お母ちゃんになりたい鮎。

私はIDDM(高血糖症)患者です。
IDDMにとって、子供を産むことは容易い事ではありません。
人並み外れた厳しい自己管理を、一生続けなくてはなりません。
それはもちろん、子供を産む為だけの自己管理ではなく、
生きていく為の、安らかに死ぬ為の自己管理です。



▼△▼△ あたし的自己紹介 △▼△▼

H.N鮎(AYU)
職業週3〜4日、パートに出ている主婦
構成員夫・ねこ
趣味インターネット・ゲーム・ドライブ
好き◎ hide / HISASHI(GLAY) / 尾崎豊 / お菓子 / ケーキ / パン



▼△▼△ アタシ的自叙伝 △▼△▼

1968年生まれる。健康状態問題なし。ちょっと下痢症。
1984年学校を中退。家出。
1986年現夫と出会い、同棲を始める。
1993年入籍をし、平凡な暮らしを続ける。幸せな頃だった。
1994年甲状腺機能亢進症と診断を受け、数日後に甲状腺クリーゼ(中毒症)で緊急入院。合併症として高血糖を指摘されるが「甲状腺値が下がれば血糖値も下がるはず」と医師に言われる。
が、甲状腺値は下がったものの血糖値だけ下がらず。無念にも高血糖症(IDDM)になってしまった事を告られた。
が、病院を抜け出しパフェを食いに出かける始末。まるで血糖値なんて興味の対象外であるかのような暢気な入院生活を送る。退院しては遊びすぎで高血糖になり、救急車のお世話を受けること数回。この年の入院日数のべ6ヶ月半。
1995年適当な毎日を送る。食事制限なんて気にしないも〜ん!と、毎日よく食う。次第に注射もしなくなっていった。
1996年新病院で何度目かの入院。IDDMについて、よ〜くわかるビデオを見せられ、合併症の恐怖にオノノク。食事制限のプレッシャーに押し込まれ耐え切れず、先の見えない暗い将来への不安も重なり、順調に過食症への道をたどる。この頃の口癖『早く静かに死にたい』
1997年過食症全盛期。ノイローゼ(うつ病)になり心療内科へ通う。治療代が高すぎてストレスを感じ、過食に拍車がかかる。しかも過食と同時にIDDMの治療拒否が始まる。注射は一切せず、通院すら止めてしまった頃。血糖値500以上(※1)(もはや自己測定器では測定不能域)の状態で1年半過ごす。ほぼ人生は捨てていたらしい。
1998年ふいに心療内科のカウンセリング料の高さに馬鹿馬鹿しさを覚え、徐々に過食が治まりつつある。過食でもなく素食でもなく、ただなんとなく生きてるだけの毎日を送る。しかし食後のデザートだけは忘れない。6月頃から再び通院を始める。
1999年ちょっとこのままじゃイケナイ事に気付き始め、ちょこっと自己管理を始める。この年の初めの頃、HbA1c(※2)は11%前後。一時期は6.6%まで下がるが、気を抜いて年末には8.8%までUP。
2000年ふいに子供が欲しくなる。ってゆーか、母親になる事が子供の頃の一番の夢だった事を思い出してしまう。
2000年Babyは間に合わないので、21世紀Babyを狙う為、心を入れ替えHPを立ち上げる。
2001年自己管理が上手くいかず、というか普通に食べる生活から抜け出せず滅入る一年。ここのお陰で死ぬほど悲しくなる事はなかった。来年こそは頑張ろうと心に決める。
2002年2月に義父が倒れ、看病のために一時的に引越しをする。ネットのできない環境になる。5月義父死去。6月に鮎、バセドゥ氏病(甲状腺機能亢進症)が一気に悪化し2ヶ月入院。
もう子供は無理かも・・・と思い始める。

※1 血糖値健康な人の血糖値は100前後。
※2 HbA1c


約一ヶ月間の血糖値の平均値を表す。健康な人で5%くらい。合併症にならない為には、常に6%以下を保つようにする。



▼△▼△ アタシ的自己管理 △▼△▼