翔太の生い立ち


昭和63年12月16日 京都市に生まれる。 体重3000g程度で普通の赤ちゃんだった。
  大佑より毛も濃く、おとなしい女の子のような赤ちゃんだった。

翔太は何と言っても、手の掛からない子供で、布団にほったらかして置くと、勝手に寝ていて、楽だった。
  次男としては最高の出来ではないかと思う。

幼稚園でも大佑ほどに目立たず、普通の子だった。体系はちょっとぽっちゃりタイプ。話かたもやさしい子だった。
  結構頑固なとこもあり、これは今でも変わらない。

大佑と同じく、3歳後半からイトマン京都のスクールへ。風呂で顔に水が掛かると嫌がっていたので、苦労すると思ったが、
  意外とすんなり入れた。

翔太は大佑と違って、走るのは好きではない。ただ遅いわけではなく、マラソン大会でも10位前後に入る。
  小学校では、一輪車が得意でよくやっていた。ただ学校の成績はかなり良く、たいして勉強してないわりに良い成績を残していた。

翔太は、よく変な病気になった。りんごっ子病など珍しいものをもらった。また、手首を折る怪我もした。頭を怪我して縫ったことも
  あった。

大佑が病気で倒れたときは、翔太は5年生だった。顔や表情には出さないが、心配していたのだろう。何となく元気がなかった。

翔太は1年生の終わりにイトマン京都の研修にあがる。ここからが長かった。遅咲きに花だったのだ。

ようやく選手クラスにあがったのは4年生の時。他の同期の子より1年遅れだった。それでも一生懸命に練習に通った。
  その甲斐あって、5年生では京都市で2位、3位を連発。夏の大阪での関西ジュニアでも決勝に進出した。また、イトマン招待へも
  個人種目(背泳ぎ)で出場を果たす。

大器晩成の翔太は6年生でもイトマン招待へ2年連続して出場を果たし、次第に頭角をあらわす。

2001年。2月の京都市のジュニア大会から7月の大会まで、すべてで優勝しついにジュニアオリンピックカップへの出場を果たす。
  ジュニアスイマー憧れの大会でも緊張の中、自己ベストを大きく更新して全国で20位に入る活躍。今後の活躍が楽しみだ。