻賢母は、マリコでした。結婚し、マリコ・寺崎・ミラーとなった今でも、両親の思い出の曲「懐かしのバージニア」を聞くと、セピア色の思い出に身を浸すことが出来ました。どんな苦しい時代でも、寺崎家はいつも明るかったからです。


 追記
 「マリコ」がドラマになったのは、昭和56年のこと。原作を読み終えたばかりの私には朗報でした。原作では留学の為に帰国したと思いますが、ドラマは少し違っていました。盛り上げる為の脚色も、多少は仕方がないのかも知れません。
 ですが、ドラマは予想以上の出来でした。ノスタルジックで、淋しげで。とても丹念に作られていました。今見ても見応えがあると同時に、寺崎一家に尊敬の念を強く感じます。杉原千畝だけでなく、こんなに立派な外交官がいたのだと感動しました。
 寺崎一家は、現在60歳以上の人には記憶のどこかにあると思います。グエンの書いた追想記が出版されてベストセラーになり、映画化されたことがありました。日本でも公開されました。邦題は「太陽に架ける橋」だそうです。
 でも、グエンはこの映画がメロドラマになっていたので、気に入らなかったそうです。グエンにしてみれば「愛した人が、たまたま日本の外交官だった」だけで、特別なことでもドラマティックなことでもなかったのかも知れません。