足を伸ばすフォワード(1)

2002/ 7/22 22:01
メッセージ: 986 / 1273


投稿者: メッセージを送信Dragon_Vert (35歳/男性/関西)

 写真には、白−青−白のユニフォームをまとった選手が映っている、たった一人で。
 「11」と染め抜かれた腰の番号からして、彼はFWと推測される。彼の右脚は前方に大きく伸ばされ、左の爪先がピッチからかすかに浮いている数センチ後ろに、明らかにペナルティエリアとアークのラインの交点が存在する。
 彼の身体は、細部まで驚くべき鮮明さで捉えられている。そして伸ばされた右の爪先に、完全に静止した一刹那のボールが付着している。動きによるかすかな映像のぶれは、ボールではなくスパイクの模様の方に認められる。

 これは驚くべき写真である。

 FWの選手が敵陣ペナルティーエリア中央でボールに触れていて、しかも写真は彼の前方約1メートル、後方約2メートルもの範囲を映し出している。それなのに、彼はたった一人でいる。GKも、たった一人のDFも映り込んではいないのだ。
 サッカーの試合写真として、これは希有な部類のものである。DFのミス、GKの遅れ、FWの執念に加え、シャッタータイミングと角度というカメラマンの技術と幸運、全ての条件が完璧でなければ決して生まれないだろう。そしてそれが切り取って定着させた千分の1秒が、、おそらく日本サッカーの極めて大きな転機となった同じ千分の1秒であることを思えば、これは奇跡の産物と呼ぶほかはない。

 たとえ高スピードの連写によるものであれ、これは正真正銘のスティル写真である。だがあまりにも強烈な印象ゆえに、通常はヴィデオ映像の編集のみで構成されるTV番組でも特別に使用された。市川大祐と中田英寿も出演した、7月1日のTBS系ワールドカップ総集編といえば思い出す人もいるかも知れない。日本×ベルギー戦における、鈴木の同点ゴールの決定的な瞬間を捉えたものだ。オリジナルは「週刊サッカーマガジン」増刊3号の23頁に掲載されている。
 物事は、重なる時にはこれでもかというぐらい重なる。大きく傾いた鈴木の身体は、まるで背景のスタンドに掲げられた横断幕の邪魔をしないようにしているかのようだ。ピントはぼけているものの、「隆行」という文字ははっきりと読み取れる。全くもって出来すぎた話で、ヘンクの地元紙がこれを掲載すれば「なお、背後に見える東洋の文字は彼のファーストネーム」というキャプションをつけることが出来る。

これは Blues_Band さんの 1 に対する返信です

 

足を伸ばすフォワード(2)

2002/ 7/22 22:10
メッセージ: 987 / 1273


投稿者: メッセージを送信Dragon_Vert (35歳/男性/関西)

 だがこれが果たして、純粋にサッカーというスポーツの一瞬を切り取ったものとしてすぐれた写真かどうかには疑問がある。というのは、予備知識抜きに観た場合、これは非常に判りにくい映像でもあるからだ。

 映像では、鈴木の右脚の先がボールにまさに触れた瞬間を、ボールの動きも回転も静止して見えるタイミングとシャッタースピードで捉えている。表面の模様や縫い目どころか、注意深く観察すると、ボールのわずかな変形すら認知出来る。
 このあまりにも完璧な瞬間を捉えたがために、ボールがなぜここにあり、どこへ行くのかについての情報は、ほぼ完全に欠落してしまっている。鈴木自身の身体にも、それまでの動きを示すようなぶれはまったく見られない。
 したがってこれが、彼が実際そうであったように、前方へと跳ねていくボールに追いついて右脚を触れたところなのか、GKなりバーに跳ね返されて前方から思わぬところにこぼれてきたボールを、やや体勢を崩しながらコントロールしようとしているところなのか、一見しただけでは判らないのである。GKの位置も判らないので、状況がどれぐらい切迫しているかについての手がかりもない。

 「足を伸ばすフォワード」とは、私が戯れに付けてみた題名である。

 サッカーについての基本的な知識があれば、一枚の写真からだけでも、普通はもっと沢山のことがわかる。ドリブルで攻め上がっている選手を追っているとか、センターサークル付近に落ちてくるボールをヘッドで競り合っているとか。ちなみに後者の場合、足元にサークルが映っていなくとも、背後で主審が走っておらず立ったまま注視しているのが手がかりになる。「俺にボールをくれ」という場合、普通は真剣な顔で手を挙げる。満面の笑みをたたえて自分の顔を指差したりはしないので、これはゴールを決めた直後の走りだと判るのである(笑)

 したがってこの写真が、サッカー写真一般としてすぐれたものかといえば、必ずしもそうではないかもしれない。ではなぜこれが私の、そしてTBSのディレクターや多くの日本サッカーファンの心を捉えて離さないのか。あまりにも印象的なのか。

 それはこれが、まさしく「届いた瞬間」を切り取っているからに違いない。

 それは、鈴木が小野の出したこのボールに届いた瞬間、ではない。何度も何度も出されていたロングパスに彼がやっと届いた瞬間、でもない。1つのゴール、1つの試合というものを超え、日本サッカーそのものがある段階に「届いた瞬間」だったのだと思う。

 あれが決まっていなければ敗退したとか、決まったからこそ突破できたとか、数字と理屈の上ではそうではない。だが鈴木の同点ゴールは、日本のGL突破に半信半疑だったファンに少なくとも充分な期待を与え、ある程度期待していた者には留保付きの確信を与えたものだったと思う。
 回りくどい言い方をやめれば、私がその瞬間に感じ取り、現在振り返ってもやっぱり挙げざるを得ない「決定的瞬間」は、やはりあの鈴木の同点ゴールだ。選手や監督がどうであれ、スタンドとTVの前にとってもそうだったと思う。あれがGLを通じての流れを決定づけた。あるいは、その流れをスタンドが感じ取った瞬間だった。

これは Dragon_Vert さんの 986 に対する返信です

 

足を伸ばすフォワード(3)

2002/ 7/22 22:14
メッセージ: 988 / 1273


投稿者: メッセージを送信Dragon_Vert (35歳/男性/関西)

「最後の最後、ショートコーナーからのクロスを防ごうとしたんだけど、届かなかったんだよね。俺の爪先とボールまで10センチ。いったい何が足りなかったのかな。俺たちが何をしていれば、あの10センチを埋めることができたのかな」(「ドーハの悲劇」直後の三浦和良のコメント、小松成美『青の肖像』より)

 ゴールではなくクリアのために、相手選手の足元のボールへと飛び込んだ三浦カズ。約十年を経て、クリアではなくゴールのために、相手GK手前のボールへと飛び込んだ鈴木隆行。この二者の中間点に、もう1人の「足を伸ばすフォワード」の姿がある。それはいうまでもなく、ジョホールバルでの岡野雅行である。

 あのイラン戦、延長前半で投入された岡野は、普通にいうフォワードにはとても見えなかった。走り込んでパスを受け、GKと1対1になりながらシュートではなくパスを選択してカットされる。再びゴール前でパスを受け、今度は高々とゴールの枠を外す。何度も何度もつぶされる決定機に業を煮やした日本の司令塔は、自らドリブルで持ち込んで強烈なミドルシュートを放つ。負傷していたイランGKがそれをこぼした時、今度こそそこにすべり込んできた岡野の足先が、ボールに届いたのである。

 「シュート」という言葉は、実は結構曖昧な使われ方をしている。ドリブルからのシュート、ワントラップシュート、センタリングへのヘディングシュート、またダイレクトボレーやオーバーヘッド、これらは文句のつけようもない「シュート」であり、実際そう見える。
 だが偶然入ってしまったクロスボールも、胸で身体ごと押し込んだプレーも、結果的にゴールが成立すれば「枠内シュート」の数に入れられるのだ。
 だが、クリアしようとしたカズは当然話が違うとしても、この時のゴールを生んだ岡野のボールタッチは、果たして「シュート」と呼べるものだろうか。埼玉でのゴールを生んだ鈴木のボールタッチはどうだろう。
 少なくとも「シュート練習」と呼ばれるもので、ああいうプレーの反復練習は普通しないはずである。

 さらにいうなら、これらは「キック」ですらあったのだろうか。岡野のゴールが彼の足のどこに当たったのか正確に覚えてはいないが、それがどこであれ、あのスライディング・シュートをインサイドやインステップに分類したり、また鈴木のゴールは爪先に当たっているからトーキックである、などということには何の意味もない。
 時と場所を超え、日本サッカー史の決定的な場面で彼ら3人がやろうとしたりやったりしたことは、強いていうなら「ボールへの正確なタックル」である。その方向性がラインの外かゴールの枠内かというだけで結果的にクリアとかシュートと呼ばれているだけで、彼らが目指したのはいわばひたすらに純粋な「ボールタッチ」であり、その結果我々の眼に映ったものは、そう------

 「足を伸ばすフォワード」の姿にほかならない。

これは Dragon_Vert さんの 987 に対する返信です

 

 

足を伸ばすフォワード(終)

2002/ 7/22 22:21
メッセージ: 989 / 1273


投稿者: メッセージを送信Dragon_Vert (35歳/男性/関西)

 私は別に、日本の慢性的なストライカー不足、定型的なシュート練習の無意味さ、監督によって強弱はあれ前線からのプレスを基調とするここ10年のスタイル、といったようなものと関連させたいわけではない。おそらく全く無関係ではないだろうし、この3人の時代を通じて日本最高のストライカーの1人であり続けた中山雅史のプレースタイルとつなげて論じることも、レトリックとしては出来なくもないだろうが。

 だが今回は、むしろ、日本サッカーの本当に決定的な場面では、結局フォワードがフィニッシャーになっているではないか、ということを強調してみたい。

 今回のWC、日本の上げた5ゴールのうち、FWによるものはこの鈴木の1点だけだった。他の4点はいずれもずっと必然性の高いファインゴールだが、みんなMFの得点である。ジョホールバルの場合でも、MFがついに自分で放ったシュートは直接ゴールにはならなかった。結果的にはフォワードが足を伸ばして取った点になった。
 日本の「フォワード」とは、特にトルシエの場合にはゴールゲッターの側面が薄くなるのだが、実はその時ピッチに立つ選手達の「最前線(=フォワード)」ではなく、日本サッカー全体の「最前線」として、そこさえ突っ切れば後は他のポジションの選手がやってくれるだろうというような、ぎりぎりの「決定機」に守備であれ攻撃であれ担う運命にあるのではないだろうか。そしてその時求められるのは、トラップやキックの技術ではなく、あくまで「ラスト・ボールタッチ」への執念に集約されてしまうのではないか------。

 1枚の写真が、3つの情景を想起させた。
 「足を伸ばして、何とか『世界』に触ろうとしているフォワード」------
 キックでもトラップでもなく、ただ足を伸ばすフォワード。

 それらは私にとって、あまりにも日本サッカーを象徴するかのような姿である。希望でも絶望でもなく、といって誤解でも自信でもない、さりとて喧伝される技術を証明するものでもない。ただ日本サッカーの現在に寄り添う象徴的な姿、それが------。

 「足を伸ばすフォワード」である。

これは Dragon_Vert さんの 988 に対する返信です