パパの介護記


<2000年の上半期>

2000年の上半期は、「ホームヘルパー2級講習会」のレポートと併載になります。
5月のゴールデンウイークさなかに、父にまさかの交通事故。
頭を打って、脳内出血をし、入退院・手術を経てどんどん悪化していくアルツハイマーの症状。
ちょうど同じ時期に、ヘルパー講習会でいろいろな事例や介護技術を学ぶ機会があって、
私も冷静に父の病状を見つめることができました。

2000年5月上旬〜交通事故で脳内出血
 父の病状は私の知識を待ってくれない。

 5月5日にまさかの交通事故。ゴールデンウイークの午前中、近所まで散歩に出かけた父は、ここらあたりの幹線道路にいきなり飛び出して、車にはねられる。いったんは中央分離帯部分で止まったものの、間髪をおかず、飛び出したらしい。らしい、というのは、事故のショックからか、被害者側の父の事故の記憶が全くなく、加害者の証言のみに頼っているからだ。ゴールデンウイークの午前中、ということで、目撃者もいないようだ。

 外傷性くも膜下出血・左鎖骨の脱臼を負い、2週間あまりの入院ですんだのは、奇跡的といえるだろう。打ち処が悪かったら、頭蓋骨骨折などになって、即死!・・・と言うことだって考えられたのだ。さいわい、脳内出血はうまく吸収され、手術もせずに退院となった。

 ただ、左肩がうまく動かなくなるだろうことは言われた。きちんと装具をつけて固定しておかなければならないのだが、窮屈なため、父はすぐはずしてしまう。「治療のため、我慢しなければならない。」ことや、「なぜ、ベット上で安静にしておかなければ鳴らないのか。」が、わかっていないのだ。悲しいかな、これがアルツハイマー病なのだ。逆にいえば、事故のことなどすっかり忘れてしまっているので、本人の気持ちの負担にはなっていないのだろうが。


2000年6月中旬〜頭蓋骨をくりぬく手術を受ける
 恐れていた再出血がおこった。

 先週のCT検査の結果、大きな脳内出血が見つかり、かなり脳を圧迫しているらしい。硬膜下出血という症状だそうだ。すぐに入院&手術の必要があったのだが、その週は脳外科の先生が出張ということで、今週になってからの入院となった。

 前回の入院で、やはり事故のショックもあるのか、かなり痴呆の症状は進んだ。今度は手術もするという・・・。
 今週の月曜日(6月19日)に再入院して、21日に手術。頭蓋骨をくりぬき、そこから出血を吸い取る手術だったそうだ。

手術後3日目にして、集中治療室から一般病棟に戻ってきた父は、ぶつぶつとわけのわからない言葉をつぶやき、意識が不明。意識不明の重態というのではなく、意識が何処かに飛んでいって、夢とうつつの間をさまよっているようだ。手や足も痙攣を繰り返している。「パパ、パパ」と呼びかけても返事はない。ぶるぶる震えている手をさすってあげようとすると「うううー」とか怒り出す。

 もしこのままだったらどうしよう??? この状態を手術のショックだと信じたい!!!

2000年6月下旬〜点滴の管を引き抜いてしまう
 幸いにして、手術のショックからはかなり回復してきた。父のあの意識が不明状態は、やはり手術のショックだったのだ。痙攣が続いていたが脚から収まり、手でもスプーンを持てるようになった。ぽろぽろこぼしながら食事していたのが、だんだんとうまく食べるようになり、1週間以上かかったがやっとお箸で食事ができるようになった。

 手術後は、ICUでの抑制(点滴の管を引き抜いてしまったり体を大きく動かしすぎるので、手足をベットにくくりつけられていた)があったりして、まだ手首が青く内出血までしている。そんな目にあってしまったためか、父の「家に帰る」コールはどんどん大きくなっていく。「こんなところにおられへん。」「ここは誰でもかれでも入院させて、儲け主義や。」などと病院をののしる。とんでもない、看護婦さんも親切だし、先生も的確によくみてくださっていると思う。しかし、自分がなぜここにいるかさえわかっていない父にとっては、退屈さも手伝って、家に帰りたい一心だ。



2000年7月上旬〜きもちは家に帰りたい一心
 歩いてもいいという許可も出て、いよいよきもちは家に帰りたい一心。お見舞いに行っても、いつも荷物をまとめて、帰る準備をしている。いっしょについて帰ろうとする父を巻いて帰ってくるような状態になってしまった。

 昼間うつらうつら居眠りして、夜に歩き回る昼夜逆転に陥っている。これは前回の入院時から見られた。前回は、退院と同時に家ではぐっすり休むようになっていたので、やはり家に早く帰らせてもらうほうがいいに違いない。

2000年7月中旬〜無事、退院なるも日常生活行動異常
 7月8日(土)に退院してきた父。 頭蓋骨をくりぬき、出血を吸い取る手術だったが、術後2週間たってCTの結果、とりあえず再々出血はみられないから、とのことだった。

 ところが、手術のあとのベット上安静のため、筋肉が衰えてしまって歩くのがすり足で本当におぼつかない。 家族としてはもうすこしリハビリをしてから退院してもらいたかったが、本人が「家に帰りたい。」と騒ぎつづけたようだ。 アルツハイマーのほうがまたいっそう、進行したようだ。

 すり足でゆっくりつかまり歩きしかできないということは、困ったことに、トイレが間に合わないことがしばしば。 夜は、紙おむつをしてもらうことにした。

 でも、もともと頑固な人だったので、母が「紙おむつ、ぬれているかな」と思って取り替えようとしても、「イラン」とか言って拒否し、機嫌も損ねてしまう。 体も思うように動かないし、きっと頭もボーっとして自分の考えもまとまらなくていらいらしているようだ。 とりわけ、怒りっぽくなってしまった。

 しかし、病院での退屈な生活から、昼夜逆転に陥ってしまい、入院中から夜間に廊下をすりすりと徘徊。当然ながら、家に帰ってきてもそれを引きずって、昼間はいすに腰掛けたままうたた寝、夜になると目はランラン。部屋内を歩き回ったり、ダイニングでのごそごそ&食べ物探しが始まった。雑誌や郵便物をいじくったり、思わぬものを思わぬところにしまいこんだり。乾物のしいたけの中から海老天が出てきたり、冷蔵庫の中からお盆が出てきたり。私の大切な郵便物は何処かへ消えてしまった。おとなしく寝床についたかと思っても、何度も何度も起きだしてくる。就寝時間は日を追うごとに遅くなってきて、明るくなるまで寝つかない、というのが毎日だ。

 あげくには、玄関から外へ出て行こうとするので、私は玄関先で休むことにした。静かになって寝付いたかな、と安心してこちらもうとうとしていると、突然「ガスが漏れていませんか!」の警報が鳴る。知らないうちにとなりのキッチンのガスをひねっていたのだ。油断もすきもない。この日からガスの元栓を締めるようにしたのはいうまでもない。さらに見ることもないのにテレビをつけることだけはするので、これも夜間は騒がしいだけなので、電源を抜いておく。また、ダイニングの電気も100ワットで、隣の部屋で休んでいる私にも障子を通して光がもれてまぶしいだけなので、夜間は10ワットに変えておく。

 とにかく長期戦を覚悟して、気長に構えているが、今度は母もいらいらしてきている。私くらいのんびりした性格だといいのだが。

 高齢者って、本当に個人差が大きい。元気な人はいつまでも元気、弱ってくる人はどんどん弱ってくるようだ。私のお付き合いの範囲の60歳以上の人たちといえば、マスターズ陸上競技の現役の選手の人たちや、マラソンランナーばかり。みんなはつらつとして、そのお歳には見えない肉体を持っていらっしゃる。もちろん、精神力もすばらしい。子供や孫の年代の人たちとも、本気で競争したり、はしゃぎ合ったり。また、大切なことを教わることもしばしばある。人生とは、歴史の教科書のようなものだ。

2000年7月下旬〜昼夜逆転続く
 相変わらず、昼夜逆転続く。今週から、火・金のデイケア(精神科の医院が実施している)に加えて、水曜日にデイサービス(特別養護老人ホームが実施している)を受けることになった。ケア施設と、サービスの施設はご夫妻で経営されているので隣同士にあって、連携もいいし、何と行ってもスタッフの人たちが明るくて気持ち良い。
 自宅に置いていても、何もすることがないし、見つけようともしないし、また私たちが準備したことに対して見向きもしないので、このようなケア施設を利用するのが一番だと思われる。
 もともとプライドの高い人だったので、ケア施設になじむかどうかが一番の心配点だったが、元来の出好きの性格のため、「さあ、今日はお食事会ですよ。」というと、いそいそと着ていくものなどを準備している。でも、着衣の順番はもう、むちゃくちゃ。パジャマの上に半そでシャツを着ているときもあるし、ステテコの上にパジャマのズボン+もう一枚ステテコ、なんて姿もざらだ。私の洗濯物がそのあたりに重ねたままだったら、それも着込んでいたりする。さすがに女物のシャツは小さいので、無理に着て窮屈そうである。
 「お食事会」を楽しみにし、お迎えがある日は1時間近くも前から家の前に立って待っている。自分ではお迎えの車が見つけられないらしく、まだまだ約束の時間には早いのに「もう何台も車が行ってしまった。」などといっては帰ってくる。母も一緒に立って待っている。父が「早めに待っておこう。」といってどうしても聞かないからだ。
それにしても真夜中の父の行動は奇奇怪怪。何をごそごそしているのか?
 お中元にいただいた贈答品は全部封を切ってしまう。のり、お茶などの乾物もあちこちに散らばっている。冷蔵庫を探って物を食べる、しかも異常な量を。薄暗くしてある部屋の中でも、同じことを何度も何度も繰り返しているようだ。食堂と寝間と食品庫との往復。生ぬるい缶ジュースを2缶も空けて飲んであったりする。買い置きの缶詰を次々開けてしまう。家中をうろうろと歩き回っている。
 昼間は、食堂や応接間のソファーに座ってうつらうつら。何度か話し掛けて、眠ってしまわないように仕向ける。デイケアに行っているときは何とか起きているようだが、家に帰ってきてからもできるだけ目を覚ましていてもらうようにするのが大変。というわけで、昼間も熟睡している様子はないのだが、夜はまた目がランラン。いったいこの体力は何なのだろう。私も母も、ずーっと睡眠不足状態が続いている。


2000年7月終わりころ〜昼夜逆転・衣類の重ね着・デイサービスを楽しみにしている
 相変わらず、昼夜逆転続く。今年の夏の暑さも手伝って、介助している母も私もイライラが爆発している。家の中にひとりでも病人がいると、家庭内の雰囲気は悪くなってくるものだ。掃除や片付けが行き届かなくなってきた。

 ケアマネージャーさんにお願いして、8月からデイサービスを増やしてもらうことにした。今まで週3回だったのを、週5回。月曜から金曜まで毎日だ。

 父はこのデイサービスをことのほか楽しみにしているようで、お迎えがくる日は、朝も早くから起き出し、母を起こし、さっさと朝食を済ませ、いそいそしている。服の着替えは相変わらずめちゃくちゃ。パジャマの上にステテコをはき、その上からパンツをはいていることも。この暑いのに、4〜5枚も半そでばかりを着込んでいることもある。

 1時間も前から、「もうすぐくるから。」といって、家の前で立って待っている。「まだ1時間もありますよ。」といって、家の中につれて帰っても、5分後にはまた、家の前で立ちんぼう。しばらくそのままにしておくと、今度は「何台も車が行ってしもた。」といって帰ってくる。お迎えの車を覚えきれず、「早く乗っていきたい。」という自分の思いが強いから、どの車も自分のお迎えのように思ってしまうのだろう。

 ある日など、デイサービスから帰ってきて、お茶を飲んで一息ついたと思ったら、また、家の前で立ちんぼう。「今日は迎えに来てくれる日ではなかったかなあ。思い違いかなあ。」などといって帰ってくる。

 そういえば、2〜3年前から、会合や人との約束の日時・場所を覚えきれずに、とんちんかんな日に出かけていっては、「今日の会合は変更になっていたのかなあ。」「待ち合わせしていたのに、来なかった。」などといって、帰ってきたりしていた。逆に、「先生(父はかつてはこのように呼ばれていた)、まだお見えになっていないのですが、いつごろお家を出発していただけましたか?」などと電話が入ったりもしていた。本人、全く忘れていて、昼食会合の時間帯に、自宅でのんびりお昼ご飯を食べていたりするのだ。仕事をこなしているように見えて、その実アルツハイマーは忍び寄っていた。


2000年8月上旬〜トイレまでの移動が間に合わない
 父の容態は落ち着いている。相変わらず、夜はなかなか寝付けないらしい。

 家族の対応も落ち着いてきて、就寝前の確認事項@ガスの元栓を切る・Aテレビや不要電気機器のコードを抜いておく・B不必要な部屋の電球をはずしておく、という3つも励行されるようになってきた。

 暗い部屋では何もできないことがわかったのか、夜は寝るべきだということを思い出したのか、就寝時間は交通事故以前(9時から10時には床についていた)よりは遅くなったものの、日付が変わるころには何とか部屋でおとなしくするようになった。

ところが困ったことに今度はおしっこの心配。眠っていても尿意は感じるので、目がさめるようだが、トイレまでの移動が間に合わない。廊下に点々とおしっこを漏らした跡がついていたり、本当に間に合わなかったときは布団の上でジャー。夜だけは、リハビリパンツをはいてもらうようにした。

 少なくとも一晩に2回はおしっこをしたくなるらしい。1回は深夜、2回目は早朝のようである。今はまだ夏の盛りなので、パジャマ1枚でうろうろできるが、これが真冬となると、今度は寒さとの戦いになってくる。

 しかし、夜の父の活動に付き合っている母は睡眠不足と暑さにやられて、フラフラの状態。つきっきりで介護するのはいいが、「なるようにしかならない」との開き直りも必要ではないか、と私は思う。


2000年8月中旬〜「夜のパンツ」を着用
 8月より、週5回のデイサービスを利用しているおかげで、夜はよく休むようになった。就寝時間は遅め(11時から12時)だが、何度も起きだしてくる回数が減ってきた。

 相変わらず、夜は「夜のパンツ」を着用している。父の場合、これ(リハビリパンツ)を嫌がらないので助かる。布団上でのおもらし対策として、ビニール製のシーツを下に敷いておくことにした。暑い夏の夜、父は肌が弱い。かぶれたりしなければいいのだが。

 2回目の退院後の父の状況について、主治医の先生に相談してみると、やはり、生活場所が変わったりすると、このような症状がひどくなることがあるらしい。父の場合、脳内出血を取り除く手術をして、術後はベット上で安静のため抑制(くくりつけ)を受けた。このような体験は、アルツハイマーにとって最も悪い体験のひとつであるらしい。

 自分の家で落ち着いた生活をすることによって、気持ちも穏やかになり、今の状態が一時的なものであって少しでも改善されることを祈る。

 4月から導入された介護保険で、早速認定を受け、要介護2となっている。この認定期間が半年で、9月末までとなっているので、さらに更新が必要だ。また、福祉事務所にしかるべき書類を提出して、訪問の面接を受け、主治医の意見書を提出しなければならない。父のアルツハイマー型痴呆というのは、原因不明で治る見込みのない難病である。もちろん、要介護度の再認定は必要だが、これからそれぞれ半年毎に同様の申請をしなければならないと思うと、ちょっと面倒である。


2000年8月お盆のころ〜入・退院の影響
 夜の問題行動はかなり落ち着いてきた。家の外に出たがったり、家の中をうろうろしたり、食品庫のものを片っ端から開封したり、夜中に冷蔵庫のものを食べたがったり、というのは無くなってきた。医師によると、日常生活の場が変わると、混乱して問題行動を起こすことがよくあるらしい。父の場合も入・退院の影響は免れない。

しかしこの夏、毎晩が熱帯夜のせいもあって寝つきはよくないようで、2〜3回起きてきて、水分補給をしたりしている。少し小腹も空くようで、何か口に入れたいようだ。が、日付が変わる頃までには落ち着いて眠りに入っている。

 ただ、夜中に尿意をもよおして、2回はトイレに起きだす。ところが、なかなか間に合わずに、廊下や今にぽたぽたともらしている。夜のパンツ、と称して、リハビリパンツをはいているのだが、毎日それがずっしりと重たくなっている。トイレの場所がわからなくなったりするのか、あらぬドアを開けてまごまごしているうちにもれてしまうこともある。応接間の扉をあけてトイレをしようとしたのには驚いたが、危機一髪、隣接の庭に誘導して、庭木の肥料としてもらったこともある。失敗せずにもらしもせずに、ちゃんとトイレで済ますこともある。しかし毎晩最低一枚のリハビリパンツは必要だし、パジャマも着替えなくてはならないことが多い。


2000年8月お盆過ぎ〜夜中に排尿をしくじった父の行動は不安行動そのもの
 夜中の数回以上のトイレ通いなど、とても自分に付き合えるだろうか、などと思案していたのはほんの2ヶ月前。今ではそのとおりになっている。

 夜中の最低2度以上、尿意を催す父は、そのたびに間に合わずに廊下・洋室などにぽたぽたともらしてしまう。パジャマのズボンの中でもらしてしまうこともある。そういえば、日中でも、よく排尿をしくじってスラックスの股下に模様を書いている。仕事をしていた頃はスーツしか着なかったが、デイに通うようになってからはラフなスラックスとカジュアルシャツの組み合わせとなった。スラックスはもちろんウオッシャブルを選び、1日2度の洗濯にも対応できるようにしている。

 退院当初は、尿意がうすれていたせいもあって、布団の上でもらしてしまったり、昼間もズボンのなかでしてしまうこともあった。この頃は、ずっとリハビリパンツをはいていた。が、徐々に尿意は戻ってきて、今では就寝中だけ夜のパンツ(リハビリパンツ)をはいてもらっている。このふかふかした紙おむつをはくのを嫌がらないのが救いだ。

 しかし、夜中に排尿をしくじった父の行動は不安行動そのものだ。ひとりで濡れものを脱ぎ、部屋のすみなどに丸めてしまう。また、スーツなどと並べてハンガーにかけているときもある。そこらあたりにあるものを手当たり次第に着込む。もともと、痴呆が進んでからは着るものがめちゃくちゃになってきていたが、真夏だと言うのに自分のカジュアルシャツ5枚以上を着込んで、汗だくになっているときもある。スラックスの上に新しい下着(白のステテコ)をはいているときもある。私の洗濯物だって、父の目に付くところに整理しておくとえらい目にあう。

サイズが合わないのも気にせずに、着込んでしまうのだ。「お父さん、それ、窮屈でしょ、ゆったりしたのに着替えましょう。」といって、私のサマーセーターを脱いでもらうのだが、伸びてしまっていないか心配だ。時には私のオーバーニーのハイソックスをはいていたこともある。(お父さん、なんだか可愛いね。)それらものを着込んで、洋室または食堂でごそごそしていて、寝室に戻ろうとしない。テーブルの上にあるもの・棚の中にあるものをいじくりまわしている。

 私も父の行動パターンがわかってきたので、夜中にトイレに起きて、すぐに寝室に戻らないときは排尿に失敗したときだと判断して、眠たい目をこすりつつおき出して、父に着替えてもらい、雑巾で拭き掃除をする。私は2階の自分の部屋を出て、階下の食堂・洋室に隣接した玄関先の部屋で休むようにしている。この方が、父の夜間の行動がよっぽどわかりやすいからだ。ちゃんと着替えてもらって、「明日はまた、お食事会(我が家ではデイのことをこういって父親に説明している)があって、お迎えにきてくれるから、今日のところは早く休みましょう。」と、気分をそらしてあげると、安心するのか素直に寝室に向かっていく。

 私もこの2ヶ月あまりのヘルパー講習会や施設見学・インターネットによる情報収集によって、痴呆症の人の行動例をいろいろ見聞することができた。父もそのご多分にもれず、自分の存在があいまいな「点」となって記憶の線がつながらず、不安行動に出てしまうのだ。安心させてあげること、存在を認めてあげること、そして期待してあげることが大切なようだ。

2000年8月下旬〜寝室とトイレを近くに!
 父の様子は落ち着いてきた。夜中の徘徊・問題行動はほとんどおさまったといえる。

 ただ、問題は夜間の排尿の失敗。どうしても夏は暑いので、水分を欲しがる。欲しがるのでその要求のままにコップに3〜4杯も飲んでもらっているので、夜間におしっこに行きたくなるのはあたりまえ。夜間は寝ぼけていることもあって、排尿が間に合わない。寝室から廊下を渡り洋室を通りやっとトイレにたどり着いた頃には、そこらあたり、しづくが点々としている。

 本人、尿意を感じて起きだし、パンツの中でもらすといけないと思い、パンツの中からおちんちんを取り出し、ぎゅうと抑えてトイレまでの道のりを歩いてやってくるのだが、これが逆効果。結局おちんちんの先っぽからぽたぽたと漏れ出してしまっているのだ。う〜ん、これならばリハビリパンツの中で漏らしてくれるほうが、後始末がラク?

 いや、そうではない。寝室からトイレが離れているのが悪いのだ。寝室とトイレを近くに!
 さて、その方策は?

 トイレの前にある洋室を父の寝室にすることも考えたが、ここは食堂にも隣接していて、夜更かしの多い私や母は夜遅くまで起きている。父にとっては休みづらい環境かもしれない。しかも洋室なので、そのまま布団を敷いて休むのは違和感がある。

 そこで思いついたのが、ポータブルトイレを現在の寝室に設置すること。ただ、直近のことを忘れてしまうという父の病気が、ポータブルトイレの存在を覚えていてくれるかどうか・・・。つまり、せっかくポータブルを置いておいても、父はそれが何のためものなのかを覚えられないのだ。父と一緒の部屋で休んでいる母が、父の様子をいち早く察知して、ポータブルに誘導しなければならない。毎晩のことだ、可能だろうか?

 思いついた方策を早速ケアマネージャーさんに相談してみると、「それもいいかもしれませんね、ポータブルは助成金を受けて、自己負担1割で購入できますし。」と教えてくださった。トイレのカタログをファックスで送ってもらって、はやばやと注文。

さて、届けられたポータブルトイレに父がなじむかどうか・・・?

2000年9月上旬〜父の楽しみは「お食事会」なるデイサービス
 もうひとつ、父の唯一の楽しみは「お食事会」なるデイサービスに出かけること。

7月までは週2〜3回だったのを、8月から週5回。それでも、デイのない土曜・日曜日は、手持ち無沙汰で、「今日は食事会はないのか。」「今日は何時に迎えに来てくれるのか。」の連発。「今日は休みの日なので食事会はありませんよ。また月曜日ですよ。」と返事をしても、5分後にはまた同じ事を聞いてくる。そうなのだ、直近のことを覚えられないし、理解できないのだった。

 あまりに出かけたがるので、再びケアマネージャーさんにお願いして、土曜日も運営されているデイの施設を探してもらった。今度はとある医療機関によって運営されているデイケア施設。早速父と一緒に見学だ。

 ここは定員40名で、要介護度によって2グループに分かれて活動している。父に当てはまるのは、要介護度の低い軽症の人たちのグループ。「一緒に仲間に入ってみてください。」とやさしく迎え入れてくださり、私はいったん父から離れて施設職員で看護婦さんでもある方からの事情徴収(面接)を受けることとなった。父のこれまでの経緯などを説明し、家族からの要望を伝える。私自身がヘルパー2級を取得中であることも伝え、はっきり発言させていただく。お互いの情報交換は、特に重要だと考えるからだ。

 その面接も終わり、わたしが父のいる部屋をのぞくと、父はいかにも楽しそうに、体操の時間をこなしている。大きな身振りで体操する施設職員に習って、両手を上げたり、足首をつかんだり。びっくりするほどニコニコして、体を動かしている。初めての施設なのに、物怖じしないでとけこんでいるのだろうか。ひきつづきの歌の時間でも、うろ覚えの歌詞を間違いながらも大きな声で歌っている。これはうまくいきそうだ、なじんでくれそうだ。

 ヘルパー講習会を経てわたしの目も厳しくなっているが、職員さんの応対などを見ていても、とても感じのいい明るい施設だ。わたしのヘルパー講習受講動機の一つに、父を安心して預けられる施設を見極める目を養うこと、というのもあった。

 早速サービスを受ける手続きをして、8月下旬から、土曜日ともう一日、通わせていただくことにする。これで、父が現在利用しているデイサービス・デイケアは合計3ヶ所。各2日ずつとなった。





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