パパの不思議world
(パパの介護記)

梅雨も明けないうちから猛暑が訪れています。
このひと夏も無事に過ごせますように・・・。
 少しずつ父の状況を記録していきます。

<2001年の7〜10月期>

<目次>
2001年7月3日 @自分の名前が言えない&トイレは何をするとこぞ?
7月中旬 A暑さも手伝って、介護者の疲れも蓄積・・・
8月1日昼 Bうんち投げ事件発生
8月1日夜 C痴呆老人家庭内虐待事件発生
8月21〜24日 D初めてのショートステイ
8月下旬 E感染症により、39℃の発熱
2001年初秋 F秋を迎えた父の様子
以下、ただいま記録中です。



2001年7月3日〜自分の名前が言えない&トイレは何をするとこぞ?
 今日のデイサービスで、朝の初めの自己紹介のときに、「お名前は?」と尋ねられ、「忘れました、はッはッはッ。」と笑って答えたという父。毎回の恒例となっている自己紹介だが、生年月日を正確にいえないのはデイに通い始めた当初から。電話番号もだめ・・・。「住所は?」と尋ねられ、古い地番(いまは住居表示となっている)で答えたりもしていた。

 ところが今日はついに、名前を言うことが出来なかったという。しかしこれも今朝だけの出来事で、そのあと何回か尋ねてみるとちゃんと答えることができるようだ。そのときの気分、というか心身の状態、というか脳の働き具合、というか・・・?

 少しずつ脳細胞が欠落していくというアルツハイマー、今日できることが明日もできるとは限らない。昨日できたことが今日もできるとは限らない。出来ること、わかることの範囲がだんだんと狭まっていくのは避けられない。

 おまけに同じ日に帰宅後、お風呂に入る前に、トイレ誘導を試みてみると、トイレに入ったものの、そこで何をするのか判らなくなった父は、まごまごしている。父の自主性を尊重して、扉を閉めて中の様子をうかがってみるとどうも排尿をしているふうでもない。不審に思った母が中に入って確認してみると、スリッパも靴下も脱ぎ捨て、便器に足を突っ込んでいたという。外国のトイレには、足を洗ったりするためのビデという便器に似たかたちの陶器製の器具が備わっていることもあるようだが、父は外国暮らしも経験ないのに・・・?

 父の足はびしょぬれだったが、我が家のトイレが水洗でよかった。これが「ぽっちゃん式」のトイレだったらどうなったことやら。それに入浴前でよかった、スムーズにお風呂を勧めることが出来たし。

 最近の傾向として、トイレの場所がわからなくなることも多い。半分くらいの頻度で、トイレがどこにあるのか判っていない。「トイレはこっち。」と誘導しようとしても、「ここでいい。」とか言って、縁側から庭に向かって放尿もしばしば。しかし、便器に足を突っ込むのは今日が始めて。

 1度あることは2度あるという、父の脳の働きは、「便器には足を突っ込むもの。」とインプットしているのだろうか?今後の動向に要注意。
2001年7月中旬〜暑さも手伝って、介護者の疲れも蓄積・・・
 最近の父の家での様子・・・。

 夕食後、「さあ、家に帰ろうか。」「ここから家に帰るには遠いかな。」「家に帰らないと、心配しているしな。」と、自宅に居りながら、なぜか自分の家でないような気になる父。これもこの半年くらいずっと続いているいつものことなので、「いま、外は暗くて危ないので、朝になって明るくなってから帰りましょう。」などと、何とか父の気をそらせるように受け答えする。何度もなんども「家に帰ろう。」と言うので、それにいちいち同じように答えるだけでも、ストレス倍層。

 機嫌のいいときには食器叩き。お箸を両手に持って、からになった茶碗や湯のみ、小皿などをリズムをつけて叩いている。これがまた、ちょっとしたもので、私が真似しようとしても、うまくリズムが取れないくらい、巧みにバチ(=はし)を操る。

 食後の食器叩きはこの春くらいからデイサービスのときにもやっているようで、最近ではほとんど毎日のようだ。しかしそのリズムの巧みさをスタッフの方も絶賛してくださって、「Oさん(=父のこと)はリズム感があるようです。それを何かに生かして、機会があれば楽器等、できればいいですね。」とまで言っていただいている。

 その後、食卓に並べたままのからの食器をあっちに動かし、こっちに動かし、「これをこうして、あれをここへやって、こっちのはそこへおいておこう。」などとぶつぶつ言いながら、なんども同じ事を繰り返している。食器ではない何かが父には見えているのだろうか?「あれ」「これ」「それ」という代名詞ばかりなので、何をどうしていいものかさっぱりわからない。「これでいいか。」と聞かれても、「ちゃんとできていますよ、いいですよ。」としか答えようがないのだ。

 入浴を勧めるのも、ちょっとしたタイミングで、「お風呂には、はいらん。」と拒否にあってしまうので、機嫌のよさそうなころあいを図って声をかける。服を脱ぐということもわからなくなっているので、ボタンをはずしたりかけたりを繰り返す。「このままで良いか。」とステテコ姿でお風呂に入ろうとする。お風呂ではかけ湯なしにどぼんと浸かろうとする。湯船の中で身体をこすろうとする。石鹸など使うのはもってのほか、自分で勝手に身体をごしごしこすっている。そんなふうな入浴では、清潔は保たれないので、声をかけながら何とか洗ってもらうように、と、入浴介助はもっぱら母の担当だ。わたしはやっぱり・・・、父のふりちんをみたくないなぁ・・・。

 更衣も、何を脱いでなにを着ればいいのかさっぱりわかっていない。先日もお風呂上りにちょっと声をかけずに父を放置していると、父は自分の判断で洗濯籠から2枚のTシャツを引っ張り出し、一枚はちゃんと上半身に着たものの、もう一枚の首のところを自分のウエストに合わせて、スカートのように下半身を突っ込んでいた。しかもそれら洗濯籠にはいっていたものは、わたしの運動着で、汗だくのままだったのだ。「おとうさん、Tシャツの首が伸びてしまうよぉ〜!!」その姿を見て、滑稽やら情けないやらの泣き笑いだ。

 そうして何とか寝室まで誘導し、布団に横になるのだが、なかなか寝付けないようだ。寝室でごそごそ本棚などをいじったり、シーツをはがして几帳面にたたんだり、何か蠢いているのだ。9時くらいに寝室に行くのだが、1時間〜1時間半ごとに起きだして来て、わたしや母のいる食堂に顔を出す。起き出してきたついでに、と思って、トイレに誘導しても、「そんなものは行かん。」と拒否したり、素直におしっこをしたり。また、寝室の縁側からでも外の庭に向かって排尿をしているようだ。宵のうちは寝付けないし、眠りも浅いようだ。深夜になって、ごそごそおきだすこともある。トイレの場所がわからずに、押入れのふすまを開けたり、通路のガラス戸を引っ張ったり・・・。横に並んで休んでいる母は、父のそんな挙動をいち早く感じて飛び起き、トイレまで誘導する。

 しかし明け方になると、グーグーいびきをかいて、寝入っている。おねしょをしてしまうのもこの時間帯だ。ときによっては、お尻の周り、直径1メートルくらい海のような水溜りが出来ていることもある。防水シーツのおかげで、その上に敷いてあるシーツのしみははっきりわかるのだ。

 そんなふうだから、朝は起きづらい。なんどもなんども声をかけて、起床を促す。おねしょがリハビリパンツに吸収されきらずに海のようになっていても、パジャマが濡れ濡れでも、一向に気にせずにごろんと寝入っている。声をかけて、目をパチクリ動かすこともあるし、「ハイ、起きます。」と答えが返ってくることもある。しかしまだまだ身体は横たわったまま。低血圧でもある父は、朝、体を起こしづらいのかもしれない。数10回の声かけの後、うまく起きだしてくることもあるし、昼近くまで寝てしまうこともある。デイサービスのお迎えに間に合わずに、何度となく当日欠席してしまっている。

 とまあ、こんな父を中心の我が家、今年の暑さは早くから到来、そして、猛暑だ。まだ7月だというのに、くたびれ気味の母である。わたしは、というと、もともと暑さが苦にならないタイプなので、まだ、何とか持ちこたえてはいるけれど・・・・。

2001年8月1日昼〜うんち投げ事件発生

≪デイサービス連絡帳より、デイでの父の様子を伝える記録〜読みやすくするために文章一部手直ししています。≫

 午前中に、トイレを探すようなしぐさをしながら歩いておられたので、「トイレですか?」と声かけしました。「ハイ。」と答えられたので、トイレに案内しました。「だいじょうぶですか?」と声をかけながら、扉の隙間から様子をうかがっていると、大量の大便(軟便)をされました。排便を終えて拭く前にすぐに立ち上がられたので、パンツとズボン下が汚れてしまいました。お尻もそのままだったので、お風呂に案内しました。

 お風呂場では少し入浴拒否されましたが、下半身だけ洗わせてもらいました。「なか(=湯船)に入る。」といわれたので、入ってもらいました。シャワーなどで洗浄していると、立ったまま便をされ、お尻のあたりを手で触り、便をつかんで湯船に投げ込まれました。そのままトイレに行ってもらいトイレでも少量の便をされました。その後また、洗浄だけいたしております。汚れてしまった下着類は、下洗いのみしています。
(以上、スタッフによる記録)

 大変な事件だ。事件当時、だれも湯船に浸かっていらっしゃらなかったというから、まだ被害は最小限に済んだものの、人がはいっていたりして、その人にうんちがあたったりしたら一大事だ。デイサービスセンターのお風呂は家庭用などと違って湯船も大きい。お湯を抜いて張りなおすだけでも時間がかかるに違いない。次に入浴を待っている人がいたとしたら気の毒をした。暑いなか、お風呂掃除に廻ってくださったスタッフの方々にも申し訳ない。

 父の病状は明らかに進んできている。このまま、同じデイサービスセンターに通わせていただいてもいいのか、または、痴呆老人専門のセンターを探して移っていったほうがいいのか・・・?相談できるのは、ケアマネージャーさんか、主治医の先生か・・・・?
2001年8月1日夜〜痴呆老人家庭内虐待事件発生

 今日はデイで、「うんち投げ事件」があったことを知らされ、わたしも母も情けないやら悲しいやらで、余り楽しい気分で食卓を囲むことは出来ないでいる。父もまた、そんなに上機嫌でもない様子。

 夕食後、何とかお風呂に入れようと母はうまく声かけをし、身体を洗われたり頭を洗われたりして、お湯がかかるのがどうも気に入らない様子の父と、汗だくで半分けんか腰になりながらもようやくお風呂内での一連の動作を終え、お風呂から上がってきた。

 母がいつものリハビリパンツ(夜だけおねしょ対策にリハビリパンツ着用している)を差し出すと、同じところに2本とも足を突っ込んでしまい、パンツは今にも破れそう・・・。見かねた母が「それは違いますよ。」と諌めようとすると、「わかってる!」と母をピシャリ!母はしばしば叩かれている。

 昼間のうんち事件だけでも相当まいってしまっている母は、パニックになりついに情けなくなって泣き出してしまった。ここで今度はわたしが登場。何とか父に正しくパンツをはかせなくてはならない。

私: 「お父さん、パンツのはき方、違うよ!」
父: 「何を言うか、これでいいんじゃ!」
私: 「ちがうよ、だめだよ!」
父: 「なにを、えいくそ!」
父は気を荒げてしまい、わたしにも手を上げようとする。わたしももう、悲しいやら情けないやらで、振り上げられた父の腕に向かってゲンコツパンチだ!

私: 「お父さん、いつもお母さんを叩いてばっかりして!なんでお母さんばっかり叩くの!お母さん、泣いてるよぉ!」
ぼこぼこ、力任せに叩いてしまった。

父: 「だれが泣いてるんじゃ!」
私: 「お母さんだよ、ほら、泣いているよ!」
母: 「やめなさい、お父さんは病気なんだから、そんなことをしてはだめ!」
 仲裁に入った母の泣き顔を見てはっとしたのか、荒かった父の表情はとたんにしゅんとなった。

父: 「あいたたた、ここ痛い。」
見ると父の手の甲が大きく腫れている。血管も細く、痩せている父をボカスカ叩いたため、内出血をおこしたようだ。力任せに叩いてしまったことにすぐに後悔してしまった。

母: 「ほら、パンツはきましょ。寝に行きましょうね。」
 いつもの様子で声をかけると、父はとたんに大人しくなって、ちゃんと母の言うことに従い、母の差し出すパンツを素直に履いて、母に促されるまま寝室に向かっていった。

 父は病気のため、日常生活が他者の助けなくしては送れなくなっている。ものの名前もどんどん忘れていって、そのものを見てもなにに使うものか、なにをするものか、認識できなくなっている。どうしようもない脳の病気とはわかっていても、父のもともと持っている「昭和一桁生まれの頑固親父」の性格とあいまって、ワンマンぶりが目に余ると、母はパニックに陥り、私は逆上してしまう。
 
 次の朝、父の手の甲はまだ腫れていた。内出血の色もどす黒く変色してきている。いつものように「お父さん、オハヨ〜!」と明るく声をかけてみたけれど、父はやんちゃ坊主が「イ〜ダ!!」をするようなそぶりで私には笑顔を返してくれなかった。

 もちろん昨夜、ひと騒動があったことなどは忘れている。しかし、私になにやらいじめられたという記憶だけは残っているのだ。
2001年8月21〜24日〜初めてのショートステイ
 例年、この時期に我が家の年中行事で、地蔵盆のお祭りがある。お地蔵さんのお清めから、お供えの手配、お参りしていただく方への対応で追われるのだ。こんなとき、片時も目を離せない我が父がいると、掃除やら買出しやらの働き手がひとり取られてしまう・・・

 そんな理由で、父は初めてのショートステイに預けられることになってしまった。いつもデイサービスに通っている施設での3泊4日のステイだが、果たしてちゃんと迷惑をかけずに行ってくれるだろうか・・・?

 我が家にいても「早くうちに帰ろう。」となんども繰り返す父。亡くなった自分のお母さんのことを「かあさんはどこへ行ったかな。」と追うこともある父。もともと旅行に出かけたりするのは好きだったが、今ではそれもおぼつかない。

 実は昨年の春から夏にかけて、交通事故のあとの頭蓋骨をくりぬく手術で入院した際、点滴の管をはずしてしまってはベットにくくりつけられ、昼夜逆転に陥っては夜の病院の廊下を徘徊し、「家族さんの付き添いをお願いします。」と看護婦さんからなんども自宅に電話がかかってきた。

 手術のショックとはいえ、そのさまはアルツハイマーが一気に悪化したとしか思えなかった。幸いにして、その一時的な症状は退院してから秋には消え、何とか自宅介護とデイサービス利用で日々を暮らしてきた。しかし、これから序々に悪化していく父のアルツハイマーの病状の行き先は、こんなふうなのか、と思わざるを得ない入院生活だった。

 父をショートステイに預けて2日目。余りにも心配なわたしと母は、施設に電話をして父の様子を尋ねてみたりもした。一度だけ、「家に帰る。」と言い張ったそうだが、うまくスタッフの方が対応してくれて、大人しくすごしているそうだ。ただ、やはり夜は落ち着かない様子で、なかなか寝付けなかったらしい。

 しかしさすが、施設の人たちはこの道のプロだ。みんな誠意を持って対応してくださっている。よく考えると、家庭でなかなか面倒を見切れない高齢者ばかりを短期間とはいえ預かる制度。そのなかに居られるスタッフの人たちは、いろんな高齢者に接してきていく通りもの対応ができるのだ。

 結局、3泊4日のステイの間、大きな事件もおこさずに父は元気よく帰宅した。個室に備え付けのナースコールのコードを引っこ抜き、弁償代実費の請求書とともに・・・

(とはいえ、父を送ってきてくださったスタッフの方は、「こちらでよく気をつけていたらよかったのですが・・・」と、とても申し訳なさそうだった。)
2001年8月下旬〜感染症により、39℃の発熱
 8月も最後の日曜日、いちにちのんびり過ごしてもうじき夕食だという時間帯に、父がガタガタ震えだした。顔は真っ赤、手足は真っ白。指先までぶるぶる震えて、コップすらつかむことができない。手に触ってみると、真夏だというのにとても冷たい。

  しばらくすると、身体中火照ってきて、ものすごい熱。「お父さん、風邪引いたの?!?」
たしかにきょうは雨も振ったりやんだりの曇り空で、昨日までとうって変わって涼しい目の気候。父はもともと寒がりで、猛暑の今年でも肌着と半袖の開襟シャツを着込んで平然と過ごしている。ところがこの日は日曜日とあって、外出もしないので、薄いクレープの肌着だけで過ごしていた。

 「風邪を引いたに違いない!!!熱を測らなくっちゃ!」
ところが熱を測ろうとしても、その行為を理解できず、脇に体温計をはさもうとしない父。何とかなだめて、腕を押さえ込むようにして脇に体温計をはさみこみ、計測すると39℃!

 「大変、お父さん、寝ておかなくちゃ!」
ところが、本人興奮状態で、横になろうともせず、布団の上に座ったり立ち上がったり。でもふらふら。寝ておかなければならない状態を理解できない父を寝かしつけることもできず、布団の上に足を投げ出して座ったままの父の背後から手を廻し、わきの下に氷袋を押し付け、後頭部を冷やし、何とか落ち着いてもらって寝かせた。

 翌朝には熱も下がって、様子も通常のよう。念のためにデイサービスを休んで、家で大人しく過ごしてもらう。昨夜の発熱は、風邪によるものだったのかな?昨日ちょっと涼しかったので、それで身体が反応したのかな?でも本人、寒気や発熱を、感じにくくなっていて、おまけに熱が出たときは冷やさなくてはいけないことや、寝ておかなければならないことがわかっていないので、まわりのものが気を付けるしか無いのである。

 しかし翌日も夕方に気付くとえらい熱!ちょうどかかりつけのお医者さんの開院中だったので、すぐに駆けつけた。聴診器をあて、家族への問診(本人に問診しても、問いの意味がわからず、受け答えにならないため)と血液検査・検尿を依頼される。ところが尿を取る作業など本人には到底出来ないため、とりあえず採血だけしてもらう。

 医師の診断では、朝に熱が下がっていても夕方にまたぶり返すという特徴的な発熱から、どうやら、尿毒症か膀胱炎か、そんな類のおしっこの熱じゃないか、とのこと。つまり感染症である。夜間はパンツ型の紙おむつをしているし、うんちをしても拭くことを忘れてしまうことが多いので、感染しやすい、とのこと。もしかしてショートステイで感染???との疑念も、家族としては隠せず、思わずお医者さんに面と向かって可能性をたずねてみるが、「それはないと思います。」との返答。

 とりあえずその場で点滴をしてもらい、明日以降も点滴でウイルスを追い出す作戦で朝夕に点滴に通うことになり、内服と座薬をもらってきた。点滴の効果抜群で、じきに落ち着いて、熱も下がったようで、おかゆとプリンを食べてくれた。その後3日間の点滴のおかげで、父の身体からウイルスは出て行ったようで、事なきをえた。

 年齢が年齢だけに発熱となると、家族がドキン!とする。しかし、発熱をするにはそれなりの理由があってただ闇雲に熱を下げるだけでは問題の解決にはならないことを知った。
2001年初秋〜秋を迎えた父の様子
 
 今年の大阪は、真夏日が35日間も続く猛暑に見舞われたが、秋はことのほか早くにやってきた。台風接近だのなんだの言っているうちに、残暑を感じる期間は短かった。
 
 秋を迎えた父は、落ち着いて日々を送っている。
とはいえ、一日をたどってみると、朝はどうしても起きづらいらしく、いつも誰かが起こさなくてはならないし、夜間着用しているリハビリパンツも日によってびしょぬれに濡れていたり、ほとんど乾いたままだったり・・・。デイサービスには機嫌よく出かけてくれるが、お出かけの準備はすべて、介助者がつかなくてはならず、清潔行為(洗顔や歯磨き)や、更衣にかかる時間も膨大。

 ディでは午前中、うとうとしてすごすことも多くなっているようで、夜の寝つきの悪いのが、一因だろう。目がパッチリと開いているときは、歌の時間にせよおしゃべりの時間にせよ、父はハッスルしているようだ。

 デイから帰宅後、夕方に散歩に出かけたがるのは、少なくなってきた。散歩といっても、ひとりでは帰ってくることが出来ないのだから、単独行動となるとこれは徘徊。そんなことになるとまた、警察沙汰=保護願いをださなくてはならなくなるので、散歩に出たがれば母かわたしが買い物がてらついていくし、うまく気をそらせるためにお茶の時間にすることも多い。

 秋になって日暮れが早くなってあたりが暗くなってくると、おなかがすいたような気がするのか、「ご飯まだですか?」の連発。手際よく数品を食卓に並べるも、一点食べ(一品ずつ食べていく)をするので、出来たものから順に食卓に乗せることも多い。
 夕食には相当の時間がかかる。ちょっとずつ口に運んでは、また、お箸でおかずをつまんだり、お皿の中で一方に寄せたりして、もてあそんでいるよう。食後には、得意の食器たたき。春くらいから顕著に見られる症状なのだが、毎日の練習のかいあって、これがまた、リズミカルで、まるで祭囃子のよう。この食器叩きは、デイサービスの昼食後にも見られるようで、施設によっては「お上手ですね。」と誉めていただく施設もあるし、「食器が割れるのでやめましょう。」と制止される施設もあるようだ。(父は3か所のデイサービスにお世話になっている=日々に変化をつけるため3施設を利用している。)

 ちょうどころあいも秋祭り。だんじりが家の前を通りかかったりすると、父も絶好調でだんじり囃子さながらに叩いている。以前は硬質の塗り箸を使っていたので、時としてその音は甲高すぎたのだが、最近では割り箸を使っているので、ソフトな音調だ。

 父はだんじりが好きで、正気なころからよく、だんじりが家の前を通ると、自分自身も外に出てそれを迎えたものだ。今年の秋祭りでも、だんじり曳き山では、だんじりの後ろからついていって、母と一緒に町内を1周してきた。もちろんわたしも祭り好き。お囃子が聴こえてくるとわくわくするものだ。

 そのうち、「さあ、家に帰ろうか。」と父は言い出す。仕方ないので、「もう今日は遅いし、夜になって外も暗いので危ないから明日にしましょう。今日はここに泊めてもらいましょう。」と促して、落ち着いてもらう。さらに父は「3人(=我が家は3人家族)ここに泊まったら、いくらかな、お金は払ってあるのかな?」などといいだし、母は「ちゃんと払ってあります、だいじょうぶですよ。」と答えている。「ここにきていることは、家の人は知っているのかな、ちゃんとかあさん(=このとき母さんというのは、父にとっての母親、つまり亡くなったお母さんのことを差しているようだ。)に言ってあるのかな。」と心配顔になるので、「ちゃんと電話で話してありますよ。」と母は答えている。どうしても「帰ろう、こんなところにいてはだめだ。」などと主張が始まると、仕方ないので、家をいったん出て、家の周りを1周して帰ってくると、本人はもう、落ち着くのだ。

 そして最近の特徴は、ものすごい音の歯ぎしりが始まったこと。秋になってから、手持ち無沙汰なときなどに、なぜか相当な音量の歯ぎしりをしていることが多い。「歯が悪くなって、ご飯も食べられなくなるので、その音をやめましょう。」〜「そうやな、わかった。」と答えても、直後からまたボリュームアップ。「勝手に鳴ってくる。」と父がいうこともある。

 余りの音量に耐えがたくなった母は、かかりつけのお医者様に相談しに行ったが、「無理に止めさせることも出来ないから、そのまま様子を見てください。」とのこと。きっと何か満たされないことがあって、自分の存在をアピールしたくて、音を鳴らしているような気がする。実際、デイサービスの施設などでは、歯ぎしりは見られないようだ。きっとデイでは、緊張感があるのだろう。

 父の機嫌のよいときに入浴を試みるのは、母の担当。どうも顔や体にバシャバシャとお湯をかけられるのを嫌がるようで、浴室からは「そんなにかけたらあかん!」と父が制しているのが聞こえる。シャワーなんてもってのほかのようだ。洗髪や髭剃りも、機嫌を見ながら。母はうまく父をリードしている。

 そうして身体が温まって、気持ちよくなって、リハビリパンツ着用して寝床に行っても、必ず夜更け(12時ころまで)は数度、起きだしてくる。ときとして、寝室でシーツをめくったりたたんだりして相当の時間ごそごそしているようで、いまにやってきた父の身体は冷え切っていることも多い。これから少しずつ寒くなるというのに、パジャマ一枚でうろうろしていると、風邪を引いてしまう。冬の寒さは高齢者にとって、大敵である。(小学校2年生から神経痛もちの娘のわたしにとっても、大敵であるが・・・痛がるわたしの脚を布団の中でよくさすってくれたのは、母である。)

 無事に毎日を過ごし、冬を乗り切ることができるよう、祈るような気持ちである。



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