伝説の格闘家
No.1


        大山倍達
        ヒクソン・グレーシー
        芦原英幸
        塩田剛三
        富樫宣資
        アントニオ猪木
        中村日出夫
        澤井健一
        植芝盛平
        柳川昌弘










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大山倍達
言わずも知れた、戦後から現代までの格闘史に燦然と名を残した、「ゴッドハンド」「超人」 「昭和の宮本武蔵」と評される実戦空手家である。
全くの0から己の徒手空拳一つを頼りに、現在の世界的空手組織「極真会館」を作り上げた。

同氏の超人的技のエピソードは数多い。
代表的なモノは、手刀によるビールビンの首切断である。
その後、何人かの空手家などが、見真似で同技を披露しているが、大山氏のオリジナル技には遠く及ばない。

最盛期、同氏は何の仕掛けも無いビールビンを何本も並べ立て、端から順番にビンタを食らわすように連続してビンの首を吹っ飛ばしていったという。
勿論、ビンは何にも固定されていなかった。


ヒクソン・グレーシー
現在進行形の「伝説の格闘家」。
現役でありながら“伝説化”した格闘家。

VTという最も過激なルールの元で、400戦以上の無敗伝説を持つ格闘家。

その風貌は、悠然としていながら非常に人間味ある雰囲気を醸し出している。

真の強さとは、決してギラギラしたものではないと思う。
相手に対するむき出しの闘志は、一見強そうに感じるが、実は自己を鼓舞し恐怖感を押し隠す方法の一つに過ぎない。

ヒクソンは、何とも言えない“身体から滲み出るような闘志”を発散している。
それは、まさしく“オーラ”と呼ぶにふさわしい。

それは、ある意味“優しさ”を感じさせる。
「相手を傷つけず、自らも傷つかずして勝つ」。

しかし、そこにはまた、“死”をも畏れぬ不動の覚悟が感じられる。
そのオーラは、相手を覆い包み、何時の間にか自分のペースに引き込み、相手の力を吸い取ってしまうのである。

“達人の境地”、VTという最も過激なルールの元、伝説を現実化している「格闘家」。
それが、ヒクソン・グレーシーである。

芦原英幸
ご存知「ケンカ十段」!

極真実戦空手の歴史でも、これほど実戦(ケンカ)を極めた弟子はいなかったと思われる。
ドロドロしたケンカ(修羅場)の世界を渡り歩いて来た芦原氏のエピソードは、なぜか、さわやかでユニークである。

「あの〜、ケンカ買ってもらえますか?」
「俺の目にジープ走ってるかー」

といった実戦名言を残している。

しかし、そのユニークさとは裏腹に、実戦経験は凄まじい。
暴走族数名を一瞬の内に叩きのめし、近所のそば屋でソバを食う。
そこへ駆けつけた警官に「あー、俺がやった」
即、逮捕。
警察署での取り調べ中、「あー、名前は佐藤総理大臣です」
業を煮やした警官が、芦原を椅子に後ろ手に手錠をかけて、ボディーに制裁のパンチ。
カッとした芦原は、手が出せないから頭を出した。
頭突き一発!「バコーン!」
ボディー打ち警官はふっ飛ばされた。

塩田剛三
まさに達人と呼ぶにふさわしい人物。

日本人としても小柄で細身な体格。
高齢であるにも関わらず、威風堂々としたたたずまい。

足の親指で、相手の足の甲を踏むだけで、相手は身動きできず悶絶する。
相手の突進を、背中でひょいとヒネルだけで投げ捨てる。
4人の大人を一度に1人で押え込む。

前に前田が塩田氏の道場を訪れ、立ち間接技の手ほどきを受けた際、どうも相手にうまく間接技が決まらない。
すると、塩田氏が後ろからソッと前田の腰をヒネル、すると、とたんに相手はウッと悶絶。

塩田氏は、「力が見える」という。
即ち、普通の人間には、複雑な力の加わり方は分からない。
まして、常に動き回っている格闘技において、相手の力の方向、強さを知る事は不可能に近い。

もし、塩田氏の言うように、“力が見えた”なら、如何に相手が多くて複雑な動きをしようとも、その力のベクトルの先端をちょっとコントロールするだけで、相手を自由に操る事が可能となるのかも知れない。

富樫宣資
空手という武道を完成した空手家である。

同氏について、誇大妄想的な人物だと言う人も多いが、私が同氏の理論を読んだ限りにおいては、素晴らしい理論であり、それを本当に完成させたとすれば、まさしく富樫氏は天才空手家である。
また同氏は、口先だけの理論家と違い、己の身を持って実践し、その技術を身に付けている。

空手に関しては、全くの素人でありながら、自己流で身体を鍛え上げ、極真会館の全日本大会に挑んだ。
そして、ついには同大会で、岸信介氏(第1回世界大会出場)という極真本部指導員までもKOして、ベスト5位に入った。
同大会での富樫氏の戦い振りの凄まじさは、佐藤俊和氏(第9回?全日本チャンピオン)もその著書で述べている。
また、同大会に出場していたムエタイの強豪選手が富樫氏に対し敬意を表する態度を取ったり、かのケンカ十段芦原英幸氏も「第5回大会の優勝はあなたですね」と本人に直接語ったとされている。

この大会において、富樫氏は体力や攻撃だけに頼った空手の限界を察知し、真の空手(武道)の極致(受けの世界)へ目覚める。

「受即攻」への道である。

アントニオ猪木
“燃える闘魂”
このキャッチフレーズで、近代格闘技界で一世を風靡したエンターティメンターである。

猪木の試合は、純粋な格闘技というよりも。かなり脚本化されたショー的要素を多分に含んでいる。
しかし、それは単純に「八百長」などという代物ではない。
猪木が、自身の肉体と精神を限界近くまで酷使して、自らが演じ上げたアートと言える。

また、それは実際の格闘技の実力無くしては、演じきれるものではない。

現代の総合格闘技の原型は、猪木の過激なプロレスにあると言っても良い。
グランド、関節、絞め、投げ、打撃、これらをバランス良く使いこなせ、且つ、強靭な精神力を有する猪木は格闘家としても超一流である。

ブラジル移民時代に過酷な重労働で得た不屈の精神力と肉体。
その精神力は、試合自体よりも本当の苦しみと言える「練習」の場で、いかんなく発揮されたと思われる。

巡業先の試合会場の一角で、黙々と独特の腕立て伏せに励む猪木の姿が目撃される。
始めは単純なウォーミングアップかと思われたが、いつまで経ってもそれは続く。
10分・・・20分・・・30分・・・40分・・・1時間。

猪木の華やかの試合の影には、無限の汗が隠されている。

また、有名なモハメド・アリ戦前の練習で、猪木は日本人元ボクシング世界チャンピオンガッツ石松とスパーリングをこなした。
ヤクザ7〜8名を路上でKOしてのけた逸話を持つガッツ石松も、その気性の強さは天下一品であるが、その石松が猪木とリングでにらみ合った瞬間、思わず肩がすくんだ。

猪木の眼から発散される“凄まじい気迫”!!
「あの猪木さんの気迫があれば、何も怖いものは無いだろう」
と言わしめた。

中村日出夫
“振り下ろされた拳に魂がこもる時、それはまさしく鉄拳となる!”
日本空手界の生きている伝説、それが拳道会総師中村日出夫氏である。

極真空手第5回全日本チャンピオン、慮山初男氏が師事し、故大山倍達氏も「中村先生」と敬意を込めて評していた人物である。

現役バリバリの日本チャンピオンになる直前の慮山氏が、中村氏と組手を行い、当時既に50歳くらいであった中村氏に一瞬にして倒されたのである。
「中村先生は、私とはスピードがぜんぜん違う」
と慮山氏をして言わしめた。

同氏のエピソードは、まさに活劇の世界を地で行く。
徒手空拳で、単身暴力団事務所に殴りこみ、刃物を持った複数のヤクザ者を全員血祭りに上げたという。

同氏独特の試し割りは、現在でも演武会で行われている。
短い角材を持たせた相手にスタスタと近づいた同氏は、ノーフォームからいきなり正拳、手刀、蹴り、等を繰り出す。
その瞬間、角材はまさにスパッと“切れる”のである。
さらに、2つに折れた角材を重ねて持たせ、再び4つに切るのである。

同試し割りの持ち役をした前田日明も「ほとんど衝撃を感じなかった」と語っている。

まさに“神技”と言える。

澤井健一
大気拳創始者。

空想の世界でしかなかった中国拳法伝説の秘技“気”の力を現実の格闘技に体現した武道家である。

気の力は、通常の肉体的パワーと違い、年齢による衰えが無いという。
澤井氏自身、60〜70歳の高齢にもかかわらず、現役極真空手のトップクラス選手を相手取り、ノールールで手玉に取るという快挙を成している。

澤井氏は、40〜50歳の頃、当時まさにノールールを地で行っていた極真会館(大山道場)を頻繁に訪問し、安田、芦原、といったトップクラスの強豪と組手を行っている。
一度だけ、安田氏に前蹴りでKOされたのと、芦原氏に顔面パンチを許した(寸止め)以外は、常に黒帯を相手に翻弄していたという。

その後、年齢と共にますます“気の力”は磨かれたのか、当時敵無しと言われた2メートル近い強豪外人カレンバッハを組手で何度もねじ伏せ、慮山初男氏共々弟子入りさせている。

大気拳に型は無い。
「立禅」 「這い」 「練り」と言った単純動作の繰り返しから生まれる“気のパワー”は、無限に変化し、形をとどめない。

また大気拳には蹴りも無い。
究極の戦いには、蹴りは非実戦技となる。
この点は、極限の空手を自称する無門会空手代表富樫宣資氏とも共通するところである。

植芝盛平
今世紀最大の武道家。

達人の中の達人。
合気道の創始者。

現在、総合格闘技なるものが流行しているが、同氏の合気道こそは、全ての武道を総合した“総合武道”とも言えるものだった。
立ち技、組技、寝技、打撃、間接、締め、投げ、武器術、等々。

同氏も若かれし時は、相手の手足をへし折るような、力に任せた強引な技を用いていたという。
しかし、いつしか技は円熟され、次第に芸術的とも言える動きへ昇華される。
そしてついには、相手に触れるか触れないかの瞬間に吹き飛ばし、地面に叩きつけるという「神技」に至る。

“武産合気”

同氏を知る人によれば、同氏の最も驚嘆すべき点は、単に技や動きではなく、その“眼光”の凄まじさにあったという。
人の心の奥の奥まで見通すような“眼光”こそは、人間離れした神人とも言えるものであったという。

同氏の直弟子、故塩田剛三氏は修業時代を述懐して語っている。

「山で合宿した時、暗闇の中で突然、先生は真剣(白刃)を抜き、『向かって来い』とおっしゃった。 暗闇の中で真剣で相対する恐怖はたとえようもない。 お互いが額に巻いた白い鉢巻きのみを目印に、がむしゃらに斬りかかったところを先生は、まるでハッキリと見えるかのように見事に捌かれ、一瞬、剣先を私の額めがけて振りかぶった。 剣風が額をよぎり、額の鉢巻きがハラリと切り落とされた。 額にはかすり傷も残らなかった。 まさに神技としか言いようがなかった」

柳川昌弘
空手の本質(空手の理)を体現した異能の空手家。

柳川氏は、特別な武勇伝こそ有し無いが、その存在こそが武勇伝かもしれない。
人並み以上の体力を有するのが「最強」足る条件だとすれば、柳川氏はまさに「異能の最強」。
人並み以下の虚弱体質だった同氏は、身体を鍛えるだけでようやく一人前。
そこから「最強」への道は遥か彼方か?
しかし、さにあらず!「最強」は体力にあらず!

パワー、スピードのみに囚われた時、格闘家は「強豪」への道を歩む。
自然体、心の世界に目を向けた時、格闘家は「最強」への道を歩み出す!

「一芸は万芸に通ず」
一芸の本質を掴んだ時、それは全ての道に繋がる。

受動筋力、観の目、真の先手は先手にあらず後手にもあらず。
空手の本質(空手の理)は、全ての格闘技の本質でもある。

現在同氏は、自身の所属する全日本空手道連盟和道会に留まらず、「日本伝・二聖二天流柔術憲法」なる新体術(総合武道)を創設している。