パパの不思議world
(パパの介護記)

秋からしばらく大きな事件もおこさずに、
何とかこの一年も暮れようとしています。

夏ごろまでにいろいろ事件も起きたので、
母と見守りを強化しているおかげで、事件が起こっていなかったのです。

線でつながらない、点の上を生きているアルツハイマーの父にとって、
大晦日やお正月の年中行事を感じることが出来るのでしょうか。

<2001年の10〜12月期>

<目次>
2001年初秋〜秋を迎えた父の様子 @秋を迎えた父の様子
01年冬が来た A隙間風対策にアルミサッシ導入、ところが役立たず
01年初冬 B夜間のおむつ交換にハロゲンヒーター登場
01年12月中旬ころ C帰宅症候群
01年の大晦日 D排泄物新聞巻き事件
以下、2002年に続く。



2001年初秋〜秋を迎えた父の様子
 今年の大阪は、真夏日が35日間も続く猛暑に見舞われたが、秋はことのほか早くにやってきた。台風接近だのなんだの言っているうちに、残暑を感じる期間は短かった。
 
 秋を迎えた父は、落ち着いて日々を送っている。
とはいえ、一日をたどってみると、朝はどうしても起きづらいらしく、いつも誰かが起こさなくてはならないし、夜間着用しているリハビリパンツも日によってびしょぬれに濡れていたり、ほとんど乾いたままだったり・・・。デイサービスには機嫌よく出かけてくれるが、お出かけの準備はすべて、介助者がつかなくてはならず、清潔行為(洗顔や歯磨き)や、更衣にかかる時間も膨大。

 ディでは午前中、うとうとしてすごすことも多くなっているようで、夜の寝つきの悪いのが、一因だろう。目がパッチリと開いているときは、歌の時間にせよおしゃべりの時間にせよ、父はハッスルしているようだ。

 デイから帰宅後、夕方に散歩に出かけたがるのは、少なくなってきた。散歩といっても、ひとりでは帰ってくることが出来ないのだから、単独行動となるとこれは徘徊。そんなことになるとまた、警察沙汰=保護願いをださなくてはならなくなるので、散歩に出たがれば母かわたしが買い物がてらついていくし、うまく気をそらせるためにお茶の時間にすることも多い。

 秋になって日暮れが早くなってあたりが暗くなってくると、おなかがすいたような気がするのか、「ご飯まだですか?」の連発。手際よく数品を食卓に並べるも、一点食べ(一品ずつ食べていく)をするので、出来たものから順に食卓に乗せることも多い。
 夕食には相当の時間がかかる。ちょっとずつ口に運んでは、また、お箸でおかずをつまんだり、お皿の中で一方に寄せたりして、もてあそんでいるよう。食後には、得意の食器たたき。春くらいから顕著に見られる症状なのだが、毎日の練習のかいあって、これがまた、リズミカルで、まるで祭囃子のよう。この食器叩きは、デイサービスの昼食後にも見られるようで、施設によっては「お上手ですね。」と誉めていただく施設もあるし、「食器が割れるのでやめましょう。」と制止される施設もあるようだ。(父は3か所のデイサービスにお世話になっている=日々に変化をつけるため3施設を利用している。)

 ちょうどころあいも秋祭り。だんじりが家の前を通りかかったりすると、父も絶好調でだんじり囃子さながらに叩いている。以前は硬質の塗り箸を使っていたので、時としてその音は甲高すぎたのだが、最近では割り箸を使っているので、ソフトな音調だ。

 父はだんじりが好きで、正気なころからよく、だんじりが家の前を通ると、自分自身も外に出てそれを迎えたものだ。今年の秋祭りでも、だんじり曳き山では、だんじりの後ろからついていって、母と一緒に町内を1周してきた。もちろんわたしも祭り好き。お囃子が聴こえてくるとわくわくするものだ。

 そのうち、「さあ、家に帰ろうか。」と父は言い出す。仕方ないので、「もう今日は遅いし、夜になって外も暗いので危ないから明日にしましょう。今日はここに泊めてもらいましょう。」と促して、落ち着いてもらう。さらに父は「3人(=我が家は3人家族)ここに泊まったら、いくらかな、お金は払ってあるのかな?」などといいだし、母は「ちゃんと払ってあります、だいじょうぶですよ。」と答えている。「ここにきていることは、家の人は知っているのかな、ちゃんとかあさん(=このとき母さんというのは、父にとっての母親、つまり亡くなったお母さんのことを差しているようだ。)に言ってあるのかな。」と心配顔になるので、「ちゃんと電話で話してありますよ。」と母は答えている。どうしても「帰ろう、こんなところにいてはだめだ。」などと主張が始まると、仕方ないので、家をいったん出て、家の周りを1周して帰ってくると、本人はもう、落ち着くのだ。

 そして最近の特徴は、ものすごい音の歯ぎしりが始まったこと。秋になってから、手持ち無沙汰なときなどに、なぜか相当な音量の歯ぎしりをしていることが多い。「歯が悪くなって、ご飯も食べられなくなるので、その音をやめましょう。」〜「そうやな、わかった。」と答えても、直後からまたボリュームアップ。「勝手に鳴ってくる。」と父がいうこともある。

 余りの音量に耐えがたくなった母は、かかりつけのお医者様に相談しに行ったが、「無理に止めさせることも出来ないから、そのまま様子を見てください。」とのこと。きっと何か満たされないことがあって、自分の存在をアピールしたくて、音を鳴らしているような気がする。実際、デイサービスの施設などでは、歯ぎしりは見られないようだ。きっとデイでは、緊張感があるのだろう。

 父の機嫌のよいときに入浴を試みるのは、母の担当。どうも顔や体にバシャバシャとお湯をかけられるのを嫌がるようで、浴室からは「そんなにかけたらあかん!」と父が制しているのが聞こえる。シャワーなんてもってのほかのようだ。洗髪や髭剃りも、機嫌を見ながら。母はうまく父をリードしている。

 そうして身体が温まって、気持ちよくなって、リハビリパンツ着用して寝床に行っても、必ず夜更け(12時ころまで)は数度、起きだしてくる。ときとして、寝室でシーツをめくったりたたんだりして相当の時間ごそごそしているようで、いまにやってきた父の身体は冷え切っていることも多い。これから少しずつ寒くなるというのに、パジャマ一枚でうろうろしていると、風邪を引いてしまう。冬の寒さは高齢者にとって、大敵である。(小学校2年生から神経痛もちの娘のわたしにとっても、大敵であるが・・・痛がるわたしの脚を布団の中でよくさすってくれたのは、母である。)

 無事に毎日を過ごし、冬を乗り切ることができるよう、祈るような気持ちである。
2001年冬が来た〜隙間風対策にアルミサッシ導入、ところが役立たず
 いよいよ冬将軍到来だ。といっても我が家は比較的温暖な気候の土地にあるので、最低気温は真冬でも氷点下を割り込むことはまれ。しかし最低気温2〜3度ともなると、相当寒く感じる。とくに古くからの日本家屋の特徴で、紙と木でできた我が家に住んでいるので、隙間風も相当吹き込む。

 両親の寝室は和室。一枚障子を開けると板の廊下で、吐き出しのガラス戸がはまっている。夏場、父はよくこのガラス戸をあけて仁王立ちになり、庭に向かって放尿していた。ガラス戸も木枠でガタがきているので隙間風多し。これでは冬場は寒すぎる。

 早い目に手当てを、と思い、秋口から工務店に頼んで、木枠をアルミ枠に変え、ガラス戸もアルミサッシに取り替えてもらった。きちっとカギもかかるし、防犯対策&隙間風対策は万全!

 そのように迎えた冬だったが、父は相変わらず、アルミサッシのガラス戸を開けて、庭に向かって放尿。用事を済ませるのはいいが、4枚のガラス戸をきちんと閉めることができない。中央でピシッと閉じるはずのアルミサッシも、重ね方を間違えるとやはり隙間風が吹き込む。隙間風どころか、ガラス戸が半分開いたままの時だってある。これでは防犯対策&隙間風対策ともに失格。ガラス戸が半開きともなれば逆に寒さ倍増。風が吹き込みカーテンがゆれるのを発見次第、何度も施錠する私と母である。

 追伸〜きっとそのうち、アルミサッシのカギの開錠の仕方を忘れてしまうことになるだろう。すると、ガラス戸を開けて放尿したい父の欲求はどうなる???そうなれば部屋うちでの放尿か???覚悟しつつそんなことにならないよう見守りと対策を考えよう。

2001年初冬〜夜間のおむつ交換にハロゲンヒーター登場
 夜間尿意をほとんど感じることができなくなっている父は、就寝時はいつもリハビリパンツを着用している。秋になってからは下痢が続いたりして、昼間もリハビリパンツ着用だ。食べたものが調子よくこなれていくのはいいのだが、調子よすぎて軟便や下痢を繰り返すのは、栄養摂取の部分でも心配だ。 

 しかし父はリハビリパンツを嫌がるふうでもなく、母の「さあ、おなかを温めるパンツをはきましょうね。」のひとことで、ちゃんと従っている。これは大助かりな一面。おそらく本人は、普通のパンツとリハビリパンツの区別がついていないに違いない。

 しかしリハビリパンツはおしっこの吸収量が450cc〜多いものでも600ccくらいで、一晩のおしっこの量を超えてしまうことも多い。特に父はよく寝返りを打って布団の上で動くので、パンツのパットの部分に吸収されきらずに際から漏れてしまい、朝には必ずといっていいほど、シーツに地図を書いている。ひどいときにはパジャマの上着までじっとりぬれている。 

 夜間だってそんなふうになることもある。こうなればさすがに気持ち悪く感じるのか、ごそごそとおきだすこともある。そうすればパジャマとリハビリパンツの着がえだ。

 冬ともなれば、温かい布団から体を起こすのはぞっと寒気がする。ましておしっこでぬれていれば冷たく感じるだろう。しかし着替え優先だ。そんな時、2秒もあればすぐにその場が暖まるハロゲンヒーターはとても優れもの。体に向けてあててやればぽかぽかするので、きっと寒く感じることもないだろう。父も寒そうではない。

 最近では朝の着替えも布団の上で、尿にぬれた身体を清拭しながら行うので、このヒーターが役立っている。ただし、シーツに染み込んだ尿の臭気がもわっと立ち上がるのが玉にキズ。

 
2001年12月中旬ころ〜帰宅症候群
 やはり父の帰宅願望は続いている。一年前の冬の始まりかけのころから、夕食後に父がよく発する言葉・・・・・「さあ、家に帰ろうか。」

 お茶を飲んだりして、夕食後にほっと一息ついているときのこの言葉。一日が無事であってほっとしているのはわたしと母だけで、父はいち早く自分の家に帰りたくなっているようだ。自分の家にいるのに???。そわそわして、あちこちの扉を開けようとしたり、外に出て行こうとする。

 最近では、扉にという扉にカギをつけ、南京錠までつけて、中からカギなしでは開けられないようにしてある。こうなると父にはお手上げのようだ。防犯対策にもなるし、南京錠は正解。

 のところについている内側からくるっと廻して開けることのできるカギの構造も、今では父には理解できないようで、ただただ出て行きたい(=ここから出て家に帰りたい)一心で、扉を力づくでガタガタやっている。「お父さん、そんなにガタガタやったら、扉壊れてしまうよ。外から泥棒、入ってきてしまうよ。」と声をかけると、「そうやな。」といったん扉から離れて、また別の扉に向かって力づくでガタガタ。わたしもそちらに廻って、先ほどと同じように、「お父さん、そんなにガタガタやったら、扉壊れてしまうよ。外から泥棒、入ってきてしまうよ。」と声をかける。「そうやな。」と父。幾度か扉と別の扉との間を2人が往復する。

 その様子をみていて根負けした母が、「さあ、ここの戸が開くから、ここから家に帰りましょう。」と父を促して、町内一周の散歩に出かける。寒くなってからは、コートまで着込んで二人揃って戸から出て行く。ぐるりと辻を廻ってふたたび帰ってくるのは我が家。
 
 「さあ、帰ってきましたよ、おうちですよ。」と案内する母に向かって、「そうやな、うちに帰ってきたな。」〜同じところから出て行って、同じところに帰ってきているのに????

 夕方、または夕食後に限って現れるこの症状を「帰宅症候群」というそうだ。夕方になると徘徊に行くことを「たそがれ症候群」とも言う。もっとも徘徊に出て行く本人は、それが徘徊とも思わず、散歩かまたは、町内の警備、などと思い込んでいる人もいるそうだ。アルツハイマーの症状の一端である。

2001年の大晦日〜排泄物新聞巻き事件

 冬を迎え、我が家の中ではさして大きな事件もおきずに、師走の慌ただしさを過ごしている。父にもその気配がわかっているのだろうか・・・?昨年は大晦日あたりの迎春準備の様相が父にも伝わって、なんだかそわそわしていたが、今年はそんなふうでもない。線でつながらない、点の上を生きているアルツハイマーの父にとって、もはや年中行事は失われているようだ。

 日々の暮らしの中では父の様子はごく少しずつの病状の進行のように思えるが、こうして一年を振り返ってみると、やはり一年前に比べるとかなりアルツハイマーは父の脳細胞を蝕んできたようだ。

 それでも何とか、介護保険によりデイサービスなどを利用しながら、日々の生活に変化をつけるべく毎日を過ごしている。父はもはや、他者の見守りと声かけ無くしては生活できない。

 秋からしばらく大きな事件もおこさずに、何とかこの一年もくれようとしている。夏ごろまでにいろいろ事件も起きたので、母と見守りを強化しているおかげで、事件が起こっていなかったのだ。そういえば秋口にひどかった歯ぎしりもこのごろはほとんど見られなくなっている。

 そして大晦日ともなればさすがに大忙しの家族を尻目に、父は居間の椅子で居眠りしたり、部屋うちをのそのそ歩き回ったり。お正月の買い出しにも行かなくてはならないし、掃除だってしなくてはならない。しかし父から目を離すこともできない。父と母とわたしの三人家族なので、わたしか母かどちらかが父につきっきりとなり、家事の能率もかなり低下。なかなかはかどらない迎春準備とのんびりした父を相手に、私も母もややイライラ気味。

 そんな時事件は起きた!私は買い出しに出かけ、母はお正月用の食器を探しにほんのしばらく納戸にこもっていた。暖かくした居間で父は居眠りをしていたはずだが、母が居間に戻ってみると、なんともいえない臭気が立ちこもっており、父の手には新聞紙を丸めたものが大事そうに握られていたという。異常を察知した母が、父のての中のものを確かめるべく、丸められた新聞紙を広げてみるとそこには見事なバナナ大の茶色いものが鎮座していたという。大慌てでそれを水洗便器の中に流し込み、父の手を洗わせたというが、父の手は少しも汚れていなかったという。

 私は買い出し中で、母がほんの少し目を離したすきにこの事件だ。ほんとうに油断もすきもない。最近では自宅の中でトイレの位置もわからなくなることもある父。トイレに入っても、便器以外のところで排泄することも見られるのだ。大便のあと、水洗レバーを廻すことはおろか、トイレットペーパーを使用することを忘れてしまって久しい。居間でそこらあたりに散らばっていた新聞紙を広げて、自分のものを処理したとしても不思議ではない。

 このように便器以外のところで排泄したり、時分の便をもてあそんだりすることを「不潔行動」といって、アルツハイマー型痴呆の行動障害の症状であるという。物の分別、排泄物の後始末がわからないためにこのような行為をおこすのであるから、つねに身の回りを清潔に保ち、本人の排泄パターンを知っておいて早い目に声かけをして誘導することが大切だろう。

 一年の最後のエピソードが排泄物の話になってしまった。このようなことは一度起こるとまた繰り返し起こるもの。なぜならばアルツハイマーは病状が下降線をたどる一途だからだ。だからといって悲観してはいけない。なるべくそのような状況に陥らないように、家族の見守りが一番大切だからだ。いま父に出来ることがらを感謝して、なるべく出来ること・出来る状態が長続きするよう、見守っていきたい。




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