魚沼と会津の再会の旅 2002/8/22-25
0.目次
1.旅立ち
2.8年ぶりの再会
3.“越後の展望台”金倉山
4.檜枝岐村へ
5.はるかな尾瀬
6.会津盆地喜多方ラーメンツーリング
7.会津野の散歩
8.再び喜多方ラーメンツアー
9.小千谷の花火
1.旅立ち
 友人がYHを開業してから5年、近畿地方から遠い会津をちょくちょく訪れるようになった。特に最近のお気に入りは南会津。昨年、自転車で刈り入れの時期の南会津の田園地帯を走ったのだが、最奥の檜枝岐村だけが未踏のまま残ってしまった。今回は、その日の檜枝岐村を訪れることをメインに会津へ旅立つ。
 その計画を練っているとき、会津の隣、福島県の魚沼地方の小千谷市に「小千谷ふるさとの丘ユースホステル」という新しいYHができていることに気付く。そのホームページから、私と同世代の人が個人で開業していて、その人の趣味は自転車、これから訪れる会津野YHともつながりがありそうなことがわかった。
 ちょうど会津への道中なので、旅の初日の宿として予約を入れた。
 丹後から、日本海沿いを東へ3時間半。夏休み期間とあって若狭の道は交通量が多く、そして暑い。敦賀から4時間北陸道をひた走り、新潟県の柏崎インターチェンジ。
 高速を降りのどかな田園地帯を抜けて小千谷市に入ったところで、給油のための休憩。ここで、ハンドヘルドPC「モバイルギア」を忘れてきたことに気づく。ということはモバイルギアのメモリに保存したホームページから落としたYHへの地図もないということだ。それに、モバイルギアのバッグに入れたデジカメのコンパクトフラッシュメモリもないのだ。さしあたっては、YHのガイドブックにもツーリングマップルにもまだ載っていないYHへの地図がないのが問題だ。
 R117沿いに大型電気店を見つけて入る。期待通り「ブロードバンド体験コーナー」にインターネットに接続中のパソコンを発見。しかし、その一台を2人組の女の子が使っていてなかなか空かない。刻一刻とYHの夕食の時間が近づく。15分以上待ってようやくパソコンが空き、YHのHPを開いて急いで地図をメモする。
 小千谷市の中心街は信濃川より西、つまり左岸にあるが、YHは右岸に渡りR291を5kmほど走らねばならなかった。YHたどり着いたのは、夕食の時刻19時直前だった。
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2.8年ぶりの再会
 「以前余部YHに泊まってましたよね。そして、会津野YHのマネージャーと友人ですよね」。YHに着くなりいきなり言われる。
 急いで余部YHの記憶をたどる。あれは、氷ノ山に初めて登った帰り道のこと。大山に登った翌年で、初めて北アルプスに行く前のことだから、1994年のゴールデンウィークだ。なんと、小千谷YHのマネージャーは8年前の私のことを覚えていたと
いうのだ。
 あのとき彼は山陰をツーリングの終盤で、私はというと氷ノ山登山の帰りに余部に泊まり、翌朝の出発前にクルマに積んでいた自転車でYHから岬の灯台を目指す短いツーリングに出たのだった。
 “丹後のサイクリスト”ということで印象に残り、さらにその直後にサイクルスポーツ誌に私のツーリングレポートが掲載されたのでさらに記憶に深く刻まれたのだという(たぶん四国カルストか北海道のツーリングレポート)。
 また、会津野YHのマネージャー夫婦とは以前遠野YHでのヘルパー仲間だそうだ。'91年春、私は後に会津野YHのマネージャーとなる男とたまたま四国の定福寺YHに泊まりあわせ、一緒に日帰りツーリングをした。その京柱峠や祖谷を巡る定福寺YHの公認コースのツーリングレポートがこれまたサイスポに掲載された。その記事の中で使われた写真の一枚は、会津野YHのマネージャーと私が祖谷温泉の露天風呂に入っているツーショットなのだ。小千谷YHのマネージャーはこの記事を、会津野YHのマネージャーから見せられ、そこでまた私の顔を思いだしたのだという。
 世の中は広いようで狭い。
 また、小千谷YHのマネージャーも定福寺YHに泊まったことがあり、京柱や祖谷のコースを走ったことがあるそうだ。
 定福寺YHはこの春で閉館となり、元ヘルパーや常連ホステラーが集まって「感謝の集い」が8月上旬に開催された。それに参加するために私は定福寺を訪れ、京柱のコースを走ったという話をする。
 その夜のホステラーは、私一人。夕食はマネージャーと二人。食後の観光案内もマンツーマン。深い話が遅くまで続いた。

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3.“越後の展望台”金倉山
YHを出発 東山小学校 養鯉の池
 この数日は盆までの猛暑が嘘のように和らぎ、夜はぐっすり、朝の空気は爽やか。こうなると、昨日の夜の話も手伝って、自転車に乗りたくなるわけで、早速昨夜紹介されたYHの裏の金倉山へ行くことにした。ところで、YHの朝食はパンという ところがあるが、小千谷YHの朝食は魚沼産コシヒカリのお粥。本日は、芋のお粥。
 小千谷市と山古志村の境の金倉山は、標高が581mで、山頂直下まで舗装の林道がついている。山頂は周囲の好展望台とのこと。
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【期 日】2002年8月23日
【行 程】[  ]は腕時計内蔵の高度計からの標高データ
 小千谷ふるさとの丘YH(小千谷市寺沢)[86]10:01 -
 10:59金倉山登山口(金倉山林道最高地点)[527]11:04 …
 11:09金倉山山頂[583]11:22 … 11:26登山口 - 11:52小千谷ふるさとの丘YH
【車 種】MTB(TREK6500)
【メンバー】はいかい(単独)
【距 離】12.3km
【速 度】平均:10.4km/h  最高:44.7km/h
【タ イ ム】1時間51分(実走時間:1時間25分 うち自転車は1時間11分)
【天 候】晴だがやや雲多し、そして爽やか(^O^)
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 YHからスタートしてすぐ細いコンクリートの急勾配。ウォームアップなしの急登に呼吸が乱れる。
 東山小学校でコンクリート舗装の道は終わり、R291から登ってくるアスファルトの舗装道路に合流する。YHここまで、距離約500mで標高差70m程登る。平均勾配14%だ。
 今回の新兵器は、心拍計だ。胸に付けたセンサーから手首につけたディスプレイに電波で送る仕組みだ。出だしの急坂では、いきなり160回/分まで心拍があがっていた。
 その東山小学校は、正面の外装が木で組まれ、そしてモダンなデザインとなっている。ただし、中身は鉄筋コンクリート製と思われる。校舎は、まだ新しい雰囲気だ。夏休みとあって、子供の影はなく、先生のものと思われる数台のクルマが止まっていた。
 アスファルトの道に合流して少し登ると、小千谷闘牛場。この辺りには、農耕のために飼っていた牛の力自慢として牛同士を闘わせる伝統芸能が残っている。他にも、四国の宇和島や、島根の隠岐の島などで残るが、本州ではここだけということ だそうだ。
 闘牛場入り口からさらに登り、茅葺きの民家と立派な神社がある小さな集落を抜けると、金倉山林道が始まる。林道とはいえ全線舗装だ。
 林道を登っていくと、周囲は棚田の風景となる。稲は既に黄色みがかかり、こうべを垂れ始めて、もう刈り入れをしても良さそうなくらいだ。
 しかし、この辺りの稲の刈り入れは、おそらくは9月中旬以降。まだ一月近くも先。夏が暑い今年は若干早まるのかもしれないが。
 どうやら、平年より低い気温と乾いた空気が、私の気持ちの中の季節を一気に秋へと進めてしまったようだ。そういえば、昨夜はコロコロとコオロギが鳴いてい
た。後日、丹後に帰って家の周りの田んぼを見ればもっと黄金色。越後の田んぼはまだ稲刈りをするほどには色づいてはいないことがわかった。ちなみに、丹後では、8月下旬から稲刈りが始まり9月上旬で大方終わろうとしている。
 その棚田の一部は、水が張られて池のようになっている。この辺りは、錦鯉発祥の地とのことで、その池で鯉が養殖されている。YHの近くにもその養殖の池があり、YH(マネージャー)所有のものとなっているそうだ。
 林道にはいると勾配は安定し、心拍数は140〜145回/分、6km/h前後のスピードを維持。呼吸は全く乱れていない。乾いた空気が順調に汗を乾かし、快適だ。
 最近買った本によると、1分当たり「180-年齢」くらいの心拍数が、有酸素運動の上限なのだそうだ。その心拍数を超えると、ゼーゼーハーハーと喘ぐようになり、 糖質(グリコーゲン)が消費される。糖質が消費され尽くすと、バテる。
 有酸素運動は、脂質(体脂肪)が燃焼されるので減量にもなるし、体力向上にも有効だ。例えば、マラソンランナーはラストスパートで使う糖質を温存しなければならない。そのために、有酸素運動のままで速く走れる体を作る。私が子供の頃に現役だった瀬古選手は、ラストでの競り合いに強かった。有酸素運動を行うシステムがしっかりとできあがっていたのだろう。
 私は競技とは無縁だが、長時間走り続けるツーリングでもこれは有効である。前述の定福寺YHの京柱コースは、序盤は標高差800mの峠越えから始まり、その後平坦区間が延々と続く約90kmのコースである。11年前から計4回ここを走っているが、 この夏には最初の峠へのヒルクライムが過去のベストタイムよりも1時間も多くかかってしまった。もちろん、30歳を過ぎ、走りが衰えたということなのだが、それだけでなく意識してゆっくりと登った。そのことが功を奏して、後半もばてること なく90kmのトータルでは最も短い時間で走りきることができた。もちろん、4回とも速く走ることを意識していたわけではないので、比較するのはナンセンスだが、ヒルクライムでの差を無意識に補うことができたことは、有酸素運動の有効性を表 している。
 さて、登るに連れて開けてくる景色を見ながら、道沿いの畑で作業をする老夫婦に挨拶しながら、白い穂を開いたススキに秋を感じながら、そして苦しさを感じることもなく他ごとを考えながら…唐突に林道最高地点に到着してしまった。まさ に、到着してしまったというのが実感で、できればもっとこのまま気持ちよく登り続けたかった。
 林道最高地点には、北西方向に大展望の駐車場と金倉山の山頂へ至る登山道入り口がある。林道はそこで終点ではなく、まだ先へと続いているようだ。駐車場にはクルマが一台。
 そこから山頂までは、5分ほど。階段になっていたので、自転車は置いて登った。
 山頂手前で、カランカランと鐘の音が聞こえて、何だろうと思いながら登る。この春(?)この周辺の小学校が統合され、卒業生有志によりここに記念の鐘を設置したのだそうだ。もしかすると、授業開始や終了のチャイムとして使われていた鐘だ
ろうか?説明板をよく読んで置けば良かった。その鐘を鳴らしていたのは、駐車場のクルマの主と思われる初老の男性だった。
金具ら山の麓「小栗山」集落 金倉山山頂(2003年11月撮影)
 山頂には展望台があり、周囲のブッシュに遮られることなく展望を楽しめる。まず、眼下には信濃川と小千谷市街。手前には、今登ってきた林道が緑の中をうねる姿も見える。少し右手(北側)を見やれば、緑の弥彦山と黄緑の越後平野。その奥に
は日本海も見える。雲が多めなので海は白っぽい青。日本海には佐渡も見える。結構空気は澄んでいるようだ。
 内陸方向へ目を向けると、こちらは平らなところが全くなし。海側より雲も多めだ。濃い緑の中に黄緑の棚田と、白っぽい空を写した鯉の養殖池。山の斜面に見える集落は山古志村の中心部らしい。遙か会津駒ヶ岳と尾瀬の山々、妙高など2000m
急の山はいずれも山頂を雲で隠している。
 十分に展望を楽しんでから、下山開始。駐車場まで戻れば、あとは高速ダウンヒル。登りで挨拶した老夫婦にもう一度挨拶して、あっという間にYHに戻る。
 自転車をクルマに積もうとしていると、マネージャーが「MTBもあるけど、そっちはチューブがもう駄目で…」といいながら、ロードレーサーを押して出てきた。ずっとお蔵入りしていたものだそうだ。昨夜からの自転車の話題で、眠っていたサ
イクリスト魂が目を覚まし、乗ってみようという気になったそうだ。
 しばしお互いの自転車を見比べながら自転車談義をし、私は「行って来ます」と出発。YHでは、到着の挨拶が「ただいま」で、出発の挨拶が「行って来ます」なのだが、実は私は2日後に再びここに戻ってくるので本当に「行って来ます」なのだ。
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4.檜枝岐村へ
手掘りの中山トンネル 資料が置かれている 中から外を見る
 R291で東を目指す。小千谷市の隣の山古志村は山間の村でほとんど平坦なところがない。そんな山古志村を抜け、中山トンネルで広神村へ。この中山トンネルの隣には、1km弱の手掘りのトンネルがある。車道の中山トンネルが開通する平成10年ま では、手掘りのトンネルが国道だったそうだ。
 クルマを止めて、手堀のトンネルを見学する。入り口には資料と、見学用のろうそくが置かれている。私は、入り口から10mほど入って写真を撮るだけにした。
 広神村から湯之谷村へ南下しR352に乗る。これからに備えて食料を買い込んでから、奥只見シルバーラインへ。そのほとんどがトンネルというシルバーラインを走り、銀山平からR352で奥只見湖畔を行く。ちなみに、銀山平までのR352は、枝折峠の道路が狭いので東行きは午前のみ、午後は西行きしか通してもらえないのだ。
 奥只見湖は、山深い雰囲気。山肌に沿ってカーブが延々と続く。入り江の奥では沢の水を流すため、道路にくぼみがつけられている。つまり、道路の上を沢が流れるようになっている。半島越えのアップダウンを経て、只見川の上流へさかのぼ る。道は左岸だが、右岸は福島県。橋を渡って、福島県檜枝岐村にはいる。
 「檜枝岐」と書いて「ヒノエマタ」と読む。普通なら難読地名だが、私は漢字ではなく「ヒノエマタ」という音の方に先に出会った。それは今から4年前の夏のこと。岩手県の遠野YHへ行く道中、会津野YHで同じ部屋にとまり合わせたヒッチハイカーをクルマに乗せた。彼は、尾瀬の山小屋でアルバイトをしていて、そのときは夏休みとのことだった。山小屋が忙しい時期によく休みが取れるものだと思ったが、何でも夏休みをもらうことを条件として契約したとのこと。忙しいながら尾瀬の季節の移ろいを 感じつつ過ごす日々の話を聞きながらのドライブだった。その彼が働く小屋の名が「檜枝岐小屋」だった。
 尾瀬へはいるには、御池というところからバスで沼山峠を目指すのが一番近い。御池でバスの時刻を確認。一番バスは朝5時だ。
 御池を越えて、七入のキャンプ場で泊まる。山小屋はあるが、集落はない。とても山深く、標高は1000m位。ずっとTシャツに半ズボンでいたのだが、寒いので長袖シャツを着て、長ズボンに履き替えてテントで寝る。シュラフを忘れたんだけど 大丈夫かな。
 夜は、クルマから電源をとってノートパソコンを起動しGPSのトラックデータ(移動の軌跡)を取り込む。こんな山深いところでも、携帯電話の通信圏内で、パソコンとつなぐケーブルがあればネット接続もできた。けれど、そのケーブルもモバイ ルギアと一緒に忘れてしまった。
 パソコンでNIFTYのログを見て、このあたりのツーリングレポートを読む。すると、今日通ってきた山古志村のログも見つけ、手堀のトンネルを自転車で走り抜けたことがかかれている。結局、夜更かし。
 明日は、一番バスで尾瀬だ。
秘境奥只見 霧の中へ(翌日)
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5.はるかな尾瀬
大江湿原 赤外線で入場者数を計測 霧の尾瀬沼
 まだ暗い4時に行動開始。まずはテントを撤収。結局、2時頃寒くて目が覚めて、その後眠れなかった。カッパを着て靴下をはいても駄目。シュラフは必要だった。まあ、夜通しクルマで走ってくるよりましだ。それよりも、昨日あれだけ晴れていた空が、どんより曇っているらしい。
 クルマで御池まで移動し、5時の一番バスに乗る。夏休み期間だが、さすがに半分以上席が空いている。夜が明けてくるとやはり曇天。それどころか、バスが登って行くに連れ雨が降ってきた。
 沼山峠バス停で下車すると寒い。上下カッパを着て出発。林間の登山道は、木道の階段となる。標高差100mくらい登ると沼山峠。晴れていれば尾瀬沼が見下ろせるらしいが、霧と雨で何も見えず。峠を越えて下りきったら湿原の中の木道。大 江湿原だそうだ。写真やテレビで見たまま青々とした背の高い草が茂る草原の上を木道がのび、少し先で霧に消えている。
 ひたすら木道の上を歩く。時間が早いせいか通る人は少ない。途中、赤外線によるハイカーの計測器があった。
 山小屋やビジターセンターがある界隈に着くと、すぐに尾瀬沼。まだ小屋の外にハイカーは出ていない。天気が悪いので出足が遅いのだろうか。
 少し湖畔を歩いてすぐに沼山峠に引き返す。しばらく歩くと、私と同じバスでやってきた人たちとすれ違う。急ぎ足でバス停を目指す。
 私が乗ってきた御池・沼山峠間のシャトルバスの動きから、毎正時に御池発、半に沼山峠発と読んだ。このまま行けば7時半に間に合いそうなので、先を急ぐ。
 後わずかと言うところで対向の人々が続々とやってきた。いやな予感を覚えながら7時25分に沼山峠に到着。予感は的中し、バスは出た後。どうやら、30分おきのピストンという読みは間違いで、満員になり次第出るらしい。
 軒下で雨を防ぎながら、でも寒さのためカッパは着たままで次のバスを待つ。おみやげ物屋では開店の準備。
 結局、次のシャトルバスの前に路線バスが到着。8割程度の乗車率。お客さんが下りるのを待って、風が防げる車内へ。出発までの時間、運転手さんはポットのお湯でカップラーメンを作って朝食。
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6.会津盆地喜多方ラーメンツーリング
桧枝岐村の目抜き通り 木賊温泉
 御池まで戻ると雨は止んでいた。クルマに乗り込んで、出発。檜枝岐村の中心部で、名物のそばをおみやげに買う。この檜枝岐村は、村役場がある中心部だけに集落があり、あとは山小屋があるくらい。広い村のほとんどは山林というわけだ。南 アルプスの北岳の登山口がある山梨県の芦安村も同じような感じだった。
 R352、R121で、舘岩経由して会津田島へ。途中、木賊温泉へよる。谷に下りたところの河原の露天風呂は、ちょっとした小屋になっているものの、渓流釣りの人からは丸見え。
 会津田島までくると、空からは薄日が射して若干暖かい。それでも気温は10度台。そこそこ交通量がある阿賀川沿いを会津盆地へ。さほど流れが悪くなるような路線ではないのだが、前を走るクルマの列のうちの何台かのスピードコントロール がまずい。何でもないところで急加速と急ブレーキを繰り返し、後をついていくのが疲れる。
 会津盆地にはいると、道路の電光掲示板が示す気温は25度と、舘岩村よりも10度も上がっている。
 会津高田町中心部の伊佐須美神社の駐車場にクルマを止め、自転車をおろす。喜多方ラーメンを食べに行くのだ。
 長ズボンを半ズボンに履き替えて(シャツは木賊温泉で無理矢理半袖を着ていた)出発。
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【期 日】2002年8月24日
【行 程】[  ]は腕時計内蔵の高度計からの標高データ
 福島県会津高田町伊佐須見神社13:38 - 15:40喜多方市16:50 -
 18:17会津高田町寺崎(会津野YH)
【メンバー】はいかい(単独)
【距 離】67.7km
【速 度】平均:18.6km/h  最高:42.9km/h
【タ イ ム】4時間39分(実走時間:3時間38分)
【天 候】晴(^^)
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 会津高田から、頭を垂れ黄色く色づいた田んぼの中を北上。久しぶりに感じる暑さが、夏が戻ってきたよう。ただし、一週間前まではさらに10度高い気温の中で生活していたのだが。もちろん、このまま秋がくるとは思っていない。
 平坦で方向感覚を失いがちな会津盆地の中、磐梯山の位置とGPSレシーバーを頼りに盆地の西の縁を北上する。
 新鶴で県道22号線に乗れば一安心。会津坂下でちょっと休憩したあと、県道21号線で喜多方へ。会津高田から喜多方まで20km程度と思っていたら、30kmもあった。
 さて、喜多方についたらラーメン。去年、「会津野YH」ですすめられて食べにいった「はせ川食堂」を目指す。市街地の北の端なのだが、場所がわかりにくく、結局見つけられないままに時間切れ。駅近くまで戻って「源来軒」へ。源来軒は、11年前初 めて喜多方を訪れたとき、塩川の「会津の里YH」で泊あわせたメンバーで喜多方ラーメンを食べに行ったとき、電車の中で話をした地元の人に紹介されて行った店だ。ちなみに、そのとき朝食を食べに行ったのだが、喜多方では朝っぱらからラーメン 屋が開いているのだ。
 数年前にもこの源来軒を訪れ、大盛りラーメンを食べたのだが、これが洗面器のような器に入った超大盛りだった。さすがに今日はこれを食べる程のエネルギーはなく、普通のラーメンを食べる。透き通ったしょうゆのスープに、縮れ麺というおなじみのラーメン。食べ終わってゆっくりしている暇はなくなった。
 会津野YHの夕食まで1時間40分しかない。喜多方駅の南側で何とか県道21号線を見つけ、一目散に南へとばす。結局、伊佐須見神社に止めてあるクルマまで戻ることはあきらめ、自転車のまま直接会津野YHへ。夕食の10分前。週末とあって結構な 人が泊まっていた。
 夕食の後、温泉ツアー。伊佐須見神社の近くの「あやめ荘」が温泉の場所なので、クルマが回収できた。
 温泉から帰ると、賑やかなお茶の時間。周辺の案内を聞いた後、たこ焼きを自分らで焼いて食べる。 マネージャーのH君に「感謝の集い」の報告をして、定福寺の思いで話をする。ノートPCで「感謝の集い」の写真のついでに、カシミールで作った定福寺公認「京柱峠コース」のプロフィールマップを見せると、興味津々で食いついてきた。カシミールのルート作成機能を使って、会津野YHベースの日帰り自転車コース試案を考える。市野峠を越えて大内宿、芦ノ牧温泉を経て会津盆地へ戻ってくる既存のコースに新しいものが加わるのだろうか。とりあえず、その案については具体的にはここに書かないことにしておこう。
会津盆地 11年ぶりの源来軒
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7.会津野の散歩
お散歩メンバー あおい冷菓店のかき氷に癒される
 朝食の後、出発する人を見送りながらYHの前にいると、マネージャーのH君が出てきた。これから、希望者で伊佐須見神社まで朝の散歩に行くそうだ。所要時間は1時間半ほどと聞いていくことにする。ガイドのHくん以下、7名の散歩隊結成。
 今朝はなかなか日差しが強くて、夏が戻ってきた感じ。昨日は、朝の5時から尾瀬を歩き、その後クルマで140kmを移動して、自転車で70km弱走るという結構忙しい一日だった。それでも、昨夜も涼しくてぐっすりと眠れたので回復。
 車道はできるだけ使わない。YHのある寺崎集落で家の周りの花壇の花や菜園の作物を見学。Hくんが、すっかり地元の人のような雰囲気で説明してくれる。
 そのあと川の土手の上の道や田んぼの中のあぜ道を行く。黄色に染まってきた田んぼの中に、そばの畑も見られる。「これが種をまいてから1週間くらいで、あっちの畑が2週間くらい。こんなに違うでしょ。成長が早いから食糧不足の時には重
宝したんですよ」と説明を受ける。他にも、枝が折れるほど大きな実を付ける柿(身の程知らずの「みしらず柿」というそうだ)、桃の木なども見る。
 最後は、トラクターが走る農道を歩いて、会津高田の中心街へ。ここまでの道のりは4kmをこえて、うっすらと汗をかいた。
 「じゃあ、かき氷やさんで、かき氷を食べましょう」というHくんの一声で、皆息を吹き返す。「氷」というのれんが掛かり風情ある「あおい冷菓店」へ。少し待って出てきたかき氷は、山のような大盛り。きめが細かくふわっとした口当たり。
 食べ終わる頃、店を切り盛りするおばあさんが出てきて話を聞く。この建物は昔の郵便局だったそうだ。“うなぎの寝床”のように細長い作りで、昔の事務所の部分が土間のような空間になっていて、そこを店としているようだ。奥は、座敷となっている。ちなみに、夏季限定の営業だそうだ。

 あおい冷菓店から伊佐須美神社まではすぐ。ここは、会津一の宮で、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が出会った場所といわれている。出会いの地だから、会津というそうだ。
 お参りを終えた後は、お迎えのクルマでYHに戻る。
伊佐須美神社 会津野YH 田園広がる会津盆地
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8.再び喜多方ラーメンツアー
 散歩隊の内の3人は、山都にそばを食べに行くとのこと。レンタカーでドライブしている人に鉄道旅行者が同乗し、さらにオートバイが一台同行する。昨日のお茶の時間の周辺案内で、おいしいそばの町として紹介されて相談がまとまったらしい。
 私も、そばを食べにいってもいいのだが、お隣の喜多方ラーメンが呼んでいる。Hくんに「またくるね」と言って、11時過ぎに出発。
 ラーメンを目指して北上。
 土曜日で、しかも昼時にさしかかる時間。嫌な予感がする。昨日たどり着けなかった「はせ川食堂」をどうにか探し当てたが、店の前には長蛇の列。並ぶ気も起こらず、市街地の北のはずれから中心部へ戻る。FCYCLETの高地大輔さんのツーリン グレポートを参考に店を回るが、そこに出てくるあべ食堂、坂内食堂、松食堂はみな店の外まで行列。
 とりあえず、「ラーメン館」をぶらつく。ただし、ここも駐車場は満車で少し離れたところにクルマを止めなければならなかった。改めて、喜多方ラーメンの人気を思い知る。
 ふと、FCYCLETの発言の中に、喜多方市の東の郊外の熊倉地区の店も出てきていたのを思い出す。クルマの中でノートパソコンを立ち上げて確認して、出発。
 熊倉地区は、市街地中心部から4kmほど東。会津盆地の北東の縁にある。雄国山、猫魔ヶ岳、磐梯山と連なる山々の裾野となる緑の斜面が間近に見える。
 しかし、FCYCLETに出てきた「羽入食堂」は、「老麺会まっぷ」に見あたらない。ガソリンスタンドで給油の際に訪ねると、「老麺会マップ」にある熊倉地区の2軒の店のうちの片方がそれで、屋号が「吉本屋」なのだそうだ。ついでに、「羽入」の読み方 が、「ハニュウ」だということもわかった。
 今日は吉本屋の隣の神社のお祭りのようで、店の向こうの道には露店が並んでいた。
 「いらっしゃい!」というおばさんの元気な声で迎えられて入った吉本屋(羽入食堂)のラーメンも、満足のいく味。昨夜のHくんの話では、ここ3,4年で喜多方ラーメンの味がグンと良くなっているそうだ。それぞれの店が、だしの取り方など一生懸命工夫 しているらしい。これで、「人口一人あたりのラーメン屋の数がもっとも多い街」から、本当に「ラーメンがおいしい街」になってきている。
蔵を模した馬車 吉本屋(羽入食堂)
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9.小千谷の花火
喜多方を後にして、只見線沿いに西へ。六十里越を経て、新潟県へ。2年前の夏に、自転車で工事現場を走行中に転倒して大流血をした道は、今年も工事区間が多い。ちなみに、そのときの左肘の傷跡は、まだくっきり残っている。
 喜多方でのんびりしすぎて、夕食の時間に間に合いそうもない。入広瀬で、夕食に遅れることを宿に連絡。夕食準備の忙しい時間帯に、電話をかけてしまった。今日は再び、小千谷ふるさとの丘YHに泊まる。今夜は、小千谷祭りの花火大会。夕食はいつもより1時間早めなのだ。
 時間がたつにつれてどんよりしてきた空は、守門でとうとう降り出した。それも雷を伴っての土砂降り。あちゃー、今夜は降って欲しくないんだけれど。
 山古志を経て、小千谷市にはいるとすぐにYH。どうにか雨はやんだ。
 ちょうどYHのクルマが出るところ。まずは、花火見物部隊の第1陣を送って行くそうだ。「夕食はヘルパーが出します」と言い残して出発していった。
 YHでは、一人がまだ食事中でそこに私も加わる。食べ終わる前にマネージャーが戻ってきて、残りを急いで掻き込む。品数が多い夕食に苦戦。
 あわただしく、第2陣5名を乗せて小千谷の中心街へ。各町内でこしらえた山車が巡り、花火見物のクルマがあふれる小千谷の街では、クルマはのろのろ。 信濃川沿いで、渋滞に巻き込まれたクルマから降りて、河川敷へ。コンクリート で階段状に固められた土手の斜面が花火の観覧席。花見のように、席取りのビニールシートもいくつか見られる。
 お隣、長岡の花火大会が有名だが、この小千谷も花火の工場が何軒かあり花火が盛んだという。
 毎年、8月の23,24,25日が小千谷祭りで、その中日の夜が花火大会。今年は、祭りが週末に重なり、土曜の夜に花火大会という抜群の日程。そのことを3日前にYHで聞いて、即今日の泊もお願いしたのだ。
 見物場所も決まり、打ち上げ開始まで30分ほどあるので、一人が、何か買ってくる、立ち上がる。結局、打ち上げのぎりぎりに、「祭りなのに夜店が一軒もなくて、遠くの店まで行かねばならなかった」と戻ってきた。
 花火が始まると、みな集中して花火を見物しだした。きっとここの人たちは、夜店など花火見物の邪魔だ、と思っているんだろうと勝手に納得する。それほどに、一生懸命花火を見物しているのだ。
 「次は、○○株式会社様ご提供、8号」とか「▽□工業様、ご提供のスターマイン」と、ウグイス嬢のアナウンスが入る。まるで、野球場の「4番キャッチャー山田君」というコールのようだ。
 最初のうちは、7号の単発から始まって、時間が経つに従って8号、10号と大きくなったり、連発物や仕掛け花火(スターマイン)が混じってくる。川の対岸が打ち上げ場所で、間近に見る花火はかなり迫力がある。
 どうやら「10号=1尺玉」らしい。最初のうちは7号や8号でも拍手が起こってい たが、尺玉が出てくるようになると、8号では誰も拍手しなくなってくる。
 そのうち20号が打ちあがるようになり、さすがにこれはどよめきが起こる。この日一番大きいのは30号玉で、視界に入らないほどの大きさだった。
 尺玉や仕掛け花火は、打ち上げ前のコール以外に、打ち上げてからも「ただいまの花火は、★★商店様ご提供の20号でした」ともう一度コールされる。まるで、毎年夏に琵琶湖で行われる人力飛行機の「鳥人間コンテスト」でフライトを終えた後の 「すばらしい記録が生まれました。※※大学鳥人間研究会の記録は426mでした」のコールのようだ。
 そして、本日のメインエベントは、小千谷市民提供、つまり全戸から集めた寄付金を使っての大花火。ナイアガラの滝を、鯉の形の花火が滝登りをして、最後大スターマインで締めくくるという物。打ち上げ前にはファンファーレが鳴り、まるで、ヤッターマンの「今週のびっくりどっきりメカ発進!」のようだ。打ち上げが終わると、周囲はスタンディングオベーションが起こりそうなほど大歓声に包まれた。
 こうして、8時から9時半までの1時間半、退屈することなく正統派ストロングスタイルの花火大会を楽しんだ。
3尺玉 華やかな花火大会
 小千谷駅でYHからの迎えのクルマと合流。ヘルパーさんのクルマも来ていて、第1陣、第2陣のメンバー一度に帰る。途中で降り出した雨は、YHに戻ったとたん土砂降り。何というタイミング。
 ヘルパーの女の子も自転車乗りだそうで、マネージャーと私と3人で、自転車の話題。先ほどの花火の話題やYHの旅の話題で盛り上がる談話室の外の廊下で、ノートパソコンのカシミールを立ち上げ金倉山コース、四国の京柱コース、丹後半 島一周コースなどのコース地図とプロフィールマップを表示する。
 翌朝、朝食を終えた後、再び談話室で座談会が始まる。メンバーは殆ど30代以上、一人だけ20代というのYH中堅以上。それぞれが重ねてきた旅のことがいくらでも出てくる。
 9時を過ぎ、10時近くになっても、誰も出発しない。まるで我慢大会だ。
 10時過ぎに、1人が出発すると、みな一斉に出発準備。あっという間に発っていった。
 朝のうちに、山古志村を走り、手堀の中山隧道を自転車で抜けようかと思っていたが、この時間になってしまったらもう帰路に就くしかない。
 ということで、クルマに乗って丹後に帰る。今回持ってきていたスペアのタイヤチューブは、マネージャーさんに寄付。「ちゃんとサイクリスト復活してくださいね」というメッセージのつもり。
 この一月後、MTBのチューブを私が持ってきた物に交換して金倉山に登った、というメールが届いた。
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