小千谷の花火を見たあと
自転車北海道一周30ヶ年計画にリーチをかける旅
0.目次
1.旅立ち
2.おぢや祭り花火大会と小千谷ふるさとの丘ユースホステル
3.新潟港から北海道へ
4.小樽から道東へのロングドライブ
5.自転車で風蓮湖から根室へ
6.霧多布岬でキャンプ
7.霧多布から釧路の北太平洋シーサイドライン(前編・霧多布湿原)
8.霧多布から釧路の北太平洋シーサイドライン(後編・厚岸から釧路)
9.和商市場と根室本線
10.霧多布から開陽台そして標津へ夜のドライブ
11.自転車で標津から本別海
12.道東から小樽へロングドライブ
13.「とまや」でのんびり、そして「励ましの坂」
14.旅を終えて
15.データ
1.旅立ち
 今年の8月も日本列島は天候不順。次々に台風は来る。北海道に至っては、本州での役目を終えた梅雨前線が停滞し、そのまま秋雨前線と改名して居座り続ける。さらに。本州や朝鮮半島でブイブイ言わせてきた台風が温帯低気圧と名を変え、北海道に停滞する前線の上を列をなして通過する。
 今年も駄目かな。去年の夏にも北海道自転車ツーリングを断念したわけだが、別に珍しいことではない。よくあることだ。何もせず夏を終えるのも寂しいなあ、と思い10年以上前によく訪れた小千谷ふるさとの丘ユースホステル(以下小千谷YH)のウェブページを見る。8月下旬に開催される「おちや祭り」の花火大会の日の宿泊、残り男性2名。一晩考えてから、予約の電話を入れた。「おじやのおかん」さん(以下おかんさん)、の懐かしい声。そして、驚いたことにこちらが名乗ったらすぐ、私を思い出してくれた。名乗ってすぐに、である。最後に泊まったのが12年前である。
 名前に憶えがあるな、と思われ、以前にこのYHを利用したことがあるというやり取りを踏まえ、後で「あの人だ」と気づかれるくらいは想定していたのだが。
 そういえば、もう一人の宿主「おじやのおやぢ」さん(以下おやぢさん)には、開所したての小千谷YHに16年前初めて訪れ、玄関を入ってすぐ「自転車乗りで会津野YHによく泊まっていますね」と言われた。とにかく、二人そろって要注意。下手なことをしたら、ずっと覚えていられる。
 おぢや祭り花火大会当日の朝9時前に、丹後を出発。早出すればいいものを、厳しい残暑の中、前日夜に始めた準備も未明までかかり、寝不足だ。
 舞鶴西港には、大型クルーズ船が停泊していた。あとでわかったことだが、先日通り過ぎていった台風20号を避けて舞鶴に緊急停泊しているものだった。
 国道27号線や広域農道「若狭梅海道」で日本海に沿って東に進み、正午に敦賀から北陸自動車道へ。300q以上の距離を4時間ほどかけて柏崎I.C.で北陸自動車道を降りる。内陸に向かい
17時きっかりに、小千谷ふるさとの丘YH到着。直後にもう一人到着。これで花火見物ツアー参加メンバーがそろい、準備ができ次第出発。
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2.おぢや祭り花火大会と小千谷ふるさとの丘ユースホステル
12年ぶりのYH 花火会場 からくり万灯
 旧山古志村(現長岡市)との境に近い中山間地にあるYHから、おやぢさんの運転するワゴン車で信濃川の畔旭橋の西詰近くの会場へ。途中小千谷駅で2人ピックアップして参加メンバーは計5人。おやぢさんは、団体客のお世話をするためYHに戻り、あとは我々参加者で行動する。といっても、花火開始までまだ1時間以上あるので各自で食料の買い出し。見学会場である川の畔にも露店が出ているが、ちゃんとした食事を求めて旭橋を渡り駅のあたりのコンビニエンスストアを目指して歩き始めたが、本通りに出ると橋と反対側に商店街があってそちらが賑やかそう。各商店が店の前に露店を出している。食料品を扱う店以外も露店を並べている。半年前に訪れた台北の朝夕の風景を思い出す。車道は歩行者天国。進んでいくと、からくり万灯が集合していた。からくり万灯は、青森のねぶた祭りのねぶたのような大きな張りぼての人形で、提灯のように中に光源が仕込まれていて、これから夜になれば明るく映える。これがトラックの荷台に積まれていて、祭りのあいだ市内のあちこちを走り回る。からくり万灯は20台以上。江戸時代の絵巻の登場人物である児雷也(じらいや)と大蛇丸(おろちまる)といったねぶた祭りにもありそうなもの、ご当地名物の鯉、などもあるが、スヌーピー、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、アラレちゃん、魔人ブウ、パワプロなどのアニメやゲームのキャラクターが圧倒的に多い。他に、太鼓などの鳴り物を積んだトラックもいるので、相当ににぎやかなのだ。
 さらにその奥の特設ステージで小千谷市長がスピーチをしている。また広い駐車場には、どこかで保管されていた大量の雪が積み上げられ、子どもたちが遊んでいる。
 スーパーマーケットがあった。店内も営業しているが、店の前にも露店が出ている。その露店でおにぎりと唐揚げを買う。
万灯大集合 残雪 花火打ち上げ開始
 信濃川の畔へ戻る。階段状になった土手の我々のブルーシートに陣取り、YHのメンバーとおしゃべりしながら花火が始まるのを待つ。私以外はみな関東地方からきているそうだ。長岡をはじめとして中越地方では花火が盛んで、ほかにも柏崎や片貝などあちこちで花火大会が開催される。そうした花火大会を目指して、ひと夏に何度も中越を訪れるという人もいた。すごい熱意だね。
 前々日くらいから雨予報が出て、雨量こそ多くないが降水確率は高く降ったり止んだりが続くような見通しだったが、幸い曇りながら雨は降っていない。午前中で止んだそうだ。午後は日差しも出て、地面もブルーシートも完全に乾いている。ただし、ブルーシートの下側が濡れていることに花火大会が終わって撤収するときに気付いた。
 あたりは暗くなり、19時過ぎ、花火大会開始。序盤は5号、そして7号が上がる。5号、7号というのは、花火のサイズを表し、10号が一尺で玉の直径が約30cm。おぢや祭りでは、最大二尺玉が上がる。長岡や片貝の花火大会では三尺、四尺といったものも上がるそうだが、二尺でもド迫力。いや、5号だって、私の地元丹後の花火大会のものと比べれば十分大きいように感じられる。単発花火は文字通りの単発で、提供と号数のアナウンスがあり、一発だけ上がる。そして次のアナウンス。こういう形だ。丹後の花火大会では基本的に単発ものも、ほとんど間をおかず数発続けてあがる。やはり、一発の説得力が違うのだ。
 時間の経過とともに、号数が大きくなり10号(一尺玉)やスターマイン(連射仕掛花火)があがる。
からくり万灯 月夜の祭り
 雲に隠れていた月が顔を出した。満月かどうかはわからないが丸い月だ。ということは、時期からして中秋の名月のひと月前か。後で調べたら、この日は旧暦七月十五日。(ひと月)前の名月ということにしておこう。ちなみに、満月は翌26日だった。
 そして、信濃川にかかる旭橋をからくり万灯の大行列が行く。まさに小千谷祭りの真っ只中だ。
徐々に華やかに これが3尺玉 鯉の滝登り
 打ち上げ開始から1時間が経過し、10号が当たり前、7号くらいでは拍手も歓声も上がらなくなってきた。スターマインにも10号が含まれるようになる。そしていよいよ、小千谷祭りで最大の20号が上がるようになる。やはり迫力が違う。単発でも圧倒されるのに、スターマインと組み合わさったり、同時に2発あがったりする。またナイアガラ花火の中、鯉をかたどった花火が上に向かって進んでいく、鯉の滝登り。養鯉の盛んな地ならではの仕掛け花火だ。そして、音楽に合わせての長いスターマインで2時間に及ぶ花火大会はフィナーレ。最後の音楽付きスターマインは、小千谷市民全戸殻の寄付金を集めた市民参加花火。ちなみに、12年前の最後の市民参加花火は、鯉の滝登りとスターマインのあわせ技だった。
 花火を見終わったら、寒いくらいに冷房の効いた臨時バスに乗ってふるさとの丘YHへ戻る。そして、おやぢさん、おかんさんを交え談話室で過ごす。おかんさんのボケにおやぢさんが突っ込む様子は12年前と全く変わらない。夕方、私と前後してYHに到着した2人は、それぞれ関東地方からクルマで来た男性。一人は今朝出発しほとんど高速道路を使わずに着たという。もう一人は、昨日早朝出発で高速道路を使わず600km走っり山形県内で一泊。今日も強行軍できたとのこと。私も本当は高速道路を使いたくはなかったが、650kmの彼方から17時に間に合うようにするために背に腹は帰られなかった。かつては、YHに泊まると「点でなく線で旅をするんだ」などとうそぶいて高速道路を使わない若者がたくさんいたが、それがそのまま年を重ねた中年がここに3人。
 寝室は和室の相部屋をその3人で使う。このYHに冷房はなく2台の扇風機を夜通し稼動させる。一昨日は台風20号の間接的な影響による南風で、フェーン現象が起こり、新潟県内各地は40度を越す猛暑に見舞われた。この小千谷の山間地もかなり厳しい暑さだったそうだ。今夜はまあなんとか過ごせる気温だ。未明には、激しい雷雨。
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3.新潟港から北海道へ
 翌日の朝食は、地元産コシヒカリをメインに、自家製の野菜も含まれたボリュームあるもの。花火大会の夜は、夕食の提供がないので、今回は一食入魂の思いで頂く。提供するのでなく、食べる方だけどね。
 食後、おやぢさん、おかんさんにしばし(?)の別れを告げて、出発。おかんさんに教わった道順で新潟市へ。でも、その前に小千谷駅方面へ。駅前のコンビニエンスストアに寄らないといけない。
 旅の直前デジタルカメラのバッテリーが急にダメになってしまった。すぐにバッテリー切れになる。フルに充電しても1日の使用にさえ絶えられない。昨夜の花火の時は、モバイルバッテリーで充電しながら撮影した。
 で、旅の前にバッテリーと急速充電器のセットを注文した。届く前に出発なので、受け取り場所を小千谷駅前のコンビニエンスストアに指定しておいたのだ。
 品物を受け取ったら、新潟に向けて出発。前半は国道17号線から国道8号線。長岡を越えたら、500番台も含めたいくつかの県道や市道をつなぐ。要するに、信濃川沿いに下って行く。途中からは、新信濃川(大河津分水:越後平野の治水のための分水路)に沿って下り寺泊の北側で日本海沿いの国道402号線へ。ここまで信号が少なく早かった。カーナビがないので、GPSレシーバーが頼りだった。
 引き続き、国道402号線も信号が少ない。弥彦山を越える山道では、お巡りさんがあちこちに佇んでいる。海水浴場の駐車場には大量の改造オートバイがブイブイ言わせている。どうやら大規模な取り締まり作戦が行われているようだ。
 越後平野に入り周囲は砂丘となる。砂丘を行く道も長かった。橋を渡るとようやく市街地へたどり着く。ちなみに渡ったのは信濃川の関屋分水路。いくつも分水路があるらしい。
 市街地でしばし迷走するが、どうにか「新潟みなとトンネル」へ。これで、信濃川本流の下をくぐる。そして、河口部右岸の新日本海フェリーターミナルへ。おかんさんの言ったとおり、2時間で到着だ。
 北海道行きを諦めたわけではないのだ。
 何度か自転車で走った北海道。かなりあちこち走り回ったなぁ。地図を眺めていて、ふと思った。
 あとちょっとで、一周できるんじゃない。
 一番大きな空白区間は道南渡島半島。これを、2013年ゴールデンウィーク、2015年シルバーウィーク、そして今年の春先と3度の遠征で完走。
 で、今回のターゲットは道東。道東は過去に何度か走っているのだが、摩周湖、阿寒湖、屈斜路湖、そして開陽台に釧路湿原と内陸部にも魅力がいっぱい。海沿いが途切れ途切れの未走区間が残る。しかもそれらは北海道の中でも最も天気の悪い根釧エリアだ。立ちの悪いところを残してしまった。
 昨年、天候不順で流れた未走区間を拾いながら走る計画は結構日数がかかってしまうものだった。仕切り直して立てた今年の計画は、トランスポーターとしてこの春から乗り始めた自動二輪を使うもの。自動二輪に積載できる自転車は折畳小径車だが、3か所に分断された未送区間はトータルで150〜160km。大きな峠もなく、スーパーカブをトランスポーターとして挑んだ、利尻島一周や奥尻島一周を考えれば十分に可能だろう。
 しかし、問題は天候。計画を立てたものの欠航する決断ができないまま夏が終わろうとしていた。小千谷ふるさとの丘YHを予約したのは、半分はあきらめムードの中だったが、その後に北海道へ北上する目論見を持ち、気象情報にはずっと注目していた。計画通り自動二輪で向かうことも考えたが、高速道路を300〜400kmも走り続ける自信がなかった。それに、おぢや祭りは土曜日。ETCを搭載したクルマは休日特別割引となるため、搭載していない自動二輪の方が高速道路の通行料が高くなってしまうのも面白くない。というわけで、クルマで小千谷まで走り、そのまま北海道でクルマをトランスポーターとして活用することにした。
 ちなみに、2008年には、北アルプス乗鞍大雪渓で夏スキーを楽しんだ後、新潟(柏崎)にクルマとスキー用具を置いて、自転車のみで北海道に渡った。今回はフェリーの港から遠く離れた道東への移動を含めたトランスポーターとして、さらに不安定な空模様でも行動ができる手段として、クルマごと北海道に渡る。自転車で北海道を走るのは17回目だが、クルマごとの上船は2006年以来2度目である。
 コンビニエンスストアで、船内での昼食と夕食、二食分の食料を買って、出港1時間半前にフェリーターミナルへ。乗用車の乗船開始は出港45分前とのことで、さほど混雑していない模様。余裕をもって乗船手続きを行う。行き帰り同じ路線ならば往復割引だが、今回は往路は新潟発、復路は舞鶴着なので回遊割引だそうだ。いずれにせよ、復路が1割引きでお得。
 二輪車用の乗船待ちスペースには、自動二輪車の台数に負けないほどの自転車の数。団体さんが含まれているようだ。Tシャツの背中には「信州大学」とあった。
 二輪車に続いて乗船。港を出るときには、後部甲板に出て新潟港を眺める。薄日は指しているが、雲が広がり蒸し暑くすっきりしない空模様だ。
 12年前に乗ったときには一番安い二等は雑魚寝部屋だったが、今は一番安いタイプでもカプセルホテルやゲストハウスのような寝台で、部屋も寝台も指定されている。この変化は舞鶴からの路線と同様だ。この日のこの路線の一番安い船室は満席で、一つ上のランクになってしまい2000円程料金が高いのだが、同じ寝台で寝具が毛布かキルトケット(薄い掛け布団)かの違いだけらしい。料金が一番安い毛布の寝台は1部屋のみの18しか席がなく、すぐに予約で満席となる。要するに、早期割引のようなものと捉えることにしよう。
 また、船内でWi-Fiが利用できた。これはありがたい。が、携帯電話の通信網を利用しているので、沖合を航行中は通信不能。出港及び入港前後や、離島や半島部に接近したときのみ通信できる。ただし、復路の舞鶴航路ではWi-Fiが利用できなかった。
 船内イベントとして音楽大学の女子大生2人によるピアノとトランペットのライブがあった。昨日は揺れたけど今日は穏やかです、と言っていた。一昨日までは台風21号の影響で欠航だったはず。
 こちらは、昨日に続き今日の午前中も時間制限のあるドライブだったので、船内ではのんびりと過ごせてリフレッシュ。でも、自律神経が昂っているのか、ぐっすりとは眠れなかった。
新潟港 満車ではない いざ出港
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4.小樽から道東へのロングドライブ
ピアノとトランペット 雨の小樽に上陸 徐々に晴れる石狩平野
 4時半に小樽到着。二輪のあとに乗用車は下船。船を降りると雨。二輪車のみんなはいきなりの雨具装着。5時前に港をスタート。朝里にある24時間営業のラーメンチェーン店、山岡家で朝食。石狩でガソリンを補給。あとはひたすらクルマを走らせる。日も上がり雨も止んで空が明るくなってきた。まずは国道5号線、そして札幌市内を迂回するため国道337号線へ。高速道路のように盛土の尾根を行く広い片側2車線以上の道が続く。日本海沿いを北上する国道231号線との重複区間までは信号があったが、それを過ぎると交差する道路との行き来はインターチェンジとなっているため信号がなくなる。クルマの流れはとても速い。制限速度を示す標識が立っていないので、法定最高速度の60km/hが制限速度のはずなのだが、明らかにそれをはるかに越えたスピードで走るクルマが何台も見られる。江別から国道337号線は片側一車線の盛土もインターチェンジもない、普通の田舎道となる。交通量もぐっと減る。しかし、道路は直線的でたまに出会うクルマの速度は、相変わらず速い。周囲は水田が広がる。道央や道南では酪農より稲作の方が主流なのだ。
 集落に入ると制限速度50km/hを示す標識が現れ、集落を抜けるとそれが解除となる。元々余りスピードを出したくないし、特に交通取り締まり事情のわからない土地でもあるので、制限速度を大きく越えることなく走る。珍しく、ゆっくり進む車列に追いついた。車列の先頭は数台の自衛隊車両だった。
 少し暑くなってきたので、由仁でセイコーマートに寄って冷たい飲み物を買う。
 由仁からは国道274号線。道路の起伏が大きくなり山間部に入った。夕張山地の前衛だ。いったん平野部に出る。夕張市の谷だ。それを抜けるとさらに深い山間部へ。本格的な夕張山地となる。そのあと、日高山脈へと続く長い長い山道は樹海ロードと呼ばれている。
 日高町の谷を越え、日高山脈日勝峠へ向かう。国道274号線に沿って流れる沙流川の谷の法面はあちこちが崩れ木が倒れている。また、橋という橋では架け替え頭の工事が行われ、仮設橋をいくつも越えて行く。1週間に3つの台風が北海道を襲った一昨年の8月半ば過ぎのことが思い起こされる。が、後日調べてみるとその3連発の一週間後の8月末に接近した台風10号による被害のようだ。
 日照峠は濃霧。十勝川中腹のドライブインまで下ると十勝平野の景色が見渡せた。十勝清水に降り立ち、帯広が近づいたら十勝川の北岸へわたり、帯広の中心街を避ける。それでも、帯広近郊では信号もクルマも多くエースが落ちる。時刻は10時。スタートから5時間。300kmも走った。平均時速60km/hではないか。
日勝峠へ上る スパかつ 風蓮湖
 そのままとか地川の左岸を行き、池田で少し迷走。ワイン上の近くを通る。畑の中の細い道を、巨大な観光バスが連なってでてきた。
 国道38号線に合流し、浦幌の道の駅の前を通過、しようとしたら隣接するレストランに対向の自動二輪が入っていった。「スパカツ」とかかれたのぼりが見える。とりあえず道の駅の駐車場にクルマを止めて、ガイドブック(ツーリングGOGO)を見ると、ボリューム満点、とあった。昼前だが、朝食が早かったので、ここで昼食とする。スパカツとは「スパゲティカツレツ」を略した言葉で、パスタの上にトンカツを乗せミートソースをかけたもの。確かにボリュームがある。他にもラーメンや丼の定食や単品があり、どれも食べたかった。店名は「うらほろ亭」。
 次の目標は釧路。帯広から100km以上だが、13時前には到着できそうだ。スパカツの時間を差し引けば、依然平均60km/h近くを維持している。国道38号線は太平洋を右に見て走るようになる。道の駅「しらぬか恋問」の前を通過。17年前に自転車でここに寄ったことを覚えている。その日のゴール地、釧路を目前に小休止。すると夕立が降り、合羽を着て走った。サンダルに履き替えるのをめんどくさがって、靴をぬらしてしまった。
 釧路も中心街を避けてはいるがやはり信号、交通量が多く通過に時間がかかる。国道38号線は自動車専用道路化されていて、そちらを通れば市街地をまったく通らなくてもよかったのだが、有料かと思って市街地に入ってしまった。それでも中心街まで入り込んでいないし、Googleマップによれば時間のロスは10分程度だった。予想通り13時には釧路を過ぎた。
 国道44号線を東に進み、厚床を過ぎ風蓮湖畔の道の駅「スワン44ねむろ」で小休止。もうここは根室市なんだ。さらに、もう4kmほど東に進んだ「東梅駐車場」にクルマを止める。トイレのある広い駐車場で、入り口には「春国岱原生野鳥公園→」という看板も出ている。春国岱とは「風蓮湖と根室湾を分ける砂州で形成された面積約600haの湿地及び原生林」(Wikipedia)だそうだ。要するにこの先は海岸。根室半島の北岸、根室湾沿い根室市外までの10kmほどが未走区間だ。短いのでピストンする。
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5.自転車で風蓮湖から根室へ
根室へ向けて
 朝の5時頃から10時間もクルマを走らせ続けてきた。距離は500kmに届こうとしている。とはいえ、疲れているのは目と精神。体を動かせば,きっと気分転換できるはず。自転車にまたがって根室市半島へ。左前方には根室湾、正面に大きな橋が見えてきた。温根沼と海がつながる水道に架かる橋だ。風蓮湖もそうだが、道東には海とつながる湖沼が多い。最大のものは、サロマ湖だ。
 左に海を見ながら緩やかなアップダウンを越えていく。青空が広がっていて、海も青い。残念ながら国後島までは見えない。すぐに根室の町並みが見えてきた。国道44号線は、片側2車線に広がり、周囲の景色も海岸や原野でなく店が並ぶようになってきた。
 駅の手前、道道142号線と交差する敷島町2丁目交差点までとする。前回根室に来たのは、2001年のこと。落石から花咲を経由して根室市街。そして納沙布岬を往復し根室駅から輪行で帰路に就いた。つまり、根室半島先端部、そして根元部分の太平洋側は17年前に完走。細長い半島だからそれだけで感想としても良いような気がするが、こうやって自転車に乗ることで身も心も元気が出てきた。
 あとは来た道を折り返す。東梅駐車場を通り過ぎ、風蓮湖岸を少し走る。風蓮湖と海の間の春国岱には道がない。だから東梅から本別海までは少し途切れることになる。また風蓮湖を海(入り江)とみなしても、道路は湖岸を離れ内陸に入らなければならない。なので、ここは大目に見てあげることにする。自己満足なのだ。まあ、せめて風蓮湖岸の区間を少し走ることで手を打とう。
 また折り返して東梅駐車場に戻り、自転車を車に収める。ここまで来たら、納沙布岬へ行っておこう。フェリーで小樽に上陸したその日に、最東端まで到達した、という方が話のタネになるだろう。まずは、先ほど自転車で往復した道を根室市街まで。隣接するホームセンターやスーパーマーケットの共用駐車場にクルマを止めて買い物。ホームセンターでは、自動車のエンジンオイルを購入。走行距離20万kmを越え、走行するとエンジンオイルが減るようになってしまった。「オイル上がり」とか「オイル下がり」とか言われる現象のどちらかで、エンジン内のピストンとシリンダの摩耗により隙間ができ、オイルが燃焼室に入り込んで燃えていくのだ。修理すると高い。だから、量が減ったらオイルを継ぎ足していく。今回の旅の前にオイルを点検したら半分くらいまで減っていた。在庫しているオイルを入れたのだが、十分な量ではなかった。本州、北海道と1000q以上走ったのでかなり減っているはず。旅のどこかでオイルを買って補充するつもりだったのだ。夕暮れまでに納沙布岬に行きたいので、オイル補充は後回しにして、東へ。
根室市街 根室湾を見ながら 風蓮湖
 細長い半島ではあるが、両側に道がつけられぐるりと一周できる。時計回りで行くつもりだったが、気づけば半島の南側の道へと向かっていた。まあ、このまま行こう。右側、太平洋には、平べったい島々が点在している。これは、北方領土ではない。島々だけでなく半島も台地状で、草原、原野が広がっている。前方に背の高い建造物が見えてきた。灯台ではないはず。
 岬に到着。夕方のせいか人はまばらだ。沖合に見える平べったい島々は歯舞諸島。国後は見えない。一通り景色を眺め、到達の証拠写真を撮ったら、そそくさとクルマを走らせる。今度は北岸だ。正面に真っ赤な夕日と夕焼けが見える。海にも赤い帯が水平線から手前に伸びている。結果的には反時計回りの周回で正解だったようだ。
 
最東端 夕日に向かって 霧多布温泉
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6.霧多布岬でキャンプ
 根室市街まで戻ったら、花咲、落石を経由し霧多布へ。17年前に自転車で走った道をたどる。距離はまだ100kmもあり、途中からは真っ暗な道を行く。海沿いだと遠くの街明かりが見えるが、森の中を行く区間は本当に真っ暗だ。
 2時間近くかけて霧多布へ。市街地にセイコーマートを確認。夕食は確保された。先に入浴だ。岬の手前の「霧多布温泉ゆうゆ」という施設へ。500円。海が見渡せる露天風呂が気持ちいい。また、霧多布のある浜中町はモンキーパンチ先生の出身地で、玄関ホールなどにルパン一味と銭形警部が描かれたポスターが貼られている。
 「霧多布温泉ゆうゆ」にはしっかりとした食事がとれる食堂はなかった。また置かれているパンフレットを見てみたが、この時間に営業している居酒屋でない庶民的な食堂は周辺にないようだ。というわけで、先ほどのセイコーマートで豚丼や野菜サラダなどを買う。
 霧多布岬のキャンプ場は、素晴らしいロケーション。風が強い、という口コミ情報もあったが、この夜は穏やかなもの。駐車場にはクルマや自動二輪がそれぞれ10台余りといったところか。満車でなく、そこそこのテントが張られているがテントサイトにも余裕があり、ちょうどいいぐらい。駐車場を照らす街路灯の下にクルマを止め、そのすぐ脇のテントサイトにテントを張る。境界線を挟んでいるがオートキャンプのようで、荷物の運搬がいらなくて手軽。街路灯のおかげで、自前の明かりをつける必要もない。岬の灯台の光が定期的に頭上を通り過ぎる。
 ここは無料のキャンプ場。管理棟にあるノートに記帳すれば利用できる。また、その管理棟の周囲ではWiFiが利用できる。
 私のテントの近くで10人以上のキャンパーが賑やかに酒を酌み交わしている。どうやら団体ではなく、このキャンプ場で出会った人々のようだ。賑やかではあるが、みんな大人。夜が更けてくるとそれぞれのテントに散らばり、静かになった。私もテントに入る。テントの中では街路灯の明かりは気にならなかった。
霧多布岬のキャンプ場
7.霧多布から釧路の北太平洋シーサイドライン(前編・霧多布湿原)
朝の霧多布
 翌朝、5時ごろに起床。まだ薄暗い。ひと月前なら日の出は4時ごろ、さらに1月前の夏至のころなら3時半過ぎだ。緯度が高いほど日の出日の入り国の季節差が大きい。白夜、極夜に近いというわけだ。ちなみに、今いる霧多布は夏場の日の出は日本一早いが、冬至ごろには東京と同じくらい。千葉県よりも遅くなってしまう。薄暗い理由はもう一つ、曇天のせいである。天気予報通りだ。それでも日が昇りきる頃には明るくなった。
 キャンプは。折畳小径車で奥尻島を一周した2012年以来6年ぶり。スーパーカブがトランスポーターだった。自転車にテントを積んで走ったのは、もう9年前。
 今日は、朝方寒さで目が覚めた。ハーフパンツの上にジャージの長ズボンをはき、3シーズンのシュラフの上にフリースの毛布を掛けた。寒さ対策はいくらでもできる。
 テントを抜け出しトイレに行くついでに海を見てみると、たくさんの漁船が出ている。何か黒いもやもやっとしたものを海から引き上げ、船に山積みしている。昆布のようだ。
昆布をとる舟 岬の台地に馬の放牧   ルパンのラッピングバス
 テントを片付け、クルマに乗り込む。霧多布岬には2001年に来ているので、知らなかったのだが、この辺りは天然昆布の産地らしい。
 霧多布岬(正式には湯沸岬というそうだが)は、湯沸島という離島にある。離島といっても、ごく狭い水道に橋がかかり、ほとんど陸続きの感覚だ。ちなみに、元は陸続き、つまり函館山と同じ陸繋島だったが、1960年のチリ地震津波により、陸繋砂嘴「トンボロ」が侵食されて島になった、とのこと。
 浜中町の中心市街地及び、町役場などの施設、昨日利用したセイコーマートや入浴施設も湯沸島内にある。霧多布岬には2001年に来ているので、今日は本土側からの自転車スタートとする。橋を渡る前にセイコーマートで朝食の弁当を買いトイレも拝借。店の目の駐車場に止めたクルマの中で朝食をとる。橋を渡って茶内駐車場へ向かうが、弁当を食べたら便意をもよおしたので、本土側のセイコーマートでトイレを拝借。行動食として携行するおにぎりを買う。
 茶内駐車場は、JR根室本線の茶内駅から湯沸島へ向かう道の途中、霧多布湿原のど真ん中にある。17年前には、輪行で浜中駅に降り立ち、霧多布で宿泊、翌日落石へ向けて走り出している。今日は、霧多布・釧路間を走り、輪行で戻ってくる予定だ。今回の下車駅は、前回の浜中駅のひと駅手前、茶内駅とする。
 駐車場で自転車の準備。その間、道路をクルマが何台も通り過ぎる。通勤時間帯なのだろう。湿原の中のまっすぐな道。恐るべきスピードだ。そして、すきあらば、何のためらいもなく追い越して行く。
 7時57分、茶内駐車場から自転車で走り出す。釧路到着は7時間後、15時の予定。16時過ぎの列車に乗車する前に、和商市場でいくら丼を食べよう。距離は110kmほど。アップダウンのある海岸沿い。まあ、そんなもんだろう。
 まずは湯沸島への橋の手前まで。17年前と今日の轍をつなげる。折り返して釧路を目指すわけだが、集落の中の道へと入ってみる。水揚げされたばかりの昆布が軽トラックに山積みされて運ばれてきた。小石の敷かれた広場に広げる作業が始まるようで、人々が集まってきた。こうした作業は、襟裳岬周辺や、利尻島・礼文島でも見かけた。
霧多布湿原を走る 昆布の水揚げ
 集落が途切れると道道123号線に合流し、左に太平洋(琵琶瀬湾)、右に霧多布湿原を見ながら西へ進んで行く。しばらくは平坦だが、湿原の西の端に近づくと、道は高台へと登って行く。暑くなってきてTシャツの上に羽織っている半そでシャツを脱ぐ。標高50m程の高さまで登る。すると霧多布湿原が良く見渡せる。広いなぁ。日本で5番目の広さだそうだ。そのベスト5のうち、道北のサロベツ原野を除く4ヶ所は根釧エリアにある。霧が発生しやすいため日照が少ないのが湿原が多い要因のひとつだ。だから、「霧多布」という地名は霧の多いことからつけられた地名と思いきや、違うのだ。語源はアイヌ語の「キタプ」で、その意味は「茅を刈るところ」。しかしまあ、ぴったりの当て字だこと。
 ついでに言うと、町名の「浜中」もアイヌ語由来だが、語源は「オタノシケ」。これは「砂浜の真ん中」という意味。発音でなく、意味の方が採択されたもの。こういうパターンもあるのだ。ちなみに、釧路市街の西の方には「大楽毛」という地名があるが、「オタノシケ」の発音が使われたもの。しかし、ど真ん中ストレートの当て字だ。
 ついでにもうひとつ、浜中湾沿いには「奔幌戸(ぽんぽろと)」という地名がある。詳しくは知らないがアイヌ語由来だろう。今は廃校になっているが、17年前には奔幌戸小学校の前を走った。そのときは、入学式や始業式などの式典で教頭先生がまじめな顔をして「ただいまよりポンポロト小学校の○○式を始めます!」と叫ぶ様子を思い浮かべて、ちょっと楽しくなった。そして、どんな校歌なのだろうと考え思い浮かんだのは、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の歌詞の中の「こんにちは」を「ポンポロト」に変えた歌。これを全校児童(少ないんだろうけど)が斉唱する様子を想像して、かなり楽しくなった。大楽毛(当て字の方)である。
高台へ上る ハマナス 湿原を見下ろす
 さて話を戻す。高台には展望台もあったが、小雨が降ってきたので、寄らずに通過。ごく弱い霧雨だが、霧ではないのてさほど展望が悪いわけではない。気が乗らなかったのと、自転車の速度なら走りながらでもよく景色が見えたからだ。
 しばらく高台を行くが、すぐに下りとなる。下ったところは、「散布」という地区。「ちりっぷ」と読む。集落の中の「浜中町漁村センター」という施設には、「ようこそ天然昆布生産量日本一、浜中町へ」とある。集落の案内地図にはルパン三世や峰不二子が描かれ、各戸の住人の苗字まで書かれている。ちなみに同じ苗字がある場合には世帯主と思われる人の名前も。
 そして橋を渡る。火散布沼と海がつながる水道にかかる橋だ。海側から昆布を山盛りに積んだ漁船が来た。そして、岸にはそれを待ち受けるトラック。
 トンネルを抜けると、今度は藻散布沼。こちらも水道で海とつながり、漁師が昆布の収穫作業をしている。水道で海とつながり、漁港が湖に面しているのは、福井県若狭湾の三方五湖のひとつ日向湖(ひるがこ)と似ている。
 なにやら甲高い泣き声が周囲の山肌にこだましている。浅瀬にいる水鳥の中にひときわ大きなものが数羽。丹頂鶴だ。渡り鳥なのだが、渡らない固体もいるのだ。我が地元丹後で見られるコウノトリに似ているが、コウノトリよりもさらに一回り大きいようだ。この辺りでは丹頂など珍しくないようで、漁師は全くそちらに目もくれず作業をしている。
藻散布のタンチョウ
 道は再び登り坂となり、標高100m近くに到達する。そして、台地の上を緩やかにアップダウンしながら進んで行く。霧雨が降ったり止んだりしているが、徐々に降っている時間が長くなってくる。雨量としてはごく少量で、降雨レーダーには表示されず、後日気象庁のアメダスの観測地を見たが、1日の雨量は1mm以下だった。繰り返すが、霧雨だが霧ではなく視界不良ではない。海に切れ落ちる荒々しい断崖も見える。交通量は少なく、いいツーリングコースだ。
 霧雨というには雨粒が大きくなったところに東屋があったので休憩。そこは丁字路となっていて道道から分岐する枝道は「原生花園あやめケ原」や「チンペノ鼻」と呼ばれる岬へ向かう。
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8.霧多布から釧路の北太平洋シーサイドライン(後編・厚岸から釧路)
幻想的な景色の中 太平洋が見える 右に厚岸湖
 台地の上を小一時間走ると、急激に下り厚岸湖岸へ出た。こちらも海とつながる湖だが、今日見た中ではずば抜けて一番大きい。地図で見比べれば昨日の風蓮湖よりやや小さいのかもしれないが、細長い風蓮湖に対しほぼ円形の厚岸湖は対岸が遠く、広大な感じがする。
 ゴールの釧路市街を除けば、今日の自転車コースで最も賑やかな街、厚岸。集落の始まりにセイコーマートを見つけおにぎりを買う。厚岸といえば牡蠣なのだが、あんまり興味がない。
 この厚岸はユースホステル、キャンプ場があるし、根室本線とクロスする地なので駅もある。自動二輪をトランスポーターとして折畳自転車でこのコースを走る計画では、ここで一泊することになっていた。もちろん、折畳小径車にテントなどをつんで走るのではなく、今日のような自転車と列車で行ったり来たりを繰り返す計画だった。
 厚岸湖が海とつながる水道を越える大きな橋を渡る。カナディアンカヌーに乗る子どもたち。もう夏休みは終っているのだろうし学校行事か。岸辺には、子どもたちが乗ってきたと思われるバス。車体にスクールバスと記されていた。
厚岸大橋 カヌーに乗る子どもたち 我慢の国道
 橋を渡った先には、ホームセンター、家電量販店、大型スーパーマーケットがあって、なかなか賑やか。厚岸駅もこちら側だ。今まで走ってきた道道123号線は国道44号線に合流する。昨日クルマで走った道だ。
 国道沿いには牡蠣を扱うドライブインや道の駅が並んでいる。いきなりクルマが増えて、どっと疲れが出る。左に海を見ているうちはまだよかった。門静から内陸に入るともう道路を走ることが苦行となる。門静から海岸沿いにも細い道があるのだが、少々アップダウンがあるようであまり気が乗らず、つい国道沿いに来てしまった。門静と尾幌の中間辺りで左折してみる。ダートではないかと心配したが舗装されている。これで国道を走らなくていい。門静からの海岸沿いの道もやがてこの先で合流することとなる。ロードマップには載っていないが、もっと詳細な国土地理院の地図やGoogleマップなどインターネットの地図を拡大していくと現れる細い道がある。まずは牛が放牧された牧草地沿いだ。牧場と反対側にも、何か大きな動くものがいた。つがいの丹頂だ。藻散布沼の時と違って、今度は至近距離だ。国道をそれて正解だ。この細道は、ほぼ国道に沿って続いていて、国道を行き交うクルマの音が聞こえる。でも、こちらではほとんどクルマに出会わずのんびりと走れる。景色は海沿いのほうがいいのだろうが、そちらとの合流点はこの先なので、ここで丹頂に出会うことはできなかった。
 尾幌で、道道142号線に突き当たる。そのまま内陸を進む国道44号線から分岐し海沿いに向かう道道だ。本日のコースを含め、広尾から納沙布岬に至る太平洋沿いの道を「北太平洋シーサイドライン」と呼ぶ。とはいえ、海が見えるのはもう少し先。相変わらず断続的な霧雨。そして、これまで弱いながら東の風に背を押されてきたのだが、ここで走る方向が一次的に反対を向くので、向かい風となる。正午になり腹が減ってきた。携行している食糧は、おにぎりが2つ。あ、少ない。自転車に乗っていない日の昼食としても少なめだ。しまった、厚岸でもっと買っておかなければならなかった。この先は当分店がない。可能性としては昆布森だが、30km先。もしかすると、45km先のゴール地、釧路までないのかも知れない。とりあえず、ここで1つだけ食べる。
 何とか空腹はまぎれたが、道は登りに差し掛かる。尻羽岬の稜線を越える地点で標高150mほど。そのあとは延々とアップダウンを繰り返す。海から少し離れたところに道が付けられているので、ずっと海が見え続けるわけではないが、シーサイドラインというだけあってそこそこ海が見える。アップダウンがこたえ、脚がつる。夏が暑くてしばらくの間、余り自転車に乗っていなかったから、そうなるだろうと予想していた。症状が軽いうちに自転車を降りてストレッチとマッサージと水分補給。それが功を奏したのかどうかはわからないが、余りひどくならなかった。
 平坦な区間がない。きつくはないが、常にアップダウン。これが、20km以上も続けば疲れがたまる。軽く脚がつって停止。最後のおにぎりを食す。時々現れる分岐点を海の方に進むと集落があるようだが、道道沿いには人気がなくただ道路が伸びているのみ。この道沿いには民家はないが、たまに現れる分岐を海へと向かえば集落があるらしい。いつしか雨は止み、道路は乾き始めている。後日、気象庁のアメダスのデータを見てみたが、本日のコースの沿線の観測地点「榊町」「太田」「知方学(ちっぽまない)」「釧路」いずれも、1時間辺りの降水量は0.5mm以下。1日の降水量も1mm以下。
つがいの丹頂 キツネにも出会う
 1時間半近く台地の上を走って、急激な下りに到達。蛇行しながら急降下。下りきったら昆布森の漁村集落。久しぶりの集落らしい集落だ。セイコーマートなどはないが、雑貨屋のような店がありパンなどはあるかも知れない。が、空腹はさほどひっ迫していないので通過。集落は終わり、再び登りとなる。
 標高差100m近く登りまた大地の上を延々と行くのかと思ったら、昆布森から30分ほどで前方に広大な街並みが見える。釧路市外だ。すぐに道は下りとなり、住宅街に降り立つ。もう半分ゴールの気分だったが、釧路市の中心街にある釧路駅まではあと5kmあり、20分ほどかかる。周囲には店があるのでハンガーノックで動けなくなる心配はなくなったが、ここまで来たら和商市場まで我慢しよう。
 弁天ケ浜で太平洋を一瞥し、釧路川を渡って北西に進むと通りの突き当りに釧路駅が見てきた。予定より、30分遅れの15時30分だ。急いで和商市場へ。駅からはすぐだ。
昆布森 釧路市街が見える 和商市場
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9.和商市場と根室本線
 発泡スチロールの丼の白ご飯を買い、魚介類の店でイクラを買ってご飯の上に載せてもらう。イクラ以外にも魚介類の刺身など様々なネタを自分で選ぶ「勝手丼」がここの名物なのだが、私はいくらだけにしておく。Lサイズのご飯が250円でイクラが600円。「え、もういいの?」とお店の人はいうが、まあこれも勝手丼なのだ。
 和商市場に初めて来たのは1991年2月。学生時代、JRの、今はなき「北海道ワイド周遊券」の有効期間20日をフルに活用しての鉄道とバスの旅だった。大盛りのごはんとそれを覆いつくすイクラを合わせて600円ほどだった。
 9年後の2000年に和商市場再訪。釧路でいったんゴールし宿泊した翌日、夜行列車で札幌経由で小樽に向かう予定。日中には、釧路湿原細岡展望台まで自転車で往復するスケジュールを組んでいた。細岡往復は半日で十分。午前中は、祭りの行われている釧路でぶらぶら過ごし、午後に細岡往復。昼と夕方に和商市場を訪れた。9年前のいくら丼をイメージして訪れたのだが、店員のセールストークが随分積極的になっていた。イクラ以外のネタも勧められる。特に、夕方は閉店間際ということで、「今なら安くするよ」と様々なネタを強く勧められ結構な値段の海鮮丼になった。もちろん、値段を越える豪華なものではあるのだろうが。
 さらに18年が経過。ずいぶんイクラが少なくなった。ご飯がLサイズなので余計そう感じる。
 ご飯を買った店のテーブルでこれを食す。腹が減っていたので、瞬く間にペロリ。駅に戻る。たくさんの人が行き交う駅の出入り口、通行の邪魔にならない壁際で自転車を輪行袋に収める。切符を買って、ホームに出たら16時過ぎ。5分ほどで列車が入線してきた。列車といっても一両編成。釧路始発なので客を乗せ内での入線だが、ホームにはそこそこの乗車待ちの行列。ドアが開くと後部から乗り込む。満席になることはないだろうと、行列には並ばずゆっくりと乗車。座席はセミクロスシート。中央のクロスシートは、背もたれを前後に振ることで進行方向に席を向けることができる転換型。クロスシートの最後部の背もたれと、ロングシートの端の手すり兼境界壁との間に輪行袋を押し込み、ロングシートに着席。クロスシート部はすべて埋まっているが、ほとんどが2人掛けの席に1人ずつ。ロングシートにも空きがあるのであえてロングシートを求める人はいない。
 次の東釧路駅で、下校の高校生を中心とする10人前後が乗り込んできた。釧路駅から乗っている友人の隣に座るものもいるが、多くの高校生はデッキで立っている。以降の駅では、乗ってくる客はほとんどいなくて数名ずつ降車。厚岸駅でまとまった人数が下車し、高校生はほとんどいなくなる。空いたクロスシートへ移動。
 またこの路線は東釧路を過ぎると、市街地はなくなる。すると運転手は何度も警笛を鳴らしている。線路にエゾシカが入り込んでいるようだ。ひっきりなしに警笛が鳴り、時には列車が減速をする。側面の窓から森や原野に逃げていくエゾシカが見えることもある。
 厚岸から2駅目が茶内。一つ手前の糸魚沢では誰も下りなかったが、茶内が近づくと数名が立ち上がったので、停車してから焦らずクロスシートのあいだの狭い通路を前方へ移動。輪行袋をほかの乗客にぶつけることがないように慎重に。料金箱のある前方から下車しなければならないワンマン車両では、できれば予め前方に陣取りたいところだが、輪行袋を置く位置が後部にしかない場合がある。今回は、ほかの下車客が時間を稼いでくれたので余裕を持って移動できた。
 釧路駅から1時間余り、17時半を過ぎて下車した茶内駅は人気なく薄暗く寂しい雰囲気。下車した客はすぐにいなくなってしまった。輪行袋を開き自転車を組む。駅舎には、9月に催される祭りの案内ポスターが貼られている。ここにもルパン一味と銭型警部が登場。キャラクターは、それぞれ漁師姿。不二子はつなぎの袖をウェストで縛りおしゃれに着こなしている。銭形のとっつあん、胴長が似合っている。
 自転車に乗って、海岸に向けて走り出す。駅の周りは集落だがすぐに周囲は原野となる。暗くなってきたので、ヘッドライトを点灯。道路の両側が林から草原のようになる。霧多布湿原だ。20分ほどでクルマが止めてある茶内駐車場に到着。
わびさびのイクラ丼 ルパン佇む茶内駅 霧多布湿原
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10.霧多布から開陽台そして標津へ夜のドライブ
 自転車を車に積み込んで移動開始。今走ってきた道を引き返し茶内駅を通り過ぎて国道44号線へ。国道沿いのセイコーマートで冷たい飲み物を買って、本日の宿泊予定地、開陽台のテントサイトへ向けて北上。周囲は原野か林か牧草地なのかよくわからない。ひたすら真っすぐで真っ暗な道が続く。信号はなく、交差点には中央分離帯が設けられている。交通事故を防止するため、交差点では追い越しができないようにしてあるということか。たまに集落が現れる。途中、別海の「べっかい郊楽苑」で入浴。100km近い移動のほぼ中間点。さらに小雨の中標津の市街地でラーメンを食べ、明日の朝食を買っておく。そして開陽台へ。市街地から20km近くある。
 たどり着いた真っ暗で小雨降りしきる開陽台には、予想外に人気がない。駐車場には2台クルマがとまっているだけ。展望台に隣接するテントサイトには少し歩かなければならない。とりあえず偵察に行く。二輪車は獣道ののような道を通って出入りでき、なんとなくその道を歩いて登ってしまう。二輪車が降りて来たら危ないので、明るいLEDライトを灯していく。
 登りきったところのテントサイトには、なんとテントが一張りもない。雨のせいだろうか。数年前には、ヒグマが出没するとのことでキャンプ禁止となっていたこともある。小雨の中、テント等を運び上げる気力もなくなってしまった。
 駐車場に戻ると、クルマが一台だけになっていた。車中泊なのだろうか。しばらくしたらもう一台クルマが来たが、こちらは何となく車中泊ではなさそうな雰囲気。
 私も車中泊かなぁ。周辺にキャンプ場は多数あるけれど、無料で受け付け不要で今からでもテントを張れるところはなかなかない。中標津のビジネスホテルへ泊まるのも、お金がもったいない。何せもう深夜であり、明日は早朝から行動予定なのだ。
 車中泊なら、別にここでなくてもよい。というわけで移動開始。真っ暗な内陸部を走り抜け、海沿いの標津まで来たら街灯り、そしてセイコーマートなどのコンビニエンスストアの明かりがまばゆい。もちろん、都会から比べればかなり暗いのだが。
 標津の国道244号線と国道272号線の交差点付近に自転車を下ろし、人目に付かないところにワイヤロックで括り付けておく。明朝ここから走り始めるのだ。鉄道がなく、片道は路線バスを使う。輪行ができるかどうかわからないので、あらかじめスタート地点に自転車を配置しておくのだ。そして、道の駅「尾岱沼」へ移動しここで車中泊。茶内から150kmの移動だった。
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11.自転車で標津から本別海
 翌朝、5時半起床。仮眠程度しかできなかった。天気は曇時々小雨。車中泊のクルマが数台、多々物の軒下にはサイクリストがとまっていた。朝食を取り、トイレに行って、6時半に南下開始。自転車のゴール地点、本別海へ。集落のはずれの運動場の駐車場にクルマを止める。そして、歩いて本別海集落のど真ん中のバス停へ。一戸建ての待合室に入ってバスを待つ。初めての土地ながら、Googleストリートビューで下調べしてあるので、すべて予定通り。
 6時52分、内陸の別海から「別海生活バス」がやってきた。コミュニティバスなので、マイクロバスとかワゴン車かも知れないと思っていたが、普通の路線バスの外観。乗り込むが先客はゼロ。運転手に降りる予定のバス停を聞かれる。料金箱はあるが、電光掲示あるいはモニターの料金表はない。降りるときに運転手が、紙に印刷された料金表を見て料金を伝える。満員になったら対応できないのではないかと思うが、ずっと私一人だけだった。
 で、下車したバス停は「白鳥台」。これは、車中泊をした道の駅だ。7時を過ぎ、サイクリストや車中泊をしていた人たちも起き出している。コミュニティバスは町境を超えず、もう少し先の尾岱沼の集落まで。乗り継ぎの阿寒バスの始発がこの「白鳥台」なのでここで下車。何もない道端で乗り継ぎ待ちをするよりも、この道の駅なら建物の中のベンチで過ごせる。何せ待ち時間は40分。これでも、一日の中でまともにの乗り継げる唯一の便なのだ。
 始発のバス停なので、少し前にバスが到着して待機している、と思ったがなかなか来ない。それどころか、発車時刻の7時55分になっても来ない。時刻表を見ると、学校が休みの日は運休の便だ。夏休み?いやもう終わっているはず。昨日の根室本線には下校の高校生達が乗っていた。そんなことを考えていると、発車時刻の1分遅れでバスがやってきた。きっと、渋滞もない道なのでぎりぎりに営業所を出たのだろう。無事バスに乗り込み標津へ。途中で通学の高校生が2人ほど乗り込んできた。
 バスの中で降りだした小雨に打たれながら、自転車に再会。
標津をスタート まっすぐな道 湿原や沼が多い
 1992年、知床峠を越えて羅臼に降り立ち、海沿いを標津。そして内陸部の中標津、開陽台の麓の旅人宿に向かった。その時通過した、国道244号線と272号線の交差点が本日のスタート地点。
 8時30分、26年前の轍の続きを描き始める。雨粒は小さくあまり気にならない。先ほどバスを降りる寸前、車窓に一台の自転車があった。若い女性が乗るクロスバイクだが、荷物などの雰囲気からツーリストではなく通勤のようだった。雨の中、雨具を装着せず、見た目には悲壮感が漂っていた。けれど、こうして実際に自分がこぎ出すと、大した雨ではないことがわかる。ただし、私は上半身に合羽を羽織っている。朝の冷え込みは昨日の方がきつかったが、日中は今日の方が低いようだ。雨具の合羽が、防寒着としても効果を発揮している。
 士別の市街地はすぐに終わり、平坦な海岸沿いとなる。さらに野付半島の付け根を越える、緩やかで小さな登りとなる。野付半島は、2006年に走っているので今日は付け根をショートカットする。野付半島の付け根を越えると、尾岱沼の漁村集落。セイコーマートもあるそこそこの集落だ。
 その集落を越えると、道の駅「尾岱沼」。9時30分。自転車のちょうど中間地点だ。車中泊、バスの乗り継ぎ、そして自転車の休憩ポイントと、本日3度目の利用。トイレを借り、鏡に映った自分の姿を見ると結構濡れている。バスの中から見たほかのサイクリストを見て自分が思ったように、周囲の視線は私に悲壮感を感じているのかもしれない。それでも、「標津」「別海」のアメダスの観測地は、1時間当たり0.5mm以下、1日当り1mm以下。
根室海峡を見ながら ホタテ貝が散乱している
 後半は、まとまった集落はなく、左手に海を見ながら行く。これといった見どころはないが、自転車で走る分には非常にいいコースではないか。晴れていれば、根室海峡や国後島を見て本当に気持ちよい走りができそうだ。今日も、昨日と同じように小雨が降ったり止んだりの空模様だが、昨日より雨が降る時間帯の割合が多い。雨で国後までは見えないが、霧はなくそれなりに景色が見える。風は緩い向かい風。昨日は緩い追い風。距離は昨日の3分の1なので、この組み合わせでいい。まあ、昨日も今日も追い風だといいのだが。幸いなのは、両日とも、左に見る海から内陸に向かう風のベクトルが含まれていること。おかげで、ごくたまに通り過ぎるクルマが吹き上げる水しぶきがこちらに飛んでこない。
 10時30分、本別海へ到着。クルマを止めた運動公園へ右折する交差点の先で、ヒッチハイクの外国人の男性が一人たたずんでいる。黄色い道路パトロールのクルマに手を挙げて素通りされている。相手を選んだほうがよさそうだ。
 予想通り、誰もいない平日の昼間の運動公園にゴール。
海岸根室湾ぞい 本別海がゴール
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12.道東から小樽へロングドライブ
 自転車をクルマに積み込んで、11時、さあ大移動開始だ。まずは別海へ。昨夜訪れた温泉入浴施設や町役場などがある別海町の中心集落で、海沿いの本別海よりも大きな集落。ここで昼食をとることを考えていたのだが、これはという店が見つからず結局セイコーマートで弁当を買う。そして、ガソリン歩を補給して西に走り出す。
 道の両側には原野、そして牛が放牧された牧草地が広がっている。根釧原野だ。相変わらず小雨が降っているが、霧がないのが幸い。道はひたすらまっすぐで信号はなく、交差点には中央分離帯が設けられている。制限速度を示す道路標識はなく、つまり、法定最高速度の60km/hまで認められているということ。それを少し超える程度で走行している私のクルマは、たまに現れる地元のクルマに次々と追い越される。例によって、恐ろしいスピードで追い越していくクルマもいる。取り締まりとか、交通事故だとかが気にならないのだろうか。
牧草地広がる根釧台地 道の駅「うりまく」
 前述の中央分離帯は、交差点での追い越しをさせないためのものだと思われる。国道など優先道路を走るクルマは交差点だろうがお構いなしに追い越しをかける。そして、前のクルマが右折とか、交差する道路から左折で出てくるクルマと衝突とか。スピードが出ていたため、死亡事故必至というパターンが想像できる。
 取り締まりは、覆面パトカーとそれにとめられた乗用車を一見見かけただけ。事故は見なかった。
 法定速度で走っていても、十分に距離を稼げる。2日前の往路と違い、今日は釧路、帯広の道東二大都市を通らないのでその分、といっても数分程度だろうが、ロスが少ない。
 すれ違うクルマは、自衛隊の車両が多い。間隔をあけていくつもの隊列とすれ違う。トラックもあれば、装甲車のようなもの、ブルドーザーを乗せたトレーラーなど様々。
 しかし、別海で買った弁当を食べる場所がない。曲がりくねった道なら、そのカーブの内側あるいは外側の路肩に広くスペースが設けられていることがよくあるのだが、今走っている道はひたすらまっすぐ。路肩は一定の幅。クルマを止めることができなくはないのだが、落ち着かない路側帯の幅だ。別海から30km近く走って、「西春別地域センターみらい館」という施設に大きな駐車場があったのでそこに入る。これは地域会館といって、公民館のようなものらしい。公衆トイレもあり、休憩にはいい場所だった。
 摩周湖の玄関口、弟子屈の町を抜け、道は山間部へ。阿寒横断道路は、道東には珍しいカーブの連続する道だ。雄阿寒岳、雌阿寒岳の展望台「双岳台」はガスで真っ白。ところが、双湖台では、車道からペンケトーかパンケトーのどちらかがわからないが湖が一瞬見えた。阿寒湖を横目に眺めてから、美幌への分岐を過ぎて足寄へ下る。美幌方面には1992年に自転車で走った。足寄方面は2006年で自動車で往復している。足寄は広い。町境を越えてから町の中心までクルマで45分もかかる。足寄の中心街を14時半に通過。場合によっては高速道路の利用も想定していたが、その必要はなさそうだ。今夜は、小樽の宿に泊まる。
 足寄を超えたら、上士幌、士幌と十勝平野を走る。十勝に入ると雨は弱まり、子どもが乗馬体験をしている士幌にある道の駅「うりまく」で休憩。おそらく自転車スタンドと思われるものが置かれている。前輪を挟む部分は蹄鉄だ。
 十勝清水からは2日前に来た道を戻る。長い長い樹海ロードで日高山脈や夕張山地を越える。
 長沼町で国道337号線へ右折するはずだったのに、そのまま国道274号線を進んでしまった。夕暮れの交通ラッシュの札幌市街へと吸い込まれていく。畑が広がる景色は、徐々に建物の並ぶものに変わっていく。こんな時頼りになるはずのGPSレシーバーだが、この旅の序盤に具合が発生していた。電源スイッチの皮膜が破れ穴が開いてしまった。その穴に、鍵の先端などを差し込んでセンサーを直接押して電源のON、OFFを切り替えていたのだが、本日阿寒横断道路辺りで、それも効かなくなってしまった。例えば山に入る時の予備として、以前のモデルもクルマの中に置いていたので、それを使っているのだがバックライトが点かなくなってしまっている。日があるうちはそれでよかった。なお、不運なことにクルマのルームランプも電球のフィラメントが切れたようで点かない。自転車のライトを当てるが、光が強すぎる。クルマを止めてじっくり見えればいいのだが、この大都市の複雑な道順を記憶できるはずはない。気付けば札幌市厚別区。何度もクルマを止めて、GPSレシーバーと地図を見比べる。そしてどうにか、国道275号線をとらえることができた。これで、札幌中心街に背を向け北東方向へ。進むにつれ、信号もクルマも減って行く。当別町で、国道337号線へ乗り換える。もうこれで安心、石狩市を経て小樽市街の北部にある旅人宿「とまや」へ。あ、その前に朝里の山岡家でラーメンを食べてから。とまやは、夕食の提供がないのだ。
蹄鉄の自転車スタンド 日勝峠再訪 「励ましの坂」からの夜景
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13.「とまや」でのんびり、そして「励ましの坂」
 2015年から二度泊まっているとまやだが、旅の終盤に訪れるのは初めて。これまでは、いつも旅の初めの宿。夜に小樽に到着するフェリーを下りて21時半頃に到着し、翌朝はのんびりしている同宿の旅人に後ろ髪を引かれる思いで出発するパターンだった。今日も到着は、フェリー下船後と同じような時間。でも、明日の朝はのんびりできる。それがとまやでの憧れだった。
 坂の上の古民家の宿では、毎夜、宿主さん夫妻と旅人との団らんのひと時。到着早々、その輪に引き込まれる。8月ももう終わりに近づき、涼しく過ごしやすい夜だった。
 翌朝、朝食をいただきのんびり過ごす。本日の予定は、小樽港から舞鶴行きのフェリーに乗船することと、それまでに「励ましの坂」への挑戦をすること。今日は天気が下り坂。だがまだ雨は降っていない。出発する旅人を見送ったり、出発しない旅人とお話をして過ごす。「早くやらないと雨が降ってくるよ」と宿主さんにせかされ、自転車を準備。とまやは坂の上の宿。距離600m、高低差80m、最大勾配は22パーセントとも24パーセントともいわれる「励ましの坂」の上に建つ。この坂を自転車でノンストップで登れば、「おめでとう」と言ってもらえる。
とまやの庭 ウサギのランちゃん 新婚さん行ってらっしゃい
 今日は初めてランドナーで挑む。今まではスリックタイヤのMTBだった。ローギアが32Tのスプロケットを付けているブロックタイヤの後輪を装着。これでMTB並みのギア比を実現。本当はスプロケットだけ交換したらいいのだが、工具が行方不明。だからホイールごとクルマに積んできた。
 また、過去のチャレンジはいずれも夜間。フェリーターミナルからとまやに向かう道中での挑戦だった。だから、ノンストップ完走は自己申告。今回は、初めて日中に、そして宿主さんや同宿の旅人さんたちに見届けられて登る。
 まず、坂を下る。勾配がきつく、スピードを出すと制御不能になるので、ゆっくりと下る。下りきったところ、手宮バスターミナル手前の信号の交差点がスタート地点。方向転換して息を整え、いざ。
 序盤は、10パーセントを少し下回るくらいか。一般的には急坂の部類に入るのだろうが、北海道を旅するサイクリストならここで脚が止まることはまずないだろう。
 スタートから360m程、中間点を少し過ぎたくらいのところに交差点がある。左が手宮小学校だ。これを超えると購買がぐっとあがる。15パーセントを越えているだろう。ここからが核心部だ。両側が住宅で、少し道がうねっている。あえぎながら、最も低いギア比で登る。前方が見通せるようになった。そして絶望感に襲われる。この先、反り返るようにして立ちはだかる道。心が折れそうになる、とはまさにこのことだ。夜の闇に隠れて見えなかったものが見えてしまう恐ろしさ。
 その20パーセントを越える区間に突入。宿主さんたちの声が聞こえる。もうここまでくれば残り100mを切っているはずなのに、ゴールは果てしなく遠い。たまらず蛇行。道幅をいっぱいに使う。3往復したら、「クルマが来るよ」という声が聞こえ、直登。でも、蛇行のお陰で少し楽になった。私を追い越したクルマが左折。あ、これがゴールだ。曲がり角にある電話ボックスが目印のはずだがブッシュに隠れて気が付かなかった。ボックス内に灯る明かりがブッシュ越しに見える夜の方が、ターゲットを絞りやすかった、というわけだ。 「おめでとうございます」と声がかかる。今回も無事に上りきった。宿主さん、旅人さんたち、声援ありがとう。視覚的、精神的には夜よりも昼間の方がきつかったような気がする。
 ゴール直後にすれ違ったクルマが、宿主さんたちのところで止まり何か言葉を交わしてから走り去っていった。チャレンジ成功かどうかをたずねたらしい。
 ゼーゼーと息が切れる中、宿主さんから質問の波状攻撃。立ちこぎなしで登ったこと、ランドナーというロードレーサーでもMTBでもない自転車のこと、など。自転車乗りでない皆さんに一言で答えるのは難しく、さらに心肺機能が大忙しでなかなか言葉が出てこない。
 クルマに自転車を撤収して、とまやへ。出発前に少し休ませていただく。小樽の町や有為を見下ろす窓辺に座り、丘の上を吹く風に吹かれて過ごす。もうこれですべてやり遂げた。後はフェリーに乗って帰るだけ。
励ましの坂へのトライ
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14.旅を終えて
 旅を終えて一週間、北海道胆振東部地震が発生した。最後に泊まった「とまや」も停電と断水に見舞われた。そんな状態でも、毎日旅人を受け入れ(それも普段より安い宿泊料金で)ていた。旅人と協力して、非日常を楽しみながら過ごす様子がSNSで報告された。原野で見るような星空が美しい、電気が戻ってくる小樽の街の様子が面白い、などなど。不自由な中、いつもどおり笑顔が絶えない宿だったようだ。
 旅の初めのおぢや祭り、そして花火大会には、2004年の新潟県中越地震からの復興の思いもこめられている。
 北海道一周30ヶ年計画の、最後の区間は胆振東部から日高へかけて。必ず走りに行く。
 最後に、地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された方にお見舞い申し上げます。、
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15.データと動画
◎自転車走行
8月27日 風蓮湖-根室市街往復 24.7km
3月28日 霧多布-釧路(北太平洋シーサイドライン) 112.0km
3月29日 標津-本別海 34.7km
3月30日 小樽市内・励ましの坂 1.8km
 計 173.2km
◎費用
フェリー料金(含自動車) 53010円
ガソリン代および高速道路通行料金 25642円
鉄道およびバス運賃 2820円
宿泊料および入浴 7000円
飲食費 14357円
土産代その他 5804円
  計 108633円
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