子宮外妊娠体験記


平成11年10月
  1. それまで仕事人間だった私ですが、そろそろ子供が欲しいと思い始めました。
    しかしもの凄い生理不順の私・・・治療をしようかと思い基礎体温を付け始める。

平成11年11月

  1. 通院する病院を探しながら、適当にHだけはしていた・・・。 ちなみにこのときも、周期38日目の遅い排卵でした。

平成11年12月

  1. その頃抱えていた大きな仕事が終わってのんびりしていた高温期19日目。もしかして? と思い検査薬を試す。陽性!
    帰宅した夫に「妊娠したよ!!」と大喜びで報告した。「早く病院に行って来い」という夫に「もうちょっと後でも大丈夫だよ〜」なんてのんきに話した。

    でも喜んだのもたった1日だけ、翌日の夜から、茶褐色の出血がダラダラと続く・・・
    もしかして流産? それとも子宮外妊娠? 家にあった医学書をめくった。子宮外妊娠の初期症状は「茶褐色の出血続く」とあった。ネットでも色々調べた。「着床出血」というものもあるらしい。それなら心配することもないのかも・・・とりあえず2日間寝たきりで過ごした。
    早くもつわりらしき症状が・・・洗剤の匂いが気持ち悪くて、何回か吐いたりしました。

  2. 5W1D 前日出血量が増えた。心配で一睡もできないまま、近所の産婦人科を受診した。
    エコーで何も写らず。「何も写らないよ。本当に妊娠しているの?」などと暴言を吐かれる。「判定のために尿を採るからね」といきなりその場で尿道に管を入れて採尿された。(今思うととんでもない病院だ)病院での判定はもちろん陽性。 外妊か切迫流産かと言われ、とりあえず止血剤とHCGを注射される。肩に打った筋肉注射なのに何故か痛みも感じなかった。
    夜間はやっていない個人病院なので、お腹の痛みとか出血があったら救急車を呼ぶよう、指示される。
    もしも子宮外妊娠で、家で倒れたりしたらどうしたらいいの・・・家で一人でいるのが辛い。

        
  3. 5W2D 同じ産婦人科で胎嚢らしきものが見えると言われる。「このまま家で安静にしていてください」とのこと。再びHCGを注射。看護婦さんから「お子さんはいらっしゃるのかな?」と聞かれた。「いえ」「上にお子さんがいると抱っこするとき大変だからね」・・・悪気はないんだろうけど、私、はじめての妊娠なんだ。だからダメになるかもしれないって時に、子供の話なんてしないで・・・。そう思ってしまう自分が悲しかった。
    とりあえず子宮外妊娠ではなかったのか・・・と思って安心した。・・・しかし夜に右の卵管あたりに突き刺すような痛みが!
    このままの病院でいいの? 悩みまくって友人に相談し、翌日別の病院を受診。

  4. 5W3D 出血が鮮血に変わる。お腹も張って動けないくらい苦しい。転院先で待つこと2時間。 待っている間、お腹が張って座ってもいられなくなり、別室で休ませてもらいました。
    転院先で二人の先生に診察していただきました。
    まず最初の先生は「やはり胎嚢らしきものはある。しかしはっきりとはわからない。これだけ出血していれば流産の可能性もあるがもしこれが胎嚢だったらこのまま様子を見てもいい。でも子宮外妊娠だったら一刻を争うから、もう一人の先生に診察してもらいましょう。このまま待っていて」
    そのまま再び別室で待つこと1時間。二人目の先生から、エコーの後、「血圧を測ってきてください。あ、ゆっくり歩いてね」(この時点で多分恐らく子宮外妊娠なんだろう・・・となんとなく予感はした。)血圧は正常。測定後、診察室でその先生から「今日ご主人はどこにいるの?」と聞かれた。(えっ、もしかしてこれってものすごく緊急なことなの? と思った)
    その後続けて、「子宮の中に胎嚢はないし、右の卵巣あたりに影が見えるので子宮外妊娠の疑いが濃厚、救急病院を紹介します。多分このまま手術になるのでご主人に連絡して下さい」とのこと。そのまま近所の救急病院にその先生が直接電話をかけてくれた。専門用語を交えて話しているのでよくわからなかったけど、「血圧が正常で普通に歩いているので大出血ではないと思います」だって・・・。
    その病院の公衆電話から、夫の職場に電話した。案外冷静に「このまま救急病院に行くからすぐ来てね」と話した。
    会計のとき、看護婦さんから、「家に入院の荷物を取りに帰ったりしないでそのまま病院まで行ってね」だって・・・。これって本当に一刻を争うのね!?


近所の救急病院へ

  1. 紹介状を持って救急病院で待っている間、仕事が終わった主人が到着。一人で待っていたのは今思えばほんの少しだったけれど、とても長く感じた。
    再びエコー。やはり右の腹腔内に液体がたまっていると言われ、針刺して体液か血液か調べました。担当の先生は若い女医さんとベテランの女医さんの二人。若い先生が指示を受けながら、針を刺していく。これがもの凄く痛い! とれたものはやはり血液。「間違い無いね」とベテランの女医さんが宣言し、私に血液を見せた。その時点で子宮外妊娠の診断が確定しました。本当に、最後まで持っていたわずかな希望が、砕け散ったような気がした。 その瞬間、看護婦さんが襲いかかってきて手術の準備。点滴さえしたことがないのに、手術なんて! それにまた妊娠できるの? 呆然としたまま、涙が止まらなかった。

  2. そのままストレッチャーに乗せられ、手術室が空く間、2時間ほど待ちました。待っている間、若い女医さんがやってきて、手術の承諾書にサインを求められた。その後手術と入院手続きを済ませた主人がやってきて、「また妊娠できるって、お医者さんが言ってたよ」と慰めてくれました。待っている間、もう手術するしかないんだ、と思ったら以外に気持ちは落ち着いてきました。ストレッチャーで手術室へ。
    硬膜外麻酔(これは術後の痛みを和らげるための麻酔:背中に袋のようなものをつける)の後、静脈麻酔。すぐに眠ってしまった。
    約2時間で手術終了。開腹手術で、右卵管はすでに破裂していて、切除しました。 そうです、大事な大事な、主人との間の子供と、そして右の卵管を失ってしまったのです・・・。

  3. そのまま病室に運ばれた。看護婦さんと主人が話しているのがぼんやりと聞こえた。「今日手術できて本当によかったですね。この病気は命取りになる事だってあるんですよ」と看護婦さんが話していた。手術した夜は、麻酔のせいか痛みのせいか、3回吐いた(胃の中は空のはずなのに点滴の液が出てきた!)。術後の熱も40度近い。そのたびにナースコールを押しました。1回目に吐いたときは吐き気止めの点滴を、2回目には痛み止めの点滴、それでも吐き気は止まらない。3回目でようやく痛み止めの座薬を入れてくれた。これでやっと眠れました。

  4. 翌日は看護婦さんから問診。転院を2回した経過を話すと「どうして最初の病院の人がうちに紹介してくれなかったの? 少しでも疑いありの時点でもう入院なのよ!」とちょっと怒っていた。たった数日でもあんなに不安なまま家で過ごすくらいなら・・・確かにもう入院させてほしかった。

  5. 手術後2日目で、起きて歩けるようになりました。でも隣は産科の病室で、夜は赤ちゃんの泣き声で眠れなかった・・・。昼間も泣き声が聞こえてくるたびに、「私たちの子供どうして生きられなかったの?」と思う度に泣けた。     
    それに掻爬をしなかったので、普通の倍の量の生理が! もの凄いカタマリが出てきて、看護婦さんを呼んだことも。


    入院中は何人かの先生に診察を受けた。傷口はなんと糸ではなく金属でとめてあったらしい。診察のたびに「また妊娠できますか?」と何度も聞いた。返ってきた答えは「片方の卵管が無くなったからと言って、妊娠する可能性が低くなるわけではないです」というものだった。

  6. 退院前診察。ものすごく出血している私を見て、主治医の女医さんが「チャチャさん今までずっとこんなに出血していたの?」と驚いていた。(掻爬もしてないんだから、出血しなかったら逆に大変な事じゃないの?? だって不要になった子宮内膜がそのまま残っているって事でしょう?? と自分なりにちょっと思った)出血が止まるまで10日以上かかった。

  7. 入院は開腹手術だったけれど、腹腔内の出血が少なかったせいか、1週間ですみました。 退院したその日、ちょうど雅子様が流産なさったというニュースを聞きました。せっかく授かった命を、あんな大騒ぎになった後で失ってしまうなんて・・・。もう誰にも、こんなに悲しい思いはして欲しくない、と心から思いました。

  8. その日の夜は、不器用な主人から「チャチャが無事で良かった」との言葉をかけてもらって、初めて主人に抱きしめられて泣きました。

  9. 退院後、子供を亡くした悲しみから、親友に泣きながら電話をかけたことも・・・。その時のみんなの優しさは、今でも私の中での大事な大事な宝物です。

  10. 2週間後、退院後診察。(どういう診察だったか全く覚えていない)「どれくらい間を空ければもう一度妊娠してもいいんでしょうか?」とたずねた私に「子宮の中をいじっていないので避妊期間はいりませんよ。もう普通の生活に戻って構いません」と言われたし、右の卵巣からの排卵も左の卵管がキャッチできるから・・・というところで、じゃあきっとすぐ妊娠できる!と思ったところで次に続く・・・。


その後の私

  1. 派遣会社から紹介される仕事も断りまくり、家で一人きりで過ごす毎日・・・。 亡くした子供のことを思う度に、泣いてばかりいました。
    自分が助かる代わりに、子供の命を奪ってしまったなんて・・・。何がいけなかったんだろう・・・自分のことを責めてばかりいました。
    もう一度、妊娠したい!との願いは強いけれど、Hの時も思い出してしまって、できない・・・。

  2. そんなときに助けられたのが親友達の優しい言葉。「誰もチャチャのことを責めてないよ」「そんなに焦って次を考えなくても・・・過酷すぎるよ」中には仕事を休んで駆け付けてくれた人もいました。
    そうやってやっと立ち直ることができたのは、手術してから3ヶ月後、春もすぐそこ、3月のことでした。