ダンス競技会挑戦への記録です

01年6月18日(月)
本来は喪に服しているものなのだろうが、先週休んでしまった個人レッスンに向かう。予約を入れたら月曜日の午後は暇とのことで、そのとおり閑散としていた。
相変わらずルンバウオーク一辺倒。さらに細かくなってきてお腹の筋肉の移動をしっかり理解させられる。「とも先生」の体も触らせてくれて理解させようとするが、これはなかなか難しい。余計なところに気持ちが動く。それでも体の圧縮の原理は理解できてくる。これが身に付かないことには奇麗に踊れないなとも思う。
先の告別式の翌日は菩提寺にお参りし、お墓にも寄り、一路帰京する。
午後からはダンスパーテーの予定あったがキャンセル。夜にはサークルに顔を出す。新人が沢山増えて大賑わい。
帰宅後、3日程留守にしたのでメールをチェック。ケンちゃん、パールさんのメールに返信。来週には皆んなで顔をあわせる予定、楽しみである。
健康に楽しく過ごすことが「お袋」の供養になると勝手に解釈し、更にダンスに頑張ろうと決意を新たにする。
この大変な1週間を終えて省みると、ダンスで充実した生活が送れていること、そしてネットで新たな人とのお付き合いできること、本当に幸せなことだと思う。「健康で長生きしたい」と痛感する。
2001年06月20日 12時11分34秒

01年6月16日(日)
田舎の母親がとうとう逝った。家族にとっては「巨星が墜ちた」と言う印象で、85歳の生涯を閉じた。
12日(火)に何度目かにあたる危篤の報を受け、閑職ながらも身辺整理し、14日(木)午後、仕事もする気が失せたので口実つけて外出したら、「午後12時35分に永眠した」とのこと。外出先はベンチャーの社長のところで、駄弁り、痛飲して遅くに帰宅したら聞かされた。なにもする気起きなかった頃、絶えていたのだ。
4年間の介護生活が続いたので「猛烈婆さん」の死は、寂しいながらも安堵の感もある。娘と女房とともにマイカーで田舎にむかう。
通夜、告別式も無事に終える。孫8人に囲まれ永久の世界に旅立つた。小生のところで直前にひ孫が誕生した訳で輪廻を痛感する。
老人にしては弔問客も多く、田舎と言うことも相俟って深夜まで別れを惜しんでくれる。戦中・後に5人の子育てをし、亭主、長男が夭折したので苦労は多かったと思うが、晩年は豊かに暮せたことが幸いである。冥福を祈るのみ。
2001年06月20日 11時04分31秒

01年6月10日(日)
梅雨とは梅の実がなる頃に降る雨を言うらしい。どんよりした天気、そのうえ小学生多数の刺殺事件の報道で気分が滅入る。彼の小学校は娘が埼大付属小から小生の関西転勤で転入をお願いに行った学校。それだけに余計痛ましい。ご冥福を祈るばかりである。
朝食後、2日酔いも手伝い、また小1時間寝入る。起きたら少しすっきりして、やる気出てくる。昨日動いていないので、踊りたい気持ちが俄然湧いてきた。午後からサークルに向かう。
サークルは新人、見学者多数でこれまた何時にない賑わい。今日は「とも先生」の担当。「メールみてくれました」との話、「メールなんて来ていない」と呟きながら、適当にお茶濁し、昨日の件は一件落着。「おれもずいぶアバウトが身に付いてきたな」と変な感心をする。
休憩時に先生とサークルの会長(会長と言っても若い女性)にテレビ取材の件を話す。「とも先生」大喜び。人の心配も考えず、「楽しいーーー」と超喜ぶ。彼女のホームページ作成への関心からここに至った訳で、たった4ヶ月での大きな変化に吃驚するだけである。今後もエキサイテングな人生が続くのだろうか。楽しみなことである。
2001年06月11日 13時50分32秒

01年6月9日(土)
朝から2階の窓際が騒々しい。「ギャアー、ギャアー」と椋鳥の雛が騒がしい。暫くして2階に上がり、雨戸の戸袋を見るともぬけの殻。雛鳥は今朝旅立ったのだ。あの騒ぎはその旅立ちのご挨拶だったのだ。カラスにやられない様に無事を祈るのみである。
テレビ取材で落着かない気持ちは続くが、いっも通り個人レッスンに向かう。階段上がると何時も点灯しているネオンが点いていない。鍵も掛かっている。「なんなんだ」と怒りが湧く。そう言えば先週、別の先生と生徒とのやりとりがちらっと耳に入ったことを思い出した。「今度の土曜は武道館でビックコンペある」と言う様な会話。「あれだったんだ」と諦める。少し前の自分ならここでドアを蹴飛ばし暴れるところだが、最近は思いのほか大人しい。枯淡の境地に近ずいてきたのだろうか。
思い直したら、最初に所属したサークルを覗いてみようと言う気になった。一路、図書館に向かう。ナイトキャップ用の小説を2、3冊借りてフィットネスルームを覗く。約1年ぶりであったが気持ち良く迎えてくれた。1時間ほどワルツの練習をみている。メンバーは1年後輩だから、約2年の経験者。ほとんど同じ顔ぶれがダンスの魅力の凄さを感じさせる。内容は初級と言うか中級と言うかと言うレベルであるが、直感的に「難しすぎる」「基本が身についていない」と我が身を省みず感じてしまう。誰も難しいフィガーについて行けていない。ホールドが美しくない。サークルの運営の難しいところだと思う。
終了後、親密にしているインテリおじさんから声を掛けて頂き、カラオケ・ダンスパブへ一目散。時間は午後4時、陽はサンサンと照るなか、飲みながらダンス談義。「なんと贅沢な至福の時」。15人位で男女半々、楽しい語らいは続く。丁度、前から話したい女性をチーママ役のオネエサンが気を使って配置してくれる、話は大いに弾む。HPを宣伝し書き込み頼む。今後が楽しみだ。
クラスが違ったので初めての宴会であったが、老若男女みんなが楽し気で良いグループである。ダンスの技術も去ることながら、「このような楽しみある人は貴重な財産をもった様なものだ」と思いつつ満足し、帰路に着く。
2001年06月11日 11時41分46秒

01年6月7日(木)
昨夜はあの後、担当の若い女性から電話で取材がある。娘の年代に感じたが、さすがに有能で気を逸らさない。「どんな気持ちで踊っているのか」と聞かれ、一瞬言葉に詰まったが、今考えると「気分が開放されている」とか「一瞬スターの様な気分になっている」のかもしれない。非日常なのである。
電話を切ったあと、じっくり考えてみた。番組のトーンから奇抜さ、面白さが狙いであろう。視聴率の世界なのだから。従ってお声を掛けて頂いたのは、|鰐な堅実な職業▲螢好肇蕕気譴秦觝歛沖社交ダンス。この3点の構成で作られて行くであろうこと想像できる。
ここでダンスに対する世間の目がポイントだ。多分ひっそりと隠れて楽しんでいる、「日陰のイメージ」があるから話題になるのではと思われている様な気がする。ダンスのイメージが健康的で、これが目的を失った熟年サラリーマンの心の支え、将来の灯かりのように表現して欲しい。それが真実なのだから。
気持ちを整理してみると次のことがポイントと思えてきた。このやりとりで良いものできれば大変嬉しいことだ。

ヾ覿叛鏤里箸靴討離┘團蹇璽阿詫汁曚鉾燭渓技弔雰覯未砲覆蠅ち。30余年の会社一途の結末は家族には見せられない惨状のこと多い。
∈┐漾△弔蕕澆鰐い世△襪、惨状をそのまま受入れることが、人生のセカンドステージへのソフトランデイングであることが解ってきた。
「セカンドステージは肩書きのない世界」人生をどれだけ楽しく、ひたむきに生きれるかが勝負。ダンスに限らず趣味等に打ち込めることが地域を含めた新たな世界への繋がりのキーポイント。楽し人生の幕開けである。
2001年06月07日 15時14分47秒

01年6月6日(水)
月に一回は会社を早退し、T医大の腎センターに検診に行く。企業戦士時代の無理が祟り、腎臓は常にチェックが必要で無理は出来ない体である。早めに帰宅し、ケンちゃんのパートナー捜しのメールをチェックしていたら思わぬメール発見。東京テレビの「徳光さんの情報スピリッツ」からの取材のお話。当ホームページが番組担当の目に留まり依頼が来たもの。
子供の頃からジャーナリスト志望のため、マスコミには極めて弱い。体力、筆力の弱さで断念したもので未練は大いにある。人生の哀歓を暖かくとらえた番組で「徳さん」と「いもりさん」の人柄も手伝い、惹きつけられる番組。毎週欠かさず視ており、その登場人物になろうとは夢にも思わぬ出来事。番組の最期に好々爺、婆が昔を懐かしむ部分あり、女房とも「ここにはいつか出るか」と冗談を言っていたものである。
ネットの世界のすごさも実感。誰もが明日は主役になる時代が到来していることを痛感する。
我にかえり、自分のしていることがドラマになるのか疑問が湧く。テーマは私の場合は「ダンスにのめり込んだ困った夫」なのだ。甚だ不本意なのだが、周りが見れば一概に間違ってはいないと思い、取材にご協力させて頂く回答をした。但し「熟年サラリーマンの応援歌」になるような作りをお願いした。
何と言う展開なのだろう。会社本位から自分本位に行動を変えるとこうも変化するものか。ダンスとネットの仲間に感謝するだけである。
2001年06月07日 11時59分49秒

01年6月5日(日)
孫たちは前夜は市内のホテル泊り。午後には少し顔をだし、夕方帰る予定。幸いサークルも今日は夕方から。
元気良く、また顔をみせてくれた。すぐにキャッチし、我が子の様に一人占めする。あっと言う間に別れの時間
未練ながら、見送る。近所に住んでいたら、きっと「迷惑な位押しかけるだろうな」とふと思う。
みんなが帰ったら、暫し呆然。ようやくいつもの日常の休日に戻る。
気分転換にパソコン覗く、月子さん、ケンちゃん、パールさんのメール等をみる。こちらも大変楽しい。今日はトリプルの楽しい日だ。
夕方から、3つ目の楽しみ、サークルに向かう。3時間たっぷり汗をかく。気持ちの良い汗である。
いつまでも若々しくありたいと願う。
2001年06月04日 15時31分08秒

01年6月2日(土)
いつもの土曜日とは違い、気分がウキウキする。午後から6ヶ月の初孫と長男夫婦に会えるからだ。お宮参り以来の5ヶ月ぶりの再会だ。
気もそぞろながら、一応、前回分の復習をしてから、個人レッスンに出掛ける。
いつも一番乗りの教室の様子がどこか違う、大先生の指導のもと、美男・美女カップルが踊っている、暫く見惚れていた。「とも先生」も張り切っており、時間前から我々も練習開始。ルンバの指導が一段と細かくなってきた。前進・後退ともウエイト乗せた足の「脇の下の縮み」、何回も言われているが今一つ縮まない。股間節の緩みも共通のポイントとして良く解るようになって来た。音の捉えかたも指導受ける。いつからかだんだんヒールバランスになっており、其の点も直される。ボールで立つても腹が出るとヒールバランスになる。「納得」である。帰りに「とも先生」に激励の声をかけ教室を後にする。先生は明日は横浜で競技会とのことである。帰路は今夜の家族宴会の買い物の担当をこなす。。お刺し身、ケーキ、酒を調達し急いで帰る。
ドアを明けたら、孫は来ていた。生後6ヶ月なのに9キロの巨漢、歩けないが転がり、泳ぐ、逞しく、人見知りしないのですぐにメロメロに可愛がる。自分でも予期せぬ行動に唖然、呆然。演歌で人気となったこのテーマも肯ける。ここは理屈でない世界である。腕が痛くなる程抱いたが、その痛さが存在感の証に感じて何ともうれしい。
夜には娘も合流し、全員集合で団欒する。禁酒の筈の酒もかまわず呑む、楽しい宴が続く。
2001年06月04日 14時34分47秒

01年5月27日(日)
午後からさいたま市の初めての市長選の投票をし、サークルに向かう。
新しい市政には新風を期待するが、現実は保守が強いようである。これだけ価値観が変わってきたのだから、過去のしがらみでのやり取りは勘弁して欲しい気持ち。
サークルはこの頃気乗り薄。個人レッスンの充実の裏返しで何だか気持ちが入らない。汗流し、体動かし、新しいステップも覚え、それなりに有意義なのだが、自分の欲するものは「基本を理解した踊り」なので消化型の練習は体操みたいで満足しなくなってきた。特にタンゴは個人レッスンを受けていないので自信が今一つ。これの繰り返しは堪らない。だけど経済的に事情が許さないのでこれがジレンマ。「まあ時間を掛けて解決していこう」と自分を慰める。
夜、「おじさん奮闘記」のパール嬢にメールを返信。思いも掛けないネットライフの充実で楽しみ大いに増える。月子さん、fujilinさん、ケンちゃん、茶々さん、パールさんとお友達が沢山できた。こっれからどう進展して行くのか、この体験は初めてなので皆目見当がつかない。仕事から視点をひとつ変えただけでこれだけ変化することに驚くばかりである。これも皆さんのお陰と感謝するだけである。
2001年05月28日 13時46分20秒

01年5月26日(土)
休日も相も変わらぬマンネリで、個人レッスンに向かうがこのマンネリは楽しいことなので、なんの苦にもならない。正直なものである。
出掛けに義母から訳の分からない電話がある。女房はお茶のお稽古で既にいない。適当に会話して電話を切る。田舎のお袋も同じような様子である。80歳を超えると人間も少しずつ壊れてくる。
そんなこと考えながら、初夏のなかをスクールに向かう。「とも先生」はコンペで優勝以来、すごく元気。きっと将来の展望が開けてきたのかなと思う。時間前から練習開始。ルンバのルーテンを踊る。数少ないフィガーであるがすべて丁寧に指導してくれる。前進の送り足の親指の使い方、後退の送り足の使い方、ニューヨーク、ハンドツウハンド等の横への移動の仕方、共通した股関節の使い方。大分繰り返して来たので体が覚えて来た感じ。「基本の体の使い方がある」と言うことが解り始めてきた。先生にも通ずるのか、どんどん直す。それが良く解る様になってきたから不思議なものである。自分のなかでは異質のルンバになって来ており、新鮮な気持ちで取り組める。
「やっぱりダンスは個人レッスンだ」と痛感しながら短時間のレッスンは終わる。充実感は一杯である。
2001年05月28日 12時13分21秒

01年5月20日(日)
娘が独立して家を出たのを知ったかの様に、彼女の部屋であった2階の雨戸の戸袋に椋鳥の雛が2羽生まれ「ピーピー」泣いている。家の眼下が見沼田圃であり、そこから来たと思われる。今日も朝はかっこうの泣き声で起きたが自然一杯の田舎である。巣立つまで居候させてあげることにする。
サークルは会場の都合で夜7時からである。久々のサークル練習で心地よい汗を流す。2週間も空くと体が踊りを求め、あっと言う間の2時間が終わる。
終了後、1時間ほど近くのレストランで皆んなで雑談。汗を流したあとのビールの味は格別である。共通の趣味の話題は尽きることがない。話ながらふと「ダンスしていなかったら、この人達とも付き合いなかったな。日曜の22時と言えば翌1週間の会社の為、律義に寝ている時間だな」と思い、不思議な感慨に浸る。「第2の人生もまんざら悪いものでもなさそうである」。
2001年05月21日 11時31分45秒

01年5月19日(土)
休日の朝の爽快感はいつもと違う。束縛された会社からの開放感が醸し出すのであろう。これが「毎日が日曜日」になると有り難味が薄れ、休日も色褪せてくるのだろうか。
張り切って練習し、午後からレッスンにむかう。スクールには珍しく先客多く、先日のパーテーのスターが今日は競技選手としてのレッスンの準備に余念ない。
今日もルンバ。6級の規程フィガーにそったステップの全体を「とも先生」と一通り踊り、細部の詳細の指導を受ける。基本のフィガーだけなので如何にルンバは基本が大切かわかる。前進、後退、横のクカラチャが基本で体重移動がポイントだ。股関節の使い方もようやくおぼろげながら理解でき始めた。美しい姿勢はこの原理を理解しないと不可能だと悟る。何か「解り出してきたぞ」と嬉しさこみあげる。
マンネリだったルンバの練習も俄然興味が深まってきた。今迄身に付けてきたものは何なんだろう、随分回り道してしてしまった気がする。。それにしても良い先生に巡り合えて幸せである。「明日のサークルで実践してみよう」と意欲満々で帰る。外は夏本番のような暑さであったが爽快感は続いている。
2001年05月21日 10時42分02秒

01年5月16日(水)
先日、テレビドラマで「定年ゴジラ」が放映された。重松清の原作で、定年サラリーマンの哀歓を見事に表現している。作者は30代後半なのに繊細な気持ちの襞を良く捉えており、さすがに直木賞作家はちがう。
主人公は小生と同業者で定年後の余暇を持て余し、仕事を求めるが実のないポストをあてがわれ、現実を悟り、これを拒否する。この状況はまさに自分と同様で、小生の場合には多額の債務で拒否できないところが情けない。一話はここで終わっており、後の二話で今後に発展していく楽しみである。
何故「ゴジラ」なのか。これが我が意を得たりである。過去に自分が会社に尽くしたことと、現実の扱いの違いに憤然として、過去の会社、社蓄として生きた事の実態を「ゴジラ」になってぶち壊す、踏み潰し、過去に決別するのである。
ここから書く事には今更と少し躊躇したが、当HPはダンスのことも然る事ながら、第二の人生への取り組み方がテーマなので敢えて正直に心情を吐露する。
昨日、第二の職場の社長と面談した。本体の常務からの天下りで昨年12月から担当している。面談は当方から申し入れる。
現在の処遇、早期退職制度等を意見交換。実の無い現在のポストについては理解示す。ただ新ポストとしてどこを希望するか聞かれたが本体が崩れた現状で適当なポジションは浮かばない。
「人事部とも良く話してみる」とのことで別れる。
抑えられていた企業戦士がむくむく起きだし、現状処遇への怒りがぶり返す。嫌な思いが蘇る。
半日位憂鬱な気持ちでいたが、夕方ひらめいた。いまの会社の処遇は不本意であるが、ダンスしてネットして楽しい世界が広がって来ている。「新しいポスト見つけてもらっても、もうこの楽しみ失うことの方が損失だ」
近々のうちにこの面談のリバウンド有るだろうが、既に動いているダンスをベースにした生活は正しかった。改めて変えられないと痛感した。
2001年05月16日 10時35分34秒

01年5月13日(日)
ダンス仲間の元教員「ご夫妻」、正しくは「ご妻夫」とお呼びした方が相応しい方々のご招待で、スクールの周年パーテーに出掛ける。サークル時代からの仲間で70余才、ずーと気に掛けてくれていて「とも先生」およびスクールを紹介してくれた恩人。今回「とも先生」とご主人が5回目のデモを行なう。
小生はタキシード、女房は和服で少しでも華やかにと恥ずかしながら出掛ける。立派にルンバを踊られ、高齢での頑張りは我々の励みになる。「あと20年はできるのだ」と実感する。今後も出来るだけ長く続けて欲しい。
ミニ競技会、アマデモ、アマゲストデモ、プロデモ、プロゲストデモ、合間にダンスタイムあり、飽きさせない。ダンスタイムも初めて踊る人多かったが、スクールの生徒さんだけのこと有り、こちらが未熟でも気持ち良く踊れる。傲慢さが無いのは、日頃の指導で謙虚さ身に付いているからか。
いつも何気なく顔を会わせていたが、同じ時間にレッスン受けていた方々は錚々たるメンバーで、次々に今日のスターとして登場する。
明日からの練習の励みになり、さらに良き友人に恵まれそうな予感がした。楽しい一夜であった。
2001年05月14日 15時39分03秒

01年5月12日(土)
陽気も良くなって来たせいか、意欲も少し湧いてきた。
1時間半くらい先週の復習をし、立夏のキラキラと陽光の輝くなかを個人レッスンに向かう。
ルンバウオークの前進、後退の繰り返し。本当にダンスの奥は深い、前進では片足で立ってその足で送り出す、最後まで床をプッシュ。そして前に押して行く。成る程、これが「足に重りをつけて歩く」と言う事かと今更ながら納得。後退も「もっと肩を前にだして」と言われるが体が理解しない。
解ったと思えば、更に直しあり、本当に難しい。ただ何となくダンスそのものが解ってきた様で嬉しい。難しいことの指導は成長の証と良く理解し、レッスンを終える。
珍しく「とも先生」「I先生」のお2人から、当ホームページの様子聞かれる。はっきり言わなかったが後から考えたら、多分「ゲストブック」のことで反響あったのだと気付く。
レッスン中のI先生の生徒さんの淑女にもHPを宣伝しスクールを後にする。
この頃、皆様のご協力で当HPも賑わい出してきた。嬉しい限りである。誰かさんではないが、このページは私の「等身大」であり、本音そのものです。遺書であり、遺言でもあり、人生の夕暮れ時の「いきざま」のつもりで書いている。従って遠慮なく意見を寄せて頂ければ、なによりも幸せなことである。
2001年05月14日 13時33分42秒

01年5月7日(月)
長い連休であった。29日以降レッスン、サークルすべて休みの為、時間持て余す。あと何年後かの「毎日が日曜日」になったらこうなるのかと思うとゾッとする。目的の無い生活は何も生まない。意欲が湧いてこない、何もする気が起きない。
娘と息子が独立し、残して行った書類、衣類を整理し、部屋の模様替えをした。ようやく夫婦2人の生活様式にかわる。
5月4日(金)は女房が自宅で茶道を教えており、その稽古日。生徒さんと顔を会わせ無いように出掛ける。予ねてから一度体験を望んでいた「500円パーテー」に単身行ってみる。東京のはずれで立派な公共施設。広さ、眺望は申し分ない。やっぱり年齢層は高いがかなり上手な人もいる。遠慮気味に眺めていたら、おばさんが声かけてくれた。「幸先よし」と思ったら大間違い、2曲程踊ったが、「位置が悪い」「初心者ね」と言いたい放題。「何なんだこれは」と思いながら、おばから逃げだす。小生が初心者の女性に対してこんな口はきかない。無礼な奴と思いながら、気持ちを鎮める。意気消沈で立ち直れず。気の良さそうなおばさんに申し込んで何曲か踊り、早々に退散。若い上手な人とも踊ろうと思い描いていたが、敢え無く敗退、ストレスだけが残る。そう言えば最近こんなことばかり、全然上達していないのではないか、全てに疑問を感じてしまう。
今日はずる休みの日、臨時で「とも先生」にレッスンを申し込む。たっぷり汗をかいてしっかり理解したら、少し気分も晴れる。「先生を信頼し、自分が努力することだ」と胸に仕舞い込む。帰ろうとしたら、先生が「5月6日のプロコンペ優勝しました。アマも生徒が優勝しました」とのこと。「良かった、本当に良かった」希望を感じながら、急いで帰宅、漸く長かった休みが終わる。最後でなんとか辻褄が合った。
2001年05月08日 17時07分09秒

01年4月29日(日)
夜半の大雨も上がり、少しひんやりするが天気は上向き。
午後からサークルに向かう。途中ダンス仲間の電機屋兼スナックオーナーのところに寄る。今夜、「とも先生」を接待するのでその予約。次の競技会は5月6日とのことで、明日も休日だからお誘いした次第。
サークルはレベルがバラバラ。こちらは約3年の経験から、先生も初心者の指導優先でそれ程なにも言わない。
これが自分を成長させない要素なのだろうが楽しく踊れる。これで満足しておくのもひとつの楽しみ方なのだろうが、自分はもっとレベルアップを望んだ訳で、其の差が悩ましい。
4時間たっぷり汗をかいて、スナックへ一直線。
「とも先生」は不安そうに「私ひとりですか」と言われたが、「先生ひとり居て頂ければ・・・」と押し切る。
23時過ぎまで、かなり飲んで酩酊。「とも先生」も気持ちの良い位の食べ方、飲み方でさすがスターは違う。顔色も変わらずシャンとしていた。
今日は10時間にわたり先生にお付き合い頂き、満足しつつ帰宅後バタンキュー。
2001年05月01日 16時38分05秒

01年4月28日(土)
猫の目の様に変化する陽気。今日は初夏の様で少し暑い。毎週変化なく、仕事に行く様に個人レッスンに向かう。
レッスンもルンバの基本で此処1ヶ月変わらない。先週のポイントを頭に入れ、それにに沿って動くが、沢山の注意を受ける。今日は言われる内容が今一つ理解できない。当然の如く体は動かない。
正しい姿勢を意識すると、「バックバランス」だと。ボールバランスを意識すると、「女性にウエイトかかり動きにくい」まるで禅問答の様で訳の解らない日。最後にハンドツウハンドの指導を受けたが上の空、良く覚えていない夢遊状態。日ごとに先生も言い方を変えてきているようだ。
結論はいい加減は許されないと言うことで、「しっかり足を引き、しっかり腰を圧縮、送り足もしっかりプッシュ、尻もしっかり足の中に納める」ことと理解した。
先生も甘さが消えてきたのを感じる。散々たる日であった。「ああ悲しい」
2001年05月01日 15時50分05秒

01年4月22日(日)
日曜日。昨夜が遅かったのと今夕パーテーのホスト役あるので体力を温存し遅起きする。
昨日の個人レッスンの時、I先生より「明日時間とれますか」とのことで、先生が主催するサークルのパーテーへホスト役とのご指名。今回で3回目であり、生徒も技術は未熟でも魅力のある女性ばかりなので即OK.光栄なことである。
我がサークルは「とも先生」競技会のため、今日はI先生。今日は自分にテーマを課して出席。初級は初心者多いが「ホールドを絶対に崩さないそして正しい姿勢を維持する」
動き出したらとても難しい。相手が変な位置に足を置くと引っ張られる。だけど先生を見ると微動だにしない、体の強さも必要なのだ。
夜パーテーに先生とともに行く。さすがプロ上から下まで着替えて、華のあるファッション。こちらは汗かいたままで、顔を洗っただけ。楽しく踊る。
3年の経験が漸く生きてきたのか自然に適当にリードできる様になって来ている。努力は何事にも大事だなと思う。明日の体力が気になり21時私だけ心残りながら退散。
楽しい2日の休日が終わった。
2001年04月23日 12時15分33秒

01年4月21日(土)
この頃の陽気は何か変である。夏と冬が日変わりで来る。今日は冬の日でセータも持って個人レッスンヘ向かう。
スタジオの入口で「とも先生」と会う。ヘアーがアップで明日の競技会のため、美容院に寄ってきたようだ。2人で鍵を明け入る。まさに一番乗り。
今日は競技会を目指す先約が有り、1時間位シャドーをして待つ。これも悪いものではない。
ルンバの練習開始、またまた結局は前進・後退に尽きた。
但し大きな収穫あり、前進・後退とも最後のウエイト乗ったところは、「骨盤が一杯に開く、お尻は小さく固める」「股関節が折れている」「筋肉の内側が使われている」ことが体で感じた。
そしてこの様に動けば姿勢も自ずから良くなる様な気がする。短時間ながら満足感を感じてスタジオを出る。帰り際に「とも先生」の明日の成功を祈り、一声掛ける。
図書館経由で帰宅し、夕飯後に「月子さんのホームページ」を覗く、私への有り難いアドバイスを金曜日の夜書いてくれていた。慌てて書き込むが何回やっても駄目。諦めて寝たが残念さは残るがネットライフの楽しさに嬉しがりながら寝入る。
2001年04月23日 11時06分56秒

01年4月15日(日)
サークルは所定の時間の予約がとれず、今夕6時から9時となりいつもと違い調子狂う。遅い朝飯後、自宅8畳間で音楽かけてシャドーをする。一時間半位やっていた様だ。
午後から独立した娘のアパートまで女房とドライブ、片道30分位のところ。今日は私の50余才の誕生日で娘が住まいの披露を兼ねて昼食でお祝いをしてくれるとのこと。住まいは整然としていたし料理も美味、どことなく女房の味が混じる、家庭の味は大事なものである。しっかり一人立ち出来ていること確認でき安心する。
自宅に帰ると名古屋の息子夫婦よりプレゼントの品届く。お礼の電話すると嫁さんが5月には生後6ヶ月の孫を連れて来るとのこと。皆しっかりやっている。
夕方からサークルへ行く、今日は「とも先生」だけ。一番乗りで先生と二人になると、いつもと先生の感じが違う、恥ずかしそうにしている。鈍感な私は気ずかず。「髪を茶にそめたの」「良く似合います」と答えるが、年頃の女性にもっと気の効いたこと言えないのが情けない。
男の生徒少ないので先生と二人でフル回転で対応する。
中級ではスローにフィスク・ウイーブが追加された。個人レッスンとサークルは別物だが仲間との楽しみは格別だ。
明日の公認サークル練習は取り止め。当分行かないことにした。性分からするとコーチャーに意地でも対抗したいのだが、これでは今迄の仕事の延長になり兼ねない。仕事の窓際だって気持ちの妥協で今の穏やかな境地になれたのだ。無駄なストレスとなることはこの際止めよう。これが大人の知恵だ。先生のペアーレッスンの許可まで公認サークルは休みとした。女房の了解も取れた。楽しみでやること忘れてはいけない。
2001年04月16日 11時42分06秒

01年4月14日(土)
月曜日のコーチャーの一言から、もやもやした一週間が過ぎた。
決意も新たに個人レッスンに向かう。桜が散り、今は花水木の花が美しい、初夏を思わせる陽気に誘われ、半袖のウェアーで出掛ける。
今日はルンバを行なう。規程のフィガーを一通り「とも先生」と踊る。ニューヨークの右から左へのウエイトシフトが出来ていないので鏡の前でみっちり練習。右のボールで立って左へ移動。この時に右股関節が折れる。理屈は前進、後退と同じだ。さらに前進、後退を行なう、先週までで飲み込んだつもりが、別の指導あり。「片足のボールで立って、静かに移動」ボールで立てない、ふらつく。指導は何時になく厳しく、基本の繰り返しである。汗が床にしたたり落ちる。
I先生は案の定、今日は風邪で休み、次の生徒が待機していたので早々に帰る。
今週も図書館へ行ったが、気が入らず「ダンスファン」を一心に読んで、最近評判の「桐野夏生」のミステリーを借りて帰る。骨太だが面白そう、寝床に入って読む。土曜の夜は更けていく。
2001年04月16日 10時46分43秒

01年4月10日(火)
朝から意気消沈している。寝苦しく、悪い夢ばっかり見た。昨日は公認サークルの練習日。暖かくなつて来たので比較的機嫌良く出掛け、汗を流した。前々から不吉な予感をしていた事が的中した。このサークルには女性のコーチャーがいる。長年のサラリーマン生活から人相、雰囲気で大体どんな会話になるか洞察がつく。とうとうその夜がきた。女房が言うにはずーつと観ていた様である。思い余ったように突然現れ、「姿勢が悪い。腰が緩んでいる。目線が下すぎる。フィガーにウオークが多すぎる、演技は短時間、これでは欠点が目立つだけ。」と至極最もな事であるがカーと頭に血が上る。「こっちは超短気なんだ。何を言うか」と腹の中は煮えくり返る。そこを尽かさず駄目押し「お2人とも踊っていない今の姿がとても良いよ」と「ダンスしない方が良いと言う事か」と呟く。
見るからにその様なこと言いそうで、前から敬遠していたが捕まった。そして言っている事が的を得ているから悔しい。悶々とした一夜を過ごした。仕事でなくなったストレスがここで復活した。「競技会挑戦なんて甘かったなあ」とも思う。
一夜明けてすこし前向きになりつつある。「言われた事を直せば良くなるのだ」「フィガーの件は先生に相談してみよう」「だけど来週の練習は気が進まない、行きたくないなあ」
2001年04月10日 09時59分58秒

01年4月8日(日)
午後からコミニュテーセンターヘ行く。初級は今日も2人程増えて、半数は新人に近い人達。新人に近いと言うのは、正しくは皆1年以上の経験あるが、前のサークルの指導の仕方が悪く、「踊れない人」なのである。私もそれに近いので気持ちは良く解る。
「とも先生」がコンペで休みの為、I先生の指導。フィガーは覚えていない、音楽には乗らない(勝手に踊っている)格好は無様、で先生が「切れる」
立派なスタジオのプロC級の先生に教えて頂くには勿体無い経験不足者集団。「猫に小判」
中級になつて幾分、先生の気分も和らぐ。今日の収穫はリンク、5ステップ。両方とも最後のプロムナードへの開きは中間バランスで左肩・腰を入れ「ドン」と戻す。分かりやすい説明で納得。
タンゴは前からのどうしても制覇したい種目。いつかは切れの良いリンク、ネックの動きを身に付けたい。「タキシードを着て華麗に踊りたい」其のためにはワルツ・ルンバの制覇が先決である。
2001年04月09日 10時10分51秒

4月7日(土)
桜も散り始め、行く春を感じさせるなかを、個人レッスンに向かう。日増しに緑も濃くなって来ている。「今日はルンバをやりましょう」と先生のひと声で、規程のフィガーを踊る。暑いのと冷や汗とがどっと出る。2、3回繰り返した後は、鏡の前に立ち結局は基本に戻る。ルンバウオークの前進・後退のきめ細かい指導を受ける。.棔璽襯櫂献轡腑鵑らスタートし常にボールが基本であること∩或覆任發辰帆安の親指までウエイト乗せること。これが次のステップに繋がる力になるA或覆埜紊軋が上がる時、位置ずれない、床をしっかり抑え、背骨が前に出る様にウエイトシフトぅ曄璽襯評さい、背中の両肩甲骨を縮める等
ルンバは当初より始めたため最近マンネリ気味であった。どこのサークルも男女が離れて踊れるため、指導しやすくこれが主流である。基本も不十分なのに出来た様な気になっていた。最近の指導を受ける度に違いを感じ、これが身に付けばかなり「格好良く」なりそう。楽しみだ。何と言っても「とも先生」の踊る姿が「格好いい」
先生は明日は、新パートナーとのプロ競技会で後楽園とのこと。邪魔しないように早々に退散。今日も図書館へ直行。
2001年04月09日 09時35分36秒

01年4月4日(水)
午後から口実つけて、予ねてからのIT会社を訪問する。ベンチャー社長、会長の商談に同行したもの。米国企業と連携のうえ、日米の両国をマーケットとする商品企画の話で、子会社の新設も計画されている。そこに窓際の私をうまく行ったら嵌め込もうとの目算。有り難い事である。
さすがに400億の年商がある実力会長は違う、とうとうと3時間に渡り戦略、戦術を披露してくれる。オーナー経営者のバイタリテーに唖然とするだけ。我らサラリーマンそして規制で守られていた者の弱さを痛感。我々は動く前に可成の部分を固めてから動くが、彼らは動きながら考えている。セールスマインドに完全に開きある。
帰りに「飲みゃ横丁」で安酒と焼き鳥食べて気分転換する。次の機会にはもっと積極的な話が出来るような勉強が必要だ。
話は変わるが、先日の日曜は終日、図書館でセミナーの準備をしていた。ここには「社会人コーナー」が設置されており、極めて快適、調べものも捗る。4時頃ほぼ目処ついたので、3階のフィットネスルームを覗く。かって習っていた苦手な女の先生の教室。そこにダンス仲間の若手男女が復帰したとの事を噂に聞いたので覗きたくなった。先生は少し大人しくなっつていたがメンバーは高齢化魅力は感じられない。終了後、お茶をのみながら情報交換、このホームページのことも話し、「皆の情報の場にしよう」と提案。其の日の夜、早速にK嬢よりメール頂く。「嬉しい。仲間は良いものだ」
2001年04月05日 12時06分56秒

01年4月2日(月)
今日は公認サークルの練習日。新人も入社したり、期初の繁忙もあるが、我関せずで定時に退社する。一目散に体育館に向かう。
今回は出足も早く7組み位い踊っており大変熱心で感心する。我々も作ってもらった規程フィガーを練習するがなかなか意気あわない。早くペアーレッスンを受ける様にならないと自信に繋がらない。何となくどっち付かずの状態。早く私が及第点に達するこたが大事なのだ。
周りの踊りを良く観ると、年季が入っており、決めるところは決めている。2人で羨ましがりながら早々に退散。道程は遥かに遠い。
2001年04月03日 17時41分01秒

01年3月31日(土)
満開の桜と雪の競演のなかを午後から個人レッスンに向かう。今日も一番乗りでスタジオには「とも先生」だけ、体を慣らした後、直ぐに練習開始。ブルースで前進、後退を行なう。いくらやっても中間バランスができていないのだ。今日は特に前進・後退とも残る足にウエイト残しながら徐々に通過していく事を徹底して行なう。レッスン時間はあっと言うまに過ぎる。
次はワルツに入る。これもスピンターンとリバースターンの456を重点的に行なう。スピンターンの2では突っ込み過ぎの注意を受け、「後ろ髪ひかれるように」と、リバースターン456ではの後退で足揃え「イスにかける」で右にウエイトうつり、6で徐々に左にウエイト乗せていく。今迄左足の位置決めて一気に乗せていた。この部分見栄えする所だからしっかり身に付けたい。
結局、覚えの悪い私の為、かなり時間オーバー、お金掛けられない身の為、先生の好意のサービス 
4月は2日間に渡るセミナーを担当する、明日の日曜は珍しくサークル休みなので、連日図書館でみっちりやらなければならないが充実感はある。
金曜の夜は、期末なのでベンチャー社長のところへ飲み代持参で慰問。続々と意欲満々の氏が集まり、まるで異業種交流会。前向きな、組織に縛られない発言で、元気を貰って帰った様で2日酔いの無い快い酔いであった。また集まりたい顔触れである。
2001年04月02日 11時59分45秒

01年3月29日(木)
花冷えなのか冬に逆戻りの様に寒い。
昨日の履歴書等の売り込み資料やっと仕上げる。根が謙虚なもので、実力以上のことを飾り付ける表現は嫌いだ。「この道30余年もやっいるのだから職人だ」自信をもって行こう。と一気呵成に書き上げ、深く見直さず送る。
さすが起業する人は違う。今朝一番でベンチャー社長より電話あり「来週には売り込む先に案内する」との事。「コンサルテイング会社のシステム関係会社で規模も大きい、実権持つ会長に会わせる」「こんな私で大丈夫なのか」と思ったが「駄目で元々」と全て任せる。それにしてもすごい人脈だ。セミナーの件でも驚いたが、今度はもっと吃驚した。同期生ながら大きな差である「脱帽」在職中から将来を描き、顧客の立場に立った関係を築き、それが今日に繋がっている様だ。
来週、仕事抜け出して同行すること約束する。「人間関係は大事である」
2001年03月29日 13時54分08秒

01年3月28日
昨夜はNHKの「プロジェクトX」でビクターのVHSビデオを窓際族が開発したとのドキメントを観て寝た。好評でアンコールであった様だ。疲れが出てきたのか調子でない、けれど私の駄文を見てくれている方、吃驚するほど増えており、励みになる。是非ゲストブックになんでも書いて欲しい。
課外授業(副業)を紹介してくれたベンチャー社長から、例の専務の件につき照会あり。商売に生かしたいとの事。私憤あるが社長のために、「今後実権あるのか」ヒアリングしてみた。「悪い奴ほど良く眠る」新たに代表権持ち、本体から出資もさせ、安住の地をしっかり造っていた。この際、いたぶられたご恩返しに「有効に活用しよう」と言う事にした。
午後には建物内の関係会社の役員が退職の挨拶に訪れてくれた。かっての上司で、明日からは悠々自適の生活の様で羨ましい限り。「変な日の退職ですね」と聞いたら、月末だと年金支給が翌日裁定で5月支給と1ヶ月遅れるとの事。失業保険も役員だから出ない。役員になっても不利なこともあるのだ。
失業保険はこの4月から定年退職だと300日から180日に短縮されている。それも少し前に突然変えて来た。サラリーマン人生の最期の生活設計まで突然狂わす。これも企業危機の増加、不景気から来る副作用なのだ。
ベンチャー社長が「企業を訪問する際に売り込んであげるから履歴書とスキル書いて送れ」との事、有り難いことだが前から言われているけれど「世間に通用するスキルなどありゃしない」筆が依然進まない。
2001年03月28日 10時30分03秒

01年3月27日(火)
今日は完全休養日、ダンスはない。昨日の練習で逆に疲れが取れたのか頗る気分が良い。窓の外には桜が絢爛と咲いている。窓際族には最適な季節である。正しくは壁際族だ。窓際には若い部長さんが勢揃い、皆かっての部下だ。若い課長が席替えを計画し、私にも同意を求めてきた。私は壁際を固執した、せめてこの位の我侭を言っても罰は当たらないだろう。長年の経験から窓際が無理なら、壁際で全体を把握しておくことは大事。仕事はないが流れは最低でも把握しておく。そんなことで手に入れた壁際から桜が良く見える。職場で花見とはおつなもである。
ところで土曜日の新聞で天敵、憎くき専務が退任と報じられていた。天下のT大を出て、末は社長と公言していたがこの荒波には抗せなかったのか。企業が吸収されるとはこんなもので、親会社の人間は子会社化した会社の偉いさんなど意にも介さない。偉い人ほど放り出す。だけどあの「ずる賢い奴だ」どこか上場企業にポスト見つけたのだろうと関心をもっていた。
なんと奴は私と同じ建物内の関係会社のナンバー2になるとのこと。何のことはない、実力もないのに、社内の権勢だけで生きて行く奴の辿りつくところは、こんな温室だ。
先週の金曜日にも珍しい人とあった。私を飛ばした、当時の関係会社の社長がうちの食堂でヒッソリと飯を食べていた。今は吸収された親会社の派遣部門の平取に降格され、今日はパートさんの面談に来たとのこと。
人の事は言えないが両者とも大したスキルなく社内の親分、子分で生きてきたのだ。2人とも一流大学出で能力高いが使わなければ錆付く。会社の危機がなければ隆々の会社人生を謳歌したのだろうが、世間は甘くなかった。彼らはエリートだから自分には被害及ばないと思っていたのだろうが「ざまあ見ろだ」
今あらゆる分野で企業不安が出ている時だから、こんな出来事は
何処ででも起きている事で珍しいことではないのだろう。私のケースもまた然りだ。
ダンスを始めて約3年弱「私は彼らを凌駕した。これからの人生では負けない」
2001年03月27日 11時39分37秒

01年3月26日(月)
毎週、月曜日はJDSF公認サークルでの練習日である。1月加入以来まともに参加していない。土、日の疲れと長年のサラリーマンの習性で月曜日は家でゆっくり休みたい日。午後までどうしようか考えていたが、寒さも去り、桜も咲く陽気に誘われて、定時に会社を飛び出す。当初はこの定時退社は結構気が引けたものだが、2年も経つと身についてきて、割り切りが早くなる。閑職もベテランの境地になりつつある。
最寄り駅まで女房にマイカーで迎えに来てもらい、7時には体育館に着く。まだ4組位だが、皆熱心に踊っている。いつも狭いところで踊っているので何か勝手が違う。更に下手になったようで何とも恥ずかしく、調子がでない。それでも女房が前より少し真面目に取り組みだして来たので、6級のフィガーの刷りあわせを行なう。ワルツは日頃のものを減らしたものなので比較的すんなり行く。ルンバはホールドするとか、手を高く上げないとか制約有り、先生のご指導が必要だ。そんなで思ったより、少し前進。
サークルとしてはコーチャーいるが原則、自由練習。中間でコンペの申込の事とか登録の事とか手続きの説明がある。今日は今年度の「競技関連規程集」をもらって1時間半位で退散した。
今日は思ったより疲れもなく、気分はすっきりしている。独自練習だから毎回テーマをしっかりもってやらないといけない事を痛感。
女房の機嫌も良い、気分よく寝に入る。
2001年03月27日 09時59分55秒

01年3月25日(日)
日曜日は少し離れたコミュニテーセンターへ行く。個人レッスンでは十分に身には付かないので、復習・予習の意味も兼ねてサークルで練習する。
先生も休日返上で「I先生」「とも先生」の何れか、または贅沢にもお2人で指導してくれる。有り難いことである。惜しみなく前日と同様な指導が受けられる。今日は「とも先生」だけである。連日、先生の「追っかけ」をしている様なものである。
ブルース、ワルツ、タンゴ、スロー、ルンバ、チャチャ、サンバを午後4時間、初級・中級ぶっ通しで踊る。この日は初夏の様で汗だくである。サークルスタートから8ヶ月経つのでそれなりに一通り踊れる。しかしこれが個人レッスンを受けると肝心なことはなにも出来ていないのではあるが。両方の組み合わせで行くしかないし、楽しい事も大事である。ここでも前日同様に細かな指導うける。
何時もは終わったら、近くのレストランでお茶を飲み余韻楽しむ。
今日は仲間の電機屋のおやじ(可哀相だな、お兄さん)と花屋の2階のダンススペースに行く。美人が来るからと釣られ、疲れた体に鞭打ち2時間程踊る。大方昔の美人、正しい指導を受けてから、何だかパーテイーダンスは楽しめない。「とも先生」と踊った時の軽快さが忘れられず何とも物足りない。相手も同じ気持ちだろうが。
長い一日が漸く終わった、夜桜の2分咲き見ながらほろ酔い加減で10時頃帰宅。女房は寝ていた。反抗の早寝か。娘も居ないので寂しく風呂に入り寝る。「ああ疲れた」
2001年03月26日 17時16分50秒

01年3月24日(土)
毎週、土曜日は午後から個人レッスンに行く。午前中ゆったりと休日気分を満喫する。ただ今日は娘が家を出て独立するとのことで何か慌ただしさあるが気にせずマイペース。女房はなんやかやと面倒を看ている。
暖かい春の陽光の中を出掛ける。桜の蕾もたっぷり膨らんでいる。スタジオへはいつも一番乗り、下手だから人目を避けること、先生のお疲れの無いうちにと言う訳である。
今日はいつもと違い短時間のうちにモダン、ラテンと「とも先生」が精力的に指導してくれる。今日も沢山の注意点あったがしっかり覚えてきた点は次の通り。覚えてきても体は其の通りできない事が歯痒い。
ワルツ
〆能蕕領つ姿勢がボールポジションになっていない。これは後のルンバでも言われる。ボールの位置が一番体が動ける位置との事。
◆崑のなかに尻を入れる」最初はなんのことか解らない表現であるが、ようやく実体験として意味は理解できる。尻を小さく、ヒップアツプし動きに尻も付いていくと解釈。これもルンバでも言われる。姿勢の基本か。
ホールドの肩、すぐ意気込んで肩が上がる。「吊革にぶら下がる様に」と何時も言われているが今日は別の言い方で「肩の筋肉をちじめて」と言われる。
ぅ好團鵐拭璽鵝▲螢弌璽好拭璽鵝▲Εぅ好を集中的に行なう。共通点はすべてしっかりウェイト乗せてから次のステップに移ること。「スピンターンの2が頭突っ込み過ぎ、ウエイトもっと後ろに」と言われる。
ルンバ
良く言われたこと振り返ると、ワルツとおなじ事が大半。
要は基本中の基本の姿勢が未だ出来ていないと言う事だろう。
私のレッスンガ終わる頃は4組が動き始めていた。活気が漲るスタジオを後にして、春到来の街へ飛び出した。
2001年03月26日 10時11分27秒

年金のこと
50歳を過ぎる頃から自分の将来もだいたい見えてくる。そして大きく狂うこともない。
しかし昨今は大方の業種が不安定で、雇用の不安からはじまり老後の年金の不安まで尽きることはない。この失った10年が価値観まで大きく変えている。
年金問題は大きなテーマである。公的年金は2階建てで基礎年金と給与比例年金。我が社は3階部分に退職金の一部を企業年金として上乗せしている。この両方とも不安が一杯なのだ。
原因のひとつは長く続いている低利回り、2つ目は企業の体力低下。公的年金はこの4月から順次60歳支給を65歳支給に変更している。企業年金は予定運用利回りを下回る部分の補填が必須でこの力が尽きたら年金額の減額または公的年金と同様に支給を遅らすこととなる。どちらにしろ悪い方に急速に進んでいる。
「政治が悪い」「経営が悪い」の声を良く聞く、そのとおりだろうが、我が国の思考そのものが「問題の核心にふれず、当たり障りなく」が官民にたっぷり浸透し、国民性を醸成しているのではないかと考える。
企業の中でも抜群の実績を上げても核心に触れたことを声だかに話すと、自然に本流から遠ざけられる。
右肩あがりの良き時代は今後の20年は無理では無いだろうか。だからこそ「質素ながら心は贅沢な人生」を歩みたいと願っている。
2001年03月23日 13時43分35秒

パソコンのこと
パソコンは使い初めて丸2年です。今の職場に流されて来てパソコンを宛がわれました。最初の仕事が3000件の資産を会社解体、営業譲渡の為に色分けする仕事でパソコン無しでは出来ません。其の前からパソコンは机上にありましたが、精々社内メールのやり取り位で、こんなことより「もっと大事な判断業務が優先」と考えていました。ラインを外れてみると、結局は「何処にでも通用するスキル」は何もなく、直ぐ困る事態となった訳です。そこから2年で漸く馴染み、昨年末には「マイパソコン」を手にいれました。それも極めて廉価でです。
今の閑職になってから、仕事のやり取りでEさんを知りました。良く聞いてみると前職が一流メーカーO電気の研究者とのこと。パソコンは自分で組み立てる実力の持ち主、お願いしてみました。2月にはピカピカのパソコンが到着し、メールから始まり、予期せぬホームページにまで行き着きました。従ってダンス同様に未熟ながら、毎日楽しんでおります。ホームページつくりのきっかけも「とも先生」が興味をもたれてそこから今日に繋がりました。
そして更なる変化は、同期生で会社に見切りつけベンチャービジネスを起こした仲間からセミナー講師の仕事の斡旋がありました。「社内で使われないスキルが外で生かせる」皮肉なことですが喜んで受けさせていただきました。お蔭様で今年は春から幸先よく、2回のセミナーを無事終え、あと3回の予約も貰いました。「閑職もまた楽し」と言う心境に少しずつなってきています。
今後の夢は「世間に通用するスキル」がなく苦労したので、こんどはダンスでスキル付けてこの関係の仕事に就ければ幸せだなあと夢見ております。
2001年03月22日 13時25分47秒

近況
ようやく2001年、今年になりました。
毎週土曜日は「とも先生」の個人レッスン、日曜は同じ先生が指導してくれるサークル、更に2月より月曜日JDSF公認のサークルでの練習が加わりました。
競技会に参加するには選手登録を必要とするため、公認サークル加入が必須です。加入と同時に手続きを進め、1ヶ月後の3月始めに晴れて「選手登録証」を手にしました。このサークルはかって所属していたところで素晴らしい踊りをしていたご夫妻が加入している先です。ご夫妻は学生時代に選手経験があり、憧れ のカップルでした。「我が家の外交官」がお願いして、推薦して頂き、お陰でスムーズに進みました。ここでも良き仲間に助けられています。
一方コンペにむけた練習ですが、6級からチャレンジすることになり、モダンはワルツ、ラテンはルンバで規程フィガーからルーテインを作ってもらいました。基本フィガーばかりです。昨年3月からワルツを5ヶ月間個人レッスンを受けてきましたので、3月からはルンバのレッスンを受けております。ペアーレッスンに入るのは私がまともになってからでまだ先の事となりそうです。すべて「とも先生」の胸の内にあります。
省みますと今迄の練習方法は、随分回り道をしている様です。「とも先生」は多くを語りませんが、基本の姿勢、前進、後退、すべて最初からやり直しです。ルーテインは何回か経験すれば覚えられますが、体の動きは簡単には覚えられません。まして誤って身につけたらこれを直すのは至難の技です。熱心にやって、悪く固めたかもしれません。まず最初からプロの信頼出来る先生に師事することが実質的にも経済的にも得策と遅ればせながら感じております。
そんなわけでコンペむけ練習は緒に着いたところです。
2001年03月22日 09時54分45秒

再出発
昨年の7月から新サークルに入会した。I先生(男性)、T先生(女性)の2人が休日を返上して指導してくれる。正にボランテアで熱心に教えてくれる。何より感心することは、難しい、難解なステップは二の次。基本のステップを早く覚えさせ、体の動きを中心に教えてくれることだ。これを望んでいたのだ。8ヶ月経つがあっというまだ。楽しさも蘇ってきた。
9月からはT先生(とも先生)の個人レッスンも開始した。両先生の踊りは華麗の一語に尽きる。さすがプロは違う、回り道したが漸く王道に辿り着いた。先生に不足はない。後はこちらの能力の問題で、これは大いに懸念ある。がこれで悔いはないと言うものである。
ある日、とも先生と2人きりになったので「折角、立派な先生に師事するのですから、記念受験と言うことで競技会を目指して進めたいのですが」と非力を省みず、無謀なお願いをした。先生は快く同意してくれた。
会社の方はあの後、通勤に2時間もかかる所へ飛ばされた。其の上まともな仕事が無い。キャリアを生かすなんてとんでもない。誰でも出来ることを宛がわれ、自分の存在感、プライドはずたずたにされた。会社は生木を裂かれる様に2つに解体され子会社化された。「勝ち組みに残るための選択だ」とのこと。会社の名前もこの3年間に3回変わり、転籍を繰り返した。多くの同僚が将来に見切りをつけて去っていった。辞められる者は良い。
この3年間、会社では碌なことないが、幸いダンスは紆余曲折しながらも充実している。ダンスがなかったらこのつらい試練に耐えられなかっただろう。仲間、先生に感謝するばかりである。
2001年03月21日 16時34分54秒

サークル捜し
今ひとつ気分が乗らなくなり、自分の描いたサークルを目指し見つけ歩いた。全部で10個所位い覗いた。そして土曜は女性のベテランの生徒を個人指導的に教えている、6人位のサークル。日曜はペアーレッスンスタイルの10人位のサークル。両方とも年配の男の先生。3月から8月まで6ヶ月指導を受けたがどんどんおかしくなってきた。土曜は女性中心で男は付け足し。日曜は細部を捏ねくり回すだけで、両方とも少しも楽しくない。悶々としていたところ、前の日曜のメンバーの女史から「今度、自分が個人レッスンを受けているプロC級の先生がパートナーとともにサークルを発足します。是非どうぞ」とのこと。前から馬鹿みたいに熱心なので気に掛けていてくれたようだ。「救いの神だ」と素直に感じ参加を申し出た。
参考までに4つのサークルを独断と偏見で総括してみる。
‐η篆優織ぅ
お客さま扱いを徹底、難しいことは一切言わない。和気あいあい、覚えなければ辞めない 一番良い客、初心者には適するが向上心ある人は直ぐ限界来る。
∩膿佑里遊び
,搬仂氾。生徒を客とも思わない、ただ感情剥き出し、一応立派な指導をするのだが自身の実戦、理論が不足、こっちは真剣だからメモまでして身につけるが翌週行くと違うことを言う、追求すると機嫌悪くなり、意地悪する女の先生。
商売人タイプ パート
理屈を売り物で幅広くサークル主催。如何せんこれも実戦不足、御本人が華麗に踊れない。太りすぎ。
し歿戎揺
身なり、体の動き、華麗さ、完全に惚れ込む。サークルにあわせ個人レッスンをペアーで受けたほど。男(先生)が男には教えられないこと後でわかる。先生自身は立派だが教え方は疑問多い
2001年03月21日 15時40分16秒

サークル活動
98年7月から土曜、日曜と2つのサークルでダンスに没頭した。仕事のエネルギーがそのままダンスに変わった訳だから、並みのものではない、土曜日の初級、中級ぶっ通しで3時間余り、日曜は同じ様に4時間、一時は火曜日も2時間程夜に参加した。会社のいやなことを全て忘れる為、自分が再出発を出来る為、夢中に取り組んだ。

案の定、楽しかった。キューバンルンバは「高嶺の花」のような踊りであったので面食らった。ロープスピン等は在らぬ方向へ向かってしまい失笑を買った。体を動かすこと、音楽を楽しむこと、仲間と語らうこと、利害関係のない、なにも束縛ない付き合いは気分を楽にしてくれた。
この当初のメンバーが気持ち良く受入てくれたお陰で10ダンスを一応体験した。こんな活動を2000年、昨年3月まで約1年9ヶ月続いた。
アフターダンスもダンスに匹敵する位楽しい。閑職になってから、努めて地元との付き合いのなかにも入っていった。なかなか難しい、当たり前だ、20年間も転勤に次ぐ転勤で自宅を留守にしていたのだから。既にしっかり人間関係が出来ている。其の点、趣味の世界は解りやすい、話は当然合う。そしていままでなら考えもしなかった所謂「おじさん」「おばさん」とも自然に付き合いが始まった。付き合いの難しかった地元の人も参加してきた。「俺の方が先輩だ」今度はやりやすい。こんな良いことも出てきた。
2000年の3月、楽しいし、一通り覚えた、だけど仲間でしか踊れないのは何故なのか。そして華麗とは程遠い踊りは何故なのか。このままでは折角始めたのに満足できないとサークル巡りの流浪の旅が始まる。
2001年03月21日 10時09分41秒

サークル入会
98年6月、前月の出向から間髪をいれず、コミュニテーセンターのサークルを土曜、日曜と連日に渡り見学した。
5年位前から、社内検診で成人病の診断があり、会社の健保の指導でスポーツセンターに通いウオーキングを日課にしていた。
休日のコースは変化を考え完成されたばかりのコミュニテーセンターを加え、豪華な施設内の図書館で好きなだけ乱読し、至福の時を過ごしていた。
其の施設で行われている、サークル案内も盛り沢山、掲示板に張り出されていた。土、日それぞれダンスが行われていた。
私は初めての人の輪に加わるのが前から苦手であった。ましてダンスである。どうやってこのサークルに参加するか考え、「我が家の外交官」 の女房の協力を得ることにした。利用したとも言える。またダンスを誤解なく、思う存分楽しむ為には女房の理解が一番であるとも考えた。まあ彼女はそんな興味もないので見るだけだろうとも考えた。浅はかであった。
先ず土曜日を尋ねた、部屋の外まで音楽が響き、先生の1、2、3、の掛け声が響いていた。恐る恐るドアを開けるとそこは別世界、皆がにこやかに、楽しげに踊っていた。雰囲気はすごく良い。みんなリラックスしている。先生は御夫婦で男の先生は東北訛りでなにせ漫談調。メンバーは男5人女15人で 少し年齢高いが贅沢は言えない。即参加を表明。女房は他の習い事あり、不参加。万事OK幸先は良い。
翌日も同じ様に尋ねる。今度は偉く静か、人数も5人位、女の先生できりきりやっている。メンバーも若い男女がいる。(若いと言っても私よりだから、40代)これは道を極めている様で、これも良い。
と言う第一印象で休日はすべてダンス漬 の生活がここから出発した。女房も日曜は参加することとなった。
2001年03月19日 13時32分01秒

ダンスとの出会い
夜、寝床につくとその「いやなこと」が頭をかすめ、そのうちに一杯になる。眠れず朝方うとうととする。当然寝起きは悪い。頭に浮かぶのは「あいつ」と「あいつ」と「あいつ」と会社の関係者は信じられなくなっていた。
こんなことをしていたら自分は駄目になる、そうなったら奴等の思う壺だ。「よし、いやなことは忘れよう。忘れるために楽しいことをしよう。そもそもなにが今迄楽 しかったのか」自問自答した。その時浮かんだのが「ダンス」であった。昭和40年前半、ダンスは盛んであった。最初の配属店が新宿支店で社内旅行、クリスマス、独身寮のパーテイで先輩は盛んに踊っていた。田舎から来たのでそんな姿は眩しく、ダンスをマスターすることが都会人としてのパスポートだと思った。歌舞伎町のビルのなかでグループレッスンも受けた。ブルースは「第三の男」ワルツは「魅惑のワルツ」タンゴはリバースターンでギブアップ、ジルバは完全にものにした。当時のルンバはボックスルンバでキュウバンルンバ極めて小数のベテランが楽しんでいた。ダンスで独身時代楽しんだ。「そうだダンスを前からやりたかったのだ」「会社とは精神的にはおさらばだ」「俺はまだ死んでいない」「これからはダンスをメインに人生を歩むのだ」と決めて98年6月コミニュテーセンターにあるダンスサークルを恐々訪れる。
2001年03月16日 15時53分02秒

出向・退職・転籍に次ぐ転籍
99年5月、
関係子会社へ出向した。予てから同期生の大方は出向済であり、会社の様子も不安定なので2、3年前から準備はしてきていた。現担当の部門を順次その子会社へ移す、アウトソーシングの計画である。社内の根回しは社長をはじめ、理解ある常務も巻き込んですすめた。不安は私の上司である理事、常務、専務が反対はしないが何か一物あるようであった。
1年間は現職時と大きく変わることなく推移した。ただ本体の肩書きが外れるとなんか疎外される感じは少しずつ増していった。
夏頃から昨年末の危機がまた押し寄せてきた。今度はグループごとの揺さ振りである。
98年10月、会社はマーケットの不安解消のため会社解体、優良部門の営業譲渡を打出した。アウトソーシングどころではない、いかに高値で譲渡するかと言うドライな話になる。一物あった連中は持論の方向、解りやすく言えば自分にとって都合の良い方向権勢の維持に動き出す。私の属する部門は稼ぎ頭の優良部門であった。
99年5月、出向から1年後そのまま子会社に転出した。本体でそれなりのランクまでいけ、役員は到底無理と踏んでいたので、せめて子会社ではその願いは叶であろう、そのまま横滑りはありえないと考えていた。「30余年尽くしたんだ」「体も壊れるまでやった、一応順調にきた、会社は裏切らない」と自分に言い聞かせた。
しかし現実は違った、横滑り。処遇は給料に比例する。正月の「血の出る努力」は給料カットであった。
16%のカット、そのうえ転籍すると60%カット。前年の半分に減少した。もっとつらいことが起きた、こちらの権限の落ちたところをすかさず、部下が造反、あわせて私と気持ちが合わなかった上司も示し合わせたように組織改正をしてきた。
1年間で、描いた計画はあえなく御破算。生涯の親友と思っていた後輩にも裏切られる。これが一番堪えた
憎くき常務の威を借りた10歳も年下の野郎に私は捨て猫のように放り出された。「くやしい」「最期にこれはなんだ」夜も眠れずに悶々と苦しんだ。今思い出すのもいやなことだ。
2001年03月16日 15時23分52秒

98年のスタートは5日から始まった。会社では新年の最初の営業日に、朝8時45分より社長の年頭の挨拶がある。この年が多分、この会社の最後の年になるだろうと思い、挨拶文を取って置いた。今てもとにある。
前年の社員のご苦労を労い、思い切った手を打ったことと支援企業グループとの緊密な連携を述べている。最後に「今迄とは違った会社に生まれ変わる」と宣言している。その為には「寄りかかってきた過去と決別し」「血の出るような努力」を社員に求めていた。
「生き残れた」と言う安堵感とこれから始まる「切り刻まれる」不安、世に言う「リストラ」の始まりに大きな不安を感じた。反面、会社の言うがままに動いた結果がこの様とは何なんだと怒りが込み上げてきた。「俺は 不良債権なんかつくっていない」
2001年03月16日 12時43分04秒

同級会には30分ほど遅れて出席した。
部屋に入ったらなんだか知らない人ばかりの中へ紛れ込んだ様で当惑した。
そのうちにO君はすぐわかった。近所のはんこう(印鑑) 屋の次男坊でこいつによく苛められた。しかし親分肌でなんか魅力のある奴であった。
そのうちだんだん幼い日の面影が蘇り、酔いも増していった。この会も何回かやっていたようだ、よそ者の扱いでなんか白々しい。
酔ううちに段々、本音が出て、今日の主役扱いの男が口をきった。
「あんたには苛められたなあ。あの頃の顔つきは仏頂面で、随分変わったものだ」
何とも立派なご挨拶である。予期せぬ言葉で一瞬気が遠くなった。
この男、地元の日赤の先生の子。「そんな高嶺のご子息を苛めるなんて考えられない」と皮肉を込めて抗弁。「この顔は30余年に渡り、揉まれ揉まれて作られた笑顔だ。其の証拠に眼は笑っていないだろう」と胸の内で呟いた。
苛めとはこんなもので、当事者しか分からないものと痛感。
真相はいまだ自分でも分からない。藪のなかだ。
先制パンチを浴びて漸く自分を取り戻し、隣の実直そうなおじさんに今日の肝心の事を聞いた。我が心のマドンナのK子とA子のことである。
「A子さんとK子さんはこの席にいますか、どの人ですか」
そのおじさんは「2人ともいるよ」と指で差した。
その声が聞こえたのか、その方向の女性2人が意識し、待っていたかの様に振り返った。
こちらもしっかり見た。目眩がした、想像とは全然違う顔、雰囲気がそこにあった。年月は残酷だ。夢はとって置くものだ。
K子が様変わりしていた。A子は化粧品屋の娘らしく奇麗に年を取っていた。K子はきっと苦労があったのだろうと想像した。
K子は医療の道に進み、今は銀行のカウンセラーをしているとのこと、名刺交換した。可憐さは完全に消え、姓も変わっていなかった。キャリアウーマンの様である。
A子は東京の大学を出て、都内の私の会社にも近い代々続く建設会社の奥方に収まっていた。
2次会は私と仲良しだったE子が市内の繁華街でスナックを経営しており、いつもそこえ流れるようで半数の10名が移動した。K子は母親の看病のため一次会で帰っていった。もう少し話をしたかった。感心したのは、マドンナはちゃんと何年経っても役割を解っていること。彼女達が来ないことにはなんとも盛り上がらない。「痩せても枯れても」いや「太っても枯れても」大事な人だ。感謝。
A子は同級会の時は駅前のホテルを予約するのが常と言うことで、最後までつきあった。
12時過ぎタクシーを呼んでホテルまで送り実家に戻った。
後日、K子と連絡を取り合い東京で在住者の同級会をやろうとしたが、結局は流れた。
都会に戻ると、お互いの生活の流れは早く、直ぐもとの砂漠の様な生活に一変する。
田舎のゆったりとした悠久の時の流れはない。
2001年03月15日 16時59分13秒

98年の正月。2日はN市内の病院で母親を見舞った。
意識は戻り一命は取り留めた。当時は衰えは感じながらも、会話もそれなりに出来た。
私の訪問も喜んでいる風であった。
信州の冬は寒く厳しい、そしてその寒さが私は嫌いであった。
そんなことから 18歳で上京以来、正月の信州は初めてである。抜ける様な晴天でそんなに寒くなかった。
あれから4年、母は入退院のくりかえしで、其の度ごとに弱くなり、今はどこまで話が通じているかわからない。
惚けの症状も出てきている.あれだけ薬物を投与したらしかたのないことだ。
遠く離れているし、こちらも閑職とは言え食べていく為には、仕事も捨てられない。
看病に協力したくてもなにもしていない。時々見舞うことでお茶を濁している。
強いて努めているのは、地元の義姉と妹へ余計なことは言わないことぐらいである。
半日見舞い、午後から懐かしの同級会に出席した。
翌年に予定される長野オリンピックのための施設の近く、
N市郊外の料理屋が会場であった。
2001年03月15日 13時50分20秒

悪いことは重なるものだ、今度は田舎のお袋が倒れた。
Y証券破綻の前日だ。
お袋は当時83歳で、義姉との2人暮らし、6歳年長の長兄は12年前に48歳で逝っている。
忙殺の業務を抜け、初めての長野新幹線に乗る。
集中治療室で人工呼吸を受けていた、心臓発作でかなり危機的、最悪事態も覚悟した。
一方会社の方はどんどん悪化していった、株価は50円を割る寸前である。世間では
割れたら破綻と言われていた。10年前300円まで行った銘柄である。
本店売却、企業グループの第3者割 当増資支援と矢つぎばやの施策を打出し、マーケットに評価をもとめた。企業グループ全体で当社を守る宣言をしてくれたのである。逆に言えばY証券を見捨てた力の評価がそうさせたと私は思っている。
厳しい評価が続いていたが、年末にむかい、マーケットの疑念は少し和らぎ、多少騒ぎも治まってきた。
そんな折り、予期しない電話があった。小学校の「同級会」の誘いであり、私にとっては、30年ぶりの出席である。
偶然であったのだろうが不思議なお声がかりで、私は、救われる思いで出席を約束した。あれ以来「同級会」はあの時の1回だけで 行なわれていない。何と も不思議な出来事である。
2001年03月08日 14時01分40秒

この後、年末までの1ヶ月あまりは悪夢の連続であった。 Y証券の破綻が確定すると、マーケットは新たないけにえを求め燎原の火のごとく、燃え広がっていった。Y証券とおなじ企業グループである当社等に対してもマーケットは容赦ない攻撃を加えてきた。 企業格付けの急低下、株価の急落、顧客の動揺、電話は鳴り続き、顧客は店を取り囲んだ。全国的な取り付け騒ぎである。 この変化のスピードの速さは並みのものでない。会社は記者会見等を開き対応するが、防戦一方。 我々社員も日中何とか対応し、夜になり一息つくと、不安感がグッと増してきた。 眠りについても「会社は潰れるのか」「失業するのか」「家族はどうなるのか」眠れぬ夜が続いた。
2001年03月07日 10時58分19秒

翌日から私は精力的に事情聴取した。Y証券ファイナンスへ転籍している同期生を手始めに、Y証券関係会社 への転籍者に聞いて回った。 「そのような話は聞くが、平穏だよ」とのこと、なんとも脳天気なことである。 いずれも同様の答えであった。これで解ることは会社の生死に関わる ことであっても、社員は何も聞かされていないと言うことである。 この時期に「巨額の簿外債務」が表面化していたのである。またこの債務のファイナンスに、先の会社が関わっていたことも後で知って驚いた。 そこからは急展開で一気に我々もその渦中に引き込まれ、当事者となっていく。 我が社が扱うY証券の企業契約商品につき、Y証券の社員から悲痛な問い合わせが多数寄せられた。気の毒であるが、これでこの破綻は決定的だと確信した。 97年11月下旬、Y証券は完全に生きずまり、自主廃業した。 あのコンピュータ会社役員の話を聞いてから、まだ3週間しかたっていないのである。 この年、S証券の破綻を皮切りに、H銀行とY証券は1週間のうちに相次いで倒産した。 この余波がその後、私の勤務する会社にも襲いかかって来て、大きく翻弄されることとなる。
2001年03月07日 10時57分01秒

97年10月。取引先のコンピュータ会社役員からの接待を受ける為、私と課長は東京駅地下街の割烹へむかった。 その席に着くと直ぐにその役員はこう尋ねてきた。 「娘の話によると、勤務するY証券が経営不安と言っているが御社と親密であり、どんなですか」 その年の4月から自慢の娘さんがY証券に入社し喜んでいたことを、知っていた。 「多少そんな話を聞くが、そんな心配する状況ではないと思います。詳しく調べてみます」と話し、話題は変わっていった。 我々は先方の勧めで昔懐かしのグランドキャバレー「白いばら」へと河岸を変え銀座へむかった。 この日の会話が今後の大きな波乱のプロローグであった。
2001年03月07日 10時11分01秒

プロローグ
明日から97年、いまから4年前に話は遡ります。
2001年03月07日 10時06分30秒

はじめに
念願のホームページがようやくスタートした。大変うれしい。そして挑戦への気持ちのけじめがこれでつけられた。 なぜダンスなのか、なぜこれほどまでに力をこめるのか、これから記していきたい。 とにかく今日は、いつも心にかけて頂いている、とも先生(若手美人先生)にメールで連絡しスタートとしたい。
2001年03月07日 09時45分19秒

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