流祖林崎甚助源重信公、関連年表


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  西暦 数え年 出来事
  1046    林崎に林前寺草創。
  1300    林崎の熊野明神に神鏡一面奉納。
  1538    父浅野数馬源重治、楯岡城主最上氏に仕官。
天文11 1542  浅野民治丸(のちの林崎甚助)、羽州林崎に誕生。母は高森某の娘菅野との説あるも不明。
  1547  父重治、熊野明神の碁の帰りに坂上主膳に闇討ちされる。
  1549  民治丸、楯岡城武術師範・東根刑部太夫に弟子入り。
  1554 13  民治丸、林崎の熊野明神に祈願参篭し修行。
  1556 15  民治丸、熊野明神より抜刀の奥義を神授される。
  1559 18  民治丸、元服し名を林崎甚助源重信と改め、あだ討ちに旅立つ。
  1561 20  京都にて坂上主膳を討ち果たす。帰郷し熊野明神(通称林崎明神)へ信国奉納
  1562 21  母、病死。
  1563 22  米沢・会津にて門弟育成。
  1565 24  鹿島にて天真神道流の修行。塚原ト伝(1490〜1571)らの指導を受く。
永禄11 1568 27  松田尾張守の縁により北条軍に加勢、武田勢から兜首二の戦果。
天正〜慶長 1588〜1606 47〜65  東下野守、片山伯耆守(1575〜1650)、長野無楽斎、関口氏心など門人を活発に育成。
  1595 54  大宮にて修行。
  1616 75  武州川越の門人(甥ともいう)高松勘兵衛の許を訪れる。
  1617 76  高松氏の許より奥羽へ旅立つ。没年は1617とも1618とも云うが不詳。
元禄14 1701/8    水戸藩士夢想流4世長谷川卓助、「千早振〜」と林崎神社へ奉納
  1716   「一宮流奥幸四郎、川越市連雀町の蓮馨寺(れんけいじ)に墓碑建立。碑には「1617年7月20日没、良仙院一譽昌道寂心大居士」。」との説あるも、近年の研究により当寺と重信公との関係を示すものがないことが判明。
古くより相州出身説もあり、浄土宗関東総本山鎌倉天照山光明寺の過去帳に名があると云うが、研究により否定。
文久2 1862/1    仙台堀友徳門人2名、50日間で113,672本抜剣奉納。1日平均2,273本。
  1874    通称林崎明神、熊野神社に居合神社を合祀。
  1877    通称林崎明神、「熊野居合両神社」が正式神社名となる。

正統会々報創刊号などより


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