2011年9月分日記のストックです。

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2011年9月 体力を回復する

お願いします。

「濾胞性リンパ腫の井戸端会議」と「濾胞性リンパ腫患者の治療履歴集」の掲示板を作りました。お入りいただきたいのは、濾胞性リンパ腫の患者さんとご家族です。
私のアドレスは sabcdek-ybb.ne.jp です。-を@に変えてメ-ルをお送り下さい。
その掲示板に入るパスワードをメ-ルの返信でお知らせします。
詳細は2010年の3月11日日記をご覧下さい。
9月30日現在59人+3人にご案内済みです
随時更新される100人の治療歴があれば、素晴らしいとお思いになりませんか?

リンパ腫の患者さんが月々に支払う医療費は最大で10万円です。
詳細は2010年の、4月29日、6月24日日記をご覧下さい。(入院と外来それぞれが各10万円になるなどや、差額ベッド・入院時の食費など別額もあります)


2011年9月 体力を回復する
 30 明日から10月
 28 
高血圧の薬の内服開始
 27 
血液情報広場 つばさ
 26 
高血圧でクリニック受診
 25 
骨髄腫研究会総会は患者に公開
 24 夏を終えて、
 23 
外来化学療法室
 22 被爆の影響
 21 台風一過
 19 見えない世界の根っこ
 18 
不安の意味
 17 
濾胞性リンパ腫の寛解中治療
 14 
再発の勘違い
 13 
濾胞性リンパ腫の予後
 12 
CD20の発現とB細胞の存否
 11 
リツキサン10年
 11 
濾胞性リンパ腫の予後決定要因
 10 
リツキサンによる長期寛解効果
 09 
義父の転院完了
 08 
肺がん数字のマジック
 06 
薬の開発と後日評価の構築方法
 04 
がんの罹患登録と症例登録
 02 見えないものの意思
  8月26日 
血液内科の受診
2011年9月30日(金) 17:31 明日から10月
今日で9月は終わりです。
明日から10月で、もう残暑とはいわないでしょう。
秋本番に向かいます。
春は寒い季節から過ごしやすい暖かな季節へ、秋は暑くてしんどかった夏から過ごしやすい季節へ、一年で一番過ごしやすい季節ですね。
10月も後半になれば寒いと感じる日があるかもしれませんから、天国的気候もわずかな期間です。
わずかでも、この気候を楽しんでみよう。


 あれをああしたら、あれもあれもできるのに、
 わかっていながら、あれをああできない私の軟弱さです。

書けないけど、意思が弱い。
妻の父母に会うと気分が萎えます。
こんな感情は過去なかったのですが、義父母は、いつその日が来てもおかしくない状態ですから、これまでとは違います。夫婦とも85歳を超えていますから、100歳を超えて生のある人は珍しい。
私が60歳になって5ヶ月あまり、そろそろその年に慣れていいころなのですが、まだ受け入れられないのでしょう。



今日の朝10時、爆弾が落ちました。
ちょっと大きな爆弾です。
なんとかにしろ、無茶苦茶にしろ、明日が終わればけりがつくのですが、
何もしてない半世捨てのヒッキーなのに、なんで?

ああ嫌だ嫌だああ嫌だ。
なんてばかり思ってたらろくな結果は出ないでしょう、
といっても、この状況を「楽しむ」気持ちにはとてもなれないし、

そういえば、子供のころ「米つきバッタ」というバッタがいましたね。
両足を指にはさんで持つと、お辞儀をし続けます。
明日は、何回謝ればいいのか、

 あなたに助けてもらえて今回の催しが進みます。
 ありがとうございます。

「ごめんなさい」じゃなくて、「ありがとうございます」に、明日は言葉を変えてみましょう。
24時間でみんな終わる。



義母を連れて、義父の入った特別養護老人ホームにいって、建物の概観を撮ろうと場所を探していたら、あぜ道に蛇がいました。
蛇は「道を指し示してくれる」ともいわれます。
義父がここに入ったのは正解なんだと。
蛇の頭は、上の写真の左です。
頭を持ち上げていた所を撮ったつもりなのですが、わらの中に頭を突っ込んでいました。もっと撮っておけばよかった。



2011年9月28日(水) 16:15 高血圧の薬の内服開始
オレンジ色に染まる雲海を見たことはない。
そういえば初めて雲海を見に行った昨年は、ほんの少しオレンジがかっていたような、気がする。
その記事に、ちょっと心を動かされるが、その前にあそこ、
あそこから雲海が見えるか確かめたい。
車で上がれないから、歩いて30分か。
でも、あそこだと雲海まで距離があるから望遠じゃないと撮れないか。
といっても、望遠レンズは持っていませんが。



義父の転院先は病院だと思っていたら特養らしい。
これから、泊りで行ってきます。


昨日から血圧の薬を飲み始めました。



2011年9月27日(火) 20:09 血液情報広場 つばさ
秋の気配が訪れた今、
昨日と今日は夏と秋の狭間の暖かい日です。
でも、朝の気温は下がっていて、今年初めての雲海が出たらしい。
近くの山に出たもので、関西版のテレビで放送されていました。
今日の写真は、おそらくそれが撮られたであろう場所です。
京都府の北部、福知山市(旧大江町)と日本三景のひとつである天橋立を持つ宮津市の境界にあるのが大江山ですが、その実体は大江山連邦です。
その中のひとつが「大江山」なのですが、スキー場であるなだらかな山肌を登っていくと2段頂上になっています。その一段目まで登ったことはあるのですが、2段目まで登りませんでした。新聞やテレビで見る雲海の定点ポイントとは違う場所なのですが心残りなのです。頂上からの眺めを忘れましたし、できればこの季節に登ってみたい。景色が違うので、そこからは雲海が見られないかもしれませんが、見れたら儲けものです。
秋の始めにビッグプレゼント。


今日、「血液情報広場 つばさ」さんからメール便が届きました。
以下が、その封書です。


私は「つばさ」さんの会員ではありません。
昨年だったと思いますが、大阪の豊中で行われたつばささんの血液セミナーに出席してから案内をいただくようになりました。
私は京都府在住ですし、今回の案内にはMDSについて京都での講演も含まれていましたから、それでお送りいただいたのかもしれません。
ご案内ありがとうございます。頭が下がります。


「講習会に来ていただいたのだから、今回もお知らせしなければ」
ありがとうございます。
仕事をしていたとき、お客さんが私の勤めていた会社に来ていただいたとき、そのあとで礼状を出しました。(時々でしたが、)、会社で団体営業をされている生保レディーさんから新しい提案書をいただいたら、間違いなく、その次の日には自宅に来ていただきました。
大阪で、世間に知られるトップセールスも来ている講習会に参加したとき、トップセールスは確実に基本をこなしている人たちであることを知りました。
お金が欲しいと思います。
お金があれば、例えわずかでも応援できます。

案内にありました、京都で行われるMDSフォーラムのご紹介はやめましょう。

つばさフォーラム in 長崎
 血液がん
11月12日は、ここをクリックです。

つばさフォーラム in 沖縄
 血液がん
11月19日は、ここをクリックです。


ちなみに、MDSフォーラムのチラシで、「骨髄異型性症候群MDS連絡会」という団体があることを知りました。その詳細は、ここをクリックです。
そこにあるリンクで、「血液疾患×なんでも相談室」を知りました。
その詳細は、ここをクリックです。
ここを読んでいただいている人で、大阪府立成人病センターに行かれている人がおられると思います。センターの*岡*先生が何でも相談室を主催されているのでしょうか。



さて、他にあったと思うけど、
思い出せないほどなら、たいしたことはないでしょう。


それにしても「朝食後1錠」なんて、私のように朝食を食べない人はどうすんだろう。
何日かだけの薬なら、しかたがないからパンでも食べるのですが、
昼ごはんを食べてから薬を飲むったって、「眠りから覚めて起きたら飲む」ということに薬の意味があるように思うし、ふだん朝食を食べない皆さんはどうしておられるんでしょう。
主治医に、聞き忘れました。
困ったもんだ。



2011年9月26日(月) 21:37 高血圧でクリニック受診
今日は、どんな天気だったんだろう。
てなことを思ってみるが、思い出せない。
18時半に帰ってきたときの気温が21度だったのは覚えています。
西に青空が広がっていたと思うけど、自信はない。
まあ、そんな日もあります。



右手と左手で同時に血圧を測ったら、
私の持っている手首自動血圧計 199-111
クリニックの上腕部自動血圧計  168-107


ご家庭で血圧を測られている人は、
お金に余裕があれば上腕部に布を巻きつけるタイプの方がいいようです。


前回の血液内科受診で血圧を測ってもらったら、180-110ありました。
それとなく主治医に聞いたら「近医に診てもらったらいいですよ」といわれました。軽く深読みをすると、「・・・診てもらった方がいいですね」ということなんだろうと、それ以上は聞きませんでした。「あうんの呼吸」は、医師と患者の間では好きではありません。誤解が生じないように話しを明確にすべきだと思います。
まあ、血圧程度ならいいかと思って、それから1ヶ月弱、我が家にある手首自動血圧計で測ったデータを用意して、昨日の血圧が192-109なので、意を決して今日、近隣のクリニックに行きました。私は初診ですがいい先生でしたよ。スタッフも良さそうです。

50kmほど離れているクリニックや病院ならいいのですが、10km以内なら特定されやすいので書けませんね。印象がよければもっと書きにくい。
検査もしたけど、どんな検査を受けたか書けばクリニックがほぼ特定されてしまいますから書けません。書きたいけど。
でもねえ、今年の年初にこのクリニックに来ていたら、私の人生が変わったかもしれないと書けば大げさか。
ここは、予約制ではないようです。このクリニックに16時10分に入って、全部終わって出たのが18時ちょうどでした。入ったときに、待合に患者さんが8人おられて、17時には13人、18時には16人でした。
何歳からか知りませんが、私の父も降圧剤を飲んでいましたし、私は今回その薬が欲しかっただけです。でも先生は一応、血圧が高くなってきたバックに何か病気が隠れていないか、一般的なチェックをされるようです。

ホームドクターもねえ、確実で丁寧な診たてで人気が出れば患者が増える。患者が増えれば、どうしてもひとりの患者を診る時間が短くなる。時間が短くなるとホームドクターとしてドクターコトーのような心遣いができなくなる。難しいですね。

クリニックの医師も、家業を継がれたとしても開業に当っての思いがあったでしょう。
どうせなら初志貫徹で、徹底的に患者を診る、それで人気が続けば患者は2時間待ち、3時間待ちになるが、敢えてそのまま続けるという道を走るか、そうなると、19時終業が毎日21時や22時になります。

駐車場の奥に、キャンピングカーとしては小さい車がビニールシートをかぶっていました。アウトドアからインドアへ、クリニックは力を合わせて共同の休日診療所を充実させて、土曜日を完全休診にして、余暇を得たり、医療情報の収集に当てられたほうがいいのではないでしょうか。



ありがとう。
もう、かなり以前になります。
私の血圧が高いとここに書いたとき、医者に行くようにと強く助言をしていただきました。
今になったのは、お金がなかっただけです。
お金がないのは今も同じですが、恐さが勝ったのです。
今になりましたが、ようやくクリニックにいって、明日から降圧剤を飲みます。
エックスフォージ配合錠とメイントーワ錠について調べるのは明日にします。
ヒッキーなのに人込みの中に入って、シャツの脇の下が汗でじゅくじゅくです。
つかれた。



2011年9月25日(日) 19:29 骨髄腫研究会総会は患者にも公開
ごめんなさい。
今日のトップ写真は目を刺しますね。
ヒガンバナシリーズの最終回ということで、ご勘弁ください。



以前にお知らせしましたが、「日本骨髄腫研究会」という医師の組織があります。
その詳細は、ここをクリックです。

11月に、その総会が行われます。
総会の案内詳細は、ここをクリックです。
そのメニューに書かれている、2日間の演題は、ここをクリックです。

今日ここに書いた理由、私がびっくりしたのは、総会?や講演への参加が患者や患者家族に開放されているということです。
参加費
■医師10,000円
■コメディカル5,000円      
■その他(企業など)5,000円
■患者・患者家族など3,000円
■学生 2,000円

そこに書かれているコメディカルとは、医師と協同して医療を行う、検査技師・放射線技師・薬剤師さんなどのことです。
「日本骨髄腫患者の会」さんは、ここをクリックです。
その、活動の成果でしょうか、それを判断できる材料は持っていません。
全国的な規模での「リンパ腫研究会」はありません。分散しているリンパ腫研究会が、1日も早く全国組織に発展されますように。



2011年9月24日(土) 24:15 夏を終えて、
夜も更けて、そばで、妻が小銭を数えています。
一枚二枚・・・、
いつから守銭奴になったのでしょうか。

だいじょうぶです。
職場で、明日使うお釣りを考えているのでした。


刈り取られた稲と、まだ刈られていない黄金色の稲穂、近くには曼珠沙華。
曼珠沙華は縁起が悪いから触ったらだめだと小さいときに教わりました。
縁起が悪いのは、毒があるというよりも伝わりやすい言葉だったんですね。
致死性の有毒を持っています。
「美しい花には毒がある」



早朝はもやが出ていましたが、10時には雲ひとつない青空が広がりました。
夕方からは急に冷え込んで、帰って来た妻は窓を閉め回っていました。
昨夜は、2度トイレに行きました。
汗が出なくなりましたからね。

 ありがとう。
 また夏が越せた。


お金がないというのは大きな問題です。
よほどのお金を持っている人でなければ、それだけではありません。
人が生きるのは、それだけではない。
東北の東海岸、被災地の人達にとって、今も大きな問題が二つあります。
「仕事」と「家族」です。
そのふたつは、生きる大きな要素です。
震災で、どちらも失われた人がたくさんおられます。
「私は~をしたい。」
というよりも、
「私は愛する家族のために~をしたい。」
というほうが動機として強いといわれます。
重い病気で、同じような状態の人が100人おられたら、残念ながら半分の50人は難しいという場合、「生きたい」という気持ちが強い人のほうが思い病気の状態から抜け出られることが多いと医療者がいわれます。

仕事でも同じでしょう。
動機が強いほど、やり遂げる、やり遂げたいと思う気持ちが強くなります。
気持ちが強いほど、どうしたらいいかを24時間考えます。
考え実行します。
勝利する確率も当然高くなるでしょう。
動機が強ければたくさん動く。

私は動機が弱まっていますね。
と、思うこと事態が問題です。
枯葉が落ちるのを見たら、誰だってそう思う、季節にはまだ早いのに。
今週は、新しい病院に変わった義父に妻と会いに行ってきます。
ヘルパーさんに助けてもらいながら、ひとり暮らしの義母も、早速寒いといって、昼から布団に入っているようなので、コタツや冬の用意をしてきます。
生きていれば、そんな動機もあります。



2011年9月23日(金) 23:58 外来化学療法室
20時に外から帰ってくると15度。
肌寒い。
来週の後半は暑さが少し戻るという予報が出ていますが、それでも29度か30度までです。最低気温は15度を切るようです。
明日は雲海が広がるかもしれませんという軟弱な予報で、もう秋ですね。
夏場で疲労しきった体の戻り具合を見ながら、少しずつ食欲、体力アップの秋を目指しましょう。
あわてずに、ゆっくりゆっくりです。

昨日までは、夕食を食べて、風呂から上がったら下着で過ごしていました。でも、今日は無理です。寒い。夏以降初めてパジャマを出してきました。
この寒さが続いたら、嫁さんはコタツを出すでしょう。またしばらくは、扇風機とコタツが同居する日が続きます。



厚生労働省の指導もあって、外来での化学療法が広がっています。
広がっているのは外来専用の化学療法室です。
外来化学療法室専任の医師や看護師さんが求められています。
もちろん化学療法について勉強し、精通された医療者です。
でもね、恐い。

私が大学病院でお世話になっていたときも、外来でCHOP治療を受けましたが、血液内科のが依頼診察室に併設されている処置室でした。
同じ血液内科の医療者達で、入院病棟にお世話になった人たちですから恐さはありませんでした。
今はあの病院も、他の診療科も含めた外来化学療法室なんでしょうか。
乳がんの手術は、大きな病院では乳腺外科が受け持ちですが、化学療法も、その外科の先生が受け持たれる場合が多いのでしょう。乳腺外科に限らず、固形がんの多くは、担当される外科の先生が化学療法を受け持たれる場合が多いようです。
私は、昨年の7月から8月にかけて皮膚の前駆がんでボーエン病の手術で入院しました。点滴は、術後の可能止めだけでした。薬の名前は聞いていませんし控えていません。入院病棟は、整形外科主体で皮膚科が間借り状態です。抗がん剤を使う患者さんはいませんから、みなさん血管はばんばん出ています。そんな中で血管のない私ですから、看護師さんがかわいそうなのか私がかわいそうなのか。ようやく入ったのにナースコールを押して、「針先で卵がどんどん育っているんですけど、」なんて、疲れました。
残念ですが、点滴は、看護師さんみんなへたっぴーで恐かった。
副師長さんなら、なんとか合格だったか。
化学療法は血液内科が一番だと思いますが、どうなんでしょう。

外来化学療法室に、専任の腫瘍内科医がおられたとしても、その医師が外科出身なら、やはりちょっと恐い。血液疾患の化学療法に精通しておられるのかどうか、安心ネタをいただかないと信頼できないですね。
「不安」は、将来を想像できないことから生じます。血液疾患の外来化学療法で、化学療法室完全お任せコースは想像しにくいのです。
救命救急なんて、何でもかんで物患者さんが来られるんですから、それを考えたら化学療法に絞れるだけましか、
それでも恐いなあ、すべてのがんについて化学療法に精通している医師や看護師さんを想像できないのです。
私なんか、同じ血液疾患なのに骨髄腫や白血病を想像できないのはもちろん、パーキットはもちろん、私がいつか転化する可能性がある瀰漫性でも難しいのに。

血液内科の病棟や、血液内科の処置室よりも、外来化学療法室の方が安心できるよと思われている人がおられたら、教えて欲しいものです。



この寒さだと、ちょっと熱燗が恋しくなります。
まあ、なんでもいいのですが。
量産焼酎をロックで飲むと、一瞬だけ一番おいしい薄め具合になる瞬間があります。8対1から9対1付近、微妙な割合の瞬間なのですが、この3月に石垣島のホテルのフロントで無料サービスされていた泡盛も、原酒ではなくて、ほんのわずかですが水で薄められていました。あの微妙な万点薄め具合に惚れたのです。その旨さが、多分薄め具合にあるのだろうと気がついたのは6月になってからでした。



2011年9月22日(木) 22:26 被爆の影響
上の写真は昨日撮ったものです。
普段流れている川があって、その河川敷に平行した2本の歩道があります。堤防に沿ってある歩道に水かさが増した濁流が溜まっているところです。
その近くでは住居への浸水はなかったのですが、2kmあまり離れたところ、15kmほど離れたところ、20kmほど離れたところでは床下浸水の被害が出たようです。
台風が来て、一定量以上の雨が降ると浸水するとわかっていても、先祖代々、自分も数十年住み続けた家なら、今更転居するのは難しいでしょう。
台風の進路では、強風で倒れた木が車をぺしゃんこにしたものの、ボンネットや後部で、乗っておられた人は無事だった映像が流れていました。
前回の台風で山肌には水分がたっぷりでしたから、土砂崩れの被害が一番大きかったんですね。危険が予測されていても、それぞれのご家庭にいろんな事情があるのでしょう。難しいものです。100年間崩れなかった裏山が、次の大雨で崩れないという保障はありません。でも、100年崩れなかったんだからだいじょうぶ。というよりも、大丈夫と思うしかないというのが人の性なんでしょう。「想定外の出来事」それがリスク管理でしょう。想定内のリスク管理なら、営業マンだって普通に日々頭に浮かべているでしょう。


今日は、私ひとりで知らない人おふたりのお相手、疲れた。
すぐに助け舟に来ていただけたけど。

ヒッキー暮らしも8年目ですから、想像以上に対人恐怖症というか、人に慣れていないのでしょう。人と会うのが自信がないから恐い。恐いと思っているからそれが顔に出る。顔に出ているのがわかるから落ち込む。落ち込むから余計に自信がなくなるというロータリーエンジンの回転スタートです。
給与生活者をしていたときは、告知を受けてから2ヵ月半後に初回治療を受けました。それから6年間給与生活を続けていましたが、病気のことは最初から同僚に話していました。仕事をしていたときは疎外感を感じていたものの、そんなつまらないことに心を配っている暇はないという気持ちでした。今の気持ちを無理に打破するよう動くつもりはありません。ありのままの今で少しずつ前を向けたらいい。
これはだめだと一念発起して何か始めたものなら次回の受診が恐い。
これまでがそうでしたからね。堪能しましたから、タンカーの方向転換で進みます。実質は、どこからか他の国から能登沖に来た水漏れのある伝馬船ですが、
つかれた。


今日のダブルアポですが、片方が30分早まってダブルブッキングになってしまいました。午前の部は我が家から車で2時間の場所で昨日からの泊り予定でした。ちょっと関係者に不義をしましたが、台風もあり、そのほうが安心でした。
ヒッキーでスケジュール真っ白なのに、世の中は面白いものです。



放射線被ばくについての公開討論会
「-安全に暮らすためのエビデンスと対策-」
として、国立がん研究センターから動画が発表されています。
その詳細は、ここをクリックです。

まだ一部を見ただけですが、「低線量被爆は、レントゲン検査と比べて~」なんていうばかげた発言はないと思います。

いまだにそんな発言が出ていますが、福島の原子力発電所事故による放射線被曝は基本的に「24時間連続低線量被爆です」レントゲン検査やCT検査は「高線量短時間被爆」です。
今のCTは方式が少し変わった(らせん方式?)ようですが、少し前のCTは、体を輪切りに放射線を当てて検査をし、それを5mmずつ移動して放射線を当てて検査をしておくという繰り返しでした。その5mmごとというのは、1cmごとの間隔など、放射線医と主治医と相談して決めるのでしょう。1回分のCTで使われる(放射される)放射線量は、胸部レントゲンの1回分弱です。ですからCTの方がレントゲンに比べて放射線量が10倍20倍になります。
CTで放射される放射線は、ほぼ厚みがありません。ですから5mm間隔でCTを撮ったら、ちょうどその間に5mmの腫瘍がある場合にはCT検査に出ない(写らない)ことになります。
少し前のCT検査は、頭部と胸部、腹部を一回で撮ることはできませんでした。その理由を医師に聞こうと思いながら聞きそびれてしまいました。場所が違っても、全身が受ける1回の被爆量の問題でしょうか、わかりません。



2011年9月21日(水) 19:22 台風一過
風はほとんど吹きませんでしたが、よく降りました。
我が地は台風一過ですが、淡路島や名古屋など、大雨による洪水に襲われた地方の皆様にはお見舞い申し上げます。
紀伊半島の土砂ダムは、まだ心配な状態が続いています。
台風一過といっても日本は長いので、これからを心配されている地域もあります。
最小限の被害で食い止められますように。

台風一過といっても、秋雨前線があるので青空は広がりません。
その影響で、今も雨が降っています。
偏西風もようやく下がってきて、それもあって秋雨前線が下がってきましたし、もう9月も後半なので、残暑も終わるでしょう。
昨夜の気温は20度を切ったと思います。
20度を切れば肌寒く、布団が恋しくなります。

夏の疲れから、体調を整える季節に入ります。


上の図は、京都府北部に流れる一級河川の由良川の水位です。
国土交通省さんが提供しているそれは、ここをクリックです。
それは、近くの町の代表的な推移測定値です。

水防団待機水位 2.00m
はん濫注意水位 4.00m
避難判断水位  5.00m
はん濫危険水位 5.90m

となっていますが、今日の推移は下記でした。
10分ごとに見ることもできるのですが、1時間ごとでお見せします。
あと20cmで大洪水でした。


時刻 水位(m)
2011/9/20
 18:00  3.51 ↓
 23:00  2.36 ↓
 24:00  2.11 ↓
2011/9/21
 01:00
 1.88
 02:00
 1.68
 03:00  
1.60
 04:00  
1.76
 05:00  2.08 ↑
 06:00  2.55 ↑
 07:00  3.12 ↑
 08:00  3.79 ↑
 09:00
 4.43
 10:00
 4.95 ↑ サイレンが鳴り、携帯に避難準備情報が入りました。
           防災スピーカーが鳴り、広報車が町内を走っています。
 11:00
 5.37
 12:00  
5.60
 13:00  
5.73
 14:00
 5.72
 15:00  
5.66
 16:00
 5.54
 17:00  
5.35

天井川です。
ポンプがフル稼働で水を由良川に持ち上げています。

首都圏は3.11以来の交通マヒです。
首都圏のJRは「復旧の見通しなし」となっていますが、台風の速度が上がっているので、今夜中には走らせるではないでしょうか。バスも遅れていて、待っている人が多く、自分の路線は、どこに並べばいいのかわからないようです。
東京でこんな強い風は久しぶりではないでしょうか。

我が家は風と地震が恐い。
この30余年何事もなかったのは偶然です。
補強しないと強度が足りないでしょう。


皆様も、何事もありませんように。


今日のトップ写真は16時に撮ってきた生写真です。
小川は綺麗な水が流れていますが、その100m離れた所に由良川があります。
河川敷はもちろんみんな川になっていました。



2011年9月19日(月) 21:17 見えない世界の根っこ
台風がこちらを伺っています。
台風12号と似た大雨の心配が出ていますが、今のところは太平洋岸に前回のような雨雲はないようです。
我が地では、今日の午前中に強い雨になりましたが、それは台風の影響もある秋雨前線の影響で、台風そのものの雨ではないでしょう。
まだ紀伊半島では土砂ダムが心配されている最中ですから、何事もなく治まって欲しいものです。



GyaOの案内メールを何気なく見て驚きました。
以下の写真です。


小学校のときに少年マガジンで伊賀の影丸を見ていたと思います。
第二次世界大戦でゼロ戦の空中戦などを題材にした漫画も見ていたと思いますが、小学校時代となると、後日の刷り込みもあり自信がありません。
最近ではさかぐちかいじのジパングや沈黙の艦隊を追いかけていましたが、買うお金も喫茶店で読むお金も底をついたので途中で終わっています。
昭和30年代は、戦争復古ブームではありませんが、男の子達がちゃんばらごっこをしていた時代です。今日は、極右とか軍国主義がどうのこうのと離れて聞いてください。
上の詳細は、ここをクリックで驚きです。
上の写真は、第二次世界大戦末期に完成し、実戦配備された日本海軍の爆撃機搭載潜水艦です。その潜水艦について書かれた記事を何度か読んだと思うのですが、みんな綺麗に忘れていました。
上の写真で甲板に少し盛り上がった部分がありますが、それが爆撃機の滑走路です。爆撃機は主翼や尾翼が折りたたみ式で潜水艦の防水された格納庫に3機収納されていますので、潜水艦ですからもちろん海中を潜水奏効します。航続距離は世界一周?、それは大げさですが、日本を出てから無補給で南アメリカのチリ沖を回って大西洋に出て、ニューヨークやワシントンを空爆する能力を目指していたといわれます。
飛行機はフロートをつけていますから、帰還するときは海上に着水して、海上から潜水艦の甲板上へはクレーンで吊り上げます。
SF物語として発想はできても、それを当時の技術力で実現したとは、昭和10年代後半の日本の潜在技術力はたいしたものです。
今、メディアでそれを過度に取り上げたら、軍国主義復活の予兆とか9条改悪の準備とかで非難ごうごうでしょう。

戦時中、突拍子もない発想のできる軍人もいました。
最終戦争論とは、戦争自身が進化(戦争形態や武器等)してやがて絶滅する(絶対平和が到来する)という説である。その前提条件としていたのは、核兵器クラスの「一発で都市を壊滅させられる」武器と地球を無着陸で何回も周れるような兵器の存在を想定していた。
1910年、明治43年21歳の時には、上記人工衛星搭載型の核兵器を考えていたといいますから驚きです。
その人の名は、石原莞爾。
詳細は、ここをクリックです。
昭和16年に参謀総長東條英機と合わず、罷免されて予備役となり現場から離れました。それも戦犯を外れた原因のひとつでしょうが、戦後の東京裁判で証人となったときにはがんを患っていたために、裁判関係者80余人が東北の酒田出張法廷まで出て行きました。そのときに石原をリヤカーに乗せて運んだのが空手バカ一代の大山倍達といわれていますから驚きです。
空手バカ一代もまた、昭和50年前後に少年マガジンに長期連載されていました。
と書いても、3日したら綺麗に忘れるんですよね。
だから私は生きていけますが、記憶力の優れた賢い人は大変でしょう。


面積比率 面積 人口比率 人口 GDP比率 GDP
日本 1 38万k㎡ 1 1.27億人 1 5.07兆ドル
ロシア 45 1,708万k㎡ 1.1 1.40億人 0.2 1.23兆ドル
米国 25 963万k㎡ 2.5 3.18億人 2.8 14.26兆ドル
中国 25 960万k㎡ 10.7 13.54億人 1 4.91兆ドル
EU 11 399万k㎡ 3.9 4.98億人 3.2 16.45兆ドル
インド 9 329万k㎡ 9.6 12.15億人 0.2 1.24兆ドル
韓国 0.3 10万k㎡ 0.4 0.49億人 0.2 0.83兆ドル
ドイツ 0.9 36万k㎡ 0.6 0.82億人 0.5 2.77兆ドル
フランス 14 55万k㎡ 0.5 0.63億人 0.5 2.67兆ドル
上の世界主要対比表は2008年でしたか、
1990年に日本土地神話の崩壊と合わせたバブル崩壊が起きて、それ以後日本はデフレ継続の失われた20年を進むことになったのです。
上の表を見たら、日本はまだ捨てたものではありません。
素晴らしい先人もあって、戦後も東大出身官僚の人達の施策が正しかったのでしょう。アメリカに追いつけ追い越せで、あと少し、尻尾が見えるところまできました。
20年のデフレは、見えない世界の定めなのでしょうか、高級キャリア官僚の質の低下でしょうか、

アメリカ本土を爆撃する爆撃機搭載型長距離航行可能潜水艦は、アメリカと講和を進めるには、それしか道がないと考えられたから選択されたのです。2年早く開発されていたら、戦況は変わったかもしれません。アメリカ政府は原爆の開発と投下を終えるまでは戦争を継続したでしょうが、アメリカ世論があります。


何をいいたいのかというと、日本には私のようなぼけぼけが想像できないような優れた人達がいたのです。そして、今もそのような人達がおられるのでしょう。
福島で原発事故が起きたのです。


アメリカ9.11世界貿易センタービルの映像は今も流れていますが、上の写真が流れる回数は激減しています。その煙りが福島を覆った放射能そのものです。
菅首相は、首都圏3000万人の移動はできないと頭を抱えたといわれます。

原発を高さ20mのコンクリート壁で囲めば津波は防げます。
防げばいいのです。
建設大手5社の技術力があれば、原発を地上に浮かす免震構造物を作ることができるでしょう。
作ればいいのです。

何故それをプロデュースする人が出てこないのでしょうか。
バルバリのキャリア官僚さんはたくさんおられるのですが、みんな専門性が高く、総合内科のプロがおられないのでしょうか。

事故が起きたのに、予備発電機の場所を変えるとか増やすとか、防潮堤を高くするとか、真水タンクを増やすとか、そんな話ししか漏れてきません。
それでは、今後起きるかもしれない想定外の事故を防げないでしょう。
福井県を中心とした若狭湾原発銀座、スピーディーで計算すれば、そこで事故が起きた場合の放射能拡散地図が得られるのです。
福島では、パニックが恐かったから公開できなかったといわれます。しかし、事故が起きていない今なら公開できるでしょう。
若狭の高浜原発でも、事故を想定した対策会議が市町村を超えて繰り返されています。しかし、上記放射能拡散予想図も持たずに対策が打てないのは、今回の福島事故で明白です。もうアリバイ作りには飽きていますし、政府が何をいおうと、福島原発の原子炉にあった燃料棒が今現在どこにあるのか誰にもわからないのです。原子炉から10mほど離れた場所で直径5mの縦穴を掘って、垂直指向性を持ったガリウムシンチの受像版を縦に並べたら(測定後順次下げていく)位置が特定できるかもしれません。



血液内科で、先進的な治験を進めておられるのはごく一部の医師でしょう。
数十人の医師が参加されていてもなんの不思議もないのですが、今日たらたらながながと書いてきたのは、医療の世界も、原発村と同じような根っこを持っているんだろうかと、ない頭で考えてもせんないことですが、私にはそれを考える頭なんてないと思いながら、いったりきたりしているということでした。


寛解の継続治療薬のニュースは出てきませんね。
患者会も、どうなんでしょう。



子供が帰ってきて、子供が買った1500ccの3ナンバーの後部座席に乗せてもらいました。子供の運転で墓参りに行きました。
子供夫婦が前に座って私の車を運転して、私は後部座席にいたことはありますが、それが子供の車というのは初めての経験で、何か変な感じ。私の車の後部座席なら違和感はないのです。
車の中は若者向きでスポーティーで、小型機のコックピットのように狭いのです。後部座席はもっと狭い。
年なんでしょうね。私は私の車の中、シンプルというよりも何もないのっぺらぼうの方が好きです。負け惜しみじゃないと思うけど。思うだけ?
息子夫婦はここを知りません。



私、わかばのお父さんに似ているような気がする。
私があと5年経ったら、
私は前髪がもっと少ないけど、
というよりも、何もなくなっているかもしれないけど、
そしたら、髪型も変えないと、


と何気なく本気で書いて、
ちょっと横向いていたら、
生きていることしか考えていなかった。
病気のことは頭になかった。

驕りとか自信家というんじゃなくて、そんなもんですよ。
でも、似てた。
今日は最終回だから書けました。



私はヒッキーですから、予定なんてほとんどありません。
ですからスケジュール帳なんて持っていないし、

そんな中で次の血液内科の予約がある日まにある予定は、

11月12日
10月02日
10月01日 10月01日
09月22日 09月22日
09月17日 09月17日

重なっているのは、時間もダブっていて、受けられなかった追加予定です。
09月22日は、強行して、2時間あまりかけて帰ってきた10分後にアポ予定。
なんなんでしょうね。
こうなってくると、何か見えない意思が働いているような、
はい。
気のせいです。気のせい、



2011年9月18日(日) 18:25 不安の意味
蒸し暑い。
気温が何度あるのか想像しにくい蒸し暑さです。
先日ある電話を受けて、10秒で汗が滝のように流れました。
今日は、我が家で子供達と昼食を食べ始めて、同じように汗が流れて、あわててタオルを取りにいきました。
単に冷や汗でも緊張による汗でもないのですが、冷や汗でも夏場と冬場では量が違うでしょう。一瞬で、上半身のすべてが厚さ3mmほどの汗幕で覆われたような流れ方でした。

昨日帰ってきた子供夫婦が、今日の昼過ぎに帰りました。
疲れきった嫁さんは下で大の字です。



昨年の8月21日に、芸能リポーターの梨本勝さんが肺がんでなくなられました。診断がついて2ヵ月半だったそうです。
その詳細は、ここをクリックです。
そこから少し引用させていただきます。
「せきが止まらなくて病院で検査入院をしたのが昨年4月末。そのときは肺炎と診断され、退院してステロイドの飲み薬をもらって仕事を続けていました。
1カ月しても症状が変わらず、再入院。病院からは「がんではない」と言われましたが、肺の組織検査をしたら肺がんでした。がんの告知は主人と一緒に聞きました。ステージ4の末期がん(手術もできない状態でした)
肺がんにもいろいろ種類があって、
主人の場合、小細胞がんと他の複数のがんが交ざっているタイプでした。後から知ったのですが、このタイプではマニュアル通りの抗がん剤は効かないそうです。
例えば、
小細胞がんに効く抗がん剤は小細胞がんを小さくするけど、他のがんの勢いを増してしまう。そんなことは全然知らなかったので、聞いたときは「抗がん剤をしても苦しむだけじゃないの」と憤りを覚えました。」

「咳が止まらなくて検査入院をしたのに、手術もできないほどの末期肺がんを見つけられなかった。」こんな状態では患者や家族は納得できないでしょう。でも、医師にも言い分があると思います。しかし、1年後の今も奥様がそういわれるのは、医療者から納得のいく説明がなされなかったのでしょう。
肺がんの発見にはそういう難しさがあるのかもしれませんし、なんらかの形で医師の見落としがったのか、私にはわかりません。
あとの祭りでは患者や家族は救われません。
どうもおかしいと思ったら、主治医に強それ以上の検査と原因追求をお願いするか、病院を変えるのが一番でしょう。
リンパ腫の多くではしこりを作ります。
難しいのは、手で触れる範囲にしこり(表在しこり)がない、胸やお腹にだけしこりができている場合です。私は手で触れる範囲にしこりができてきたからそれはないといわれるのも問題です。再発を繰り返すと、最初や前の再発で首や脇の下、足の付け根に必ずできていたしこりができず、胸やお腹の中に限定してできたしこりが大きくなる場合もあります。



リンパ腫患者が抱える問題は様々です。
私は告知を受けたときの衝撃が一番大きかったのですが、一番大きな絶望感に包まれたのは、初回治療で自家移植を含めた大量化学療法まで進んだのに、それから5ヵ月後に再発のしこりを首に見つけたときでした。その時の絶望感が一番大きかったと思います。それからは、寛解にあるときよりも、再発の治療を始めて、しこりが急激に小さくなることを確認できたときが一番落ちつけました。


「不安」が起きる原因として一番大きなことは、将来どのようになるのか予測がつかないということが多いようです。それならできるだけ情報を集めればいいことになるのですが単純な問題ではありません。一般的には知ることで不安が低減される場合が多いようですが、リンパ腫についての情報を、知れば知るほど不安が高まる場合もあり、それらが時期によって変わることもあります。
リンパ腫の全国的な患者会はグループ・ネクサスだけです。各地で定期的にお茶会やランチ会が催されていますので、参加することでリンパ腫罹患の孤独感が和らぐ場合が多いでしょう。しかし、深い孤独感というのは、同じ病を持つ患者さんの中にいて10分や20分話しを聞いてもらっただけで解決できないこともあり、その場合は余計に孤独感が強まることもあります。不安にさいなまれて落ち込んでいても、その中でも気持ちの浮き沈みがあります。浮き方向にあるときには、患者会などに参加することでよりいい方向に向かうことも多いようです。
落ち込みすぎて、自分が心配なほどである場合、リンパ腫を見てもらっている病院に心療内科があれば、「試しにそこで診てもらう」のもいいかもしれません。多くのがん患者を診ておられる病院では、院内の心療内科にたくさんのがん患者さんも行かれているようです。薬がすべてと考えておられる心療内科医もおられますから、初回はそれを確認されるために、正常な判断ができるご家族と一緒に行かれる方がいいかもしれません。
「不安に夜不眠」という問題でも、睡眠導入剤よりも精神安定剤のほうがよく効いたという場合もあるようです。
冷や汗は、冬の方が少ないのです。
病気の不安はもちろんですが、それだけなら乗り越えられるかもしれません。
そんなときに交通事故や家族の問題、仕事の問題などが重なるとどうしようもなくなります。少し浮き始めたときに、できるだけ自分の力で解決できることの処理をしてしまいましょう。そのほうが、不安の低減に手早いこともあります。病気だけなら乗り越えられます。どんなに重くても、病気だけなら向き合えるでしょう。


しかし、ヒッキーの私が何書いてんでしょうね。
がんの告知を受けてからも、その場その場で自分自身の精神状態や病気を的確に判断し、ほぼ感情の起伏もコントロールできてきたなんていう人がおられたら、症状をあげたいほどです。皆さん、初回の告知や再発を告げられたときには不安で家族とまともな会話もできない日があったと思います。
病気の問題は似たようなものであっても、個々の患者によって家庭経済や家族、仕事の問題は違います。
なんとか耐え切れたら、ある程度は荷が下りるというか、吹っ切れるというか、少なくとも一番ひどい精神状態から浮き上がる日は間違いなくくると思います。
きっときます。
きっとくるのですが、最低限の時間を必要とする場合が多いでしょう。それを昔の人は「ひにち薬」といってきました。
強烈に落ち込んだ方が、浮き上がる時期が近いといえるかもしれません。



最初に書いた梨本さんは、検査入院までしても肺がんが見つからなかったのです。1ヵ月後に再度検査を進めたら、すでに手術ができない肺がんの状態で、その2ヵ月半後に旅立たれたのです。濾胞性リンパ腫でそのようなことはありません。身の回りの整理をするなどの時間もじゅうぶんにあるのです。私は、その準備を何度したでしょうか、それさえ面倒になって、またいろいろ溜まっています。世の中には交通事故だってあるのですから、涼しくなったら、また整理を進めておこうと思います。


今年の彼岸は20日からです。
昨日は、彼岸に早いのですが子供達と墓参りにいってきました。
暗くなるのが早くなってきました。
日照時間も少なくなってきますから、大地は徐々に冷めるはずです。
夏の余韻ももう少しで終わるでしょう。



2011年9月17日(土) 25:30 濾胞性リンパ腫の寛解中治療
沖縄の東海上に豆台風があって、それが止まってしまいました。
この雨模様のぐずついた天気が続きそうです。

紀伊半島では、土砂崩れで川をせき止めた土砂ダムの崩壊が危惧されています。
私は、南紀最南端の串本から、紀伊半島の中央部を走る国道168号線を通って北にぬけたことがあります。
中国山地や信州のような平野部が途中にほとんどないのです。左右から、山の斜面と山の斜面が接していて、その間に川があります。川の少し上の山肌を切り取って道路が走っています。それが延々と続いている感じです。その中でほんの少しなだらかなところが途中にあって、そこに集落が形成されているのです。熊野川脇にあった本宮大社は、明治22年の大洪水に流されて、今の山の中腹に遷宮されました。そのままの場所に再建されていたら、今回の大洪水でまた流されていたかもしれません。
地中のなまず様に、神鏡をお届けしたいものです。



今日から明日にかけて、
京都府で最初のリレーフォーライフが亀岡で行われています。
リレー・フォー・ライフ in 京都は、ここをクリックです。
私も個人で参加するつもりでしたが、大阪から子供夫婦が帰ってくることになったので参加できませんでした。それでもと、嫁に話したら鬼の形相で怒られました。
残念です。


そしてもうひとつ。
これは行くつもりです。
なんと、10月2日に我が家から車で30分あまり走ったところで、諏訪中央病院名誉院長 鎌田實先生の講演会が行われます。
詳細は、ここをクリックです。
講演会のポスターは、ここをクリックです。
鎌田先生が書かれているブログは、ここをクリックです。


ついでにもうひとつ、リンパ腫に関係ないのですが、
近畿北部の人に、ピンクリボンキャンペーン協賛乳がん講演会です。
「乳がんの早期発見と最新治療」
詳細は、ここをクリックです。


ピンクリボンの乳がん講演会は京都市でも行われます。
市民公開講座/乳腺フォーラム・健康塾
市民公開講座(京都大学医学部乳腺外科) 
 【開催日時】  2011年10月1日(土)  13:00~15:30
 【開催会場】  京都教育文化センター 
詳細は、ここをクリックです。


ついでに、
リンパ腫の患者会であるグループ・ネクサス次回大阪お茶会は10月16日(日)
詳細は、ここをクリックです。



別件で知ったのですが、
骨髄腫研究会は、ここをクリックです。
そこに、「幹事紹介」として、70余命の血液内科医師の名が挙げられています。
これを、セカンドオピニオンや主治医候補の先生と考えるにはどう考えたらいいのでしょう。血液疾患で血液学会が認定している専門医制度がありますが、その専門医の上に指導医という制度もあります。
その中のある人がふと気になって調べてみると、その人が勤めておられる病院はがん治療の拠点病院でもないのに、血液の専門医が4人おられるのですね。
58歳と、40歳、40歳、38歳の専門医4人おられて、年齢的にはばりばりです。
私が転院で探した病院の条件に「がん拠点病院」を入れていましたから漏れていたのです。どんな病院か、次回近くまでいったときに、外来近辺をうろついてみます。でも、血液の患者数は、それほど多くないんですけどね。でも、あの人はここにいっておられるのかもしれません。


asahi.comさんも一本気というか、曲げませんね。
でも、それは間違っています。
リンパ腫のタイゾーさんの治療がうまく進んで欲しいのですが、
タイゾーさんの記事は、ここをクリックです。
タイゾーさんの記事はまだ続きそうです。
記事の下のほうに、連載5回分記事へのリンクがあります。
肺がんでも乳がんでも、リンパ腫でも、
いまどき「リンパ腫」を病名に書いた闘病記は時代遅れでしょう。
「リンパ腫」では、治療法も決められません。
もうひとつ下位の階層である瀰漫性とか濾胞性の分類を書かないと、今は医療記事にならないでしょう。


「初発の濾胞性リンパ腫にR-CHOP療法はR-CVP療法やR-FM療法よりも臨床効果が高い【ICML2011】」
そこで、R-CHOPとR-CVPと、R-FM療法について比較した治験が書かれています。R-CMというのもあるんですが、そこでは治験に採用されていません。
記事の詳細は、ここをクリックです。
R-CHOPとR-CVPの違いは、R-CHOPに含まれているアドリアシンがR-CVPにはない、R-CHOPからアドリアシンを抜いたものがR-CVPです。
アドリアシンは多くの濾胞性リンパ腫患者さんにとって、一番切れ味のいい薬なんです。しかし、その奏効が長続きしないという問題もあります。蓄積心毒性があるために、人が一生で使えるアドリアシンの薬量には上限があります。私はオーバーCHOP、限度量オーバーで心電図に問題が見られ、心臓の肥大を指摘されています。一般論は正しかったのです。限度量は、標準量の投薬で8クールから9クールでしょう。
R-CHOPとR-CVPの比較について書かれた記事は時々見ます。
その中で私が推奨するのは、3週間間隔でR-CVPで2クール治療をして、6週間後に医師が現状を分析するというものです。順調にしこりが小さくなっていたらそのままR-CVPを続けますし、治療効果がもうひとつのようなら、次の治療から2クールをR-CHOPに変更するというものです。そしてまたR-CVPに帰って、4クールで終了です。
そうしたら、その治療法が4シリーズ行えるのです。R-CHOPなら、アドリアシンの使用量に上限がありますから1シリーズしかR-CHOPが使えません。
その改良治療法で5年間の無再発期間が得られたら、再発時に同じ治療で3年から5年の無再発期間が望めると思います。
維持療法ならR(リツキサン)単剤治療もありますが、再発での治療でR単剤ならR-CVPのほうが一般的でしょう。その後リツキサンによる半年後(8クールのあとなら1年後)の地固め療法でしょう。


私は、9月12日の日記に、
A.CD20が発現していなかった。
B.CD20は発現していたが、なんらかの形で質を換えていたために抗体の結合ができなかった。
C.血液中のB細胞は消滅したが、CD20を発現しているB細胞の集合体である腫瘍細胞を攻撃できなかった。
と書きました。
これはおおまかに捉えたものとしてはいいのですが、正確には間違いでしょう。
世の中には○と×だけではなく△の答えはたくさんあります。
CD20が発現していることについても、しきい値じゃないですが、現実に発現しておられない人もおられるのです。「CD20の発現が弱い」という三角の状態も実際にあるでしょうし、CD20をリツキサンが確保するにしても、全数を確保する状態とまったく確保できない状態の間に連続したそれらを埋める状態があるでしょう。
CD20を発現しているB細胞の一部を駆逐するというのが、一定の効果が認められた状態で、それも三角の状態でしょう。
それを書くのを忘れていたのですが、「論理的に間違っている記述に気がついた」というのはそれではありません。他にあったのですが思い出せません。


私は3年半の連続寛解を維持しています。
それを今後5年、10年に延ばすために予防療法はできないのでしょうか?
リツキサンの維持療法は、100パーセント寛解に至っていない状態では治療法として有効です。しかし、完全寛解を得た後のリツキサン維持療法は違法なのです。日本の医療では、「病気がない状態を維持する治療」は保険適応にならないのです。ですから、完全寛解後のリツキサン維持療法は付帯費用も含めて全額が保険の助成を受けない自己負担になります。まあ、主治医が、例えどんなにわずかでも腫瘍細胞が残っていると判断した上でリツキサンの維持療法という治療法を選択した場合は、もちろん保険の適用になります。

それ以外に予防治療はないのでしょうか。
治療中に、薬の効果を把握したいなら、毎週CTやPETを撮れば、効果の把握がより実際に近くなります。ですが、そんなことは実際には行われません。それは何故でしょう。
ひとつは、無意味に治療費を増やさないためです。もうひとつは、被爆量の増大による二次発がんを防ぐためです。よって、画像検査は適時適切、必要で効果があるときにのみ行われているのです。CVPは骨髄抑制などの副作用が少ないのですが、それでも一定量の骨髄抑制は起きます。回復可能な骨髄抑制ならいいのですが、問題は二次発がんです。化学療法のほとんどで一定のそれは起きます。ゼヴァリンの治験では二次発がんがないかのように記載されていますが、外国のそれでは起きていますから実際に記載されています。ただし、ゼバリンの治療は、それを受けられる前に何らかの化学療法を受けられているのがほとんどですから、それによって遅れて出た副作用といえるかもしれません。実際に、その比較の中でゼヴァリンによる二次発がんはないとされているのですが、記載を意識的に抜かれていることには疑問を感じます。前回治療での影響という数値を提示した上で、ゼヴァリン治療後の二次発がんも書かれるべきでしょう。
その問題がありますから、寛解時に予防投与として化学療法の治療は推奨されていないのでしょう。
今日の日記に引用したリンク先でも、一部実際の数値が記載されています。
しかし、あるとき寛解に至った患者が再発するときは、最初わずかな量、ひょっとしたらただひとつかもしれないリンパ腫細胞からの増殖になるわけで、そのひとつが親玉といわれる濾胞性リンパ腫幹細胞で、とんでもない体制でも持っていない限りは、しこりにまで増殖したリンパ腫を退治するよりも、再発を始めた瞬間のそれを退治する方が容易いはずです。ペプチドワクチンが治験で濾胞性リンパ腫に使われたことがあるようですが、いい結果は得られなかったようです。しかし、それはアクティブな濾胞性リンパ腫患者に行われた治験で、寛解中の濾胞性リンパ腫患者に行われたものではありませんでした。ワクチンなどの免疫療法は、CHOPに比べて切れ味がよくないのです。切れ味がよくないからといって、寛解中に現れた最初の濾胞性リンパ腫細胞に効かなかったという結果は得られていないのです。
白血球を3000以上に上げないほうが再発をしにくいとか、そんなことを書けば、皆さんから非難ごうごうでしょうね。でも、本気でそれを思う気持ちもあるのです。
抗体医薬の開発が落ちついた次には、そこを目指して欲しいと強く思います。

完治できなくても、再発を押さえ込む治療法が得られれば問題はないのです。



2011年9月14日(水) 19:56  再発の勘違い
昨夜風呂に入って頭を洗っていたときに、左耳の上から顔面方向に離れていないところに、数ミリのしこりのようなものを見つけました。
これはさすがに恐かった。
風呂から上がって体の余熱が落ち着いたころで再度触ったのですが、勘違いではありません。ある。やっちゃったか、よわったな。
以前、耳の前、あご骨の付け根の皮膚下にしこりができたことがあります。10円玉ぐらいの大きさでした。左右のほとんど同じ場所に、それぞれに少し時期がずれてできました。それは自然消滅したのですが、今回のそれも指先で触った感触が似ていました。
そして20時間過ぎた、今日の18時過ぎにそのことを思い出して、躊躇することなく指先で確認すると、何もありません。それでも注意深く触ると、ないともいえない程度です。
石鹸が合わなくて、顔の皮膚下からぼつぼつができることがあります。リンパ腫のしこりではなくて、そんなものだったのでしょう。

大事なことは、そんな重要なことを、今日の朝から夕方まで忘れていたということです。今も再発は日々心配ですが、それが実際に起きても、それほどでもないかもしれません。
暑いから、考えるのがめんどうだっただけかもしれません。
ここは濾胞性リンパ腫の日記ですからそれを中心に書いていますが、私だって24時間365日そればかり考えていませんから。病気のことを忘れている方がはるかに長いのです。
でも、あとになって、やはり、 つ か れ た 。


今日の朝、昨日書いた日記が1ヶ所間違っていることに気付きました。
先ほどから読み直して考えるのですが、思い出せません。
明らかに矛盾があったのです。
ごめんなさい。
間違い探しのパズルということで勘弁してください。


残暑もあって疲れ気味ですから、2、3日日記を休みます。



2011年9月13日(火) 20:37 濾胞性リンパ腫の予後
はい。
今日も14時に外に出たら、しっかり34度でした。



今日、13時28分に血圧を測ったら、
137-93 でした。
びっくり仰天玉手箱なので、再度測ったら、
143-89 でした。
何も変わったことをしていませんし、過去にない満たされ感にひたれるような宝くじに当ったわけでもないのになんででしょう。
まっ、いいや。
朝起きたら測ろうと決めてもそんな時間です。
ぼけぼけの頭ですから、まあ、昼過ぎにでも思い出せるだけいいと考えましょう。
高血圧の薬を飲み始めるころで、総合内科的な腕のあるクリニックを探しかけているのですが、見当たりません。近くの総合病院に腕のあるといわれる総合内科の医師がいるのですが、そこを通してそこそこのクリニックにたどれるか、
どうしたものでしょうか。

前回の血液内科受診で血圧が180もあって、その衝撃で心臓が止まりそうになったのです。クリニックに行くときに資料として持っていこうと、それから毎日計っています。上は、みんな150を超えています。
化学療法を受けていたとき、特にラステット内服の後半では、血圧の上が100を超えずに、血圧がなくなってしまうのではないかと心配したほどだったのです。



上のグラフの拡大は、ここをクリックです。
ソースは、ここをクリックです。

濾胞性リンパ腫患者の予後を集団に分けて推測しようというのが予後指標です。
説明しますと、

まずは、私たちに直接関係のない「びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫の場合国際予後因子に含まれるもの」が以下です。あとで書く濾胞性リンパ腫の予後指標と比較してください。少しだけ違いますね。

・年齢≧61歳
・節外病変≧2ヵ所
・LDHが高い
・病期≧III期
・日常活動性(PS) ≧2

上記の中に当てはまるものがあった数によって、
低危険群:0~1
低中危険群:2
高中危険群:3
高危険群:4~5

ただし、PSとは、
日常の活動性(Performance Status:PS)
リンパ腫と診断されたとき、日常活動を行う能力をどれくらい持っているかを表す指標です。PS2以上でリスクファクター1点を加えます。
0: 発病前と同じ状態
1: 軽度の症状がある。肉体労働に制限がある。
2: 日中の50%以上は起きている。軽労働に制限がある。
3: 日中の50%以上は床に就いている。身の回りのことをするのに制限がある。
4: 終日、床に就いている。身の回りのこともできない。常に介助が必要。


次に私たち濾胞性リンパ腫についてです。
濾胞性リンパ腫国際予後因子 (FLIPI)Solal-Celigny P, et al. Blood 104: 1258-1265, 2004
・年齢≧61歳
・リンパ節病変≧5ヵ所
・LDHが高い
・病期≧III期
・ヘモグロビン<12g/dl

当てはまるものの数によって、
低危険群:0~1
中危険群:2
高危険群:3~


以下は、リツキサンの時代に合うものとして新しく提唱されている予後指標ですが、上に書いたものの方が一般的で、私は別ページの「治療履歴集」に新しいものを採用しましたが、まだ古いもののほうが一般的でいいと思います。
リツキサン(Rituxan)(リツキシマブ)の時代における濾胞性リンパ腫に対する新しい国際予後因子指標(F2 Study)を、国際濾胞性リンパ腫予後因子プロジェクト(International Follicular Lymphoma Prognostic Factor Project)に参加した研究者らが発表した。この新規試験の詳細は、Journal of Clinical Oncology誌2009年8月3日の電子版[1]に掲載されている。

全生存率ではなく、無増悪生存期間(PFS)が主要評価項目とされた。治療を受けた患者924人のうち、832人に関しては完全なデータが得られ、追跡期間の中央値は38カ月であった。PFS短縮の予測因子は以下の通りである。

・β2ミクログロブリン高値
・6cm以上のリンパ節腫脹
・骨髄浸潤
・ヘモグロビン12g/dL未満
・年齢60歳以上

予後指標2(The Prognostic Index 2)により、患者を3群に層別化し3年無増悪生存率を示した。
・低リスク=91%
・中リスク=69%
・高リスク=51%
3年生存率はそれぞれ99%、96%、84%であった。

予後因子というのは、告知を受けたときだけに有効な判別方法でしょうか。
再発したときにも同様に予後因子として機能するのでしょうか?
再発時には確実に年齢が高くなっていきます。



 私はその指標に「リツキサンによる効果がある」という因子を加えるべきで、
 それが最重要と考えています。
 それと、初回治療からの治療抵抗性です。


ソースはこことここをクリックです。


大きなグラフは、ここをクリックです。
ソースは、ここをクリックです。
上のグラフは、リンパ腫全体と、濾胞性リンパ腫(図中でFLと書かれたもの)について、60歳以下と60歳以上の予後を示したものです。
60歳以下の濾胞性リンパ腫患者さんについては、4割の人が20年(グラフ中の赤字)以降も生きておられますが、60歳以上の人は6%あまりでしょう。

65歳で告知を受けたら、20年後には85歳です。感染症や標準治療が高齢で難しくなることから、グラフの位置がある程度低くなるのは当然でしょう。
人が120歳まで生きることは困難です。

濾胞性リンパ腫で4割の人が20年以上生きておられますが、
重要なのは、それがリツキサン出現以前だということです。
リツキサンは日本で2001年に承認、アメリカで承認されたのは1997年でした。



上のグラフで、拡大はここをクリックです。.
そのグラフは、このグラフのデータを基に私が書き換えたものです。
濾胞性リンパ腫の余命は「平均10年」と書かれた医療文書が多かったと思います。最近の記述は少し変化してきて、7~10年とか、8~12年というように幅を持たせた書き方が増えています。
上の図で10年を頂点に上昇している黒線(黒い線で引かれたカーブ)があります。

余命が10年と聞けば、10年過ぎた日に突然みんな亡くなるということはありえないのはわかっています。でも、グラフに書けば10年後を頂点とする図の黒いカーブになるであろうことを想像されるでしょう。

                 それは間違っています。
120人の濾胞性リンパ腫患者さんがおられたら、告知を受けた年から20年後にかけて毎年5人ずつ亡くなるという方が実体に近いのです。

実際は、告知を受けられた初年度からは少数で、数年後から15年後までは若干多く、それ以降は減少するという限度別の死亡者分布です。
告知を受けて初年度中や翌年度に死亡される人がおられるのは何故か、理由はわかりませんが、諸々の治療法のほとんどに抵抗性を示される患者さんがおられるのが事実です。また、C型肝炎を患っておられる患者さんに満足な治療ができにくいのは当然でしょう。化学療法で骨髄抑制が起きると免疫が低下します。免疫が低下するとC型肝炎ウィルスが暴れます。よって濾胞性リンパ腫だけをターゲットにした治療ができないのです。C型肝炎に留まらず、他に重要な疾患を抱えておられる患者さんも同様です。そのように、単に治療抵抗性の患者さんに限らず、他に重要な疾患を持っておられる患者さんも、その予後が難しい状態であろうことが想像されます。


上のグラフを拡大したものは、ここをクリックです。
上のグラフのソースは、ここをクリックです。

問題はこのグラフです。
対象患者がもっと多く、せめてリツキサンが承認されてから10年のデータが欲しいのですが、まだ見当たりません。

ヒント
上の図には、リツキサンで効果が得られないといわれる30~45%の患者さんが入ったデータなのです。


ということは、リッキサンの投与で効果があると思われる患者さんだけの生存グラフを書いたら、6年後の生存率は90%を越えているであろう事が予測されるのです。
上のグラフで見たリツキサン出現以前のCHOPグラフとの違いは驚くほどです。

やはり、リツキサンの効果可否は大きいのです。


リツキサンの恩恵にあずかれなかったであろう私は、残念ながら上のグラフのCHOPと書かれたグラフの一員です。
それでも、発症後20年、初回治療後14年生きてきました。



ある胃がん患者さんがおられました。
外科手術を受けられたあとで胃がんが再発したケースです。
再発した3年後、そろそろ限界かなと思われて、仕事を断念されました。
そのあくる日に体がしんどいといわれて病院に行かれましたが、医師はだいじょうぶでしょうというのでいったん帰宅されました。それでも、やはり様子がおかしいので再度病院に行かれてそのまま入院。あくる日に旅立たれました。
旅立たれる3日前まで仕事をしておられたのです。


ぴんぴんころり、
私も、あと10年も生きたらそれもいい。
なんて書くと、本当にそうなってしまうので、やはり書かずにおきましょう。




 満月が綺麗な夜です。
 近くでは、ようやく鈴虫も加わりました。
 秋の夜です。

 でも、昼の暑さはまだしんどい。
 あと1週間でしょうか。



2011年9月12日(月) 16:53 CD20の発現とB細胞の存否
連日の30度超えです。
32度から35度。
それって、この地方で30年前なら盛夏の気温でしょう。
最近は食欲不振で茶碗一杯のご飯が食べられません。
3割減に減らしています。
今年の春など、体調のいいときは何を食べてもおいしく感じたのに、最近は何を食べても億劫でおいしさを感じません。
それでも、今もビールはおいしいし、冷やしたお茶もおいしい。
そんな夏があるから「食欲の秋」なんていうのでしょうが、食欲が戻るか心配です。



一般的には「CD20は皆さん発現しています。」と助教授にいわれましたし、ネットで読める医療者が書いた文章にも書かれています。でも、ときどき濾胞性リンパ腫の患者さんが書かれた文章で「私はCD20陰性といわれました。」という記述があります。私自身はどうなんでしょうか。告知を受けた後の検査では発現を確認されましたが、それ以降はわかりません。

B細胞にCD20が発現しているかどうかは血液検査でわかるようです。
ただし、それが腫瘍細胞(しこり)と同じかどうか走りません。
CD20発現の検査は、ここをクリックです。
たぶん間違いないと思いますが、素人ですし自信はありません。

B細胞とT細胞の比率は血液検査でわかるようです。
その検査は、ここをクリックです。

それで、リツキサンの投与前と、4クールか8クールかリツキサンを投与した後で上記の検査をしたら、血液中のB細胞がリツキサンによって除去されたかどうかわかるはずです。ただし、血液中のB細胞が消滅しても、腫瘍化(しこり)している細胞が減少(しこりの縮小)したことの証明にはならないでしょう。

私は、次に再発して治療を受けるなら、自費ででも上記検査を受けたいと思いますが、保険適応にならない場合は、自由診療の検査を受けてもそれに関連する治療はみんな全額自己負担になるのでしょうか?

私には2001年から2004年の間に受けた治療では、リツキサンの効果はなかったと思います。それを証明することはできませんが、そのときに受けたR-CVPの効果が限定的だったからです。そのとき胸にできていた腫瘍は気管支を圧迫してかなり活性化していました。R-CVPの治療を受けてからの10日間は息苦しさが取れるのですが、治療後10日を過ぎると息苦しさがぶり返していました。3週間の一度のR-CVPを2週間に一度に変えても同じでした。短期的に効果が出ているのはCVPで、じわっと効果が表れるはずのリツキサンが感じられなかったのです。

リツキサンが効かないのは、
A.CD20が発現していなかった。
B.CD20は発現していたが、なんらかの形で質を換えていたために抗体の結合ができなかった。
C.血液中のB細胞は消滅したが、CD20を発現しているB細胞の集合体である腫瘍細胞を攻撃できなかった。
のどれかでしょう。
上記の検査をすれば、AとBについては結果が得られるはずです。
もしも私の場合Cであったなら、リツキサンによる維持療法が一定の効果を発揮する可能性があります。

じゃあ、リツキサン難知性の濾胞性リンパ腫患者に何故ゼヴァリンが効くのでしょう。
効くのですから、CD20を発現しているB細胞をリツキサンは見つけたのでしょう。でも、見つけても、表面タンパクがほんの少し違うか何か、何らかの原因でB細胞を破壊できない状態でしょう。そこで放射線が活躍することになります。
リツキサンでも、理論的には起きないはずの弱い骨髄抑制が発生します。

リツキサンで効果が得られる人は、濾胞性リンパ腫全体の55%から70%といわれています。
リツキサンが発売されてから、濾胞性リンパ腫の治療が変わったといわれています。生存率の底上げになったといわれています。
しかし、リツキサンによる効果がなかったと思われる人にとっては、何も変わっていないはずでしょう。
リツキサンが効かなかった人たちにとっては、その10年生存率が向上していることも、治療方法が変わるはずもないと思うのです。
しかし、その「リツキサンが効かなかった」人たちを除いて年数経過による生存グラフを書けば、驚くほど向上するのではないかと思います。
たぶん、リツキサンによる効果が得られたグループと、得られなかったグループに分けて考えたほうがいい。
効果が得られたグループは棚ぼたですし、得られなかったグループでも、以前に比べて何も悪くなったわけではなくただの現状維持です。
基本的には、効かなかったグループに開発されたのがゼヴェリンなのです。



それぞれの主治医は、自分が受け持つ濾胞性リンパ腫の患者さんについて、上記をわかっているのでしょうか、それとも上記を書いた私が、単純に馬鹿みたいな間違いをしているとか。あるいは意味がまったくないことか。
なんてこんな話しは、よほど主治医と打ち解けないと聞けませんからね。


今も、リツキサンよりも高い効果を求めて、CD20抗体の開発に向けて研究が進んでいます。
「抗CD20抗体発明の権利帰属事件」も、そのひとつでしょう。
詳細は、ここをクリックです。




2011年9月11日(日)-2 23:59 リツキサン10年
薬価基準収載年月
 2001年8月
販売開始年月
 2001年9月1日 
そのリツキサン添付文書の詳細は、ここをクリックです。

販売開始が9月1日になっていますが、実際に使われ始めたのは9月の終盤から10月にかけてだったでしょう。


 
日本発売10周年 ありがとう。


10年経ったのですが、今も維持療法の有用性が云々されています。10年経っているのにです。
承認された当時は1週間に一度の4週連続投与が基本でした。
しかし、最も多く使用されたのはR-CHOPとしてでしょう。その場合は、3週間に一度のCHOP投与に合わせてリツキサンも投与されました。
今は、1月に一度の4ヶ月や8ヶ月に渡る投与や、半年に一度の毎週1回の4週連続投与、1年に一度の1週間に一度、8週連続投与が行われているなど、最良の投与方法が今も模索されているようです。10年経ったのにです。
アメリカで承認されたのは1997年だったと思います。
一昨日の日記にありましたから、日本でのリツキサン治験も早かったんですね。
10年経って、それも含めて書こうと思っていますが、これも、その準備の日記です。

父母の命日は、3日前に覚えていても、その日には忘れています。
2日か3日過ぎた日に思い出します。
結婚記念日もそんなものです。

リツキサンは、オーファンドラッグとして承認の申請をされました。
オーファンドラッグは、重要な薬なので、承認申請を受けてから1年以内に承認の可否が決定されるものです。しかし、申請されたものの、1年を過ぎても承認されず、メーカーに提出資料の追加をお願いしているなんて厚生省はいわれていたらしいのです。
その前に、私の友人から以下の資料をメールの添付ファイルでいただきました。
それが以下の記事です。
2011年9月11日(日) 17:43 濾胞性リンパ腫の各種予後決定要因
今日の昼過ぎに気温は35度前後まで上がったんではないでしょうか。
下に降りれば2度から3度は下がるのですがその作業がめんどい。
よってこの部屋で横になって、まだ続く擬似熱中症状態で茫然自失。



別件で探し物をしていて大阪市大さんの血液ホームページで以下を見つけました。
その詳細は、ここをクリックです。
私が書こうとしていることの一部に使いますので、申し訳ありませんが、リンク以外に下記一部を引用表示させていただきます。

濾胞性リンパ腫では腫瘍細胞は濾胞内では均一な増殖を示しますが、反応性リンパ濾胞過形成の胚中心は増殖能を反映して明帯、暗帯という極性が認められます。また病理上 gradeが設けられており、grade 1(強拡大1視野あたり大型芽球が5個以上)、2(6-15個)、3A(16個以上で中型細胞の混在があるとき)、3B(16個以上で中型細胞の混在がないとき)に分けられます。臨床的にはgrade1、2が低リスク群、grade3(特にgrade3B)は中リスク群に分類され、aggressiveリンパ腫の一画と認識されています。
濾胞性リンパ腫では進展によりびまん化する症例があり、胚中心様構造を呈さないびまん化した成分を伴うことがあります。濾胞性部位が75%以上は濾胞性、25-75%は濾胞性とびまん性、25%未満は部分的濾胞性と表現されます(100%はびまん性)。びまん化した領域に大型の中心芽球を多数認めるときは(強拡大で15個以上)濾胞性リンパ腫に伴うびまん性大細胞型リンパ腫と記載されます。
腫瘍細胞の表面抗原としてはCD10、BCL2、CD20、CD79a陽性ですが、CD5、cyclinD1、CD3は陰性となります。細胞遺伝子学的検査では4種類に大別されます。
18q21.3/BCL2転座(80%)、3q27/BCL6転座(15%)、18q21.3/BCL2+3q27/BCL6転座(5%)、その他(10%)。18q21.3/BCL2転座をもつ細胞は胚中心で起きる異常と胚中心後の異常を付加的に獲得し種々の組織型をとります。胚中心で獲得する主な異常は3q27/BCL6転座と8q24/MYC転座です。grade 3の一部の症例ではMUM1(IRF4/MUM1)を発現しています。MUM1はびまん性大細胞型リンパ腫を胚中心B細胞型と非胚中心B細胞型に分類する際に必要なマーカーであり、陽性例は原則非胚中心B細胞型とされ、FLでMUM1を発現している症例の多くがびまん性大細胞型リンパ腫の成分を有しているとされています。
基本病態はリンパ節性であり、診断時には全身に広汎なリンパ節腫大を認めることが多く、一部症例では後腹膜に巨大腫瘤(長径が10cm以上)を形成することがあります。他臓器への浸潤、特に脾臓、骨髄、末梢血への浸潤頻度は高く、病期III期、IV期が大半を占めます。一方、一部の症例は消化管、皮膚、眼付属器、唾液腺、乳腺、精巣など節外部位に限局性に原発することがあります。特に骨髄浸潤は40-70%に認められ、骨梁に沿って帯状に認められます。この腫瘍細胞の多くが小型であり、形態のみでは腫瘍細胞と診断が困難であるため、免疫染色が併用されます(従って骨髄血のみならず骨髄生検が重要となります)。消化管浸潤病変はmultiple lymphomatous polyposis所見を有します(マントル細胞リンパ腫、節外性濾胞辺縁帯リンパ腫でも認められますが十二指腸病変はろほう性リンパ腫に比較的特徴的です)。
血液検査ではLDHは比較的低値、sIL-2Rは高値を示します。全身状態は病期に比較すると保たれています。
予後予測モデルとして2004年にFLIPIが提唱されました(Solal-Celigny P, et al. Blood104:1258, 2004)。予後因子として①年齢≧60歳、②病期≧III、③ヘモグロビン≦12.0g/dl、④血清LDH>正常値上限、⑤リンパ節浸潤領域数>4が挙げられています。予後不良因子を有する数によりlow(因子数0、1)、intermediate(2)、high(3以上)の3群に層別化され予後予測が可能です。問題点としては若年者の後腹膜巨大腫瘤形成例がlow gradeに分類されやすい点、高齢者の多発性リンパ節腫大例は待機(watchful waiting)が可能とされていますが高リスク群に分類されることが多いことなどが挙げられます。


上記のデータが把握された後に各種の治療を受けられたのなら、リツキサンの効果が顕著な患者さんに共通な項目がないかを調べることができるでしょうが、私の場合を見ても、bcl遺伝子の転座があったかどうかなどは調べられていないでしょう。
2004年の予後予測モデルって、最新版でしたっけ。
あそこをみたらわかるか。


キンシャチさんが戦う会に投稿されていますが、CMC544は、私のように心臓に問題がある場合は要注意になるんでしょうか。
私が指摘されている若干の心臓肥大は、たぶんオーバーチョップによるものです。
わかってて突き進んだのですから当然ですが。

まあ、濾胞性患者が健康第一ったってしかたがありませんが、臓器に問題があれば、それに応じて使えない薬も出てくるでしょうね。




私が小学生のころに、中指で鼻くそをほじって(ほじるまねをして)、人差し指で他の人にぬりたくる遊びが流行りました。
今は私はそんな遊びをしませんし、もちろん国会議員さんの遊びでもない。日本経済をどうして立ちなおすか、自分でできないのは当然ですから、ブレーンをどこに求めるか、そんなことを考えたら、時間なんていくらあっても足りゃしない。
ただ悶々と眠れぬ夜が続くだけ。
首相の下で働く政府の要は財務系と通産系でしょう。
円高の行方問題と、原発問題とバブル後20年の失われたデフレ社会です。
一時期小沢さんが自民との連携を模索されましたが、民主では政権を維持する能力がないと見切られたのでしょう。
普段着の姿が出てしまったら、どうしようもありません。
いくら仕事に一所懸命でもミスター年金さんの今を見たらわかります。



昨日、再発で1997年のリツキサン治験に参加されて毎週1回の4週連続投与で12年間寛解された患者さんの記事を紹介させていただきました。
「そんなこともあるんだ。じゃあ、私も。」
という人もおられれば、
「12年経っても治っていないんじゃない。」
というように思われた人もおられるでしょう。
しかし、残念ながら私たちは、濾胞性リンパ腫という難知性の血液がんにかかってしまったのです。
その中で12年といえば大きいと思うのです。
48歳で再発での寛解に持ち込めたら、その治療も4回の通院で済むものです。よほどの肉体労働に従事されている人でなければ、再再発の60歳まで、家庭経済に重要な時期を働けたのです。再発時にお子さんが小学校の2年生なら、成人された年です。
よかったですねと、思いたいものです。
それでも、私だってあと1年半で取りあえずの無治療寛解維持5年です。
それを思うと、12年後に再発されたのは残念であり、気落ちしますけどね。
まあ、悪い方に考えるのは人の性ですから自分自身を大目に見るしかありませ。

それに、リンパ腫ができたこと事態が、リンパ腫ができやすい体質にしろ何かの原因があったのでしょう。前回の再発時にリンパ腫細胞に札をつけていたわけじゃありませんから、全く新しいリンパ腫を新たに発症された可能性も否定できません。
今の医学で、再発か新規発症かを判別することはできないでしょう。



2011年9月10日(土) 22:36 リツキサンによる長期寛解効果
今日の16時は34度。
ある公営の建物も冷房が入れてなくて、ちょっと興奮したら汗が流れる。

うまくいかないななんて、うまくいくようにしていないからいくはずはない。
それでもうまくいって欲しいけど。
何が違うんでしょうね。
前回は私のミスだったけど。
どうしたもんだか、
絡んでしまったので、
継続は力ですが、時間による消耗という言葉もある。
難しいです。


青春誌は週間アサヒ芸能で、探していた週刊誌は週間朝日でした。
9月6日発売の9月16日号です。
ちょっと、紙のリンパ腫説明が読みたくて、買っちゃいました。
みなさんはコンビニでどうぞ。
3ページだけですから読めるでしょう。
ある人の治療暦が載っていたので紹介させていただきます。
Aさんです。
1991年 足の付け根の生検で
濾胞性リンパ腫と分かる
1991年 C-MOPP多剤併用化学療法を受ける。
      (C-MOPP:シクロフォスファミド,ピンクリスチン,プロカルバジン,プレドニゾロン)
1996年 
再発
1997年 リツキサンの治験に参加 4回投与
2009年 
再発
2009年 リツキサン治療
2011年 
経過観察中
インタビューした医師の話し
「リツキシマブが導入されるまで、低悪性度B細胞リンパ腫の一種である
濾胞性リンパ腫患者の生存期間の平均は7~10年といわれていましたが、今は15年前後か、それ以上というデータもあります

まあ、一般週刊誌の「知って得する 名医の最新治療」というシリーズの中で今週はで血液疾患を対象にしたもので3ページです。
記者が、最新の薬で劇的に効いたケースの推薦を医師に求めて、その患者さんが選ばれたのでしょう。あくまでも「リツキサンが劇的に効いたケース」で、そんなケースが実際にあることを疑いはしませんが、濾胞性の全患者に占める割合が書かれた文章を診たことはありません。おそらくは、そんなデータはないのでしょう。多くの病院が参加して集められたデータはないでしょうが、院内で統計を取られたデータならあると思います。
上の赤字部分ですが、私は、濾胞性リンパ腫患者全員についての生存期間のベースラインをあげる作用とは考えていません。その補足する必要尾がありますが、今日はパス。


それに付随して下記を含めて説明したかったのですが、

リツキサンについて報道された1998年神戸新聞の記事
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/sub021004300.jpg

濾胞性リンパ腫の予後指標分類による生存曲線
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/sub02080826a.html

濾胞性リンパ腫の生存曲線(平均10年)の実質
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/sub02080826b.html

一般的に考えられているリツキサンの追加による生存曲線のアップ
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/sub021007120.jpg

年齢によるリンパ腫生存曲線と濾胞性リンパ腫生存曲線
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/sub021002021.jpg


上記の説明は、明日か明後日、気が向いたら書きます。

リツキサンによる効果は、
1.リツキサンが直接腫瘍細胞を殺傷する効果
2.リツキサンを含めた化学療法で、化学療法の効果を強める力。
3.リツキサンの投与(毎週1回4週間連続投与の場合)で、半年間B細胞をほぼ
  なくし、投与からB細胞が完全回復するまで1年近くかかることによる効果。

があげられています。
もっとも、その3番目の効果は、私だけが考えているものですが。



2011年9月9日(金) 20:49 義父の転院完了
うるさいミンミン蝉のように、色気のない大声でコオロギが鳴いています。

 じゃぁかぁしい!

といったってコオロギに罪はないのですが、今日は蒸し暑かったから。
明日からしばらくは、32度33度で蒸し暑い日が続くようです。



義父が特養に転院しました。
地方でも特養は、100人200人待ちです。
でも入れました。
そんなことがあるかどうか知りませんが、急に入居者の空きができたときに、ちょうどその日が入居率を報告する日で、空きを待っておられる順位の高い人から順番に連絡を取ったら何故かみなさん突然なので都合が合わなかった。そんなときに、いつまで待っても連絡がないので窓口に問い合わせにいっていたら「あなたは今日入れますか?」といわれたのでお願いしますといった。
そんな偶然があるかどうかは知りませんが、それに近いことがあるようです。
いい方向に向かうタイミング。
ただのタイミングです。
不思議ですが、あるんですねえ、それが。
そんな私なのに、なんで病気に?
なんて聞かれると困るんですが、
今はそれも、なんとなくわかるようなわからないようなという所まで来ています。

老人ホームも、何故か長生きホームとさよならホームがあるらしい。
長生きホームは人気も高くて予約待ちがわんさかいる。予約待ちが多い上に誰も亡くならないのでいつまで経っても入れない。
逆に、次から次から旅立つ人が続く老人ホーム。飲み物や食べ物を制限しているわけでもないのに、何故か旅立つ人が続く。
不思議に思った医療者が調べられて、論文も書かれています。
生き生きホームと下向きホーム。
心のありようは、生死を分ける。
それが原因のすべてでなくても、境目にある人にはじゅうぶんに、どちらに転ぶかの手助けになる。それなら病気も同じでしょうか。2cmのリンパ腫があるときに化学療法を受けて、最後に腫瘍細胞がひとつだけ残った。それが生き残るかなくなるかの境目、
パワー全開、、、ファイトォー
でそれを消せる人と、
もうだめだでそれを消せなかった人、
まあ、実際は腫瘍細胞がひとつだけ残るなんてことはないでしょうが、それに近いことが日々起きているかもしれません。



昼は晴れて、夜が寒いほどの日が続いて、ちょっとむしゃくしゃするし、ひとりで大江山のスキー場から頂上まで登ってみようかと思ったりしたら今日は雨になりました。
飲み物を入れたリュックショッて、あの2段頂上の上へ。
熱いコーヒーとお茶を飲む。


ヒッキーなのに、今日は外でおはつの対人交渉が2件。
仕事じゃないですが、
つかれた。


コオロギの鳴き声を聞いていると、何故か裏犬の五郎に聞こえる。
もちろん全然違うのに。



2011年9月8日(木) 19:55 肺がん数字のマジック
秋ですね。
なんとなく秋。

といっても、15時過ぎに家を出たときは29度でした。
あと少しで、1年で最も素晴らしい季節に入ります。
まあ、春が最高だという人もおられるでしょうが、私は夏が終わる季節がいい。



昼前に、ヒッキーの私が町に出て、100均で150円の名刺入れを買いました。
そういえば息子が大学を出る前に、就職先の入社前教育に行くときに15000円の名刺入れを買いました。親父が今回買ったの名刺入れは150円です。
そのとき私は息子にいいました。
「教師と一緒にお客さんのところにいって、15000円の名刺入れが使えるか?
 ひとりで行動しているときなら問題はない。
 もうひとつ、2000円か3000円の名刺入れを買うときな」
昭和60年生まれの息子は、今何歳になっているのでしょうか。



上のグラフの入手先は、ここをクリックです。
厚生労働省さんのホームページからの転記ですが、肺がん・大腸がん・肝臓がんの死亡率増加が2000年の前から急に穏やかになったように見えます。なんのことはない、グラフをよく見ると2000年から×軸の縮尺を変えているのです。そんなグラフがあるでしょうか、なんだかねえ。

2000年以降も、肺がんと大腸がんによる死者数が増加しているのが分かります。


上の図は男女別の喫煙率を表したもので、入手先はここをクリックです。

肺がんといえば、副流煙を含めて肺がんの最大原因と目の敵にされています。
しかし、上のグラフで分かるように、この10年で女性の喫煙率はほぼ変わらず、男性の喫煙率は平均すると20数パーセント低下しているのです。
なのに、最初のグラフでお示ししたように、肺がんによる死者数が増加する傾向は止まっていません。
この10年で喫煙者数が明らかに減少しているのに肺がんによる死亡者数は増加しているのです。
おかしいでしょう!

 よって、たばこを肺がんの第一原因とするには無理があります。


タバコ=肺がん 肺がん=副流煙 肺がん=たばこ
それは、
「たばこ=肺がん」というやらせだったのでしょうか。
皆さんは、騙されておられませんか ?


上は、日本の各年齢における人口分布で、入手先はここをクリックです。


上の図は、各年齢10万人における肺がん患者数です。

上のグラフで分かるように、男性の肺がん患者数は女性の3倍強です。
男性の喫煙者数は女性の3倍弱ですから、これはタバコ原因説を補強するものです。肺がんは、50歳前から急激に患者数が増加しますから、一定期間喫煙を継続した影響によるものとも考えられます。
また、上のグラフで示したように、年齢別の単純患者数を見ても、各年齢による人口分布がありますから、その補正をする必要があります。

また、ネットに以下の文章がありました。
「喫煙と肺癌;
喫煙と関係の深い肺癌のタイプは、 扁平上皮癌と小細胞癌で、特に肺で発生する小細胞癌の9割以上は喫煙者にしか発生しません。 扁平上皮癌はタバコのフィルターの影響や、 禁煙運動の成果により減少傾向にあります。 一方、腺癌は喫煙者でなくても罹患する特徴があります。肺癌の死亡率を減らすには、禁煙を避ける事はできません。 喫煙習慣のある男性は、無い人に比べて、 肺癌になる可能性は約4、4倍で、女性の場合は2、8倍とされています。受動喫煙の死亡率は以下に既にご紹介させて頂いた通りです。又、禁煙期間が長ければ、 肺癌罹患リスクも確実に減少します。 禁煙4年未満で約2倍であったリスクが、10年未満では1、6倍。 10年以上禁煙すれば1、4倍と紹介されております。」
その入手先は、ここをクリックです。

より詳しい資料を基に分析すれば、上のようなことが分かるのでしょう。
しかし、肺がんを発症する中心年齢において、それまでの喫煙期間(累積喫煙本数かもしれません)が影響していると思われると私は考えたのですが、「喫煙率が減っているのに肺がんによる死亡者数は増えている。」という現実は一般的には説明されていません。喫煙率の低下も、年齢別に見る必要があります。あと30年もすれば、肺がんの罹患数に関して、低下している喫煙率が効果を示してくる可能性もあります。
そうなれば、「肺がんの第一原因としてタバコの影響が挙げられる」ということが証明されるでしょう。
そのように「一定の期間を経過して出てくる発がんの影響」を考えなければ、喫煙率が低下しているのに肺がんによる死亡者数が増加しているということの理由付けができません。


また放射線被曝を擁護するかのように「受動喫煙している女性の発がんリスクの上乗せは、2~3%になるそうだ。放射線に比べてこちらのほうがよほど恐い」という文章が昨日の全国紙にまた書かれていました。
福島の人は、原発事故による放射線被曝を避けることはできません。
またそれは、自身の過失や故意による被爆ではないのです。
副流煙は、事務所や公共の場所では禁煙の方向にありますし、その一部は自分の意志で避けることができるのです。喫煙は、自分の意思で行うことも辞めることもできる行為なのです。同じテーブルに乗せて話をややこしくするのは、お願いですから避けていただきたい。


今日お示ししたように、ある事柄に関して、その要素である数字の一部だけを意図的に取り出せば、結果を事実と違う方向に誘導できることがあります。データの一部だけを公開しただけです。そこに嘘はありません。でも、それが意図的に為されれば、故意に結論を誘導することができるのです。
情報のすべてが公開されれば、その意味する内容を別の方向に誘導することが難しくなります。素人でもプロと同じ資料が得られれば、専門的なことを知らなくてもプロと対等に話ができる場合もあります。

各種リンパ腫で治験が進んで、より少ない化学療法、より少ない放射線で同じ結果が得られるなら、少ない放射線や化学療法を選択する方向にあります。病期がⅠ期やⅡ期のホジキン病では、化学療法に放射線治療が予定される場合は、化学療法の回数が減じられる方向にあるようです。CTも、必要以上の検査を減らす方向にあります。それはもちろん、被爆による二次発がんを防ぐためです。それがあって私は、この数年間CTを受けたことはありません。しかし、私のリンパ腫が進んだら、当然CTを受ける回数は増えるでしょう。必要がないなら回数を減らし、必要があるなら撮る。それがより顕著になっていくと思われます。



がんの告知を受けた患者は、
【 否認 怒り・憤り 取り引き 抑欝 受容 → 】
の道をたどるといわれています。

東北の大震災で家を流された人たちは、
「しばらくは、呆然自失です。」
しかし、1週間もすると、
「何とかしなければいけない」
と、自らを奮い立たせて積極的になります。
それが落ちついた今は、
「無力感での落ち込み」
が自分を覆います。
しかし、それがいつまでも続くものではありません。
命が継続されれば、また徐々に回復していきます。
あとは、軽い躁鬱と同じような状態で、躁と鬱の間を行きかいながら収れんしていくことが多いようです。


今日は100均で、
150円の名刺入れを買いました。
100円のA6ノートを買いました。
100円のベルトを買いました。
100円のアルミニューム自在針金を買いました。
名刺はパソコンで作った手作りです。

 アルミニュームの自在針金は、何に使うのでしょうか。

それを買うのに、半年かかりました。
いくらなんでも遅すぎます。
でも、それを使う本体がまだ買えていません。


100均の店を出てコンビニへ、
週刊朝日がない。
週刊朝日がない。
諦めて書店へ向かう。
そこでも週刊朝日がない。
あるにはあるが9月6日号の週刊朝日がない。
あるのは9月16日号。
それも隣りに人がいたら見にくい青春画像満載版。
あきらめて家に帰ってパソコンで確認したら発売日の勘違い。
9月16日号が当っていた。
何してんでしょうね私。ガクッ・・・。

●週刊朝日 [2011年9月16日号]
 2011年9月6日発売
 名医のセカンドオピニオン/延命から治癒へ別のアプローチも必要
 ▽自治医科大学病院血液科科長・小澤敬也
 名医の最新治療/血液がん-分子標的薬や新規治療薬の効果に期待
 ▽国立がん研究センター中央病院副院長・飛内賢正
 埼玉医科大学総合医療センター・木崎昌弘


読んでいないので推薦はできませんが、とりあえず書いておきます。
9月6日の記憶は正しかったのか。
じゃあ、あれでよかったみたい。ガクッ・・・。
何してんだか私。
ぼけぼけ。



2011年9月6日(日) 17:17 薬の開発と後日評価の構築方法
北海道から東北にかけて記録的な大雨が心配されていますが、我が地は久しぶりの秋っぽい晴れの日になりました。
昨夜の9時には21度で、この夏以降一番の涼しさでした。
今日も、昼過ぎにはそこそこ気温が上がりましたが(←そこそこではわからん)、今は涼しい風が窓から入っています。
寒い冬の季節から暖かくなる4月の18度と、暑い夏が終わって秋に向かう18度では絶対値は同じでも、体感温度は違います。

先日この日記で30年前の我が地の盛夏における気温について書きましたが、1000年に一度の大震災だけではなくて、年間における雨が降る日数はこの何年かで統計的には変わらなくても長時間継続する激しい雨など、降り方が過去にない異状です。1000年に一度の大震災ですから、余震も大きく長引くのは当然ですが、首都圏直下型地震や東南海地震など、時期がわからないだけで、起きることが確定している地震もあります。
地中の底深くまで進んだボーリングでなまず様を傷つけてしまってお怒りなのでしょうか、どこかに、なんらかの形でお怒りを鎮める道が示されているかもしれません。示されていても、それは煩悩の多い私には見えないでしょう。



私には「サイトカイン」とか「インターロイキン」はなんのことやら難しくてわかりません。それらについて専門の教育を受けたとしても、落ちこぼれたであろうとしか想像できない軟弱さです。ただ、それでも「その後IL6(インターロイキン6)は、骨髄腫の増殖や自己免疫疾患にもかかわることが分かり、成果を基に治療薬の開発が世界中で進んでいる。」と書かれているのを読むと、一瞬目が留まります。代表的な血液疾患である白血病や骨髄腫に開発された薬は、そのままリンパ腫にも効果があることがわかって承認されることもあるからです。
1947年04月 大阪府で生まれる。
1966年03月 大阪府立天王寺高等学校卒業
1972年03月 大阪大学医学部卒業
1972年04月 大阪大学医学部副手
1977年06月 大阪大学医学部附属病院医員
1978年10月 大阪府立羽曳野病院勤務
        
内科医で勤務していて、結核患者の胸水が免疫反応を引き起こす
        
ことが分かった。理由を明らかにしようと決め、昼は診療、夜は実験
         
に明け暮れた。苦労の始まりだった。
1980年05月 熊本大学医学部附属免疫医学研究施設助教授
1984年01月 大阪大学細胞工学センター助教授
1986年    
その研究を継続していたが結果が出ない。ストレスで不整脈を起こ
         
し「もうこの研究はやめよう」とも思った。それでも諦めず、研究を続
        
け、ようやくこの年にIL6を見つけた。
        
それは、研究を初めてから8年後だった。
1989年11月 大阪大学医学部附属バイオメディカル教育研究センター教授
1997年10月 大阪大学医学部附属バイオメディカル教育研究センター長
2008年04月 大阪大学大学院医学系研究科長・医学部長
2011年08月 大阪大学総長就任

上は、この8月に阪大総長に就任された平野俊夫先生の略歴です。
やめようと思いつつ実らない研究を続けて8年。その研究が実を結んだのですからすごいことですが、実らないままに年を重ねて仕事から引退される研究者も多いんでしょうね。当たり前ですが、平野先生は私のような凡人とは違います。上の略歴に書かれた年表に、その時のお年を書き込めば、普通の人ではないだろう頭の持ち主であることが推察されます。
医学部長の席にあられましたから、当然阪大さんが進められてきたリンパ腫のあれもご存知でしょう。しつこいようですが、「何があっても続けてください。」裏で、そう話されていることを期待するものです。

他にも、
「日本人である石坂公成はジョンズホプキンス大学(アメリカ)においてブタクサに対してアレルギーをもつ患者の血清からIgEを精製した。IgEの"E"というアルファベットはこの抗体が紅斑(Erythema)を惹起するということに由来している。」
この石坂先生は、研究の中でご自分の背中と奥様の背中に何度も試薬を注射されてこられました。そういう研究者の皆様の基礎的な研究成果のおかげで、私たちが使う薬が開発されてきたのでしょう。
ちなみに、【免疫グロブリン≒抗体】なんですね。初めて知りましたが、私はすぐに忘れるでしょう。
それが書かれているのがWikiの”抗体”で、ここをクリックです。
そこには、例の”Y”の「手」が解説されていますが、リツキサンもその「手」でB細胞にくっつくとされているのですが、私には今もちんぷんかんぷんです。
「抗体」について、もっと興味がある人は、「抗体物語」をどうぞ。
それは、ここをクリックです。
私は、やはりすぐに投げました。

それら薬の開発を含めた基礎研究と、患者がその薬を使った結果は車の両輪と同じくどちらも重要だと思うのですが、そのデータは治験から得られるのと、単一の病院内で行われてきた治療実績で得られるものの他にあるのでしょうか。
しつこく書いていますが、せめて罹患患者についてだけでも全症例データベースとして機能すれば、イレッサの問題も早い段階で次のステップに進めたでしょうし、もっと効果の判定が進めば、「Aという薬が効いた患者には、その大多数の患者にBという薬も効く」などのデータが得られると思うのです。


そのサーベイランス(調査?)が日本で最も進んでいるのが結核だと思っていたのですが、実際に進んできたのは、この10余年のようで、それほど長い歴史があるものではなかったようです。やはり、時間がかかるんでしょうね。がん登録も進みません。個人情報保護との絡みもありますから法制化しないとこれ以上は難しいのではないかという意見も広がっています。
「公益財団法人結核予防会結核研究所」は、ここをクリックですが、
その中に、結核サーベイランスについて書かれたpdfファイルがあります。
それは、ここをクリックです。



2011年9月4日(日) 18:31 がんの罹患登録と症例登録
今日の朝は、携帯の目覚ましを7時20分にセットしておいたのに、まだ早いかなと思いながら携帯を見ると8時ちょうど。あわてて布団に座って形態を見直しても時間が早まることはなく、鳴ったのか鳴らなかったのかは不明なれどあわてて起きる。そのまま1階に降りると待ち合わせていた人が玄関のチャイムをピーんポーン。ごめんなさいです。
ポスター作りは美的センスがありませんからね。考えてみれば、企画、文章、配置、イラスト、の力が何もない。腕のある人がうらやましいばかりです。もうひとつもふたつも届かずですが、ポスターの配置や企画は誰、そこで使う文章案は誰というように、会がある程度の規模になれば、次の催しは賛成できかねるから私はパス。そのかわり、あれは私の発案だからプロジェクトの中核メンバーに入りたいとか、そういう進めかたができる程度の陣容が願いです。


台風一過ですが、峠を越えたもののまだ紀伊半島に雨マークが続いています。
紀伊半島の大台ケ原以南は日本で有数の大雨地帯です。
ですから、豪雨が来てもそれなりに対策が進んでいるとあまり考えませんでした。紀伊半島全体がところが記録的な大雨で、豪雨に慣れた地元の人でさえ驚くほどだったといいます。
私が住んでいる京都府北部はほとんどが由良川の流域です。
由良川の水位は、ここをクリックです。
昨日の水位は上がるどころか基準値を上回ることもありませんでした。
台風が姫路から豊岡に抜けるルートが最も私の地方で危険なコースです。今回は、それから西に外れた岡山を通りましたから少し外れました。しかしかなり危険なルートです。今回の台風が通るルートに近い我が家で近隣の一級河川である由良川の水位がほとんど上昇していないのを確認して、それほどでもないと思っていました。それに、ばたばたしていてあまりテレビのニュースを見ませんでしたから、大きな被害が出ているのを知りませんでした。昨夜から聞こえているコオロギの鳴き声は、台風の影響でしょうか寂しげに聞こえます。


Dr.Dr.Scheefがいいました。
「この部屋の外、ドアの向こうにどうやら猛獣が来ているらしい。しかし、この部屋には食料も水もトイレもない。いずれ私たちはこの部屋から出なければいけない。私たちはどうするか、まずは何とかして、ドアの向こうにいる猛獣が何なのか、どれくらいわれわれに危険を及ぼすものなのか、部屋を出たいなら、その前にできる限り調べるべきだ。」
台風も同じで、事前にできる限り調べなくては準備をするにも程度があります。

大腸がんの手術を受けられた小児血液内科の医師が誤って血液型の違う膳血輸血を受けられて、偶然部屋に来られた病棟師長が気付かれて事なきに至ったという笑い話が実際にあります。
踏み切りを車で横断するときは、遮断機が上がっていても停止線に車を停めて、左右を見て安全を確認して発進するように決められています。
私が、トイレまで問題なく自分ひとりでいける状態で入院していたときに輸血を受けて、看護師さんにそれを確認するよういわれたことは一度もありません。
痴呆の出ている高齢者でないなら、患者も治療に巻き込めばいいのです。間違いなくチェック機能が向上して、医療事故が減るでしょう。
「医療事故なんてありません。」原発の安全神話じゃないのですから、そんな幻想を死守すべきだという幻想の中にいるのは医療者だけでしょう。
「R-CHOP」や「R-ベンダムスチン」など、リンパ腫でよく使われる治療では、その治療が施行される患者のベッドに、患者が読める標準作業マニュアルを置くべきでしょう。
そんなことは医療者の仕事でしょうという患者がいるかもしれません。入院したときにそれを患者に選択させて、書類に書かせればいいのです。



大阪から帰ってきていた息子が、今日の朝帰るといいました。私は8時から所要があるので、妻が仕事に出るのを15分早めて送っていって欲しいといいました。それに息子は気を使って昨夜JRで大阪に帰りました。
疲れた。
息子が帰ってきて、問題なく過ごしているであろうそこそこの顔をしているのを確認できるのは嬉しいのですが、出て行くとどっと疲れが出ます。
1日車を貸していたときの帰りに盆に行けなかったお墓に入ってきたとかで、台風が来ているし、出かけることもなく息子は我が家に帰ってもきてもすることはないでしょう。今はすでに、生まれ育った我が家よりも住んでいる大阪の家のほうが落ちつくのでしょう。
もうひとりの息子が帰ってくるのは連休です。
帰ってくるのが一緒になれば、小さな家ですから私の居場所がなくなります。
なんせ、我が家にワン公がいたら我が家の序列最後尾に位置づけられる私です。



 
次の血液内科は11月、皮膚科は12月で、9月10月は両方とも執行猶予です。


考えてみたら、「リツキサン抵抗性の患者向けにゼヴァリンが開発された。」という位置付けだったんですね。
濾胞性リンパ腫の患者には、まずリツキサンを含む多剤併用療法が第一選択肢。それで「リツキサンが効かなかった患者に救援療法としてゼヴァリンを提供。」というものでした。
しかし、濾胞性リンパ腫を診てきた血液の専門医ならCHOPに抵抗性のある患者かどうか経験的にわかるでしょうが、R-CHOPでR(リツキサン)の効き具合が経験的にわかるものでしょうか?
濾胞性リンパ腫の初回治療で一番多く使われているのは今ならR-CHOPでしょうが、それがR-B(Bベンサムスチンで、R-T(Tなら同じくすりのトレアキシン))に変わっても、リツキサンの効果とベンダムスチンの効果を分けてそれぞれを検証するのは難しいでしょう。それなら、リツキサン抵抗性の難治性患者にゼヴァリンというのは、リツキサンもCHOPも効きにくい患者、もしくはリツキサンもベンダムスチンも効きにくい患者ということになります。しかし現実は、リツキサンがある程度効く患者にゼヴェリンがもっとも有効だと考えるのが自然なのでしょう。
まあ、白血病や骨髄腫に開発された薬が、それよりもリンパ腫によく効いたという事例はあるでしょうから効けばいいのですが、最も重要とされてきたはずの投与対象患者がなし崩し的に変わっているというのはどうでしょう。一定時期に、血液学会として総括される必要があると思うのですが、結局は大きな治験が行われて、その結果を総括した論文が出て、そのあとで相当規模の追試が行われて、そして標準として世界に広まるのでしょう。それまでは、ああじゃないこうじゃないと薬量を変えられたり多剤併用として他の薬を追加されたりする少しずつ違う雑多な治療法が出回るのでしょう。
その結論を早めに出すには、今のがん登録を進めて、症例収集に変わるべきだと思います。今のがん登録というサーベー(統計的ながんの罹患データ調査)は厚生労働省の仕事で、がん研究センターなら症例登録が目的業務のはずです。
それがあれば、一定量の治験は、既存症例データベースからの抽出だけで代替できるはずです。



2011年9月2日(金) 22:09 見えないものの意思
台風が近づいています。
我が家への直撃コースです。
息子が今夜帰ってきて、明日大阪で少しだけ仕事をしてくるので車を貸して欲しいといわれています。
それで昨日から、車を掃除しようと雨が止むのを待っているのですが、始めようと思ったら雨が降り出したりでチャンスがありません。車の床面を掃除機掛けたり、ドアの開け閉めがあるので雨が降っていたらしにくいのです。車の外観は、ガソリンスタンドに200円で洗える機械があるのですが、屋根にアンテナがあるので使えないのです。

 車内を綺麗にしておいた方が事故が少ない。
 車内が汚れた車の方が事故が多い。

これも根拠のない都市伝説なのでしょうか。
子供達が大阪にいて、私の知らないところで何をしていようと、必要以上に気にすることはありませんが、我が家への往復とか、我が家からどこかに車で行くとなると心配の種が増えます。
それにしても、台風が我が家近くを通るのは明日の明け方、スピードが今のままなら明日の昼です。台風が来ている最中に車で外に出たいなんて、子供でもないのに何考えてんでしょうね。
一般的には、上陸前後で急激に勢力を落とす台風が多いのでしょう。
でも、四国の中部から東部に上陸した台風が北北東にまっすぐ日本海に抜けるコースは、歴史的に見て私の地方に一番被害が出やすいコースです。
我が家は浸水とがけ崩れの心配はありませんが、地震と強風による揺れには弱いのです。昔兎小屋ですからしかたがありません。向こう100年間、それがないことを祈るだけです。



妻の実家、義父が3ヶ月ルールで退院する日が近づいています。
寝たままで、自分では何もできません。
次の病院か特養を探さなければならないのですが、末っ子の妻には1兄2姉がいます。牽制する人がいる中で誰が動くか、長姉と妻の家が一番近いのです。近いから病院に行く回数は一番多い。病院から直接問い合わせを受ける立場です。逃げ続けることができにくい立場でもう日が残されていません。
でも、最近ある変化があって、急激に進める方向が見えてきました。
しかし、それでも近親者から待ったがかかる。
まったをかける人が責任を持って話しを進めるならいいのですが、待ったをかけながら別の進路を考えるでもなく、何もしない人が会社や団体にもたくさんおられます。義父の場合は、数人の近親者の中の誰かが動いて次の道を準備するしかないのです。

 その「新しい動き」というのはただの「偶然の産物」です。
 誰も意思を持ってそれにつなげた人はいないのです。

その「偶然の産物」に私が最初に気がついたのは中学校1年生のときでした。
そこには何かの「意思」が働いていると思うのですが、それが何かはわかりません。
それが「神様」であるという短絡的な思考はしません。
でも、そこに何らかの「意思」が働いているなら、あまり逆らわない方がいいと思う。
その「意思」に沿うほうが、いい方向に進むように思う。

台風が、日本付近の空気を入れ替えて、そうするうちに少しずつ季節が変わる。
皆様のところでも、大きな被害が出ませんように。


この地方でも、8月の末から早場米の収穫が始まっています。
出荷前に検査をされて「放射能は基準値以下でした。」と発表されます。
もう、誰も信用されないでしょう。
この半年の原発関連の発表を聞いてきて、信用される人が変なのでしょう。
ただ、それを取り戻せる方法がひとつだけあります。
すべてについて検査結果の数値を発表されることです。
「問題ない数値でした。」という発表は、今後問題が出た場合は隠しますという準備を含んでいる言葉なのです。「放射能は年間1000ミリシーベルトまで問題ない」という発言まであるのですから、(それ以下ですから問題ありません)という言葉を口の中でつぶやいておけば、一部の科学者さんが発言されている1000ミリ以下の990ミリでしたからという意味で、嘘ではないのです。それは国民一人一人が決めますから、ただ実際の数値を発表されたらいいのです。

 実際の数値、実際のデータを発表する。
 それがされないのは、そうされたら困る人がいるからでしょう。
 そうされたら、ごまかせなくなるからでしょう。

化学療法でも、一般的な脱毛や便秘のようにいずれ治るものもあれば、間質性肺炎や二次発がんの中の一部のように不可逆的なものもあるのです。
ある薬を、1000人を超えるリンパ腫の患者さんが使って、最悪の薬の副作用が1件も起きなかったというのは、それだけでじゅうぶんに疑問を疑う根拠になるかもしれません。



2011年8月26日(金) 20:30 血液内科の受診
今日は、転院して3回目の受診をしてきました。
3ヶ月に一度の受診ですから、まだ受診の流れに戸惑っています。
血圧が180-110ってなんなんですか。
高血圧を診てもらう診療所のカードが加わるのも近いですね。
さて、どういう手順で進めるか。
転院して5分診療では、主治医との信頼関係も何もあったもんじゃないですね。信頼関係ができるなら、入院してやりとりが多くなるということで、望まない事態でしか医療者との関係を深めることができないという矛盾です。
なんだかねぇ。

それなのに、ネクサスや戦う会などの掲示板が賑わうことがないという摩訶不思議。ネット世界が始まって、飢えた患者がこぞって参加した私たち第一世代。それに比べて、今の時代はわかりません。

前の病院は小さな病院だったので、早いときは病院の正門から入って20分後にはすべて終えてでてくるという状態でした。採血は受診後の採血で、受診したときに前回受信日の採血結果を聞く状態でした。
今日は、
12:43に再来受付機で受付をして、血液内科で待って、
13:20に診察室看護師さん室内に。
      (診察室看護師さんの不手際でほったらかされた)
13:34に採血書類を受け取り採血へ
13:47に採血完了
14:28に診察室入り
14:33に診察終了
14:40に支払い終了
14:45に病院を出ました。

下の血液検査結果は、検査部から診察室に院内FAXで届いたものです。
前回の受診と少し違うのは、まだ結果がすべて出揃っていないのでしょう。
時間が経てば、他に何の検査結果が揃うのかは知りません。

          8月13日 11月5日 1月28日 3月18日 6月10日 8月26日
最高血圧 -- -- -- 転院後です 156 180
最低血圧 -- -- -- -- 96 110
脈拍 -- -- -- -- 75 --
01抹消血液一般検査
02白血球数    6800 10600H 7200 7630 6710 6700
 リンパ球数    1261 1079
 好中球数 4650 4851
03赤血球数    454 494 479 481 459 467
04血色素量(Hb) 15.2 16.2 16.1 16.3H 14.7 15.4
05ヘマトクリット 44.5 48.5H 47.6H 47.2 45.0 45.7
06MCV     98.0 98.0 99.4H 98.1 98.0 97.9
07MCH     33.5H 33.3H 33.6H 33.6H 34.2H 33.0
08MCHC    34.2 34.0 33.8 34.5 34.9 33.7
09RDW     13.8 13.5 14.3 14.0 13.6 14.6H
10血小板数 13.6 14.5 14.5 13.8 13.0 14.4
11網状赤血球数
12抹消血液像
13骨髄芽球
14前骨髄球
15骨髄球
16後骨髄球 像機械値 像機械値 像機械値 像機械値 像機械値
17好中球    66.0 75.5 72.0 69.3 72.4
18桿状核球  
19分葉核球    73.0H
20好酸球     6.3 3.6 3.5 4.0 5.1. 4.9
21好塩基球    0.4 0.3 0.4 1.0 0.4 0.3
22単球      6.5 5.4 6.0 9.0 6.4 6.3
23リンパ球    20.8 15.2 18.1 13.1 18.8 16.1L
24異型リンパ球
カウント 100
25未熟リンパ球
26未熟単球
27その外の細胞
28赤芽球   0.0 0.0 0.0
29総蛋白     6.7 7.7 7.1
30アルブミン 4.6 5.0 4.6 4.5 4.2
31A/G比
32総ビリルビン 0.3 0.5 0.5 0.6 0.4 0.8
33直接ビリルビン 0.1 0.1 0.1
34間接ビリルビン 0.2 0.4 0.4
35ALP     212 256 214 213 213 215
36GOT 27 31 25
37GPT 47H 52H 34 24 39 22
38LDH 166 174 161 181 173 172
39コリンエステラーゼ 346 409 388
40LAP    49 50 48
41γ-GTP 42 35 35
42血清アミラーゼ 58 64 81 52 43 44
43尿素窒素 8.8 9.9 12.0
44クレアチニン 0.70 0.84 0.73 0.7 0.7 0.80
45尿酸 5.1 5.5 5.4
46ナトリウム 144 140 140 140 144
47カリウム 4.1 4.2 4.3 4.3 4.2 4.6
48クロール 106 100 102 105 105
カルシウム 9.3 9.1
eGFR >60.0 >60.0 >60.0
CK 61 64 57
血糖(血清) 99 101 97
49総コレステロール 208 233H 226H
50中性脂肪 233H 220H 229H
 HDLコレストロール 32LL 38L 36L
 LDLコレステロール 136 167H 151H
 LDL/HDL比 4.3 4.4 4.2
51CRP 0.12 0.33H 0.08 0.1 0.1 0.2
52乳び
53溶血
54黄疸
 CEA 3.6 4.4 4.5 4.5 3.7
55可溶性IL2レセプター 303 329 307 336 288
56網状赤血球色素等量 34.8 35.7 36.1 36.1 35.6
57幼弱血小板比率 2.3 2.6 3.2 3.2 2.3

ありがとうございます。
今回も執行猶予をいただいてセーフです。

血小板はこれが限度のようです。
11月5日の採血で、白血球が10600まで上がりましたが、その後2回落ちついているので問題ないでしょう。血液疾患の患者が、白血球が下がって喜ぶなんて、治療を繰り返した人にしかわからないでしょう。
左顔面の痙攣は低位安定で、まだ少し残っています。

初回治療の途中からでた症状ですが、今も正座をするとすぐに足先が吊ります。
畳の上で横になってテレビを見ていたら、30分ほどで間違いなく足先が吊ります。
フルダラビン治療が終わったときに歯茎ががたがたになり、順次抜歯して上下入れ歯で、総入れ歯も真近になっています。上の歯が特にひどい。
足裏の魚の目と水虫、背中のふん瘤が続いています。
背中の憤瘤が気になりますが、今は外科手術でとってもいいしとらなくてもいいという判断だそうで、皮膚科の主治医にとる気はなく、その話しを避けてさえいるように見えます。
万年性の便秘も変わりません。
各所に小さないぼ(皮膚科主治医確認済み)がどんどん増えています。

検査結果のすべてを転記していますが、私は個々の意味する内容を知りません。
でも、ここに来ていただいた検査結果に詳しい患者さんや医師なら、その人達のお役に立てるんではないかと思ったり、濾胞性の患者さんなら、いくら個人差があるといっても比較の対象が欲しいでしょうから、そう思ってお見せしています。

リンパ腫の初回治療を受けたのが1997年の4月でしたから、14年と4ヶ月になります。その5年ほど前に首のしこりに気がついていましたから、発病からは20年目になっているはずです。
3ヶ月に一度の受診といいながら、主治医が計算を間違っているのか、2ヵ月半の受診が続きます。

 主治医と病院が変わるという大事件がありましたから、恐かったのですが、
 おちついているようで何よりです。
 大きな変化あると、病気も動くことが多いので恐かったのです。

今年も、暑い夏を乗り切れたであろうことに感謝です。
もう若くない。
体年齢を、精神年齢が追いかけています。
相当離れていたのですが、急激に追いつきつつあります。
悲しいことですが、それも人生です。

今日の血液検査結果に影響を与えるような体調の変化はないと思います。これを書いておかないと、今回の採血で検査されるsIL-2Rの値が問題になるのです。
ボーエン病の手術後も変化はありません。次回の皮膚科は12月で、次回の血液検査は11月です。


私の時系列的な過去に受けた治療歴は、ここをクリックです。
そこは2段になっていて、上段は私が受けた治療履歴のみで、下段では、もう少し説明を加えたり、血液検査結果数値も書いています。

上記検査結果と、以下の記述は、あくまでもS.K個人の場合です。
血液検査結果から病気を読み取る考え方にも個人差があります。検査結果の内容は、治療で効果が出ているときと、長く治療をせずにいて、再発の方向にあるときでも変化の方向や数値が違います。
あなたと私が、お互いにこの病気になっていなかった健康なときでも、あなたと私の血液検査結果は個人差がありますから違います。病気になってからも同じように個人差があります。
同じ濾胞性のリンパ腫でも、私が受けて良好な結果が得られた治療方法が、あなたにも最大の効果が得られる保障はありません。その逆の場合もあるから難しいのです。それぞれの治療には二次発がんの危険性や骨髄抑制など、致命的な副作用の恐さがあります。sIL-2Rひとつとっても、濾胞性のリンパ腫が相当進行しているときでさえ200前後の人がおられますし、長く寛解にあるときでも500を下がらない人もおられます。私の場合ですが、寛解が続いたあとで再発方向にあるときはsIL-2Rがほぼ上昇してきます。しかし、治療を始めた後のsIL-2Rの値は、病状の変化を現したものとはいえないのです。
どうかあなたも、あなたの検査数値変化の方向性を知られますように。

『検査結果はなるようにしかならないんだし、もう少し前向きになればいいのに』と思われる人もおられるでしょう。
同じリンパ腫でも、濾胞性リンパ腫の場合は、たぶんその質が違うのです。
濾胞性リンパ腫の人で、そう思われるなら、あなたは強い人でしょう。
ホジキン病や瀰漫性リンパ腫の人は治癒が目的ですから、検査数値の結果に対する治療行動や考え方が違うのです。
こんな私の気持ちは、同じ濾胞性の患者さんならおわかりいただけるでしょう。
受診の前は、今でもどきどきです。

 毎年再発してきた濾胞性リンパ腫の人の寛解が続いたら、
 主治医は、5年だといいました。
 治癒の可能性についてです。

 ここにそれ以上書くと裏切られそうに思うので、それは書きません。

 でも、5年経てば、もう少し書けることもあります。
 今はまだ書けません。



                              
        
           
                          
                                         



2011年9月日記に書いたリンク集
01日 



Only one day (1日だけ、履歴に残さない当日日記)
この日記では記述に色分けをしています。
通常の日記は紺色で書いています。

持病で私の事を書くときは紫色で書いています。(20070701から)

持病で一般的なことを書くときはの色で書いています。
まれにですが、最重要個所では赤字を使っています。
8月9日からしばらく、母の病気や家族への伝言はこの色で書いていきます。
株式のNET売買について書くと
きはこの色です。

※ 注意
これから私のメイルアドレスを以下とします。

sabcdek-ybb.ne.jp
上の-(ハイフォン)を@(アットマークに変えてください)。
それが今後は、この持病関連で使う私のメイルアドレスです。
詳細な理由は、このホームページのアドレス変更と共に3月28日の日記に書いています

このホームページの正規のアドレスは以下です。
http://www.geocities.jp/nagalelumamani/
それ以外のアドレスだと正常に動作しない部分もあります。

ここに私が書いていることで、治療に関することは、あくまでもリンパ腫の患者である私個人の場合です。ホジキン病や、非ホジキンでも濾胞性や瀰漫性の違いだけでなく個々の患者さんによる違いが大きなものだと聞いています。読んでいただいて思われることがありましたら、主治医の先生に相談されることをお勧めします。