1978年、秋

 

 1978年10月。日米野球のため、スパーキー・アンダーソン監督率いるレッズが来日した。前述のとおり

その頃までにはすっかりメジャーリーグに魅せられてしまっていた僕にとって、このシリーズは見逃すことの

できないものだった。父にせがんで取ってもらったチケットは、11月5日後楽園球場での対巨人戦。本物の

メジャーリーガーを、この目で見ることができる。。。外野席ではあったがスーパースター、ピート・ローズ

写真がプリントされたそのチケットを手にした時の感動は忘れられない。

 その日は日曜日。新幹線に乗り、早朝から並んでようやく開門。外野席へと通ずる階段を駆け上がって

座席の確保を目指す。バックスクリーンよりややレフト側に寄った席を確保して、改めてグラウンドに目を向

けて驚いた。そこには紛れもないメジャーリーグの世界があったのだ。楽しそうな選手達の姿。真っ赤なキャ

ップがまぶしい。そこへ突然ワーッと歓声が上がる。目を向けてみると、選手が何かをスタンドに投げ込んで

いるようだ。その選手は34番、救援投手のペドロ・ボーボン。ボールをスタンドへ放り込んでいる。ボールを

何球か投げ終えると今度はおもむろにかぶっていたキャップを脱いで、これも投げるぞとばかりに振り回して

みせる。スタンドは期待に満ちた一段と大きな歓声。サイドスロー気味にピュッと放たれたその赤いキャップは

くるくると回転しながらスタンドを目指す。。。かに見えた(笑)が、それは手を伸ばす観客達の上空でまるで

ブーメランのように大きく弧を描き、再びグラウンドへ。ニヤっと笑うボーボン。それを見て観客も改めて爆笑。

こんな光景は初めてだった。

 レッズ・ラコス、巨人・角(その年の新人王)の両先発で始まったその試合で、僕に最も強烈な印象を与えたの

はやはりキャプテン、ピート・ローズ。遠くからなのでその姿はハッキリとは見えないのだが、それでもカッコいい。

4回、ライト前ヒットで塁に出たローズは角の牽制に飛び出してしまったが、なんとそのまま2塁に猛突進して

ヘッドスライディング!いやあ、嬉しかった。初めてナマでローズのヘッドスライディングを見ることができたのだ。

アウトだったが、そんなことはどうでもよかった。ユニフォームの泥を両手ではたいてダッグアウトに戻るローズ

に夢中で拍手を送った。この後、ローズは7回にも自らのセンター前へのヒットで果敢に2塁へ。今度はセーフ。

もう大満足だった。。。

 この日もう1人強烈な印象を残したのが、5番のジョニー・ベンチ。4回表2死1,2塁と先制のチャンスでベン

チの放った打球はレフトへ。左翼手の張本がフェンス一杯まで下がり、グラブをポンと叩いて一旦捕球体制に

入るような仕草を見せたのだが、打球はそれをあざ笑うかのようにグーンと伸びてレフトスタンド中段へ。あっけ

にとられるような打球であった。実はこの試合、最初の打席で王選手をマネて一本足打法で打ったベンチだった

が、この時はサードゴロ。マジメに(?)打った2打席目がこの一発だった。7試合目にして4本目のホームラン。

結局ベンチはこのシリーズ、17試合で9本の本塁打を記録する。

 試合は7回、前述のローズの2塁打とドリーセンのタイムリーで3点を追加したレッズが、追いすがる巨人を

トムリン−ベアの継投でかわして快勝。試合後、余韻に浸りながら球場周辺をうろつく父と僕の目の前に一台

のバスが通りかかった。最前列に陣取りニコニコと微笑みながらファンに手を振っているのは、スパーキー・

アンダーソン監督その人。最後にうれしいオマケとなった。

 この日の第7戦を終わって4勝2敗1引き分けだったレッズだが、結局この後1試合も落とさず、横浜での第6

戦から数えて11連勝で最終戦を迎えた。その舞台は静岡・草薙球場。実はこの試合のチケットも持っていた

のだが、この日はあいにく火曜。なにせまだ小学生、学校をサボって見に行くわけにもは行かず父が1人で見

に行き、僕は先生に頼んで部分的にではあるがラジオの中継を聴かせてもらった。残念ながらローズにヒット

は出ず17試合連続安打はならなかったが、レッズはこの試合にも勝ち12連勝でシリーズを締めくくった。

その夜、帰宅した父はビックリするような土産を持って帰ってくれた。いつの間にか僕の机から持ち出した「スパ

ーキー・アンダーソン自伝」、そこには左腕エースのノーマン、後にエースとなるソト、控え捕手のコーレル、後年

大洋でプレーすることとなるラムといった選手たちのサインが書き込まれていたのだ。いわゆる大物のサインは

なかったが、これはうれしかった。生まれて初めて手にするメジャー・リーガーのサインだったのだから。

 日本でのレッズは14勝2敗1引分けと圧倒的な強さを見せた。レギュラー3人(モーガン、コンセプシオン、ジェ

ロニモ)を欠いての来日。予定されていたとはいえエース、シーヴァーの途中帰国。加えて第6戦でのグリフィー

の負傷などもあったにもかかわらずこの成績。オフにはローズがFAでチームを離れることは決まっていたが、

アンダーソン監督は翌年に向けて相当な手応えを感じていたようだ。「来年はコンセプシオンを3塁に回し、ショ

ートにはオースターを抜擢。グリフィーをセンターに持っていって、ライトにはサマーズ。ラコス、ユームの両投手

は先発ローテーションに入れたい。」などと語っていたと言う。だが、帰国早々アンダーソンを待っていたのは

突然の解任劇だった。

 翌年レッズはマクナマラ新監督の下で地区優勝を果たすが、かつて「情け容赦ない」と言われたほどの強さは

もはや感じられなかった。78年秋、結果的に僕らは「ザ・ビッグ・レッド・マシーン」の最後の目撃者となった。。。

 


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