
タイガーマスク
少林寺拳法をやったりして、ブルース・リー以来格闘技ファンになったが、プロレスはあまり見ていなかった。ところが世間のタイガーマスクの評判を聞き、見てみるとすぐファンになった。プロレスプラスキックボクシングというスタイルで、より実戦的に映ったためだろう。
早速新日本プロレスを何試合か見に行った。しかし数ヶ月して、タイガーマスクは突然引退してしまった。もはや新日本プロレスは魅力がなくなったのだが、新しくできたプロレス団体UWFにタイガーマスクが参戦と聞き、すぐに興味を持った。
初参戦試合こそ見に行かなかったが、格闘色の強いレスリングを目指すというタイガーマスクこと佐山聡に共感し、スーパータイガーと名前を変えての第1戦は高崎まで見に行った。
UWFの戦い
それが1984年8月だったが、そこからシューティングと呼ばれる、キックと関節技中心の真剣勝負のような戦いが気に入り、テレビ放送もなかったため、遠いところでも見に行くようになった。このスタイルでは怪我が多いため、それが心配で見に行っているようなところもあった。大阪、滋賀、東京と1年間は毎シリーズ必ず1度くらいは見に行ったものだ。特別リングサイド席で前の方に座っていたが、当時は5000円だった。
スーパータイガーこと佐山の動き(スピーディでトリッキーだった)を毎回楽しみにしていたものだった。
UWFの崩壊
ルールも整備され、興奮するような試合が続き、このまま何年もやってくれたらと思ったが、早くも1985年夏に雲行きが怪しくなり、9月2日の大阪での佐山対前田の試合が、奇怪な試合になり、そのまま佐山はUWFをやめ、前田は他のメンバーと新日と提携し、まったく違った環境になってしまった。
UWF自体はその後、前田が新団体として再建し、隆盛を極めたが、その後分裂し、崩壊してしまった。(名前は1部残ったが、元のUWFとは別物)
佐山はそれ以降10年程プロレス界から足を洗ってしまった。天才といわれるほど格闘センスがあったのに残念なことである。数年前から一時復帰しているが、もはや昔の動きはできない。
UWF崩壊後もリングスという団体中心にテレビ観戦していたが、それもいつの間にか飽きてしまって、最近はあまり格闘技自体見ていない。K1など格闘技がメジャーになった現代だが、西部劇に対するマカロニと同じく、マイナーな存在が心地良いのかもしれない。
最後の試合となった入場券
スーパータイガー対藤原
スーパータイガー
新UWFのマークと後援会会員証