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四国遍路

 

四国遍路とは四国八十八ヶ所霊場を巡ること。

弘法大師が1200年前に修行をしたといわれる、

四国の道を辿ること。

ただのお寺巡りとも、言えますが、

それだけではない、全行程1400キロにも及ぶ旅です。

 

お大師さんは、四国を自由に回って、修行をされた。

現代に至るまで、数多くの人々が、同じように、

自由に各々の願いなり、目標なりを持って自由に巡ってきました。

現代では、昔ながらの歩きに加え、自転車、車、バス、

果てはヘリコプターでも四国遍路まで人様々です。

それぞれ、メリット、デメリットがあり

得るものも違うのでしょう。

 

僕は1月30日から3月11日まで歩いてきました。

途中で何回か車のお接待も受けましたが。

十番寺切幡寺へのお礼参りを含めると、3月12日まで

全部で42日間をかけた幸せな四国への遠足、

それが僕にとっての四国遍路でした。

 

近藤尭寛住職という方の一文が四国遍路を端的に語っている

ように思われますので引用させて頂きます。

 

「巡礼とは歩くことが基本です。苦難を覚悟し、

危険を犯してまで月日をかけて聖地を目指します。この“巡礼の行”

によって慈悲心が身につくのです。心が砂のように乾燥したり、

けだもののようにすさんだときには、海や野山に身をまかせてみてはいかがでしょうか。

水がサラサラと流れるように、日常生活を離れた空間に出れば、

今まで見えてなかったことや考えもしなかったことが湧き出てくるものです・・・

・・・悩みのある人は巡礼によって自分の心をしっかりと取り戻し、

必ず何かに気がついて帰ってくることができると、私は確信しています。」

 

 

 

おへんろ用語集

順打ち: 

一番のお寺から八十八番まで順番に巡っていくことです。

お寺を訪ねることを「打つ」というのは、昔は納札(おさめふだ)が板で出来ていて、

その板をお寺の建物の打ちつけながら回った事に由来します。

 

番外や別格と呼ばれる、八十八ヶ所以外のお寺も回る人、

またはそれだけを回るお遍路さんもいますが、基本は八十八ヶ所です。

通り道にもいくつか番外のお寺やお堂があります。

概して、お遍路さんに本当に優しいのは、そういったお寺でした。

 

逆打ち: 

順打ちのコースを反対に巡ること。

小説「死国」で有名になったように、順打ちの三回分の功徳があると信じられてきました。

順打ちに比べて、道しるべ等が少なく迷う事も多いらしいので、

三倍ぐらい大変なのだろうと思います。

僕は三人しか逆打ちのお遍路さんに会いませんでした。

順打ちでも、日程や道順の都合で、何ヶ所かのお寺を逆の順番で打つことが多々あります。

 

区切り打ち:

いっぺんに八十八ヶ所を回るのではなく、

何回かに分けて、何ヶ所かずつお寺を巡っていくことです。

まず徳島県にあるお寺だけを回るというように、

県ごとに回るのを一国打ちと呼びます。

 

結願(けちがん)、または満願:

四国八十八ヶ所全てを回り終える事。

霊場めぐりがしめくくられたことをあらわし、仏やお大師さんへの

祈りが完了したことをあらわす。

順打ちの場合は八十八番大窪寺となります。

基本的に、四国遍路はどのお寺から始めてもいいので、

どのお寺も満願寺となり得ます。

満願したお寺では、菅笠、金剛杖を納める人も多いようです。

満願後は、その直後、またはしばらく休んでから、

お礼参りをする風習がありますが、いくつかの方法に別れます。

高野山へ行って、奥の院へお礼参りが基本ですが、その前に、

10番から1番のお寺に顔を出してから、高野山へ行ったり、

1番寺だけに詣でてから、その足で高野山へ行ったりと、

その人それぞれです。自分が納得いけば、どの方法でもいいみたいです。

 

お接待:

四国遍路をしている人達への無償の親切のこと。

それは、お金や食べ物であり、一夜の宿、車に乗せる事などです。

しかし、道中のアドバイス、笑顔の挨拶、そして注意の言葉なども

すべてお接待だと思い、感謝をして回ります。どんなお接待でも、

優劣をつけたり、自分の都合で断ったりしてはいけない、と言われました。

たとえ10円のお接待でも、または二食付きの宿の提供でも、

同じ気持で感謝をするのが、おへんろさん。お接待を受けるのもお接待。

こんな文章を見ました。

「お接待は自利の行為。しかし、利己主義的なものではなく、

唯識の思想などに見る、自分と他者とは区別が無い、

同じものであるとする「一如」の考え方や、

菩提薩多の薩多が意味する、他者を内側に内包する

自分、自分を内側に内包する他者、という概念が根本にあるのかもしれない。

ボランティアが意味する、真に無償の行為とは、別なもののように思われる。」

こんなに、小難しく考えなくとも、四国の人のお遍路さん達に対する、

昔ながらの親切心と信仰心に基づく風習なんでしょう。お遍路さんを

お大師さんと同等に考えていたとも聞きますし。昔の飢饉などの時、

自分達が飢えても、お遍路さん達を生かして巡らせた、という記録も

あるそうです。

 

納札(おさめふだ):

「天下泰平」、「家内安全」、「奉納八十八ヶ所霊場順拝同行二人」という文字と、

お大師さんのお姿が描かれたお札。それに日付、自分の名前と住所

を書いて、お寺で納めていく。本堂と大師堂に一枚づつ。

亡くなった方と共に回る時は、その方の名前を書き一緒に納めながら回るそうです。

四国を何回巡ったかによって札の色が違ってくる。

白(1〜4回)、青(5〜6回)、赤(7〜24回)、銀(25〜49回)、金(50回以上)

百回以上は錦札です。

誰も聞いたことないと言いますが、僕は最後には白札に戻る、と聞いた覚えがあります。

お接待を受けたら、その人とその方と縁がある方々のことを祈り

一枚渡すのが今でも習わしになっています。

昔、遍路は修行者、苦難に喘ぐ者、または自ら苦難を求める者でした。

そのような者から直接もらう納札は、絶大な霊験と力が宿っている

と考えられていたようです。大切にしまわれたり、貼られたり、田畑の竹竿にはさまれ

て置かれたり、燃やして灰を飲んだりということも伝えられているらしいです。

今でも、お遍路さんからもらったお札は大切にされます。

お店をやっている人なら、店の目立つ所に貼ってたりしました。

よく聞いたのは、お札をもらった人には、そのお遍路さんが八十八ヶ所を回った

のと同じ功徳があるという事。

 

お納経:

四国遍路のお寺には必ず納経所がある。

本堂、大師堂、参拝後に行くと、納経帳や判衣、または掛け軸に、

朱のハンコを押してくれ、梵字、本尊名、そのお寺の名などを墨で書いてくれる。

岩屋寺でもらった紙にこんな事が書いてあった。

「お納経は美術品や趣味のスタンプ収集ではありません。

お参り下さったあなた御自身が心をこめて御本尊様に納められたお経を、

確かにお取り次ぎさせていただきます、との住職の受け取り証印です」、と。

 

 

四国遍路の元祖、衛門三郎の話:

昔、荏原(えばら)の郷(ごう)に衛門三郎という者ありけり・・・そこから話は始まる。

衛門三郎は、強欲非道な商人で、信仰心のかけらも無く、儲けても人に施す事が無かった。

そこへ一人の修行僧が訪れ、托鉢をした。衛門三郎は、そんな汚い坊主にやるものは無い、

と追い返した。しかし、修行僧は次の日も、その次の日も衛門三郎の家を訪れ、

喜捨を乞う。とうとう衛門三郎は、その托鉢のお椀を取り上げ、地面に叩きつけ割ってしまう。

それ以降、その僧は姿を見せなくなった。しかし、少したって、衛門三郎の八人いた子供達

が次々に様々な理由から命を落としていき、ついには八人の子全員が亡くなってしまった。

衛門三郎は、その時初めて、自分のそれまでの人生を反省した。

そして、四国を巡って修行をされている弘法大師という偉いお坊さんの話も聞くことになる。

衛門三郎は、自分がいつの日か、一人の修行僧のお椀を割ったことを思い出し、

その修行僧がその弘法大師、その人なのではないかと考えた。そして、

どうしても、一目お会いしてお詫びをしたい、と考え、自分も四国を

回り始めたのだった。しかし、何度四国を巡っても、お大師様には会うことができず、

ついに四国を反対に巡ることにした。それでも、お大師様には会えず、とうとう衛門三郎の

命が尽きる時が来る。道端で死を待つ、三郎の前に、いつか見た修行僧の姿。

三郎は、その修行僧に一心に詫びた。弘法大師は、「お前の行いは全て許された、

来世に何か望みは無いか」という。三郎は、「今度生まれてくるときは、

松山のお城の城主になりたい。そして多くの人を助けてあげたい」。

弘法大師は、「分かった、その願い聞き遂げよう」、と三郎の

手に一つの石を握らせ、その死を見取った。そして、ほどなく、松山の

お城に赤子が生まれた。しかし、その赤子、手を握ったまま開かない。

やっと開いた時には、そこの一つの石が握られていた、と。

今も、その伝説に由来して、松山には石手寺というお寺がある。

 

ちょっと長くなりましたが、僕が覚えているのは、そういうことです。

衛門三郎は四国遍路の元祖として、四国中に祭られていました。