TOKYO 【 光 の 球 場 】 STADIUM

東京スタジアム(東京球場)

 

このページは荒川区役所4階広報課より無料レンタルされている「ラブコール・東京スタジアム」というビデオを元に構成しました。以下の原稿と画像をご覧になりビデオをレンタルしてみてたいと思った方は、ぜひ荒川区役所4階広報課に行ってみてください(ページの最後にマップが掲載)。

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「光の球場」。何て響きのいい言葉でしょうか。かつて、オリオンズのホームグランドだった「東京スタジアム」のキャッチフレーズです。オリオンズが「LOTTE」を名乗ったのは、1969(S44)年です。この年から、管理人(少年)は東京スタジアムに通い始めました。そして、その翌年、1970/(S45)年にロッテ・オリオンズがパ・リーグの覇者となったその日…。 少年は歓喜の東京スタジアムのグランドに乱入し胴上げに参加しました。以来、私の心の奥底に「L・O・T・T・E ロッテ」の文字が刻み込まれています。

それは突然やって来ました。東京スタジアムから「LOTTE」がいなくなる。しかし「LOTTE」は時と共に、仙台、川崎と移転を続け、ファンを作り夢を与え続けました。そして今、「LOTTE」は千葉ロッテマリーンズとして、ファンと共に千葉マリンスタジアムで光り輝いています。

したがって管理人は、毎日・大毎・東京オリオンズ時代を知りません。また、仙台は準フランチャイズであり本籍は東京あったというご指摘もあります。しかし、それは仙台のファンの方々にたいへん失礼なことです。当サイトでは、あくまでも仙台を準でなく正式なフランチャイズ先と位置付けしております。



東京スタジアムの真上からの画像。両翼90m、中堅120m。右・左中間のふくらみがほとんどないのがわかる。東京スタジアムのホームランは今の球場の広さで考えると、深い外野フライでアウト! てなケースになってしまう打球もあります。

当時の正捕手醍醐も「配球がむちゃくちゃ難しかった」とビデオ中でも証言してます。わかる気がしますね。これじゃ低めにボールを集めるしかありません。村田兆治のフォークボール誕生は、案外と東京スタジアムの狭さがきっかけになっているのかも…。 小山のパームボールは阪神とのトレード(相手は山内)で、この球場にやって来て開発された魔球です。


東京スタジアムのモノクロ画像。ノスタルジックな雰囲気がいい。民家の屋根が下町を感じさせてくれる。まさしく「下町の太陽」東京スタジアム。

鉄塔式と違ったキャンドル(支柱)式の外野照明灯。当時は北千住駅から南千住駅に向かう電車の車内から、東京スタジアムの中・上部と照明灯の光りが見えた。今でも覚えています。この輝きに胸が踊らされワクワクしたことを。
「光の球場」の由来はまさしくこれ。隅田川の川面にも映し出された強烈なナイター照明が下町の人々を「光の球場」と呼ばせた。


東京都荒川区南千住6丁目45「東京スタジアム」は、今、荒川総合スポーツセンター(写真の白い建物)としてスポーツを愛好する人々に親しまれております。この写真アングルは、かつてバックススクリーンがあった付近から撮影しました。今と昔とでは、ホームベースの位置が逆転しています。ちなみにグラウンドはもう1面あります(写真左側の切れた部分)。

【東京スタジアム跡地と荒川区役所のマップ】