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★アジア・ヘビー級選手権★



初代王者 力道山

アジア・ヘビー級選手権は力道山が獲得した最初の国際タイトル的なシングル王座である。
1955年11月、力道山の提唱によってアジアのシングル・タッグ両王座を設定すべく、日本プロレスは
「アジア選手権大会」を開催。シングル部門に参加したのは、前東洋選手権者キング・コング、インド選
手権者ダラ・シン、東南アジア選手権者タイガー・ジョギンダー、パキスタン選手権者サイド・サイプ・シャ
ーという錚々たるアジアの強豪達と日本側は日本ヘビー級選手権者、力道山が出場した。試合は総当
たり戦7分6ラウンド1本勝負で行われた。当時、東南アジアのマット界はラウンド制が主流となってい
た。力道山はジョギンダー、シャーを一蹴してシンに辛勝し3戦全勝。コングもジョギンダー、シャーを破
り、シンとは引分けて2勝1分。優勝決定戦となった公式戦最終戦は11月22日、蔵前国技館で行わ
れ72分50秒(6ラウンド終了し60分の延長戦に入る)にわたる死闘の末、力道山がコングを下し初代
王者となった。                                                    

NO CHAMPION DATE LOCATION
力道山
   リーグ最終戦=キング・コング
   防@=タイニー・ミルズ(1959.1.9)
   防A=ラッキー・シモノビッチ(1959.2.2)
   防B=ダン・ミラー(1960.6.25)
   防C=リッキー・ワルドー(1960.9.30)
   防D=リッキー・ワルドー(1960.11.15)
   防E=リッキー・ワルドー(1960.12.3)
   防F=ジム・ライト(1961.7.19)
   防G=ロニー・エチソン(1962.1.20)
※1963年12月15日、力道山死去により、王座空位に。
1955年11月22日 蔵前国技館
大木金太郎
   王座決定戦=バディ・オースティン
   防@=バスター・ロイド(1969.2.8)
   防A=ブル・ラモス(1969.3.17)
   防B=マリオ・ミラノ(1969.8.9)
   防C=クラッシャー・リソワスキー(1969.8.14)
   防D=ミスター・アトミック(1969.10.3)
   防E=ブラッキー・ゴールドマン(1969.11.1)
   防F=ミスター・アトミック(1969.11.9)
   防G=ジン・アンダーソン(1970.2.4)
   防H=プリンス・イヤウケア(1970.3.15)
   防I=カール・ハイジンガー(1970.6.27)
   防J=ブルード・バーナード(1970.7.13)
   防K=レジー・パークス(1970.8.8)
   防L=ミスター・アトミック(1970.9.22)
1968年11月9日 韓国ソウル奨忠体育館
ビル・ドロモ 1971年1月15日 徳島市体育館
大木金太郎(2度目
   防@=アール・メイナード(1971.2.24)
   防A=ドン・レオ・ジョナサン(1971.4.18)
   防B=ボブ・カーセン(1971.5.31)
   防C=ドン・デヌーチ(1971..11.24)
   防D=ジン・アンダーソン(1972.1.5)
   防E=マリオ・ミラノ(1972.1.15)
   防F=ボブ・グリフィン(1972.3.7)
   防G=ミスター・レスリング’(1972.5.31)
   防H=ジョー・ハミルトン(1972.10.3)
   防I=ジョー・ハミルトン(1972.10.3)
※日本プロレス崩壊により、王座消滅。
※元日本プロレス代表・長谷川淳三(芳の里)が同タイトル継続
 及び名称復活要請をNWA本部が承認、最終王座保持者・大木
 に選手権開催を許可し、1976年3月25日、4年ぶりに大木の母
 国・韓国で防衛戦 が行われることになった。
   防J=グレート小鹿(1976.3.25)
※その後、韓国においてボボ・ブラジル、バディ・オースチン、ミス
 ター・アトミック、ザ・バラクーダの挑戦を退ける。
※1976年9月24日、大宮スケートセンターでのワルドー・フォン・
 エリックとの防衛戦が無効試合により王座預りとなる。
1971年2月2日 広島県立体育館
大木金太郎(3度目)
   王座決定戦=ワルドー・フォン・エリック
   防@=ジャンボ鶴田(1977.7.28)
※UNヘビー級王者、ジャンボ鶴田とのダブル・タイトルマッチ、
 1−1の後、両者リングアウトにより王座の移動はなし。
   防A=ジャイアント馬場(1977.10.5)
※PWFヘビー級王者、ジャイアント馬場とのダブル・タイトルマッ
 チ、両者リングアウトにより王座の移動はなし。
1976年10月21日 福島県営体育館
ジャイアント馬場
※自身の保持するPWFヘビー級王座とのダブル・タイトルマッチ
 に勝利し2冠王となる。
※その後、王座返上。
※1981年4月,NWA本部の勧告により,インターナショナル・ヘビー
 級ベルトを返上した大木金太郎は,その代替えとしにアジア・ヘ
 ビー級の管理権を返還させ、それに伴ない韓国にて王座決定
 戦がおこなわれる。
1977年10月29日 黒磯市公会堂
大木金太郎(4度目)
   王座決定戦=グレート小鹿
   防@=阿修羅・腹(1982.5.3)
※その後、ソウルで防衛戦を行なっていたが、大木の引退により
 同王座は完全に消滅。
1982年5月 韓国

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