パパの介護記


<2000年の下半期>
ヘルパー2級講習も無事終了、と同時にご縁があって、ヘルパーステーションに登録。
このわたしもヘルパーとして仕事をするようになりました。
講習会受講以前には、まさか実際に仕事までに至るとは
ゆめゆめ思ってもいなかったので、私自身の人生の急展開に驚いています(大げさかな?)
家族の中に要介護者がいるという立場=自分も父親を介護しているという立場と、
他人の家の中に入りお手伝いさせていただくヘルパーとしての立場の両方を経験できるので、
ホームヘルパーの仕事になじむのは早かったようです。

だんだんと意味不明になってきた父の一挙一動も、ヘルパーとしての良識を思い出しながら、
一番つらいのは本人なのだということを認識して、家庭で接するようにしています。


<8月のカレンダー・父の作品>

 2000年9月上旬〜直近のことを覚えていない
 その昔、若いころは小学校の教諭をしていたこともあって、子供が好きで、道を散歩していても、小さい子供に出会うとにこにこして「こんにちは。」「おりこうさんだね。」などと声をかけている父。

 過日もわたしの友人の子供さんの、3歳の坊やと1時間あまり、遊んでいた。手を取り合ったり、鬼ごっこの真似事をしたり。坊やも楽しそうだったが、父も上機嫌だった。

 夜になって、夕食のとき、「今日はかわいい坊やが家に来てくれましたね。」と声をかけて、思い出してもらおうとしたが、本人は、「???、そうだったかな?」。やがて、ノーコメントで食事に夢中になる。

 直近のことは、すぐに忘れてしまうようだ。・・・・遊んでもらっていたのは、坊やかな、父かな?


2000年9月中旬〜自分の世界
 デイ・サービスでは、ゲーム(輪投げやボーリングなど)を楽しむ時間がある。最初のころは、はりきってリーダー的存在でみんなの音頭を取ったりしていたのだが、最近、少し様変わり。ゲーム中でも自分の場所を離れてうろうろしてしまうこともあるらしい。スタッフの人が、父の順番になって名前を呼べば、また、ゲームに参加するようだが、なにやら満たされない気持ちで、そこらあたりを歩きたくなるのだろうか?

 痴呆の世界に入ってしまった父は、何を欲しているのだろう?おだやかな見守り・声かけが、わたしたちに出来ること。


 2000年9月下旬〜食べ過ぎに注意
 お腹をこわした状態が続いて、本人も怒りっぽくなっている。体調がすぐれないときは、どうしても気分を荒げてしまいがちのようだ。

 じつは、お腹がこわれている原因は、過食と夜食だ。父はもともとデリケートなお腹の持ち主で、ちょっと食べ過ぎると下痢をしていた。それが最近、たくさん食べたがるので、「お腹をすかしていてはかわいそう。」と、少し多めに食べてもらっていたのだ。もちろんわたしたちの許容範囲内のことだが、父のお腹には多すぎるようだ。痩せ型の父なので、もう少しふっくらしてもらってもいいのだが、おなかの消化状態を考えると、そうもいかない。
 
<追記>秋の訪れと共に、その後なんとかおなかの状態もおさまる。1ヶ月以上も、おなかがあやしかったので、なるべく消化のよいものを、と母は気を配っていた。内科処方の消化剤も内服。


2000年10月上旬〜父はじつはピアノを弾くことが出来るのです 
 娘のわたしたちが幼稚園のころまでは、小学校の先生をしていた父。ピアノを弾くことが出来る。病気になる前は、両方の手でうまくメロディーを刻み伴奏をつけてひいてくれた。歌はもちろん、小学校唱歌だったが、歌いながら弾いてくれたものだ。

 最近はいつのころからかずっと、片手でメロディーを追うだけだが、それでも1曲、ちゃんと弾いている。もちろんなんども間違えるが、そのたびに正しい音を探している。

交通事故と手術の後、「まだ、弾けるかしら?」と半信半疑ながら「ピアノ弾いて。ピアノ聴きたいな。」と頼んでみると、たどたどしくなっているものの、弾いてくれた。音感はまだ、しっかりしている。歌を思い出すのがなかなかだが、わたしや母が、歌い始めのメロディーを誘導すると、父も思い出したかのように弾きつづけてくれる。

2000年10月中旬〜いつも丁寧な父です
 わたしの物心付いたころから、きちんとスーツを着こなしていた父。何を着てもよく似合う。かえってジャンパーなどカジュアルなものが苦手で、上品な感じのベストやセーターが父の好み。食卓でも背筋を伸ばして、いつもまっすぐに座っている。

 デイに通うようになって半年、さすがにスーツではなく、わたしや母が、毎日のコーディネートを楽しみに送り出す。いままでカッターシャツやスーツが多かったので、普段着が数少ない。何を着せても似合うので、夏物から秋物まで、新調も楽しみ。デイのスタッフの方からは、「いつもおしゃれですね、よくお似合いですね。」と声をかけてもらう。

 デイでも、話す言葉はいつも丁寧、周りの人にも優しく声をかけたりしているそうだ。送迎のときも、父は自らきちんと挨拶をしている。「ありがとうございますね。」「気をつけてお帰りください。」などと、頭を下げて、本当に丁寧。デイの支払いのことも気にしていて、毎回のように出かけるときに、「お金は払ってあるのか。」「わたし(=父は自分のことをわたし、という)はいま、お金持っていないよ。」と確認している。「ちゃんと、おかあさんが前もって払ってくれているからね。」といっても、まだ、不安そうで、なんども尋ねてくる。

 そういえば、私がどこかへ出かけるときにも、「ちゃんと行ってくるんだよ、気をつけてね。」と必ず声をかけてくれる。いつもいつも心配をかけているんだなあ。

 2000年10月下旬〜自分の家にいることがわからなくなることも
 夕食後、のんびり落ち着いたときに、父の一言〜「さあ、家(うち)に帰ろうか。」

「え、お父さん、ここはおうちだよ。」「そうか、家(うち)か。」「そうだよ、おとうさんのずっと住んでいるお家(うち)だよ。」

 何度かこのような会話が繰り返されるようになる。父にとっては、生まれたときから住み慣れたマイ・ホームのはずなのに、何か違ったふうに感じているのだろうか。どこかしら不安で、このような言葉を発するに違いない。「ここはちゃんとおとうさんのお家(うち)だよ。」と、安心してもらわなくてはならない。



<11月のカレンダー・父の作品>

 2000年11月上旬〜父の朝寝坊
 寒さも手伝ってか、朝が起きづらくなる。デイのお迎え時間が迫ってきているのに、枕もとまで起こしにいってもなかなか起きれない様子。挙句の果ては、「今日は休む。」とまで言い出す始末。まるで、小学生の登校拒否?

 子供ではないのだから、布団を引っ剥がすなんてことはできない、父のペースを尊重するべきだ。デイのスタッフの人に相談すると、送迎の順番を遅い目にしてくださった。送迎車がセンターを出てしまってからでも、携帯電話で連絡をとってくださるようで、本当に助かる。

 送迎にも、間に合わなかったときは・・・仕方ない、私か母が付き添って送っていくことになった。

 母の話だと、父はもともとよく寝るほう。若いころから、日曜日など何も予定のないときは、よく朝寝坊をしていたという。睡眠時間も、仕事に余裕のあるときは、8時間くらいは寝ていたようだ。


 2000年11月下旬〜夜の排尿困難
 寒さも手伝ってか、夜の排尿困難。

 寝床で尿意をもよおすも、廊下をとおってトイレまでに間に合わない。ごそごそとおきだして、おちんちんを押さえながら移動するも、その間にぽたぽたと廊下中に水漏れ、ならぬおしっこ漏れ。もちろんパジャマも濡れてしまう。父は一人で、ぬれてしまったパジャマを脱ぎ、トイレにかけておく。洋室においてある普通のズボンをはいて、また、寝床へ。時には、パンツだけで寝ているときもある。いっしょの部屋で休んでいる母が気づいて、パジャマに着替えてもらおうと思っても、父は不機嫌で着替えようとしない・・・。やはり自分で、おしっこをもらしてしまったことに嫌悪感を持っていて、不機嫌になってしまうようだ。

 どんな気持ちで濡れてしまったパジャマを脱いで、トイレにこそっとかけておくのだろう。父が一番苦しんでいるに違いないのだ。

 朝一番の、廊下&洋室の拭き掃除ですむくらいなら、これくらいのことはわけない。といいつつも、夏場になったら臭気がこもるだろうなあ。拭き掃除用の雑巾は、使い古しのTシャツなどを小さく刻んで、たくさん用意してあるから、使い捨てにできるので便利。


2000年11月30日〜家の場所がわからない
 ついに家に帰ってこれなくなる!

 いつも夕食後、「ちょっと外を見てくる。」といって、我が家のある一区画を一周している父。今日もいつもの調子だと思って、そのまま見送ったのが、10分たっても20分たっても帰ってこない。

 慌てふためく母を落ち着かせ、とりあえず家にいるように言い残してわたしは自転車でご近所をくまなく捜す・・・。しかし見つかる可能性なんて、ほとんどなし。あてどもなく、道を一本一本折り返して探す。いつもよく散歩していたあたりも通ってみる。

「あ、いた!両脇を抱えてもらって、ご近所の人と一緒だ!」

 広い大通りに出て、きょろきょろしている父を、古くからの顔見知りの方が見つけてくださって、「道に迷っているようだったから。」と、我が家まで送り届けてくださる途中だった。近所で会合があったらしく、3人の人が一緒だった。ありがたい、父のことを知ってくださっているご近所の人が一番頼りになる。


2000年12月上旬〜あてもなく外に出て行きたがる父
  寒波がおりてきて、油断もすきもない。

 父の散歩好きは、寒くても関係ないようだ、「ちょっと外を見てくる。」が何度も繰り返される。こんなに寒くなっているのに、カーディガン一枚でふらりと出て行ったのでは、風邪を引き込んでしまう。おまけに前回、一度家に帰ってこれなくなっているし・・・さすがに「一度あることは二度ある。」を肝に銘じている私と母は、「監視の目」を光らせている。家にもかぎをかけた。

 ところが、あたりまえのことだが、家の鍵とは、外側からの侵入を防ぐものであって、内側からは簡単にあけることができる。何とか、父の単独外出を食い止める鍵は無いものだろうか。

 母は気づいていた、表玄関の目立たないところに小さな引っ掛け錠がついているのを。こんなものがついているのを、わたしは知らなかった。古くなっているが、使えそうだ。さっそくかけてみた。

 開かない戸を前に、「何であかん(=開かない)のや。」と父。「古くなっていて、建てつけが悪いから・・・。ふとしたはずみで開くんですけど、あんまりドンドンやると壊れてしまいますよ。」とか何とかいって、半ばごまかしてしまう。かわいそうだが仕方ない。近所での買い物や、ちょっとした用足し、散歩など、できるだけいっしょに外出するようにしているが、連れていくのも限度がある。そんなときは、この小さな引っ掛け錠をかけて、ごまかしてしまった。

 それにしてもなぜ、引っ掛け錠がついていたのだろう?

 母は教えてくれた。〜「それはね、あなたのおばあちゃんも晩年、ボケてしまって、ふらりと出て行って帰ってこれないことが多々あったの。だから、息子であるお父さんが、おばあちゃんの単独外出防止のためにこの小さな引っ掛け錠をつけたのよ。」

 そうか、わたしが小学校1年のときに亡くなったおばあちゃん(父方)も、「雷に当たって、ボケてしまった。」などと小さいころから聞かされていたが、今でいうところの痴呆症だったに違いない。昔はこんな病名は一般的でなかったのだ、老人だから、単にボケた、と思っていた。

 それをかえりみると、「ボケる」という言葉はおそろしい意味をもっているようだ。


 2000年12月中旬〜おとうさん、服の着方がおかしいよ
 衣類の着脱に時間がかかるのは、もう、とおの昔から。スーツを着て、仕事をしていたころ(2年位前)から、ズボンやらカッターシャツやら、なんどもいじりまわして、さっさと着ることが出来ない。紺のスーツには水色のストライプのシャツ、茶系のスーツにはベージュの地模様のカッターと決まっているコーディネートなのに、それを整えるのに30分近くかかっていた。

 昨年の冬も、パジャマの上からカーディガンを着て、カッターシャツを着て、さらにセーターというような具合。一年前はまだ、周りのわたしたちも楽観していて、「おとうさん、朝起きてきてパジャマを脱いで着替えるのが面倒なので、上にどんどん着込んでいるのかな。」と、思ったりしていた。

 昨年の交通事故以来、もはや自分で着替えることは出来ない。何をどの順番で着るのか、わからないようだ。着替えるときに、一枚ずつ手渡して、または、手伝いながら着てもらう。

 衣類の種類もわからなくなっているし、衣類とタオルの区別も怪しい。セーターで顔を拭こうとしていたこともある、大変だ、肌が荒れてしまうだろう。パンツで頭を拭こうとしたことも。洗濯したてのパンツでよかった。



2000年12月下旬〜スポーツシャツを右足に、開襟シャツを左足に
 こんな姿、見たことない。朝、起きてきたとき、痩せ型の父のパジャマ姿の、腰周りがなんだかごろごろしている。どうやらトイレでの排尿がうまくいかなかったようで、本人不機嫌。着替えを手伝おうとしても、「さわるな。」「わかってる。」の一喝で、わたしたちの手を触れさせようとしない。

 あれ、パジャマのズボンの下に、もう一枚、ズボン下をはいている。これはまだ良い、その下に、開襟シャツの襟ぐりが見えている、さらに薄緑のスポーツシャツのえりまで見えているよ?どうなっているの?

 すこしずつひもといてみると、右足をスポーツシャツの方袖に突っ込み、左足を開襟シャツの方袖に突っ込んで、余ったもう一方の袖を2枚とも腰にぐるぐる巻きつけている。その上に2枚、ズボンをはいているものだから、これでは、おちんちんが出てこない。ズボンの中はぐっしょりぬれていた。本人、不快なわけだ。

 何とか全部脱いでもらって、気持ち悪かろうと母は暖かいタオルで拭こうとしたが、「いらん。」といってはねのける父。自分の失敗を決まり悪く思っているに違いない。失敗したことでいちぱん傷ついているのは父なのだ。


2000年を振り返って
 now writing....just a moment , please
 



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