「名馬にして名種牡馬」 ネアルコ Nearco


魔術師がつくった無敵の名馬

 ダンテ Dante とサヤジラオ Sayajirao の父ネアルコ Nearco は、「ドルメロの魔術師」の異名をとった天才馬産家フェデリコ・テシオ Federico Tesio 氏が生産した、歴史的な名馬です。通算成績は14戦全勝。とりわけ無敗馬を好む私たち日本人にとっては、溜息の出るような数字ですね。
 もちろんその内容も濃いもので、2歳時は伊グランクリテリウム、異世代相手のキウスラ賞などを制し、7戦不敗。3歳になると、地元の伊2000ギニーを6馬身、エマヌエレフィリベルト賞を3馬身、伊ダービーを大差、イタリア大賞を3馬身の差で全て圧勝し、イタリア史上初のクラシックレース全制覇を達成します。さらに古馬相手の伊最重要戦ミラノ大賞を3馬身差で勝ったそのわずか6日後、36時間の列車輸送を敢行して挑んだパリ大賞では、英ダービー馬ボワルセル Bois Roussel(シンザンの祖父)や仏ダービー馬シラ Cillas などを蹴散らして欧州3歳馬の頂点に立ったのです。
 このレースで前年ドナテロ Donatello の雪辱を果たしたテシオは、すぐにこの馬を60,000ポンドという高額でイギリスのブックメーカーに売却し、大いに面目を施したのでした。ちなみに、トレーサリー Tracery の米→英トレードが50,000ポンドですから、これは当時サラブレッド取引の史上最高価格。

 その上、Nearco は種牡馬入りしてからも話題を振り撒き続けました。その種付け料は初年度からハイペリオン Hyperion やフェアウェイ Fairway らと同じ400ギニーに設定されていたにも関わらず、受付開始から2時間で向こう3年の種付け予定が一杯になってしまったというから驚きです。
 しかもそれほどの期待に対し、Nearco は充分応えるだけの成功を収めました。1947年から3年連続英リーディングサイアーに輝いた実績は、大種牡馬と呼ぶに充分なものです。そして前項でも述べたように、Nearco から発生したサイアーラインは、今や世界中の血統を塗り変えるまでに至っています。
※ これらの情報が現代の私たちに与えるイメージとは裏腹に、Nearco の初年度産駒はたったの12頭、種付け頭数でさえ18頭に過ぎませんでした。…こんな所にも当時の馬産の姿がうかがえますね。
 それでいてナスルーラ Nasrullah(言わずと知れた後の大種牡馬)やレディシビル Lady Sybil(Lady Angela の半姉!)を擁したこの世代が、2歳時から大活躍、父 Nearco を早くもサイアーランキングの4位に送り込み、以後の成功を決定付けたのです。この時、強気の種付け株はさらに4倍近くに高騰しています。
 種牡馬としての Nearco が強力なライヴァルを圧倒していった1940年代当時の様子については、別項冒頭の表を参照して下さい。
 しかし種牡馬としては素晴らしい力を発揮した Nearco の息子たちも、クラシックを勝つような当時一流の競争成績をおさめた馬となると、実は案外見当たらないものです。終始イギリスのサイアーランキング上位に名を連ねていながら、牡馬のクラシックはわずかに*ニンバス Nimbus (グレイソヴリン Grey Sovereign の半兄)Dante & Sayajirao の3頭だけが制覇しているに過ぎません。
 その理由としては、テシオその人が「彼は真のステイヤーではない」と言明したように、Nearco は比較的スピードの勝った配合だった、ということが考えられます。それだけに自身がクラシックを制し、種牡馬としても代々クラシック馬を輩出する Dante 系は、それ自体貴重な存在だと言うこともできるでしょう。事実、テシオ自身が Nearco の血を用いて生産したのは、後にも先にも Dante 産駒トゥールーズロートレック Toulouse Lautrec ただ一頭です。

Nearco 1935 牡 黒鹿 / FNo. 4-r / Nearco 系
Pharos
1920 黒鹿
Phalaris
1913 黒鹿
Polymelus
1902 鹿
Cyllene
1895
Bona Vista Bend Or
Arcadia Isonomy
Maid Marian [F3-f]
1886 黒鹿
Hampton Lord Clifden
Quiver [F3-e] Toxophilite
Bromus
1905 鹿
Sainfoin
1887
Springfield St. Albans
Sanda Wenlock
Cheery
1892 黒鹿
St. Simon Galopin
Sunrise Springfield
Scapa Flow
1914
Chaucer
1900 黒鹿
St. Simon
1881 鹿
Galopin Vedette
St. Angela King Tom
Canterbury Pilgrim
1893
Tristan Hermit
Pilgrimage The Palmer
Anchora
1905
Love Wisely
1893
Wisdom Blinkhoolie
Lovelorn Philammon
Eryholme
1898
Hazlehatch Hermit
Ayrsmoss Ayrshire
Nogara
1928 鹿
Havresac
1915 黒鹿
Rabelais
1900 鹿
St. Simon
1881 鹿
Galopin Vedette
St. Angela King Tom
Satirical
1891
Satiety Isonomy
Chaff Wild Oats
Hors Concours
1906 鹿
Ajax
1901 鹿
Flying Fox Orme
Amie Clamart
Simona
1893 鹿
St. Simon Galopin
Flying Footstep Doncaster
Catnip
1910 鹿
Spearmint
1903 鹿
Carbine
1885 鹿
Musket Toxophilite
Mersey Knowsley
Maid of the Mint
1897 鹿
Minting Lord Lyon
Warble Skylark
Sibola
1896 鹿
The Sailor Prince
1880 鹿
Albert Victor Marsyas
Hermita Hermit
Saluda
1883
Mortemer Compiegne
Perfection Leamington
SireLine for Windows Ver1.50 - Build 547 / 9代クロス血統表はこちら


猫印の瓢箪から…

 Nearco の実質的な配合は、テシオがわずか75ギニーで買い求めた牝馬キャトニプ Catnip から始まっています。
 この馬は競馬場で2歳時にマイルの最下級レースを1勝しただけでしたが、血統背景は一流でした。母シボラ Sibola は英1000ギニーを勝ちオークスも2着した名牝、父スピアミント Spearmint も英ダービーやパリ大賞を制覇した最上級のステイヤー、おまけに半兄は英セントレジャー2着馬。おそらく出生当初は、ユーステス・ローダー氏期待の一頭だったのでしょう。
 欠点の無いような馬を高く買う一方で、可能性を秘めた安い馬も見逃さない…これもテシオの妙技というべきか。興味深いのは、この牝馬が当時大流行していた St. Simon の血を一滴も引いていなかったこと、なおかつ名繁殖
Plucky Liege 同様 Pantaloon と Macaroni のX染色体径路上クロスを持っていたことですね。

 果たして、Catnip は、ネラディビッチ Nera di Bicciノメリーナ Nomellinaネシオテス Nesiotes、そしてノガラ Nogara と、立て続けに活躍馬を送り出します。


 牝系図:Sibola 〜 Nogara / FNo. 4-r

Sibola (USA) ( 1896 牝 鹿 by The Sailor Prince ) ― 英1000ギニー/英、英オークス/英-2着  Baltinglass ( 1904 牡 by Isinglass ) ― 英セントレジャー/英-2着  Catnip ( 1910 牝 鹿 by Spearmint ) ― 10戦1勝   Nera di Bicci ( 1918 牝 鹿 by Tracery ) ― 9勝、キウスラ賞/伊、センピオーネ賞/伊   |Neroccia ( 1923 牝 by Harry of Hereford ) ― 伊オークス/伊   ||Niccolo Pisano ( 1929 牡 by Galloper Light )   ||Niccolo da Foligno ( 1932 牡 by Havresac )   |Nella da Gubbio ( 1924 牝 栗 by Grand Parade ) ― 不出走   ||Nereide ( 1933 牝 鹿 by Graf Isolani ) ― ツークンフツレネン/独、ラティボルレネン/独、独オークス/独   |||              独ダービー/独、ドイツ賞/独   |||Nuvolari ( 1938 牡 by Oleander ) ― ハンザ大賞/独、フェルシュテンベルクレネン/独   |||Nordlicht ( 1941 牡 by Oleander ) ― 独ダービー/独、オーストリアダービー/墺   ||Nanon ( 1935 牝 鹿 by Graf Isolani ) ― 未勝利   |||Nixe ( 1941 牝 鹿 by Arjaman ) → Neckar、Naxos … 「エルレンホフのNライン
※1  ||Najade ( 1936 牝 by Oleander )   |||Niederlander ( 牡 1947 by Ticino ) ― ウニオンレネン/独、独ダービー/独、独セントレジャー/独、   |||              バーデン大賞典/独(2回)、ベルリン大賞/独、ゲルリンク賞/独   ||Nereda ( 1939 牝 by Tourbillon )   || Nadia ( 牝 1953 by Ticino ) ― 独牝馬賞/独、独オークス/独-2着、独1000ギニー/独-3着   || Norma ( 牝 1955 by Ticino )   |Nuvolona ( 1926 牝 by Hurry On )   | Navarro ( 1931 牡 栗 by Michelangelo ) ― ミラノ大賞/伊、イタリア大賞/伊 Toulouse Lautrec の母父   | Nera d'Avorio ( 1936 牝 by Ortello )   Nomellina ( 1919 牝 鹿 by St. Amant ) ― 8勝、クリテリウムナツィオナーレ/伊   Nesiotes ( 1923 牡 by Hurry On ) ― 15勝、共和国大統領賞/伊、センピオーネ賞/伊(2回)   Nogara ( 1928 牝 鹿 by Havresac ) ― 14勝、伊1000ギニー/伊、伊2000ギニー/伊、プリミパッシ賞/伊、    |           クリテリウムナツィオナーレ/伊、伊グランクリテリウム/伊-2着    Nearco ( 1935 牡 黒鹿 by Pharos ) ― 14勝、クリテリウムナツィオナーレ/伊、伊グランクリテリウム/伊、    |             キウスラ賞/伊、伊2000ギニー/伊、エマヌエレフィリベルト賞/伊、    |             伊ダービー/伊、イタリア大賞/伊、ミラノ大賞/伊、パリ大賞/仏    Niccolo dell'Arca※2 ( 1938 牡 鹿 by Coronach ) ― 伊グランクリテリウム/伊、伊2000ギニー/伊、    |             伊ダービー/伊、伊セントレジャー/伊、ミラノ大賞/伊、首都大賞/GER    Nicolaus ( 1939 牡 by Solario ) ― 9勝 … アスコットGC馬 *エリモホーク Erimo Hawk の母父    Nakamuro ( 1940 牡 黒鹿 by Cameronian ) ― 4勝、伊ダービー/伊-2着 … 凱旋門賞馬 Molvedo の母父    Nervesa ( 1941 牝 鹿 by Ortello ) ― 伊オークス/伊    |Nomellini ( 1946 牡 by Bozzetto )    |Navarra ( 1948 牝 鹿 by Orsenigo ) … → *フォルティノ Fortino    |Natalina da Murano ( 1949 牝 by Orsenigo )    |Nerita ( 1950 牝 by Tenerani )    |Nishiyama ( 1951 牝 by Mieuxce ) ……… → 南アの快速 Golden Loom    |Natura Morta ( 1956 牝 by Alycidon )    Niccolo d'Arezzo ( 1942 牡 by Ortello ) ― 3勝    Naucide ( 1945 牡 青鹿 by Bellini ) ― 6勝、アンブロシアーノ賞/伊、キウスラ賞/伊、伊ダービー/伊-3着    King of Tara ( 1947 牡 by El Greco ) ― 未勝利
SireLine for Windows Ver 1.50 - Build 547
 ここでカンの鋭い方は、Catnip 産駒やその子孫の名前が同じNの文字から始まっていることにお気付きになったと思います。
 テシオは生産馬の命名に際して、母馬の頭文字を次代に受け継ぐ手法(一般に「イニシャル・ライン」と呼ばれる)を好みました。また彼は美術愛好家でもあったため、歴史上の芸術家の名を借りてくることがしばしばでした。Nearco の馬名も、おそらくそうした根拠によるものでしょう。
 ※1:このテシオのNラインはやがてドイツに根を下ろし、10戦不敗の伝説的名牝ネレイデ Nereide や名馬ネッカル Neckar を輩出します。スーパークリークの父*ノーアテンション No Attention、さらには2000年の英2000ギニー馬アイランドサンズ Island Sands もまた、この不朽の名門に連なるものです。

 ※2:Nearco の半弟で伊ダービーをレコード・20馬身差で制したニコロデラルカ Niccolo dell'Arca の名は、私見では、中世モザン地方で活躍した金工家・七宝師、ニコラ・ド・ヴェルダン Nicolas de Verdun(12-13C) に典拠したものかと思われ…ましたが、その後、血統使い君のご指摘によって、15世紀イタリアの彫刻家(1435-1494) からと判明しました。感謝しつつ訂正致します。m(_ _)m

Nearco の長所と短所

 さて、Nearco 自身の名配合たるは、すでに様々な言説で語られているわけですが、一口に言えばそれは「バランスの良いインブリード」ということになるかと思います。
 上の血統表をご覧のように、サンシモン St.Simon:4x3 のインブリードを持つファロス Pharos を父に、同じく St.Simon:2x3 の強いインブリードを持つアヴレサック Havresac を母父に配したこの配合は、当時にあっても若干血の濃いものでした
 魔術にもなぞらえられるテシオの技ですが、その本質は、明確な意志と計画をもちながら、こうした近交をできるだけ効果的かつ安全に用いて、配合を構築していったことにある、と私は考えます(別項のコラムを参照して下さい)。Nearco でも、St.Simon のいずれもが微妙に位置と経路を異にしているあたりは絶妙ですし、その他のクロスは主役を邪魔しない程度に控え、かつ St.Simon と共通の祖先を持ってこれを援護しています。その様子は、まるで息の揃った群舞を従えて堂々と踊るプリンシパル・ダンサーのようではありませんか。
※ もう一つ興味深いのは、このような St.Simon インブリードの一方で、その舞台となった Catnip 自身は非 St.Simon 血統であった点。これを笠雄二郎氏は「3/4の系統交配部分と1/4の異系交配部分」による名配合だと指摘されています。
 ただ、最も血の濃い Havresac の部分だけは、仕上げ方が少々荒いものですから(アヤックス Ajax の生年だけが新しいことに注意)、その影響で成長力や距離克服能力に不安があったようにも見えます。この辺り、同じテシオの生産馬でもリボー Ribot の方に一日の長があることは否めません。

 また大きく全体を見ると、実にほとんどの祖先が近交馬と外交馬の組み合わせの配合になっている点も特筆すべきでしょう。これは育種学で〈基準交配〉と呼ばれる手法であり、堅実に資質を伝えていくためのものだと言われます。

 これらの事実から、種牡馬としての Nearco の成功はある程度導かれます。ただし、それが爆発的な発展に繋がるまでには、名牝マムタズマハル Mumtaz Mahal らとの運命的な出会いを待たなければならなかったのです(が、それは本項の手には余るでしょう。(^^; 興味のある向きには血統史家・有芝魔春さんのページをご覧になることをお勧め致します)。

1999/10/14 ― ( Revised on 10/18,11/09,11/27,2000/03/04,09/06,2001/01/22,05/10 )


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