ポイズン澤田BLACKインタビュー その5:再生〜転生
石川:その後、どんな経緯で復活を?

BLACK:えーと、それは、俺の師匠の、ミスター空中(※1)さんの、追悼試合(※2)をバトラーツで行うって、内藤(※3)から聞いた時かな。3年前か?2年前か?それで確か、6月ぐらいだったかな。その頃はなんにもトレーニングも、もちろんプロレスもやってないから、体重も70キロぐらいに落ち込んでてね、まだ3ヶ月ぐらいあったんだけど、どうしようかと、腰も不安があるし、体重はないし。もちろん、やれば動けるんだけど、やっぱり2年半って言うブランクがあったわけで、やっぱり内心怖かったんだけどね。でも、師匠の、空中さんの追悼試合になんとか、、、俺墓参り行ってないんだよ、正直言うと、で、追悼試合だけにはには出ようと、何があっても出なきゃいけないと、、、どういうことになっても。それで、、、、一大決意だったよな。70キロしかない体重をどこまで持っていけるか、しかもバトラーツのリング。じゃぁやってみよう。と言うことで、俺の、今マスク被ってる、ポセイドン・サミー(※4)って言うのがいるんだけど、それを捕まえて、トレーニングパートナーにして。はじめたんだけどね。

石川:3ヶ月間みっちり。

BLACK:みっちり。まぁ結局体重は、82.3ぐらいにならなかったんだけど、それでも、結構かなり、コンディション的には良かったんで。それが復帰の、アレだったかな。

石川:それが今にいたる復帰のきっかけ。

BLACK:復帰と言うか、もう、これが終わったら、本当に止めようと思ったんだよ。

石川:空中さんの追悼試合で、もう2度と上がらないと、

BLACK;思ってた。その時はね。

石川:追悼試合で上がらないと決意したのに、今も上がっているわけじゃないですか?どう言うことがあったんですか?

BLACK:すごい葛藤はあったんだけどね。やっぱり一度上がるとさ、やっぱりやりたくなるのが人情ってもんでさ。しかも、案外動けたもんでね。「あ、出来る。出来るけど、なんでやってないんだろう?でも、やっぱりこれでやり始めたら体のことも気をつけなければいけない、腰の心配もある」って言うんですごく悩んだね。かなり。で、言ってくるところが、俺なんかもう「上がってくれ」なんて言うところはないんだから、もしもあったら、上がればいいじゃないかと。絶対無いと思っていたからね。

石川:じゃぁ向こうからきたら。

BLACK:俺からはね、何もね言わなかったから。言うあれもなかったから、言う自身もなかったんだよ。そしたら、内藤が。(笑)

石川:また内藤さんが。

BLACK:また内藤なんだよ。

石川:アメリカ行くときも、空中さんの時も、

BLACK:あいつが、プロレスの中で一番深く俺とかかわってるのは、内藤だと思ってるのね。まぁその内藤が、「澤田さん、ちょっとリング上がりませんか?」。「どこ?俺を上げてくれるのがあるのか?」って、そこがDDT。

石川:ポイズンさんにとっては、内藤さんが、プロレス界における10年前からのキーパーソン

BLACK:今にして思えばね。

石川:今はアイアンマン王者(※5)を作って、そこそこ人気が出てきたじゃないですか?

BLACK:でもあれはそもそもさ、高木三四郎と試合をするための、こっちに引き寄せるためだったんだよ。俺と試合をさせるための手だったからさ。

石川:餌みたいな。

BLACK:でも、それでもできないんだからさ、不満はあるよ。

石川:なぜそこまで打倒高木三四郎

BLACK:やっぱり、それはね。俺のいままでのプロレス人生で、俺もやはり、団体を持つ機会(※6)もあったから、まぁちょっと名前は、、、、あなただったら知ってると思うけど、、、そう言う意味では、ジェラシーかな。生意気だよ。だからなかなか、俺も当たらせてくれないと団体にも不満があるよ。だから結局、一番じゃないか?これはやっぱりジェラシー以外の何物でもないよ。

石川:じゃぁこれからののし上がっていくぞと。

BLACK:それはあたりまえでしょう、レスラーなんだから。のし上がらなきゃレスラーじゃないんだからさ。やっぱり一番試合したいのは高木三四郎だし、それを潰すって言うかさ、わからせてやんないとね、先輩の力をさ。

石川:今後DDTで、どのように。

BLACK:今すごく中途半端。はっきりいって。何だかよく自分でもわからない。だから、びっくりさせるような、奇想天外な。誰もやっていないような、そんなの俺は作っていきたいんだよ。だけど、強いって言うのが、皆がひれ伏すような、そんなヒールだね。

石川:それはもう固まってる?

BLACK:固まってるような、固まってないような、なんだか迷路みたいな。

石川:具体的にヒントは?

BLACK:ヒント?それはやっぱり、そのときになって、初めて知れば良いんだし、それは俺の中だよ。
※1:ミスター空中:本名:空中正三(そらなかまさみ)。1944年兵庫県生まれ。空手、柔道、相撲を経験し?アメリカ・フロリダのカール・ゴッチ道場に入門?ゴッチの女婿となる。また、フロリダのマレンコ道場のコーチとして、ジョー、ディーンのマレンコ兄弟や、内藤恒仁、ポイズン澤田らを指導した。
84年には、旧UWFにレスラーとして参加、その後はレフェリーに転じ、UWF崩壊後は藤原組レフェリーも勤める。92年6月、脳溢血のため死去。

88年フロリダ(澤田、空中氏、内藤)


※2:追悼興行:99年6月9日後楽園ホールで行われたバトラーツ主催の「ミスター空中7周忌追悼興行」では、タッグマッチとして、キャノンボールKAZU,内藤恒仁組対橋部昌浩、ホーデス・ミン戦が行われた。

※3:内藤:内藤恒仁:65年千葉県生まれ。85年に単身フロリダに渡り空中正三氏に弟子入り。88年9月、第2次UWFの博多大会でデビュー(対中野龍雄戦)。UWFに入門するも、UWF崩壊を経てフリーに。92年、フリーランスフェスティバルに参加、その後PWCに入団し、後楽園ホールでUスタイルを実現しカルト人気を得る。PWC崩壊後は、元PWCのセッド・ジニアス(渡辺幸正)主催のUNWや、PWC系のDDTを主戦場とし、若手の壁として立ちはだかっている。99年には、DDTに定期参戦していたが、キングダムのUトーナメントではケンドー・ナガサキに秒殺され、無我では竹村豪氏(現新日本)にドラゴンスリーパーで敗れたりと、いいところがない。
最近はDDTへの出場も減り、時折つぼプロモーション(元藤原組の小坪弘良主催)に参加している程度。あまつさえ、2000年4月には「中野凱旋興行」で「中野の一試合目(当然二試合目もある)」にブックされている。どう言うことよ?高田とやらされた駄目外人じゃないんだからさ。ちなみにかつてDDTで高木三四郎に「高木君、今度はここ(鶴見青果市場)でやりましょう!」と言って「いや、北沢でやってやる!!」となんともプロレス的に理に適った返し方をされたり、UNWのインタビューコーナーでは「将来は、フロリダでスパーリングをして暮らしたい」と発言するなど、これまた過度にスポーツマン的で素敵な人(「笑顔が素敵」高木三四郎談)なのだが、お気にのTシャツには(追悼興行でも着用)「EC F'n W」と書いてあるのであった。誰に貰ったのだろうか?まぁマレンコ道場ではECW人材にもことかかないわけではあるが。

※4:ポセイドン・サミー:00年6月のユニオン復活興行でデビューした新人かつ謎のかつポイズン澤田の弟子の覆面レスラー。その試合はくだんの内藤恒仁戦で、良い様にやられていたのだが。実は、その前にも、3月のUNWの後楽園ホール興行で、ポイズン澤田と、アイアンマンマッチ第1試合目でキャノンボールKAZUに勝利した内藤を急襲している。当然激怒する内藤に恐れをなして、逃げ惑っていた二人だった。その甲斐もあってか、デビュー戦では半殺しの目にあったサミーだったが、師匠のポイズンの指示に忠実にしようとする姿は、まさに筆者の心を打ったのであった。ちなみに、後楽園、ユニオン復活ではペイントレスラーだったが、ユニオンでの試合後に被っていたマスクを被って、それ以降は国際プロレスプロモーション等に参戦し、試合とは関係のないところで襲撃を受けると言う、みちのくプロレスで言うところの北海珍念的な役回りで好評を博していた。
ポイズン門下と言うことで、蛇界転生入りが期待されていたが、太りすぎが原因でポイズンから破門を申し渡され、現在減量中。01年2月現在、「5キロやせて120キロ」(JULIE談)と言うハイアベレージ飛行中。
筆者が北沢タウンホールで目撃した、ぼーっとしていた人はきっと別人でしょう、きっと。

※5:アイアンマン王座:ポイズン澤田BLACKが、高木三四郎との対戦を実現させるために自ら作り出したアイアンマン・ヘビーメタル級のタイトルのこと。ベルトは裏地が蛇皮!でしかも24と書いてある。つまり、24時間誰の挑戦でも受けると言う、これまたやっかいなルールのため、控え室、駒沢公園、後楽園ホールの観客席など、様々なところでタイトル移動が実現した。ちなみに2000年12.14ジオポリス興行で鴨居長太郎からタイトルを奪った第46代王者のシャーク土屋がタイトルホルダーだった。シャークがなぜかポーゴと師弟タッグでIWAに参戦しているためかどうかは知らないが休眠中、現在はなんやかんやでクーガーか?

※6:団体:ノーコメント