トップページへ ブロディに影響を与えたレスラー
キング・イヤウケア
この表情がブロディポーズの原型ブロディ曰く、「尊敬するレスラーはキラー・コワルスキー。そしてイヤウケアである」

イヤウケアがいなかったら、ブロディのあのスタイルはなかっただろう。傷だらけのギザギザ頭、長髪と髭、フィニッシュ前に片手を挙げポーズを決める姿、容姿からファイトスタイルまでブロディはイヤウケアの影響をモロに受けていた。雄叫びをあげたり、カメラ前での顔を歪めるポージング、ありとあらゆる所にイヤウケア・スタイルが継承されている。

ブロディが初来日した時、奇しくも最後の来日となるイヤウケアとコンビを組んだ。当時のブロディは内心嬉しかったんじゃないだろうか。

ブロディが亡くなった当初、いろんな選手がブロディスタイルを継承すべく真似をしていた。新日時代に最も多くシングルで対戦した高野俊二(現拳滋)、ハクソー・ジム・ドゥーガンなどなど・・・

今ではプロレススタイルが大きく変化し、彼のような選手がめっきり減ってしまったのは、なんか寂しいような気もする。
バック・ロブレイ

写真手前がロブレイスヌーカとの壮絶な仲間割れを起こした時、そばにいたのがこの男。日本でも何度かタッグを組んでいる。

彼は単なるタッグパートナーに留まらず、ブロディとともにサンアントニオの「ロンスター・レスリング」に経営参加、また、ブロディ経営のBAM(ブロディ・アスレチック・マネージメント)の設立にも一役買っていたそうで、“ブロディの知恵袋”とも呼ばれていた存在だった。一説には、日本でハンセン・ブロディ組を復活させたのも彼だったと言われている。


スタン・ハンセン

ご存知、ブロディの名タッグパートナー。リングを下りればこんな姿も・・・








ウエスト・テキサス州立大学のフットボール部の3年後輩に当たる。卒業後、すぐにプロレス入りしたハンセンが、ブロディと再会したのは1974年オクラホマへの転戦がきっかけ。『WTSU同窓コンビ』を結成、USタッグを奪われたのを機にコンビを解消するが、「どっちが早く出世できるか競争しよう!」という意味での発展的解散だった。

8年後、日本で“超獣コンビ”として再びコンビを組んだ2人。公私共に良き友であり、良きライバルであった。

ブロディの訃報を日本遠征中に聞いたハンセン。一人供養するかのごとく暴れまくっていたのが印象深い。

のちにジャイアント馬場が超獣コンビをこう振り返っている。
『俺は今でも思うんだけど、あの2人のタッグというのが本当のタッグチームだと思うんだ。』

ハンセン・ブロディの“超獣コンビ”。歴史に残る名タッグチームだった。

キラー・コワルスキー

コワルスキーブロディといえば、やはりキングコング・ニー・ドロップ!!あの高いジャンプ力から繰り出されるニードロップの破壊力たるや相当なもの。ブロディがこの技を使うようになったのは、1974年にフロリダで彼のファイトを見てからだという。それ以前は、ベアハッグやアルゼンチン・バックブリーカーなどを得意とする怪力派タイプのレスラーだった。

その後、ニューヨークでコワルスキーと再会したブロディは、彼から“レスラーとしての心構え”を教わったという。「スタミナとスピードこそプロレスの基盤」という彼の考え方に影響されたのか、初来日時のオーバーウェイト気味の体をシェイプアップし、3度目の来日時には別人の様にスリムな姿を披露している。肉体改造と共にブロディのニードロップは、対角線上から助走するジャンプ力を活かしたタイプに徐々に進化していく。

コワルスキーといえば、トップロープからのニードロップでユーコン・エリックの左耳をそぎ落とすというショッキングな事件はあまりにも有名。宗教的な理由と、そのショックから徹底的な菜食主義者に変わったといわれる。ブロディ自身も“危険な技”ということを十分認識してか、トップロープからのニードロップは数えるほどしか披露していない。

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