レースレポート速報版

03年1月

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2003.年明けからランニング復活

 元旦より走り復活、仕事も復活。昨年末クリスマスあけ(=欧米ではBOXING DAY)からインフルエンザで発熱、丸6日間を空白のように過ごしてしまった。初日は、走っても咳き込まない程度の走りを。昼から、やっと年賀状を作成。いつも大慌てで年内投函に間に合わせていたのに、今年ばかりはとてもそんなどころではなく、不義理をしてしまった。

 2日は妹夫妻が年始に来て、昼まで居たので、それを送り出してから長居公園往復のジョグ。その日の午前中に新年はしろう会を主催していた快走クラブのメンバーたちに挨拶。

 3日、冷たい雨が降り始めたが、女子マラソンコースの試走会に参加し、長居公園までの片道ジョグを入れて50キロのジョグになった。後半13キロがフリー走になり、とばす人はどんどん飛ばしていたが、わたしは付いて行けず、付いて行かず・・・・びしょぬれになった身体を同乗させてもらった車で暖めて、帰宅後は仕事へ向かう。

 4日も寒風の中、酒練メンバー(ブラインドランナーの練習会)と大阪環状線を横断して、JR桜ノ宮からなみはや大橋渡ってきた。市内の目抜きどおりを伴走しながら走っていったが、人通りも車どおりも少なく、快適なラン。途中から降り出したみぞれが激しくなり、帰りは早々にJR大正から電車に乗って正解。ゴールには薬師の湯という温泉が待っていた。

 5日は平城宮跡新春マラソン。長い距離のPRは気持ち的に出来ないので、5キロと10キロのレース2本立てで、ともにビルドアップ的に走る。タイムは、5キロ20分18秒。10キロ41分23秒。5キロで総合一位だったのは中学生、19分台前半。脚の動きがまったく良くないので、タイムにはまったくこだわらず、走る感覚をつかむだけで精一杯。


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2003.1.11〜13 三連休は三連走

 初日は大阪市民マラソン5キロ、19分15秒。ペース感覚を確認したつもり、キロ3分50秒くらいで、と思っていたので、ほぼその通りの走り。我が家から会場の長居競技場まで片道約10キロ、行き帰りのゆっくりジョグでつないだ。

 日曜は駅伝、大阪実業団対抗。スピード系を3日連続、となると、これはちょっと負担過多なレースだが、昨年亡くなった大学の先輩の追悼駅伝なので、わたしの気持ちを整理する意味でも走っておかなければならなかった。先輩の会社のチームの助っ人として参加である。

 アンカーで3.3キロ11分58秒。これは駅伝ならではのタイム、たすきを受けて必死で走った。いつも惜しいところで入賞を逃すチームとのことだったが、今年は5位に入賞。みんなそれぞれ昨年のタイムを更新しての成績だったので、十分満足のできるものだと思う。

 亡くなった先輩が居て下さったら、どんなに喜んでくださったことか・・・・打ち上げでは大いに盛り上がり、帰宅したら11時をまわっていた・・・翌日のハーフのレースのことは余り意識していなかった。明朝のスタート時刻も確認せずにカラオケで騒いでいた。

 睡眠不足ではあるが、枚方ハーフは予定通り出走。暖かい目の気温が予想されていたので、気分的にも楽だった。しかし実際には9時半スタートの11時には走り終わっていたので、結構風が冷たかった。

 キロ4分くらいのイメージだったが、女性先頭ランナーが見えている最初の3キロを11分半、彼女の姿が遠ざかりつつある5キロを19分23秒で入ってしまい、「あかん、これはなんぼなんでも速過ぎる。」と、その後キロ4分に戻したものの、最初の貯金が効いて、1時間23分15秒だった。

 折り返してからは良いペースメークをしている若い男の子を風除けにし、「前に追いつきますか?」(=彼)、「じわじわと追いつきましょう。」(=わたし)などと会話しながらも、やはり全体的に4分をちょっと切るペースで、予定より1分余り速いタイムだった。

 この1分が速すぎること、肝に銘じている。だから納得のいくレースとなった。練習が出来ていない分、少し追いこんでおきたい、でも速過ぎるレースも疲れが残ってしまう。2週間後のフルマラソンでこれをやってしまうと、絶対に最後まで持たない。長居競技場を最後に出るつもりくらいで、景色が止まっているようなイメージで走り始める・・・

 寒波は10日ごとにやってきている。1月3〜5日が寒かった。そして明日、14日からまた寒い予報。ということは、女子マラソンのときにはまた寒波????寒がりのわたしは、そんなことにすら、非常に過敏になってしまう。

 大阪女子まであと2週間の調整についてはまったく未定である。スケジュールを決めてしまうと、それを消化できないことについてまた、ストレスを感じてしまうので、身体と相談しながら臨機応変に、行き当たりばったりだが調整していくつもりである。

 今回は体を軽く、軽く仕上げることができればいいのだが・・・・なぜなら、寒い気候の中でフルマラソンを走るとなると、脚が重たくなる一方であることが予想されるからである。今まででも、フルマラソンのレース途中から脚が軽くなるなんて、無かったのだ。

 目標は出走、完走!

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2003.1.26 大阪国際女子マラソン        2時間56分21秒(56位)

 この結果はどう分析すればいいのか???一時は出走すら危ぶまれた今年の大阪女子マラソン、前半1時間29分で折り返しての終わってみれば2時間56分21秒、大阪のコースでの自己のコースベスト。いったい今までしゃかりきに何をやってきたのだろうか???(以前のベストは初出場の大阪98年の2時間57分35秒、その翌年3時間4分で走り故障を悪化させ、1年あけて、2時間57分45秒、さらに昨年も欠場で、4度目の大阪です。)

 今回、夏からのオーバーワークで腸ケイ靭帯が張って来て(最初の痛み発生は8月末、その後はだましだまし・・・)、さらに持病ともいえる坐骨神経痛で夜寝ていても足がしびれてくるありさま、その故障がどうにもならずに脚全体の動きは良くならず、それでも2年連続の欠場だけはどうしても避けたいものでした。12月に引き込んだ風邪とインフルエンザで十分な走り込みができなかったという失敗感で気持ちも沈んでしまい、1月に入ってからの調整で軽く仕上げるつもりが、寒さにやられて筋肉の状態が上向かず、走ることすらあきらめかけてしまうこともありました。平日は夜しか走れない、日が暮れると夜は本当に冷え込んで、走る気にもなれない・・・練習するとさらに故障悪化して、大阪のスタートラインに立てなくなりそうだったので(何たる屁理屈!)、練習らしい練習をまったくせずに、当日まで来てしまいました。

 スタートラインで号砲を待つ間にも、「本当にこれから42キロを走るのかしら?」という自分が自分でないような存在感のなさ、こんなに練習していなくてこのマラソンに参加していて良いのだろうか、と罪悪感まで湧いてくる始末。長居まで帰って来れるかなあ・・・・こんなに低いモチベーションの自分が情けないけど、こんなときもあって良いかな、応援してくださる方々の前は、笑顔で通過しよう、とそれだけを思ってカラ元気ともいえる元気さでスタート。風邪を引いていなかったことが唯一の幸いといえます。

 でも、なにぶん若いナンバーカードを取っていたので、前から2列目でスタート、晴れた日差しも心地よく、風もなく絶好のマラソン日和で、「ああ、なんて気持ち良いんだろう。」とトラックを周回。たくさんのランナーを前に送り出したつもりが、1キロ通過をチェックするをなんと4分ちょうど!自分の気持ち良いいつものペースで走リ始めてしまっていました。慌ててペースを落とすことに・・・なにぶん練習していないわたしが、いつものペースで走り始めたとしても、必ず後半潰れます。

 目標はこのレースを「走って良かった。」と思えるレースにすること。マラソンなので、一応ペースを設定して走らなくてはならない〜いけいけドンドンでは、必ず脚が止まってしまう〜わたしのぎりぎりのイメージはキロ4分20秒位で走ることでした。「前半をキロ4分20秒で走っても、後半キロ4分10秒に上げることが出来れば、トータル3時間は切れるかも?」という思いも頭をもたげましたが、そんな欲ボケなことを考えている場合ではない体調、慌てて2時間台の目算は打ち消していました。これでも速過ぎるかも?と心配でした。そのままイーブンペースで完走は出来るのか?後半、辛くなるレースだけはしたくない・・・。

 もし万が一、余裕があって、ペースを上げることが出来そうだったら中間点を過ぎてからか?わたしのイメージの中ではキロ4分20秒くらいで折り返しまで行くつもりでしたが、ある人からのアドバイスで、「大阪城に入るところって何キロ?そこまでは我慢していったほうが良いかも。」とのことだったで、25キロまでは押さえ気味で行くこと、その心づもりを再確認しました。

 いくつもの集団を前に見送り、自分をちょうど良いペースで運んでくれる集団に出会うまで、どんどんわたしは後ろに下がっていきました。自分の時計も確認しながら、キロ4分20秒をほんの少し切るくらいのペースに落ち着き始めたのは5キロを通過する頃から。地元大阪のレースなので並走するランナーにもいつも近場のレースで出会うメンバーが多く、安心してついていくことにしました。

 それにしても大阪の沿道には、見知った顔の声援が多い〜レース序盤から、何度も何度もあちこちで「Oさ〜ん(=わたしのこと)」と声をかけてもらって、応援してもらえることがとてもありがたく、それだけで感激して自然と笑顔がこぼれ、沿道からの声援には手を振って答えていました。
 
 安心してついていくつもりの集団でしたが、どうやらこの集団はサブスリー(フルマラソンで3時間を切ること)狙いの集団であるらしい、少しずつ速含みです。「どうしよう、付いていこうか、付いてかなくてはならない集団のはず、でも自分の予定より少し速い・・・。」とか何とか迷っているうちに、あっという間に玉造筋(11〜14キロあたり)。ここはさらに沿道の声援も多くなり、今年は会社からも何人か応援に来てくれているはず(前週にファックスで女子マラソンに参加するわたしへの応援要請が流れていた)。マラソンファンでもない、会社の普通の友人が、わざわざわたしのためだけに応援に来てくれている〜沿道でその人たちの姿を確認すると本当に嬉しいものです。このありがたい声援のひとりひとりにも笑顔で、手を振って答えました。

 14キロ地点を過ぎて15キロ地点までの上町台地ののぼりでもまったく気負わずに、集団から遅れるのであれば遅れてもかまわずに走っていました。中ノ島をぐるっとまわり、御堂筋に入った頃には、先頭集団はもう過ぎ去った後。わたしが初参加した98年頃には、この御堂筋でおり返してきたトップ集団にすれ違ったものですが、女子のトップ選手の高速化とわたしの鈍足化が進み、ことしも先頭の選手たちに出会うことはありませんでした。
 後続の実業団ランナーとすれ違い、さらに後続のトップ市民ランナーともすれ違い始めると、見知ったランナーが続々続いてくる〜みんな頑張っているなあ、と刺激を受けて、わたしの集団のペースも上がっていました。思い描いていた予定よりも速くに中間点を過ぎたにもかかわらず、わたしの脚はさらにペースアップしたそうでしたが、まだまだ我慢我慢、先は長いのだから、と思いなおし、25キロ地点、大阪城への入り口を待つことに。ここで「我慢!」と思えるということは、まだ余力が残っていることだと都合の良い自己分析まで頭をめぐります。

 ところが、24キロ地点からののぼりで少しペースを落としかけたわたしは、「本当に25キロからペース上げられるのだろうか?25キロから上げるつもり、が大阪城出てから上げよう、なんて思い直したりしないだろうか?やるべきことを先延ばししたがるわたしの悪い癖がでたらどうしよう?上げよう、上げようと思っているうち、結局はジリ貧になったりして。」と気弱になったりしました。

 けれども、25キロ地点には、審判員として、中学校時代の恩師が立ってくださっている〜いつも審判ながら声をかけてくださる(=ルール違反かな?)ので、先生の前はしっかり走れるよう励みになっているのです。今年も「ロコ!リズムリズム!まだまだこれから。」と中学校時代のニックネーム(=この呼び名だと、誰を応援しているかわからないしちょうど良いのかも)でちゃんと声援くださって、「よし!ここからだ!」と自分でも気合が入りました。ホームグラウンドとしていつも走っている大阪城に突入し、一気にペースが上がっていきました。ここでも声援がいっぱい〜走りに勢いのついたわたしは、それでも応援にスマイル&手を振ってこたえ、またこうして答えることが出来る自分の余裕に嬉しかったのです。

 そのうち30キロ地点を過ぎ、細工谷ののぼり、いつもこののぼりで頑張りすぎて、32キロ以降、脚が止まってしまっていたので、これも自重してちょっとペースを落とすぐらいで走り抜けました。けれども、前半から良いペースで走っていた前のランナーたちが疲れてくるのもこのあたり、その人たちをどんどん拾って、わたしの脚は動きつづけていました。いままでは逆に抜かれっぱなしだったなあ、などと思い起こしながら・・・。

 とはいえやはり33キロ以降あたり、脚にも来て、身体のバランスも崩れてきました。けれどもなんとか前のランナーを拾っていきたい、少しずつ近づいてくるその背中たちが励みでした。38キロまで5キロほども続く長い直線、今里筋も、距離感を感じることなく走っていました。実は週1回、通勤ママチャリのコースでもあるので、見慣れた風景なのです。35キロを過ぎると、さすがに声援はわかっても手を振って答える身体のバランスはなく、その姿だけを確認するために顔を向けているだけでした。

 長居公園入り口前では、中学校時代の同級生が、これまた審判員の服装で立っているにもかかわらず、声をかけてくれました。そのあたり、見知った顔の声援も本当に多く、「ここまで帰って来れたんだ、この声援に支えられて・・・」と、涙をこらえるほどでした。わたしを知ってくれている人が、「Oさ〜ん!(=わたしのこと)」と叫ぶと、沿道の一般の人も「この人、Oさんっていうんだ。」と理解してくれて、一緒に叫んで応援してくれるのです。さらにその声援が大きくなったのは、競技場の入り口でした。ここに来るまでにいったん抜いたランナーに抜き返されていましたが、悔いはありません。すでに脚にきて、身体もばらばらになっているのですが、ここまでしっかり走って来れただけでとても大きな安心感に包まれていました。

 4度目の大阪にして初めて、競技場内で自分の名前がアナウンスされるのをこの耳にしました。ひとりひとりちゃんと呼んでくれている、というのは知っていましたが、過去3度のレースではいつもヨレヨレでアナウンサーの先生(=この先生もまた高校時代の恩師)の声が耳に届いていなかったのです。フィニッシュタイムにも驚きでした。後半ほとんど時計を見ていなかったので、もしかして3時間を切れたくらいかな、と思っていたのですが、終わってみれば大阪でのコースベスト。走り切れただけでも大満足なのに、キョトン!?!としてしまいました。

 当日のうちに早々にしてメールで送られてきた写真を見て、さらに嬉しくなりました。いつも女子マラソンのときには険しい表情で走っているわたしですが、どの写真も笑顔。そういえば沿道からも「いい顔してるよ!」「まだまだ元気や!」と声をかけてもらっていたのですが、本当にそうだったらしいです。

 なんて有難いレースなのだろう、このレースは。すっかり沈んでいたわたしを走らせてくれたのは、この大阪のレースでした。本当に多くの方に見守っていただきました。走れて良かった〜〜〜今年は天候的には絶好のコンディションでしたが、いつも寒いのなんのとすねておらずに、やっぱりちゃんと出走しなくてはならないものです。走れば必ずその先が見えてくるものだから。



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追記その1:≪まだまだ模索中≫

 マラソンのペース設定、これは難しいものです。いつもならば、目標とするタイムに向けて練習を積み上げていくので、その練習過程から、おのずと本番でのペース設定ができます。それでもレースの中でのわずかなペースの狂い(気持ちが高揚する中で少しずつ速含みになったり、集団の中で位置どりをうまく出来ずにちょろちょろしたり、給水に気をとられる余りごくわずかではあるけれども無駄なペースアップをしたり、向かい風を気にする余り人の後ろに付きたがったり、などなど)で自滅することも多々あります。でも今回ばかりは、完走できるであろうペースを見つけるために、ほんの数度、異なる距離を異なるペースで走ることだけが、わたしの練習でした。

 マラソン前の調整、これが一番大事で、一番難しい〜今回も2週間前のひらハーをはじめとする3連休に3連走、多方面からの指摘にもありましたが、自分でも走りすぎたと痛感しています。練習できていないなりに、もしあそこをゆるやかなペース走にしていたら・・・?競技の世界に「もし・・・」「たら・・・」「れば・・・」はありえない!今回の教訓は次回に持ち越しです。



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追記その2:≪今年のわたしを力づけてくれたもの≫(順不同)

○ 事前に届けられた名前印刷入りの女子マラソンのポスター 
 何度か主催大会に参加したことのある、武庫川SCの会長さんから、「翔 O川H子さん(=わたしのこと)」と名前入りの大阪国際女子マラソン公式ポスターが届けられました。わざわざわたしの名前をプリントしてくださっていたので、かけがえのない1枚です。さっそく自宅前の事務所の出入り口に貼りだし、ご近所&取引先の方にも出場をアピール。「ここの行かず後家の娘さん、こんなことしているのか〜そういえばよく、トレーニングウェアー姿でうろうろしているなあ。」とご近所の方は納得されたことに違いないでしょう。

○ 直前に届けられた「麦工房らくだ」の美味しいパン 
 カーボローディングをパンで代用するのは初めてでしたが、ちょうどそのタイミングで、ナチュラルベーカリー「麦工房らくだ」のパンをどっさり届けていただきました。「らくだ」のオーナー自身も、別大ランナー。翌週に迫ったご自身の別府大分毎日マラソンへの調整のさなかにわたしのことを気遣っていただきました。ここのパンは本当に美味しい〜カーボは完璧でした!!(昨秋の東京女子の際には、低血糖に陥り、ゴールで倒れこみ、担架で運ばれたのでした・・・)

○ 前週に流れた会社からのファックス
 所属するヘルパーステーションのヘルパー仲間が、マラソンファンでもないだろうにわたしのためだけに沿道に声援に出てくれました。会社から全員に「応援に行きましょう。」と要請ファックスを流していただけるなんて、とてもうれしいことです。実は日曜日午後にも仕事が入っているのですが、「月1度だけはマラソン大会のために休む!」と豪語し、大目に見てもらっているのです。

○ そしていつも以上に耳の届いた沿道からの大声援
 当日の朝、長居競技場に向かう電車の中から、「マラソン大会に出るんですね、がんばってくださいね。」と声をかけられ、競技場に着いてもあちこちから声をかけてもらい、レース中も本当に卓さんの方に百万回以上応援いただき、極めつけは帰りの電車の中でも、「北浜あたりで応援していましたよ、今日はどうでしたか?」とわたしを知ってくださっている方から声をかけてもらいました。終わってからいただいたメールの中にも、「予定時刻どおり下味原の交差点を走って来られたあなたの姿に感動し涙がでました。」「生で見れて良かったー。」などなど、声援を下さった方もわたしの走る姿にわくわくしてくださったようですが、わたしのほうこそこんなに力をいただけるなんて、走っていて良かったと本当に思えます。ありがとうございました。

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