VT信管資料集    CPU.BACH

NHKスペシャルのTV番組を契機にしてSIGで議論が沸騰したVT信管(近接
信管)について、主としてUSAのhamの同好者(と言っても面識のない方ばかり)
が、奇特にも資料をあれこれ送ってくれました。 改めて整理して、保存に供したい
と思います。 断片的な情報は除いたので、関心を持たれた方は、エレライフの広場
のLOGもご参照下さい。

図面の資料は、回路図と、VT信管の構造図、それに原理の説明図となっています。

以下は、’93年6月のある日にSIGに書いたものです。

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USAの奇特な人から、また別の資料を入手しました。 細かい技術的な情報は増え
ませんが、全貌を説明した資料としては意味がありそうなので、翻訳を試みたもので
す。 なにぶん、1945年の記事なので、まだ多少愛国心に訴えかける風の記述も
あって、多少の抵抗感がありますが、とにかくよくもこんなすごい開発をしたものだ
と、再び感じさせられるものがありました。
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 0.5リットルのミルク瓶ほどの大きさの秘密兵器は、日本が捨てばちで最後の抵抗をした
期間において、米国海軍の戦いで最も有効な勝因の一つであった。この「砲兵隊の夢」
は、砲弾が鉄機に被害を及ぼせる距離に接近したらすぐさま薬莢を破裂させる信管で
ある。
 この開発品は、公式には「無線近接信管」として知られ、近接信管,誘導信管,
VT信管(VTはvariable timeの略)とも呼ばれる。極秘のうちに開発されていた時期
には、また「プロジェクトA」、「マダムX」、「バック・ロジャース」あるいは「ポジ」とも
呼ばれていた。

 この信管は、3インチ(76mm)薬莢の先端にとりつけ可能な大きさで、非常に頑丈に
作られた5球式送受信器である。この信管を装備した砲弾が、敵機から70フィート(約21m)
以内に接近すると、小型送信器から発射された電波が反射してきて薬莢を破裂させる。
この信管は、水面や地面さらには金属物体での反射波は、薬莢と物体との距離が接近す
るにつれて増加する原理を応用したものである。反射波の強度があらかじめ決めた値よ
りも強くなると、信管が作動して装薬を爆発させる。

 この種の信管は、相手に最大の被害を与えられる位置で起爆するのが理想的である。
接触形や時限形は、相手が高速で動いている物体の場合には特に不正確である。
互いに離れて高速で飛んでいる飛行機を狙うときには、飛行機の近傍で起爆する方法が
実用的である。

[信管の製造]
 この近接信管の基本構成部品は、以下のものである:
(1)補聴器に使用される小型真空管と同型状のもので、発射時の衝撃に耐える構造に
  改めたもの。
(2)電源を供給する小型電池。
(3)発射されてから安全な距離離れるまでは起爆させないための安全装置。

 送信器の発振回路は高周波を発生する。標的が接近すると、信管から発射した送信
電波の一部が標的で反射されて信管に戻り、ここで送信波と反射波の干渉によるパルス
が発生する。この信号は信管に内蔵された低周波増幅回路で増幅され、薬莢の起爆を
行うスイッチとしてのサイラトロンに入力される。薬莢は、ダイナマイト・キャップに
類似した電気式の起爆装置である。標的が接近して得られるパルスでトリガされたサイ
ラトロンのプレート電流は、電気式の起爆装置が補助裂薬を爆発させるのに十分な値ま
で増加する。その結果、薬莢に詰められた爆薬が爆発することになる。信管の断面を写
真(略)に示す。

 初期の近接信管は、カナダの会社の協力によって英国で開発された。これはマイカ
(雲母)を積層した構造の4極管で作られていた。その後、遠心力発生機を用いた試験
やアバディーン試射場での発射試験が行われ、この信管は20,000G(重力加速度の20,000
倍)の衝撃に耐えることが確認された。20,000Gというのは、砲弾が砲口から発射される
ときの衝撃に耐えるために必要な条件である。しかし、この信管は形状が大きく、増幅
度も低かったため、即座には近接信管用として採用されなかった。

 図1(略)に示した真空管は、一見すると普通の球に見える。何気なく見ただけでは
驚くほどの違いに気づかないが、実際の使用状態でのマイクロフォニックノイズを抑圧
するために頑丈に作る必要があるので、個別の部品や材料は発射時の衝撃に耐えられる
ように注意深く設計され、試験されたものであった。1億3千万本もの真空管が、5年
間に製造された。言いかえれば、当時の米国の人口一人あたりに一本ずつの真空管が作
られたことになる。真空管の製造は極秘であり、製造会社の従業員は、レーダや補聴器
用の真空管を作っていると信じていた。しかし、ときには従業員達も米軍の士官や兵士
には、これほども大勢の耳の不自由な人たちがいるのかと思ったことだろう。

[電池]
 電池も、もう一つの主要な開発課題であった。当時の電池は、保存寿命が3〜4ヵ月
しかなく大きな問題になっていた。このため、乾電池の開発と並行して、数年以上の保
存寿命を目標とした蓄電池の開発も行われた。そのためには、革新的な電池の設計と製
造方法が必要であった。保存寿命を伸ばすのも重要であったし、小口径の時限信管とし
ても使えるためには、電池の小型化も重要であった。National Carbon社の開発品は、
乾電池をやめて、電解液をガラス容器(アンプル)に封入しておく方式であった。この
方式の電池は、発射時の衝撃でアンプルが壊れ、電解液が電極の間に流れ込んで電池と
して動作し始めるというものであった。

 1941年に最初の試作品のテストが行われた。このテストの第一の目的は、小型の
薬莢に封入した発振器を発射し、結果を見るというものであった。薬莢が飛んでいる間
地上の受信器で発振器の電波をとらえることにして、願わくは薬莢が着地した後も電波
を受信することになっていた。

 10日後、発振器の電波は、着地してから半分地面に潜り込んだ状態でも、受信可能
なことがわかった。これほどに高感度で敏感な部品では、暴発や砲口から発射されると
きの衝撃による誤動作が懸念された。そのため、従来の時限信管や近接信管以上の取扱
い上の注意や、安全装置が工夫された。起爆装置は小さなダイナマイト・キャップによ
るものであったため、動作状態になるまでは電極を短絡しておくのが、安全策として有
効であった。このキャップは雷管と呼ばれていたが、内部抵抗が2〜7Ωと低いもので
50〜100mAの小さな電流で起爆するものであった。従って、安全装置は極力低い
抵抗値で電極を短絡しておく必要があったし、機械的にも安定で、経年変化によっても
抵抗値が増加しないように配慮された。当初の安全装置は、導線を電極間にはんだづけ
して作られていた。砲弾が発射された後にこの導線を切断して雷管を作動させるしくみ
になっていた。その後の改良によって、発射されるときの衝撃を利用して導線を切るも
のや、時限式の装置で短絡を解除するものも現れた。

 信管に内蔵された安全装置の他に、信管の土台の部分には予備の起爆装置が内蔵され
ていた。この起爆装置は、遠心力を利用して正規の場所からずれてしまった爆薬を移動
し、雷管を使って爆発させる機構を有していた。発射時に爆発しないための時限装置は
二種類に大別される。一つの方式は、一定の時間だけ遅らせて回路を動作させるもので
普通は、0.5秒程度の遅延時間を設定していた。もう一つの方式は、水銀を接点に用
いたスイッチで、これは砲弾の回転周期を検出して短絡している回路を開放するもので
あった。このスイッチには、同軸状の二つの部屋が設けられ、中心の部屋には水銀が充
填されて雷管を短絡させていた。外側の部屋は、普通は空になっていて、砲弾が回転を
始めると徐々に水銀が入り込む構造になっていた。二つの部屋は小さな穴のあいた隔壁
でしきられていた。このスイッチは、側面を砲弾の後部に向けて固定された。砲弾が回
転すると、当初電極を短絡していた水銀は、穴を通って外側の部屋に入り込み、遂には
中心の電極と砲弾の外壁とが電気的に開放されるしくみであった。遅延時間は、穴の数
と砲弾の回転周期で決定された。

 信管が不良の際には、砲弾を自爆させるための薄板式回転スイッチも設けられていた。
このスイッチは、絶縁された金属円筒の中に、片端を埋め込んだ伸縮性のある金属薄板
でできていた。このスイッチは、遠心力を受けない限り、閉じている構造になっていた。
このスイッチは、砲弾が停止状態では起爆用のコンデンサを放電させておくような回路
に接続してあった。起爆用のコンデンサは、サイラトロンが動作したときに、雷管が起
爆するのに十分な電流を供給するための部品である。砲弾が発射されると、遠心力によ
って回転スイッチが開放され、起爆用のコンデンサに充電が始まる。この状態では、暴
発を防ぐ役目は水銀スイッチが果たすことになる。回転が遅くなると遠心力が減少する
ので、回転スイッチが再び閉じる。この頃には、水銀スイッチの水銀は外側の部屋に移
動しているので、このスイッチによる安全装置は解除状態になっている。回転スイッチ
が閉じた瞬間に起爆用コンデンサが放電して、雷管が爆発する。雷管が爆発すれば、後
は自然に爆薬全体が爆発することになる。

 これに加えて自爆装置として設けられていたのは、近接信管が不良になって砲弾が地
上に落ちた際に、強制的に爆発させるための衝撃装置であった。この装置は当初、近接
信管が故障して動作しないことを懸念して設けられた。砲弾が発射されたときには、す
さまじい加速度が中の部品にかかり、1オンス(28g)の小型真空管が理論的には、
250ポンド(113kg)にも感じられるほどである。信管の故障は頻繁に起きてもしかた
がないと、当初は考えられていた。

 近接信管がヨーロッパに登場したときには、米海軍には精神的な高揚をもたらし、同
時に一方のドイツ空軍には、対照的な退却をもたらした。ドイツ空軍機は、突然飛来し
また突然いなくなった。この消滅の主たる要因は、VT信管によるものであった。

 近接信管の発想は、何も特別なものではないとも言える。現に英国では、ドップラ効
果を利用し、導体の接近による放射抵抗の変化を利用した近接信管を開発していた。
さらに、押収されたナチスの記録には、ドイツでも静電容量を利用した近接信管の開発
を1930年代の早いうちから進めていたことが記されていた。これらの発想を生みだ
そうとすることと、その発想に基いた現実の装置を大量生産することとは、大きな違い
がある。我々(米国)は、それをやったのである。

 これらの開発を実行した人たちに感謝を捧げるべきであろう。軍服を着て第一線で戦
わない理由を知人に説明することもできず、製図板に向かっていた人たちに。

(出典:Radio Craft, December, 1945: Courtesy of W8KBF)