大江正路


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土佐に伝わった無双直伝英信流の谷村派第17代。
嘉永5年、高知県土佐郡旭村中須賀に生まれる。幼名は浜田十馬。のちに子敬と字し、蘆洲と号す。幼少より日野辨治に剣道の指導を受け、藩文武館にて剣道、柔道、居合道、軍太鼓等を学ぶ。
山内容堂公に仕え、居合は、はじめ下村派を学び、後に谷村派を継ぐ。


指導法を含め研究は大変、熱心。異なった技法も「それも尤もだ」と大切にしたという。例えば正座「前」の横一文字について初心者には右腕を真横へ、慣れるに従い右前へと指導した時期もあった。附込の血拭いは切先を敵に向けるだけでなく、膝上で横にしたり、左手を袴の中に入れた弟子を褒めたりしたという。(昭和42年、香川県岩田憲一範士著)

 嘉永5年10月18日 1852 0  土佐旭村に生まれる。
 慶応2年3月 1866 15  剣道指導役
 慶応3年5月 1867 16  旗本隊、容堂候にお供し京都へ
 明治元年1月6日 1868 17  会津・一橋挙兵に際し出陣
 明治元年2月15日 1868 17  堺で土佐仏衝突事件。京都から東野隊長に従い駆けつける。
 明治3年 1870 19  藩立文武館(致道館)剣道専業拝命
 明治9年3月28日 1876 25      廃刀令公布
 明治15年 1882 31  高知県武術会剣術教授
 明治17年 1884 33  三菱高島炭鉱
 明治25年 1892 41  高知共立学校撃剣教師、この後、高知にて谷村派等英信流研究。
 明治27年1月2日 1894 43  東京有待館撃剣教授
 明治28年5月18日 1895 44  高知県武術会長
 明治30年 1897 46      第16代五藤宗家歿
 明治33年5月18日 1902 51  石川県より高知帰郷、高知2中撃剣教授・農業城北等でも指導
 明治38〜39年前後から 1905〜1906 54〜55   高知二中で後の第18代穂岐山宗家、森繁樹同級生らに剣道、居合道を指導
 明治42年7月 1909 58  剣道精錬証
 明治44年1月 1911 60  剣道教士
 明治45年 1912 61  高知2中・1中が合併
 大正6年夏 1917 66  門下の掘田捨次郎新潟県武徳会師範の招きで講習
 大正7年2月 1918 67  掘田捨次郎著「剣道の手ほどき」 (英信流の由来と独習法)
 大正9年 1920 69  済寧館にて特別御前試合
 大正12年10月 1923 72      福井第19代高知商業学校着任
 大正13年5月 1924 73  大日本武徳会居合道範士。大正9年の中山に次ぎ二人目
 昭和2年4月18日 1927 76  永眠


2002/12/31