翔太の15年の足跡
(ほんとにいろいろなことがありました)

 翔太。最終ベスト記録
 (長水路)
 100m背泳ぎ:1分2秒80  200m背泳ぎ:2分15秒73

 主な表彰記録
 2001年3月 大阪ジュニア 50m背泳ぎ:2位 100m背泳ぎ:3位
 2003年6月 京都府中学選手権 100m背泳ぎ:優勝 200m背泳ぎ:3位
 2005年7月 京都府高校選手権 100m背泳ぎ:3位
 2006年3月 大阪ジュニア 200m背泳ぎ:3位
 ・・・・その他、京都府ジュニアでは多数の表彰いただきました。

 主な大会出場
 2001年〜2003年:中学近畿大会
 2004年〜2006年:高校近畿大会
 2001年8月 ジュニアオリンピック 50m背泳ぎ
 2004年8月 ジュニアオリンピック 4×100mメドレーリレー(1泳背泳ぎ)
 2005年3月 ジュニアオリンピック 4×100mメドレーリレー(1泳背泳ぎ)
 2006年8月 全国高校総体  4×100mメドレーリレー(1泳背泳ぎ)


昭和63年12月16日 京都市に生まれる。 体重3000g程度で普通の赤ちゃんだった。
  大佑より毛も濃く、おとなしい女の子のような赤ちゃんだった。

翔太は何と言っても、手の掛からない子供で、布団にほったらかして置くと、勝手に寝ていて、楽だった。
  次男としては最高の出来ではないかと思う。

幼稚園でも大佑ほどに目立たず、普通の子だった。体系はちょっとぽっちゃりタイプ。話かたもやさしい子だった。
  結構頑固なとこもあり、これは今でも変わらない。

大佑と同じく、3歳後半からイトマン京都のスクールへ。風呂で顔に水が掛かると嫌がっていたので、苦労すると思ったが、
  意外とすんなり入れた。

翔太は大佑と違って、走るのは好きではない。ただ遅いわけではなく、マラソン大会でも10位前後に入る。
  小学校では、一輪車が得意でよくやっていた。ただ学校の成績はかなり良く、たいして勉強してないわりに良い成績を残していた。

翔太は、よく変な病気になった。りんごっ子病など珍しいものをもらった。また、手首を折る怪我もした。頭を怪我して縫ったことも
  あった。

兄の大佑は、元々脚力が強く、選手コースに上がってもそれなりにがんばっていた。しかし、翔太は泳ぎの形もスピードもなかなか
  上がらず、同じ学年にあと二人背泳ぎの選手が居て、いつも3番手で何とか練習にもついていっていた次第だった。

小1、翔太大会デビュー
  京都市の大会にデビュー。50m背泳ぎ。途中3度、コースロープに引っかかり、ターンでは手でタッチした後に、クイックターンして
  の2度ターン!!タイムは1分2秒。・・・・・・・これが翔太の最初の公式タイムとなる。

小3時、翔太大泣き事件。
  小3の春に大阪で大会があった、これは小学生までの選手の大会で、そのリレーの時に翔太が自由形で出たことがあった。
  この頃の翔太は背泳ぎはだいぶがんばってきたが、自由形は遅かった。それで、翔太の時に抜かれてしまった。それで他のリレーの
  メンバーに「遅い」と言われたようだ。大会終了して帰るときに、ずーっと泣いていた。本当にかわいそうだったが、がんばれしか声を
  掛けられなかったことを思い出す。家に帰るとそれを聞いた大佑が「誰が言ったんや!」と怒っていた。頼もしく感じた。

そんなこんなの翔太も4年の時にはだいぶ力をつけてきた。冬の1月の大会では、大阪の大会で大佑とともに決勝に残るまでに
  成長してきた。遅まきながらやっと選手としての力がついてきた時期だった。

4年の3月大阪ジュニア大会
  1月の大会で初めて大阪で決勝へ進んだ翔太。この大会でもベスト更新してがんばった。しかし、この3月の大会で一番思い出になるのは  大佑と翔太が最後にいっしょに決勝へ進んだ大会だからだ。(この年の4月に大佑倒れる)

5年生
  京都でも3位以内に入り、だいぶ選手らしくなってきた翔太だったが、大佑の入院などで精神的に不安定な部分があったのか、前半は
  なかなかベストタイムが上がらない状態が続いた。夏休み過ぎたあたりで大佑も退院し、この頃から徐々にタイムも向上してきた。

5年生11月
  初めてイトマン招待に参加。やっと標準タイムを突破して出場を決めた。退院してきた大佑と母さんと3人で応援にいく。狭い会場だったし、  結果は参加中ブービーだったが、自己ベスト更新での泳ぎにみんなで喜んだ。翔太もうれしそうだった。

翔太は意外と頑張り屋?
  大佑はよく「しんどいし、やめたい」などと言っていたが、翔太は特に何も言わずにもくもくと練習へ出かける。土日の大会は好きなゲーム
  ができないのを少し不満を言うが、他は特に文句いわずに練習する。自分の意見をあまり言わないが、芯は強い頑張り屋なのだ。

6年生
  この頃になると京都の大会でたまに1位を取ることもでてきた。ジュニアオリンピック参加記録にも少し近づいてきた。
  11月のイトマン招待にも2年連続で出場する。少し自信も出てきたようで、安心して大会を見ることができるようになってきた。

6年生最後の冬季大会
  ここで50背にてJOタイムまであと少しまで迫る!!また、3月の大阪ジュニア大会にて自己ベストを更新して初の表彰台へ!!
  JOへの大きな期待が膨らんだ!!

中1、春季大会
  ついに50背にてJOタイムをクリアする。あの翔太がJOに行くなんてコーチも思ってなかったと思う。すごい躍進だ!!
  イトマンでJOジャージを買って家で着てみる。本当にうれしそうだ!!あまり表情を出さない翔太もこのときはうれしそうだった。

中1、夏
  いよいよ、JO(東京辰巳国際水泳場)。親もはじめてのJO。すごい人と雰囲気に圧倒される。大佑も東京見物を兼ねて家族で応援に
  行く。翔太の50背のレース前。大佑が「緊張してきた」と漏らす。こちらもすでに緊張している。
  そして、翔太登場(最終組)。全国のトップ選手に混じって力泳する。ベストを大きく更新して全国で20位でがんばる。
  帰り際に翔太に会うとなぜか元気がない。なんと全体の最下位だと勘違いしていた。電光表示板には20位までしか表示されないので、
  自分が最下位だと思ったらしい・・・・違うと判って元気になってきた(笑)
  そのあと、お台場に家族で遊びに行く。本当に楽しい旅行になった。翔太のお蔭だ。

中2
  さて、中1でJOへ出場した翔太だったが、それからはスランプが続く。体の成長も今まで平均だったのに止まってしまった。
  気持ち的にもJOに出場できたことで目標を失ったのかもしれない。それでも練習はがんばって続けていた頃だった。
  ただ、中学の近畿大会へは1年から連続で出場を果たしてがんばっていた。

中3、最後のふんばり
  そんなこんなで中学最後。翔太が伸び悩んでいる間にライバルが伸びてきた。最後の京都府大会で優勝できるか??
  そして中学最後の府下大会。何とかベスト更新して100背は優勝できた。先生方も応援していただいて優勝できてよかった。
  本人もうれしそう。

中3、近畿大会
  中学最後の大会は奈良だった。しかし、台風が接近してすごい大会となった。翔太はベスト更新ならずもがんばって泳いだ。
  仕事の関係で最初で最後の近畿大会応援になったおやじも楽しめてよかった。

高校進学
  さて、翔太はもともと中学までで水泳はやめると言っていた。本人の気持ちが一番なので、こちらもそうつもりだった。
  しかし、ここに来て翔太は高校でも水泳を続けると言い出した。同じイトマンの同級生の影響もあったと思うが、しかもその高校が
  京都一の強豪高。京都外大西高だ。翔太がついていけるのだろうか?親としては心配だが、本人ががんばると言ってるので、
  行かせることにした。

高校1年
  強豪高、京都外大西水泳部に入部。入ってびっくりの練習量にへろへろになりながらも何とかついていく。そのあたりが翔太の偉いところ。  文句は言うが休まない。結局、大佑のアテネ関連で休んだ以外が休みなく練習にがんばった。

高校1年夏
  さてさて、翔太はよく怒られていたらしい。まず、小さい時から背泳ぎ専門だっため、上からの飛び込みがド素人。かなり怒られてがんばって  練習したのか、夏ごろには見違える飛び込みでびっくり。また、専門の背泳ぎでも徐々に練習の成果が出てタイムも上がってきた。
  府下大会でも決勝に残り、1年から近畿大会出場を果たす。
  また、夏のJOにもメドレーリレーメンバーに選抜されて出場。見事自己ベストでがんばる。

高校2年
  翔太も先輩になった(笑)。「えじさん」と呼ばれているらしい・・・・200のタイムが大きく上がってきた。やはり西高のすごい練習の賜物だ。  そして、夏の府下大会。100背にてはじめて3位入賞!!表彰台で喜ぶ姿に感動した。よかったね。
  200背も4位ながら大きく自己ベストを更新してがんばった。

高校3年
  そして迎えた最終学年。冬場からなかなか調子が上がらなかったが、3月の大阪ジュニアで200背で3位に入り、少しづつ調子が戻る。
  迎えた最後の府下大会。表彰台を狙ったが、ベストが出ずに悔しい大会となった。あとは最後の近畿大会。しかも外プールということで
  なんとか最後にベスト更新させてやりたいが厳しいそうだ。

高校3年、近畿大会(和歌山)
  府下大会後、徐々に調子を上げた翔太。好調さを維持しての近畿大会で100背、200背ともに大きくベストを更新してがんばる。
  予定されてなかったメドレーリレーにも好調さを買われて出場して見事インハイタイムを突破!!チームにも貢献してがんばる。
  平日で見に行けなかったが、メールの返事に好調さが伺えてうれしかった。これで終わりが少しのびてインハイ(8月)まで練習は続く。

2006年8月19日平成18年度全国高校総体(大阪なみはや)
  行きたかったインハイにメドレーリレーではあるが出場できた翔太。土曜日でしかもジュニアの時から何度も通ったなみやはドーム。
  家族で応援に行く。これが最後のレースになると思うと緊張もするし、なんか寂しい気もするが、しっかりビデオに納めてやろうと構える。
  レース開始。前半の50のタイムがすごく早い。後半すこしばてるも、またまたベスト更新。がんばった。本人はもう少しタイムを上げたかった  みたいだけど、しょうがない。最後にこんな大きな舞台で終われたことに翔太に感謝するとともに、西高でいっしょにがんばってくれた
  チームメンバーのみんな、そしてこんな翔太を3年間指導しただいたコーチ、監督さんに感謝です。
  京都外大西という強豪高で3年間やれたのも友達のおかげですが、本当に翔太もがんばりました。

最後に・・・・翔太というスイマーは?
  大佑(兄)についてイトマンに入ったけど、なかなか上達せず、本当に選手になっていいのか?と思う時期もあったが、持ち前の真面目さ
  というか不器用さ。手を抜くという器用さがない。でも、そのお陰で徐々に力をつけて選手としていっぱしになった。
  体も結局163cmと恵まれなかったが、その小さな体で一生懸命泳ぐ姿に勇気をいっぱいもらった。口数は少なく、家でもおとなしい。
  でもおそらく相当つらいこともいっぱいあったし、歯を食いしばってがんばったこともあったと思う。
  今回、インハイ出場できたことで京都府から「KYOTO」のロゴのジャージやポロシャツをいただいた。
  大佑は「JAPAN」のジャージをいっぱい持っているが、翔太にも本当は「JAPAN」のジャージを着せてやりたかったが、それでも
  「KYOTO」のジャージは翔太が15年間がんばってきて勝ち取った栄誉だ。
  世の中のすごい選手に比べれば翔太は中の上ぐらいの選手だったかもしれないが、親からすると本当に自慢できる選手だ。
  本当に15年間お疲れ様。これから受験などいろいろ大変だけど、自信をもってがんばって今からの人生を生きてほしい。
  少なくともおやじよりも立派だということは確かなので。

翔太の特技は?
  もちろん、水泳もあるがそれ以上なのがゲーム。
  特にマリオカートでのあるコースレコードで一時期世界記録を持っていた。
  未だにゲーム関連のサイトで名前が名人として名前がでてくるほど・・・・