第二章:プロリーグ開幕


第一節:日本職業野球連盟発足(1936)

 さて、ここから先はプロ野球という組織の運営を中心に語っていきます。昭和11年2月5日、東京・日本工業倶楽部にて日本職業野球連盟が設立されます。東京巨人、大阪タイガース他、西日本野球連盟名古屋協会(名古屋軍・現中日ドラゴンズ)、東京野球協会(東京セネタース)、大阪阪急野球協会(阪急軍・現オリックスブルーウェーブ)、大日本野球連盟東京倶楽部(大東京軍)、名古屋野球倶楽部(名古屋金鯱軍)の計7球団でスタートしました。(尚、各球団の変遷に関してはこちらでまとめていますのでご覧下さい。)現球界人気トップ3に加え、一時期パリーグの常勝球団となった阪急はこの時点から参戦しています。惜しむらくは昭和63年(1988)に阪急が身売りをしたことですね。輝かしい球史を持つ同球団には歴史的背景を考えれば頑張ってほしかったものです。更に他の3チームも最終的に合併又は解散の憂き目にあっていますから、いかにして球団を維持させていくことが困難であるかが示されていると思います。注目すべきは阪急を除く全球団が冠名に地域名を用いていたことです。プロ野球発足当時は企業の宣伝という概念が曖昧だったせいか、完全地域密着型からスタートしたようですね。
 そして来る2月9日、日本職業野球連盟主催の初の試合が名古屋・晴海球場にて巨人対金鯱の試合として行われます。この試合が現在、日本最初のプロチーム同士の試合であると認定されています。しかし、このページをご覧になる皆さんはおかしいと思うでしょうね。大正12年(1923)の日本運動協会と天勝球団の試合がありましたからね。まあこの辺りプロ野球の歴史が修正されているわけですが、カードが巨人絡みであるがためか現日本野球連盟の主催であるがためかどちらかはわかりません。わし的には後者と睨んでいますが、根拠はないので断定はできません。というわけで、解釈は各々の読者にお任せします。いずれにせよ騙されないようにしましょう。

第二節:ペナントレース開幕(1936)

 お待たせしました。遂に公式戦がスタートします。4月29日甲子園球場にて最初のリーグ戦が開催されました。但し、このリーグ戦に巨人は参加していません。実は2月9日の金鯱との試合は巨人渡米壮行試合として行われています。アンチ巨人の方はこの頃から特別待遇受けやがってと思うかもしれませんが、当時野球文化が十分でなかったことを考えてとりあえず目を瞑ってあげましょう。そして残る6球団によるリーグ戦が行われ、優勝はセネタース。現存する球団が最初のリーグ戦で残っていないというのが非常に残念なことです。更にこのリーグ戦においてホームランのプロ野球第一号が5月4日、藤井勇(タイガース)が野口明(セネタース)より放っています。但し放つとはいえスタンド入りではありませんでした。何とランニングホームランです。今では滅多に出ることのないランニングホームランがプロ野球第一号であったとは驚きです。
 ここでこの年のトピックスを一つ。6月5日、プロ野球初の御家騒動が何と巨人にて勃発しています。昭和10年(1935)第一回アメリカ遠征において105盗塁を敢行した主将・田部武雄や水原茂の退団が起き、責任を取る上で当時の巨人の監督が解任されています。ちなみに現御家騒動の盟主・阪神は後述する第一回全日本野球選手権大会において地元のライバル阪急に優勝をかっさらわれたとして監督の交代がおこっています。
 5月16日に巨人がアメリカ遠征より帰国します。そして7月1日、ようやく全7球団による初の公式戦が東京・戸塚球場にて行われます。第一回全日本野球選手権大会の開幕です。同大会はトーナメント形式にて東京大会(名古屋優勝)、大阪大会(阪急優勝)、名古屋大会(タイガース優勝)の3大会において開催されました。しかし、不思議なことに3大会通算の優勝チームは決められていません。ゆえにこの大会における優勝チームは該当なしということになります。
 9月18日、第二回全日本野球選手権大会が行われます。この大会は大阪第一次リーグ戦(巨人優勝)、名古屋大会トーナメント(タイガース優勝)、大阪大会トーナメント(巨人優勝)、東京第一次リーグ戦(名古屋、タイガース優勝)、大阪第二次リーグ戦(巨人、タイガース優勝)、東京第二次リーグ戦(タイガース、阪急優勝)の計6大会が行われ、それぞれの優勝チームに勝ち点1(複数の場合は折半)が与えられ、総合ポイントで優勝を決めようとする試みです。この大会は第一回のようにとりあえずやってみたという風ではなく、最初から優勝チームを決めることを主眼にしていたようで、勝ち点2.5で並ぶタイガースと巨人の間で優勝決定戦を行うことになりました。結果はエース沢村の活躍で2勝1敗で巨人が優勝。タイガースのエース景浦は投手としても1、3戦に、打者としても5番を打つなど高校野球のような活躍でこのシリーズ唯一のホームランを沢村から放っています。伝統の一戦も元を辿ればここに行き着くのかもしれませんね。ちなみにこの第二回全日本野球選手権大会がプロ野球における最初のペナントレースとして位置づけられています。まあ優勝が巨人だからと言いたい人もいるでしょうが、最初のリーグ戦が連盟に所属する全球団が出場していなかった点、第一回大会における優勝チームが存在しないことから考えて、妥当な判断であるとわしは解釈しています。また、この第二回大会において、9月25日甲子園でのタイガース戦において沢村がプロ野球初のノーヒットノーランを達成しています。

第三節:発展を見せるプロ野球(1937)

 日本職業野球連盟から一年が経過し、ペナントレースも次第に人々の注目を集めるようになってきました。それに呼応するかのように2月5日、後楽園野球倶楽部(イーグルス)が連盟に加盟します。更に5月5日西宮球場が、9月11日には後楽園球場が完成します。東西を代表する2球場が完成し、プロ野球人気もどんどん上昇します。この年のペナントレースは春期・秋期の二規制で、それぞれの優勝チームが後に年度優勝決定戦を行うという形式で執り行なわれています。(一シーズンは昭和14年(1939)より)結局春期は巨人、秋期は阪神という形で落ち着き、優勝決定戦では阪神が優勝しています。以降両チームは良きライバルとして幾多の名勝負を繰り広げ、いつしかそれが伝統の一戦と呼ばれるようになりました。また、この年からMVPという概念が生まれます。初代の受賞者は沢村。どうにもこの選手は逸話が多すぎますね。もう一つついでに逸話をあげておくと、この年の5月1日にまたもやタイガース戦でノーヒットノーランを達成しています。我が阪神タイガース、何ともまあ情けない。今だったらダメ虎ダメ虎と嘲笑の的になってしまいそうですね。まあこの頃一応阪神は強かったんで、名勝負の一つとして数えさせてください。なぜかって?わしの個人的感情です。(笑)沢村同様、逸話が多い選手はタイガースにもいます。前年の優勝決定戦において唯一のホームランをかっ飛ばした景浦です。首位打者・打点王という二つのタイトルをとった人は球史の紐を解けば腐るほどいますが、そこに最優秀防御率のタイトルまで獲得した選手は後にも先にもこの選手だけでしょう。投手と野手がまだ未分化であった時代ならではの記録ですね。現在では絶対に有り得ない記録です。更にこの年の8月26日、大東京がライオンへと名称変更しています。

第二章終わり。
第三章:戦争とプロ野球へ続く。


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