
『グリーン・デスティニ 臥虎蔵龍』考
『推手』などで多くの映画祭で賞を受賞しているのアン・リー監督が初めててがけた武侠映
画であり、武当派内家拳の映画ということで、10年ぶりにカンフー映画を観に行ってきまし
た。
シルクロード・ウルムチや卜ルファンや黄山などの私にとってなつかしい風景がパノラマで
広ろがり、悟り、武術、愛と感情移入してしまう物語りに涙が止まらず二度も見に行ってしま
いました。武術の質やテーマはともかく悲恋時代劇として感動的な作品でした。マスコミに大
きく宣伝されたわりに日本人には人気がでなかったようで、映画館はがらすきだったのは、中
国の自然や式術を愛するものとして少し残念でした。
中国の古いの武侠小説の映画でしたが、異様に強いヒロインの三人の武術家がみな女性とい
うところが、いままで異なるし、三人共に男に媚びない自律的な女性を描いている点では現代
に通じるのでしょう。
アン・リー監督のテーマは『推手』でもわかるように相反するものの葛藤と交流ということ
です。まさに臥虎蔵龍、悟りと戦い、修業と恋愛、男と女、師と弟子、漢族と少数民族、外家
拳と内家拳という葛藤を描き、その苦悩末の悲劇の結末をむかえるという複雑で重厚な作品に
なっているわけです。
ただ、いろんな葛藤の末、愛こそが最終的な真理であるといわんばかりなのは、前半に淡々
とした瞑想的な心理描写や静寂な自然を描きながら、落胆してしまいます。感動的ではあって
も、ハリウッド的西洋人(現代の東洋人も含め)受けするものになってしまっているわけで
す。
『推手』でも太極拳をとりあげながら、神秘化もしないが、その奥深い意味にも言及してい
ないわけです。今回もアン・リー監督が自分の好きな太極拳の源流である武当派(自然で柔ら
かい円い動きが特徴的であり、内面の鍛練を重視する道教系の武術、心意拳、太極拳、八卦掌
が代表的、内家奉、内功拳とも呼ばれる)の武術映画にしたかったというわりには、アクショ
ンは少林長拳的(きびきびとして激しい直線的な動きが特徴であり、跳躍など身体外部の鍛練
を重視する仏教系の武術、外家拳、外功拳とも呼ばれる。)であり、内家の剣にはなってはい
ません。壁を走り、空を飛び、水上を駆ける様は、幻想的ではあるけわども、荒唐無稽なソア
ルでないカンフー映画になってしまったわけです。これは武術演技指導のユエン・ウーピンの
限界なのでしょう。ウーピンの手掛けた『マトリックス』はどうみても剛力のぶつかりあいと
いった激しい武闘であって全く内功的ではないでした。奥深い内功武術の世界を表現してほし
かったですが、これは中国武術界(映画にも)に太極拳や内家拳を本当にわかっている人がほ
とんどいないからなのでしょう。
日本の剣術映画では、『雨あがる』(『SFサムライ』も同様)のように内家的な剣術が映
画(もちろん演技ではあるけれども)になっているわけです。そして剣術の奥にある悟りの境
地をうまく表現していたと思うのです。昔、テレビで『燃えよカンフー』という連続ドラマが
あったけれども、小林拳をテーマにしながらも、アクションも内家的な雰囲気で静かな瞑想的
なドラマでした。
だから アン・リーは太極拳の世界に興味は抱いていても、その武術の技や深い体感の世界
をまだ知ってはいないような気がするわけです。46才という若さだし、アメリカで勉強した
映画監督なのだから、無理もないといえばそうですが。でも彼は少し気づきはじめているのは
確かだし、こういった武術や瞑想の世界をハリウッド映画で、中国武侠映画界の中で表現した
ことは評価したいと思うのです。 瞑想的な世界が映画にならないかというとそうでもない。
むしろ映像だから表現しやすいような気もします。ハリウッド映画でも最近の『ストレート・
ストーリー』は淡々と小麦畑と空の雲を映しながら人生の黄昏を瞑想的に描いていました。昨
年のイギリスの若手監督の『シエーフィールド』も意識の覚醒して行くようなような不思議な
作品でした。古くは潜水王ジャック・マイオールを描いた『グランブルー』なども深いリラッ
クスの中に自然に溶け込んで行くような幻想的な映画だったのです。他にもまだあることでし
ょう。武術ものでもそういった作品があったらお知らせください。
いずれにせよ、今後、太極拳など内功の武術やその瞑想的世界が映画化されていくのを期待
したいと思います。