林さんのこと

 

林さんは211日(歩き始めて13日目)に禅師峯寺で会った72歳のおじいちゃん。それから、三日間道連れになった。僕がお参りと納経を済ませて山を降りようとした時に林さんはちょうど階段を上がってお寺に着いた所だった。こんにちはー、と挨拶すると「もうおりるんかー?すぐ終わるから待っててもらえるか?」と言う。いいですよ、と僕は林さんの参拝を待っていた。ベンチに座ってそのお寺の庭を見てると、石に刻まれた空海の句があった。

 

「木の枝に 思いを残し はらはらと落つる木の葉よ 秋をうらむな」

 

林さんはお参りを済ませると、納経せずにお寺を出ようとした。納経はいいんですか?と僕が聞くと、「いいんだよ、前に回った時に納経したから」

 

林さんと話しながら歩いた。香川県善通寺市で金物屋さんをやっていて、おじいさんの代からお遍路さんをただで泊めて食事を出す「善根宿」をしているとのこと。僕も善通寺に行ったら泊めてくれると言う。今回の遍路は、妻が去年亡くなり、その時「お父さんと、もう一度四国まわりたかったわー」と言い残して逝ったので、供養とその願いを叶えるために歩いているのだと言う。奥さんとは10年前に車で回ったそうだ。

 

そんな話を聞きながら歩いて、種崎から長浜までの渡しに到着。もう船が出発というぎりぎりに待合所に着いて、乗り込む。風が気持ち良かった。10分程の船の旅。渡しは昔からの遍路道だそうだ。

 

この日、雪渓寺の通夜堂(お寺がお遍路さん提供している野宿用の小屋の事、最近はめっり数が減ってしまった。お遍路さんが火事を出してしまうなど、マナーが悪くなって来て、お寺も止めざるを得ないという事情も聞いた)で泊まる為、途中のスーパー夕食を購入。林さんは慣れた感じで、朝食分も買っていた。雪渓寺で、お参り、納経を済まし、納経所のおじいさんかおばあさんか分からない不思議な住職さんのお話を聞いた後、通夜堂へ行く。

 

林さんと話しながら、食事を済ました。善根宿をやっているだけあって、お遍路の情報が豊富だ。「四国遍路ひとり歩き同行二人」の地図を見ながら、どこのお寺に通夜堂がある、とかどこで野宿が出来るかとか、野宿をするべきでない場所など、いろいろ教えてくれた。そうこうしているうちに、もう辺りは暗くなってきた。そしてかなり寒さを増してきた。ここら一帯は、盆地になっているせいで、高知でも特に寒い所だとの事。夏でも、雪が残っているから雪渓寺。林さんは早々と寝袋の中に入り、毛布を回りに巻いて、その中で文庫本を読み始めた。僕も寝袋に入って寝る準備。まだ、7時にもなっていなかったと思う。

 

いつの間にか寝てしまっていた。朝五時、寒すぎて目が覚めた。林さんは4時半には起きて本を読んでいたらしい。僕は、昨日の残りの納豆一パックを食べて、朝の太極拳。そして出発。林さんは、奥さんと10年前に通った道を一歩一歩噛み締めるように歩く。このお地蔵さんは見たことあるぞ、この橋を渡った覚えがあるぞ等と言いながら。「遍路は社会の一番下にいる経験だなぁ。終わったら、何かが変わっている。自分が歩いていたときに、生かされていた事に気づくし、少し人に優しくなれる。人生の岐路に立った時に選ぶ道が自ずと見えてくるんだろうね。」林さんはそう言ってた。途中で、僕が寒い寒い言っていると、自販機で缶コーヒーを買って持たせてくれた。

 

種間寺で参拝。納経所で、掛け軸を乾かすドライヤーがあったので、かじかんだ手を暖めてたら、納経所のおじさんに怒られた。ここで、一旦、林さんと別れた。近くに知り合いが居るので立ち寄ってから、次の清瀧寺に向かうとのこと。

 

清瀧寺は山の上にあった。境内でみかんを売っていたおじさんに一袋のみかんをお接待して頂き山を降りていると、下から林さんが歩いてきた。手には、みかんの詰まった袋が。二人で、座り込み、一生懸命みかんを食べた。僕は十個は食べたな。そこで、また林さんとは別れて、トンネルを避け、竹林がカラカラを音を立て、鳥の鳴き声が響く塚地峠を越えて、36番寺青龍寺へ。

 

青龍寺に着くと何故か、林さんが居た。「なんでここにいるの?」と聞くと、「バスに乗って来ちゃったー」、と照れ笑いする林さん。もう一人、参拝の終わった田中さんというおじいちゃんも交え、三人で、青龍寺奥の院近くにある、国民宿舎土佐へ向かった。林さんと僕は、歩き遍路だけの特別ルームに泊まった。二段ベッドが三つあり、少し狭いが、その分2500円で泊めてもらえる。この国民宿舎のオーナー池上さんは、小さい頃から、近くに住んでいて、お接待するのが趣味だったのだと言う。それが高じて、つぶれそうになっていた、この国民宿舎を買ってしまったのだと言う。お遍路さんに対する細やかな気遣いが、溢れる素晴らしい宿だ。室戸岬も見える露天風呂。僕が二回目の風呂から帰って来ると、林さんはもう大きないびきをかいて寝ていた。部屋には、赤井さんという方。自然保護協会で自然観察の仕事をしているという。誰も踏み込まない山の奥に熊の観察などに行ったりするという。その仕事で必要なのは「体力、気力、慎重さ、そして自然と自分自身に対する謙虚さ」だと言っていた。自分に対する謙虚さ、という言葉が印象に残った。

 

朝、林さんと、一般料金の部屋に泊まった田中さんと僕の三人でチェックアウトして国民宿舎を後にした。その時、オーナーの池上さんが自ら握ったおにぎりを二個ずつ持たせてくれた。赤井さんとは、またの再会を約束して別れた。

 

スカイラインと言う、車道を三人で歩く。70を超えたおじいちゃん二人の真中を歩く僕は水戸黄門の年齢逆転バージョンといった所か。途中の休憩で、池上さんのおにぎりを食べた。

 

山を下って歩いていると、一人のおばさんが僕達三人を呼び止める。お接待のようだ。田中さんは、一人先を行くという。せっかくだから寄っていこう、と誘っても、聞かなかった。前回のお遍路も30日ちょっとで回ったと自慢下に話していた田中さんに僕は少し抵抗を覚えていた。お遍路で早くお寺回ることやたくさんのお寺を巡る事に意味は無いと思う。遍路そのもの、その過程でのいろんな人、動物、植物、モノとの出会いをみすみす逃すのはもったいない。

 

林さんと二人でそのおばさんの家に行き、縁側に座って、たくさんのお接待を受けた。正木マサ子さんという方で、この方もお接待でお遍路さんと触れ合うことを心から楽しんでいるように見えた。おにぎりも作ってくれて、5個ぐらい食べたかな。漬物や果物なども出してくれ、かなりお腹一杯で出発。出発する時、袋いっぱいのみかんとポカリも持たしてくれた。

 

林さんがタバコを買っている間に、僕はゆっくりと歩いていったら、

イチゴのビニールハウスの前で呼び止められ、両手一杯のイチゴのお接待。腹いっぱいだったけど、甘くて本当においしかった。追いついた林さんにも食べてもらった。

 

二人で、「今日は特にお接待が多いね。もうなにも食えないな、今度お接待に呼ばれたら、丁寧に断ろうね」と言いながら歩いていると、急に一台の車が止まって、文旦というでっかいグレープフルーツみたいな高知の特産みかんを一個づつくれた。その車を見送った後、林さんと爆笑した。さすがに、これは食べれない。しかもリュックにも入らない。二人で手に持って歩き始めた。休憩中に通りかかった、コリー犬と散歩中のおばさんにあげたら喜んでくれた。重いみかんをもらってくれるのもお接待。

 

その後、少し歩いて、須崎駅に到着。林さんはそこで打ち止めだ。

夫婦で80回以上もお遍路をしているという高知の山奥、仁淀村に住んでいる岡本さんという方を訪ねてから、善通寺市に帰るとのことだった。「善通寺に来たら、絶対に寄りなさいよー。お寺の人はみんな私の事知っているから、聞いて訪ねて来なさいよ。南大門の裏の通りだからねー。」と林さんは最後に言ってくれた。

 

 

そして、林さんと別れて三週間後の36日(36日目)、僕は善通寺市に着いた。お寺の人達に林さんの事を聞いた。誰も知らなかった。商店街を歩いたり、

電話帳で、金物屋さんを調べたり、金物屋さんに入って、近くに林金物店というお店があるか聞いたりもしたが、駄目だった。

 

結局、その日は、追いつき追い越しで何日か道連れだった、13回目の四国遍路をしている高井さんと一緒に彼が知っていた善根宿に泊まった。一軒家をお接待でお遍路さんに貸しているという所で、風呂も入れた。

 

そこで、高井さんに林さんの事を話すと、明日の朝、もう一度探しに行ってみようという事になった。でも、不思議な事に、林さんからもらった、住所も書いてある納め札がいくら探しても無い。家に送り返した物のなかに紛れているかもと思い、実家に電話して調べてもらったが、見つからなかった。しょうがないので、林さんと泊まった、国民宿舎土佐の池上さんに電話して、宿帳を調べてもらった。住所が分かった。「善通寺市南町2-26 林一義」池上さん、親切にも104で電話番号を調べてくれた。でも、届出がないという。変だなぁ、と思いつつその日は床についた。

 

朝、起きて、まず内子の山下さんに勧められた、善通寺の階段巡りに行った。大師堂の地下の真っ暗闇を手探りで歩くというもの。高井さんは来なかったので、一人地下に降りていく。本当に正真正銘の真っ暗闇だ。左手で、壁をつたい歩く。怖さが、ピークに達しかけた時、明るい場所に出た。そこには、お大師さんがまつられていた。合掌して、また暗闇へ進む。今度は落ち着いて歩けた。南無大師遍照金剛いつの間にか、階段巡り終わっていて、最後は物足りなかったくらいだった。

 

階段巡りを終えて、大師堂を出、高井さんと合流し、林さんの家探しへ。

まず、南大門から始めた。どっちが二丁目だろう。とりあえず歩く。三丁目だ。結構歩いても三丁目から抜けないので、一旦門まで戻って方向を変えてみる。すると、今度は一丁目だ。今度は一丁目が続く。二丁目が見つからない。しょうがないので、お店に入って、二丁目を聞いてみた。そこのおばさん、ちょっと首をかしげて、周辺地図を持ってきてくれた。三人で、二丁目を探したが、地図でもなかなか見つからない。そして、やっと見つけたと思ったら、そこは自衛隊の敷地だった。謎は深まるばかり。自衛隊に行ってみた。イヤーな雰囲気。「なんじゃ、こいつらは」みたいな感じで見られる。結局、僕は林さんの家を見つける事は出来なかった。

 

国民宿舎の池上さんや、一緒の部屋に泊まった赤井さんに電話した。二人は僕と一緒に林さんと話をした方々だったから。二人も釈然としない様子だったが、「まぁ、四国ではそんなこともあるさ」という所で話は落ち着いてしまった。

 

もう会えないと分かった途端に、林さんが僕に話してくれた事、その立ち振る舞いが、ありありと思い出された。今でも、日がたつにつれて、林さんとの会話、言葉がいろいろと思い出される。身の上話は今となってはどこまで本当だかは確かではないが興味深かった。

 

林さんは、実は早稲田の法学部出身。縁故もあり、徳島県出身の大物政治家(中曽根達の親分だそう)の第一秘書をしていたという。しかし、汚職の罪を着せられ、 奥さんと東京を逃げるようにして、地元香川の善通寺に帰ってきた。奥さんは、新潟の高田出身。僕の両親が新潟出身だというと、「兄ちゃんとはなにかと縁があるなぁ」と喜んでくれた。

 

「日本は一回ぶっつぶれてしまわないと、底力が出ないだろう」とも言っていたな。

 

林さんとの会話で一番印象的なもの「わしはな、善根宿長い間やってきて、人の目をみれば、その人の徳の高さが大体分かるようになったよ。」「え、じゃぁ、僕はどう」と聞くと、「兄ちゃんはなぁ、普通の人だな」「えー、普通かぁ。なんか面白くないな」「でもな、兄ちゃんがそのまま普通のままで生きて行けたら100点満点。良い人間になろうとか、悪くならないようにしようとか、あまり考えず自然体で生きなさい。」

 

林さんは嘘をつくような人に見えなかったし、実際僕に嘘をついても何の特にもならないだろう。林さんは誰だったのだろう?身元を隠して放浪している旅人か、ボケたご老人だったのか、それともお大師さんか。どなたであろうと、僕にお遍路と生き方のアドバイスをくれ、一緒に感動と笑い溢れる道中を過ごした林さんは実在したし、遍路の道中の道しるべとなっていた。そして、これからもそうだろうと感じる。