レースレポート速報版

03年2〜3月

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2003.2.2 枚岡公園クロスカントリー(3キロ)     15分31秒

 地元東大阪市内で開催されるこのレース、大阪府と奈良県にまたがる生駒山麓の枚岡公園がその舞台なので、かなりのアップダウンとの評判。「ものすごいコースやで〜。」「走りにくいよ〜。」と、過去に参加したことのあるひとは口を揃えて言う。市の教育委員会が主催だし、さてどんなものかと一度参加してみることに。しかしまあ、同じ市内であるから、LSDを兼ねて家から走っていくことにした。

 1時間もあれば到着するだろう、と市内地図を見ていったが、会場に近づくにつれ残り約3キロはだらだらのぼり、LSDのペースがさらに遅くなり、スタート時刻15分前にやっと到着。大慌てでナンバーカードをつけてスタートラインに並ぶと、わたし以外はみな女子高生。わたしは、彼女らのお母さんくらいの年齢かもしれないのである。遠慮して、後列からスタートしようと思っていたら、いつもお世話になっている東大阪陸協の先生が「小川さん、ほらほら、前に並んでよ。この中にはあんたの相手になるような高校生はおらんよ。」と大きな声をかけてくださるものだから、ランパン&ランシャツ姿の女子高生はいっせいにわたしに注目〜「なに?このオバさん??」

 LSDのついでに枚岡のコース流すつもりが、ちょっとは気合を入れなくてはならなくなったのである。ところがコースは想像をはるかに上回る激しいつづら折れの登りから始まり、しかもオフロード。木の根っこやら石やら、また滑るところなどもあり、ランナー並走も難しい険しい登山道である。所々幅のあるところで、やっと前のランナーを交わせる程度。登りだけを頑張って先陣きり、下りはとても走れる斜度と路面ではないため、女子高生に道を譲ることに。ゴールでは3着だったが、先着した女子高生から、「登り速いですね〜。」と握手を求められ、とても新鮮で嬉しかった。

 しかし一般女子はわたしだけのエントリーだったことから、成績は「優勝」である。ラッキ〜(^^)V。優勝商品は、主催の教育委員会に預かってもらって、帰りももちろんジョグ。途中恩智川沿いで、ブラインドランナーのRMちゃんと走る練習もした。3月2日京都での視覚障害者の10キロロードレースの伴走、決めているのだ。二つ返事でオッケーしたけれども、視覚障害者ばかりのレース。眼の見えている人が大半の普通のレースに視覚障害者が混ざっても、みんな接触を避けてくれるが、視覚障害者ばっかりだと、大丈夫だろうか・・・・?10キロだったら入りも速いだろうし。不安を払拭するためには、練習第一である。それにしても、なんども雪が舞って、寒い一日だった。

後日談:<気になる優勝商品は???>
翌日、仕事のついでに家から一駅先の教育委員会に商品をもらいに行ったけれども、それはとても大きなレターラックだった。携帯電話の充電器置き場つき(・・?)…もらっておいてこんなの言うのもなんだけど、携帯電話のない我が家ではとても役に立ちそうになく、残念。 

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2003.2.9 駅伝のはしご!

<午前>大阪府市町村対抗駅伝競走(第2区3.2キロ)  11分53秒
<午後>大阪市長杯駅伝競走(第5区3.3キロ)   12分9秒

 日曜日に駅伝のはしごが控えているというのに、前週の木曜夜から発熱でダウン!仕事も休んで寝込んでしまった。当日はなんとしてでも出かけるつもりだが、大幅にみんなの足を引っ張りそう・・・メンバー、調子良さそうなだけに申し訳なさ過ぎ・・・ほんのわずかの気の緩みに、風邪は入り込む・・・反省。

 さてまず午前中は、地元東大阪市の代表メンバーとして、市町村対抗の駅伝。場所は大阪の北摂の万博陸上競技場。女子ばかり4人のチーム。ところが第2走者のわたし、痛恨のコースミスをしてしまい、道がわからなくなりぱったりと止まってしまった。ふと後ろをふりかえると、いままでわたしが抜き去ってきた走者たちが反対方向へ駈けていく。どこをどう間違えたのか、曲がり方を間違えたようだ。信じられないミス!こんなことがあると、駅伝なのに、意識が切れてしまい、そのあとはまったくだめだった。気持ちを切り替えて盛りかえさなくちゃいけないのに、それができない、まだまだ甘いランナーであった。

初めてのコースでの駅伝、区間も3キロ余りと短いものであったら、ウォーミングアップを兼ねて下見くらいしておかなければいけないことを肝に銘じた。

 午後の駅伝は、長居競技場。モノレールと地下鉄を乗り継いで、1時間半くらいかかりそうな移動時間だったが、同じく駅伝のはしごを予定していた同じ市チームの男性メンバーの車に同乗させてもらい、ラクラク移動。あらかじめ、午後からの駅伝では最終走者に廻してもらっていたが、スタート時刻にも充分間に合い、本当にありがたかった。
 
が、脚はとっても重いままで、午前中のミスを引きずって気分も重い。第5走者としてたすきを受け、走り出したわたしに、「速いですね〜。」と声がかかることもあったが、なんの事は無い、第5区までに各チームの走者がバラけ過ぎて、速いチームはもうとっくに先のほうに行っている。後ろのほうのチームの、普段は余り走っていないような人が借り出されて走っているようななかをわたしがトコトコ走っていって追い抜かすものだから、ごぼう抜きに見えただけのことである。

 例年、この駅伝の後はお楽しみ新年会が予定されているのだが、両親は風邪で寝こんでいるし、わたしだって微熱がある・・・これは宴会どころではないと、さしものわたしも悟りを開いて、家に直帰したのであった。

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2003.2.11 奈良県内レースのはしご!

<午前>奈良市民マラソン(5キロ)         19分17秒
<午後>斑鳩の里法隆寺マラソン(10キロ)   41分21秒

 雨予報の雲行きを心配しながら、朝一番のレースは、奈良市内鴻池陸上競技場発着の奈良市民マラソン。期せずして、奈良マスターズの女王さま、京谷こまえ姉さんとの直接対決となった。この人と一緒のレースだけは避けたかった。この人のレースに見せるものすごい気迫には、到底太刀打ちできないことがわかっているので、それを実感する同じレースでヨーイドン!から、逃げてしまいたかったのである。

 最初にあっという間に離され、勝負するつもりもなかったけれども、こまえ姉さんのスピード感を味わってみたくて、下りで一気に追いついた。ちょっとだけ前に出てみたくて、胸の差(注;参照)だけ前に出た。でも、その後ののぼりではまったく付いて行けず、コテンパンにやられた。しかし、こまえ姉さんと並んだとき、とても気持ち良い空間だった。こまえ姉さんの優勝タイムは18分47秒。

 この日もまた、奈良県内を移動して、レースのはしごである。ジョグとバス&JRを乗り継いで、間に合うようにタイムスケジュールを組んでいたけれども、前述・奈良の女王さまがベンツ(かな?)を手配くださり、ラクラク車で移動。面倒見の良さと羽振りの良さはさすが女王さま〜大感謝である。
 そうして午後のレース会場に到着してみるとまた、新たなレースの喧騒の中に・・・・。雨も降り出しているのだが、走る脚は止められない・・・・。

<注>「胸の差」とは・・・?
 これは俗に言う、「ハナの差」「胸の差」といわれる表記であって、決してこまえ姉さんとわたしの、「胸のふくらみの差」ではないので、読者の方は想像をたくましくしないようにお願いいたします。

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2003.2.16 泉州国際市民マラソン       2時間59分54秒(総合7位)

 心配していた天気予報が見事に当たり、前夜から降り出した雨はかなりのもの。未明のような土砂降りが続いていたら、それだけで出走取りやめの理由になりうる、と自分でも情けないほどの弱気で、雨音を気にしながら明け方から布団の中でぐずぐずしていた。

 朝7時半に目覚まし鳴らして、そのときも土砂降りだったので、「後30分寝よう、雨を防ぐところのない浜寺公園(=スタート地点)に早く行っても仕方ないし。」と、目覚ましをセットしなおし、布団の中にもぐりこんでいた。

 10時過ぎに受付に到着して、ナンバーカードやチップをつけたり、着替えたりしているだけでもう、荷物預けの時間(10時30分)。それでも、体温を奪う冷たい雨から身を守るため、ナンバーカードをビニールでくるんでユニフォームの前後につけるという念の入れよう。そこまで準備していたのに、かばんの中に帽子が無い!どうしよう、風邪を引いているのに・・・頭を雨でうたれると、発熱してきそうだ。「帽子忘れた〜〜〜!!!」と更衣室で慌てふためいていると、ボランティアの人が、自らかぶっていたスタッフ用の帽子を差し出してくださり、一難去る。(泉州銀行のお姉さん、とのこと、名前もお尋ねして、後日お礼状を届けることに・・・・)

 さらに手袋の中には、黒飴キャンデーをしのばせる。実は前日からおなかが超特急で、カーボローディングも何もあったものではなかった。マラソン練習が出来ているといないにかかわらず、マラソン前日には、おなかが空くひまが無いほど、食べまくるわたしであるが、風邪からおなかを通してしまい、おそらくはガソリンタンク、ほぼカラの状態である。当日の朝も、おなかはあいかわらず超特急。マラソン会場に向かう南海電車に乗っていても、トイレに行きたくなり、途中下車したほどである。腹痛は無かったので、そういう状態がいわゆる「下痢」とは、気付かなかった。万が一のとき、インナーを汚さない工夫も、出走準備の一つであった。

 さあ、このレースの目標は、「イーブンペースで走りきること。」前半に気持ちよく飛ばしすぎて、後半潰れるなんて、もってのほか。自分のペース感覚を大切に、走るのである。今回、「全国市民マラソン優勝者招待選手」としてのナンバーカードをもらっていたので、ナンバーカードには、「紀の国美山マラソン代表」などと書いてあるのが一大事。それなりの走りが期待されているのだろうが、なにぶん体調が整っていない。万が一、途中でトイレにでも駆け込むことになれば、おそらくその時点でレース継続は無理。最前列に近いところからスタートだったので、雑踏に巻き込まれて転倒しないように、かなり気を使って走り始めた。

 3週間前のフルマラソンとほぼ同じ、5キロを21分3秒で通過。しかし、余裕度はまったく異なっていた。3000人同時スタートなので、集団もかなりの数。その中で自分のペースを探すこと、雨を気にしたり、さらに冷たい空気を吸い込むと咳き込んだりしていたので、完走すら見えてこない。いずれにせよ、少しペースを落とすつもりで、自分のイメージに合う集団を見つけることにした。

 やはりこのレースでも、7キロ過ぎたあたりから、いい集団に付くことができた。FRUNの赤いユニフォームと、信貴烏の白&黒のユニフォーム。あちこちのレースで見かける強豪チームなので、安心して付いていくことに。男女混合レースだが、わたしのいる集団は男性ばかり。コース上にも女性ランナーは数少ない。それが沿道の人に新鮮に映るのか、声援は必ず、「おねえちゃん、頑張れ〜。」わたしほどのオバちゃんでも、「オバちゃん、頑張れ〜。」とは言われないので、ありがたやマラソンレース(o^0^o)。

 何度となく「おねえちゃん、頑張れ〜。」と声をかけてもらっていたら、こんどは「おねえちゃん、頑張れ〜、言われてるで、淀君。」とうしろから、S鉄工所のユニフォームの秀吉殿(=テレビの秀吉役の俳優さんにそっくりなので、わたしはその人のことをこう呼んでいる)とその集団に追いつかれ、かなりの数になった。が、集団走もしばらくの間、中間点(わたしの通過1時間29分36秒)手前からペースの上がったこの集団から、ぼろりとこぼれ落ちていくのであった。

 ときおり冷たい空気を吸い込んで何度も咳き込み、少し頭もボ〜っとしてきた。走りながら余りにも何度も咳き込むので、「Oさん(=わたしのこと)、風邪ですか?」と並走するランナーにも心配そうに声をかけてもらった。エネルギー切れを危惧して早い目に手袋の中の黒飴をほおばるも、走りながらでは大きすぎて噛み砕くのに苦しい。また咳き込んでしまう。ペースはそんなに落ちていないのだが、体調と後半の橋のアップダウン4回を心配すると、まだまだ完走ができるかどうか、自分でも不安である。

 28キロをすぎて短い折返しの箇所、ほんのわずかだが路面は上っている。が、わたしの脚はがぜん元気になってきた。ずっと並走していた白と黒の信貴烏のユニフォームの人に「少しずつ前のランナーを拾っていきましょう。」と自分自身にハッパをかけるように自分から声をかけ、「絶対に完走するんだ!」と強い意思を持って脚を動かし始めた。「自然に背中を押される」とはまさにこのことかもしれない。体調の悪さからいつやめることになっても仕方ない、と、途中棄権も辞さない覚悟で走り始めたこのレースだったが、30キロ手前でまだ難所が控えているにもかかわらず、「完走」を掴み取るつもりになった。 

 脚は動いた。30キロを過ぎて、レース中盤で抜き去られた女性ランナーが前に見えてきた。自分のペースもちゃんとチェックしている。急激なペースアップをしているのではないのだが、前方のランナーが近づいてくるということは、前のランナーが疲れてきたということだろうか。しっかり前を見据えて、脚を動かしつづけた。

 33キロからは、大きな橋の上り下りが合計4回ある。のぼりにさしかかって、廻りのランナーは気にならなくなった。自分のペースで上るだけである。のぼりを頑張りすぎると、下りでバランスが取れなくなってしまうことも危惧した。35キロで時計を見ると、「もしかすると、3時間を切れるかもしれない?!?でもまだ橋が2つある。」あまりおおきなことは期待せずに脚を動かしつづけた。38キロで再び時計を見たとき、「ここで頑張れば3時間切れるかもしれない。逆に、ゴールして3時間をちょっと超えていたりすると、ものすごく後悔するに違いない。」と必死になって走った。

 ・・必死になって走れて良かった、2時間59分54秒。
 あとでこのタイムを、練習仲間のMKちゃん(彼女自身も堂々のサブスリーランナー)に伝え「せこく3時間切っちゃった。」と言うと、「しぶくサブスリー、と言ってあげるわ。」とにこっと笑ってくれた。ありがとね、MKちゃん。

余談:後で知ることになったのだが、このレースに自己ベスト更新と別大切符(2時間40分以内)をかけていた同じ淀川ランナーズの渡辺豊治さんは、わたしが目覚まし時計をセットしなおして再び布団の中にもぐりこんだ時刻(午前7時半ごろ)には、「東京国際マラソンのゴール間近をビデオで繰り返し見て、気合を高めていた。」とのこと。「雨だったら走るのやだな〜。」とすねているわたしに対して、「やっぱり、雨は降り続いていましたね。ま、槍が降ってないからいいですが。」(HP掲示板書き込みより)と、レースに対する意気込みからして違う・・・結果2時間32分39秒の大幅自己ベストで10位入賞。ニューヒーロー誕生に、「あの若草色のユニフォームの人、誰?」と世間でもうわさになっていた。本当におめでとうございます。\(^0^)/

余談:思いがけないご褒美もいただいた。「King, of City Marathon 女子の部」と書かれたブロンズのトロフィー。「全国市民マラソン優勝者招待選手」のなかで、一番だったとのこと。かなり「たなボタ」っぽい・・・どころか「たなボタ」そのものであるが、トロフィーが余りにも立派だったのですっかり気を良くしてしまった。

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2003.3.2 第20回京都視覚障害者マラソン大会(10キロ・伴走)      52分35秒

 『失ったものを数えるな、残されたものを活かせ』〜これは、大会記念誌に書かれていたパラリンピック創始者のグッドマン博士の言葉である。

 わたしが視覚障害者と接するとき、「目が見えなくてかわいそう。」という気持ちではなく、「目が見えないのにこんなことが出来るなんてすごい。」と感動することが多い。それは、この博士の言うところの、残されたものを活かして堂々輝いているその姿に感動しているのだと、きょうあらためて思った。

 京都視覚障害者マラソン大会とは、目のみえる人が大半の普通のマラソン大会と違って、視覚障害者ばかりの大会。視覚障害者が単独で参加申し込みをしても、主催者側で伴走者をつけてくれ、スタッフも手厚く誘導してくれる。伴走者は、地元洛南高校(男子マラソン日本最高記録保持者高岡寿成選手の母校)の陸上競技部員、伏見工業高校(ラグビー全国制覇多数回)のラグビー部員、立命館宇治高校の陸上競技部員、地元走友会のランナー、また年度によってはワコールや京セラの実業団ランナーが伴走してくれることもあるという。申し込みをする視覚障害ランナーにとっても、ちょっぴり出会いの一期一会の楽しみがあるようだ。もちろん、いつもの伴走者をパートナーに連れて行っても良い。

 わたしは半年くらい前から一緒に走るようになったRMちゃんの伴走者としてこの大会に参加だ。一年前に泉州マラソンで伴走デビューしたけれども、今回は視覚障害者ばかりのレース。眼の見えている人が大半の普通のレースに視覚障害者が混ざっても、みんな接触を避けてくれるが、視覚障害者ばっかりだと、大丈夫だろうか・・・・?10キロだったら入りも速いだろうし。不安を払拭するためにも、今年に入って必ず週一回はRMちゃんと走るようにした。休みの日も走ったこともある。RMちゃんのパパの運転する車で、会場の西京極陸上競技場入りだ。

 あんなにもたくさんの眼の見えない人が一堂に集まって、レースに参加しているのを見るのは初めてだったので、会場に居るだけで、感激でからだが震えた。ほとんど暗闇の世界に居る人たちなのに、そのことで閉じこもったりせずに、身体を躍動させて、なんて身体じゅうでまわりの空気を感じながら走ることができるんだ、と思うと、すごいなあ、の一言である。
 
 RMちゃんは未熟児網膜証で、生まれつき目が見えないという。身体が弱くて、マラソンなんてとんでもないという幼少時代だったそうだ。ランニングを始めても、温度調整がうまくできずに汗を掻きにくい、という体質のため、到底走ることに向いているとは言えない。でも、RMちゃんは「走ることが好きになってしまったんです。」と言う。そして、根が頑張り屋さんのため、走り始めたらとことん走ってしまい、ばたっと倒れこむこともしばしばとのこと。

 そんなRMちゃん、きょうも頑張った。3月にしては気温が上昇して、ゆっくりウォーミングアップで走っているだけで汗が出てくる。伴走のわたしも額に汗が流れるのを感じた。RMちゃんは汗をかけない体質。息遣いとともにだんだん顔が赤くなってきた。「RMちゃん、行け行け、がんばれ。」とさらに声をかけているけれども、「こんなに頑張らせてだいじょうぶだろうか?」と一抹の不安も。でも、最後までしっかりした足取りで、ペースを落とすこともなくゴール。一生懸命走り終わったRMちゃんに感動してとてもいとおしくなってぎゅ〜〜〜っと抱きしめたくなった。

 RMちゃん、わたしに伴走を任せてくれてありがとう。一期一会の出会いもあったかもしれないのに、わたしをパートナーに選んでくれて、大会に連れていってくれてありがとう。大きな感動をもらいました。

追記:この記事を読んでくれたRMちゃんからメールをいただきました。〜(以下メールより抜粋)

私のこと、書いてくださるんですね。
こんなわたしのこと、書いてくださって
とても、嬉しいです。
あの日のことが、大分たつというのに
昨日のことのように思えてなりません。
この、HPをよんで、ひとりでも多くの方が、
視覚に障害を持っていても走れるのだと、
知ってもらえ、また、伴走をしていただける人が
増えていくといいなあ?と思っています。
えらそうなことかいてごめんなさい。
私のほうこそ感動をもらい、また
あのひ、伴走をしてくださって有難うございました。

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2003.3.9 名古屋国際女子マラソン               2時間59分34秒(66位)

 当日は、名古屋名物の風が吹きまくって、しかも大会史上に残る強風だったという。誰もが「風が強かった。」という中で、わたしは余り風のことは気にならずに、レースに臨んでいた。

 走っているコース上に、3車線もの道幅を横切ってカラーコーンが吹っ飛んできて、ランナーにぶち当たりそうになったこともある。このときは身の危険にびっくりした。沿道で配られる小旗が、強風のためちぎれて紙くずになり、脚にべシャッとからまってくる。あれまあ、という感じ。4〜5人の集団で走っている前半で、前後左右からの突風にあおられて端のランナーがよろけ、それに接触してしまうこともあった。自分だって単独走になったとき、突風で身体のバランスを乱すことがしばしばだった。しっかり身体を立てて、前に進まなくては。走りに集中していた。

 風は強かったが、日差しも強いのが幸いした。これで曇天だと、どれほど体温を奪われただろう。と言うが、主催者側分析のランナーの体感温度は、3〜5℃だったともいう。日差しに弱いわたしは、強風の中あえて帽子をかぶって出走した。

 走り始めればみんな条件は同じ。世界選手権がかかっている最上位選手にとっては、順位と記録、双方が要求されているが、市民ランナーは市民ランナーの走りをするだけである。私自身は、ジョグさえおぼつかない脚の状態での出走だったので、風のことまで気を廻す余裕が無かったというのが本音である。

 15キロくらいまで、4〜5人の集団で走ることが出来た。わたしの予定していたペースで通過したのは5キロだけ。走路を北向きに取ったとたん、集団のペースは愕然と落ちた。しかしこれが体調の整わないわたしにとっても良いペースに違いない。完全に流れの中に身を任せていた。そのあと集団がばらけて少なくなっていったものの、ペースをキープしているランナーと並走を続けた。直前の2回のマラソンレースのように、後半どこかで背中を押されるときがあるのだろうか?いままでで一番脚の重い状態でスタートしているが、走っているうち軽くなることがあるのだろうか?

 他者のペースに身をゆだねて走っていたが、自分の時計のチェックも怠らない。ペースの落ちかけていた26キロを過ぎて、「このままでは3時間を切ることができない。」と意識が先行して、前に出ることにした。身体は「まだ早い、まだペースアップする時期ではない、ここでペースアップしても、後は知らんぞ。」と明らかにNGサインを出していたが、意識が先走り、わずかだがペースを上げることになった。

 向かい風をもろに受け、単独走になった。30キロを待たずして、「途中棄権」が頭をよぎった。「もうここまで来たんだから止めても良いんじゃないか。」「最近のレースで一番余裕も無い状態でまだ30キロ手前なのだ。」「これ以上走ってしまうと、後の身体へのダメージが怖い。」「今ここで止めると、身体の故障は最小限で済まされるはず。」

 揺れ動くわたしにちからをくれたのは、直前の水曜日に一緒に大阪城を走ったときにブラインドランナーのRMちゃんが言ってくれた「駄目と思ったらダメですよね。あかんと思ったら、あかんし、あきらめたら、ダメですよね。」〜この言葉だった。RMちゃん自身へ言い聞かせるようなこの言葉が、わたしの耳に残っていたのだ。

 本当にきつくなってきた31キロ過ぎから、このレースで故障悪化するのも怖かったため止めることだけを考えていたが、RMちゃんの元気で可愛らしい声が幾度となく耳に響いてきて、わたしを走らせてくれた。だって、1週間前の10キロレースを伴走したとき、RMちゃん、本当に頑張っていたし、わたしがここでラスト10キロを走りきらなければ、恥ずかしくてまたRMちゃんにあわせる顔がない、と思って走った。

 「名古屋にも応援に行くよ。」「3時間切ったら、お寿司おごったる。」と約束してくれた友人は、レース5日前に不慮の事故で帰らぬ人となっていた。「わたしは約束を守る!」さらに強い気持ちを持って走りつづけることが出来た。

 「3時間切ってもお寿司、おごってもらえない・・・お寿司、おごってよ〜〜〜、ばかやろう〜〜!」と思ったのは、走り終わってからだった。わたしはちゃんと約束を守ったし・・・・。あきらめずに走ることが出来て本当に良かった。

 古屋を走りきって、身体ぼろぼろである。強風にやられて、身体のバランスをとるのに余計なちからを使ったためか、右膝に炎症を起こしてしまい、翌日はちゃんと歩けなかった。その次の日のお昼は、家の横の幅30メートルほどの横断歩道を走って渡ることできなかった。でも、一日仕事でばたばたしていると身体もなじんできて、夕方、もういちど横断歩道を渡るとき、走ってみよう、と思って走ると、とりあえず30メートルだけ走ることできた。

 きっとまた、走ること出来る。体をはずませて駈けていくこと出来る。身体がその準備をするまでの間、しばらく休んでもだいじょうぶ。

追記:前後が逆になったが・・・名古屋までの真っ暗な気持ち・・・

 全力を尽くそうと思っても、練習途中で潰れてしまうことだってある。連戦の疲れもあってひどい体調不良におちいり、咳き込んで息苦しくなる風邪が1ヶ月以上も長引いている。名古屋、とても走るどころではない状態となり、今後のこと(=4月の全日本マスターズ駅伝の代表メンバー)もあるので、これ以上故障したり、体調を落とすこともできず、出走には大変迷ってしまった。体調不良は、毎晩毎晩、寝ていても体がしびれてきて(寝相が悪いわけではなく、神経痛のため)、何度も目覚め、眠りが浅いのが原因らしい。しかしここまで来て名古屋、あきらめきれない。

 名古屋の目標は2つあった。タイムと、完走。
 自己ベストを狙った昨秋の東京女子マラソンで、前半から集団の中での位置どりを気にしたり、給水を気遣う余りチョロチョロ脚を使ってしまったのと、最初の5キロ20分半よりも速く入りすぎたのを後悔しているので、名古屋でもう一度冷静にレースを運びたかった。今シーズンのフルマラソンでは、最後潰れたと自覚した走りをしていないのだが、名古屋はどうなるのか?東京でも、後半失速したとはいえ、自分では「つぶれた〜〜。」という感じはなく、脚が動いていたつもりだった。東京の失速は、低血糖ゆえと思っている(ゴール後毛布3枚に包まれ担架で運ばれた)。低血糖でも、潰れたことにはなるのだろうけれども、脚が潰れたわけではないと思っていた。大阪も泉州も練習のつもりで、名古屋で、ハイペースで入りたかった。今年は大阪女子マラソンを、休養モードで走ったから、名古屋まで頑張りたかった。ある人からは、オーバートレーニングを指摘され、「トレーニングするなんて気持ちは捨てた方がよい」と言われていた。

 それと、もう一つの目標は完走。
 いつも故障がちのわたし、東京〜大阪〜名古屋、と、1シーズンに「三都物語」の3レースを走りきったことがなかったので、一度はそんなことをしてみたいな、と思っていたのだ。さらに今シーズンは、東京と大阪までも、思ってもみなかったけど自己のコースベストで走っている。過去一度だけ走った名古屋は、発熱で潰れて3時間11分。少なくともこれを上回れば、3レースでコースベスト更新になるかな?!?

 しかしそんなことよりもなによりも、迷っていたわたしに出走を決めさせてくれたのは、レース4日前に届いた同級生の訃報だった。大阪&泉州と応援に駆けつけてくれて、「3時間切ったら寿司おごったる!」「名古屋も、応援行くから。味噌煮込うどん食べにいくから!」と言っていた友人の突然の訃報。・・・なんで約束やぶるねん・・・

 昨年5月に亡くなった大学時代の先輩をしのぶ気持ちで、東京&大阪と、2回の女子マラソンで喪章を付けて走ったわたし。今度の名古屋は、もう、黒いリボンは要らない、と、気持ちの整理をしていたところなのに、2つもリボンを付けることになるのか…。昨年亡くなった大学時代の先輩と、名古屋直前に亡くなった同級生とは、同じ会社の陸上部。彼らの脚と、自分の脚。6本の脚をもって名古屋を走ることにした。今のわたしに出来るだけの走りをするために。

 3日前に出走を決意したものの、その翌日にジョグに出かけたわたしは、途中で走ることも歩くことも出来なくなって電車に乗って三駅分を引き返してきている。真っ暗な気持ちで、前日名古屋に向かう電車に一人で乗っていた。こんな脚で、42キロを完走できるわけがない・・・・誰だって、必ずしもベストな状態で狙ったマラソンレースを迎えるわけではない、それにしても本当に走れるのだろうか・・・・

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2003.3.16 高槻クロスカントリー(5キロ)  21分54秒
                       (3キロ)   12分54秒
                       (10キロ)  44分21秒

 走りがいのあるアップダウンのこのコースで、距離とペースを取り混ぜてのペースをつかみ、一日3本のレースを潰れずに気持ちよく走り終えること、これが1週間ぶりに走る今日の目標である。

 まず1本目、10時半スタートの5キロレース。気負わずにあせらずに、のぼりを我慢してのぼり、下りで飛ばしすぎず、イメージどおりの走りが出来た。ところが、懸念していた雨が降りだし、次の3キロレースまでのつなぎのジョグも出来ず、雨を回避するために更衣室にこもるのが精一杯。

 3キロは11時半スタート。レース直前にアクシデントがあり、スタートライン前方に並ぶ集団に混ざることもできず後方からのスタート位置で、あっという間に号砲が鳴った。人並みをかきわけて走る気力も湧かず、ペース走感覚になってしまった。

 最後は12時40分スタートの10キロレース。小雨が降り止まず、何度も着替えての出走だ。アップダウンの周回コースを3周するのだが、10キロの長丁場であることもあり、自分のペースを大事に走ることにした。すると、周回コース半ばから抜きつぬかれつの男性ランナーがいて、そういうときというのは、お互い何とはなしに気付いて意識するもの・・・・「ええペースやなあ。」「最後の周回ですよね。」などと、息を上げながらも会話できるのもまた楽しい。のぼりで抜かれ、下りで抜き返し、を何度も何度も繰り返し、最後のくだりではこの男性ランナーも力を振り絞ってわたしに抜かれまいとラストスパート。おかげでかなり脚のまわりを意識した速い動きの走りが出来た。

 やはりこの高槻クロスカントリーでは、3種目に出場して格好の練習が出来るのである。と思っていたら、「複数種目参加する人は、1種目に入賞したら次のレースからは入賞を辞退してください。」とのこと。より多くの人に、入賞の機会を与えるための措置らしい。市の体育協会が主催している大会なので、その意図は充分に理解できる。走らせてもらえればそれで充分満足のわたしは、「もちろん、大会趣旨に賛同しますので、2種目めからは辞退いたします。」と気持ちよく辞退。表彰や入賞を辞退することについは、大会の意図を汲み、なんの問題もない。

 しかし、大会要項に「一人1種目に限る」との注意事項を記載漏れしていたことや、大会要項に書かれていなかった入賞規定などから、誠意ある参加料返金をしていただいた。わたしの場合、3種目申し込んでいたのだが、返金は2種目分。あれだけ一生懸命走らせてもらって、1種目分だけの参加費でいいなんて、申し訳ないくらいである。

 しかし次年度から、大会要項に「一人1種目に限る」などと書かれていたら、さて、どうしよう。入賞など関係なくて3種目走っていい練習が出来るのがこの大会のメリット、と思っているわたしなので、1種目だけの参加制限となると、さて、走りに行くかな???


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2003.3.21 大江山女子駅伝(第1区・3.4キロ)  12分45秒(区間賞)&チーム優勝

 今日は大江山(福知山の近く)まで駅伝、さすが京都の山奥、花粉をつけた杉が一杯で、もう、やられまくり・・・。走っているレース中から涙がぼろぼろ、走り終えたそのとたんくしゃみ連発、帰りの車の中では鼻が詰まって苦しくておしゃべりも出来ない・・・。

 だけれども、お土産にふきのとうをもらってきて、さっそく白味噌とみりんなどで和え物にして、酒の肴を作った。ワインにもあうし、焼酎の水割りにもあうし、美味!ふきのとうがちょっと少なかったので、ぴんと思いついてお茶っぱを混ぜてみたら、ふきのとうのほろ苦さをうまく融和してくれて、量も増えて、いい感じ。お茶っぱはもちろん、出がらしのもの。出がらしにもカテキンが充分に含まれているそうなので、我が家では野菜ジュースに混ぜてミキサーしたり、なんとか再利用するようにしている。

 ふきのとう、美味しいな〜。いましか味わえない、春の野っぱらの旬の味。一人でちびりちびりと飲むのである〜〜。


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2003.3.23 池田・猪名川マラソン(5キロ)   18分29秒
                        (10キロ)  39分57秒
coming up soon// coming up soon// coming up soon// coming up soon

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