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★NWA世界ヘビー級選手権★

NWA(National Wrestling Alliance=全米レスリング連盟)

 NWA最大の功労者は、ミズーリ州セントルイスのスポーツ記者からプロレスのプロモーターに転身したサム・マソニック氏で
新米プロモーターでレスラーのブッキングに苦労したマソニックは「プロモーター同士の横のつながりを広げれば、みんなが仕事
が楽になるはずだ」とアライアンス(協会)の設立を提唱。これに真っ先に賛同して積極的に動いたのは、ミネソタ州ミネアポリス
のトニー・ステッカー(以下地名に続く人物名はプロモーター)の右腕と言われたウォーリー・カルボだった。後のミネアポリスAW
Aを設立した男である。カルボの根回しで1948年7月14日、アイオワ州ウォータールーで会合が開かれ、同地のピンキー・ジョ
ージ、サム・マソニック、ウォーリー・カルボ、ネブラスカ州オマハのマックス・クレイントの各プロモーターとMWA世界王者のオー
ビル・ブラウンが出席、その場でNWAが結成された。初代会長にはピンキー・ジョージが就任、オービル・ブラウンをNWA世界
王者に認定した。そして間を置かずに、同年10月には各地のプロモーターに呼びかけて大会合を開き、10人の加盟者を得た。
マソニックのアイデアは歓迎されたのである。しかし当時ルー・テーズを世界王者と認定していた旧NWA(National Wrestling
Association=全米レスリング協会)からクレームがつき、協議の末、1949年11月25日にミズーリ州セントルイスのジ・アリー
ナ(後のチェッカー・ドーム)でオービル・ブラウン−ルー・テーズの世界統一戦が行われる事になったが、その直前にブラウンが
交通事故に遭い、重傷を負ったため、この試合は中止となり、NWAは同年11月10日、ルー・テーズをNWA統一世界王者に
認定し、1905年のフランク・ゴッチを初代王者と数え、ルー・テーズを第38代王者とした。初代から第38代王者まで王者の、
変遷は統一世界ヘビー級選手権、旧NWA世界ヘビー級選手権、マサチューセッツAWA世界ヘビー級選手権の変遷を元に、
作られている。(旧NWAは、その後、有名無実の存在となり、1967年に解散している。)テーズは、この後、1956年3月にビ
リー・ワトソンに敗れるまで、7年4ヵ月にわたって王座を保持し続け各地の世界王座を吸収。この王者テーズの実力が物を言い
最盛期には全米マーケットの90%以上を支配し、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、日本の各国も傘下に収め
加盟50数地区、会員数100人(会員権は個人名義)を越している。NWAは文字通り世界最大の組織と化し、加盟する各プロ
モーターのテリトリーを精力的に巡回し。防衛戦を行うことが義務づけられていたNWA世界王座は、世界最高の権威と歴史を持
つタイトルとなった。                                                                

NO CHAMPION DATE LOCATION
フランク・ゴッチ
   王座決定戦=ジョージ・ハッケンシュミット
1905年10月 イリノイ州シカゴ
フレッド・ビール 1906年12月1日 ルイジアナ州ニューオリンズ
フランク・ゴッチ(2度目)
※フランク・ゴッチが引退のため1913年12月,王座返上。ヘンリー・オーデマン,
 ジェス・ウェスターガード,チャーリー・カトラーで王座決定トーナメント。
1906年12月16日 ミズーリ州カンサスシティ
チャーリー・カトラー
   決勝戦=ヘンリー・オーデマン
1914年7月4日 ミネソタ州ミネアポリス
ジョー・ステッカー 1915年7月5日 ネブラスカ州オマハ
アール・キャドック 1917年4月9日 ネブラスカ州オマハ
ジョー・ステッカー(2度目) 1920年7月4日 ニューヨーク州ニューヨーク
エド・ルイス 1921年12月13日 ニューヨーク州ニューヨーク
スタニスラウス・ズビスコ 1922年3月3日 ニューヨーク州ニューヨーク
10 エド・ルイス(2度目) 1922年3月22日 カンサス州ウィチタ
11 ウェイン・マン 1925年1月8日 ミズーリ州カンサスシティ
12 スタニスラウス・ズビスコ(2度目) 1925年4月25日 ペンシルバニア州フィラデルフィア
13 ジョー・ステッカー(3度目) 1925年5月30日 ミズーリ州セントルイス
14 エド・ルイス(3度目) 1928年2月20日 ミズーリ州セントルイス
15 ガス・ソネンバーグ 1929年7月4日 マサチューセッツ州ボストン
16 エド・ダン・ジョージ 1931年2月 マサチューセッツ州ボストン
17 ヘンリー・デグレーン 1931年5月7日 カナダ・ケベック州モントリオール
18 エド・ダン・ジョージ(2度目) 1931年7月7日 マサチューセッツ州ボストン
19 ダノ・オマホニー 1935年6月30日 マサチューセッツ州ボストン
20 ディック・シカット 1936年 ニューヨーク州ニューヨーク
21 アリババ 1936年 ミシガン州デトロイト
22 エベレット・マーシャル 1936年6月26日 オハイオ州コロンバス
23 ルー・テーズ 1937年12月29日 ミズーリ州セントルイス
24 スティーブ・ケーシー
※スティーブ・ケーシーが防衛戦を行わなかったため,旧NWAは1938年9
 月,モントリオールで緊急会議を開き王座剥奪。エベレット・マーシャルを新王
 者に認定。
1938年2月11日 マサチューセッツ州ボストン
25 エベレット・マーシャル(2度目) 1938年9月
26 ルー・テーズ(2度目) 1939年2月23日 ミズーリ州セントルイス
27 ブロンコ・ナグルスキー 1939年6月23日 テキサス州ヒューストン
28 レイ・スチール 1940年3月7日 ミズーリ州セントルイス
29 ブロンコ・ナグルスキー(2度目) 1941年3月11日 ミネソタ州ミネアポリス
30 サンダー・ザボー 1941年6月5日 ミズーリ州セントルイス
31 ビル・ロンソン 1942年2月19日 ミズーリ州セントルイス
32 ユーボン・ロバート 1942年10月7日 カナダ・ケベック州モントリオール
33 ボビー・マナゴフ 1942年11月27日 テキサス州ヒューストン
34 ビル・ロンソン(2度目) 1943年2月19日 ミズーリ州セントルイス
35 ビリー・ワトソン 1947年2月21日 ミズーリ州セントルイス
36 ルー・テーズ(3度目) 1947年4月25日 ミズーリ州セントルイス
37 ビル・ロンソン(3度目) 1947年11月21日 ミズーリ州セントルイス
38 ルー・テーズ(4度目) 1948年6月20日 インディアナ州インディアナポリス


オービル・ブラウン
※1948年7月14日、NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)
 発足。NWA世界ヘビー級王者に認定される。
1948年7月14日 アイオワ州ウォルターキー
38 ルーテーズ(4度目)
※1949年11月25日にミズーリ州セントルイスで、旧NWA王者
 ルー・テーズ−NWA王者オービル・ブラウンで王座統一戦を行う
 予定だったが、11月1日にブラウンが交通事故により引退を余
 儀なくされる大怪我を負い出場不能となり同年11月10日、テー
 ズが改めて王者に認定される。

   防○=ジョージ・ゴーディエンコ(1953.5.26)

※1950年7月27日、イリノイ州シカゴにて”マサチューセッツ版”
 AWA世界ヘビー級王者ゴージャス・ジョージを下し世界王座を吸
 収。
※1952年5月21日、ロサンゼルスにて”カリフォルニア版”世界
 ヘビー級王者バロン・ミシェル・リオーニを下し世界王座を吸収。
※1948年6月20日のビル・ロンソン戦から1955年5月22日の
 サンフランシスコのカウパレスでレオ・ノメリーニに敗れるまで(反
 則負けにより王座移動なし)、前人未踏の 936戦連続無敗記
 録を樹立。
   防○=ジョージ・ゴーディエンコ(1955.4.28)
1949年11月10日
39 ビリー・ワトソン(2度目) 1956年3月15日 カナダ・オンタリオ州トロント
40 ルー・テーズ(5度目)
※1957年6月14日、イリノイ州シカゴでのNWA世界ヘビー級タ
 イトルマッチでエドワード・カーペンティアが王者テーズを破る(腰
 を負傷のテーズが3本目を棄権)。しかし、NWAは王座移動を認
 めず、テーズの防衛を発表。ロサンゼルスのプロモーター、ジー
 ン・ラーベル、ジュリアス・ストロンボーらは、カーペンティアを初代
 王者に認定し、WWA(ワールド・レスリング・アソシエーション)
 設立。オマハのプロモーター、ジョー・デュセックもカーペンティア
 を王者に認定し、”オマハ版”AWA設立。
   防○=力道山(1957.10.7)
   防○=力道山(1957.10.13)
1956年11月9日 ミズーリ州セントルイス
41 ディック・ハットン 1957年11月14日 カナダ・オンタリオ州トロント
42 パット・オコーナー
※1960年5月にウィリー・カルボ、バーン・ガニアがミネソタ州ミネ
 アポリスを本拠地に”ミネアポリス版”AWA発足。オコーナーがN
 WA・USヘビー級王者バーン・ガニアとの統一戦に応じなかった
 ため、その防衛期限の切れる90日目に当たる8月16日、AWA
 はガニアを初代世界ヘビー級王者に認定。
   防○=カール・ゴッチ(1961.4.22)
1959年1月9日 ミズーリ州セントルイス
43 バディ・ロジャース
   防○=ジョニー・バレンタイン(?)
   防○=ジャイアント馬場(1962.5)
※1962年8月2日、カナダ・オンタリオ州トロントにてブルーノ・サ
 ンマルチノがバディ・ロジャースを破るが、サンマルチノはロジャー
 スが負傷しながらも試合に出場してきたことを理由に、その場で
 王座返上。”幻のNWA世界王者”となる。
※1962年11月21日、カナダ・モントリオールで”モントリオール
 AWA版”世界ヘビー級王者キラー・コワルスキーがバディ・ロジャ
 −スを下し”2冠統一”。しかし、NWA本部は王座移動を認めず。
1961年6月30日 イリノイ州シカゴ
ジャイアント馬場
※1962年6月にオハイオ州コロンバスの毎週1回の定期戦でN
 WA世界王者バディ・ロジャースと馬場による王座戦5連戦を決
 行。第1戦、ジャイアント馬場が勝ち、NWA世界のベルトを日本
 人として初めて腰に巻き、第2戦、第3戦のバディ・ロジャースの
 挑戦を退け王座防衛。第4週7月18日には時間無制限10本勝
 負で対戦(先に5本取った方が勝ちというマラソンマッチ)。馬場
 は4本立て続けに奪うが、5本目に地元の英雄ロジャースの苦戦
 に興奮した観衆がリングになだれ込み、会場は大混乱に陥って
 収拾不可能のまま、無効試合となり、タイトルはコミッショナー預
 りとなる。そして第5戦は7月25日コロンバスのシビック・オーデト
 リアムで行われる予定であったが、試合前の控室でビル・ミラー
 とカール・ゴッチがロジャースを襲い、腕を骨折した出場不可能と
 なり、行われなかった。その後、タイトルはロジャースの元に戻り
 馬場の王座奪取は公式記録には残っていない。
1962年6月 オハイオ州コロンバス
ボボ・ブラジル
※リングアウト勝ちにより新王者になる(ニュージャージー州ルール
 では”どんな形でも負ければ王座は移動”が長年の慣習)が、ロ
 ジャースのマネージャーのポビー・ディビスはレフェリーにクレーム
 をつけ、ブラジルはその場でプロモーターのウィリー・ギルセンバ
 ーグに王座返上。よってNWAでは移動を認めず。しかしIWF(国
 際レスリング協会)という名称のプロレス・マニア集団は、ブラジ
 ルの偉業を称え、NWAの公式記録を無視して1962年8月18
 日から同年10月30日にブラジルがオハイオ州トレドでロジャー
 スに敗れるまでの74日間は定期的に発行していた世界中のタ
 イトルマッチの記録集の中にNWA世界ヘビー級チャンピオンとし
 て記録に残し続けた。
1962年8月18日 ニュージャージー州ニューアーク
44 ルー・テーズ(6度目)
※バディ・ロジャースを下し6年ぶりにNWA世界王座奪回。しかし
 ニューヨーク、ニューイングランド(カナダ北東部を含む東海岸エリ
 ア)のプロモーターのビンス・マクマホン・シニア、トゥーツ・モント
 は同一戦での王座移動を認めず、NWA脱退。ロジャースを初代
 王者に認定し、WWWFを設立。
※1963年6月、オハイオ州コロンバスにて”オハイオ版”AWA世
 界ヘビー級王者カール・ゴッチを下し、世界王座を吸収。
   防○=カール・ゴッチ(1963.9.2)
   防○=カール・ゴッチ(1964.1.18)
   防○=ウイルバー・スナイダー(1964.1)
   防○=ジャイアント馬場(1964.2.5)
   防○=カール・ゴッチ(1964.6.7)
   防○=カール・ゴッチ(1964.8.18)
   防○=カール・ゴッチ(1964.9.7)
   防○=大木金太郎(1964)
1963年1月24日 カナダ・オンタリオ州トロント
45 ジン・キニスキー
   防○=モンゴリアン・ストンパー(?)
1966年1月7日 ミズーリ州セントルイス
46 ドリー・ファンク・ジュニア
   防○=ミル・マスカラス(1969.11)
   防○=アントニオ猪木(1969.12.2)
   防○=ジャイアント馬場(1969.12.3)
   防○=アントニオ猪木(1970.8.2)
   防○=坂口征二(1971.12.9)
   防○=ジミー・スヌーカ(1973.2.19)
   防○=モンゴリアン・ストンパー(?)
1969年2月11日 フロリダ州タンパ
47 ハーリー・レイス 1973年5月24日 カンサス州カンサスシティ
48 ジャック・ブリスコ
   防○=ジャイアント馬場(1974.1.23)
※馬場の保持するPWFヘビー級王座とのダブルタイトルマッチ、結
 果は両者リングアウトにより王座の移動はなし。
   防○=ハーリー・レイス(1974.1.24)
   防○=ザ・デストロイヤー(1974.1.28)
   防○=ドリー・ファンク・ジュニア(1974.1.29)
   防○=ジャンボ鶴田(1974.1.30)
1973年7月20日 テキサス州ヒューストン
49 ジャイアント馬場
   防@=ジャック・ブリスコ(1974.12.5)
※PWFヘビー級王座も共に防衛。
1974年12月2日 鹿児島県体育館
50 ジャック・ブリスコ(2度目)
   防@=ジャンボ鶴田(1974.12.12)
   防○=ジャイアント馬場(1975.3.9)
   防○=ジャンボ鶴田(1975.3.11)
   防○=ザ・デストロイヤー(1975.3.12)
   防○=ボボ・ブラジル(1975.3.13)
   防○=ジャイアント馬場(1975.8.8)
1974年12月9日 豊橋市体育館
51 テリー・ファンク
   防○=ジャンボ鶴田(1976.6.11)
   防○=モンゴリアン・ストンパー(?)
1975年12月10日 フロリダ州マイアミ
52 ハーリー・レイス(2度目)
   防○=ジャンボ鶴田(1977.6.11)
   防○=ジャイアント馬場(1977.6.14)
※1978年1月、WWWFヘビー級王者ビリー・グラハムとダブル・
 タイトルマッチを行うが時間切れ引分けにより、共に王座防衛。
※1978年2月23日、WWWFヘビー級王者ボブ・バックランドと
 ダブル・タイトルマッチを行うが引分けによる共に王座防衛。
   防○=ジャイアント馬場(1978.1.18)
   防○=ジャンボ鶴田(1978.1.20)
   防○=ジャンボ鶴田(1979.5.7)
   防○=ディック・マードック(1979.5.8)
   防○=ジャイアント馬場(1979.5.9)
1977年2月6日 カナダ・オンタリオ州トロント
53 ダスティ・ローデス 1979年8月21日 フロリダ州タンパ
54 ハーリー・レイス(3度目)
   防○=ジャンボ鶴田(1979.10.26)
1979年8月26日 フロリダ州オーランド
55 ジャイアント馬場(2度目)
   防@=ハーリー・レイス(1979.11.5)
1979年10月31日 愛知県体育館
56 ハーリー・レイス(4度目)
   防@=アブドーラ・ザ・ブッチャー(1979.11.8)
   防○=タイガー戸口(1980.5.27)
   防○=ジャンボ鶴田(1980.5.28)
   防○=ジャンボ鶴田(1980.9.1)
1979年11月7日 尼崎市体育館
57 ジャイアント馬場(3度目) 1980年9月4日 佐賀スポーツセンター
58 ハーリー・レイス(5度目)
   防@=ミル・マスカラス(1980.9.12)
※1980年9月22日、WWFヘビー級王者ボブ・バックランドとダブ
 ル・タイトルマッチを行う。結果は40分に及ぶ死闘の末、レイスを
 コブラツイストに捕らえたボブは、あと一歩でギブアップを奪えると
 ころだったが、レイスは近寄ってきたレフェリーの胸ぐらをつかん
 で反則負けとなり、共に王座防衛。
※1980年11月7日、WWFヘビー級王者ボブ・バックランドとダブ
 ル・タイトルマッチを行う。結果はレイスのリングアウト勝ちで共に
 王座防衛。
   防○=ジャイアント馬場(1981.2.15)
1980年9月10日 大津市皇子が丘公園体育館
59 トミー・リッチ 1981年4月27日 ジョージア州オーガスタ
60 ハーリー・レイス(6度目) 1981年5月1日 ジョージア州ゲインズビル
61 ダスティ・ローデス(2度目) 1981年6月21日 ジョージア州アトランタ
62 リック・フレアー
   防○=天龍源一郎(1981.10.6)
   防○=テリー・ファンク(1981.10.7)
   防○=ジャンボ鶴田(1981.10.9)
※1982年ジョージア州アトランタのWTBS(テッド・ターナー局)で
 放送中のプロレス番組が”ジョージア・チャンピオンシップ・レスリ
 ング”から”ワールド・チャンピオンシップ・レスリング”に改称。こ
 れが現在のWCWのルーツとなる。
   防○=リッキー・スティムボート(1982.6.4)
   防○=ジャンボ鶴田(1982.6.8)
※1982年7月4日、ジョージア州アトランタにてWWFヘビー級王
 者ボブ・バックランドとダブル・タイトルマッチを行う。結果は両者
 反則のため、共に王座防衛。
   防○=ジャンボ鶴田(1983.6.8)
1981年9月17日 カンサス州カンサスシティ
63 ハーリー・レイス(7度目) 1983年6月10日 ミズーリ州セントルイス
64 リック・フレアー(2度目)
   防○=ザ・グレート・カブキ(1983.12.12)
1983年11月24日 ノースカロライナ州グリーンズボロ
65 ケリー・フォン・エリック
   防○=ジャンボ鶴田(1984.5.22)
1984年5月6日 テキサス州アーウィング
66 リック・フレアー(3度目)
   防@=ハーリー・レイス(1984.5.25)
   防○=天龍源一郎(1984.9.12)
   防○=長州力(1985.4.23)
   防○=ジャンボ鶴田(1985.4.24)
※1985.10.21、AWA世界ヘビー級王者リック・マーテルとダブル・
 タイトルマッチを行うが両者リングアウトにより、共に王座防衛。
※1986.2.20、WCCWがNWAから脱退。WCCWオーナーのジャ
 ック・アドキッセン元NWA会長(フリッツ・フォン・エリック)は、アメ
 リカン王者のリック・ルードを初代世界王者に認定。
※1986.5.30、ビル・ワットが主宰するMSWAがNWAから脱退。
 ルイジアナ、ミシシッピー、アーカンソー3州のミッドサウス地区を
 UWFと改称し、テキサス州ヒューストンで行われた王座決定トー
 ナメントの優勝者テリー・ゴディを初代世界王者に認定。
1984年5月24日 横須賀市総合体育館
67 ダスティ・ローデス(3度目) 1986年7月25日 ノースカロライナ州グリーンズボロ
68 リック・フレアー(4度目)
   防○=谷津嘉章(1987.3.7)
   防○=ジャンボ鶴田(1987.3.10)
   防○=輪島大士(1987.3.12)
※1987.4.9、ジム・クロケット・プロモーション(NWA=ノースカロラ
 イナ)がUWF(ビル・ワット派)を買収(吸収合併)。さらにつぶれ
 かかった南部諸テリトリーのスター選手、スタッフを引き取り、メ
 ジャー団体としての体制を整え、全米サーキットをスタート。NWA
 世界王者フレアーはNWAクロケット・プロモーションと専属複数
 年契約を交わし、1987年からは同団体のリングだけに上がるよ
 うになる。(これはNWA加盟プロモーターの各テリトリーを巡回し
 防衛戦を行うというNWAの体制を根底から覆すもので、NWAの
 存在自体が無意味になったことを意味することである。)
 UWF世界王者スティーブ・ウイリアムスはNWA王座とのダブル
 タイトルマッチを条件(買収時)に王座返上の決意するが、ダブル
 タイトルマッチが一向に実現しなかったため、ウイリアムスはUW
 F王座のベルトを巻いて、NWAに上がりつづけた。結局、この一
 戦は1988.5.27にウイリアムスがリック・フレアーのNWA王座に
 挑戦という形で実現し、フレアーの反則負けにより王座の移動は
 なかった。ウイリアムスは以後UWFのベルトを使用せず。
※1987年9月、NWA総会が開かれ、ジム・クロケット・ジュニア
 がNWA会長に返り咲く。しかし出席会員は全盛期の一割にも満
 たない10人を下回るという寂しい総会であった。そして、これが
 1948年以来39年間続いたNWAの最後の年次総会となったの
 である。
1986年8月7日 ミズーリ州セントルイス
69 ロニー・ガービン
※1987年10月、ボブ・ガイゲル前NWA会長はNWA脱退を表明
 し、カンザスシティを本拠地にWWAを設立し、世界王者を認定す
 ると発表。これによりNWAの連盟としての体制は完全に崩壊し、
 NWA=クロケット・プロモーションとなってしまう。
1987年9月25日 ミシガン州デトロイト
70 リック・フレアー(5度目)
   防○=スティーブ・ウイリアムス(1988.5.27)
※1988年11月、テッド・ターナー・エンターテイメント社はNWAク
 ロケット・プロモーションを買収。新会社はテレビ番組名と同じ、
 WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)。
1987年11月26日 イリノイ州シカゴ
71 リッキー・スティムボート
   防○=タイガーマスク=三沢光晴(1989.3.8)
1989年2月20日 イリノイ州シカゴ
72 リック・フレアー(6度目)
   防○=ザ・グレート・ムタ(1989.10.14)
   防○=ザ・グレート・ムタ(1989.10.15)
   防○=ザ・グレート・ムタ(1989.11.18)
1989年5月7日 テネシー州ナッシュビル
73 スティング 1990年7月7日 メリーランド州ボルチモア
74 リック・フレアー(7度目)
※1991.3.21、東京ドームにて藤波辰爾がリック・フレアーをグラン
 ド・コブラで下し、王座を奪取するが試合後WCW側が試合中の
 オーバー・ザ・トップ・ロープにクレームがつけ、ベルトを強奪して
 帰国。フレアーは4.11より防衛活動を開始し、一時は新日本プロ
 レスとWCWそれぞれが藤波、フレアーを正当な正当な王者と、
 認定し業務提携白紙撤回の噂もあったが、話し合いの末、5.19
 「スーパー・ブロウル’91」で行われるフレアーvs藤波の一戦が
 王座決定戦となることが決定。WCWは全米の大手ケーブルTV
 局に配布する宣伝資料のなかで、WCW世界ヘビー級王座は空
 位という前置きをし、フレアーと藤波の二人を”現チャンピオン”と
 して紹介。(WCWはこの間にNWA世界ヘビー級王座をWCW
 世界ヘビー級王座と改称。)しかし、当日フレアーはWCW世界
 王者として登場し、藤波との一戦は防衛戦として行われ、結果は
 フレアーが藤波のタイツをつかんでのエビ固めで防衛に成功し、
 藤波の名前はNWA、WCWの公式記録には載っていない。
※1991年6月、リック・フレアーはWCW脱退表明をし、WCWは
 これに対してフレアーを解雇処分とし、7月1日付けでWCW世界
 ヘビー級王座を空位とする。しかしフレアーは個人的な所有権を
 主張しベルトを返還せずWWFへ移籍。(このベルトは1986.2.14,
 オーランド大会より新調されたもので発注もフレアーがし、製造代
 金もフレアーが支払っている。)そのため、7.14のレック・ルーガー
 vsバリー・ウィンダムのWCW世界王座決定戦に新ベルトが間に
 あわなかった為、かってダスティ・ローデスがフロリダPWFで使っ
 ていたPWF世界ヘビー級選手権のベルトにプレートを貼り代用。
※WWFへ移籍したフレアーは返還しなかったベルトを腰に巻き、
 リアル・ワールド・ヘビー級王者を名乗り、WWF世界ヘビー級王
 者ハルク・ホーガンと王座統一戦を行う。(実際にかけられていた
 はWWF王座のみ)
 ・1991.10.22×ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー○王座移動なし
 ・1991.10.25○ハルク・ホーガン(反則)リック・フレアー×王座移動なし
 ・1991.10.26○ハルク・ホーガン(反則)リック・フレアー×王座移動なし
 ・1991.11.15○ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー×王座移動なし
 ・1991.11.16○ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー×王座移動なし
 ・1991.11.16○ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー×王座移動なし
 ・1991.12.14○ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー×ノンタイトル戦
 ・1991.12.29○ハルク・ホーガン(リングアウト)リック・フレアー×ノンタイトル戦
※1992.1.19でロイヤル・ランブルに優勝しWWF世界ヘビー級王
 者になってからはWCWベルトを使用せず。
※WCWフロント、ビル・ワット副社長はフレアー・サイドの弁護士と
 の協議で、このベルトの法的所有権を買い戻し、新日本プロレス
 の「’92G1クライマックス」(1992.8.6〜12)で”復活”NWA世界
 ヘビー級王座決定トーナメントを開催。蝶野正洋が優勝し、第75
 代王者となる。
1991年1月11日 ニュージャージー州メドーランズ
75 蝶野正洋
   トーナメント決勝=リック・ルード
   防@=スティーブ・オースチン(1992.9.23)
   防A=リック・ルード(1992.10.25)
   防B=スコット・スタイナー(1992.11.23)
   防C=ザ・グレート・ムタ(1992.12.28)
1992年8月12日 両国国技館
76 ザ・グレート・ムタ 1993年1月4日 東京ドーム
77 バリー・ウィンダム 1993年2月21日 ノースカロライナ州アッシュビル
78 リック・フレアー(8度目)
※1993年9月3日、NWA総会にてWCWはNWAより脱退。これ
 により同王座は「リアル・ワールド・ヘビー級」に名称変更。
1993年7月18日 ミシシッピー州ピロシキ

 ※防衛戦は日本絡みのもの、私が独自にピックアップしたものを記載しています。


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