

| 昔々観戦記 相撲史に残る取組やエピソードの中でも、特に人間味あふれる史実を少々ご紹介致します。 なお、某相撲評論家様の記事を御厚意により転用させて頂いたものでございます。(一部を除く) |
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『戦後の一コマ』の巻 | 昭和21年のある日―― 愛知県、とある町の小学校に大相撲がやって来た。 小学三年生の少年は、お弁当を持ってワクワクしながら出かけて行った。 お弁当はサツマイモの粉で作った団子のみ。 一方、力士達は、白い米のご飯で町民の精一杯のもてなしを受けるのが楽しみだった。 さて、相撲が始まった。 少年は一番前に陣取って、取組を見守った。 すると、ある一番で太った力士と痩せた力士が組み合った。 両者、もつれて倒れこんだ、その時、「ベシッ!!」 間近にいた少年にも分かった・・・ 大きな音を立てて、痩せた力士の足の骨は折れた。 地元の大人たちが、町の医者まで、骨折した力士を担いでせっせと歩く。 その後ろから、何人かの子供たちが珍しそうに、心配そうに、ぞろぞろとついて行くのだった。 ――ただそれだけの少年の思ひ出。 ※ 父の単なる思い出話ですが、大昔の史実以上に大相撲の歴史と存在意義を感じましたので記しました。 | 〜完〜 | |
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『ある意味、ドーピング!?』の巻 | 明治26年 5月 8日目 海山(捻り?)大則戸 両者とも十両。場所入りの時間になったのに海山が現れないので、付け人が探し廻ると、当の海山は料亭でグデングデンになっていた。しょうがないので人力車に担ぎ込み、相撲場まで連れて行って控えに担ぎ込む。すると、この海山、シャンとなるではないか。 相手は容易ならざる大則戸。だのに難なく捻り倒して勝った!かくて酔いどれ、土俵を下りると、 ――また倒れた。 支度部屋へ担ぎ込まれた海山は、ここでまたまた意識を取り戻して着替えを済ませると、さっさと料亭に戻り、寝てしまったのである。 翌朝――― 料亭で目覚めた海山は、自分は勝手に休んだものと思い込んで、大急ぎで部屋に戻って雷(横綱梅ヶ谷1)の前で平謝りに謝る。雷はわけも分からず聞いていたが、事情を呑み込むと、「お前はこうこうやって立派に勝ったではないか」とのたまったという。 海山は好成績で十両を1場所で通過した。 大則戸…のちの両国。翌々場所だけ幕内。 海山…翌場所から42年 1月まで15年半、連続31場所幕内。横綱玉錦の師匠。 〜完〜 | |
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『棚からぼた餅が落ち・・・』の巻 | 不戦敗が3つあり、常に「不戦勝が欲しい」とぼやいていた大錦 昭和57年 9月 3日目 大錦(不戦)高望山 この日、やっと不戦勝にありついた大錦、曰く「公平にならないとね」。 だが、一番たりとも気が抜けないのが相撲の世界である。 翌日―― 同 4日目 神幸(不戦)大錦 大錦は「急性腰痛症」で休場。不戦敗を増やしてしまった。 この場所、大錦は再出場して合計 7勝している。 《追記》 不戦勝の翌日に不戦敗を喰ったのは、この時の大錦が初めて。その後、平成 4年 3月に起利錦も記録したが、これは14日目に不戦勝で 7勝 7敗、千秋楽の不戦敗で負け越しという哀しい珍記録となった。 〜完〜
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| 『決まり手は地獄耳(な訳ない)』の巻 |
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某評論家がゆったりまったり観戦に出かけたその日、序二段中ほどの相撲で早くも事件は起きた。 平成13年 5月初日・藤縄−大露羅 館内放送はもう手馴れたもので、淀みなく告げる―「藤縄と、大露羅の一番、両者、病気休、、、」 ―と、ここで見事に淀んだのである。 それもそのはず。なんと、赤房下には当の藤縄がキョトンとしているではないか。行司木村栄之助もやはり呆然としている。 このちょっとした事件は、藤縄の当然の勝ち名乗りでめでたく幕引きであった。 藤縄は休むつもりでいたらしいが、大露羅が休むと聞き急遽出場したのだった。 ――という噂である。 注:これは昔々でもないですが、人間味溢れる一番に相違ないので起用致しました。 |
| 〜完〜 |
| 『何ゆえ、そなたがそれほどまでに…』の巻 |
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昭和15年 1月11日目 鶴ヶ嶺(寄り倒し)倭岩・前半 左四つから鶴ヶ嶺が上手を取るや東へ一気に走って左外掛けから寄り倒したが、行司は鶴ヶ嶺の左が勇み足だとして軍配を倭岩に上げる。すると―― 控え力士の巴潟が物言いをつけた。激昂して土俵にまで上がり、「倭岩の踏み切りが早い!」と主張して引かない。 検査長の春日野(栃木山)以下荒礒(新海)・佐渡ヶ嶽(阿久津川)・伊勢ヶ濱(清瀬川)・二子山(土州山)の各検査役が土俵に上がったが、倭岩の足跡は見つからない。 物言いに都合15分を費やし、行司と巴潟が折れず紛糾したものの、結局、行司黒星で落ち着いたのだった。 |
| 〜完〜 |
| 『三つ巴の一番、軍配や如何に!』の巻 |
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昭和33年1月 3日目 鏡里(上手投げ)嶋錦 相撲自体は呆気なかった。 右四つから嶋錦が横綱の上手を切って上手投げにくると、鏡里は寄って出て上手を取り直し、上手から投げ捨てた。 しかしこの相撲、立ち合いにヒゲの伊之助の軍配の房が嶋錦の右手に絡まって伊之助は軍配を奪われ、嶋錦は気づかず房を掴んだまま鏡里の上手を切っている。伊之助は掛け声を発しながら軍配を追い廻し、やっと取り返すという珍相撲・・・ 行司伊之助71歳、初春の候であった。 |
| 〜完〜 |
| 『2時間と5分。そして・・・』の巻 |
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大正10年5月 5日目 大錦(寄り切り)鞍ヶ嶽 左四つ大錦が出ると鞍ヶ嶽は堪えたが、大錦は再度猛然と寄り進み、西に詰めたところで鞍ヶ嶽は得意の左打っ棄りをやった。行司庄之助の軍配は鞍ヶ嶽に上がったが、検査役が鞍ヶ嶽に踏み切りありとて差し違いの判定、西控えの紅葉川を説いて納得させ、庄之助には大錦に軍配を上げさせた。17代庄之助はこれを恥じ、引責辞職した。 ――その二日後。 大正10年5月 7日目 大錦(引き分け)三杉礒 仕切り直し30回余り、所要時間54分の後、立つや三杉礒両差しで頭をつける― 大錦は右から抱え左で首を巻き吊り身。三杉礒懸命に堪え、左から掬い投げを打ったが大錦残して右の小手投げ。三杉礒は土俵に詰まったものの寄り返す。大錦は右を捻じ込み下手、三杉礒左上手を取り右四つとなった。大錦が捻りを見せると三杉礒はぐらついたが渡し込みを見せて残す。この瞬間大錦は両差しとなる。三杉礒は左上手、右に前褌を引いて出る。大錦は差し手が窮屈だが、強引に前褌から吊ろうとした。そうすると、三杉礒の一重廻しは胸まで上がってしまったのである。 この時、行司朝之助は、「廻し廻し」と叫びつつ、実際緩んだだけで解けてもいないのに、いきなり飛び込んで相撲を止めさせた。いよいよ佳境に入らんとするところで。常ノ花は「分けだ」と叫ぶ。これを耳にした三杉礒、廻しを締め直すや、土俵から降りてしまった。これを受けて大錦も土俵を下りたので、なぜか水入りの形になった。さて組み直さんとしたものの、そもそも廻しを締め直した後であるから、元と全く同じ組み手にはなる筈もないのであるが、大錦の左が三杉礒の右脇に入って差し手の形になってしまうもので、大錦も三杉礒も異議を言い立てる。組み手を解いて水をつけにいく繰り返しが10回を超える。行司朝之助は狼狽して、挙句には組み手を忘れる迂闊千万。館内は総立ち、怒号が飛び交い大混乱となった。 検査役の雷(二代梅ヶ谷)が控え行司勘太夫に指示を出しても駄目、四本柱の検査役全部を動員したが納まりがつかず、雷が勘太夫を相手に見本を示せば、二十山(二代小錦)が異論を挟み、三杉礒の師匠である峰崎(幕内行司木村銀治郎)も意見を述べるが、三杉礒は承知せず、これだけで50分もかかり、両者は気合も抜けて疲れ果て、三杉礒は「もう相撲は取らぬ」と四本柱の蔭で泣き出す始末。西方後援会員が三杉礒を唆して引き揚げさせる。高野相生警察署々長が飛び出して説諭するが三杉礒なお承知せぬ。さらには取締友綱(海山)が「取らぬなら負けとした上破門する」と言ってくる。ここまで言われては三杉礒も取らぬ訳にいかず、大錦の両差しで再開。大錦は吊りを見せるが、左が利かず上がらないので、左を抜いて右四つになった。検査役や控え力士は水入りを指示する。 朝之助はまたまた慌て、廻し待ったと勘違いして三杉礒の後ろ廻しを引っ張った。引き分けと思った三杉礒はさっさと土俵を下りる。大錦は訳が分からず土俵中央仁王立ち、朝之助を睨めつける。検査役は慌てて再度引き分けを伝えるという有様。兎も角何とか相撲は終わった。 これが中入り前だったから大変だ。打ち出しは晩の8時25分だった。水入りなしの引き分けも異例なら、計2時間5分もかかった阿呆らしいばかりの長さも異例、しかも行司の失態による空費ときて、控えの常ノ花は怒った。曰く「水を入れずに引き分けるとは何事、横綱を土俵に立たせておいて検査役が傍観しているとは何事」と。検査役は大錦に謝罪、駄々をこねた三杉礒は謝って奮闘を誓ったものの翌日には右腕の腫れ物が悪化して診断書つきで休場した。 主役になってしまった朝之助は、木村瀬平に連れられ、出羽ノ海(常陸山)・友綱両取締へ進退伺いを提出した。役員は「相撲始まって以来の大失態である。特に大錦は優勝掲額が懸かっているからなおさら問題だ」とて非難囂々、朝之助の軍配を取り上げて次場所からは顔触れ専門にせよという意見まで出るほどで、結局は8日目の出場停止ということになった。(この朝之助は裁きは今一つだが顔触れが逸品だったと伝わる) ―あれから、数ヶ月後、次の場所。 “相撲始まって以来の大失態”をやった、あの朝之助は・・・なんと18代木村庄之助となって土俵にいた! 17代庄之助は上述の通りで引責辞職、12代伊之助は11月に引退という「幸運(?)」が重なったのである。 |
| 〜完〜 |