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おへんろ日記

2002年1月29日〜3月11日まで

 

 

徳島県(阿波ノ国)『発心の道場』23札所 約210km

高知県(土佐ノ国)『修業の道場』16札所 約408km

愛媛県(伊予ノ国)『菩提の道場』26札所 約365km

香川県(讃岐ノ国)『涅槃の道場』23札所 約163km(林さんのこと

 

 

 

 

徳島県(阿波ノ国)『発心の道場』

 

一月二十九日(四国到着!)

三泊四日の永平寺参禅体験を終え、すぐ四国へ出発。夕方、徳島県板東駅に着いた。宿を取って居なかったので、まずは野宿することにした。板東駅は片方にだけドアが着いているだけで、夜は冷えそうだ。駅には、窓からボーっと外を見ているおじさんが一人。話を聞くと、会社にリストラされて、家、家族、お金を全て失ってお遍路になったのだと言う。リストラ遍路が増えていることは聞いていたけれど、いきなり会うとは・・・。

近くのスーパーに夕食を調達しに行く。スーパーのおばさんからバナナのお接待。

初めてのお接待だ。お接待とは、四国の方の昔からの習慣で、お遍路さんへの無償の親切の事。それは、食べ物、一夜の宿、車に乗せること等様々な形でお遍路さん達を励ましています。

「最近は、悪いお遍路さんも多いから気をつけてねー。でも四国の人は優しくしてくれるよー」とスーパーのおばさん。駅に戻って、リストラ遍路のおじさんに一本あげたら、「今日はじめての食事だ」と言ってすごく喜ぶので、もう一本食べてもらった。本当はチョコも持っていたのだけれど、おじさん歯ブラシ持ってなさそうだったので、しまって置いた。散歩中のおばさんが駅に入って来て話を始めた。キャッキャ、とよく笑う、楽しい人だった。この駅の待合室の座布団は、おばさんが置いたそうだ。夏は、この板東駅、野宿遍路でいっぱいになるとのこと。最近、一番寺から十番寺にかけて、野宿遍路の荷物を盗む、バイク夫婦が出没することや、八十八番寺の宿坊は、ポルターガイストが起こるとか、怖い話をキャッキャとした後、散歩に戻っていった。

それにしても、寒い。

 

一月三十日(一日目)

五時四十五分起床。目覚ましもないのにすっきりと目覚めた。でも特にやることは無い。満月が空に浮いていたが、東の空はもう明るみ始めていた。自然はいつでも応援してくれてるなぁ、と思う。

さぁて、一番寺霊山寺からスタート。そこのお寺で掃除をしている尼さんが、お経の読み方や遍路の作法を教えてくれた。お大師さん、弘法大師空海をあつく信仰しておられていた。実家は曹洞宗で、永平寺に参禅したこともあるという。お母さんが亡くなった時に、自分が四国を歩いた時の金剛杖を棺桶の中に入れたのだと言う。結婚をしなかった娘からの精一杯の孝行だった、と。

その尼さんに、また最後に戻ってくるからねー、と言って歩き始めた。程なく、二番寺極楽寺に到着。まだ朝早いので人も少なく、お遍路作法の練習が気兼ねなく出来た。お寺の出口に袋に入ったみかんが百円で売っていた。すっげー、うまい。ちなみに無農薬。一日目にして、ちょっといい考えが浮かんだ。歩くこと、お参りすることに功徳があるとすれば、それはお遍路を終えた時ではなく、かけがいの無い「今」のこの満ち足りた気持ちなんじゃないか、と。一つ一つのお参り、一歩一歩の歩みを大切にしていこうと思った。それにしても荷物が重い (お遍路の荷物参照)。

三番寺金泉寺。リストラ遍路のおじさんが出口で物乞いをしていた。挨拶をして次の寺へ向かう。昔ながらの遍路道が残されていて、田んぼ道、山道、竹林など、とても気持ちが良かった。戦時中に隠れて桑を育てて居たという場所が残されていて、その苦労を思った。大日寺への途中、遍路の道しるべが無くなり、引き返したり、犬と遊んだりしながら、ちょっと予定より遅れて到着。

その日の目標十番寺まではちょっと無理そうだと思った。五番くらいにしとこっかなぁ、と思ってしまった。そうこう考えているうちに、五番寺地蔵寺に着いた。バスでたくさんのお遍路さん達も着いた。「えらいわねぇ」と僕に声をかけてくれる人も居た。本当に歩いている方が偉いのか考えてみた。もし遍路に功徳があるとすれば、どれだけ苦労したかより、どれだけ感謝を感じながら回れたかによるのだろうと思った。歩くと、そのゆっくりと変わる景色、途中の小さなお堂、古い神社、怖くなるようなご神木、犬達、様々な人達、等など、多くの出会いがあり、より多くのそして大きい感謝の念が起こることは確かだと思う。

さて、一休みもしたし、いざ六番寺へ。途中、お腹が減ってどうしょうもないので、道端の駄菓子屋に寄った。誰も出てこなかった。でも中の部屋からいびきが聞こえるので、大きな声で何度か呼ぶが、駄目。犬がこっちを見るだけ。ただ豆菓子の袋を一つ買いたかっただけなので、犬に払ってもっていこうかと思ったが、十善戒(お遍路中に守るべき十の教え)の一つ「不倫盗(ふちゅうとう)」= 「人のものを盗むな」というのに 一日目にして反してしまうな、と思い、しぶしぶ店をでた。そして歩いていたら、また道を間違えていたようだ。バイクのおっちゃんを止めて、道を聞き、歩いていると、「お好み焼きどん底」という看板が目に入った。まぁ、腹はペコペコだけど、どん底ってわけでもねーけどな、とか思いながら、足は自然にそのお店に向かっていた。ここが素晴らしかった。

店のおばちゃんと少し話しをしてから、おでんを食べることにした。するとおばちゃん「ご飯もつけようか?」。お願いすると、ご飯どころか、つけもの、お吸い物、サラダ、お茶、そして極めつけは、夕食用の弁当までつけて頂いて、おでん代の五百円だけ。感謝、感謝。七番寺十楽寺の駐車場に廃車バスがあり、そこで野宿できるという情報も頂いた。

六番寺までに道すがら、雨が降ってきた。交番に入れてもらってポンチョを被り、歩いた。安楽寺に到着。お寺の納経所が閉まるのは五時。ぎりぎりだった。菅笠はバックパックに引っかかって邪魔になったので、このお寺に奉納させていただくことにした。納経所の方は快く承諾してくれた。そして、山門の二階で野宿していいよと言ってくれた。でも、十楽寺に向かうことを告げ、お寺を出た。そこで、あのリストラ遍路のおじさんに会った。「早いねー」、と言うと、なんと自転車を盗んでそれに乗って来たのだという。「俺が、豆菓子をがまんしたっつーのに、このおっちゃんは、まったく、お遍路さんとは言えんぞー」、と怒るのも十善戒の「不瞋恚(ふしんに)」に反するので、何も言わない事にした。三番寺で物乞いをしていたおっちゃんは本当にみすぼらしかった。山門で野宿できることを教えて案内し「また、お会いしましょう、がんばってねー」と別れた。

次の七番十楽寺にはすぐ着いたが、雨の中いくら探しても廃車のバスなんて見つからない。寺中に野宿できそうな場所を探す。山門の上に上がれたので行ってみると、観音様が千体くらい居て、とても眠れそうにない。十楽寺に電話するとバスは工事の為に取っ払ったのだと言う。今日そこに泊まる予定だったことを告げると、うーん、うーんとうなりながら、宿坊の玄関で良ければと、案内してくれた。すると考えを変えてくれたみたいで、「火の元さえ注意してもらえれば、宿坊の中で寝てもいいよ」と言って、宿坊を開けてくれた。火の元の注意を十回ぐらいした後、お寺の人は帰っていった。後で、お寺が善意でお遍路さんに提供している宿坊や善根宿の建物を、タバコの不始末などで焼いてしまうという事件が多いと聞き、今ではそのお寺の人が口をすっぱくするのも分かる。

それにしても、一人の宿坊はかなり怖かった。特にトイレ。「どん底」で頂いた弁当をありがたく頂く。これがなかったらその日は食べるものも無かっただろう。食べている時、ふと納経の時にもらう本尊の御影(おすがた)を六番寺でもらい忘れたのに気づき、次の日の朝、取りに戻ろうと考えた。

四国の優しさを感じた日。お経もたくさん唱えた日。それにしても、トイレ行くのが怖かった。

 

一月三十一日(二日目)

五時五十分に起床して六時半、六番寺へ引き返すため出発。七時前に、六番寺に着き御影をもらって、また七番寺に出発。空が、オレンジ色、ピンク色、そして薄い青へと変わっていくのを見ながら歩いた。遠くの山々はまだ霞んでいた。少し歩いて、靴ずれしていることに気づいた。気にしないように歩いた。七番寺には一番乗りで本堂と大師堂にお参りをした。

正式な参拝方法では、お経の最後に、自分の先祖、そしておじいちゃん、おばあちゃん、両親、兄弟、親戚、そして友達など他に縁のある方々、そして最後に自分のお願い、お祈りをする。この時、自分が今、そこにいることの不思議さと、様々な縁によって結ばれていることをあらためて考えさせられる。縁を辿って祈っていくと、だんだんその縁は大きくなって、家族から始まる縁は、日本、世界、地球、宇宙へと広がっていく。それが、この「かたち」でお祈りすることの意味だろうか、と思った。

八番札所熊谷寺までの道中、靴ずれがどうしても痛くて右かかとにパットを張ったらだいぶ楽になった。九番札所法輪寺までの道はゆるい下りで、楽だった。境内のベンチでポカリを飲んでると、一人のおじいちゃんが、ひょこひょことこちらに歩いて来たので、あいさつを交わした。この方、少年の様な目を持つ素晴らしいおじいちゃん。いろいろお遍路のアドバイスや、お話をして下さった。結局、三、四十分話こんでいただろうか。

「自分の目線で四国を歩いてみろ。背伸びして歩くなよ」

「仏と神は、両方とも大切なんよ。神仏一体だな。人間も前には神がいて日常で戦い、後ろには仏がついていて守ってくれる」 「出来るだけ苦労して回った方がいいよ」 「全て回ると、ものすごい満足感が生まれる。それはいつまでも胸に残る。そして、それが動かないようになる。不動心への一歩だな。善悪の区別もしっかりつくようになる。」 「四国は、不思議な所じゃ。いやしの道だということを身を持って知るやろう」

「徳島を出るまで、絶対に二十五キロ以上歩くなよ。そうしないと、高知に入ってから膝を壊すぞ。」 

四国の道にも詳しいので、「何回も回っているのですか?」と聞くと、にっこりするだけ。僕が何を言っても、あまり取り合ってくれない。「まぁ、四国を回ってきなさい。」と言うだけ。別れ際、素晴らしい話施のお接待でした、と納め札を渡した。 おじいちゃん最後に、「気いつけてな、バイバイ」だって。法輪寺を出て、歩き始めるとコンビニがあったので、ジーンズや、パンツ、靴下などを実家に送り返した。明日の「遍路転がし」と言われる難所の前に、出来るだけ荷物を軽くしたかった。

十番寺切幡寺は山の上。麓の「金山商会」という巡礼用具のお店で杖につける鈴を買ったら、「荷物を置いて言っていいよ」といわれたので、お言葉に甘えた。登り始めるとかなり階段があることに気づいた。参拝後、降りるときに走ったのが、後々膝にきた。

十番から十一番、これがまた遠かった。でも、今になって後半の事を考えると、一日の内に着いてしまう距離を遠いと思っているのは甘かった。膝は痛いし、足の裏はじんじんするが、景色は最高だった。雲間から光が降り注いでいたり、大きな川に昔使われていた渡し舟があったりして。

ちょっと道に迷っていると、散歩中のおばちゃんが、道案内してくれるという。おばちゃん、いつも歩いている散歩道から外れて長く歩いてくれた。国道192号線を横切る時、「いつもはこんなにすんなり渡れんよ。五分くらい待ってから、車を見計らって渡るんよ。今日はお大師さまのお導きかしら」と言っていたのが印象的。お大師さんへの信仰は、その後もさらりと四国の人達の口から漏れ聞こえて来た。

十一番寺藤井寺のすぐ横にある、ふじや旅館には四時半頃着いた。荷物を置いて自転車を借りて町へ出た。気を引き締めようと、白装束が欲しくなったが、その代わりに白いズボン、白いフリースを買い、明日の朝食と昼食の為にパンとおにぎりも買った。近くにあった電気屋さんで十分間インターネットを借りて、メールチェックなんかもして旅館に戻った。風呂は一人占め。納め札(お接待を受けた時に渡したりお寺で奉納したりするお札)を書いて、日記を書いて就寝。明日は早く起きなければ。「遍路ころがし」と呼ばれる、四国遍路最初にして最大とも言われる有名な難所だ。ここで挫折するお遍路さんも多いと聞いていた。

 

二月一日(三日目)

この日は、確かに辛かった。さすがに「遍路ころがし」。本当に二回転がった。一回目は雪道で。二回目は下りの凍った道で。二回目は思いっきりこけて、危なくそのまま滑っていきそうだった。途中でなんとかこらえたが、それにしても辛い坂道が続いた。山道にはたくさんのお地蔵さんが並び、木には応援のお札がくくりつけられている。「がんばって、がんばって」とか「もう一息」、「今日一日を大切に」「歩ける幸せ」「痛さ、苦しさ、それらに感謝」「同行二人」などと書かれたお札に心底元気づけられた。

十二番寺焼山寺に着くまでには、山を二つ越える。藤井寺から焼山寺までの山道のちょうど真ん中には、柳水庵がある。まず柳水庵奥の院に着いた。小さいお堂で、中をちょっと覗くと暗くて怖い。そこからちょっと歩くと、朽ち果てた大きな老木が、まるで二本の足で立っているような格好で立っていた。その老木の横には、その孫のような小さい朽木があり。それもまた二本足で立っているように見えた。悠久の時と空間を散歩中の二人。そして振り返って進もうとすると、今度はそこに口を大きく開けて叫んでいるような形の木が生えていた。とても苦しそうな木だった。

柳水庵に着いて、ベンチで休んでいると、庵から優しそうないいお顔のおじいさんが出てきた。柳水庵という名は、お大師さんがその場所で杖を一突きしたら水が湧き出したという話に由来すると聞いていたので、その場所を教えて頂いた。そこで、水を汲んで出発。それにしても、四国の人は話し方がゆっくりな気がする。そして丁寧な応対をしてくれる。電話のベルが鳴っても、ゆうゆうとしていて、ゆっくりと歩いていって、ゆっくりと取る。時間の流れがゆっくりとしているみたい。

柳水庵からの道は、まずゆるやかな登りと下りが続いた。途中の山道で遠くの山々が見えた。立ち止まって音を立てずにいると、自分の心が薄くなっていくような気がした。中国の魔岩寺の裏山で感じた、あの感じ。二年前のあの時は、一緒に行った大学のグループからはぐれて、一人で歩いていた。とても暑い日で、セミがジンジン鳴いていて、目の前には絶壁の山が見えていた。そこで、僕は嬉しい、悲しい、寂しい、楽しいなど様々な感情に襲われた後、それら一切の感情が薄れていくような気がした。我に返った後は、ただただ目の前の荘厳な自然に感激した。そんな感覚をまた味わいたかったのも、歩きで四国遍路をする動機となっていたかも。

一本杉庵に立ち寄った。大きく立派な杉があり、その前にお大師様の像。階段を上っていくと、急に大きな大師像が現れるので、一瞬面食らう。この日は、お大師さんの身代わりだという金剛杖に、山道かなり助けられていたので、感謝の念が溢れた。

お堂の前には一冊のノートが置いてあった。そこにはここ何年かの間にこの庵にたどり着いた歩き遍路さん達の言葉がびっしりと書き込まれていた。ほとんどの書き込みが、「もうすぐ焼山寺だ、みんながんばろう!」という後続への励ましや、ここまで登ってこれたことへの感謝が記されていた。中には「あ〜、えら〜」という京都の人の書き込みや、「今日寒いと聞いてきたら、そうでもない、ってゆ〜か、あつい!」という去年の三月頃の書き込みなど、笑えるものもあった。このぼろぼろのノートに書き込まれた、他人への思いやりと感謝の気持ちが、とてもとても大切なものに思われて、あったかい気持ちになった。四国に散らばるとても貴重な宝物。

先に進む。もうそろそろ焼山寺だろう。限界だー!と思いながら歩いていると、大きな川を越えた所に、「ここからが苦しいところです」とのお札が!。柳水庵のおじいさんの「ここから先は結構楽だ」という言葉は親切心だったのだろう。その言葉を信じて、そこまで歩けたから。

それにしても、辛い。特に足の裏と指の付け根から三センチくらいの所が痛い。息もあがる。「南無大師遍照金剛、唱えて歩けば涙流るる」という札が目に入り、唱えながら歩いてみた、唱えている間は少し痛みも忘れ無心で歩けた。そんなこんなで、十一時半、焼山寺到着。「ひとり歩き同行二人」の本には、藤井寺からの平均所要時間が六時間となっているから、七時出発で四時間半はまぁ上出来だろう。三十分かけて丁寧にお参りした後、おにぎりとパンを食べながら、その後、温泉の方に下る道を行くか、昔ながらの遍路道を行くか考えた。当然温泉でしょう。

途中の山道、幼木に話しかけられたように感じて一句。

「幼木の カサカサと呼ぶに振り向けば なんでもないよと首を振る」

おそまつさま。まぁ、これからも何度がつたない句が何個かでてきますがどうか温かく見守り下さい。

下りは、下りで太ももの筋肉が辛い。足の裏も限界だ。今日中に、二十七キロ先の十三番札所大日寺は無理だと考え、途中の旅館に素泊まりすることを考え始めた。ふじや旅館のおばちゃんの言ったとおり、大日寺は無理だった。

山の麓まで来て「干し柿、ほしいも」の看板が目に入る。藤井商店。中に入ってみた。ほしいもだー。おばあちゃんに挨拶すると、「休んでいきなさい、お茶入れるから」と。そのまま、そこに二時間居座ることになる。「もち食うかい?お菓子も食べる?たくあん切ろうか?」とありがたいお接待の洪水だ。ありがたく「頂きます」と言ってるうちに、もちも三つも食べて腹一杯になった。そうこうするうちに、近所のおばあちゃんも入ってきて、手に持っていた缶コーヒーと千円のお接待を頂いた。二人のおばあちゃんが焼山寺の話を始めた。十三年前に、酒好き女好きの前住職が、この近くのトイレでポックリ亡くなった話。そして、焼山寺の山の大蛇の話が面白かった。むかしむかし、あるきこりが、山に登って一休みしようと倒れた木に腰掛けたら、突然その大木が動き出したという。その大蛇を焼き殺すために、その山を焼いたのだという。それが焼山寺の由来。今でもその大蛇が焼山寺に祭られている。

いろんな話しを聞いて、二時半になり、そろそろと言って、ザックを背負っていると、藤川さんの息子さんが、三十分後に、近くの温泉に行くから乗っけてやるという。初の車のお接待の申し出で、歩き遍路としては、少しためらったが一番寺の納経所の方の言葉を思い出した。「車の接待の申し出もあるだろうが、その人が出来るお接待がたまたま車に乗せることだということだから、かたくなに断るべきじゃないな。もし、それを断るなら、他のお接待もすべて断るべきだな。お接待はたとえ100円だろうが車だろうが、優劣をつけたり選んだりするものじゃないよ」。という言葉もあり、結局甘えさせていただくことにした。それ以降も、車のお接待の申し出がある時は、結局全部受けた。幸か不幸か、一つ一つの距離は短かった。パトカーも含めて、お遍路中、全部で5回車のお接待をいただいた。

温泉に行くまでの三十分の間、また店の中で、おばあちゃん達と話していると、外のベンチに歩きのお遍路さんが休んでいるが見えた。久保木さんという福島の方で、定年退職されて遍路に来たという。同じ東北出身で意気投合したが、車のお接待は気持ちだけもらっておきますと、気合十分のおじさんだ。久保木さんとは、その後の何日間は追い越したり追い越されたり、一緒に歩いたり、と室戸岬まで何回も会った。

久保木さんと、話しているうちに、藤川さんの息子さんの仕事が一段落したというので、車に乗り込んで旅館まで送って頂いた。夜に日記を書き終わり、寝床に入って間もなく、短い夢の後、金縛りにあった。夢は、これからの長い道のりを暗示し、何かを伝えようとしているようだった。

夢:「僕は一人で暗く長い廊下を歩いている。すると、突然後ろから誰かが走って来る音が聞こえた。その姿は見えない。次の瞬間右手を強くつかまれ、引っ張られた。その人は、どこか異国の言葉でささやいているが、よく分からない。目が醒めた。」 

 

二月二日(四日目)

朝起きて、便所に行くと、気の利いた詠み人知らずの川柳が三つ貼ってあった。      

 

手を添えて外へもらすな黄金の露

君ならば露の雫も朝顔へ

急ぐとも、そっと手をそえ外へもらすな松茸の露

 

七時出発。

朝から、民宿あすかの、素泊まりの値段の高さにむかついてしまった。でもそのちょっとしたむかつきを感謝に無理やり変えてみた。「テレビ付のあたたかいお部屋に泊めていただき、しぶしぶながら温泉のタダ券もくれて、どうもありがとう」と。すると、心が整う。本当にすがすがしく出発できた。感謝は、される側ではなく、する側の為にあるのかなぁ。

午前中は、昨日のニュースの事などを考えながら歩いた。モーガンスタンレーの株価操作の話。日本の産業が空洞化し、抜け殻のようになっているとよく言われる。これから日本はどういう道を進むのか、進むべきなのか。僕は、もう、欧米の作った資本主義というパチンコ台に夢中になって、心と身体を擦り減らすのは、止める方がいいんじゃないか、と心底思う。日本には守るべき心がたくさん残っている。中でも、対になった最も重要な心。親切心と感謝の心。この二つだけでも、守っていければ、日本は大丈夫だと思う。いくら経済が落ち込もうが、助け合っていけるんじゃないだろうか。

田中真紀子更送のニュースもあった。僕は真紀子さんにちょっとは期待してた。女性が日本を引っ張っていく時代がそろそろ来て欲しいと思ってた。男から権力を奪って欲しい。それが僕達、男の為でもあり、これからの時代の為だと思う。自分の子のこと、孫のこと、そのまた孫のことまでを感じ、身体に内包する女性たちの感性に日本を任せたい。そう強く思う。こういう考え方を、エコフェミニズムと呼ぶのだと、どこかで読んだ。

そんな事を考えながら歩いていると、「放犬地帯」に入り込んだ。犬たちは吼えながらついて来る。対策を考えた、「一、放し飼いの犬を見たら、まず遠くから手を上げて挨拶。二、近づいて吼えてたら、どうした?と優しく声をかける。三、それでも吼えていたら、なんか食べ物を上げる。四、それで大抵は落ち着く。それでもまだ吼えながらついてくるようなら、徹底無視。」四国の犬の中には、大師犬を呼ばれて、お遍路さん達の道案内をする犬がそこかしこにいるらしい。僕は、遍路の後半に大師鳥に会うことになった。

午前十時、休憩。

休憩時間に、太極拳をしたら、すごい気の充実感でびっくり。何回も二十四式太極拳をした後のような感じ、それ以上だった。歩きが身体に及ぼす力の一端を見た気がした。しかも今日は朝飯も食べていないのに、身体が軽く、調子がいい。僕は世に「常識」とされることが嫌いなひねくれ者だけど、嫌いな常識第一位が、一日三食、三十品目を食べることが健康を保つという考えかた。朝ごはんを食べないと、不健康だと信じている人は多い。そういう僕も、アメリカにいる時に、菜食主義の友人のやっていた断食法を実践するまでは、そうだった。地球に浄化の力が流れているように、人間の身体にも常に浄化の力が流れている。その力は、食べ物を消化することに使われる力に相殺されると言われる。先進国では、不自然な食生活と、何より食べすぎが、様々な病気を引き起こしていることは明白だと思う。

この日、十三番寺大日寺、十四番寺常楽寺、十五番寺国分寺、十六番寺観音寺と歩き。十七番寺井戸寺近くの善根宿栄タクシーの二階に泊めさせて頂く。お風呂まで頂き、ありがたい。

栄タクシーの社長さんのお宅の離れの二階が善根宿になっていた。そこは今までたくさんのお遍路さんがお世話になったことを物語るモノがたくさん置いてあった。まず泊まった人達が代わる代わる書き込んだ何冊ものノート。感謝の手紙や送られてきた遍路日記などなど。その中で一つ読みふけってしまった冊子があった。「バウッダ」と題されたその冊子はタイで仏教修行の身だという藤川清弘(比丘チャンナワンソ)さんの書かれたもの。様々なお経からの抜粋と自分の体験が重ねられていた。

「ブッダによって、善く説かれ教えられた法は、自分で見るべきものであり時間をへだてず果を与えるものであり、来たり見よと招くべきものであり、自己の心に獲得すべきものであり、賢者にめいめい知られるべきものである。自ら教えを実践し、体験するべきものである」礼拝経

「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。快楽の味は短くて苦痛であると知るのが賢者である」法句経

「勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗を捨てて、安らぎに帰した人は安らかに臥す」法句経

「物事は心にもとずき、心を主とし、心によってつくり出される。もし汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車を引く牛の足跡に車輪がついていくように」法句経

「自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自分をよく整えたならば得難き主を得る」法句経

 

二月三日(五日目)

快晴で気持ちよかったので、国道ではなく昔ながらの峠越えをすることにした。地蔵院というお寺の手前で車が一台止まり、わざわざ一人のおばあちゃんが降りてきて100円のお接待。感謝。地蔵院の目の前の池を見ながら朝食の干し芋を食べ、また歩き出す。少し歩いて、ふと地蔵峠という旧へんろ道が復元されたことを思い出した。この、ふと思い出したり、ふと気づくというのが歩いていると妙に多い気がする。この忘れっぽい僕が変だ。歩いていると勘が鋭くなるのか、お大師さんのお導きか、はたまたお四国パワーか。なんにしても助かる。

地蔵峠には小川が流れ、小さい水車と獅子脅しがたくさんあり途中までは最高に気持ちのいい山道。途中までは・・・。途中から道沿いに不法投棄の山が目に入るようになった。古タイヤや大きなプラスチック製品、冷蔵庫などなど。「自然を汚すことは、自分の心を汚すことと同じ」、という立て札を見た。

午前中は、なんだかんだで、とても気分が良くて、口笛吹きながら歩いていたためか、いろんな人に話しかけられた。そして十八番寺恩山寺到着。山越えありの十八・八キロを四時間半は調子がいいほうだ。恩山寺の山を降りて立江寺へ。ここらへんから足が変。右足のアキレス腱が痛い。速度が落ちる。ついに足が止まる。また歩く。痛い。足の裏を見るとマメ予備軍のような水泡が・・・。今日は立江寺までと決める。お寺で通夜(素泊まりのこと)をさせてもらえるとの情報あり。あとひとふん張り。四キロくらいだ。

午前中のように口笛が出るわけでもなく、いらいらしていた。午前中とは打って変わって誰も話しかけてはこない。自分からも、挨拶すらしたくなくなってた。右足をかばいながら歩く。昨日の無理が響いたか。昨日は軽く計算しても30キロ以上歩いたみたいだ。法輪寺のじいさんに言われた言葉を破ってしまったんだ。「徳島にいるうちは二十五キロ以上歩くなよ、絶対。さもないと、高知に入って足をこわすことになる」と。ぼーっと歩きながら、道沿いのお地蔵さんを見るたびに、助けてー、と手を合わせた。ぼーっとしていたので、直売みかんの空き箱に手を合わせてしまったこともあったなぁ。

足を引きずりながらも十九番寺立江寺到着。きらびやかで立派なお寺だ。お寺に通夜をお願いすると、今の時期は行事で立て込んでいて駄目とか言う。十キロ先の金子屋という旅館まで行くしかないと。なにー、いらだちが頂点に達した。なんとか抑えて寺を出る。

納経所でも近くのスーパーでも泊まれそうな所が近くにないか聞いてみたが、「ここらにはないよ」とそっけないお応え。あと十キロは無理だ。途方にくれ地図を開く。すると、メチャ近くに一軒あるじゃーん。ちとせや旅館。早速電話すると、「素泊まりしか出来ないけど、三千円でいいよ」とのこと。ちとせやのおばちゃんと話し込んだ。今はちとせや旅館一つになってしまったが、昔は十三軒の民宿があったという。ちとせやも去年正式には旅館を止めたらしいが、今は素泊まりのみOKしているとのこと。民宿がつぶれていった理由は、立江寺が150人以上泊まれる宿坊を作り、民宿にお客が来なかったから。実際に民宿のお客を取ったりもしたらしい。

ちとせやでもこんなことがあったらしい。予約のあった団体客の為に夕食を作って待っていると、お客さんが全然来ないので、ご主人がお寺に行ってみると。そこにその団体客が泊まっていた。五人以上の団体の参拝客だと、他の民宿の予約があることを知ってても宿坊を勧めたそうだ。反対に一人二人の客はなんだかんだと理由をつけて断ったりするという。そういう僕みたいな客がちとせやさんに来るから、素泊まりだけで続けているのだという。

立江寺に高野山から嫁さんが来てから変わっていったのだという。お寺にも書いてあったが、何年か前に火事でほぼ全焼したが、その時、寄付が五億円以上集まった。ちとせやのおばちゃんによると、家事の原因は護摩だきの火の不始末だとのこと。そして全国に散らばった檀家さんと町の人から七万から十万円の寄付を要求したのだという。その時、寺の財産は一銭も出さずに再建したようだ。

自分達で火事を出し、寄付で儲けて宿坊作ってまた儲け、一人遍路は泊まらせない寺。それが、あの立派できれいな立江寺。四国遍路ビジネスの一端を見た気がした。ちょっとお遍路が馬鹿らしくなって、考えた。今まで僕が歩いてきて受けた無償の親切の事を考えた。お大師さんの心は、四国の人々の中に生きている、長い時を越えて。必ずしもお寺に生きているわけではないかもしれない。お寺がお大師さんの教えを守れないなら、歩き遍路の俺が守ってやろうじゃねーの、と少し熱くなった。

資本主義の片棒をかつぐ拝金仏教、拝金神道がこれからもはびこるとすれば、僕たちはそれら古い宗教によりどころを求めるのは難しい。新興宗教も同じだ。金儲けの匂いを感じたとき、人は冷める。今、癒しを第一目的とするはずの宗教と医療は、その役目を果たせなくなっている。新しい癒しの道ができるまでの間、僕達は自分の心、自分の身体は自分で守り、癒していかなければならないと思う。

実は、 熱くなったわりにいじわるなことをした。試しに立江寺の宿坊に電話して、明日予約出来るか聞いてみた。すると第一声が「何名様ですか?」。「三名です」と言うと、「それでは五時までにお願いします」という。なーんだ、やっぱり宿坊開いてるじゃん。「一人じゃ泊めないんですか」と僕が言うと、一瞬戸惑って「あ、五時までに入って頂ければ大丈夫ですけど」。「今日は僕一人で行って断られたんですけど」と言うと、「えーっと、今日は寺の行事をやっておりまして・・・」だって。ふ〜ん。

その後、明日の宿の龍山荘に電話する。素泊まりOKで、しかも「五百円でうどんと、ごはんぐらいは出すよー」、だって。やっぱりいいなぁ四国。

 

二月四日(六日目)

朝から空が真っ青で気分がいい。今日も元気で歩ける健康な身体、そして一日の疲れを癒す宿に泊まるお金。両親への感謝の念がふと素直に起こった。二十番寺鶴林寺は山の上。登りで疲れると宝号が自然と口にでる。「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」。でも途中で飽きたので、ジョン・レノンのイマジンを大声で歌いながら歩いた。「Imagine All the People Living Life in Peace」。宝号もイマジンも疲れをまぎらわせてくれる。そして、どちらもメッセージは根本で繋がっているんだろうと感じた。

二十一番寺太龍寺までも山道。かなりきつい。二つの山越えじゃーん、今日。二十一番寺太龍寺は「西の高野山」と呼ばれる重要なお寺だ。境内の石碑に、弘法大師曰くで始まる言葉が刻まれていた。

一、難行苦行とは、いかなる難をも難とせず、いかなる苦をも苦と思わず、道を切り開いて進むことなり。

一、家内円満はすべての事の第一歩なり、一家円満とは我を捨てて和をもって一同に仕えることなり。

一、人の振りを見て自分の心の悪を治せ。

一、人の心、自分の心、ともに担い助け合うべし。

一、何事に対しても誠意を持って当たるべし。人からは感謝の念で受けるべし。いかなる難の者、いかなる苦の者といえども、弘法大師はこの心に従う者を助ける。

また、他の石碑に。

一、小善を積んでお大師様に近づくのだ。(感情に溺れる人生を歩むな、心の窓を開き笑顔と優しい言葉を施せ)

一、向かい合う人をお大師様と思え。

一、苦悩を背負うときこそ背筋を伸ばせ。

山を降りて、龍山荘に到着。お風呂を頂き、仮眠して、夕食の時間。僕も含めて三人の歩き遍路が泊まっている。一人は、焼山寺の麓の藤川商店の前で話をした福島からの久保木さん。もう一人は、高齢のちょっと変わったおばさんで、名前も教えてくれない。「お遍路に名前とか昔のこととかを聞くんじゃないの。いろいろあるんだから、この年まで生きると」と少し怒られてしまった。お腹一杯食べさせて頂き大感謝。ここは携帯が通じなかった。

 

二月五日(七日目)

六時四十五分 龍山荘出発。八時二十分、二十二番寺平等寺に到着。

「歩き続けることは苦しい。根性だけではやっていけないし、そんな根性も僕にはない。自分自身の精神力と体力、それを遥かに超える大きな力にすがらなければ。そういう自然な心の働きが信仰心を作り出し、深められていくのを実感する。しかし、それは自分の心が作り出した虚構だ、ということに疑いは無い。」

上記は日記からそのまま抜粋。まだお遍路七日目の自分の言葉だが、いま読み返すまで忘れていた。自分が日記の中で、これからどう変わっていくのか楽しみだ。

歩き方のコツが少しつかめてきた。胸を張り、腹式呼吸をし、丹田に気を集めるようにして、下腹を意識する。腹で歩く感じだ。そして、身体全体がぶれていないことを、肩から下げたさんや袋の揺れで確認。足はまっすぐ前に、直線上を歩いていく感じ。がに股過ぎると足を壊しやすいし、余計なエネルギーを使ってしまうと思う。腹を意識して歩くと無心に近づく。

星越トンネルというすてきな名前のトンネルを抜けると、星越茶屋があった。温かいコーヒーを頂き、すこし休ませて頂いた。感謝。「また来てやー」という茶屋のおばちゃんの声に見送られ歩き始めた。雨が降ってきた。真っ赤なポンチョをザックの上からすっぽり被って、達磨遍路。しばらくして一台のトラックが止まる。「乗っけていこかー」と、作業服のおじさんのお接待。二十三番寺薬王寺までの約五キロを乗せて頂く。雨が降ってきたから早めに仕事をあがったのだという。車を降り、お礼を言ってトラックを見送った後、お寺に入り参拝しようとすると、さんや袋がない。トラックのシートに置き忘れた! もうパニック。降ろしてもらった場所で待つ。携帯も財布も、地図も、参拝用具も重要なものは全部その中だ。忘れん坊にも程がある。近くの店で電話をかりた。買ったばかりの自分の携帯は番号を覚えていずメモもしていなかったので、実家に電話して、掛けてもらうように母に頼むと、妙に落ち着いた母が「自分でかければぁー」と。自分の番号教えてもらってかけるがすぐ留守電になってしまう。参拝の為にマナーモードにしてたっけ。途方にくれて降ろしてもらった場所で座り込んで待つ。祈る。待つ、待つ、待つ。どのくらいたったろうか、遠くから、あの作業服のおじさんの声が!助かったー。もう半分諦めていた所だった。母に電話すると、「そういう時って、どうにかなるもんだから、私は全然心配してなかったけどぉ」。さすが、無駄に年食ってねぇな、このおばはん、と思った。パニクッて取り乱した自分がちょい恥ずかしい。

薬王寺を出て、国道を右に進むと、善根宿の橋本さんの麦飯食堂の看板があった。ここはずいぶん前からあるらしい有名な善根宿。店の駐車場の片隅に廃車になったマイクロバスが置いてあり、そこにお遍路さんをただで泊めている。店のご主人がマイクロバスに案内してくれ、後で食事に呼びますねー、と。感謝。バスの中には、ポット、コーヒー、テレビ、こたつ、布団となんでも揃っている。ここをお遍路さんにただで提供している。そしてご飯までも。これまでの親切にしてくれた四国の方々を、この時の僕には理解できなかった。ただただ感謝するだけ、それだけだった。無償の親切をする側に「与えられるもの」のことを、この時はまだ知らなかった。

歩いてすぐの温泉に行きバスに戻ると食事が用意されていた。僕の長風呂のせいで冷めてはいたけど、メチャメチャうまかった。感謝。のんびり食べていると、龍山荘で一緒だった、へんくつばあちゃんがバスに着いた。食事が二人分用意されていたから変だなぁ、と思っていたけど、そういうことかー。そしてばあちゃんと話しながら飯を食べた。百名山を制覇した話、良寛さんが好きだという話、ゴマは完全栄養食品だからいつも持ち歩いているという話。ちょっと打ち解けた。

徳島県はここまで。とにかく山歩きが多かった印象がある。歩きに慣れ、遍路に慣れ、どんなお遍路にしようか考えた。まさに発心の道場だった。高知県は、海海海だ。

 

 

 

高知県(土佐ノ国)『修業の道場』

 

二月六日(八日目)

室戸岬の最御崎寺(ほつみさきじ)に向けて出発。二日はかかるだろう。今日は晴天。気持ちいいー!! 牟岐(むぎ)トンネルを抜けると、いきなり海が広がった。なぜか叫びたくなって、なぜか「おらー」って叫んだ。叫んだ後でちょっと恥ずかしくなって周りを確認した。海を見ながら歩いていると、久保木さんと合流した。昼飯時に久保木さんはそば屋へ、僕は番外の鯖大師に寄った。焼山寺越えの中間点の柳水庵に鯖大師の立て札があり、「歩き遍路さん、遍路道のこと、宿の情報などの提供いたします」というようなことが書いてあったのを覚えていたので、住職さんに会いに行ったのだった。お寺には、会社の受付とオフィスみたいな場所があって、そこから悪徳商人のような胡散臭い住職が出てきた。

「お接待宿や安い民宿の情報が頂けると聞いたのですが」と僕が言うと

「そんなもんないぞぉ、若いんやから野宿せぇや」と住職。ちょっと気を悪くしたが、まぁ抑えて

「お寺も最近一人遍路は泊めない所もあるみたいですね」と言うと、住職

「当たり前やないか、こっちは慈善団体ちゃうんやから」と言う。立江寺が一人遍路は泊めずに団体だと心良く泊めるそうだ、という話をすると、住職

「お前百円と十円やったらどっちがいい?」といいやがる。ここで僕は切れた。

「そんなね、人の信仰利用して金儲けしてるようだと、俺達の世代にお寺なんか潰れますよ」と僕。すると住職

「そりゃ分かっとる。あと三年くらいでぼこぼこ潰れるやろ。まぁ、その前に日本がつぶれるけどなぁ、はっはっはー」。

「まぁ、とにかく一人歩きのお遍路くらいには親切にして下さいよ」と言うと。住職またまた切り返す。

「それが甘えやっちゅうねん。お寺は四国歩いてくださいゆうて頼んだわけやないんやから、勝手に歩いとるんやろ?自分のために歩いとるんじゃろ?」。さすがに腹が立ったので、

「僕は日本背負って歩いてるつもりですけど」と言っておいた。すると住職

「いいんじゃない、俺は最初からまともに相手してねぇけどな」という。お寺の素直な意見を聞かせてくれたので納め札を渡した。口も顔も悪い、鯖臭坊主だったが、目の奥は微笑んでいたように見えた。絶対悪い人じゃない。

さて鯖大師を後にして進んだ。海を見ながら昼飯。もう何もいらないって感じ。久保木さんが通りかかった。少し一緒に歩いて、僕はまた先に行った。途中、「Cafeふくなが」の前に「お遍路さんやすんでいって下さい」と書かれていてベンチがあったので少し休んでいると中からおばさんが出てきて、「中に入って冷たいものでもどうぞ」というのでありがたく中に入った。かなりいい雰囲気のログハウス風の喫茶店。外を見ていると久保木さんが歩いて来て、中に入ってきた。一緒にコーヒー、お茶、パンなどご馳走になった。

「いい気分やねー。お遍路さんと会うと心が晴れ晴れする。ここにはいろんな人がくるんよー。」とおばさんは言っていた。

「お接待を受けたお遍路さんは、その後でお接待をしてくれた人達のことを考えながら、お祈りしながら回るから、おばさんもお遍路してるのと同じなんですよー」と僕が言うと、

「あらそうなの?だからみんながこの店の雰囲気がいいって言ってくれるのかしらー。ここでは、お客さんもお遍路さんも、そんな事まで他人に話していいのー、ってことまでお話していかれんですよー」と言う。

ここに、お寺には少なくなった本当の仏の道の実践者がいるのだと思った。このログハウスは現代にあって、お寺以上にお寺なんだなぁ、と。久保木さんが出た後に、ゆっくりと喫茶店を出て、歩いていると、道が分かれていてどっちに行っていいか分からない。通りがかりの車のおじさんに聞いたら、道だけでなく、近くに遍路小屋があることを教えてくれた。少し歩くとあったあった。「遍路小屋香峰」の奥からおばあちゃんが出てきた。このお方がまたまた仏様のようなお顔をしていた。そのおばあちゃんは得度して香峰という名前になったそうだ。奥からみかんの箱を持ってきてくれた。「誰かが小屋の前に置いていったみかんで、外に置いておくと、通りがかりの人が持っていちゃうのよ。あなたがお遍路さんで始めてこのみかんを食べるの」。話を聞けば、香峰さん二回歩き遍路をして、あと四十回くらい車やバスで回ったのだという。去年の十二月にこの遍路小屋を作って四国のテレビや雑誌で紹介され、顔が広まってしまった、と嬉しそう。近畿大学の助教授がデザインしたというその小屋は、これまた素晴らしい雰囲気。得度した時の話、近くの山に二人連れの定年遍路が住んでいて、春を待っている話、塩は山神様や悪霊から身を守るのだという話など、とても楽しかった。香峰さんと小屋の写真も撮った。香峰さんはほとんどこの小屋に来ることはないらしいので、僕はとても運が良かったみたい。ザックにつける蛍光シールとタスキ、そして塩の入った小袋をお接待いただいた。感謝。

いざ、宍喰へ。宍喰温泉に入り、無料宿のある「民宿宍喰」に到着。先客は川井さんというおじいちゃん。かなり頭の回転が早くついていけないくらい。二回目の四国遍路で今回は番外も回っているという。テント、自炊用具も持っていて、托鉢しながら回っているいう本格派。聞けば、お寺の末っ子として生まれたが坊主と寺がめっぽう嫌いで勘当されたのだという。弘法大師をだしに金儲けしている四国の寺も嫌いだという。八十八ヶ所を回った後に十番寺から一番寺までのお礼参りなどは、金儲けのためにお寺が勝手に作った新しい慣わしなのだそうだ。僕が四国遍路の前に、宮城の実家の近くの山にある神社にお参りをしてきた話をすると、お遍路を終えたら高野山よりもそっちに行きなさいと勧めてくれた。お経のこと、作法のこと、座禅のこと、いろいろ聞かせてくれた。また、お寺じゃない所で真の仏教者を見た思いがした。「無心で歩いていたら事故にあうぞー」とは川井さんの名言。

 

二月七日(九日目)

今日は歩きまくった。久保木さんにやっぱり途中で追いついた。その後も一緒に歩き、先に行き、途中で休んでいると追いつかれ。その繰り返しだった。「うさぎと亀の話を思い出すなぁ」と久保木さん。四国から帰ってからの久保木さんからの手紙に「室戸までウサギと亀の遍路かな」の一句があった。どんどん歩いて休憩ばっかり寄り道ばっかりの僕と、ゆっくりでも休まず歩くおじさんは、本当にウサギと亀のようだったかも知れない。

久保木さんは確かに顔も亀っぽい。室戸岬を過ぎたあたりから、久保木さんとは会わなくなったのだが、結局うさぎと亀の話と同じように、先にゴールしたのは久保木さんだったことを、お遍路の後に実家へ届いた手紙で知った。

室戸までの道のりは長い。途中に宿もないので、どうしても室戸岬に着かなければならなかった。途中で歩くのにも飽きかけ、疲れもピークに達した時、一つ気づいた。お祈りはお寺だけでするもんじゃないという当たり前のこと。そして、今まで自分に縁のある人達、出会った人全ての人の顔を一人一人思い浮かべながら、一人一人に宝号を唱え、その人の心に一本ずつロウソクを灯していった。今大変な状況にある人達には、何べんもロウソクの火を灯した。すると、不思議なことに自分自身が楽になった。室戸岬には、五時ギリギリに着いて、最御崎寺の裏のユースホステルに宿泊。そこで、埼玉で大学教授をしているHさんと出会った。

 

二月八日(十日目)

最後まで一緒に歩くことになった杖、二代目大ちゃんとの出会い。杖はお大師さんの身代わりで、四国遍路はその杖との同行二人と言われる。お大師さんの大をもらって大ちゃん。昨日ユースホステルで会った埼玉の大学教授Hさんと一緒に歩き始めた。Hさんはアメリカで勉強して、アメリカンインディアンへの造詣と交流が深い、という人だった。一緒に歩いていて、星野道夫から始まり、いろんなお話を聞けた。でも、 おっちょこちょいなHさん、途中の津照寺で別れた時に、僕の杖を持っていってしまった。僕は、それを知らずに、一緒に歩いてくれた一代目大ちゃんを失くしたショックのまま、次のお寺二十六番寺金剛頂寺に向かった。金剛頂寺の山で、どうしてもつらいので、杖でも落ちてないかなぁ、と探しながら歩いていると、真っ黒な竹が目に入り、手に取ると、ピッタリとフィット。二代目大ちゃんとの出会いだった。意気揚々と二代目大ちゃんとお寺に向かうと、 Hさんがいて「ごめーん、関君の杖持って来ちゃったー」。でも僕は、二代目と最後まで歩く約束をしていたので、「これもなんかの縁ですし、その杖と一緒に歩いて頂けませんか?大ちゃんって名前です」と言った。 Hさんは一旦は、そうしようと決めてくれたが、やっぱり自分がそれまで歩いてきた杖が気になる、と探しに戻っていった。後から聞くと、ちゃんと杖を見つけて最後まで一緒に歩いたと言う。ということで、一代目大ちゃんは、宅急便で実家に送った。バイバイ一代目大ちゃん。そして二代目大ちゃんよろしくー。二代目は、見る人に寄っては、ただの汚い杖に見えたり、輝いて見えたりと、本当にすごい杖だった。途中で、クジラのキーホルダーをつけたり、バンダナを巻いてあげたりしたら、かわいらしい杖にもなった。この杖への感謝は語り尽くせない。 Hさんには、後日「二代目大ちゃんとの出会いを僕にくれて本当にありがとう」、と深くお礼をした。Hさんは最近屋久島に土地を買った。三年後には自給自足で住むらしい。

 

二月九日(十一日目)

阪神キャンプを訪ねた。そして海辺で野宿をした。

その日の日記はこんな感じ。

「海を一人でボーっと見てる。太陽は少しずつ沈んで行く。遠くにはまだ室戸岬が見える。さすがにちょっと感傷的になる。海って、寂しさや懐かしさに似た感情を抱かせるなぁ。空を見てみる。飛行機が飛んでいく。雲が流れる。なにか爽やかですがすがしくて力が湧いてくる感じ。そういえば空海っていい名前だな。やられたって感じだ。」

 

二月十日(十二日目)

二十九番寺国分寺前の菅笠屋さんが印象深い。ちょっと店内に入ると、「何がいるんじゃ?」とおじいちゃんが僕に聞く。「いや、笠が欲しいんですけど、普通のやつだとザックに引っかかって駄目なんですよねー。いいのないすか?」。するとじいちゃん、「お前さん、菅笠の意味ってもんを知っとるかね?」とけんか腰。「知りませんねー、全然」というと。「お寺も知らん事じゃけんのう」と言いながら、一枚の紙切れになんか書き始めた。その紙には、神仏界、宇宙、波動、オーラ、菅笠、ピラミッドという文字と絵が書かれていた。その怪しい図と文字はおじいちゃんの言葉で、ちょっと説得力を持った。「菅笠はな、ただ日よけの為に被る訳じゃない、魔を除け、宇宙、神仏界からの波動、オーラを受けるために被るんじゃ」と言う。そのおじいちゃん、面白いので話し込んだ。店内の商品には、自分で筆を入れているという。字はとてもうまい。「わしの笠は、他の印刷のやつより、オーラが強いんじゃ」。印象に残った言葉を書きとめて置いた。

「坊主と衆生の役割が、今の時代、入れ替わっておる。今はしょうがないことじゃ。しかし大衆の中に深く考え、実践するものが沢山いることを感じるなぁ。日本の未来には一筋の光明が見えるがね。」

「悟りとは、解けない謎がふと解けること。これが大師さんの教えじゃ。大師さんでさえ自分の修行を完成することが出来なかった。だから今も神仏界で修行をしているはずじゃ」

「まぁ、頭でああだこうだと考えること無しに、ただ自然体で歩いてみなさい。四国は全体が修行の道場だから、自由に自分なりの修業が出来るだろう。お大師さんは、何をしろ、これをしろとは言わなかった。ただこのお四国を残して、私達に修行の場として与えてくれたのだから、自由に使ってよろしい」

「歩いているときに出会うすべてのもの、山河草木すべてのものが悟りを表現していることに忘れずに」

おじいちゃんオリジナルデザインの巡礼用白ベストをお接待してくれた。感謝。

丸和石材という墓石屋さんが、善根宿をしているという情報があり、訪ねてみた。着いてみてびっくり、エアコン、テレビ、でっかいテーブル、ポットとお茶、布団が完備された部屋に通してもらった。外にはシャワー室、トイレ、洗濯機もある。沢山のお遍路さんがお世話になったみたいで、テーブルの上のノートには感謝の言葉がびっしり。その中で、印象深かったものをメモして置いた。

 

草木の花は咲いて散るが、人の花は散って咲く。父なる空、母なる海、空海。

 

もう一つの方は、ただただ感動した。そのまま字句を変えずに残しておこう。

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平成十二年六月二十八日

あるきへんろをはぢめて九年、四年目にいつかいたたみの上でねました。それから五年目になります

シャワーにいり社長さんにサンパツまでしていただき 

まことにありがたく ボント。正月が。いつぺんにきたおもいでした だが、

しうかんとはおかしなものですね どをしてもたたみの上でねる事ができずに、

たたみの上にざぶとんお二枚しいて ふとんはしかずにさぶとんの上にそのまんまやすみました

そのおかげでかぐっすりねる事ができました69才で9年目です まこに、ありがたくてなみだがでました

まだ。まだあるきますが いちどもびおきをした事は有りません

これからも元氣でむいちもんであるきます

社長さんありがとうございました

昭和六年二月二十五日生

増田正義 六十一才

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実際の文体とこの文章が一緒になると、どうしょうもなく心に響いた。あまり字を書いたことのない方が、溢れる感謝をそのまま書いたんじゃないかぁ。結局何歳なの?って感じだけど。

 

昨日の野宿のせいか、風邪気味だったので仮眠を取った。

起きて、日記を書いてると、社長さんがご飯を持ってきてくれた。聞くところによると社長の首藤清観さん、真言宗醍醐寺の律師で、お寺もあるという。なんとも優しそうなおじいさん。ちょっと風邪気味だというと、下に来なさい、と接待所に呼ばれる。ペットボトルに入った水は高野山から。その水を湯のみに注ぎ、その中に小さな紙を浮かべた。その紙にはお大師さんの絵が描いてあった。二十一日の行を経て、お大師様の功徳の入った札だと言う。後でそういうお札を千枚通しと呼ぶことを知った。お大師さんが身体の中に入り一体となることで、病気や痛みなどを治すのだという。それにしても立派な接待所だった。黄金の仏像、黒い仏像、曼陀羅、沢山の小さい仏像、でかい蝋燭など、ものものしい。そこには色々な人が訪ねてくるのだという。祈祷は無料で行う。お金は一切受け取らない。接待宿でも、お金を払おうとする人には、「お金を払うなら、一泊百万円、一円もまけません」というそうだ。お金のことを考えると、誰でも心が濁るからだめなのだと言う。首藤さん、お接待は、お遍路さんの為にやっているのではない、と断言する。自分の修行であり、勉強だという。食事も誰にも作らせない。心を込めて絶対に自分で作る。そんなお話を聞いた後、お堂で般若心経を一遍唱えさせて頂き、部屋に戻って食事を頂いた。魚中心のメチャメチャ栄養のありそうな料理。とてもおいしかった。ありがとうございました。

 

二月十一日(十三日目)

朝起きたら、風邪もすっかり良くなっていた。千枚通しのおかげか、高野山の水のおかげか、あったかい部屋とおいしい食事のおかげか、その全部か分からないが、とにかくありがたい。感謝。ダイエーのキャンプに寄ったら、長嶋が来ているとかで、すごい人だかり。王監督は見えたが、長嶋さんは結局見れなかった。まぁ、売店のそばが美味かったからいいかぁ、と歩き出した。

三十二番寺で、林さんという七十二歳の歩き遍路に会う。それから三日間の道ずれになった。いろんな話をしながら一緒に歩いた。実際は存在しないことになっている、そのおじいさんについては、「林さんのこと」に書いたのですが、不思議は、不思議のままに、ですね。

林さんが、二十歳の頃から、百四十回以上もお遍路をして、四十歳を過ぎて急に目が見えるようになった男性の話をしていたのを思い出す。お大師さんの力でもない、宗教の力でもない。一人の人が何かを信じる力、真っ直ぐに救いを求める力、それこそが何よりも強く、大きな力を引き起こすのだと思う。偶然で片付けてしまえばそれまでだけど。歩いている時は、不思議と、自分の身に起こる些細な出来事一つ一つに必然を感じ、それを信じたくなった。全ては必然だとしても、その必然を招くのは、日々の自分の言葉、考え、そして思いと行動なんだろうか。

土佐市に入った。何故か通りすがりの人達が微妙に面白い。

1.おはようございましたー、ってゆうおばちゃん

2.ぼーっと小川の流れを見てるおじいちゃんに何を見ているか聞くと

「一円玉が流れてくるかと思ってのう」

3.逃げた犬を「福助ー、福助ー」と呼びながら必死で走るおばちゃん

4.自転車に乗った色眼鏡のおっさんは、「おいっす!」って挨拶してきた

5.「おはやくっ!」って挨拶するおじさん

6.メッチャ大あくびしながら、車で通り過ぎた、歯のかけたおばちゃん

 

今思えば、六番目は面白くない。

三十五番寺清瀧寺の納経所で、杖の大ちゃんに南無大師遍照金剛の宝号を書いてもらった。ますます立派になった大ちゃん。杖はお大師さんの身代わりと言われている。

国民宿舎土佐に泊まった。歩き遍路は二千円で泊めてくれる。ここの露天風呂はすごい。昼は室戸岬と土佐市と太平洋がいっぺんに見える。夜は、星空と土佐市の夜景と暗い海。夕暮れ時に風呂に入っていたら、空と海の区別がつかなくなった。オーナーと話をした。子供の頃からお遍路さんにお接待するのが好きで、それが高じてこの宿舎。遍路への細やかな気遣いに満ちた宿だった。感謝。

同じ部屋に泊まった自然保護協会で自然観察の仕事をしている赤井さんという方は、自分がしている仕事に必要なことを話してくれた。「体力、気力、慎重さ、そして謙虚さ。自分に対しても、自然に対しても」。

 

二月十三日(十五日目)

林さんと田中さんと僕。お二人は七十歳を越えておられる。逆水戸黄門のような珍道中。

 

二月十四日(十六日目)

朝方、夢を見た。

「木登りをしていた。木に一生懸命登っている。なかなか難しい。足を使い手を使い、途中まで登った。そこでバランスを取りながら、下で見ている人達に大声で話しかけている僕。」そんな夢だった。

さぁて、焼坂峠だ。峠を登り始めてすぐ、赤いスポットライトが当たった舞台のような光景に出会った。朝日が山肌の一部だけを照らしていたのだった。感動して歩いていると、ガサッ、ゴソッと獣が走る音。イノシシか?とちょっと身構える。すると、山肌を滑るように、斜面すれすれを一直線に飛んでいく一羽のキジ。木々の間をあんなにも一直線に飛べるものだろうか。山間に染み渡る小川のせせらぎ、鳥の声、鈴の音。

 

二月十五日(十七日目)

僕もみんなも自分が今している事を正当化しようとする。それが本当は自分の意に反することでも気づけば正当化している。でもそうしなければ、生きていけないんだろうなぁ、とふと思った。自分の中にある様々な価値観の中で、何を守り何を捨てていくか、その判断をしていく時に、お遍路体験は役立つのかもしれない、と思った。

働くとは、傍(他人)を楽にすること、という言葉をどこかで見た。

中村市の喫茶店で、近い未来が見えるという怪しい整体師図子さんに会った。話が面白かったので話し込んでいたら、長居してしまった。さらに、善根宿で泊めていただいた。少林寺拳法を長い間やっていたという図子さんの話。「少林寺拳法の極意は、力愛不二。説法だけでは駄目なので、禅や武道を必要とした。禅はまず環境を取り払う。否が応でも自分を見つめられる。その自分さえも見失う時、空の領域に入るのではないか。そこは意識の狭間。意識の狭間は、日常生活でも、普通に体験している。」そんな話だった。怪しいが、なんとなく納得。

 

二月十六日(十八日目)

喫茶HIGEハウス ―― 本当に髭のマスターがいた。

海のカフェ  ―― 物静かだが、強い意志力を感じる深く優しい目をしたマスターがいた。テキサスで一緒に音楽をやったスコッティを思い出した。民族楽器が雑多に置かれているところも、スコッティの家を思い出させてくれた。インド仕込みの野菜カレーがとてもおいしかった。

民宿星空に着く手前の砂浜。あまりに素晴らしい景色で、思わず海に小便ひっかけた。砂浜に残る自分の足跡と杖の跡を何度も振り返り、なんか不思議な気持ちがした。

同行二人かぁ。

 

二月十七日(十九日目)

民宿星空に重い荷物を置いて足摺岬に向かう。途中道を間違えてた。雨も降ってきた。もう大変。途中でパトカーに拾われ、足摺へ。三十八番寺金剛福寺。帰り道も雨。

足摺の はるかにかすむ 地平線 海と空とが 混じり溶け合う

 

二月十八日(二十日目)

三原村を通る。昨日の雨に、勝るとも劣らない、冷たく強い風が吹く。身体ごと持っていかれる。右手を流れる川が、上流に向かって流れていた。

信じるもの ― 道端の小さな花、それを咲かせる力。海を動かし、波を作りだす力。僕を歩かすこの力。鳥を飛ばし、魚を泳がす、その力。その力を僕は信仰する。その力に名前はいらない。その力を説明し正当化するための、どんな科学も教義もいらない。

三十九番寺延光寺の入り口で

「たれもみなからだは母の形見なり きずをつけなよ おのがかたちに」

「たれもみな心は父の形見なり はずかしめなよ おのが心を」

延光寺から降りた所にあったアサヒ健康ランドで泊まった。

そこの食堂で、仕事帰りのおじさんにビールをごちそうになった。お遍路したことはないけど、お遍路に関することが大好きだというそのおじさんは、「四国八十八ヶ所巡りは人生で言えば八十八年にも相当するんじゃないかなぁ。遍路は人生が凝縮されたようなもんなんだと思う。全部歩き終えた時に、その人はいっぺん死んで生まれ変わるんじゃないか」というようなことを話してくれた。そうかもしれない、と僕も思った。確かに一日一日が一年分くらいの濃さではある。 明日、修行の道場土佐を抜けて、菩提の道場伊予ノ国に入る。

海を見ながら、ひたすら室戸岬から足摺岬まで歩く三日間は、お遍路の後にも、海に対する強い憧れと感謝を残してくれた。

 

 

 

愛媛県(伊予ノ国)『菩提の道場』

 

二月十九日(二十一日目)

松尾峠は、高知県と愛媛県との境目。県境には、雪がちらついていた。下りは美空ひばりからボブ・マーリーまで思いつくまま歌いまくり、山道で。プリンスが頭の中に流れてのりのりだった、山道で。逆打ち遍路と出くわしたら恥ずかしいなぁ、と心の片隅では思っていたけど、まぁいいかぁ、と楽しいひと時だった。

 

二月二十日(二十二日目)

海の方を向いたお地蔵さん発見。粋な計らいだねぇ。

朝から左の膝が痛い。景色はいいけど足にはきつい道が続く。予定の宇和島まではちょっと無理そうだ。津島を目標に歩く。シップをべたべた張ったり太極拳をしてみたり、さすりながら休んだり。今までの不調は大抵それで良くなったけど、今回は駄目だ。どんどん調子が悪くなった。左ひざぶっこわれた、って感じ。足を引きずり、びっこをひきながら民宿を探す。新橋旅館が飯無しのかわりに三千円でいいという。転がり込んで仮眠。夕食の買出しの帰りの橋の上。目の前の山の上を鳶が何羽も舞っていた。眼下の川にはたくさんの鴨。彼ら鳥達は羽を怪我したり痛めたりしたら、それは死を意味するんだろうなぁ、と思った。

 

二月二十一日(二十三日目)

なんとか足は大丈夫みたいだ。

松尾トンネルを抜ける。津島市と宇和島市を結ぶ、二キロ程もある長いトンネルだ。出口の見えない、車の排気ガスが充満する薄暗いトンネルを宝号を唱えながら歩いた。通りすぎる車は、怪物のように見える。ふと、人間の進歩していく力はすごいなぁ、と思った。その後で、じゃぁ、歩いてる僕はなんなんだ?と考えた。歩いて旅することは、ある意味、文明の進歩に対するささやかな抵抗かもしれない。それは太古の記憶へと続く道、原初の風景へと続く道。

一本の杖では辛いので、途中の道で竹の棒を拾った。大ちゃんの弟分、将太郎と名づけ、将ちゃんと呼ぶことにした。大ちゃんに巻いていたバンダナを将ちゃんに巻いてあげた。多分、将ちゃんとは途中でお別れすることになるけど、道中よろしく!

良寛の伝記をちらっと読んだ。

泥棒が良寛の五合庵に入った。寝たふりをする良寛。どろぼうは取るものがなくて、しょうがなく良寛の掛け布団をとって出て行く。良寛、十五夜の月を見上げ、「これはありがたい。さすがの泥棒もお月様だけは盗んでいけなかったとみえる。もうし、お月様、あなたもご無事で何よりでございましたなぁ。おかげさまでわたしもこのとおり無事で。お互いにおめでとうございます。」良寛は、畳の上に座りなおして、両手を合わせ、静かにお月様を拝みました、とさ。

良寛の辞世の句「かたみとて なにかのこさん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじば」

 

二月二十二日(二十四日目)

朝の山道。暗い道、朝霧で前が霞む。立ち並ぶお墓。雨で濡れた道。

午後からは、青空と白い雲。雲が流れる速さは、僕の歩く速さと同じくらいにみえた。二本の杖に感謝。山道もすいすい登れる。四足動物達が野山を駆け巡れる理由が分かった気がした。足が増えるとバランス全く違う。将ちゃんこわれてきたので、キネシオテープ巻いてあげた。鳥坂トンネルは歩く幅が一メートルも無い。トラック、バスが来ると命の危険を感じた。でも皆さんの安全運転のおかげで無事通過。感謝。トンネルを抜けると、目の前に山、山、山、青空と白雲。ちょっと泣きそうになった。感謝。パンの耳を十円で売ってくれたおばちゃんに感謝。たくさんの人の道案内に感謝。今日は感謝に満たされた日。

 

二月二十三日(二十五日目)

朝から荘厳な大洲の街。雲に隠され白く光る太陽が少しずつ輝きを増していく。すると目前の朝霧の中から山々が姿を現し始めた。

ほととぎす 鳴く声真似て 四国道 朝霧晴れて 山現る

国道沿いを歩いていると前をからよろよろと自転車に乗ったおじいちゃん。いきなり僕の前でこける。自転車を起こしてあげると、おじいちゃん、「すいません、すいません」と何度も頭を下げる。僕の方が恐縮してしまい、そそくさと歩き始めた。するとおじいちゃん自転車を押してついてくる。何か声をかけるわけでもないので、そのまま歩いた。少しして、みかんの箱が「お遍路さんご自由にどうぞ」と置いてあったので、選んでいると、おじいちゃんが追いついた。手には缶コーヒー。そして「さっきはすまんかったのう」と僕に手渡してくれた。なんてこった。感動。感謝。

内子の町並みいい感じ。

白壁の町並みを過ぎて歩いていると、道路を挟んで反対方向から自転車で走ってきたおじさんが止まってこっちを見てる。会釈すると「急ぎかねー」と聞くので、「いえ、急いでません」と言った。すると「うちに泊まらんかねー」という。近くにいって話をし、お世話になることにした。家には、立派な仏壇と神棚。昼飯を食べた後、内子の白壁町並みを案内してくれた。さすが観光名所になっているだけあって、いい町並み。地元育ちのおじさん(山下さん)の丁寧なガイド付でとても楽しかった。感謝。夜は息子さんも合流し、温泉、寿司屋、スナックに連れて行って頂いた。「与えよ、さらば与えられん、やから」と屈託なく笑う山下さん。他人に対する親切の見返りを期待したり恩を着せたりするのは欲でしかない。他人には出来るだけ与える、そうすると不思議な力が働いて、どこからか帰ってくるものがある。と何度も山下さんは繰り返してくれた。大阪で何件も飲み屋を経営していたという。明日もゆっくりして行きなさい、という。足の痛みを一目見たときから知っている。

 

二月二十四日(二十六日目)

朝、早くに目が覚めてしまった。歩かずにはいられない。山下さんに、やっぱり今日も歩きますと言って、朝の内子町を出発した。家の外まで見送ってくれた山下さん、曲がり角で見えなくなるまで、ずーっと手を振ってくれていた。見ず知らずの僕にこんなにしてくれて、ありがたいことです。

将ちゃんがぼろぼろになってきたので、途中の畑に束ねてあった竹を一本拝借した。細くて軽い。これが二代目将ちゃん。

下坂場峠気合を入れて登った。そしてひわた峠。意識がちょっと朦朧とした。 

ひわた峠のだんじり岩 ― 畳一枚程もある大きな岩で、その昔お大師さまが巡礼中、あまりの空腹と疲労のため自分の修行の足りなさに腹を立て、この岩の上でだんじり(地団駄)を踏んで我慢した。そしてその時の足跡が残っている、と立て札に書いてあった。登ってみると、へこみがあったけど、かなりでかい足跡だな。ちょうど僕も、かなり腹が減っていた。峠までの途中、食堂やお店は日曜のためかことごとく閉まっていて、昼飯を食べ損ねていた。非常食カロリーメイトでしのぐ。

久万の町に着いた。四十四番寺大宝寺。一代目将ちゃんを奉納できるか聞くと、「ちゃんとした杖ならお参りして奉納しますけど、それだとお焼きのときに一緒に焼くことになりますねぇ」といいやがる。杖を見かけで判断するようなお寺に将ちゃんを置いていくわけにはいかない。奉納を止めた。寺から民宿和佐路に向かう。また峠だ。二本の杖にすがった。

 

二月二十五日(二十七日目)

昨日から川沿いの道を歩いている。

今日の朝は川を横に見ながら、聞きながらの山道。自然と歌いだしたくなる。何回「川の流れのように」を歌ったことか。しらず〜ぅしらず〜ぅあるい〜てきた〜ぁとおく〜ながぁい〜このみち〜ぃ。国道を歩いても、昔ながらの遍路道を歩いても、いつの間にかお寺に着く。国道を歩けば平坦で楽だけど、常に忙しく走る車とアスファルトのストレスに悩まされる。山の遍路道を歩けば、上り下りで苦しい分、自然に囲まれて歩けるし、より多くの出会い、発見、感動がある。人一人しか通れない細い遍路道。人生、時にはそっちを選んで歩いて行きたいなぁ。

お遍路中に詠んだ、お気に入りの句 「しょんべんの ゆげの向こうに お地蔵さん」

 

二月二十六日(二十八日目)

トラックの排気ガスの匂いに、子供の頃に道端で遊んだ時の思い出が蘇った。遍路道はすげーな。松山に入った。歩いていると一人のおばあちゃんに出会った。身体全体で、「私が祈り守っているよ」と表現してくれた。納め札を渡すと「ありがとう。言葉ではありがとうだけど、こんなにありがとうなんよー」と身振り手振りで表現してくれた。ありがとー、つたわったよー、おばあちゃん。

松山神泉園ユースホステルに到着。東京での就職活動中にユースホステルで会った、松山の紙問屋関谷さんがホステルに来てくれて再会。一緒に道後温泉に行き、居酒屋で食事をごちそうになった。感謝。松山ユースに戻り、超変わり者のオーナーと話しをした。話から一部抜粋。

「もし、赤道直下に生まれ生きてきた人をアラスカに連れていって、また地元に帰ってきた時、その人はその時寒さを学んだのではなく、本当の暑さを学ぶ。反対も同じ。良いことをしようと思うなら、悪いこともしてみなければ、何が本当に良いことなのか分からない。中道を求めるにしても、極端を知らなければどこが真ん中か分からない。

「日常がやっぱり大事。人間は一人一人行くべき場所に最終的には行くことになる。自然体が大事。」

 

二月二十七日(二十九日目)

杖の役目を立派に終えて頂いた将ちゃん、どこからも送れない。コンビニでも、宅急便でも、そんな竹送れませんと断られる。確かに見た目はボロボロになって汚れた細い竹の棒。すべて、見かけで判断するのは本当に良くない、と思った。山河草木悉有仏性。

五十二番寺太山寺は自然豊かでいいお寺だった。納経所で理由を話すと、将ちゃんを快く奉納させてくれた。一代目将ちゃんありがとう。四日間、将ちゃんをザックに立てていたので、ドアを通る時にかがむくせがついた。二代目大ちゃんも、途中六十三番寺吉祥寺で奉納させて頂いた。ありがとう。

月の虫や月の照らざる側も虫 山冬子

道ゆづる人を拝みて秋遍路 村上杏史

TAKO BELLってゆうたこ焼き屋さんがあったけど、それはいいのか?アンパンマンのキャラクターが電車いっぱいに描かれた「しおかぜ」はかわいかった。北条市磯河内、いそがない?

僕は、お遍路を通して何を感じているのだろう。人間一人が感覚として取り込んでいくもの、それの一パーセントくらいしか頭の中だけでは、まとまらないんじゃないかなぁ。後の九十九パーセントは、自分でも気づかない意識の奥底に眠り続ける。これからの人生でそれが滲みでてくることもあるかもしれない。もし今度お遍路することがあったら、日記や文章は書かずに歩きたいと思う。自分が四国を歩いたという記録を残したい、人に伝えたいと思うのは、やっぱり欲だと思うから。本当に僕達に大切なことには形がないはず。

 

二月二十八日

ちょうど三十日目に当たります。この後、テレビの取材を受けたり、身近な人の死を遍路を通じて乗り越えた人たちと話したり、十四周目の歩き遍路をしているという二十代にも見える四十一才のお遍路さんと一緒に歩いたり、自殺未遂まで追い込まれたという女性が生まれ変わったように元気になって歩いているのを見たり、九十一歳になる素晴らしい尼さんを訪ねたり。様々な人と自然と自分との出会いがあり、別れがあり、祈りがあり、感謝がありました。三月十一日、四十一日目に最後の八十八番寺大窪寺で満願した時には、「ありがとう」だけが口から出て止まりませんでした。