Peleliu Island
ペリリュー島
美しいビーチと戦跡の島
2003年12月29日
ペリリュー神社建設後まだ間もない神社。その名もペリリュー神社。鳥居の中央にはストーリーボードで「ペリリュー神社」と書かれていた。何かこの場には不釣り合いな光景に、目が点になってしまった。お参りに来る人はほとんどいないという。展望台の近くにある。
飛行場を向いた大砲こちらは先ほどの大砲より大型のもの。しっかり原形をとどめており、整備すれば今でも使えそうな感じである。この大砲も飛行場の方角を向いている。これまでにも、大砲は見たことがあったが展示されたものばかり。今回のように、当時のままのものははじめて。今でも生々しさが伝わってくる感じだ。野ざらしのわりに状態もよく、損傷もほとんど見られない。大砲の後ろの洞窟から撮った写真が下ののもです。
基礎もしっかりしている後方から見た大砲。大きさが分かる。基礎がしっかり作られており、かなり頑丈にできている。床の部分は木でできていたのか、骨組みの鉄骨だけがむき出しになっていた。この写真を撮った後方には弾薬庫だった穴が奥に続いていた。
地雷を踏んだ米軍戦車ココは私有地に当たるため、入り口で管理をしている家族に挨拶をして入る。ここに住んでいるらしい。5、6才の女の子が出てきて案内をしてくれた。とても元気な子で飛び跳ねながら話をしてくれる。
写真は地雷を踏んで爆破された米軍の戦車。ひっくり返ったままの状態で横たわっていた。車体の裏には地雷で開いたと見られる跡がわかる。
米軍戦闘機戦車のすぐ側に米軍の飛行機があった。主翼はそのままの大きさ形で、米空軍の星のマークもそのままだ。写真にはないが、エンジンの一部、プロペラ、操縦席の窓枠などもそのまま残っていた。この女の子がコレクションしてるらしい?名ガイドの女の子が説明してくれるのだが、英語が聞き取りにくい。ここは彼女の遊び場にもなっているのだろうか・・!
ゼロ戦道路沿いのすぐ脇に横たわっている日本のゼロ戦。操縦席の部分が原形をとどめているのがわかる。プロペラや主翼も周辺に散乱している。この写真を撮るのに立ったところは私有地。タロイモが栽培されている。
飛行場日本軍が作った飛行場。今でも現役だ。一応コロールからのセスナの定期便があるらしい。ただ、燃料代がもったいないのか、月に数回飛ぶぐらいだそうだ。1人2人では飛ばしてくれないとのこと。舗装はされているものの、がたがたの状態。ペリリュー島に行かれる方は是非チャレンジしてしてみて下さい。きっと手に汗握るフライトが体験できることでしょう。
一応待合い場所もありました。ただベンチがあるだけですが。
この看板が目印 アイスクリームダイビングショップのすぐ近くで。1つ1ドル。美味しいです。
約4時間半の島内観光でした。途中自転車で廻っている人を2人見かけましたが、この暑さでは地獄です。
予想以上に当時の建物や戦争の傷跡が残っていたのが印象的でした。しかもそのままの形で。これからもずっとここに眠ったままになるのでしょう。そうあって欲しいものです。いろんな展示館へ行って戦争を見てきました。しかしここペリリューは島自体が博物館のようです。これらの戦跡がどこかに展示されるのでなく、ペリリュー島が戦争の悲惨さと平和の尊さを語りかけて欲しいと思います。