by  江國香織 

写真 大野 晋三

2002/4/15

もうじき新しい本がでるので、雨のそばでゲラを読んでいる。
「ゲラって試しに刷ったものなの」
雨に説明する。
「これが背丁。束と束の順番をはっきりさせるために、束ごとの背 中につけておくしるし」 
雨は、
「それで?」
という顔をする。
「それで? いつまでそれを読んでるの?」
気持ちよく晴れた午後だし、私は新しい本のできることが嬉しい ので、私たちは「ちょっと特別」なものを聴くことにする。一緒に。 門あさ美を選んだ。CDは「セミヌード」というタイトルの一枚 しか持っていないのだけれど、彼女のアルバムの中で、私のいちば ん好きだった一枚だ。
どうしてこれが「ちょっと特別」かというと、ある一時期にとっ ぷりはまって聴いていたから。好きなアルバムというのは、ずーっ と、あるいは折にふれて聴き続け、たいてい自分の「定番」になる。 稀に、定番にならずにしまい込まれるものがあり、そういうものは、 聴くと瞬時に特定の時期およびその日々の状況、聴いていた部屋の 様子まで浮かんできてしまう。それは、現在に満足しているときに だけ、ちょっと愉しい「特別」になり、そうでないときは、たいて い気恥かしさやある種の痛々しさをつれてくる。

雨と一緒にいるときは、私は自分の過去のすべてを肯定してしま えるので、そういう音楽も愉しめる。
「セミヌード」も、数年前にCDになっているのをみつけて買っ たときには、ちゃんと聴けなかった。気恥かしさとある種の痛々し さ。勿論曲が悪いわけじゃなく、聴く者の勝手な感情なのだけれど、 だって、十七歳から十九歳までの自分なんて、よみがえらせたくな いもの。

雨と一緒に、ほぼ二十年ぶりに聴いてみて、いろいろと発見が多 く、びっくりした。まず、門あさ美は歌が上手い。プロに向かって そんなことを言うのも失礼だとは思うけれど、すごく上手い。いま どきの上手な歌手みたいに、これみよがしに技術をひけらかしたり しないので目立たないが、「しっとり」と「はっきり」を両方いっ ぺんに声にしていて感動する。とても高い音を、低いみたいな声で 歌える人はあんまりいない。 それから、自分が十曲全部の歌詞を記憶していて、そのことにも おどろいた。はまったんだなあ、と、思う。歌詞には、さすがに時 代が色濃く漂っている。「ナイスミドル」とか「お好きにせめて」 とか。 でも、十曲全部、しみじみとよかった。なつかしさなんかじゃな く(こういう場合、私は個人的都合で気恥かしさこそ感じるものの、 なつかしさなんか感じない質です)、きちんとよかった。
そして、歌詞をやけに憶えているのは、はまったからというので はなく、一曲ごとに物語がちゃんとある類の曲だからだ、と、気づ いた。その物語と、この人の声の持つ温度や質感がぴったり合って いるのだ。

だから本を読むみたいに聴けてしまう。
たとえば、まるでスター気取りで、遊び疲れて、すました声でド アをたたき、軽くミルクをのみほして、フワリとベッドにもぐりこ んでくる、そんな男のことを、「気まぐれ猫でも許してあげるから、 私の事は、忘れちゃダメよ」と歌うかと思えば、エメラルドの海や 目に眩しい砂、刺激的なあなた、といった道具立ての中で、耳元の 囁きに聞こえないふりをしてもう一度言わせたり、振り向いて強い キスをしたりしたあげく、「テ・アモ、テキエラス、テ・アモ、お 好きにせめて、エキゾチックラブ熱く熱く燃えて」と歌う。また、 「すねてご機嫌」という曲の中では、寒いと言ったら男に革ジャン を投げられて、それは「指も隠す大きめの革ジャン」で、彼にとっ ては「何気ない仕草でも、私にとって、抱きしめられたみたい」と、 しっとり、でも弾むみたいに歌う。
「いいね、門あさ美」
私は雨に言う。
「大きくて食べごたえのあるサイコロキャラメルみたいじゃない?  それもリニューアルした、ピンクの桜味の」
でもそう言ってすぐ、雨はキャラメルを食べたことがないのだ、 ということに思い至る。キャラメルを食べたことがないなんて、そ れだけで、雨と私が随分違う生き物だとわかる。 「ほら、これが門あさ美。きれいな人だね」

私は雨に、CDジャケットの写真をみせた。レコードのジャケッ トと同じ写真なので、二十年前の彼女だ。このとき、一体幾つだっ たんだろう。いろんな物語をぴたりと歌う女性にふさわしく、写真 の彼女は若いようでもあり若くないようでもあり、ただただミステ リアスなのだ。

江國香織
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