歴史から学ぶ

京都に深入りしてはいけない 16/12/23


参考書籍
京都ぎらい
井上章一 著 朝日新書 2015年12月10日発行

洛中の京都人は排他的だ。
洛外の人は、よそ者だ。
京都に住んでいるからと、京都人と名乗ったらとんでもないことになるかもしれない。
著者は、京都市右京区花園生まれで、嵯峨育ち。
学生時代、印象深い思い出を持つ。
西陣の旧家の人から、嵯峨育ちを田舎者扱いされた経験がある。
その体験が、建築家から文筆家への変身の原動力となる。

京都のイケズは辛辣だ

著者が、西陣の旧家の住人に嵯峨出身と答えると、その住人は、著者に次のように告げた。 「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへ、よう肥をくみにきてくれたんや」 京都市上京区で開催された、プロレスで、京都市宇治出身の悪役プロレスラーが、 故郷に帰って来たと、マイクで挨拶した時、次のヤジが飛んだ。 「宇治のくせに、京都というな」 東京、大阪資本が、京都に店をかまえると、京都の町衆は、次のように話題にする。 「でも、あの店、外資系やで」 よそ者は、しばしば、外国人扱いされるらしい。

お寺の拝観料

京都のお寺の拝観料は高いと思う。 しかし、堂屋や庭園など、寺の美しさを取り戻すのに、使われているようだ。 著者によると、1970年代以降、土壁、生垣が目に見えて修繕されてきたらしい。 拝観料は、建物、庭の維持、再生に貢献していることは、事実である。 大工、左官、庭師が、寺の仕事を請け負うことになる。 その結果として、伝統的な建築術、作庭術の継承に役立っている。 したがって、次が言える。 江戸時代、寺の堂屋や庭園の美化と洗練について幕府がになった。 しかし、現在、拝観客が、その役割を担っている。