HAWKS
 昭和42年前後の南海ホークス 
 南海ホークスの本拠地である大阪球場まで、当時住んでいた阿倍野から30分くらいであったため、初めて行ったプロ野球観戦は南海戦だった。昭和42年くらいだった思う。
 当時のメンバーはあまり覚えていないが、捕手野村克也(現楽天監督)、内野手小池、国貞、外野手広瀬、樋口、投手杉浦、皆川らがいたのを記憶している。
 それから時々大阪球場へ足を運ぶようになったが、将来南海の選手になりたいと思って、野球を始めたりもした。

 
 
 
昔のスコアボード 縦に選手名が並んでいた(よく見たら、かなり古い時代らしい)
 実力
 そのころは南海もまだ、弱小チームではなくパリーグでは常に優勝を争うほどだった。ただ鶴岡監督から野村監督に代わる間の1年は最下位(昭和44年)になったが、野村監督になってからは、優勝も1回(48年)、それ以外でも2、3位につけているという実力だった。楽天では苦労しているが、南海、ヤクルトとチームを強くした野村は、監督としての才能はあるのだろう。(当時は捕手として、ささやき戦術が話題になっていたが、監督のぼやきというのは記憶にない)
 しかし野村監督が突然解任(52年)され、主力だった野村派の江夏、柏原がチームを去ってから、ホークスは弱小球団になってしまった。
 南海が50周年で、ダイエーにチームを売却したとき(63年)も、5位だった。
スター
 昭和42年当時のスターは、三冠王も1度取った野村克也だが、南海を約20年応援して、1番印象に残っているのは、門田博光だ。南海時代のホームランは478本。月間最多ホームランの達成のときも、何本か大阪球場で見た覚えがある。
 
門田博光 1981年の南海のユニフォームは縦じまだった。
1977年頃の大阪球場 センターの外から登ったら、バックスクリーンの裏へただで入れた。2回ぐらい入った。許してね
1988年10月の南海球団として、大阪球場最後のゲーム 無料だったが、試合1時間前に行くと、人があふれて入れなかった。
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南海ホークスのマークとロゴ
長年親しんだHawksもダイエーになって変わってしまった
なんばパークス
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