2012年2月 宿題をマスターする(3)
お願いします。
「濾胞性リンパ腫の井戸端会議」と「濾胞性リンパ腫患者の治療履歴集」の掲示板を作りました。お入りいただきたいのは、濾胞性リンパ腫の患者さんとご家族です。
私のアドレスは sabcdek-ybb.ne.jp です。−を@に変えてメ-ルをお送り下さい。
その掲示板に入るパスワードをメ-ルの返信でお知らせします。
詳細は2010年の3月11日日記をご覧下さい。 2月9日現在64人+3人にご案内済みです 。
随時更新される100人の治療歴があれば、素晴らしいとお思いになりませんか?
リンパ腫の患者さんが月々に支払う医療費は最大で10万円です。
詳細は2010年の、4月29日、6月24日日記をご覧下さい。(入院と外来それぞれが各10万円になるなどや、差額ベッド・入院時の食費など別額もあります)
2012年2月10日(金) 19:42 血液内科の受診
今日、転院して4回目の受診をしてきました。
白血球が下がってほっとしました。
リンパ腫の患者さんが血液検査を受けられて、白血球が下がったと喜ぶのは私ぐらいのものでしょうか。
sIL-2Rが293から400まで上がりました。
一瞬ギクッとしましたが、今の無治療の状態に入ってからの過去データでも、結構400台が出ていますね。前回の採血時は下痢をしていたようです。
過去の血液検査データは、ここをクリックです。
始めに、私が受けた主要な治療について書いていますが、その下の方に、血液検査の時系列的な値を書いています。
恐かった白血球が下がったので、今日は由としましょう。
何もかも望んでも、人は全てを与えられるものではありません。
今日は、採血後受診まで1時間半待ち。
転院して、距離は近くなったのですが、前の病院では正面玄関を入ってから出るまで10分という最短記録もありました。今の病院は受診前採血ですし、ある程度の時間がかかるのは仕方がありません。
雪の合間で、問題なく車を運転できたからよかった。
sIL-2Rが上がりましたが、それ以上に今回白血球が下がったのが嬉しい。
3月18日
6月10日
8 月26日
10月27日
11 月11日
2 月10日
最高血圧
転院後です
156
180
近医にて
159
116
最低血圧
−−
96
110
−−
92
66
脈拍
−−
75
−−
−−
−−
−−
01抹消血液一般検査
02白血球数
7630
6710
6700
7800
9240
5970
リンパ球数
1261
1079
1589
1409
好中球数
4650
4851
6699
3863
03赤血球数
481
459
467
463
437
419
04血色素量(Hb)
16.3H
14.7
15.4
15.6
14.5
13.95
05ヘマトクリット
47.2
45.0
45.7
46.4
42.5
41.2
06MCV
98.1
98.0
97.9
100.2
97.3
98.3
07MCH
33.6H
34.2H
33.0
33.7
33.2
33.2
08MCHC
34.5
34.9
33.7
33.6
34.1
33.7
09RDW
14.0
13.6
14.6H
13.5
13.4
13.6
10血小板数
13.8
13.0
14.4
16.4
13.7
17.1
11網状赤血球数
12抹消血液像
13骨髄芽球
14前骨髄球
15骨髄球
16後骨髄球
像機械値
像機械値
17好中球
69.3
72.4
72.5
64.7
18桿状核球
19分葉核球
73.0H
20好酸球
4.0
5.1.
4.9
3.6
4.0
4.7
21好塩基球
1.0
0.4
0.3
0.3
0.3
0.3
22単球
9.0
6.4
6.3
5.4
6.2
6.7
23 リンパ球
13.1
18.8
16.1L
15.2
17.2L
23.6
24異型リンパ球
カウント
100
25未熟リンパ球
26未熟単球
27その外の細胞
28赤芽球
29総蛋白
7.3
30アルブミン
4.5
4.6
4.1
31A/G比
1.7
32総ビリルビン
0.6
0.4
0.8
0.3
0.4
33直接ビリルビン
34間接ビリルビン
35ALP
213
213
215
197
207
36GOT
22
37GPT
24
39
22
31
22
38LDH
181
173
172
182
158
39コリンエステラーゼ
40LAP
41γ-GTP
36
42血清アミラーゼ
52
43
44
53
53
43尿素窒素
9.8
44クレアチニン
0.7
0.7
0.8
0.67
0.8
0.7
45尿酸
4.7
46ナトリウム
140
144
142
47カリウム
4.3
4.2
4.6
4.6
4.2
4.2
48クロール
105
105
101
カルシウム
9.3
9.1
9.9
eGFR
>60.0
>60.0
>60.0
>60.0
>60.0
CK
61
64
57
51
54L
43L
血糖(血清)
99
101
97
93
105
111
49総コレステロール
50中性脂肪
223
HDLコレストロール
32
LDLコレステロール
163
LDL/HDL比
51CRP
0.1
0.1
0.2
0.1
0.1
52乳び
−
−
−
−
−
−
53溶血
−
−
54黄疸
CEA
4.5
3.7
55可溶性IL2レセプター
336
288
293
408
56網状赤血球色素等量
36.1
35.6
57幼弱血小板比率
3.2
2.3
ありがとうございます。
今回も執行猶予をいただいてセーフです。
今回からは、検査データが院内FAXからでネットークに載りました。
先週1本抜歯して、今週は別の歯茎が膿んで切開しました。今回の採血は、炎症でCRPや白血球が上がっているかと思いましたが、変化はありませんでした。
左顔面の痙攣は低位安定で、まだ残っています。緊張すると確実に出ます。
初回治療の途中からでた症状ですが、今も正座をするとすぐに足先が吊ります。畳の上で横になってテレビを見ていたら、30分ほどで間違いなく足先が吊ります。
フルダラビン治療が終わったときに歯茎ががたがたになり、順次抜歯して上下入れ歯で、総入れ歯も真近になっています。上の歯は残り2本になりました。
足裏の魚の目と水虫、背中のふん瘤が続いています。
背中の憤瘤が気になりますが、今は外科手術でとってもいいしとらなくてもいいという判断だそうで、皮膚科の主治医にとる気はなく、その話しを避けてさえいるように見えます。
万年性の便秘も変わりません。
体の各所に小さないぼ(皮膚科主治医確認済み)がどんどん増えています。
左手薬指に発症したボーエン病の予後は良好です。
検査結果のすべてを転記していますが、私は個々の意味する内容を知りません。
でも、ここに来ていただいた検査結果に詳しい患者さんや医師なら、その人達のお役に立てるんではないかと思ったり、濾胞性の患者さんなら、いくら個人差があるといっても比較の対象データが欲しいでしょうから、そう思ってお見せしています。
リンパ腫の初回治療を受けたのが1997年の4月でしたから、14年と10ヶ月足らずになります。その5年ほど前に首のしこりに気がついていましたから、発病からはもう20年を超えているはずです。
次回の受診は3ヶ月後の5月5月14日で、初回治療を受けてから15年を越えます。
昨年は、主治医と病院が変わるという大事件がありましたから恐かったのですが、
状態がおちついているようで何よりです。
環境に大きな変化があると、病気も動くことが多いので恐かったのです。
体年齢を、精神年齢が追いかけています。
相当離れていたのですが、急激に追いつきつつあります。
悲しいことですが、それも人生です。
私の時系列的な過去に受けた治療歴は、ここをクリックです。
そこは2段になっていて、上段は私が受けた治療履歴のみで、下段では、もう少し説明を加えたり、血液検査結果数値も書いています。
上記検査結果と、以下の記述は、あくまでもS.K個人の場合です。
血液検査結果から病気を読み取る考え方にも個人差があります。検査結果の内容は、治療で効果が出ているときと、長く治療をせずにいて、再発の方向にあるときでも変化の方向や数値が違います。
あなたと私が、お互いにこの病気になっていなかった健康なときでも、あなたと私の血液検査結果は個人差がありますから違います。病気になってからも同じように個人差があります。
同じ濾胞性のリンパ腫でも、私が受けて良好な結果が得られた治療方法が、あなたにも最大の効果が得られる保障はありません。その逆の場合もあるから難しいのです。それぞれの治療には二次発がんの危険性や骨髄抑制の深さなど、致命的な副作用の恐さがあります。 sIL-2Rひとつとっても、濾胞性のリンパ腫が相当進行しているときでさえ200前後の人がおられますし、長く寛解にあるときでも500を下がらない人もおられます。私の場合ですが、寛解が続いたあとで再発方向にあるときはsIL-2Rがほぼ上昇してきます。しかし、治療を始めた後のsIL-2Rの値は、病状の変化を反映したものとはいえない変化をすることがありました。
どうかあなたも、あなたの検査数値変化の方向性を知られますように。
『検査結果はなるようにしかならないんだし、もう少し前向きになればいいのに』と思われる人もおられるでしょう。
同じリンパ腫でも、濾胞性リンパ腫の場合は、たぶんその質が違うのです。
濾胞性リンパ腫の人で、そう思われるなら、あなたは強い人でしょう。
ホジキン病や瀰漫性リンパ腫の人は治癒が目的ですから、検査数値の結果に対する治療行動や考え方が違うのです。濾胞性では今も「経過観察」という治療法がありますが、ホジキンや瀰漫性には基本的に「経過観察」という治療法はありません。同じリンパ腫でも違うのです。
そんな私の気持ちは、同じ濾胞性の患者さんならおわかりいただけるでしょう。
受診の前は、今でもどきどきです。
毎年再発してきた濾胞性リンパ腫の人の寛解が続いたら、
主治医は、5年だといいました。
治癒の可能性についてです。
ここにそれ以上書くと裏切られそうに思うので、それは書きません。
5年経てば、もう少し書けることもあります。
今はまだ書けません。
2012年2月9日(木) 20:28 明日は受診
朝起きると雪が積もっていました。
心配していたのですが、3cmほどで、昼過ぎには融けてしまいました。
この様子なら、明日の血内受診も問題なく車でいけるでしょう。
そういえば、主治医が血圧の薬を教えてくださいと前回の受診時にいっていました。
印刷したのを下に書いておきます。 2012/09/26から
メイントーワ錠2.5 2.5mg 朝1錠 毎日
エックスフォージ配合錠 朝1錠 毎日
2012/10/28から
新規追加 アムロジピン錠2.5mg「トーワ」 就寝前1錠 毎日
2013/1/24 右上1本抜歯
サワシリンカプセル250mg 毎食後1錠 6回分
(感染防止)
2013/2/7 歯茎の炎症
サワシリンカプセル250mg 毎食後1錠 15回分
歯が痛いとか腰が痛いとか、2〜3日で治れば問題ないのですが、痛みが長引くと、どうしても持病のリンパ腫が騒ぎ始めたのではないかと不安になります。
その不安は一生続くでしょう。
不安から抜けられる薬はないと思います。
それも一病息災です。
過度の不安(ストレス)は免疫力を下げますから、ないに越したことはないのですが、自力でコントロールできないのなら、不安の元を断つのが一番です。
よって高齢は医療とセットですから、医療貧乏が加わります。
ここ1ヶ月間は病気月間でしたから、
ちょっと、久しぶりに明日の受診が恐い。
恐いといっても、明日の採血分でsIL-2Rがわかるのは3ヵ月後の受診ですが。
新聞に、以下の記事が載っていました。
【全原発にベント設備 除去フィルター付属】
電気事業連合会は7日、原発事故で原子炉格納容器の圧力が高まった際に、内部の蒸気をフィルターに通し、放射性物質を除去した上で外部に放出する「ベント」設備を国内全ての原発に設置すると公表した。
福島原発の事故で原子炉格納容器の圧力が高まり格納容器の設計圧力をオーバーして爆発しそうになったとき、ベントを開放する特攻チームが編成されたようですが、最初、そのベントがどこにあるのかわかりませんでした。図面を広げてみんなで探したそうです。
原子力発電所は事故が起こるはずがないとされていましたから、ベントは必要のない忘れ去られた設備だったのです。原子力発電所で事故は「絶対に起きない」といい切っておられた専門家もたくさんおられました。
そして、事故は起きた。
最悪でも、緊急炉心停止装置で原発の稼動を停めればすべて問題なく処理できると誰もが思っていたのでしょう。ですから、それ以上の非常事態に対するリスク管理なんて元から何もなかったのでしょう。何もなかった。
上記ベントは、最悪の事態が起きたときに、多少の放射性物質を外界にばら撒いても原子炉格納容器の爆発を食い止める最後の砦です。記事を読むと、そのベントが設備されていない原発さえあるようです。何故なら、「原子力発電所は、多量の放射能を拡散する事故は起きない。」ものだからです。「事故は起きない」のです。
あれだけの事故を起こしたら、純粋な民間企業なら国民はもちろん国内のすべてからパッシングを受けて、会社は解散しかないでしょう。継続があるとしたら、保障をするために継続させるしかないというものでしょう。そういう継続であったとしても、相当数の担当者が責任を取って退職するでしょう。
しかし、不思議なことに、テレビに出てくる多くの関係者は「申し訳ないことをした」という顔つきをされていません。
電力会社は原子力発電所の早期運転開始を望んでおられるようですが、「世界で一番安全な原発にしてやる」という危害が感じられません。
福島は特別だから、他はもうだいじょうぶだろう。
みんなで渡れば恐くない。
何も変わっていないのでしょう。
「野球はひとりのミスが最後まで目立つゲームで、サッカーにはそれが少ない。」といった人がいました。誰も責任を取られないのですから何も変わりません。むしろ、変えようとする人は責任を取らされるのではないでしょうか。人はそれを村八分といいます。安全を追及する人が裁かれるのでしょう。
私は個人的に原発を必要と思ってきました。
ただし、世界で一番安全な原発であることが最低条件です。
しかし、「世界で一番安全な原発」というのは、現実には無理ですね。
無理だという理由は簡単です。
テレビに出てこられる原発推進派の人達に、それを進めようとする気持ちが見えないのです。管元首相が東電に乗り込まれたのは、それがわかったからでしょう。
洪水で浸水するとき、まだ水が溢れていないのに、下水のマンホールが吹っ飛ぶのを見たことがあります。離れたところで下水に洪水の水が流れ込んだのです。地表に洪水の水が繰るよりも早く下水を洪水の水が走り回るのです。
原発にも、迷路のように水路が走り回っています。二次冷却水は海と直接繋がっている海水です。非常時に使う電気は電力会社の電気で、大震災には停電していることが予想されます。今回の大震災でも他の原子力発電所で危機的な状態になっていたことは明らかです。ほんの少し「運がよかった」ことで救われただけなのです。
残念ですが、想定外の全てを取り込んでリスクをつぶしていくという姿勢が見ないのです。それを現しているのが議事録の不記載でしょう。とてもじゃないけど議事録に残せるような会議はなかったのでしょう。管元首相が、「最悪の結果が起きるとしたらどうなるんだ」と聞いたとき、上がってきた報告書では福島から半径170km以上が強制移転区域とされ、希望者の移転を認める範囲に東京都が含まれていたのです。
震災以後に建てられた仙台の新築マンションで高濃度放射線が検出されて、住むことができなくなったのは「信頼」という言葉が雲の向こうに飛んでいった状態を今もなお証明しています。
ひょっとしたら、菅元首相は「東京を救ったのは俺だ」なんて本気で思っているかもしれませんね。「村」組織は本当に恐いのです。
もっと恐いのは、日本人が全てに対して信頼をなくすことかもしれません。
もう、日本での原発はやめましょう。
安全を追求しない原発が続けば、今度は日本の半分をなくします。
本当になくなります。
恥の文化や正義に信頼、昔の日本とはもう違う。
たとえば、「耐震建築」という言葉があります。
原子力発電所の全てを宙に浮かすのです。
今の建築技術なら可能です。
震度6に無傷で耐えた原発は日本にないことが、免震でしか耐えることができないことを示しています。
時間があったときに以下をご覧下さい。
小出裕章氏の講演会です。
原発の問題点が話されています。
それでも、話されているのは問題点の一部です。
VIDEO
しかし、
田を耕し牛を飼って、厳しいながらも穏やかな暮らしをされていた福島の人達。
その一部の土地は、もう数百年人が住めなくなったのです。
我が家から高浜原発までは30kmあまりです。
いいえ、最悪の事態になれば大阪奈良京都、名古屋まで永久に人が住めない土地になるかもしれないのです。
ダッシュ村の復興はは、もう難しいかもしれません。
あの方面に、広い国有地はないのでしょうか。
と書いたのは、やはり受診前の情緒不安定でしょうか。
ハブロ一致 6.新たな取り組み
(1)白血球型(HLA)ハプロ一致(不一致)移植子どもは、父親と母親からそれぞれ半分ずつ遺伝情報を受け継ぎます。すなわち、親と子どもはHLA
が半分は一致しており、これをHLA ハプロ一致(不一致)と呼んでいます。とくに母親と子どもは、妊娠(在胎)という経験を通してお互いに免疫学的寛容が成立している場合があり、HLA
不一致移植であっても理論的に重症移植片対宿主病(GVHD)を発症するリスクが低いことから、この母児間免疫学的寛容を利用したHLA ハプロ一致(不一致)移植が行われるようになりました。また、父親・母親を問わずHLA
ハプロ一致(不一致)移植を可能にする方法が選択的CD34 陽性細胞移植です。CD34 を発現している造血幹細胞(前駆細胞)だけを抽出して移植する方法で、GVHD
を引き起こす免疫担当細胞が除去されているため、重症GVHD を回避することが可能です。
HLA 不一致の親から移植を安全に行えるなら、すべての子どもたちに移植が可能になるということを意味します。この意味で、HLA ハプロ一致(不一致)移植の発展に期待が寄せられています。
テレビで放送されたものは、最初HLA50%一致で弟から、うまくいかずに続けて妹から移植を受けて2年後も元気に暮らされています。成功率予測は30%でした。
彼女は幼いときに白血病を発病し、成人後に再発、後の再々発で血液の99.8%が白血病細胞となり、一時は無治療を望んだのですが、最後の親孝行にとお母さんが求めるHLA不一致の危険な移植に踏み切ったのです。
2012年2月8日(水) 20:26 久しぶりにほっこりまったり
昼から雪が舞いだしました。
でも、まだ気温は高い。
夜が更けると急激に下がるのでしょう。
でも、気温が上がると体が動きます。
寒いときはじっとしてても、まっいいか。
昨夜は痛み止めを飲んで夕食をカット
22時過ぎにインスタントラーメンを食べました。
風呂もカット。
で、今日は
お米の昼食を食べてみた。
お米の夕食を食べてみた。
痛みなし で、
ここ1ヶ月で最良の カ イ カ 〜 ン。
しあわせの、
にっこりタイム
何か、いいことありそうな、
やはり、健康っていいですね。
取りあえずでもいい。
2012年2月7日(火) 22:38 歯科通いが続きます
細かな雨が降ったり止んだりですが、夜は暖かい。
この暖かさは久しぶりでしょう。
でも、昼間はここまで暖かくなかったと思う。
そして、明日からは雪の予報が出ています。
今日は歯科の予約が入っていました。歯の掃除です。
実は1週間前に、抜歯した歯の追加加工をに加えてもらったのです。
わかりにくいですね。
抜歯したのは2週間前で、いればの追加加工は1週間前です。
追加で加工したところが痛くて炎症を起こしていたのです。
と思っていました。
最近は、また歯茎が痛くなってご飯が食べられなくなっていたのです。
そして今日、
歯の掃除(歯垢とり)をしてもらう前に、歯科衛生士の女性に話したのです。
少しして先生に診てもらいました。
歯茎が膿んでいますよ。
ガクッ・・・、。
ガクッ。
最近は、歯茎が膿むといってもみんな歯茎の外側でした。
今回は内側で、想像力が乏しい私は想定できなかったのです。
確かに、
歯茎が脹れたからそこの表面が入れ歯に当る圧力が高くなる。
だから、歯茎の表面も傷める。
だから「痛い」
痛いからご飯が食べられない。
私、この1ヶ月、まともにお藩を食べていません。
米のご飯がまずい。
こんなにご飯をまずいと思ったのは、病気が進んで食欲が落ちたとき以来でしょう。
「歯槽膿漏でそうなるのですが、この歯はもう少し持つでしょうから、
今回は薬で落ちつくと思います。」
といわれて少し切開して膿を出して、家に帰るとぽんぽこに脹れて、
もう、私の人生は闇です。
やはり、健康っていいですね。
「健康」といっても、健康優良人間の保証書がある場合だけではありません。
「一病息災」という言葉もあります。
濾胞性リンパ腫にもっといい薬ができたら、そのときの患者さんの状態です。
そうなれば、痛みもだるさもありません。
一病息災、今でも、「濾胞性リンパ腫だから1ヶ月ご飯が食べられない。」なんていう人はいないでしょう。
風邪の件もあったし、今の私って、あなたよりもずっと病人面をしていますよ。
もっとも、心が貧しいんでしょうけど、病は気からです。
頚椎を痛めている人でもバスケができるとワイル先生が書いておられました。
しかし、今日は参った。
「今日も」ではありません。
2012年2月6日(月) 20:22 インフルエンザ
だめですね。
頭からネガティブなことを書きたくないのですが、だめです。
今日は血圧の薬がなくなったので市内のクリニックに行ってきました。
10時に入って16人待ちの必要待ち時間は2時間。
「ごめんごめんインフルで患者さん多いから、待たせてごめん」
と先生。
家で測る血圧は最近上が140〜160なのですが、クリニックで計った今回は上が116で前回は126でした。先生は、クリニックの待合室が暖かいからじゃないかといいますが、普通は受診時の血圧は気持ちの高ぶりで若干上がると聞いています。家にある手首式血圧計はクリニックの上腕式に比べて10ほど高く出ます。
私が1月にひいた風邪は、インフルエンザだったかもしれません。
インフルエンザじゃないと思っていたのは高熱が出なかったからです。37度5分が2日続いただけだったのでそう思ったのです。
ところが、クリニックの先生は、インフルエンザでもそのような症状で治まることはたくさんありますといわれました。風邪もいろいろのようです。
インフルエンザかどうかは検査してはっきりさせるしか方法はありません。
検査してはっきりさせるにも、検査する日付も問題です。インフルエンザウィルスが居ついてから検査に引っかかるほどまで増えないとだめですし、治って、ウィルスがなくなってから検査しても陰性になりす。
しかしねえ、クリニックの小さな待合室でインフルエンザウィルスに囲まれて2時間ですよ。まるで「早くうつって下さい。」といっているようなものです。私のように、高齢者で慢性病や成人病の薬だけもらいにいかれる患者さんも多いでしょう。
病院やクリニックは病気を治してもらいに行くところです。
なのに、これでは「病気をもらいに行く」ところになってしまいます。
ひょっとしたら、現実にインフルエンザが一番人から人に広がっている場所は病院やクリニックかもしれません。
2012年2月5日(日) 19:48 食欲はありますか?
今日は、→
舞鶴自動車道 →
中国自動車道 →
山陽自動車道 →
神戸淡路鳴門自動車道 →
を通って、神戸の病院に入院している義母に会ってきました。
片道1時間40分くらいだったと思います。
若いときは、お金と時間さえあれば、稚内までだって車を運転して行きたいと思いましたが、今はもうそんな元気はありません。特に、都会向けに走る始めての道は苦手で、気が滅入ります。でも、気をつけましょう。プラス思考で行かないと事故が起きます。
今回は、無事に帰って来れたので良しとしましょう。
最近の遠出では、車を運転していて、それぞれ1回は危機一髪の場面があったのですが、今日は危険な場面がありませんでした。気分は下降気味で左目を中心にした顔面の痙攣も出ていましたから、高速道路は平均90kmのほぼ人様の車を追い越すことのない追い越しどうぞモードでの運転です。というよりも、冬用タイヤの信頼性に問題を感じていたから恐かっただけの話しです。タイヤの限界は、スリップサインからの距離ではなく、お金の余裕度で決まります。
我が家よりも暖かかった神戸ですが、神戸といっても広いです。今日お出会いした看護師さんは兵庫県の中北部にある朝来市は和田山の出身で神戸市の北区にお住まいですが、近所の皆さんはみんな冬用タイヤを履いているといわれます。六甲山系まで帰宅ですからね。多少なりとも雪も降りますし、凍結が多いので坂道を車が登らないといわれました。神戸は、海岸線から少し北に行くと坂道の多い町なのです。といっても、私は神戸をほとんど知りませんが。
脳梗塞を起こして1週間の義母は、やはり寝ている時間が長いようです。でも、義父のときよりも頭がしっかりしていると感じましたがどうでしょうか。
人が物を食べるとき、口で噛んで小さくして、それが順次食道に流れていくのではありません。意識しながら食べると、すこしづつごくんごくんと食道に入れているのがわかります。飲み物を飲むときを想像した方がわかりやすいですね。脳梗塞で半身が不自由になると、その「ごくん」と飲み込む動作(
嚥下(えんか))ができなくなる場合があるのです。その状態が続けば、腹部から穴を開ける手術をして、チューブを今で通す胃ろうの処置をするしかなくなります。食べ物を口に入れたら食道まで流す力がある患者でも、患者自身が手で口まで食べ物を運べない状態では、病院から入院患者の家族に食事の介護を要求される場合もあります。今日の義母は、鼻から胃までチュ−ブを通し、そのチューブから食事を流し込んでいるようです。
まだ脳梗塞がおきてから1週間です。当面は義母の回復を願うばかりです。
私は幸い、これまでリンパ腫を患って、排泄行為を人様にお世話になったことはありませんでした。
排泄行為を他人様にお世話になったことはありませんが、10日ほど何も食べずに栄養点滴をお世話になったことはあります。自家移植を受けた大量化学療法のときでした。食べるのはもちろん飲むこともできませんでした。食べたら吐く、口に食べ物を近づけただけで吐く、飲んだら吐くが続いたのです。そのときはクリーンルームにいて、それでも室内にあったトイレで小水をしました。便の排泄におしめをしたり、尿の排泄におしめをしたりチューブを差し込んだことはありません。そういえば、長く治療を繰り返したときに、尿の排泄のコントロールが弱くなって少し漏れる時期はありました。
リンパ腫の治療を受けて、その副作用で手の指が痙攣したり吊ることはありますが、副作用の吐き気が出ていないときに、肉体的な動作の不都合で食べられないってことはありませんからね。ベッドの横にポータブルトイレがあれば、よほどでなければそれを使えないこともないでしょう。どうしても痛みが取れなくて、意識レベルを落とすしかないことになれば、排泄もそれなりの手立てが必要になるでしょうが、そんな状態のことは、あまり聞いたことがありません。
Dr.Dr.Scheefが私に聞きました。
「あなたは食欲はありますか?」
−− はい、お腹は減りますし、食事もおいしいです。 −−
「それならいい。食欲があるなら、あなたはまだ生きたいってことだし、その力があるってことだ。」
そういえば、リンパ腫の腫瘍熱が出たころ、治療による吐き気の副作用もないのに、食べようとしても食べられませんでした。
最近、空腹感を感じないし、食欲が落ちています。
それは歯の問題からきているのでしょう。
今、ここを読んでいただいているあなた、
最近食欲はありますか?
2012年2月4日(土) 21:10 しこりいろいろに追加
昨日の朝と今日の朝は電気温水器からのお湯が出ませんでした。
我が家の給湯は風呂と台所の2ヵ所です。
風呂場のすぐ外に貯湯タンクがありますから、風呂の湯を出します。一番熱いお湯が出る状態にしても凍っているのでちょろちょろしか水がでないのですが、10秒ほどそのままにしておくとズボッズバッという音を出してお湯が出るようになりました。その後で台所も同じようにすると30秒ほどでお湯が出るようになりました。
この地方では、水道が凍結することは想定されていませんから、配管の保温が手抜きなのです。トイレの水が完全に止まらなくなっていますから、凍結防止にちょうどいいのかもしれません。
金曜日の朝は、妻が仕事に行くのに、車のドアが凍結して開かなかったといっていました。風呂の浴槽を廃湯していませんから、それを流してドアを開けたようです。
15時過ぎにガソリンを入れに出たら4度でした。
夕方になってより寒くなってきましたから、相当気温が下がっているでしょう。
昨夜はパジャマの上にジャージーの下を履いて寝ました。
今夜は、靴下も履いて寝ようか。
夜中に2度ほどトイレに降りて、そのあとで布団乾燥機を使って暖めてから寝ています。我が家にあんかはありませんから、ペットボトルにお湯を入れて、それを抱いて寝ましょうか。お湯が栓から出てこないか、事前にじゅうぶんに見極めておかないと危険です。
それに、私は自分の体温で自分を暖めることができない低体温症です。
都会の人は、朝まで寝室のエアコンを入れておられるのか、部屋の密閉性が高いから、寝る前の余熱で建物全体が冷え切らないのでしょうか。
夏は暑く、冬は寒い我が家は、まだ今夜も寒い。
寒さ暑さも彼岸まで、
この寒さもあと1ヵ月半ほどでしょう。
これほどの寒さは、真冬でもそうは続かないでしょう。
猫はコタツで丸くなる。
我が家に猫はいませんが、そんな気持ちもわかるような気がします。
明日は、義母が入院している神戸の病院に行くつもりで、車にガソリンを入れてきました。今日の昼間、雪が融けて水が流れた道路は凍結の恐れがあるし恐いけど、恐いのは車を運転する私だけで、事故を起こさない限り助手席の妻には関係ないことです。
交通量の多い道は完全に雪も融けましたが、裏道に入るとまだ道路に雪が残っています。それでも根雪になっている雪国ほどではありません。
凍結した道路は恐いですよ。昔、凍結してスケートリンク状態になっていた道路で、車が完全にすべって、50mほどハンドル操作が一切できなくなったことがあります。走るんじゃなくて滑っていたんです。カーブが近づいて、もうだめだと思ったときにハンドルが効きました。そのとき何故事故らなかったというと、運がよかったんです。ただそれだけでした。
北向きの運転は恐いけど、南向きならそれほどでもないでしょう。と、願う。
「しこりいろいろ」というのを書いていまず。
それは、ここをクリックです 。
追加したいんですが、投稿の仕方(パスワードなど)を調べるのが面倒です。
何を追加したいかというと、再発に関するしこりの発生部位についてです。
しこりの増勢が強くなってからは広がった先でも隆々となるのですが、寛解後に再発するときは、再発部位が違ったのです。
初発は首周りでした。
初回の再発は、左脇の下でした。
次の再発は右足の付け根でした。
次の再発は右脇の下で、
その次は、表在しこりがない状態で胸の中でした。
うまく書けないけど、再発で最初にしこりが出てくる部位が変わっていたんですね。そこを中心にして複数出てきて、その後離れた場所にもできて全体的に勢いづくっていう感じでした。
表在しこり(手で触れる範囲にできたしこり)があると、治療を受けたときにそれがアンテナになるんです。手で触って薬が効いたかどうかわかるのです。効けば安心に繋がります。
しこりが最後にできたのは胸の中でした。
そのときは、しこりが気管支を圧迫して息苦しいほどになっても、手で触れる範囲にできていなかったのです。薬の効果を手で触って実感できませんでした。それは気持ちが悪いですね。不安感が高まります。
濾胞性リンパ腫で、小腸や十二指腸にしこりができて、表在しこりのない人が結構おられます。不安の大きさ、気持ち悪さが想像できます。エコーも含めた画像診断を受けないと治療の効果がわかりませんからね。大変です。
最後の再発で受けた最初の治療はR−CVP(R−COPともいう)でした。
そのときの再発は、表在しこりがないという状態を初めて経験したときです。胸にできたしこりが気管支を圧迫して、通常の呼吸がしにくくなり、息苦しさまで感じていたのです。手の指先をグーパー10回繰り返しただけで酸欠し、動悸が激しくなりました。病気が進むと腫瘍熱が出るのですが、そのときに始めてそれを経験しました。朝起きると目やにで目が開かないほどでした。
確かに薬は効くのです。治療のあくる日からは息苦しさが消えました。でも、治療から10日過ぎるとしこりの増大で息苦しさがぶり返してきたのです。
3週間に一度のR−CVPを2週間に一度に間隔を値締めました。息苦しい期間は短くなりましたが、しこりが順次小さくなっていくほどではありませんでした。
そんな状態の私に、血液内科の中で様々な話しが出たに違いありません。
まだ使ったことのない薬を使う「より強い治療」の話しが出なかったのは幸いです。すでにR−CHASEの治療も既に始まっていましたが、まだそれほど広がっていない時期で、自家移植に意味が少ないことが広がっていた時代でしたから、その流れで「強い治療」に疑問が出ていた時だったのでしょう。
そのときは、胸にできた大きなしこりが問題で、他に顕著なしこりは確認できない状態だったと思います。主治医の気持ちは放射線治療に傾きました。私は主治医の指示で放射線治療医に受診をしました。しかし、正月休みを挟むことになります。主治医と放射線医が話したのでしょう、放射線治療をするにしても正月があけてからにすることになったのです。しかし、それだと3週間ほど無治療になります。腫瘍熱が出たりかなり進んだ病状であったことから主治医は時間稼ぎにラステットの内服を1クール挟むことに決めました。
それが劇的に効いたのです。
あまりにもよく効いたために主治医に欲が出ました。
放射線治療は無期延期になりました。
「ラステットの内服を1クールはさむ」と決めた主治医は、長くそれを続けたくない理由があったのです。でも、その薬で目の前の患者に劇的な効果が出た。その魅力に負けてしまったのでしょう。
それで、今の私があるのです。
「あなたは、何故今も長期の無再発で生きておられるのですか?」
そう聞かれたら、「それは偶然です。ただ運がよかったのです。」としかいえない状態をわかっていただけると思います。
ただ、私が最後に受けた治療は致命的な副作用の危険性も高いと書いてきました。だから皆様にお勧めできないのです。
それを、もう少しはっきりお伝えしたいのですが、書いた文章が私にその事実を呼び寄せる恐さがありますから書けないのです。
もうひとつ、詳細を書けない事柄を書きました。それも現実に起きるのが恐いので、今後もそれ以上は書けないし書かないでしょう。
ですから、
私はただ運がよかったのです。
「うん うん うん」の香取慎吾さんじゃないですが、まだロトは当っていません。
というよりも、出方が変わってきたので最近は買っていないのですが、
飛び上がると、うまくいったときはスピードを速めた変革ができるのでいいのですが、うまくいったのと同じ分だけの目に見えないマイナス分も発生してるんですよね。それが表に出ることが恐いのです。ですから、飛び上がるよりも這い上がるほうがいいのです。ゆっくり這い上がる中で生んでいるマイナスのエネルギーをこなしていくのです。
家を新築すると難しいことが起きるとよくいわれていますが、悪いことを消化しながら新築できるような状態がいいですね。
明日は、凍てた橋に注意しながら遠出してきます。
血圧の薬が月曜日の分までしかありません。
震災で、長く決悦の薬が手に入らなかった人も多いんですよね。
直下型首都圏大地震や、東南海大地震が心配されています。
それは、来るか来ないかという問題ではありません、必ず来るのです。
それが来たときに、どの程度の震度になるかを記した地震マップが自治体などで用意されています。まずは、あなたのお住まいがその最大深度に耐えられるものかどうかです。
そして、
1)最大震度を想定する、
2)家が倒れない、
3)ものの下敷きにならない、
4)重たい物でショックを受けない、
5)いつでも飛び出せる服装、
6)玄関先にはすぐ手に持てるもの
の準備でしょう。
もちろん、まずは「個々が生き延びる」というのが大前提で、それが出来たときに家族が散り散りにならないための連絡網を事前に決めておくなどが必要です。
残念ですが、あなたやあなたのご家族を助けるのはあなた御自身です。
私はどうするか、
この家の耐震性は低い。
しかし、震度3以上の記録がないと思う。
過去の最大震度をどこで調べようか、
震度5があれば我が家はだめです。
2012年2月3日(金) 22:52 氷道
21時過ぎに外に出たら氷道でした。
気温がマイナス3度。朝の7時にはマイナス7度を記録したようです。
雪が残っているところはその上を歩けるからいいのですが、昼間雪融け水が流れていたところは全面の氷道です。踏みしめたらすべるし、そっと足をはわせたらすべるし、向こうから来た車が滑ったらと思うとぞっとします。恐い。
確かに恐いのですが、
北海道ではこれが毎日でしょう。
大雪で、毎日大屋根に上がって除雪されているところもあります。
しかし、
それでも我が家近くの氷道を歩くのは恐い。
12月から施設に入って、先日脳梗塞で入院した義母の状態が思わしくありません。
義父は、昨年の6月に脳梗塞を起こして入院し、歩けないものの病状も落ち着いてきた3ヵ月後の9月に施設に入り、12月に急変して病院にいったそのあくる日に旅立ちました。
義父が入院してから、しばらくひとりで家にいた義母は、昨年の12月から兄の近くの施設に入りました。結婚してから60年住んでいた家を離れて施設に入り、夫の死を迎えたのです。ストレスがたまらないはずはありません。あれだけ独り言の多かった義父も、施設にはいってからは一切話さなくなりました。もちろん、話さなくなったのは脳梗塞の関係かもしれませんが。
高齢者は、大きな環境の変化を望まないでしょう。我が家と同じように、子供達が親を心配して施設を探して入れたりしますが、それがすべて「お父さんお母さんのため」なのかどうかは疑問です。多くは自分達のためでしょう。しかし、「親のため」なら、自分達の暮らしをすべて投げ打って、実家で暮らすしかないでしょう。そうなれば、下手をするとみんな共倒れです。両者が生き延びる手段として、一定の変化は仕方がないこともあります。しかたがない。納得できなくても、納得するしかないのです。
そんな環境の変化が、母に大きなストレスを与えたのかもしれません。
しかしねぇ、日本の人口が5000万人を切るのは50年後の予測でしたっけ、
ひとりっ子の家庭が多くなっています。
ひとりっ子の子供同士が結婚すると、どちらかの家を継いでもどちらかの家は絶えます。お墓のおもりすらできなくなるのです。
ふたりで両家4両親分の年金を負担することになります。そんなことできなくなるのは目に見えています。
人類数万年の歴史の中で、電気洗濯機を使い出した歴史は50年です。
GDPが急カーブで成長しだしたのはわずか100年ほどのことです。
地球のように文明が発達した星はたくさんある。
しかし、その星はみんな、
発達した文明自身が自らを滅ぼしていったのです。
身に沁みます。
5%の物価上昇が続き、それに見合うGDPの上昇が続けば1000兆円に及ぶ国の借金も大きな問題ではないのでしょう。しかし、実際には20年間デフレが続いています。その間国内経済のパイが縮小しているのに公務員の総数は増え続け、「給料が安い」と噂されてきた公務員や電力会社は一転高給与の代表グループを形成してきました。
部屋にハツカネズミを放し、その餌を与えます。
ハツカネズミをどんどん増やします。
それに見合う食料を与え続けても、ハツカネズミの広さに占める密度が一定量以上になると共食いを始めます。
江戸時代の日本の人口は3000万人とされています。
もう各戸に薪を炊くおくどさんを置いて、火鉢で暖をとることはできないのです。
アメリカの工場を目指し、安かろう悪かろうでスタートした日本経済ですが、4Qで大赤字を計上した日本家電メーカーに比べてサムソンは昨期1兆円近い利益を計上しました。アメリカの家電量販店では、韓国メーカーのテレビばかりで、パナソニックやソニー、シャープのテレビを置いていない店も出ています。トヨタから完成エンジンの提供を受けてスタートした韓国自動車メーカーですが、今はアメリカで攻勢が強まっています。
飛行機やヘリコプターで種をまくアメリカ農業と、狭い棚田のために耕耘機さえ入れない日本農業、これからどうなるんでしょうね。
私にもっと頭があれば、経済の世界も面白そうですね。
でも、人は努力だけでは大山倍達や王貞治にはなれません。
人以上の努力を続けることで、いつかふと女神が目の前に降りてこられることは今も信じていますが、それでも誰もがダヴィンチにはなれないのでしょう。いくら毎日24時間働いてもです。私は24時間働いて、ふたり分の仕事をできることを目指してきました。同じ8時間勤務で、人の120%の仕事量をこなすことをできないことを知っていましたから。
日本も世界も、大きな岐路に立っているのに違いないのでしょう。
その先にあるものが何なのか、
今生まれてくる子が、寿命を全うするころにははっきりしているでしょう。
国民会保険制度を持つ日本医療は世界に誇れるものでしょう。
しかし、だからといってそれが医療のすべてを満たしているものではありません。
医療も電力も村社会なのでしょう。
それをもう一歩踏み出すには、「村」を超えるしかないのでしょう。
日本に、じゅうぶんな津波対策がされた原子力発電所があるでしょうか?
ひょっとしたら、一基もないかもしれません。
2012年2月2日(木) 21:00 昼雪
雪景色になってしまいました。
40cmほど積もったでしょうか。
兵庫県の北部、豊岡市では90cmとか、
先週の土曜日に義父の忌明け法要で通りました。
時期が少しずれたので助かりましたが、この雪の時期なら車でいけなかったかもしれません。しかし、豊岡で90cmは記録的な大雪でしょう。
この地方では、昼に雪が降ることはあっても積もるのは珍しいのです。
昼は気温が高いからでしょう。
今日は、その昼に積もりました。
今夜、もうひと雪来るかもしれません。
久しぶりにエアコンを入れましたが、暖房にしても冷気しか出てきません。
そういえば、嫁さんがエアコンがおかしいとかいっていました。
今日、昼食を食べてから動かしたらありゃ、暖かい風が出てきました。
どうも、困ったもので気分屋のようです。
エアコンで部屋を暖めたら机に座れるのですが、コタツに比べて電気代が倍かかるのではないかと心配です。ですから我が家はずっとコタツで、あまりにも寒いときはファンヒーターを追加します。
下の部屋は、お客さんが来られたときにエアコンの暖房を入れることがあります。
2階のこの部屋は、これからもエアコンの暖房は入れないでしょうね。
それにしても、今日はさすがに寒い。
我が家の風呂はユニットバスではないので寒いのです。昔のタイル張りですから、体を拭いて風呂から出るときには体が冷えています。
宝くじが当れば暖かいユニットバスが欲しいなんて贅沢でしょうね。
私の小さいときは、薪で風呂を沸かし、ご飯もおくどさんで炊いていた洗濯機のない時代です。
冬場に家全体が暖めてある家では、高齢者が長生きするという記事が新聞に書かれていました。長生きするにもお金が要る。
そして20時、京都府北部に出ていた大雪警報が解除されました。
でも、スイッチを入れてから10分間ほど暖房運転していたエアコンは、暖かい風や寒い風を送ることもなく送風がとまったままです。
使わなくても、故障したままというのはいらつきます。
私は小心者のきにしぃです。
さて、血内の受診は2月の10日だったと思うけど、確認しておかないと。
それに、クリニックにいって高血圧の薬をもらったり、歯科の予約もあるし。
半年に一度のボーエン病は6月の予約だったと思うという金食い虫たちです。
フ ァ イ ト ォ オ −
2012年2月日記に書いたリンク集
01日
Only one day
(1日だけ、履歴に残さない当日日記)
この日記では記述に色分けをしています。
通常の日記は紺色で書いています。
持病で私の事を書くときは紫色で書いています。(20070701から)
持病で一般的なことを書くときはの色で書いています。
まれにですが、最重要個所では赤字を使っています。
8月9日からしばらく、母の病気や家族への伝言はこの色で書いていきます。
株式のNET売買について書くと きはこの色 です。
※ 注意
これから私のメイルアドレスを以下とします。
sabcdek-ybb.ne.jp
上の−(ハイフォン)を@(アットマークに変えてください)。
それが今後は、この持病関連で使う私のメイルアドレスです。
詳細な理由は、このホームページのアドレス変更と共に3月28日の日記に書いています。
このホームページの正規のアドレスは以下です。
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/
それ以外のアドレスだと正常に動作しない部分もあります。
ここに私が書いていることで、治療に関することは、あくまでもリンパ腫の患者である私個人の場合です。ホジキン病や、非ホジキンでも濾胞性や瀰漫性の違いだけでなく個々の患者さんによる違いが大きなものだと聞いています。読んでいただいて思われることがありましたら、主治医の先生に相談されることをお勧めします。