
アスタカ・フットボール・クラブ沿革
1-80年代初め、KL日本人社会がまだ小さかったころ、
日本人の子供達のリクリエーションが殆どなかったことから、
親達でサッカーをやっていた有志が集まって、週末子供達に
サッカーを教えはじめた。これがアスタカの発祥である。
そのころは、日本人会所属のスポーツ部ではなかった。
2-練習場所が、PJヒルトンのすじ向いにある通称
「アスタカ・グランド」だったので、いつのまにか名称が
「アスタカ・サッカー部」と呼ばれるようになった。
「アスタカ」というのはマレー語で「吊りテント
(昔、イベントの時に英国の王侯貴族のために設営した
テント)」を意味している。
注:ちなみにアスタカのワッペンの小さい鷹
(に、見えますよね)は、「アスタカ」を、将来大きく飛躍する、
つまり「明日鷹」になる子供達をかけています。
その後ろにある怪しげなテントは、「アスタカ」の本来の
意味である吊りテントです。
このワッペンのデザインは、むかしサンリオのデザイナーだった
山森さんの奥さんにボランティアで作成いただいたものです。
ついでに飛躍すると、低学年の部員の練習着のデザインは、
95年ころの部員だった子供達にデザイン公募をかけ、
そのとき5年生だった早川君がデザインしたものを採用した
手作りの練習着です。
3-80年代は、週末に集まって練習するだけで、定期的な
対外試合は全くなく、不定期でたまに対外試合をするだけであった。
80年代後半に部員数が100名を超えてきたので、1年に
一度のイベントとして「Japan Club Cup」を毎年3月に始めたのが、
1989年か90年のことである。