T H E H O M E T O W N D E C I S I O N
ザ・ホームタウン・ディシジョン
 

あなたは、『ホームタウン・ディシジョン』という言葉を聞いた事がありますか?
聞いた事がある方は、それを実感した事がありますか?

日本国内で行われる日本代表の試合で、審判の判定にむかついた経験はありませんか?
地元のチームの試合を観に行って、憤慨して帰ってきた経験のある方はいませんか?

Hometown Decision・・・直訳すると、『ホームチーム寄りの判定』。
今回は、これに焦点を当てたいと思います。可能な限り、中立な視点で・・・。

■実例 〜1999.11.17 J1-2ndステージ第12節 浦和 vs 市原 (駒場スタジアム)〜

私は、この試合をライブで体験している。と言うより、浦和のサポートに参加している。
圧倒的なホーム感を演出できたと感じていた私は、試合の結果とあいまって、大きな満足感を覚えていた。こんなサポート体験は初めてだ。俺たちのサポートも、ちょっとは役に立ったかもしれないぞ、と。

家に帰ると、カミさんが言った。『判定は絶対浦和寄りだったよね』
そうかぁ? そう言えば、試合中に『今日は審判の判定にブーイングしてないな』と感じた記憶がある。

翌日、あちこちのサイトを廻ってみた。
やはり『判定は浦和寄り』という意見があった。その意見は、中立の立場の人から提起されていた。
そして、市原サポーター系のサイトや掲示板の意見は、より過激だった。

結果的にJ1残留を果たした市原サポーターにとっては、この試合を振り返る意味は、もはやないかもしれない。
しかし、ホームタウン・ディシジョンを考える上で、日本中が注目し、記憶に新しいこの試合ほど最上のサンプルはない。最終的な敗者であり、サポーターの無力さを痛感した今なら、浦和の石井の五輪代表離脱・公平中立であるべきチェアマンの発言・マスコミの浦和寄り記事・・・等々の伏線も除外して、冷静な判断を下す事ができるかもしれない。

・・・前置きはこのぐらいにして、私がこの企画を思い立つキッカケとなった試合を振り返る。[参考1] は、個人的に気になった判定と、それに対する私のコメントである。
なお、検証の材料はNHK-BSの画像である事、私は審判資格を有しない事を明記しておく。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

単純に、おかしな判定の数だけを比較すると、一概に浦和有利の判定とは言えないようだ。むしろ、主審のナザリー氏の挙動不審ぶりは、両チームに等しく働いているという言い方もできる。
ただ、市原のラフプレーに対しては甘く、ゴールに近いところでの攻防は浦和有利の判定が多いという傾向はある。そして、試合の結果を直接的に左右するとともに、観ている者の印象に残るのは、ゴール付近の判定である。

その意味では、結果として浦和寄りの判定という言い方は間違いではない。

『結果として』などという奥歯に物が挟まったような言い方をするのは、そこに審判の明確な意志が働いているかどうかは読み取る事ができないからである。

主審のナザリー氏は、市原サポーターも乗っている電車に乗って帰ったという。意識的に偏った判定をした審判が、いくら平和な日本とはいえ、平然と市原サポーターの前に出てくるとは考えにくい。

もし無意識の判定傾向であったなら、その要因は何なのか。それこそが『圧倒的なホーム感』なのか。

この試合の雰囲気については、やはり中立の方の『すごかった』という書き込みがネット上にも多数あった。
駒場の常連客にとっても、過去に例を見ないほどの濃密な雰囲気であったようだ。
両チーム選手・監督の試合後の談話からも、それは窺い知る事はできる。『観客が多ければ誤審を引き出す事ができる』といった意味合いの市原・武田の発言は、それの証明とはならないだろうか。

なお、ナザリー氏がホーム寄りの判定をする人物かどうかを知るには、過去の判定傾向を分析する事が必要である。しかし、残念ながらそんな映像資料はない。そして、ナザリー氏の分析をする事が、この企画の目的ではない。
ましてや、<試合結果の操作の有無>など論ずるつもりはない。それは、この試合における浦和の尊厳ある勝利と市原の尊厳ある敗戦を冒涜するものであり、ナザリー氏を、Jリーグを、ひいてはスポーツを冒涜するものであるからだ。

[参考1]
浦和vs市原
判定の検証


■数字 〜99年J1リーグ戦全240試合〜

浦和 vs 市原の一戦が、おそらくは『ホームタウン・ディシジョン』であるとの仮定でこれまで話を進めてきた。

それでは、この『ホームタウン・ディシジョン』は、一般的な傾向なのだろうか。
個人的な感覚では、ホーム寄りの笛というものを、上記以外の試合で体感した事は、私にはない。

実は、どちらかのチームに肩入れしながらでは、これは容易に論じ得ない事象ではある。当然だが、人間の感覚には『身びいき』や『敵チームへの憎悪』というものがある。

例えば、今年9月4日の浦和 vs 磐田戦。
浦和サポーターの不満は、『吉野を負傷退場に追い込んだ福西の危険なプレーを流し』、『それなのに磐田の選手がコロコロ転ぶと笛を吹く』岡田主審の磐田寄りの判定に集中していた。
一方、磐田サポーターの言い分は、『中山を2度に渡ってペナルティエリア内で倒した路木の汚いプレーがPKじゃないのはおかしい』し、『それなのに福田はPKだった。浦和贔屓だ』となる。
そして、中立の方には、単純に『ジャッジメントがヘタ』に見えていたのかもしれない。
今考えると笑ってしまいそうだが、こんなものなのだ。

そこで、お得意の数字を持ち出してみようと思う。警告・退場処分の数による、判定傾向の分析である。

もちろん、例えば同じ警告にも『それは厳しいよ』というものと、『レッドじゃなくて助かった』というものがある。クリーンなチーム、ダーティーなチーム、単に下手なチーム、対戦相手との力関係や試合展開、審判の個人的な性向など、考慮すべき要素は山ほどあるが、99年のJ1リーグ戦全240試合をサンプルとすれば、それらの要素は平均化され、ある程度の傾向は掴めるはずだ。

[参考2] が、公式記録から引っ張ってきた調査結果である。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

この結果を見て、『ホームタウン・ディシジョン』の存在が、日本では一般的とは言い難い事が証明できたと思う。重要なジャッジは、限りなく中立だ。
少なくともカードの枚数に関しては、イエローがホーム408回(47%・1試合平均1.7回):ビジター455回(53%・1試合平均1.9回)、レッドがホーム・ビジターとも30回と、ほぼ完全にニュートラルである。

表中の判定傾向は、警告を1ポイント、退場を3ポイント(この仮定の根拠は、リーグ戦においては警告3回で出場停止となる事)とした場合のポイントの多少(実際の計算式では、2ポイント差以内なら中立としている)を表したものだが、これもホーム寄り38試合:中立173試合:ビジター寄り29試合であり、計算上はホーム寄り>ビジター寄りであるものの、中立試合の多さを考えると、これもニュートラルと言って差し支えない結果であろう。

惜しむらくは、警告・退場よりもさらに直接的な影響の大きいPKの判定についての調査が抜けている事だが、これについては、浦和の公式サイトから抜粋して [参考3] にまとめてみた。
これによると、ホーム15試合では5回のPKのチャンスを得、相手には1回のPKしか与えていない。また、アウエイの15試合では得PK、与PKとも3回ずつとなっている。
これを見ると明らかなホーム寄りの判定傾向が伺われるが、浦和には山田・ベギリスタイン・岡野といった『PKをもらいやすいプレイヤー』がいる事、この結果がわずか30試合のサンプルであり、しかも公式記録ではなく試合結果の記事からの推測である事から、この結果についての断定的な評価は避けておきたい。

なお、PKの一覧から『あれを決めておけばなぁ〜』と思うのは厳禁である(泣)。

[参考2]
警告・退場数
一覧

[参考3]
浦和レッズ
得PK・与PK
一覧


■私見 〜ホームタウン・ディシジョンは善か? 悪か?〜

ここまで読んで下さった方には、ある疑問が生じているかもしれない。
『なんでこいつはこんな事に焦点を当てているのだ?』と。『結局なんなんだよ?』と。

結論を言うと、私は『ホームタウン・ディシジョン』が、プロフットボールにおいては欠かす事のできないスパイスであると考えている。勝負であると同時に、興業であるプロフットボール。ホームのお客様に、納得した気持ちで帰途について頂く事は、大きな意味のある事だと考える。

誤解して頂きたくないが、何もホームに甘い判定基準を適用せよ、と主張しているわけではない。ましてや八百長のススメなどでは断じてない。
また、日本に、ホームタウン・ディシジョンを必要とするような土壌があるかというと、多いに疑問である。
地域間の対抗意識は薄く、観客は大人しく、『地元チーム』より『人気チーム』や『アイドル選手』が大事にされる風潮では、特にホーム/ビジターを区別する必要性はないのかもしれない。そもそも、ホームのアドバンテージを得ているクラブが日本にいくつあるだろうか。

しかし、である。ここまでの調査で判明した『中立傾向』は、果して本当に中立であろうか。ホームに甘いと思われないために、意識的にホームに辛い判定というものはないだろうか。そういうところに妙に律義な日本人気質を考えると、これはあり得る話である。しかも、そんな判定が、拙い技術しか持ち得ない審判によってなされるとしたら・・・。

もし、この企画をご覧になった方で、冒頭に述べたように『地元のチームの試合を観に行って、憤慨して帰ってきた』経験があるとすれば、その感覚は、多分正しいというのが私の考えだ。ホームに辛いように見えても、家に帰ってきてビデオを見返すと、納得の行く判定である事が多い。しかし、望まれるのは、ビデオを見返して納得の行く判定よりも、現場で納得の行く判定であるというのは暴論だろうか。

それに、ビジターサポーターの方が多いという状況を無視すれば、常にホームに甘い判定傾向なら、みんなが幸せになる『お互い様』なのだ。

サッカーは、審判と観客が試合を創り出す事のできる数少ないスポーツである。
であるならば、『ほんのちょっとのホームタウン・ディシジョン』は、最高のスパイスであるはずだ。ホームタウン・ディシジョンが満場の観客を熱狂させ、満足させるものになり得るならば、それは一種の理想であろう。

ホームチームを強力に後押しする満員のスタンド。
攻撃的な戦術と守備的な戦術を使い分ける事のできるチーム。
ビジターチームの勝ち点1を尊重する制度。
優れた技術に裏打ちされたスマートなジャッジ。
審判の判定を、尊厳を持って受け入れる選手とサポーター。

ホームタウン・ディシジョンが許される背景には、以上のような条件が必要になってくるだろう。
当たり前だが、リーグのお偉いさんが特定のチームに肩入れするような発言は、ここでは許されるはずもない。川淵氏が当たり前の事を守らないから、単にそれがホームタウン・ディシジョンであったとしても、市原のサポーターが被害妄想になるのだ!(←実はこれが言いたかったりして)

どうだろう。なかなかに魅力的ではないだろうか?
逆説的ではあるが、これが私がホームタウン・ディシジョンを認める理由である。

 

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